アンドレッティ・オートスポーツ
アンドレッティ・オートスポーツ(Andretti Autosport )はインディカー・シリーズに参戦しているアメリカ合衆国のレーシングチームである。以前はA1グランプリやアメリカン・ルマン・シリーズにも参戦していた。本項目では前身となったチーム・グリーン及びアンドレッティ・グリーン・レーシング(Andretti Green Racing)についても記載する。
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CART [編集]
1993年に、バリー・グリーンとジェラルド・フォーサイスによってフォーサイス・グリーン・レーシングとして設立され、クロード・ブルボネとジャック・ヴィルヌーヴのドライブでフォーミュラ・アトランティックに2台体制で出走した。1994年は CART ワールドシリーズにジャック・ヴィルヌーヴの1台体制で参戦し、インディ500では2位に入賞、第14戦ロード・アメリカで初優勝を達成した。しかしシーズン終了後にフォーサイスが離脱し別チームを立ち上げたため、バリーはチーム名をチーム・グリーンに変更し、彼の兄弟キム・グリーンをチームマネージャーに迎える。翌1995年にはジャック・ヴィルヌーヴによりインディ500とCART ワールドシリーズの両方を制することとなった。
1996年は、ジャック・ヴィルヌーヴがF1のウィリアムズへ移籍したため、ブラーマをスポンサーとしているラウル・ボーセルをドライバーに起用し、ブラーマ・スポーツ・チームとして出走したが、チームは低迷してしまう。
1997年には、ドライバーはパーカー・ジョンストンが加入し、メインスポンサーとしてKOOL、エンジンはホンダを獲得し、チーム名はチーム・クール・グリーンに変更された。ジョンストンはシリーズ16位に終わったが、このシーズン終盤に、新鋭のダリオ・フランキッティを獲得、シーズン終了後にはチームペンスキーを解雇されたポール・トレーシーと契約し翌年の2台体制への移行に備えることとなった。彼らは、翌1998年以降5シーズンの間、チームメイトとしてチームに残留した。
1998年、フランキッティは頭角を現し、第14戦ロード・アメリカでの初優勝を皮切りに第15戦バンクーバー、第17戦ヒューストンと優勝しシリーズ順位は3位となる。対するトレーシーは目立った成績を残せずシリーズ13位に終わった。その後は、2人のコンビで実績を重ねていく。
2001年、マイケル・アンドレッティが、実質同一チームであるチーム・モトローラに加入し、この年は第9戦クリーブランドでフランキッティが、第10戦トロントでマイケルがそれぞれ勝利を挙げた。
2002年、マイケルが第2戦ロングビーチで現役最後の勝利を挙げた[1]。また、開幕戦直後にシャーシを供給していたレイナードが倒産し、第3戦もてぎからチームはシャーシをローラへと変更し、もてぎではマイナートラブルが発生したが、次の第4戦ミルウォーキーではトレーシーが優勝を飾り、第10戦バンクーバー、第13戦モントリオール、第15戦イングランドでフランキッティが優勝している。
インディカー・シリーズ [編集]
2001年シーズンの末にCARTでエンジン既定を巡るトラブルが表面化したあと、マイケル・アンドレッティはチーム株式の多くを買い取り、2003年に新しくアンドレッティ・グリーン・レーシングと名称を変更し、CARTからライバルシリーズであるIRLに移籍することになった。トレイシーは、2002年のインディ500で優勝を逃すことになった裁定への不満と、IRLがカナダでのレースを行っていないためチームを離脱しチャンプカー・ワールド・シリーズに残留したが、替わりにトニー・カナーンが加わる。
2003年は、ダリオ・フランキッティの負傷によりドライバーの変更が多い年となる。第3戦もてぎではダン・ウェルドン、第4戦インディ500ではロビー・ゴードン、第5戦テキサスではブライアン・ハータがそれぞれ代わりに出走した。フランキッティは第6戦パイクスピークには出走したものの、手術のためシーズンの残りはハータにシートを譲ることとなった。カナーンも第3戦もてぎで骨折したため、インディ500への出走が危ぶまれ、代役としてマリオ・アンドレッティがプライベートテストを行ったが、そのテスト中に宙を舞う大事故を起こした。怪我はなかったものの、カナーンが出走可能になったためマリオが出走することはなかった。また、マイケルが第4戦インディ500で引退することをうけて、ウェルドンが後任としてそのままチームに残留することとなった。この年の勝利は、第2戦フェニックスでカナーンが、第8戦カンザスでハータがそれぞれ挙げた。
フランキッティが復帰し、2004年シーズンからは4台体制となる。2005年の第3戦セントピーターズバーグではウェルドン、カナーン、フランキッティ、ハータの順で1-2-3-4フィニッシュを達成した。また、カナーンとウェルドンはそれぞれ、インディカーシリーズの2004年と2005年のチャンピオンとなり、ウェルドンは2005年のインディ500でも勝利した。
2005年のタイトルを獲得したダン・ウェルドンは2006年にチップ・ガナッシ・レーシングへ移籍し、代わりにマイケルの息子マルコ・アンドレッティが加入することとなった。この年のインディ500では、マイケルも復帰して出走し、親子での上位争いが見られた。結果はマルコがチーム・ペンスキーのサム・ホーニッシュJr.に僅差で敗れ2位、マイケルは3位であった。
2006年7月25日、新しくAGRが参戦するアメリカン・ルマン・シリーズ用のアキュラLMP2のプロジェクトに参加するハータに替わって、ダニカ・パトリックが2007年からAGRに加入することが発表された。
2007年10月31日には、2007年のインディ500とインディカー・シリーズのチャンピオンとなったが、チップ・ガナッシレーシングと契約し、NASCARスプリントカップシリーズに移籍するフランキッティに替わって武藤英紀がカーNo.27のシートに座ることが発表された。武藤は2007年インディ・ライツから昇格してきたドライバーである。
インディ・ライツはインディカー・シリーズの下位カテゴリーで、AGRはそのシリーズに2台出走させるために、AFSレーシングと提携している。2007年はワイド・カニンガムとジェイミ・カマラがドライブし、それぞれ3位と6位となった。2008年は2007年にチャンプカー・アトランティックシリーズをドライブしていたラファエル・マトスとアリー・ルイエンダイクJr.がドライブした。
2008年にはパトリックがツインリンクもてぎで初勝利。女性ドライバーとして主要モータースポーツでは初となる勝利であった。またカナーンも1勝を挙げた。さらに武藤がルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。
2009年は前年同様の体制(インフィニオンのみフランク・モンタニーがスポット参戦)で臨んだが、未勝利に終わる。
2010年は武藤が移籍し、当初一部レースのみの参戦予定でライアン・ハンター=レイが加入するが、チームに2年ぶりの勝利をロングビーチでもたらすと、フル参戦を勝ち取った。他にカナーンが1勝を挙げている。
2011年は、カナーンのメインスポンサーが体制を縮小したことにより離脱し、替わりに前年インディ500で大怪我を負ったマイク・コンウェイが加入し、引き続き4台体制で参戦した。ロングビーチでコンウェイが復帰3戦目で優勝、アイオワでマルコ・アンドレッティがオーバル初優勝、ニューハンプシャーでハンター=レイが優勝し、前年を上回る3勝をあげた。パトリックが翌2012年よりNASCARに本格転向するため、チームはウェルドンと契約をしていた。
2012年は、コンウェイがA.J.フォイト・エンタープライズに移籍したことでレギュラーシートは3つになった。前年のラスベガスでウェルドンが事故死したため、2011年ルーキー・オブ・ザ・イヤーのジェームズ・ヒンチクリフが加入した。さらにセバスチャン・サベードラがリザーブドライバーを務め、アナ・ベアトリスがサンパウロとインディ500にスポット参戦する。当初カレンダーから外れていたミルウォーキーでのレースのプロモーターも務めた。
アメリカン・ルマン・シリーズ [編集]
2006年にAGRがアキュラのワークスチームであることが発表され、ハイクロフト・レーシングと共にクラージュ・LC75の開発を行うこととなった。 チームは2007年の開幕戦セブリング12時間レースで新たにアキュラ・ARX-01aと命名された車体をデビューさせた。このレースでAGRはダリオ・フランキッティ、マリノ・フランキッティ、ブライアン・ハータ、トニー・カナーンのドライブでLMP2クラスで優勝、総合でも2位に入ったが、シーズンの残りでペンスキー・レーシングのポルシェ・RSスパイダーに完全に追い越されることとなった。
2008年シーズンはブライアン・ハータとクリスチャン・フィッティパルディがフルタイムドライバーを務め、一部の長距離レースではトニー・カナーンがドライブする事となったが、翌2009年、AGRはアキュラとの契約を解消し、シリーズから撤退している。
所属ドライバー [編集]
CART (1994-2002) [編集]
マイケル・アンドレッティ (2001-2002)
ジャック・ヴィルヌーヴ (1994-1995)
パーカー・ジョンストン (1997)
ポール・トレーシー (1998-2002)
ダリオ・フランキッティ (1998-2002)
ラウル・ボーセル (1996)
インディカー・シリーズ (2001-) [編集]
マルコ・アンドレッティ (2006-)
ライアン・ハンター=レイ(2010-)
ジェームズ・ヒンチクリフ(2012-)
マイケル・アンドレッティ (2001, 2002, 2003, 2006-07) 2001, 02, 06, 07年はインディ500のみ、2003年は第4戦まで出走。
ダン・ウェルドン (2003-2005)
トニー・カナーン (2003-2010)
ブライアン・ハータ (2003-2006) 2003年は第5戦と第7戦以降に出走。
ダニカ・パトリック (2007-2011)
ダリオ・フランキッティ (2002, 2003-2007) 2002年はインディ500のみ、2003年は第1, 2, 6戦のみ出走。2006年は最終戦のみ欠場。
武藤英紀 (2008-2009)
マリオ・アンドレッティ (2003) もてぎで骨折したカナーンの代理としてインディ500のプライベートテストに参加。
ロビー・ゴードン (2003) 負傷したフランキッティの代理でインディ500に出走。
ポール・トレーシー (2002) インディ500のみ出走。
A.J.フォイト4世 (2006) 負傷したフランキッティの代理として最終戦に出走。
フランク・モンタニー (2009) インフィニオンのみスポット参戦。
アダム・キャロル (2010) ワトキンスグレン・ミッドオハイオにスポット参戦。
ジョン・アンドレッティ (2010) カンザス・インディ500にスポット参戦。
アメリカン・ルマン・シリーズ (2007-2008) [編集]
マルコ・アンドレッティ (2008)
トニー・カナーン (2007-2008)
ブライアン・ハータ (2007-2008)
クリスチャン・フィッティパルディ (2008)
ダリオ・フランキッティ (2007)
マリノ・フランキッティ (2007)
ラファエル・マトス (2008)
フランク・モンタニー (2008)
ジェームズ・ロシター (2008)
A1グランプリ (2008-2009) [編集]
マルコ・アンドレッティ (2008-)
チャーリー・キンボール (2008)
J.R.ヒルデブラント (2008-)
脚注 [編集]
- ^ ロングビーチはマイケルが1986年にCARTで初優勝した場所である。
参考文献 [編集]
- 三樹書房 CART 1993-2003 喜怒哀楽の199戦 ISBN 978-4-89522-342-3