マルコ・アンドレッティ

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マルコ・マイケル・アンドレッティ
Marco Michael Andretti
2015年 インディ500にて
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1987-03-13) 1987年3月13日(37歳)
出身地 ペンシルベニア州ナザレス
親族 マリオ・アンドレッティ(祖父)
マイケル・アンドレッティ(父)
ジョン・アンドレッティ(従兄弟)
アルド・アンドレッティ(祖叔父)
アダム・アンドレッティ(従兄弟)
ジェフ・アンドレッティ(叔父)
インディカー・シリーズでの経歴
デビュー 2006
所属 アンドレッティ・ハータ・オートスポーツ
車番 98
出走回数 51
優勝回数 1
ポールポジション 1
シリーズ最高順位 7th (2006 & 2008)

マルコ・マイケル・アンドレッティ (Marco Michael Andretti, 1987年3月13日 - ) は、アメリカレーシングドライバー。アメリカン・モータースポーツ界随一の名門アンドレッティ・ファミリーのホープであり、1991年CARTチャンピオン、マイケル・アンドレッティを父に、1978年F1ワールドチャンピオンマリオ・アンドレッティを祖父に持つサラブレッド。2006年よりアメリカのトップフォーミュラであるインディカー・シリーズに参戦している。身長168cm、体重61kg。

初期のキャリア[編集]

1997年にカートをはじめ、さまざまなシリーズで勝利を積み重ねて2003年に四輪に転向。スキップ・バーバー・ナショナルシリーズに参戦していきなり8勝をあげると、翌2004年には同シリーズに加えフォーミュラ・ダッジ・サザン・シリーズフォーミュラTR1600プロシリーズの3シリーズでチャンピオンとなる。さらに2005年インディカー・シリーズ直下のカテゴリーであるインディ・プロ・シリーズにステップアップすると、わずか6戦の出走ながら3回のポールポジションと3つの勝利を手にする活躍を見せて、翌年18歳にして父がオーナーとして名を連ねる強豪アンドレッティ・グリーン・レーシング(AGR)のシートを獲得、一気にアメリカン・トップフォーミュラにまで上り詰めた。

インディカー・シリーズ[編集]

2006年[編集]

AGR期待のルーキーとしてカーナンバー26をつけてシーズンフル参戦。初戦〜2戦目はリタイアに終わったものの第3戦もてぎで12位完走し、続く第4戦インディ500では激闘の末2位フィニッシュを果たす(後述)。その後も着実にポイントを重ねていくと、8月27日の第13戦インフィニオン・レースウェイで初優勝。19歳5ヵ月14日での勝利でインディカー史上最年少優勝記録を更新した。最終的にこの年は325ポイントでランキング7位。ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いている。

2007年[編集]

前年に才能を見せつけ飛躍を期待されたが、突如としてドライビングから安定性が消え、全17戦のうち5戦連続を含む10回のDNFを記録する期待はずれのシーズンを過ごす。第8戦アイオワ・スピードウェイと第13戦ミシガン・インターナショナル・スピードウェイでこそ2位表彰台を獲得したものの、第15戦〜最終戦でも3連続リタイアを喫してシーズンを終えることとなり、結局350ポイントでランキング11位にとどまった。

2008年[編集]

引き続きAGRをドライブ。開幕戦のホームステッド=マイアミ・スピードウェイでいきなり予選4番手から2位フィニッシュしてキャリア2勝目を予感させる幸先のいいスタートを切る。その後も第6戦インディ500で3位入賞、第7戦ミルウォーキー・マイルでは自身初となるポールポジションを獲得するなど局面での速さは見せたが、しかしその反面第13戦エドモントンでチームメイトのダニカ・パトリックと接触事故を起こすなどアクシデントの多さも相変わらずで、17戦中リタイア7度を数えた。結局ラップリード330周を記録しながらこの年も勝利を挙げることはできず、396点でランキング7位、チーム内ではルーキーの武藤英紀こそ上回ったものの、トニー・カナーンやダニカの後塵を拝す結果となった。

2009年[編集]

2009年 インディ500にて

引き続きAGRをドライブ。しかしテキサス・モーター・スピードウェイで4位になったのが最高で、チームの中でただ1人表彰台にさえ上ることはなかった。ランキングは武藤を上回ったものの、8位にとどまる。

2010年[編集]

AGR改めアンドレッティ・オートスポーツで引き続きドライブ。前年よりは復調し、何度か優勝争いに絡み、インディ500を含む3度の3位を獲得するも、優勝にはまたも手が届かなかった。ランキングは前年と同じ8位。

2020年[編集]

アンドレッティ・ハータ・オートスポーツで引き続きドライブ。インディ500ではアンドレッティ家として1987年の祖父マリオ以来33年ぶりのポールポジションを獲得した。

2021年[編集]

2021年1月、アンドレッティはフルタイムのインディカーレースから「離れる」ことを発表。シーズンフルエントリーは前年2020年シーズンが最後となった。テストとマシン開発の役割でアンドレッティオートスポーツチームと協力関係は継続され、2021年インディアナポリス500にはスポット参戦、19位で完走した。翌2022年以後もインディ500にのみスポット参戦する体制となった[1]

2006年インディ500[編集]

ルーキーとして臨んだ2006年のインディアナポリス・モーター・スピードウェイにおいて、予選9番手を獲得。決勝でも並み居る強豪に臆することなくバトルを繰り広げ、残り3周となる198周目、父マイケルを抜き去ってトップに立つ。そこから2周をリードしてルーキーウィンと父子1-2フィニッシュの大記録を目前にしたが、ファイナルラップで父ともどもサム・ホーニッシュJr.に抜かれ2位でレースを終えた。特にマルコは最後のターン4までトップに立っていながらチェッカー寸前でかわされ、フィニッシュでのホーニッシュとマルコの差は0.0635秒。インディ500史上2番目に小さいタイム差での決着であった。

レース成績[編集]

A1グランプリ[編集]

太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
2008年–09年 A1チーム・アメリカ NED
SPR
NED
FEA
CHN
SPR

15
CHN
FEA

8
MYS
SPR

Ret
MYS
FEA

3
NZL
SPR

11
NZL
FEA

11
RSA
SPR

17
RSA
FEA

8
POR
SPR

12
POR
FEA

Ret
GBR
SPR
GBR
SPR
11th 24

アメリカン・オープンホイール[編集]

インディカー・シリーズ[編集]

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2006年 アンドレッティ・グリーン・レーシング ダラーラ ホンダ HMS
15
STP
15
MOT
12
INDY
2
WGL
16
TXS
14
RIR
4
KAN
9
NSH
8
MIL
5
MCH
8
KTY
17
SNM
1
CHI
18
7位 325
2007年 HMS
20
STP
4
MOT
16
KAN
19
INDY
24
MIL
15
TXS
19
IOW
2
RIR
12
WGL
5
NSH
5
MDO
18
MCH
2
KTY
4
SNM
16
DET
17
CHI
22
11位 350
2008年 HMS
2
STP
25
MOT1
18
LBH KAN
5
INDY
3
MIL
21
TXS
19
IOW
3
RIR
9
WGL
5
NSH
24
MDO
25
EDM
17
KTY
3
SNM
14
DET
18
CHI
8
SRF2
13
7位 363
2009年 STP
13
LBH
6
KAN
6
INDY
30
MIL
7
TXS
4
IOW
12
RIR
7
WGL
5
TOR
8
EDM
10
KTY
10
MDO
6
SNM
14
CHI
11
MOT
7
HMS
22
8位 380
2010年 アンドレッティ・オートスポーツ SAO
23
STP
12
ALA
5
LBH
14
KAN
13
INDY
3
TXS
3
IOW
15
WGL
13
TOR
8
EDM
11
MDO
9
SNM
12
CHI
3
KTY
6
MOT
11
HMS
7
8位 392
2011年 STP
24
ALA
4
LBH
26
SAO
14
INDY
9
TXS
13
TXS
6
MIL
13
IOW
1
TOR
4
EDM
14
MDO
7
NHM
24
SNM
24
BAL
25
MOT
3
KTY
27
LVS3
C
8位 337
2012年 ダラーラ・DW12 シボレー STP
14
ALA
11
LBH
25
SAO
14
INDY
24
DET
11
TXS
17
MIL
15
IOW
2
TOR
16
EDM
14
MDO
8
SNM
25
BAL
14
FON
8
16位 278
2013年 STP
3
ALA
7
LBH
7
SAO
3
INDY
4
DET1
20
DET2
6
TXS
5
MIL
20
IOW
9
POC
10
TOR1
4
TOR2
9
MDO
9
SNM
4
BAL
10
HOU1
13
HOU2
20
FON
7
5位 484
2014年 ホンダ STP
22
LBH
8
ALA
2
IMS
14
INDY
3
DET1
10
DET2
16
TXS
22
HOU1
8
HOU2
9
POC
9
IOW
18
TOR1
16
TOR2
8
MDO
22
MIL
13
SNM
8
FON
11
9位 463
2015年 STP
10
NLA
13
LBH
8
ALA
10
IMS
16
INDY
6
DET1
2
DET2
5
TXS
5
TOR
13
FON
3
MIL
8
IOW
7
MDO
10
POC
18
SNM
11
9位 429
2016年 STP
15
PHX
13
LBH
19
ALA
12
IMS
15
INDY
13
DET1
16
DET2
9
RDA
12
IOW
14
TOR
10
MDO
13
POC
12
TXS
12
WGL
12
SNM
8
16位 339
2017年 STP
7
LBH
20
ALA
21
PHX
18
IMS
16
INDY
8
DET1
12
DET2
13
TEX
6
ROA
18
IOW
17
TOR
4
MDO
12
POC
11
GMP
14
WGL
16
SNM
7
12位 388
2018年 アンドレッティ・ハータ・オートスポーツ
カーブ・アガジャニアン
STP
9
PHX
12
LBH
6
ALA
10
IMS
13
INDY
12
DET1
4
DET2
9
TXS
14
ROA
11
IOW
16
TOR
10
MDO
11
POC
7
GTW
14
POR
25
SNM
5
9位 392
チーム 出走数 ポールポジション 勝利数 入賞数
(Non-win)**
トップ10
(Non-podium)***
インディ500
勝利数
シリーズチャンピオン
11 1 184 4 2 18 88 0 0

インディ500[編集]

シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
2006年 ダラーラ ホンダ 9 2 アンドレッティ・グリーン・レーシング
2007年 ダラーラ ホンダ 9 24 アンドレッティ・グリーン・レーシング
2008年 ダラーラ ホンダ 7 3 アンドレッティ・グリーン・レーシング
2009年 ダラーラ ホンダ 8 30 アンドレッティ・グリーン・レーシング
2010年 ダラーラ ホンダ 16 3 アンドレッティ・オートスポーツ
2011年 ダラーラ ホンダ 16 3 アンドレッティ・オートスポーツ
2012年 ダラーラ シボレー 4 24 アンドレッティ・オートスポーツ
2013年 ダラーラ シボレー 3 4 アンドレッティ・オートスポーツ
2014年 ダラーラ ホンダ 6 3 アンドレッティ・オートスポーツ
2015年 ダラーラ ホンダ 8 6 アンドレッティ・オートスポーツ
2016年 ダラーラ ホンダ 14 13 アンドレッティ・オートスポーツ
2017年 ダラーラ ホンダ 8 8 アンドレッティ・オートスポーツ
2018年 ダラーラ ホンダ 12 12 アンドレッティ・ハータ・オートスポーツ with カーブ・アガジャニアン
2019年 ダラーラ ホンダ 10 26 アンドレッティ・ハータ・オートスポーツ with カーブ・アガジャニアン
2020年 ダラーラ ホンダ 1 13 アンドレッティ・ハータ・オートスポーツ with カーブ・アガジャニアン
2021年 ダラーラ ホンダ 25 19 アンドレッティ・ハータ-ハウパート・オートスポーツ with カーブ・アガジャニアン
2022年 ダラーラ ホンダ 23 22 アンドレッティ・ハータ・オートスポーツ with カーブ・アガジャニアン
2023年 ダラーラ ホンダ アンドレッティ・オートスポーツ

フォーミュラE[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
2014年-15年 アンドレッティ CHN MAL URU ARG
12
MIA LBH MON GER GBR 23位 0

ル・マン24時間レース[編集]

チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回 総合順位 クラス
2010年 スイスの旗 レベリオン・レーシング フランスの旗 ニコラ・プロスト
スイスの旗 ニール・ジャニ
ローラ・B10/60-レベリオン LMP1 175 DNF DNF

参照[編集]

  1. ^ Marco Andretti confirms 2023 Indy 500 run MotorSportsWeek 2022年10月17日

外部リンク[編集]

タイトル
先代
ダニカ・パトリック
インディ500
ルーキーオブザイヤー

2006
次代
フィル・ジーブラー
先代
ダニカ・パトリック
インディカー・シリーズ
ルーキーオブザイヤー

2006
次代
ライアン・ハンター=レーイ