オスマン・サンコン
| オスマン・ユーラ・サンコン | |
|---|---|
| 生誕 | 1949年3月11日(62歳) |
| 出身校 | ソルボンヌ大学 |
オスマン・サンコン(Ousmane Sankhon、本名:オスマン・ユーラ・サンコン (Ousmane Youla Sankhon) 、1949年3月11日 - )はギニア共和国出身のタレント、著作家、ギニア日本交流協会顧問、元外交官。サンコンシステムズ所属。
目次 |
[編集] 来歴
ギニアボッファ県出身。22人兄弟の4男。国立コナクリ大学卒業後、フランスのソルボンヌ大学に国費留学し、1972年にギニア外務省に入省。同年、日本に開設されたギニア大使館の大使館員(駐日親善大使[1])として来日し8年間を日本で過ごす。
アメリカ・ワシントンD.C.勤務を経て、1984年にギニア外務省を休職して再来日。人気テレビ番組「笑っていいとも!」への出演をきっかけに、タレント活動を開始する。笑顔を絶やさない明るいキャラクターと、いわゆる天然ボケで、デーブ・スペクター、ケント・デリカットらとともに「変なガイジン」タレントとして人気を博した。お決まりのフレーズは、「1コン2コン・サンコン!」[2][3]。
タレント活動の傍ら、講演活動、故郷のボッファに15年間日本の文具や衣類を贈るなどのボランティア活動を行なっている。そもそも、日本人にギニアという国のことを知ってもらうためにタレント活動を始めたという経緯があるためか、近年ではギニアの民族衣装を着てテレビに出演することが多い(以前は必ずと言っていいほど、スーツ姿であった)。
息子のDJヨンコン[4]はレゲエグループ笑連隊のメンバーとして活動している。
[編集] 人物
ギニアの公用語であるフランス語、ギニアの土着語のスースー語、日本語、英語、スペイン語、イタリア語の6カ国語を話すマルチリンガルである。かつては6.0の視力を持っていたが、それでも故郷では近眼だったというエピソードがある。ただし、長い日本生活で現在の視力は1.2になってしまったとのこと。(2010年8月1日放送の測定で0.9)
少年時代に、サッカーで右足を骨折して入院したが、当時のギニアの医療設備・技術では完治に至らず、現在でも不自由で、日本の身体障害者手帳2級を持っている[5]。この出来事を体験したことが、「ギニアの医療をはじめ、経済・生活水準などを先進国並みに発展させ、未来の子供たちに同じ思いをさせたくない」という、ボランティア活動の原動力になっているとコメント。また、ギニアに住んでる頃はあまり汗をかかない体質だったが、日本に来てからはダラダラと汗をかくようになってしまったという。
介護ヘルパー2級の資格を持っており、福祉の問題への関心も高い。
ギニアではイスラム教が主であるため、酒の存在を知らなかった。来日して初めて酒を飲んだとき「おいしい飲み物」と思い、それ以降酒好きになった。また、豚肉を口にする習慣もなかったが、カツ丼を豚肉と知らず食べてしまったときも「おいしかった」と思ったと「笑っていいとも!」出演時に話している。
初めて仏式の葬儀に参列した際、他の参列者が焼香をして「ご愁傷様でした」と言っている姿を「『ご馳走様でした』と言っているのだから何か食べているのだろう」と勘違いし、抹香を食べてしまったことがあった。抹香の味は「酸っぱかった」とのこと。
「コサキンルーの怒んないで聞いて!!」の「のものもの」(投稿による回文ネタ)コーナーで、「新婚さん、サンコン氏」というネタが紹介され、ウェディングドレス姿でVTR出演した。
[編集] 著書・監修書
- アフリカの星/サンコンの爆笑ギニア講座(1986年、シーズ、ISBN 4795002517)
- サンコンのとっておきアフリカむかし話〈1〉(1989年、金の星社、ISBN 4323012349)
- サンコンのとっておきアフリカむかし話〈2〉(1989年、金の星社、ISBN 4323012357)
- サガタラ―少年(1990年、ファンハウス、ISBN 4847011171)
- 大地の教え(1992年、講談社、ISBN 4062054736)
- “超自然人”サンコンの「視力6.0」が見たニッポン(1992年、光文社、ISBN 4334900321)
- サンコン少年のあふりか物語(1993年、講談社、ISBN 4062064200)
- オスマン・サンコンのアフリカ事典(1995年、国際開発ジャーナル社、ISBN 4875390319)
- 大地の教え(文庫版)(1996年、講談社、ISBN 4062631431)
- 明るく生きちゃ悪いですか?―障害を持って生きるボクたちからのメッセージ(1998年、広美出版事業部、ISBN 4877470115)
- サンコン少年のアフリカ物語(文庫版)(2001年、講談社、ISBN 4061485547)
- 母が教えた本当の人生―Merci maman(2002年、たちばな出版、ISBN 4813313337)
- 1コン2コン・サンコンと世界に旅立とう! 6カ国語会話集(オスマン ユーラ サンコン監修、武井こうじ著、2003年、河出書房新社、ISBN 9784309905273)
- ボケは神さまがくれたプレゼント―サンコンのハートで介護 イラスト版(2004年、エスケープランニング、ISBN 4434046950)
- 僕がヘルパー2級になった理由(わけ)「介護サービスガイド帳」(2007年版、全国介護者支援協会)
[編集] 音楽作品
- 「アフリカの女」(1987年12月16日発売のデビューシングル。作詞:秋元康、作曲:見岳章)
- 「ジャングルブック」
- 「JUMBO DANCE」(1993年、ひらけ!ポンキッキ挿入歌) - 「アフリカン・ブラザーズ」名義、ジョン・ムウェテ・ムルアカとデュエット
- 「でたらめろでぃー」(1999年、爆チュー問題のアルバム) - でたらめな歌アフリカバージョンのギニア語とアウサ語の内、ギニア語訳詞と歌唱参加
[編集] 主な出演作品
[編集] テレビドラマ
- 「教師びんびん物語II」 第1話(1989年、フジテレビ)
[編集] その他のテレビ番組
- 所さんのただものではない! - 回答者(フリップに書いた回答は日本語ではなくローマ字であった)
- 「FNSスーパースペシャルテレビ夢列島」(1987年) - 「ゲゲゲのサンコン 夜は墓場でサンコン捜し」(通称「真夜中のサンコン探し」)コーナー[6](1988年・1989年も出演)
[編集] CM
- 白元「ミセスロイド」
- 日清食品「日清焼そばU.F.O.」 - 「UFO仮面ヤキソバン」で、「にせヤキソバン」
- ダイコロ「ダイコロカード」
[編集] 脚注
- ^ 2011年8月霊友会京都創立祭資料より
- ^ オスマン ユーラ サンコン監修、武井こうじ著 『1コン2コン・サンコンと世界に旅立とう! 6カ国語会話集』 河出書房新社、2003年、ISBN 9784309905273。
- ^ 最近では息子と共演の際その後にヨン(4)コンを言うバージョンもある。
- ^ 芸名はサンコンの息子だからヨンコンというニックネームから。
- ^ 2011年8月霊友会京都創立祭資料より
- ^ 清水P(映像企画P)は見た! - フジテレビZOO