ヴィタリー・ペトロフ

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ヴィタリー・ペトロフ
Vitaly Petrov 2010 Malaysia.jpg
基本情報
フルネーム Виталий Александрович Петров
略称表記 PET
国籍 ロシアの旗 ロシア
出身地 同・レニングラード州ヴィボルグ
生年月日 1984年9月8日(29歳)
F1での経歴
活動時期 2010-2012
過去の所属チーム '10 ルノー
'11 ロータス・ルノー
'12 ケータハム
出走回数 58
優勝回数 0
通算獲得ポイント 64
表彰台(3位以内)回数 1
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
F1デビュー戦 2010年バーレーンGP
最終戦 2012年ブラジルGP
タイトル 0
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ヴィタリー・アレクサンドロヴィチ・ペトロフ: Виталий Александрович Петров : Vitaly Aleksandrovich Petrov1984年9月8日 - )は、ロシアレニングラード州ヴィボルグ出身のレーシングドライバー。ロシアで「ヴィボルグ ロケット(Vyborg Rocket)」という愛称で知られている[1]

経歴[編集]

初期の経歴[編集]

他のほとんどのドライバーと異なり、レーシングカートを経験せずにキャリアを始めて[2]おり、2001年にラーダ・ロシア・カップに参加し始め2002年には全5レース全て優勝しチャンピオンを獲得した[3]

フォーミュラ・ルノー[編集]

2003年にユーロノバ・レーシングのジュニアチームからイタリア・フォーミュラ・ルノーに参加しシリーズ19位で終えた[3]。その他、同年にはユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0の数レース、年末にはイギリス・フォーミュラ・ルノーのメインシリーズと冬季シリーズ、またカリャリ・サーキットで行われたユーロ3000選手権の最終戦などにスポット参戦した[3]

ロシアに戻る[編集]

2004年にペトロフはロシアのラーダ・レボリューション選手権に興味を寄せて参加。全4レースにおいてポールポジションからスタートしたが1勝しかできずシリーズ2位に終わった。またユーロカップ・フォーミュラ・ルノーとユーロ3000選手権の数レースに参加していた[3]

2005年もロシアに留まり、ラーダ・レボリューション選手権とフォーミュラ1600・ロシアに参加して両方の選手権のチャンピオンを獲得した[3]

ユーロ3000選手権[編集]

2006年にユーロノバ・レーシングからユーロ3000選手権に本格的に参加し全18レースのうち4つのレースに優勝しシリーズ3位で終えた[3]。また、インターナショナル・フォーミュラ・マスターの改称前となるF3000 International Mastersにブルノ・サーキットでのラウンドのみ参加した[3]

GP2[編集]

2008年GP2のカンポスグランプリ。ヴィタリー・ペトロフが駆る。(シルバーストンにて)

2006年以降、GP2メインシリーズとアジアシリーズに参戦しており2006年にはデビッド・プライス・レーシング、2007年と2008年まではカンポス・グランプリ、2009年はカンポスから商標を変更したアダックス・チームから参戦し総合2位だった[3]

F1[編集]

フリー走行でルノー・R30を駆るペトロフ。(※:2010年マレーシアGP

2010年[編集]

2010年1月31日、2010年のF1ルノーF1のドライバーとして起用されることが発表された[4]ロマン・グロージャンの後任としてロバート・クビサのチームメイトになる。また、ロシア人初のF1ドライバーである。なお、シート獲得に際しては1500万ユーロの資金持込が行われた。さらにこの加入によってロシア最大の自動車会社アフトヴァースラーダブランドでチームのスポンサーとなるなど、ペトロフはチームの重要な役割を担う。

デビュー戦バーレーンGPから、予選ではクビサに敵わず、決勝でもミスやトラブルなどで3戦リタイアに終わるものの、決勝では十分なレースペースとバトル能力を示す。

第4戦中国GPは、それが発揮される形で、不安定な天候の中、レッドブルマーク・ウェバーメルセデスミハエル・シューマッハをオーバーテイクするなど目覚しい活躍で7位フィニッシュ。初完走、初ポイント獲得を達成した。 第7戦トルコGPではタイヤがパンクするまで後ろにいたフェルナンド・アロンソのアタックをブロックし続けた。また、最終周で自身初のファステストラップを記録した。

第12戦ハンガリーGPでは予選を7位で通過し、初めてチームメイトのクビサを上回った。決勝でも、スタートで一時2008年ワールドチャンピオンのルイス・ハミルトンをオーバーテイクし、高い能力を証明した。最終的に自己最高位である5位でフィニッシュした。第19戦アブダビGPでは予選でシーズン2度目となるクビサの前の10位グリッドを獲得。決勝では1周目にセーフティカーが出た際にタイヤ交換義務を果たすと、先行するドライバーがピットストップを行うにつれて順位を上げ、ピットを終えてペトロフの後ろでコースに復帰したアロンソを最後まで抑えて6位でフィニッシュした。 シーズン終了までに5回の入賞で27ポイントを獲得したが、チームメイトのクビサに109ポイントの大差をつけられ、内容としては課題が残るものとなった。

ヘレスR31のテストを行うペトロフ。(※:2011年2月10日)

2011年[編集]

2010年12月22日、ルノーはペトロフの残留を発表した[5]。開幕戦オーストラリアGPの予選では、チームメイトのニック・ハイドフェルドがトラフィックにつかまりQ1で敗退する中でQ3に進出し、自己ベストとなる6位グリッドを獲得した。更に決勝ではスタートでジェンソン・バトンフェルナンド・アロンソをパスし4番手に浮上すると、更に2ストップ作戦が成功しマーク・ウェバーもかわして3番手に浮上。そのまま最後までポジションを落とすことなく粘りある走りを見せ、見事3位でフィニッシュ。自身初の表彰台を獲得した。その後は堅実な走りを見せたものの、車が他チームの戦闘力アップに対抗できなかったこともあり、ポイント圏内外をさまよう成績となる。最終的にはポイントランキング10位でシーズンを終えた。

1年契約であったが、チームに残留することも比較的有力であるとされたがロマン・グロージャンキミ・ライコネンがF1へ復帰した事によってシートを喪失した。

2012年[編集]

2月17日、ヤルノ・トゥルーリに代わってケータハムF1チームのレギュラードライバーとして起用された事が発表された[6]。チームメイトは以前からケータハムに所属しているヘイキ・コバライネン。開幕戦オーストラリアGPでは、ステアリングトラブルでリタイアを喫したものの、第2戦マレーシアGPでは16位で完走。続く第3戦中国GPでも18位完走。第4戦バーレーンGPでは16位完走と、チームメイトのコバライネンを上回る戦績を収めた。ヨーロッパGPではアクシデントの相次ぐ混沌としたレースの中で一時10番手を走行し、チームにとって初のポイントが見え始めていたが、トロ・ロッソダニエル・リチャルドに接触され、圏内から脱落し13位に終わった。余談だが、同レースではコバライネンも同じくトロ・ロッソのジャン=エリック・ベルニュに同じように接触されている。その後もコバライネン共々苦戦し、コンストラクターズランキングを争うマルシャにもリザルトで後れを取っていた。だが最終戦ブラジルGPでマルシャのシャルル・ピックとの直接対決を制し11位で完走。このペトロフのリザルトはチームにとって最高成績であるとともに、この結果により最後の逆転でコンストラクターズ10位を掴み取った。

DTM[編集]

2013年のF1シート喪失を経て、2014年2月28日にロシア人としては初となるDTM参戦が決まった。同年1月にメルセデスのDTMテストに参加しており、メルセデスからの参戦となる。[7]

レース戦績[編集]

カテゴリ名 チーム レース数 優勝 PP FL 表彰台 ポイント 総合順位
2001 ラーダ・カップ・ロシア  ?  ?  ?  ?  ?  ?  ?  ?
2002 ラーダ・カップ・ロシア SK OOO Favorit 5 5 5 5 5 500 1位
フォルクスワーゲン・ポロ・カップ・ロシア  ? 1 1  ?  ? 1  ?  ?
フォーミュラ・ロシア 10 Duimov 2 2  ?  ? 2  ?  ?
2003 イギリス・フォーミュラ・ルノー2.0 冬季シリーズ ユーロテック・モータースポーツ  ? 1 0 0 1 44 4位
イギリス・フォーミュラ・ルノー2000 2 0 0 0 0 23 28位
イタリア・フォーミュラ・ルノー2000 ユーロノバ・ジュニア・チーム 12 0 0 0 0 12 19位
フォーミュラ・ルノー2000・マスターズ ユーロノバ・レーシング 6 0 0 0 0 0 NC
ユーロ3000選手権 1 0 0 0 0 0 22位
2004 イタリア・フォーミュラ・ルノー2000 ユーロノバ・ジュニア・チーム 4 0 0 0 0 2 28位
ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0 4 0 0 0 0 0 NC
ユーロ3000選手権 ユーロノバ・レーシング 1 0 0 0 0 0 NC
ラーダ・レボリューション・ロシア Elex Polyus 4 1 4  ? 4 43 2位
2005 フォーミュラ1600・ロシア Art Line ProTeam 6 5 1  ? 9 85 1位
ラーダ・レボリューション・ロシア Maxmotor-Ulianovsk 14 10 5 6 9  ? 1位
2006 ユーロ3000選手権 ユーロノバ・レーシング 17 4 0 2 9 72 3位
GP2・シリーズ DPR 8 0 0 0 0 0 28位
インターナショナル・フォーミュラ3000・マスターズ チャロウズ・レーシング・システム 2 0 1 0 0 0 29位
2007 GP2・シリーズ カンポス・グランプリ 21 1 0 0 1 21 13位
2008 GP2・シリーズ カンポス・レースング 20 1 0 1 3 39 7位
GP2アジアシリーズ 10 1 1 0 4 33 3位
2008–09 GP2アジアシリーズ カンポス・レースング 11 1 0 0 3 28 5位
2009 GP2・シリーズ バルワ・アダックス 20 2 2 1 7 75 2位
2010 フォーミュラ1 ルノー 19 0 0 1 0 27 13位
2011 フォーミュラ1 ロータス・ルノー 19 0 0 0 1 37 10位
2012 フォーミュラ1 ケータハム 20 0 0 0 0 0 19位

F1[編集]

所属チーム  シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 WDC ポイント
2010年 ルノー R30 BHR
Ret
AUS
Ret
MAL
Ret
CHN
7
ESP
11
MON
13
TUR
15
CAN
17
EUR
14
GBR
13
GER
10
HUN
5
BEL
9
ITA
13
SIN
11
JPN
Ret
KOR
Ret
BRA
16
ABU
6
13位 27
2011年 ロータス・ルノー R31 AUS
3
MAL
17
CHN
9
TUR
8
ESP
11
MON
Ret
CAN
5
EUR
15
GBR
12
GER
10
HUN
12
BEL
9
ITA
Ret
SIN
17
JPN
9
KOR
Ret
IND
11
ABU
13
BRA
10
10位 37
2012年 ケータハム CT01 AUS
Ret
MAL
16
CHN
18
BHR
16
ESP
17
MON
Ret
CAN
19
EUR
13
GBR
DNS
GER
16
HUN
19
BEL
14
ITA
15
SIN
19
JPN
17
KOR
16
IND
17
ABU
16
USA
17
BRA
11
19位 0

DTM[編集]

所属チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2014 ミュッケ・モータースポーツ メルセデス・ベンツ C-クーペ HOC1
17
OSC
17
HUN
17
NOR
20
MOS
18
SPL
NÜR
LAU
GUA
HOC2
NC 0

脚注[編集]

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外部リンク[編集]