ペンスキー・レーシング

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ペンスキー・レーシングPenske Racing)は、アメリカノースカロライナ州ムーアズヒルに本拠を置くレーシングチーム。インディカー・シリーズには「チーム・ペンスキー」名義で参戦する。

概説[編集]

CARTやインディカー・シリーズで幾度となくチャンピオンを獲得するなど、アメリカのモータースポーツの中では「名門」と言えるチームであり、特にインディカー・シリーズにおいてはチップ・ガナッシ・レーシングと二強を形成する、名実共に名門である。シャシーの製造能力も有しており、1970年代にはF1に参戦していたほか、1999年までオリジナルシャシーのPCシリーズでCARTに参戦していた。

NASCARでは長年に渡りダッジワークス・チーム扱いを受けていたが、ダッジブランドを持つクライスラーの経営不振からマシンの開発が滞るようになり戦闘力が低下。2011年には3勝、2012年にはブラッド・ケセロウスキーがシリーズチャンピオンを獲得したが、2013年よりフォードにマシンを変更している[1]

概要[編集]

ドライバー[編集]

主なスポンサー[編集]

※データは2013年現在。

歴代の所属ドライバー[編集]

F1[編集]

ペンスキー
参戦年度 1974 - 1977
出走回数 41
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 1
通算獲得ポイント 23
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1974年カナダGP
初勝利 1976年オーストリアGP
最終勝利 1976年オーストリアGP
最終戦 1977年カナダGP
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1975年に使用されたPC1

概要[編集]

1974年の終盤カナダGPからF1に参戦。1975年からフル参戦を開始した。1975年の一時期、マーチ製シャーシを使用もしたがそれ以外は自製シャーシで参戦。エンジンはフォードコスワースDFVを使用して、当時の典型的なF1マシンであったが、デザインは他のチームと異なり、曲線などをマシンの随所に使用していた。スポンサーはファースト・ナショナル・シティ銀行

1976年のオーストリアグランプリでは、チーム唯一となる勝利をジョン・ワトソンが挙げた。1977年にドイツのホイールメーカーであるATSがチームを買収したことから、エントリー名がATS・レーシング・チームに変更されたが、コンストラクター名はペンスキーのままであった。マシンは前年度のPC4を継続使用した。1978年からはコンストラクター名もATSとなり、さらにマーチも買収して、完全にATSとして参戦した。

変遷表[編集]

エントリー名 車体型番 タイヤ エンジン 燃料・オイル ドライバー ランキング 優勝数
1974年 ペンスキー・レーシング PC1 G フォードDFV スノコ マーク・ダナヒュー 20位 0
1975年 ペンスキー・レーシング PC1,マーチ751 G フォードDFV スノコ マーク・ダナヒュー
ジョン・ワトソン
12位 0
1976年 シティバンク・チーム・ペンスキー
* F&S Properties(PC3)
PC3,PC4 G フォードDFV バルボリン・スノコ ジョン・ワトソン
ボイ・ハイエ
5位 1
1977年 ATS・レーシング・チーム
* Interscope Racing(PC4)
PC4 G フォードDFV バルボリン・スノコ ジャン=ピエール・ジャリエ
ハンス・ハイヤー
ハンス・ビンダー
ダニー・オンガイス
10位 0

*枝がついているチームに車体を供給(括弧内に供給した車体の型番を記載)
*斜体になっているドライバーはスポット参戦など

脚注[編集]

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  1. ^ NASCAR:ペンスキー、2013年からフォードにマシンチェンジ - FMotorsports kaigai・2012年3月2日
  2. ^ オーナー、ロジャー・ペンスキーがフィリップモリスの役員でもあったことから、1990年以来、マールボロブランドでチームのメイン・スポンサー(冠スポンサー)となっていたが、2006年以降の世界的なタバコ広告の自粛を受け、2007年からはカラーリングは赤白のマールボロカラーのままだが車体へのロゴの露出は控えられ、エントリー名もマールボロの文字が外れて「チーム・ペンスキー」となり、さらに2009年からは車体のカラーリングも黒と銀色に改められた。

外部リンク[編集]