ローラン・ファビウス

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ローラン・ファビウス
(ロラン・ファビュース)

Laurent Fabius
Laurent Fabius - Royal & Zapatero's meeting in Toulouse for the 2007 French presidential election 0538 2007-04-19.jpg

任期: 1984年7月17日1986年3月20日
元首: フランソワ・ミッテラン大統領

任期: 2000年2002年
元首: ジャック・シラク大統領

任期: 2012年5月16日 – 在任
元首: フランソワ・オランド大統領

出生: 1946年8月20日(66歳)
パリ
政党: 社会党(PS)

ローラン・ファビウスロラン・ファビュースLaurent Fabius 発音例1946年8月20日 - )は、フランスの政治家。フランス社会党所属。

1946年パリの高級住宅街16区に生まれる。高等師範学校パリ政治学院国立行政学院(ENA)を卒業する。1974年、社会党に入党する。ミッテラン第一書記の経済顧問を務め、「ミッテランの秘蔵っ子」と呼ばれる。

1981年6月、ミッテラン政権発足とともに、予算担当相に就任する。1983年には産業・技術相に就任、さらに1984年7月にはナポレオン1世以来の最年少である37歳で首相に就任する(この記録は現在まで破られていない)。1981年より続いていた同政権の社会主義的政策を急転換させ、緊縮政策、市場重視の政策を行なった。1985年予算案は経済再建を軸にした超緊縮型予算で、歳入面では所得税・法人税の減税、社会保障関係の国民・企業負担の軽減、社会保障支出削減が打ち出された。インフレ政策は成功し、1981年に14%を記録したインフレ率も、1985年には5%以下となった。ただ、失業者対策は完全に破綻し、1980年から1985年の間に失業者の数は約75万人増加した。1985年には失業率は10.4%、失業者の数は300万人に達した。在任中はミッテラン大統領よりも人気があったが、1986年3月の議会総選挙で社会党が敗北し、首相を辞任した。1988年6月から3年間、国民議会議長を務める。1992年1月、社会党第一書記に就任する。その後、首相在任中の薬害エイズ事件の罪で起訴されたが、2000年3月、ジョスパン政権で蔵相に就任し、政治的復活を果たした。

1995年から2000年までル・グラン=ケヴィイー市長を務める。

2005年欧州憲法批准問題では、社会党が批准に賛成する方針であったが、ファビウスは反対に回った。

2007年フランス大統領選挙では、社会党の大統領選挙候補者に立候補したが、2006年11月党大会でファビウス、セゴレーヌ・ロワイヤルドミニク・ストロス・カーンによる選挙の結果、ロワイヤルが公認候補者となった。

2012年に発足したフランソワ・オランド政権では5月16日付で外相に就任した。

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]

先代:
ピエール・モーロワ
フランスの首相
1984年 - 1986年
次代:
ジャック・シラク
先代:
ジャック・シャバン=デルマ
国民議会議長
1988年 - 1992年
次代:
アンリ・エマニュエリ
先代:
ピエール・モーロワ
フランス社会党第一書記
第5代:1992年 - 1993年
次代:
ミシェル・ロカール
先代:
フィリップ・セガン
国民議会議長
1997年 - 2000年
次代:
レイモン・フォルニ
先代:
クリスチャン・ソテール
フランスの大蔵大臣・財務大臣
2000年 - 2002年
次代:
フランシス・メール
先代:
アレン・ジュペ
フランスの外務大臣
2012年 - 在職
次代:
在職