パリ大学

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パリ大学
Université de Paris
Armes de l universite de paris.png
ラテン語名称Universitas magistrorum et scholarium Parisiensis
校訓 Hic et ubique terrarum (ラテン語)
創立 Circa 1150-1793, 1896-1970
学校種別 法人 (ca. 1150-1793), 公立 (1896-1970)
所在地 フランスの旗 フランスパリ
キャンパス Urban
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パリ大学(仏:Université de Paris)は、フランス共和国パリクレテイユおよびヴェルサイユの3大学区にある13の大学の総称である。多くのノーベル賞受賞者を送り出している他、政治学科学物理学神学などの分野で優秀な学者を輩出している。また芸術の教育機関としても名高い。

概説[編集]

パリ大学の起源は12世紀前半であり、1970年に第1から第13大学までの独立した大学群に編制された。大学は1257年にフランスの神学者ロベール・ド・ソルボン(fr)が神学部学生用のソルボンヌ寮を設立して以降「ソルボンヌ (Sorbonne)」、または「ラ・ソルボンヌ (La Sorbonne)」と呼ばれるが、大学が必ずしもソルボンの思想に基づいているわけではない。現在の13校の中で第1から第4大学までがソルボンの意思を受け継ぐ伝統的な教育を行っており、そのうち3校(第1、第3と第4大学)はソルボンヌを冠としている。ソルボンヌにある Académie de Paris には8校の総学長が存在し、現在の会長・学長はPatrick Gérard、副学長はEdouard Husson。

教育課程は3段階に構成され、第1課程(3年)と第2課程(2年、医学系は4年)の前半が日本の教養専門課程に該当し、第2課程の後半と第3課程(3年)が大学院に該当する。

第1大学は初期雇用契約導入(2006年)や大統領ニコラ・サルコジの改革方針(2007年)に反対するバリケードストライキが行なわれるなど、21世紀に入っても学生運動が盛ん、且つその拠点とされる大学である。

沿革[編集]

パリ大学は、ボローニャ大学オックスフォード大学などと共に、ヨーロッパ最古の部類に入る大学の一つで、その起源は1150年 - 1170年までさかのぼる。

  • 創設期には3つの上級学部(神学法学医学)の下に、学芸部が設置されていた。
  • 1211年にローマ教皇により、法的に「大学」として認められた (ストゥディウム・ゲネラーレ)。
  • 1257年ルイ9世の宮廷司祭であったロベール・ド・ソルボン(Robert de Sorbon, 1201年-1274年)が貧しい神学部学生のためのソルボンヌ学寮を設立。
  • 1259年に教皇の許可を得られ、以後ソルボンヌは後には神学部、ひいてはパリ大学そのものの代名詞となった。以来100以上の学寮が作られている。
  • 中世では全ヨーロッパを教育対象としたカトリック大学であった。しかし、ローマ教皇に庇護された大学の特権も、1499年ルイ12世の頃にはその乱用を忌まれて剥奪されている。
  • ナポレオン時代の1807年に帝国大学令により全国は16の大学区に分割され、パリ大学区には5学部(神学・法学・医学・理学文学)がおかれた。
  • 1969年の高等教育基本法によって現在の大学制度が成立した。学部は廃止されて、応用数学、英米文学などの専門的な研究・教育単位であるユニテ(unité、ユニット)に再編され、パリ大学も、1大学区1大学制から、20前後のユニテからなる13の独立した大学に改組された。 パリ第3大学(新ソルボンヌ、Sorbonne Nouvelle)は、この高等教育基本法に基づいて1970年に新制大学の1つとして設立された大学である。ユニテは1大学に一つのみではなく、複数の大学に重複している。
  • 1984年に高等教育法が制定された。これは1968年法の精神を推し進めると同時に,大学の使命として,研究の振興・雇用政策(職業化),社会的・文化的不平等の緩和を強調している。また,これまで大学とは別の体系をなし、大学よりも高い威信を有してきた高等専門大学(グランゼコール)などをこの法律の適用対象に含めている。

構成[編集]

※正式には全てローマ数字表記となる。

出身者[編集]

余談[編集]

  • ソフトバンクモバイルCMの白戸家のお父さん 白戸次郎が当大学に留学経験があるという設定となっている。また、髭男爵の山田ルイ53世もソルボンヌ大学卒業をネタとして自称している。

外部リンク[編集]