フランソワ・フィヨン
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François Fillon
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| 生年月日 | 1954年3月4日(59歳) |
| 出生地 | サルト県ル・マン |
| 出身校 | メーヌ大学 パリ=デカルト大学 |
| 前職 | 議員秘書 |
| 所属政党 | (共和国連合→) 国民運動連合 |
| 配偶者 | ペネロプ・フィヨン |
| サイン | |
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| 選挙区 | パリ第2選挙区 |
| 当選回数 | 8回 |
| 任期 | 2012年6月20日 - |
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国民議会連合=UMPグループ会長
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| 任期 | 2012年11月27日 - 2013年1月16日 |
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| 内閣 | 第1次フランソワ・フィヨン内閣 第2次フランソワ・フィヨン内閣 第3次フランソワ・フィヨン内閣 |
| 任期 | 2007年5月17日 - 2012年5月10日 |
| 大統領 | ニコラ・サルコジ |
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| 内閣 | 第3次フランソワ・フィヨン内閣 |
| 任期 | 2012年2月22日 - 2012年5月10日 |
| 大統領 | ニコラ・サルコジ |
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| 選挙区 | サルト県 |
| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 2005年9月18日 - 2007年6月17日 |
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その他の職歴
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(2004年3月31日 - 2005年5月31日) |
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(2002年5月7日 - 2004年3月30日) |
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| ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏議会議長 (1998年3月20日 - 2002年5月16日) |
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(1995年11月7日 - 1997年6月2日) |
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(1995年5月18日 - 1995年11月7日) |
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(1993年3月30日 - 1995年5月11日) |
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フランソワ・フィヨン(フランス語: François Fillon、1954年3月4日 - )は、フランスの政治家。第五共和政第19代首相(在任:2007年 - 2012年)。所属政党は国民運動連合。サルト県ル・マン出身。
目次 |
経歴 [編集]
スブレのブリ家のドミニク・ドゥ・ヴィルパンのいとこに当たるバスク史家アニー・スレと、ヴァンデ出身の公証人のミシェル・フィヨンの息子として生まれる。3人の兄弟とともに、サルト県の小さな町で育つ。ル・マンのノートルダム・ドゥ・サント=クロワ高校を卒業、1972年に哲学のバカロレアを取った。
フィヨンはその後、メーヌ大学でクリスティアン・フィリップ(政治家)のもとで学び、1976年に公法のマスターを取得した。翌年、パリ第5大学で公法の博士課程研究免状を、また国立政治学研究院(Fondation nationale des sciences politiques)で政治学の博士課程研究免状を得た。
その後、ジャーナリストになるために、3年間フランス通信(AFP)で研修を受ける。早くに政治家としてのキャリアを開始する。
1980年6月28日には、ウェールズ出身のペネロプ・クラルクと結婚。マリー、シャルル、アントワーヌ、エドワール、そして、アルノの5児をもうける。1983年から2001年までサブレ=シュル=サルト市長。
2002年ジャン=ピエール・ラファラン内閣の労相(社会問題・労働・連帯相)として入閣する。労相としては、週35時間労働制の緩和を内容とする「賃金・労働時間・雇用促進法」(フィヨン法、Loi Fillon)制定を実現した。2004年高等教育・研究相に就任し、バカロレアの改革を含むフィヨン教育法を制定し論争の的となった。2005年ドミニク・ド・ヴィルパン内閣には入閣せず、同年サルト県から上院(元老院)議員に選出された。
2007年フランス大統領選挙では、ニコラ・サルコジの選挙参謀を務め、サルコジの下、首相就任へと至った。
2013年春の叙勲で、旭日大綬章を授与された直後、ツイッター上で2017年のフランス大統領選への出馬表明をしている。所属党派内からは、党の団結を見出す身勝手な言動として批判を買っている。
政治家としてのキャリア [編集]
初期 [編集]
- 1976年 - 1977年 : サルト県選出の下院議員であるジョエル・ル・トゥルの公設秘書を務める。
- 1977年 - 1978年 : 運輸大臣ジョエル・ル・トゥル事務所の事務局長。
- 1980年 : ジョエル・ル・トゥルが防衛大臣に就任。
- 1981年 : 産業大臣ミシェル・ジローの事務所で法務局・議会担当局の局長を務める。
地方議員 [編集]
- 1981年 : ジョエル・ル・トゥルの死去に伴い、サブレ=シュル=サルト市議会議員に出馬。当選し、1986年まで務める。途中、経済担当の市助役にも就任。
- 1983年3月 - 2001年 : サブレ=シュル=サルト市長。
- 1981年2月 - 1998年 : サブレ=シュル=サルト郡からサルト県県会議員。
- 1998年以降 : ロワール地域の地方議員。
- 2001年以降 : サルト県の自治体ソレスム市議会議員。
- サブレ・シュル・サルトの地域共同体の議長。
- 彼は、1981年から2002年まで下院議員であったサルト県の第5選挙区の、総選挙立候補者である。
国会議員 [編集]
- 1981年、ジョエル・ル・トゥルの死去に伴い、サルト県第4選挙区から出馬、当選する。当時27歳であり、下院最年少議員となった。同じく若手議員であったフィリップ・セガンと親しくなる。
- 国民議会総選挙ではサルト県第4選挙区で2007年まで7選(2002年ならびに2007年はエロー内閣農相のステファヌ・ル・フォルを破っている)。2012年は落下傘候補としてパリ第2選挙区から出馬、8選を果たしている。
- 防衛委員会のメンバーである(1986年から1988年まで委員長を務める)。
- 仏タイ友好委員会グループの委員長である。
- 2005年9月18日以降、サルトのUMP所属の上院議員。第1回投票では54,9%を獲得した。首相就任。
大臣 [編集]
- 1993年4月 - 1995年 : エドゥアール・バラデュール内閣においてフランス高等教育・研究大臣。
- 1995年5月 - 1997年6月 : アラン・ジュペ第1,2内閣で、環境・開発・エネルギー・運輸相、そして郵政相に任命される。
- 2002年5月 - 2004年3月 : ジャン=ピエール・ラファラン第1,2そして第3内閣でフランス社会問題・労働・連帯大臣。彼がこの政府の間に行った年金制度改革はフィヨン法と呼ばれており、フランス国民の一部からは大きな反発を買った。彼はまた、週35時間労働制の改正も行う。
- 2004年3月 - 2005年6月 : 2004年、ジャン=ピエール・ラファラン第3内閣時にフランス高等教育・研究大臣に任命される。彼が行った法改正の一つが、2005年春、高校生による多大な抗議行動を呼び起こした。そのため、多くの高校がふさがれ、占拠された。フランソワはバカロレアに関する一部改正を破棄し、法案の残りに投票を求めた。
参照 [編集]
外部リンク [編集]
- フィガロ紙インタビュー (フランス語)
- Blog de François Fillon
- France.9, club de réflexion de François Fillon
- Sa fiche sur le site du Sénat
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ジャック・ラング 国民教育・文化大臣 |
1993年 - 1995年 |
次代: ジャン・ド・ボワシュエ 高等教育担当副大臣 |
| 先代: ユベール・キュリアン 研究・宇宙大臣 |
次代: エリザベート・デュフルク 研究担当副大臣 |
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| 先代: ジョゼ・ロッシ 産業・郵政・電気通信・貿易大臣 |
1995年 |
郵政・電気通信・宇宙担当大臣に移行 |
| 新設 情報技術・郵政大臣から移行
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1995年 - 1997年 |
次代: クリスチャン・ピエレ 産業担当副大臣 |
| 先代: オリヴィエ・ギシャール |
ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏議会議長 1998年 - 2002年 |
次代: ジャン=リュック・アルソー |
| 先代: エリザベート・ギグー 雇用・連帯大臣 |
2002年 - 2004年 |
次代: ジャン=ルイ・ボルロー 雇用・労働・社会的団結大臣 |
| 先代: リュック・フェリー 青少年・国民教育・研究大臣 |
2004年 - 2005年 |
次代: ジル・ド・ロビアン |
| 先代: ドミニク・ド・ヴィルパン |
第五共和政第19代:2007年 - 2012年 |
次代: ジャン=マルク・エロー |
| 先代: ナタリー・コシウスコ=モリゼ |
2012年 |
次代: ニコル・ブリック 環境・持続可能開発・エネルギー大臣 |
| 党職 | ||
| 新設 | 国民議会連合=UMPグループ会長 2012年 - 2013年 |
解散 |
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