ナンシー
| Nancy | |
|---|---|
| 行政 | |
| 国 | |
| 地域圏(Région) | ロレーヌ地域圏 |
| 県(département) | ムルト=エ=モゼル県 (県庁所在地) |
| 郡(arrondissement) | ナンシー郡 (郡庁所在地) |
| 小郡(canton) | 4小郡庁所在地 |
| INSEEコード | 54395 |
| 郵便番号 | 54000 |
| 市長(任期) | アンドレ・ロシノー (2008年-2014年) |
| 自治体間連合 (fr) | Communauté urbaine du Grand Nancy |
| 人口動態 | |
| 人口 | 106 300人 (2005年) |
| 人口密度 | 7 022人/km² |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯48度41分37秒 東経6度11分05秒 / 北緯48.6936度 東経6.1846度 座標: 北緯48度41分37秒 東経6度11分05秒 / 北緯48.6936度 東経6.1846度 |
| 標高 | 平均:212 m 最低:188 m 最高:353 m |
| 面積 | 15,01km² (1 501ha) |
ナンシー(フランス語: Nancy、ドイツ語: Nanzig ナンツィヒ)はフランス北部、ロレーヌ地域圏の都市である。ムルト=エ=モゼル県の県庁所在地。近隣の都市としては、約45キロ北にメスが位置する。鉄鋼業で有名。
目次 |
[編集] 由来
896年、ナンシーの名はラテン語化されたNanceiacumとして記された。これはケルト語の人名をラテン語化したものとみなされている。
[編集] 歴史
ナンシーの誕生は、11世紀のロレーヌ公ゲラルト1世(fr)が建てた封建時代の城に関連する。その後彼の子孫によってロレーヌ公国の首都となり栄えた。シャンパーニュ伯継承戦争(fr)中の1218年、ロレーヌ公テオバルト1世(fr)に支配された。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によって町は放火され徹底的に破壊された。その後再建され、新しい城によって拡張、防衛されるようになった。
15世紀頃から、ガラス工芸が盛んであったが、19世紀後半になると鉄鋼業が盛んとなり、新興の中産階級が台頭した。ナンシー派の中心人物エミール・ガレの登場によって、アール・ヌーヴォー、特にガラス工芸の中心地となった。
18世紀、ロレーヌ公の地位にあったポーランド王スタニスワフ1世(スタニスラス)のもとで、街の景観が整えられた。現在も、広場の名前としてスタニスラスの名が残されている。
オーストリアの「女帝」マリア・テレジアの夫で、共同統治者 (Corregens) であった神聖ローマ皇帝フランツ1世・シュテファンはこの地の出身であり、スタニスワフ1世に譲位するまではロレーヌ公であった (代わりにトスカーナ大公となった) 。
[編集] 観光
市の中心部にあるスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場は、ユネスコの世界遺産に登録されている。
スタニスラス広場を囲むように市庁舎、ナンシー美術館、凱旋門などが配置されており、凱旋門を通って北のカリエール広場を抜けると、ロレーヌの旧官邸ならびにロレーヌ歴史博物館がある。
[編集] 交通
- 市内交通として、かつて存在したトロリーバスの施設を活用したゴムタイヤ式ライトレールを採用したLRTが存在する。ボンバルディア・トランスポーテーション社が開発した「TVR」を導入したが、開業直後から未成熟なシステム自体の問題や杜撰なインフラ整備のためにカーブで車両が接触事故を起こしたり、案内軌条から車輪が脱輪を起こす等のトラブルが多発し、開業から程なく一年もの間施設改修のために運休を余儀なくされる事態となった。このためナンシー市役所と運営会社、ポンバルディア・トランスポーテーションの間で訴訟問題に発展する事態を迎えている。詳細はゴムタイヤトラム#TVRの項を参照。
[編集] ナンシー出身の人物
- ジャック・カロ:版画家
- エミール・ガレ:ガラス工芸家
- アンリ・ポアンカレ:数学者
- ルネ・ブロンロ:物理学者
- アンリ・カルタン:数学者
- ピエール・シェフェール:作曲家、ミュジーク・コンクレートの創始者
- フランソワ・ジャコブ:生物学者
[編集] 姉妹都市
ニューカッスル・アポン・タイン、イングランド
リエージュ、ベルギー
カールスルーエ、ドイツ
パドヴァ、イタリア
金沢市、日本
キリヤット・シュモナ、イスラエル
ルブリン、ポーランド
シンシナティ、アメリカ合衆国
[編集] 関連項目
- ASナンシー - ナンシーを本拠地とするサッカークラブチーム。