デビッド・ブラバム
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| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 出身地 | イギリス・ロンドン | |||
| 生年月日 | 1965年9月5日(47歳) | |||
| F1での経歴 | ||||
| 所属チーム | '90 ブラバム '94 シムテック |
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| 活動時期 | 1990,1994 | |||
| 出走回数 | 24 | |||
| 優勝回数 | 0 | |||
| 通算獲得ポイント | 0 | |||
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 | |||
| ポールポジション | 0 | |||
| ファステストラップ | 0 | |||
| 初戦 | 1990年サンマリノGP | |||
| 初勝利 | - | |||
| 最終勝利 | - | |||
| 最終戦 | 1994年オーストラリアGP | |||
| タイトル | 0 | |||
デビッド・ブラバム(David Brabham 、1965年9月5日 - )は、オーストラリア出身のレーシングドライバー。
目次 |
経歴 [編集]
三度のワールドチャンピオンに輝き、またブラバムの創設者でもあるジャック・ブラバムの三男として、ロンドンに生まれる。兄のジェフ・ブラバム、ゲイリー・ブラバムもレーシングドライバーになったが、ブラバム3兄弟の中で唯一、F1の決勝を走っている。
1989年にイギリスF3でチャンピオン獲得、F3マカオGP優勝などの活躍が認められ、1990年サンマリノGPで、このレースからオニクスに移籍したグレガー・フォイテクのシートを得て父の創設したブラバムチームからF1に初参戦した。しかし思うような成績を上げることが出来ず、1年限りでF1を去り、スポーツカーレースへ活動の場を移した。
1994年にシムテックがF1参戦を果たすと、父が経営に参加していたこともあり、F1復帰を果たした。このシーズン限りでF1を去り、その後はスポーツカーレースでの活動を再開し、ALMSなどに参戦している。1996年にはマクラーレンF1 GTRで全日本GT選手権(JGTC)のチャンピオンに輝いた他、1997年には兄ジェフと組んでバサースト1000を制し、2005年と2006年にはセブリング12時間のクラス優勝を果たした。2009年にはスコット・シャープと共にALMSのLMP1クラスのシリーズチャンピオンに輝いた。
2009年ル・マン24時間レースに、プジョー・スポール・トタルチームより908 HDi FAPに乗って参戦、総合優勝を飾っている。
JGTC年度別での成績 [編集]
| 年 | 所属チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996 | チーム ラーク・マクラーレンGTR | マクラーレン・F1-GTR | GT500 | SUZ 2 |
FUJ 1 |
SEN 8 |
MIN 2 |
SUG Ret |
MIN 4 |
1st | 63 |
関連項目 [編集]
- モータースポーツ
- F1ドライバーの一覧
- ローランド・ラッツェンバーガー - シムテック時代のチームメイト。サンマリノGPで事故死。
外部リンク [編集]
| 先代: アラン・マクニッシュ リナルド・カペッロ トム・クリステンセン |
ル・マン24時間優勝者 2009 with: マルク・ジェネ アレクサンダー・ヴルツ |
次代: マイク・ロッケンフェラー ロマン・デュマ ティモ・ベルンハルト |
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