脇阪寿一
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脇阪 寿一(わきさか じゅいち、1972年7月29日 - )は、日本のレーシングドライバー。奈良県奈良市出身。
実弟は、同じレーシングドライバーの脇阪薫一。夫人は、元レースクイーンの福沢美穂。
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[編集] プロフィール
- 身長:177cm
- 体重:63kg
- 血液型:RH+AB型
- 愛車:レクサスLS460(TOM'S LS46GT)、メルセデス・ベンツSL55
1996年に全日本F3選手権に参戦しシリーズチャンピオンを獲得。以後、フォーミュラ・ニッポンや全日本GT選手権(現・SUPER GT)などの第一線で活躍。1998年にはF1の ジョーダン・無限ホンダのテストドライバーを務めた。
当時はホンダ陣営の若手筆頭格だったが、2001年にTeam LeMansに移籍してJGTCに参戦。トヨタのワークスドライバーとなり、2002年にはJGTCシリーズチャンピオンを獲得する。
軽妙なトークと明るいキャラクターでも知られ、『ジャンクSPORTS』『F1グランプリ』(共にフジテレビ)や『激走!GT』(テレビ東京)など多数のテレビ番組に出演。数多くのスポーツ選手や芸能人と交流があり、2003年には佐々木主浩がチームオーナーの「TEAM 22」からフォーミュラ・ニッポンに参戦。2004年からは浜田雅功(ダウンタウン)のオファーを受けて吉本興業とタレントマネジメント契約を結び、吉本興業所属タレント初のレーシングドライバーとなった。またヒロミと共に「H-Factory Racing Team」を結成、2002年にスーパー耐久にフル参戦した他、2004年からは「FieLDSレーシングチーム」チームプロデューサーとなり、ヒロミ(GT選手権)や保阪尚希(スーパー耐久)らをドライバーに起用した事で話題となった。
以前には鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS)の講師も務めた。教え子の一人に佐藤琢磨がいる。
現在、SUPER GTにおいてはトヨタのレクサス・SC430の先行開発ドライバーを務めており、同じくSC430の開発ドライバーである立川祐路と並んで「トヨタのエース」と呼ばれている。しかし、2004・2005年シーズンでは1勝もできないなど、しばらく本来の調子を出せていない時期が続き、また、立川祐路が3勝をあげ2005年度のシリーズチャンピオンに輝いたこともあって、エースの称号を失いかけていた。 2006年には4年間コンビを組んだ飯田章とのコンビを解消、チームもトムスに移籍(パートナーはアンドレ・ロッテラー)。開幕戦の鈴鹿GT300kmレースにおいて新天地での初優勝を飾った。結局同年の優勝はこの1回のみだったが、全戦でポイントを挙げる等安定した成績を収め、SC430のデビューイヤーを2002年以来のシリーズチャンピオンで飾り、脇阪寿一の完全復活を印象付けた。
[編集] 全日本選手権フォーミュラニッポン
- 1997年
- 前年の全日本F3選手権の活躍が認められて、国内トップカテゴリーであるフォーミュラ・ニッポンに、師匠である松本恵二が監督を務める「TEAM ANABUKI 童夢 with 無限」よりデビューを果たした。初ポイントは第2戦のMINE(6位)。この年は通算4ポイントを挙げシリーズ14位であった。
- 1998年
- 鈴木亜久里率いる「ARTA」に移籍。第2戦のMINEでは初表彰台(2位)を獲得し、MINEサーキットとの相性の良さを発揮した。第4戦のもてぎでは、ウェットコンディションの中、初優勝を飾る。この年は、シリーズ3位の好成績を挙げるも全10戦中5度のリタイヤを記録しており、決勝レースでの安定感が課題となった。
- 1999年
- 前年同様「ARTA」から参戦。リタイヤ回数は2回となり決勝レースでの安定感は増したものの、未勝利(最高位2位・1回)に終わり、シリーズランキングは7位に終わった。
- 2000年
- 前年同様「ARTA」から参戦。10戦中5戦でポイントを獲得(最高位2位・1回)したが優勝争いまで絡む事は少なく、シリーズ7位に終わった。
- 2001年
- この年も「ARTA」から参戦。開幕戦の鈴鹿で2位表彰台を獲得し、この年の活躍を期待させた。その後は第6戦のSUGOで2位、第7戦の富士で優勝と活躍を見せるも、他のレースではほとんどノーポイントに終わり、シリーズ5位で終わった。ある意味脇阪らしいシーズンであったと言えるかもしれない。
- 2002年
- 「ARTA」から参戦5年目となる脇阪は結果を求められていた。この年は第7戦の富士で優勝し、ポイント獲得も計7戦(表彰台獲得回数5度)に及び、シーズンポイント獲得点数では33ポイントとパーソナルベストを記録し、シリーズ3位の好成績を収めた。
- 2003年
- この年からシアトルマリナーズ(当時)の佐々木主浩がオーナーの「TEAM 22」より参戦し話題となった。チーム体制が整わない中、速さを発揮した脇阪は、第4戦のもてぎと第10戦の鈴鹿で優勝。特に第10戦の鈴鹿では、オーナーの佐々木が見守る中で勝利し、感動の優勝セレモニーとなった。なお、シリーズ成績は3位であった。
- 2004年
- JGTCで参戦していた「Team LeMans」に移籍。計6戦でポイントを挙げるも(表彰台4回・最高位2位1回)未勝利に終わり、シリーズランキングは5位に終わっている。
[編集] 全日本GT選手権・SUPER GT
- 1998年
- 1999年
- 99年から同じくTAKATA童夢NSXよりフル参戦を果たす。開幕戦の鈴鹿で自身初優勝を果たす。
- 2000年
- 予選では4回ポールポジションを獲得するなど、最速マシンではあったが、優勝は第2戦富士の1回に終わる。トラブルや不運などが続き、チャンピオンを逃してしまう。
- 2001年
- 2002年
- 野田英樹に代わり、飯田章がチームに加入。第3戦のSUGOで優勝を果たす。結局この1勝にとどまったが、堅実にポイントを稼ぎ、3勝したMobil1NSXを1ポイント差で破り、見事シリーズチャンピオンに輝く。
- 2003年
- シリーズ連覇を目指してシーズンを戦い、開幕戦の岡山と第3戦のSUGOで優勝を果たすも最終戦で失速し、開幕戦から確実にポイントを重ねていたザナヴィニスモGT-R(本山哲/ミハエル・クルム)にポイントで逆転され、3ポイント差チャンピオンを逃してしまう。
- 2004年
- 2004年も脇阪・飯田の布陣でシーズンを戦う。最終戦までチャンピオン争いを展開するも、不運やトラブルなどでポイントを取りこぼすレースも多く、2年連続でチャンピオンを逃してしまう。また、1998年以来の未勝利でシーズンを終えてしまう。
- 2005年
- 2005年は新型スープラの熟成が大幅に遅れてしまい、大苦戦のシーズンとなってしまう。後半戦でなんとか調子を取り戻したものの、最終戦までチャンピオンの権利は得ていない。リザルトでも3位表彰台が精一杯の状況だった。
- 2006年
- 2006年は5年間在籍したTeam LeMansを離れ、トムスに移籍する。パートナーにはNAKAJIMA RACINGから移籍したアンドレ・ロッテラー。脇阪はエースとして今シーズンも引き続き、立川祐路とともにSC430の開発を担う。そんな中、開幕戦の鈴鹿GT300kmレースにおいてSC430デビューウィンを飾った。脇阪にとっても2003年SUGO以来3年ぶりの優勝を果たす。その後、優勝はなかったが、第3戦・富士で3位、第7戦・もてぎで2位など、全戦で確実にポイントをゲットし、RAYBRIGNSXを1点差で下し、脇阪自身2002年以来のシリーズチャンピオンを獲得した。
- 2007年
- 2007年も宝山TOM'S SC430として参戦。パートナーも昨年と同じロッテラー。なお、2007年は前年にチャンピオンになった関係上、ゼッケン1番で参戦。連覇を目指し序盤から堅実にポイントを重ねるも、なかなか上位の成績を残せなかった。第6戦鈴鹿1000kmにおいて優勝を飾るも、今シーズン通じてNSX勢が独走し、チャンピオンシップを支配したことからチャンピオンはならなかった。
- 2008年
- 昨年同様ロッテラーと共にPETRONAS TOM'S SC430として参戦。シーズン序盤はGT-Rの快進撃が続き苦戦を強いられるが、開幕戦で3位表彰台を獲得し、岡山でも4位、富士で2位表彰台と堅実にポイントを稼いだ。最終的には、シリーズ3位となった。
[編集] レース戦績
- 1992年 - 全日本カート選手権FAクラス
- 1993年 - 全日本カート選手権FAクラス
- 1994年 - 鈴鹿World Cup Kart Race in Japan ICAクラス(優勝)
- 1995年
- 全日本カート選手権FSAクラス
- 全日本F3選手権(TODA RACING with ASSO MOTORSPORT FCS #9→2 ASSO DALLARA 無限/ダラーラF395 MF204)(シリーズ6位)
- 1996年
- 全日本F3選手権(#8 ANABUKI DALLARA396無限/ダラーラF396 MF204)(シリーズチャンピオン・優勝4回)
- 1997年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM ANABUKI 童夢 with 無限 #8 童夢F104R・MF308)(シリーズ14位)
- N1耐久シリーズ<スポット参戦・富士>(#91 シビック/EK9)(総合21位)
- 1998年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(ARTA #56 ローラT97-51・MF308)(シリーズ3位・優勝1回)
- 全日本GT選手権・GT500クラス<スポット参戦・Rd7>(童夢レーシングチーム #18 TAKATA童夢無限NSX/NA2 C32B)(決勝・失格)
- ジョーダン無限ホンダF1テストドライバー
- 1999年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(ARTA #56 ローラT99-51⇒レイナード99L・MF308)(シリーズ7位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(童夢×無限プロジェクト #18 TAKATA童夢NSX/NA2 C32B)(シリーズ4位・優勝1回)
- ル・マン富士1000km(#61 BMW V12 LM/V12LM)(決勝3位)
- 2000年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(ARTA #56 レイナード99L・MF308)(シリーズ7位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(童夢×無限プロジェクト #18 TAKATA童夢NSX/NA2 C32B)(シリーズ6位・優勝1回)
- 第29回インターナショナルPokka1000km・GT500クラス(童夢×無限プロジェクト #18 TAKATA童夢×無限NSX/NA2 C32B)(総合優勝)
- 2001年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(ARTA #56 レイナード2KL・MF308)(シリーズ5位・優勝1回)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(ESSO TOYOTA TEAM LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ/JZA80 3S-GTE)(シリーズ7位・優勝2回)
- 2002年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(ARTA #55 レイナード01L・MF308)(シリーズ3位・優勝1回)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(ESSO TOYOTA Team LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ/JZA80 3S-GTE)(シリーズチャンピオン・優勝1回)
- スーパー耐久シリーズ・ClassN+(H-factory #163 H-factory ALTEZZA)(シリーズ5位)
- 第31回インターナショナルPokka1000km・GT500クラス(ESSO TOYOTA Team LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ/JZA80 3S-GTE)(総合優勝)(弟の薫一と史上初の兄弟での優勝)
- 2003年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM 22 #22 ローラB351・MF308)(シリーズ3位・優勝2回)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(ESSO TOYOTA Team LeMans #1 エッソウルトラフロースープラ/JZA80 3UZ-FE)(シリーズ2位・優勝2回)
- 第10回十勝24時間ラース・グループN+クラス(エイチファクトリー #163 H-OGURA ALTEZZA/SXE10)(総合22位・クラス3位)
- 2004年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Team LeMans #7 ローラB351・MF308)(シリーズ5位)
- 全日本GT選手権・GT500クラスESSO TOYOTA Team LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ/JZA80 3UZ-FE)(シリーズ3位)
- 2005年
- SUPER GT・GT500クラス(ESSO TOYOTA Team LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ/JZA80 3UZ-FE)(シリーズ6位)
- MAZDA FESTA 2005(#12 テレビ特番ROADSTAR/NCEC)(決勝18位)
- 2006年
- SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TOM'S #36 OPEN INTERFACE TOM'S SC430/UZZ40 3UZ-FE)(シリーズチャンピオン・優勝1回)
- もてぎENJOY耐久レース(#102 C-FUELwithサクシード)(総合47位)
- 2007年 - SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TOM'S #1 宝山 TOM'S SC430/UZZ40 3UZ-FE)(シリーズ6位・優勝1回)
- 2008年 - SUPER GT・GT500クラス(PETRONAS TOYOTA TEAM TOM'S #36 PETRONAS TOM'S SC430/UZZ40 3UZ-FE)(シリーズ3位)
- 2009年 - SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM PETRONAS TOM'S #36 PETRONAS TOM'S SC430/LEXUS SC430 UZZ40 RV8KG)
[編集] 主な通算戦績
- 全日本F3選手権
- 通算勝利数・4勝(最高シリーズランキング:チャンピオン-1996年)
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン
- 通算勝利数・5勝(最高シリーズランキング:3位-1998年、2002年、2003年)
- 全日本GT選手権& SUPER GT・GT500クラス
- 通算勝利数・8勝・・・歴代2位・ポールポジション10回・・・歴代2位(最高シリーズランキング;チャンピオン2回-2002年、2006年)
[編集] エピソード
- フォーミュラ・ニッポンでのスタート失敗の多さはあまりにも有名。実況アナの「あぁーー、脇阪遅れたーー!!」はお決まりで、ARTA所属当時には監督の鈴木亜久里からいつもプレッシャーをかけられていた。『ジャンクSPORTS』では優勝宣言するも「スタート失敗しなければ」と弱気の条件つきだった。
- 『ジャンクSPORTS』の中で、ARTA時代の監督だった鈴木亜久里が口癖として、「金がない、金がない」と言っているのを暴露した。
- タイヤマネージメントは定評があり、決勝後半ではすごい勢いで勝負をかける。GTでは2003年の菅生において最終コーナーで逆転し、1,000分の82秒差で優勝している。2006年の開幕戦では巧みなペースコントロールで優勝し、ゴール後にタイヤを確認したらかなり余裕があったという。
- 上記に関する部分で、タイヤをゴールした時に完全に使い切ることができ、ファイナルラップで驚異的なタイムを出してくることはしばしばで、ゴールした時気がつけばテールトゥノーズになってることもある。
- タバコを吸わず、酒も殆ど嗜まないなど、肉体管理を徹底しているレーサーである。『ジャンクSPORTS』のコーナー「血液サラサラ選手権」に出演した際には、栄えある第1回の優勝者であると同時に歴代最速タイムを叩き出している(彼の記録52秒はいまだに破られていない)。
- 前回のレースで勝ったヘルメットを次戦で使わないなど、ゲンを全く担がないドライバーである。一方で、自身の周辺環境の変更に関してはこだわりが強く、レース時の宿泊ホテルや食事・備品の置き場所などの変更をあまり好まない。
- 土屋圭市とは長い親交があり、土屋がキャスターを務めるビデオマガジン『Hot Version』では常連ドライバーの一人として多く出演している。また、ドリフト走行をトレーニングしたこともあり、2004年に『激走!GT』で放送されたドリフト競争では土屋を目の前にして見事かつ豪快なドリフト走行を披露したこともある。
- 大前達也と親交がある。
- 公式ホームページ(2002年度)ではB'zのファンであることを明かす(着信音は今夜月の見える丘に)。
- 平安高校(京都)時代、自動車免許取得後にトヨタ・ランドクルーザーで登校していたことがある。
- SUPER GTでは、2006年以降富士スピードウェイで開催されるレースで、スタート前にメインスタンドに陣取るライバルの日産応援団から寿一コールをされる。
[編集] 関連リンク
[編集] 外部サイト
- JS Style.com - 脇阪寿一 公式サイト
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