オニクス・グランプリ
| 参戦年度 | 1989 - 1990 |
|---|---|
| 出走回数 | 17 |
| コンストラクターズ タイトル |
0 |
| ドライバーズタイトル | 0 |
| 優勝回数 | 0 |
| 通算獲得ポイント | 6 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 1 |
| ポールポジション | 0 |
| ファステストラップ | 0 |
| F1デビュー戦 | 1989年アメリカGP |
| 初勝利 | - |
| 最終勝利 | - |
| 最終戦 | 1990年ハンガリーGP |
オニクス・グランプリ(Onyx Grand Prix)は、1989年から1990年にかけてF1に参戦していたレーシングチーム。創立者はマイク・アール。
目次 |
経歴 [編集]
国際F3000ではトップチームとして君臨し、1987年にステファノ・モデナがシリーズチャンピオンを獲得。チームは1989年にF1へステップアップした。
1989年 [編集]
参戦初年度はアラン・ジェンキンス設計のORE1を製作し、エンジンはコスワースDFRを搭載。タイヤはグッドイヤー。ドライバーはリジェからステファン・ヨハンソン、国際F3000に参戦していたベルトラン・ガショー(第13戦以降はJ.J.レート)を起用。メインスポンサーはオーナーの実業家(その後国会議員にもなった)のジャン=ピエール・バン・ロッセムが経営する投資会社「マネートロン(Moneytron)」であった。
この年から39台が参戦ということもあって、チームは予備予選からの出走となったが、新興チームゆえ資金難で、予選及び予備予選落ちが多かったが、ヨハンソンが第7戦フランスグランプリにて5位入賞、第13戦ポルトガルグランプリで3位と新興チームで唯一表彰台を獲得し、コンストラクターズも10位と記録を残した。
1990年 [編集]
前年の成績で予備予選が免除され、マシンは前年型の改良型ORE1Bを使用、エンジンは引き続きコスワースDFRを搭載、タイヤもグッドイヤーを装着。ドライバーはヨハンソン、第13戦から参戦したレートを起用するが、ヨハンソンが第2戦終了後に離脱し、第3戦以降ブラバムからグレガー・フォイテクが移籍してドライブした。
「無限の利益と配当を保証する」と喧伝されていた「マネートロン」が詐欺で告発され、その後バン・ロッセムが逮捕され経営を去ると資金難が以前よりも深刻化し、スイスの高級車メーカーの「モンテヴェルディ」の創業者のペーター・モンテベルディが新オーナーになり、チーム名も「モンテヴェルディ・オニクス」に変更するも、チーム内のゴタゴタが相次ぎ、第10戦ハンガリーグランプリをもってF1から撤退することになった。
主なドライバー [編集]
- F1
- F3000
- エマニュエル・ピロ
- ジョニー・ダンフリーズ
- ステファノ・モデナ(1987年シリーズチャンピオンを獲得)
- ピエール=アンリ・ラファネル
- フォルカー・ヴァイドラー