コンコルド協定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

コンコルド協定(コンコルドきょうてい、Concorde Agreement)とは、フォーミュラ1(F1)世界選手権において、選手権主催者である国際自動車連盟(FIA)と、それに関わる商業的な権利を統括するフォーミュラ・ワン・アドミニストレーション(FOA)によって作成された、選手権における規定および商業的な権利に関する協定である。

名称の由来は、1981年の最初の協定締結当時にFIAの本部があったフランスパリ市のコンコルド広場から採られている[1]

この協定は、F1世界選手権に参戦するコンストラクターすべてが参戦または作成、更新時に同意することの署名をしており、コンストラクターはこの協定に従わなければならない。またコンコルド協定の内容は非公開であり、各コンストラクターは極端な秘密主義のもとでこの協定に従っている。

目次

[編集] 概要

コンコルド協定は、1981年に作成されて以後、現在でもFIAおよび参戦チーム以外への公表はされておらず詳細は不明だが、現在知られている項目は下記の通りである。

  • FIAによる世界選手権の主催、統治
  • FIAによるレギュレーションの変更に関する手順
  • 各グランプリにおける賞金および収益の配分方法
  • FOAが統括するテレビ放映権による収益の配分方法

コンコルド協定は2007年に見直され、2008年から新たに2012年まで有効な新協定が作成されているが、トヨタF1のようにこの新協定にサインしたことを明らかにしているチームがある一方で[2]スーパーアグリF1チームを率いていた鈴木亜久里は2008年5月6日に開かれた撤退記者会見の中で「いまだにコンコルド協定が結ばれていない」「現在はFIAの管轄でレースが行われているので、年間3レースまでなら欠場できる」と語るなど[3]、2008年5月現在は一部のチームが新協定にサインしていない可能性があり、コンコルド協定が完全には機能していない状態にあると見られている。

[編集] 歴史

[編集] 協定の誕生

コンコルド協定の誕生の背景には、1970年代からF1の興行面を一手に取り仕切るようになったバーニー・エクレストンと、1978年にFIAの下部組織だった国際自動車スポーツ連盟(FISA)会長に就任したジャン=マリー・バレストルとの対立がある。

エクレストンは元々F1のブラバムチームのオーナーであったが、当時レース主催者から各チームに支払われていたスターティングマネーの交渉などを他チームから任されるようになり、1974年にF1製造者協会(FOCA)が結成されるとその実権を握る(1978年に正式に会長に就任)。その後F1界の事実上のボスとして、レース主催者やテレビ局等との交渉窓口となり、F1界に大きな収益をもたらした。

このようにエクレストンがF1における権力を増して行ったことに対し、本来F1を統括する立場にあるFISAの会長としてバレストルは不満を示していたが、1980年にいわゆるウィングカー(グランド・エフェクト・カー)の危険性が表面化すると、バレストル率いるFISAは安全性の確保を理由に、チーム側の反対を押し切ってウィングカーの可動式サイドスカートを禁止するなどの規制を実施。ただその手法があまりにも強権的であったことから、エクレストンらFOCA陣営はこれに強く反発し、一時は「FISA-FOCA戦争」として知られる対立状態に陥った。

当時FOCA側にはブラバムやマクラーレンティレルらイギリスに拠点を置くコンストラクターが集まっていたのに対し、FISA側はフェラーリルノーらヨーロッパ大陸に拠点を置くメーカー系チームの支持を得ていた状態であった。このため一時はFOCA側とFISA側でグランプリが事実上分裂開催される事態にまで発展した。

このような事態を収拾すべく、1981年3月にFISAとFOCAの間で結ばれたのが最初のコンコルド協定となる。同協定の詳細は不明だが、一般的にはF1のレギュレーション制定などの面でFISAに最終的な権限があることを認める一方で、F1の興行面に関してはFOCAが全ての権利を保有することが認められたとされている。

[編集] 契約延長

当初のコンコルド協定は翌1982年から5年間有効だったが、以後5年毎に改定・延長が行われた。

1987年の改定では、FOCAが持つF1の商業権の管理を、エクレストンが新たに設立したFormula One Promotions and Administration(FOPA)に任せることになり、その代償としてFOPAがF1のテレビ放映権及びプロモーターからの収入の一部を受け取る形となった。これによりFOPAが大きな収入を得るようになりエクレストンがその権力基盤を強化していった一方で、FOCAは有名無実化していくことになる。

しかし1997年の改定において、エクレストン率いるFOA(FOPAから名称変更)が大きな利益を独占していることに反発したマクラーレン・ティレル・ウィリアムズの3チームが協定にサインしない事態となる。このためエクレストンと前記の3チームの間で交渉が行われた結果、1998年に改めて10年間有効な新協定が結ばれ、以後これが2007年まで有効な状態だった。

[編集] GPMAとの問題

2000年代に入ると、当時F1に参加していた自動車メーカー側が、エクレストンがF1の商業権から得られる利益の大半を得ていることに反発する動きを見せるようになる。

2001年にはフェラーリ・ルノー(当時既にベネトンを買収済み)・BMW(当時はウィリアムズにエンジンを供給)・メルセデス・ベンツ(マクラーレンにエンジンを供給)・フォード(当時ジャガー・レーシングを保有)の5社が、コンコルド協定が切れる2008年より新シリーズ「グランプリ・ワールド・チャンピオンシップ」(Grand Prix World Championship(GPWC))を立ち上げることを発表。

ただこれに対しエクレストン側もGPWCメンバーの切り崩しに乗り出し、2005年にはフェラーリがGPWCを離脱して2008年以降の新コンコルド協定にサイン。またフォード(ジャガー)が2004年限りでF1から撤退してしまったため、GPWC側は新たにホンダ・トヨタの2メーカーを加え、名称を「グランプリ・マニュファクチャラーズ・アソシエーション」(Grand Prix Manufacturers' Association(GPMA))と改称した。

ただこれらの動きは、いずれも「メーカーがエクレストン側からより多くの利益を引き出すためのブラフ」と見られており、本気でメーカー側が新シリーズを立ち上げると予想していた者は少なかった。実際2006年に入ると、8月にトヨタが「GPMAは一定の役割を終えた」として新コンコルド協定にサインしてGPMAを脱会[4]。同年11月にはGPMAとFIAが和解したことが発表され[5]、2007年2月にはトヨタより前から離脱の噂が出ていて実際活動もしていなかったルノーも離脱、新シリーズが発足する可能性は完全に消滅した。

[編集] カスタマーシャシー問題

2008年からの新協定の締結における最大の焦点は、他のコンストラクターが製造しているマシン(シャシー)を購入してレースに参戦できるようにするいわゆる「カスタマーマシン(シャシー)」問題であった。2007年までのコンコルド協定ではこれが禁止されていたものの、FIAの掲げる「コスト削減」「参戦チーム増加」のため導入が議論され、新協定でカスタマーマシンを認める規定が盛り込まれる予定であった。

しかし、2007年シーズンはスーパーアグリF1チームとスクーデリア・トロ・ロッソの両チームが(事実上の)カスタマーマシンでレースに参戦したことに対し、当初から反対していたウィリアムズやスパイカーF1の他、元々は反対表明をしていなかったルノー、トヨタまでも反対の意思を表明した(その他にも反対しているチームはあるようだ)。

ただし、2007年のスーパーアグリ、トロ・ロッソはそれぞれ、「RA106のデザイン権利を持っていたホンダから、別の会社に権利を売却した上での使用」、「RB3STR2のデザインは、兄弟チームであるレッドブル・レーシングとも違う第三者的なデザイン・製造会社であるレッドブルテクノロジーから2チームに供給され使用」をしているわけであり、戦っているマシンのデザインが現存の別コンストラクターによって所有されているものではなく、協定やレギュレーションの文面上での違反は無いとされる。

結局カスタマーマシンによる参戦は新協定では事実上認められないこととなり、スーパーアグリとトロ・ロッソの2チームについては2009年までの間暫定的にカスタマーマシンの利用を認めるものの、2010年以降も参戦を継続する場合は独自にマシンを開発しなければならないこととなった[6]。このため、カスタマーマシンの使用を前提に2008年からの新規参戦を予定していたプロドライブF12008年のF1世界選手権への参戦が不可能となったほか、シャシーを共有できないことによりセカンドチームを保有することの意義を事実上失ったホンダがサポートを縮小したことにより、スーパーアグリも2008年シーズン途中でF1からの撤退を余儀なくされた。トロ・ロッソについても、親会社のレッドブルが既に2009年末を目処にチームを売却する方針を明らかにしている。

ただいわゆるサブプライムローン問題に端を発する世界金融危機の影響から、F1においてもスポンサー料の減額・滞納等の影響による予算圧縮が急務となったことで、2008年夏以降再びカスタマーマシンの採用に関する論議が復活しており、同年10月には2009年よりフォース・インディアマクラーレンからシャシー供給を受ける可能性があると報じられるなど[7]、依然問題は継続している。

[編集] シリーズ分裂問題

コンコルド協定は、2008年以降協定が未締結のチームが存在するため事実上効力を有しない状況が続いている。このため本来協定に基づきFOAから各チームに分配されるべきテレビ放映権料等の支払が行われていない。この状況はトヨタF1によれば2006年から続いているとのことで、その金額は全チーム合計で数百億円にも上るという[8][9]。またレギュレーション変更についてもFIA側が一方的にチーム側に変更を通告する状況が続いており、特に2009年から利用が可能になった運動エネルギー回収システム(KERS)の導入を巡ってはレギュレーションが二転三転する混乱が同年のシリーズ開幕直前まで続いた。

これらの事情から、2008年7月には当時のF1に参戦していた10チームの代表が集まり「Formula One Teams Association(FOTA)」を結成し、2010年以降のF1参戦を巡りFIAと鋭く対立。特に2010年のF1へのエントリーに際しては、同年よりレギュレーションで導入が計画されている、チームの総予算に制約を加える「バジェットキャップ制」を巡って激しい議論を繰り広げ、最終的にウィリアムズF1フォース・インディアを除く8チームがエントリーに留保条件をつけるという異例の事態となった[10]

これに対しFIA側も、同年6月12日に発表した2010年の暫定エントリーリストの中で、前記の2チームに加えUSF1マノーF1チームカンポス・グランプリという3チームの新規参戦を認め、さらに留保条件をつけたチームのうちフェラーリレッドブルトロ・ロッソの3チームについては「2012年までFOAとの間に参戦契約がある」ことを理由に留保条件を却下。一方で残る5チームについては「留保条件を撤回しなければエントリーを認めない」として、FOTA側のチームの分断を狙った[11]

その後FIA・FOA側とFOTA側で水面下の交渉が続けられたが、6月18日にFOTAは「FIAが我々の提案を受け入れない場合、FOTAの8チームはF1を離脱し、2010年より新たな選手権を立ち上げる」ことを発表[12]。FIAは当初同年6月19日に最終的な確定エントリーリストを発表する予定だったが、このようなFOTA側チームの態度に対し「法的措置を検討するために時間を要する」としてエントリーリストの発表を延期している[13]

[編集] 脚注

[ヘルプ]

[編集] 関連項目