ランチア

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ラムダ(1923年)
ラムダ(1923年)
アプリリア(1937年)
アプリリア(1937年)
アウレリアGTスパイダー(1955年)
アウレリアGTスパイダー(1955年)
フラミニア(イタリア大統領専用車)
フラミニア(イタリア大統領専用車)
フルヴィア・クーペ
フルヴィア・クーペ
ベータ・クーペ
ベータ・クーペ
テーマ8.32(フェラーリ製エンジン搭載)
テーマ8.32(フェラーリ製エンジン搭載)
デルタ・インテグラーレ
デルタ・インテグラーレ

ランチアまたはランチャ[1]Lancia )は、イタリアトリノ自動車製造会社で、1906年にヴィンチェンツォ・ランチャ(Vincenzo Lancia1881年 - 1937年)によって設立された。

イタリアでは巨大コングロマリットフィアットが大衆車から大型車までを揃え、自動車市場を占有していた(現在では同国内の事実上全ての自動車メーカーを系列下に収めている)ため、他社はフィアット車と競合しないスポーツカーや高級車などのニッチ市場に活路を求めた。その中でも代表的な高性能車、高品質車メーカーとして知られているのがランチアであり、モノコックボディ独立式サスペンションV型エンジン、5速トランスミッション、などを世界で最初に採用したメーカーである。

目次

[編集] ヴィンチェンツォ・ランチア時代

モータースポーツ好きのヴィンチェンツォは、裕福な缶詰スープ会社の家系に生まれたので、車に若い頃から接することができた。一時はフィアットの契約ドライバーとして活躍し、レーシングドライバーとしての才能を見せその後は研究開発部門の要職に就いたが、それに飽きたらず「自由に考え、自由に創るために」、1906年に自ら自動車メーカーを設立してオーナー兼技術統括責任者となり、ギリシア文字のアルファ、ベータ以下で始まる名称のモデルを生産した。

ランチアの名が世界各国で知られるようになったのは、1922年登場のモノコック構造のボディに前輪独立サスペンションを持ち、先進的なオーバーヘッドカムシャフトタイプのエンジンを搭載したラムダ(ギリシア文字のL)によってであった。その後は旧ローマ街道に因んで命名されたアストゥーラ、アルデナ以下各種のモデルを開発・生産し、上質なハイスピード・ツアラーのメーカーとして確固たる地位を築いた。

ヴィンチェンツォの遺作となったのは、1937年にデビューし世界で初めて風洞実験によってデザインされたと言われる流線型ボディ、SOHC狭角V4エンジン・四輪独立サスペンションを持つ、アプリリアであった。アプリリアは抜群のロードホールディングと優れた加速性で「ラムダ」以来の傑作車とされ、当時のアルパインラリーやモンテカルロラリーに活躍、第二次世界大戦後の1948年まで生産された。

[編集] ジャンニ・ランチア時代

ヴィンチェンツォ死後は子息のジャンニ・ランチアが会社を継承。ジャンニは戦後、アプリリアの後継車開発のため第二次世界大戦前にはアルファ・ロメオの各GPマシーンを設計したヴィットリオ・ヤーノを招聘、世界初のV型6気筒エンジン、デフとギアボックスが一体化したトランスアクスルを持つ「アウレリア」が1951年に誕生した。「アウレリア」のクーペはGTと命名され、グラントゥーリズモのパイオニアとなった。

また、元々レーシングドライバーであったにも関わらずモータースポーツに進出しなかったヴィンチェンツォ時代とは対照的に、ジャンニ時代のランチアは、「アウレリアGT」やそれをベースとした「D20スポーツカー」をミッレミリアタルガ・フローリオル・マン24時間などにエントリーさせ、華々しい活躍を示し、1954年には別項にある通りF1にも進出した。

ヴィンチェンツォ・ジャンニ親子が経営していた1950年代までのランチアは、採算を度外視した技術偏向型の経営のために特に高品質だったとされる。しかしやがてそれは経営悪化を招くことになり、1955年にランチアは倒産、創業者一族は経営から手を引き、ヤーノも退社した。

[編集] カルロ・ペゼンティの時代

新たにランチアの経営権を取得したのは、建設やセメント業で成功していたカルロ・ペゼンティであった。ペゼンティはランチアの伝統を良く継承し、ヤーノに代わり主任設計者としてアントニオ・フェッシアを招聘、1960年代にかけての「フラミニア」、「フラヴィア」、「フルヴィア」の設計を委ねた。フラヴィア、フルヴィアは前輪駆動を採用するなど各車とも先進的な技術と高い工作水準、そして特にスポーツモデルの美しいデザインで名声を博した。しかし経営は再び悪化、1969年にはフィアットに身売りされることとなった。

[編集] フィアット・グループの一員として

1969年にフィアットの傘下に収まった後、1972年にはフィアット製エンジンを持つ「ベータ」が登場、1977年に「フルヴィア」が生産中止されて以後はフィアットにおける高級車ブランドという位置づけのモデルを生産している。その一方、アルファロメオのフィアットグループ入りまでは「ランチア・デルタ・インテグラーレ」、「ランチア・ストラトス」などのスポーツモデルも生産していたので、それらのラリーで活躍によって強いスポーツイメージをいまだに維持している。


[編集] モータースポーツ

D50・F1レーサー
D50・F1レーサー
ストラトス
ストラトス
ランチア
参戦年度 1954 - 1955
出走回数 4
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 0(ランチア-フェラーリとして9)
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 1
ポールポジション 2
ファステストラップ 1
F1デビュー戦 1954年スペインGP
初勝利
最終勝利
最終戦 1955年ベルギーGP
  

1950年代の一時期にはF1に参戦した他、スポーツカーレースでも活躍したが、特に国際ラリーの活躍が著名。史上最多の世界ラリー選手権(WRC)王座を獲得したメーカーである。

ヴィットリオ・ヤーノ設計のマシン「D50」で1954年から初期のF1世界選手権に参戦したが、名ドライバーアルベルト・アスカーリの事故死やランチア自身の経営危機から翌1955年に活動を休止。全てのスタッフ及び設備をフェラーリが引き継ぎ、「ランチア-フェラーリD50」として9勝を挙げている。

FIからは撤退したが、その後はWRCやル・マン24時間などの耐久スポーツカーレースに活躍の場を移した。1970年代から1980年代にかけて、「フルヴィア1600HF」、「ストラトス」、「ラリー037」、「デルタS4」、「デルタHF」が世界ラリー選手権において目覚しい活躍をみせた。現在は正式なワークス活動は行なっていない。


[編集] 日本への輸入

第二次世界大戦前も「ラムダ」や「アプリリア」などが輸入されていたが、戦後は1950-1960年代に国際自動車商事が輸入代理店となって「アッピア」、「フラミニア」、「フラヴィア」、「フルヴィア」を販売した。輸入台数は累計でも100台にも満たず、日本の路上ではきわめてマイナーな存在であり、この時代にランチアを所有する人は富裕かつ先鋭的な自動車マニアに限られていた。当時の「フルヴィア」のオーナーには作家の安部公房や写真家の花岡弘明も名を連ねている。

1970年、厳しくなる安全・公害基準への対応が困難になり輸入中止となったが、1976年にはフィアットの代理店となった安宅産業系のロイヤル・モータース対米仕様の「ベータ1800クーペ」の輸入を再開した。安宅産業の破綻後はやはり排気ガス規制で主力のオペルの輸入中止に追い込まれた東邦モーターズが継承し、パワーステアリング付きとなった「ベータ・クーペ」の輸入を継続した。しかし大きな対米向けバンパーがスタイルを大きく損なっていた上、左ハンドルのみ、オートマチックトランスミッションなしという仕様では販売が伸びるはずもなかった。

現在も並行輸入で販売を続けるガレーヂ伊太利屋が正規輸入元となったのは1980年代半ばで、少数輸入枠を用いて本国仕様の「ベータ・クーペ」やスーパーチャージャー付き「ベータ・トレヴィVX」、「ラリー037」などのよりマニアックで魅力的なモデルの輸入が始まるようになった。

1988年から1998年の間はマツダが正規輸入元になりオートザム販売網で「テーマ」や「デドラ」が販売された(ガレーヂ伊太利屋も販売店として活動した)。しかし軽自動車主力の小規模なオートザム系列に、ランチアというなじみの薄い高級車を軽自動車と並べて販売させようというバブル経済期ならではの奇抜な商法は失敗に終わった。輸入車に不慣れな販売店とユーザーには、ドイツ車に比べ故障も多くサービス体制も未熟なランチアは荷が重すぎ、たちまち不人気車扱いされることとなった。しかしラリーでの活躍によって「デルタ・インテグラーレ」だけは好調に販売が伸び、今なお中古車市場での人気が高い。

現在は正規輸入は行われておらず、ガレーヂ伊太利屋などが並行輸入を行っているが、2009年には3代目デルタの右ハンドル仕様が、フィアット・オート・ジャパンによって正規輸入される予定という。

[編集] 車種一覧

[編集] 現行車種

ランチア・イプシロン
ランチア・ムーザ
ランチア・テージス
ランチア・フェドラ
ランチア・デルタ

[編集] 過去生産された車種

(四国自動車博物館 - フラミニア スペル スポルトの展示・現在は展示していない。)

[編集] ラリーレース車

[編集] プロトタイプカー

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ 一般には「ランチア」表記が多いが発音からは「ランチャ」の方が近いためそう表記されることもある。