ピアス・カレッジ

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ピアス・カレッジ
Piers Courage 1968 Nürburgring.JPG
基本情報
フルネーム ピアス・レイモンド・カレッジ
国籍 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド
出身地 同・エセックス州コルチェスター
生年月日 1942年5月27日
没年月日 1970年6月21日(満28歳没)
F1での経歴
所属チーム '67ロータス,'67~'68BRM,
'69ブラバム,'70デ・トマソ
活動時期 1967 - 1970
出走回数 27
優勝回数 0
通算獲得ポイント 20
表彰台(3位以内)回数 2
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1967年南アフリカGP
初勝利
最終勝利
最終戦 1970年オランダGP
タイトル 0
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ピアス・レイモンド・カレッジPiers Raymond Courage1942年5月27日 - 1970年6月21日)は英国エセックス州コルチェスター出身のF1ドライバー。

経歴[編集]

1969年ドイツグランプリでブラバムをドライブするカレッジ

1967年1月2日南アフリカグランプリで、ロータスとBRMのシャシーを使用するプライベートチーム、レッグパーネルからF1デビュー。

2年間在籍した後、1969年にはブラバムのシャシーを使用するフランク・ウイリアムズのチームに移籍、二度の2位表彰台を獲得する活躍を見せた。この活躍にフェラーリも誘いをかけるほどであったが、結局翌年も残留することとなった。

1970年にチームは、デ・トマソのシャシーを使用していたが前年に比べ予選順位も奮わず、決勝レースでも完走を果たせずにいた。こうして迎えたザントフォールト・サーキットでの第5戦オランダグランプリにおいて彼の乗った車はイースト・トンネル手前の右コーナーでスピンし、外側ガードレールに衝突してコースアウト(このサーキットをよく知るジャッキー・イクスは、このコーナーでのカレッジのシフトワークが危険であるとカレッジ自身に注意を促していた)。さらにその先のイースト・トンネルの橋の欄干に激突し、コース横の草地に転落し炎上、カレッジは死亡した(車が炎上した時点で即死していた)。28歳の若さであった。フランク・ウイリアムズや特に親しかったヨッヘン・リントは彼の死により大きなショックを受けることとなった。

F1での年度別成績[編集]

所属チーム エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 WDC ポイント
1967年 ロータス BRM V8 RSA
Ret
30位 0
BRM BRM V8 MON
Ret
NED
BEL
FRA
GBR
DNS
GER
CAN
ITA
USA
MEX
1968年 BRM V8 RSA
ESP
Ret
MON
Ret
BEL
Ret
NED
Ret
FRA
6
GBR
8
GER
8
ITA
4
CAN
Ret
USA
Ret
MEX
Ret
20位 4
1969年 ブラバム フォード V8 RSA
ESP
Ret
MON
2
NED
Ret
FRA
Ret
GBR
5
GER
Ret
ITA
5
CAN
Ret
USA
2
MEX
10
8位 16
1970年 デ・トマソ フォード V8 RSA
Ret
ESP
DNS
MON
NC
BEL
Ret
NED
Ret
FRA
GBR
GER
AUT
ITA
CAN
USA
MEX
33位 0

関連項目[編集]