シュヴァリエ・デオン

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シュヴァリエ・デオンChevalier d’Eon, 1728年10月5日1810年5月21日)、フランス外交官スパイ、兵士であり、フリーメーソン会員。本名シャルル・ジュヌヴィエーヴ・ルイ・オーギュスト・アンドレ・ティモテ・デオン・ド・ボーモンCharles-Geneviève-Louis-Auguste-André-Thimothée d’Éon de Beaumont)。

生涯の前半は男性として、後半を女性として生きた。

生い立ち[編集]

シュヴァリエ・デオン
マドモワゼル・リア・ド・ボーモン

デオンはブルゴーニュ地方のトネール(現在のフランス・ヨンヌ県の町)で弁護士ルイ・デオン・ド・ボーモンと、貴族出身の妻フランソワーズの息子として生まれた。デオンの幼少期については、彼ののちに書かれた自伝からしか知り得ることができないため、その信憑性には疑問が多い。彼はのちに、自分は女性として生まれたが、父親は息子が生まれた場合にのみ婚姻で得られる財産を相続出来るため、自分を男として育てたと主張した。

デオンは学校でぬきんでて優秀で、1749年にパリコレージュ・マザランパリ大学の一部。正式名コレージュ・ド・カトル=ナシオン)を卒業した。彼は財務部署の王室監査官として働いた。

スパイとしてのデオン[編集]

1756年、デオンはルイ15世の私的スパイ機関『ル・スクレ・デュ・ロワ』に加わった。彼は国王から女帝エリザヴェータに謁見し、ハプスブルクと対立する親フランス派と接触するという秘密指令を受けた。のちに彼はリア・ド・ボーモンという女性になりすまし、女帝付きの女官となったと主張している。デオンのロシアでの経歴はValentin Pikul(en)の小説の主題の一つである。

1761年、デオンはフランスへ帰国した。翌年彼はド・ブロイ元帥の指揮する竜騎兵の隊長となり七年戦争の後期を戦った。彼は負傷して聖ルイ十字勲章を授けられ、『シュヴァリエ』(騎士、の意)となった。

1763年、デオンはロンドン特命全権大使となり、国王のスパイとして活動した。彼は潜在的な侵略のために情報を収集した。彼は自身の所有するブドウ園でできたトネールのワインをイギリス国務次官ウッドなどイングランド貴族に贈って彼らとのつながりをつくった。特命全権大使の地位を失いそうになったとき、彼は不服を申し立て、最終的に帰国命令に従わないことに決めた。彼は王へ手紙を送り、新任の大使が彼に薬を盛ろうとしたと訴えた。ロンドンにおける自身の外交的なポストの保全に乗り出した彼は、1764年に彼は自身の召還についての秘密外交文書を『書簡、手記、そして交渉(Lettres, mémoires, et négociations)』というタイトルで出版した。

1766年、ルイ15世は彼の願いを聞き届け、彼の働きに対し年金として年1万2千リーヴルを与えた。デオンはスパイに復帰したが、ロンドンに政治亡命したままだった。

女性としてのデオン[編集]

デオンはいつも竜騎兵の制服を着ていたという事実にも関わらず、彼は本当は女性ではないかという噂が後を断たなかった。彼の性別について、ロンドン証券取引所で賭けの寄り合いが始まった。1774年にルイ15世が亡くなると、彼は帰国を交渉を始めた。彼は自分は身体的にも男性ではなく女性であると主張し、政府に彼を女性と認めるように要求した。ルイ16世と政府はデオンの要求を全て受け入れ、彼に女性の服を着用するよう命じた。王は新しい服を購入するための資金を与えたので、デオンは承諾した。1777年にデオンは帰国し、以降は女性として暮らし始めた。しかし、あいかわらず軍服を好んで着用するデオンに、事情を知らないフランス王妃、マリー・アントワネットから、「ドレスもなく男装しているのは気の毒だ」と同情を買い、彼女が贔屓にしているローズ・ベルタン嬢デザインのドレスが贈られている。

フランス政府がアメリカ独立戦争援助を始めると、デオンは自分がアメリカでフランス軍に加わることはできるか尋ねた。彼はディジョンの城に19日間投獄され、故郷トネールで6年あまりを母親と過ごした。

1779年、デオンは回顧録『軍人の生涯、外交官そしてデオン嬢の私生活(La Vie Militaire, politique, et privée de Mademoiselle d'Eon)』を発表した。これは友人ラ・フォルテールの代筆によるものだが、おそらく話に尾ひれがつけられていただろう。 1785年にデオンはイギリスへ戻った。フランス革命後は年金を失ったため、蔵書を売らなければならなかった。1792年、彼はフランス国民議会に書簡を送り、ハプスブルク家との戦いに女性兵士師団を用いるよう提案したが拒絶された。1796年に重傷を負うまで、デオンは生活費稼ぎのためにフェンシングの試合、見せ物としての決闘に参加した。1805年に彼は自身の自叙伝の契約を結ぶが、これが世に出ることはなかった。晩年には、神経痛・リューマチを病み、ロンドンで、コール夫人というイギリス人を夫に持つフランスの未亡人とともに過ごした。シュヴァリエ・デオンはロンドンで1810年5月21日に死亡。死後に検死した外科医は、彼は解剖学上は男性であることを明らかにした。デオンが葬られたロンドンの墓所は不明である。 デオンの子孫は現在もフランスに存命している。

影響[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ "Eonnagata" acaserne.net

関連項目[編集]

  • 異性装
  • オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ - 漫画ベルサイユのばらの主人公。架空の人物ではあるが、性別を偽りながら王宮に仕える面では共通点を持つ。(当作品もフランス革命前夜を舞台としている)なおオスカルは男装の女性である。
  • 「ヴェルサイユ宮殿密偵物語 女装騎士デオンと王妃たち」川島ルミ子著
  • 漫画「花の美女姫Ⅱ」 名香智子著 - カーモール(氏家姫丸)がデオンに扮して映画を撮影するストーリー。

外部リンク[編集]