浜田雅功

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浜田 雅功
本名 濵田 雅功 (読み同じ)
ニックネーム はまちゃん
生年月日 1963年5月11日(48歳)
出身地 日本の旗 日本 兵庫県尼崎市[1]大阪府大阪市浪速区生まれ)
血液型 A型
身長 165cm
方言 摂津弁
最終学歴 日生学園第二高等学校
出身 NSC大阪1期生
コンビ名 ダウンタウン
グループ名 H Jungle with t
相方 松本人志
芸風 漫才コントツッコミ
立ち位置
事務所 吉本興業東京本社
活動時期 1982年 -
同期 トミーズ
ハイヒール
現在の代表番組 浜ちゃんが!
Oh!どや顔サミット
過去の代表番組 ジャンクSPORTS
人気者でいこう!
HAMASHO
オオカミ少年
イチハチ
ジャパーン47chスーパー!
作品 曲「WOW WAR TONIGHT
曲「チキンライス
受賞歴
1984年 ABCお笑い新人グランプリ

浜田 雅功(はまだ まさとし、1963年5月11日 - )は、日本お笑い芸人であり、お笑いコンビ、ダウンタウンツッコミ担当である。相方は松本人志

吉本興業所属。妻はタレントの小川菜摘で、1991年と1994年に2男をもうけ、長男は2010年5月にメジャー・デビューしたロック・バンド「OKAMOTO'S」のベース、ハマ・オカモトとして活動している。血液型A型。身長165cm。

目次

[編集] 略歴

[編集] 生い立ち

大阪市浪速区大国町駅周辺[2]に、大阪万博にてソ連館のペンキ塗りを請け負っていたペンキ屋に勤める父・憲五郎、母・信子の間に生まれ、幼稚園へあがる頃に尼崎市へ移る。尼崎市では小学5年に憲五郎がペンキ屋を独立開業しているが、家族で芦屋にも住んでいたこともある[2]。憲五郎とヒロミ(B21)の父とは、鹿児島時代の同級生であり[3]、2人とも就職のため鹿児島を後にしている。高須とは幼稚園時代からの付き合いであり、小学校へ転校してきたというのは松本の作り話である。親や兄(松本隆博)がたびたびテレビなどに出演する松本人志とは対照的に、浜田の両親や妹の出演はこれまでにない。

住んでいたアパートの老朽化が著しかったために浜田家の上の階の床が抜け、天井から上階に住む韓国人の中年婦人が幼い浜田を抱く母親の肩をかすめて落ちてきたこともあるという。ただし、浜田は貧しかったことを認めながらも、「大阪万博までは羽振りが良かった。それからや、ヤクザの取立てが家に来るようになったんや」と、生まれたときから貧乏ではなかったと語っている[4]

三重県にある日生学園に入学し、2年次に移動した全寮制の日生学園第二高等学校を卒業。在学時は学校の便器を素手で掃除させられるなどの厳しい環境を苦に寮から脱走し、松本や友達の家に転がり込むこともたびたびであった[5]。同校の後輩に中田なおきがいる。高校卒業後の目標は特になかったため、父親の提案で競艇選手の試験を受けたが落第している。

[編集] 吉本入り

1982年、小学校から中学校時代の同級生である松本人志を誘って吉本興業入り。同社の若手タレント養成所「吉本総合芸能学院(NSC)」第1期生となる。当初は「松本・浜田」というコンビ名であったが、その後改名により「ひとしまさし」「てるお・はるお」「ライト兄弟」を経て、現在のコンビ名「ダウンタウン」になった。

デビュー当時はそのふてぶてしい態度から先輩達から忌み嫌われる存在(浜田に関してはよく先輩から奇妙な愛情でいじられていたらしい)であったものの、『4時ですよーだ』(毎日放送)で関西地区での人気を不動のものにする。ほどなくして上京、『夢で逢えたら』(フジテレビ)などで人気を博し、全国区タレントとして広く名を知られるようになる。1990年前後にはウッチャンナンチャンとんねるずB21スペシャルらと共に「お笑い第三世代」として一大ブームを巻き起こした。その後、お笑いのみの活動にとどまらず、俳優声優歌手活動も精力的に行っている。現在ではピンでの司会業が増えている。

[編集] 芸風

ツッコミのパターンは頭をはたく、デコピンゲンコツ回し蹴りかかと落とし頭突きビンタ、尻を蹴る、額を指4本で突く、ほっぺに噛み付き、鼻に指を突っ込む、前肩と後頭部を同時に叩く、アッパーカットなど様々なバリエーションがあり、際だってメリハリのあるツッコミが松本のシュールなボケと対照を成す。松本やフットボールアワー後藤輝基によると、どれも痛いが、ただ、「はたく」は音だけで痛みはさほどないという。豊富な突っ込みパターンのため、視聴者から「突っ込みのパターンは13個あるのか?」という質問が来たことがある。額を指4本で突くツッコミは松本がリーゼントだったころ、髪が崩れないようにとの配慮からこの突っ込みを多用していたと語っている。

また、ビンタの威力は強烈で「受けた直後に真っすぐ歩けなくなる」「物が白黒に見える」「味覚障害になる(甘いと酸っぱいは判別できるが甘酸っぱいは分からなくなる)」などと例えられている。松本は「浜田のビンタは小熊(あるいは小ゴリラ)ぐらいの威力」と言っている。

先輩でも臆することなく容赦なしにドツいたり、タメ口をきいたり、呼び捨てにしたりしてツッコミを入れる。大御所俳優などに対してもこのようにストレートな発言をぶつけて笑いを取る才能は、松本などから「自分にはない」として高く評価されている。ただし、松本は27時間テレビで明石家さんまと共演した際、さんまにタメ口で接する浜田に「先輩やぞ!敬語使え」と連呼している。志村けんも「俺でもいかりやさんの頭を叩くのに何十年もかかった」「俺が頭をたたかせるのは今じゃオマエ(浜田)だけ」と評価している。もちろん無礼な行動であるので、浜田に対して悪い印象を持つ者も多い。志村の周囲は「あいつだけは絶対許せない。今度会ったらぶっ飛ばす」と発言しており、その際には志村が「違うんだよ、彼は本番ではああいうキャラで売ってるんだけど、裏ではちゃんと礼儀正しいし、あいさつするし、すごいイイやつなんだよ」と宥めている。志村は、ある番組[6]において「俺が好きなやつには、叩かれてもいい」と発言していた。本人によると、「初対面でもタメ口が、仲良くなれるコツ」[7]

浜田の頭は大御所や先輩、同期、相方しか叩くことは許されないとされ、「若手が頭を叩いた時はもう、とてつもなく恐ろしいことになる」と松本が証言している。しかし本人は「筋さえ通していれば何もしない(先に楽屋にあいさつに来れば怒らない)」と発言しており、特別にタブーがあるわけではない。実際に山崎邦正ブラックマヨネーズが浜田の頭を叩いたときは何も起こらなかったほか、泥酔した三村マサカズに番組進行と関係なく叩かれたときも、頭を守って苦笑するのみだった。その後、酔いをさました三村は「とんでもない事をした」と平謝りしたという。しかし、このときも「悪酔いするよな、お前。ええんちゃう?ウケたし。」とフォローした。

テレビでの容赦のなさとは逆に、収録外では礼儀正しい対応を尽くしており、礼儀作法に厳しいオール巨人からも「浜田は礼儀正しい」と認められている。事実、収録中はいじり倒す番組出演スタッフにも深々と頭を下げており、先輩へ頭を下げる姿も画面から見切れる形ではあるが、映像に映る。「リンカーン」の「リンカーンわらしべ長者」では収録前、テレビ局でたまたま通りかかった先輩の笑福亭笑瓶に敬語でていねいにあいさつをした(カメラは既に回っていた)。が、本番に入ると同時に食堂にいた笑瓶に「おいコラ、そこのメガネ!」と詰め寄り、数分前とは正反対の豹変振りを見せた。その豹変振りに、浜田と長年の付き合いである笑瓶も、苦笑しつつも驚いた。

加賀まりこ泉ピン子など毒舌を得意とする大御所クラスの女性芸能人の前では、さすがの浜田もツッコミが弱くなってしまうことが多い。もちろん、頭をはたくなどのツッコミは絶対にせず、笑いながらツッコミを入れるのが精一杯である。それゆえ、そのかたわらで松本の頭を叩くこともある。しかし『ガキの使い』の企画では加賀にゴミ袋を被せるなど体を張って笑いを取りに行くこともある。

コンビ共にデビュー当時から特異な比喩表現を行うことが多かった。まだまだ無名当時に競演した関根勤が、大物俳優で現在のように誰からもいじられなかった中尾彬に対して浜田が「黙れ、ガマ親分!」と怒鳴ったのを見たことを引き合いに出し、「あんなすごい的確な表現をする(さらにそれを放送中に言う)人間が出てきたのに驚き、すぐダウンタウンのファンになった」と語っている。

今では誰しも、浜田に突っ込まれることをありがたく思ってきている[8]、これは『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』で、まだ売れる前だったシャ乱Qつんくを叩いたところ、その後売れたことをつんくが提唱したからである。俗に言う「浜田に突っ込まれたタレントは売れるジンクスである。この傾向は今も続いており、「キングオブコント」ではダウンタウンと初共演の無名芸人が浜田に叩かれて喜んでいる他、「アカン警察」では渡辺麻友北原里英などが浜田に頭を叩かれて痛がりながらも喜びの表情を見せている。

一時期はツッコミ用の小道具としてハリセンメガホンが定番のアイテムであった。大阪時代から東京に進出した後の1992年頃までは、松本・ゲスト・観客に対してキレキャラで接し、どつくことを基本にしていた。しかし、一般に受け入れられるようになり始めた1993年頃から、意識的によく笑うことを新しい芸風にした。この転換は大成功で、その後のダウンタウンのイメージアップに貢献した。

ツッコミのスタイルとしては、中田ボタン紳助・竜介に影響を受けている。一般的にツッコミというポジションは「努力と技術がものをいう」と言われており、浜田もかつてコンビを組んだ当初はツッコミの概念を掴みあぐね、中田ボタンを参考にしたという[9]

ごっつええ感じ』『ガキの使い』内でのドッキリ企画では迫真の怒りの演技を見せる。ドッキリのための演技とはいえ、浜田のとてつもない怒りぶりを見てYOU篠原涼子西端やよいココリコ田中直樹今田耕司フットボールアワー井上マーらがこのドッキリに引っかかり泣いてしまったことがあった。今田は「ダウンタウンがケンカして解散の危機に」というドッキリを信じ込み、大泣きした。

逆に、浜田自身は『ごっつええ感じ』の「野生の王国」というコントで「ほんこんだと思ってしばいていた着ぐるみの中の人物が、実は坂本龍一だった」というドッキリを仕掛けられたことがあり、坂本だと分かったときにはただただ平謝りした。また同じく同番組内の企画で、高校時代に最も恐れていた恩師が「オウ! 浜田!」と突然登場したこともあり、本気でビビる姿を見せたこともある。

やりすぎコージー』番組内で発表された「08年東京NSC生280人が選ぶ理想のツッコミ」という吉本が毎年NSC生に対して行うアンケートでは、圧倒的得票で1位を獲得し、芸歴25年を超えてもなお、尊敬され続けるツッコミの代表格であることを証明した。千原ジュニアの談では、同アンケートで20年程首位獲得している。ただし『放送室』で独自調査した「NSC卒業生に聞く自分が組みたいツッコミ」アンケートでは1位を取得せず、3位に留まった[10]

松本は著書やインタビューで「浜田がいなかったらダウンタウンはメジャーな存在にはなっていないだろう」という内容の発言を何度も語っている。『プロフェッショナル 仕事の流儀』では「僕があいつの弔辞を読むよりあいつが僕の弔辞を読むほうが絶対いい。だからあいつには僕より1日も多く長生きしてもらわんとね」と珍しく真剣な顔で述べた。

[編集] 作品

[編集] シングル

  • 1995年に浜田がH Jungle with tとして紅白歌合戦に出場した際、松本がTHE GEISHA GIRLSメイクで飛び入り出場している。

[編集] アルバム

[編集] ビデオ

  • H Jungle with t were born in 3.15,1995(1995年5月24日)
    • PV&ドキュメント。
  • 2 GOING GOING HOME(1995年9月21日)
    • PV&ドキュメント。
  • 浜田雅功 勝つためのゴルフ(1995年)
  • 浜田雅功のシングルGOLF Vol.1~6(1997年)
    • 浜田のゴルフレッスンビデオ第2弾。全6巻。
  • ゴルフ者でいこう! 1~6(1999年)
    • ゴルフレッスンビデオ第3弾。全6巻。

[編集] 出演

浜田雅功個人での出演番組・作品を記載。ダウンタウンとしての出演番組・作品はダウンタウン出演の項目を参照。

[編集] バラエティ番組

[編集] 現在のレギュラー番組

[編集] 単発番組

[編集] 過去

[編集] レギュラー番組
[編集] 単発・特番
[編集] ゲスト出演した番組

[編集] テレビドラマ

[編集] 映画

[編集] CM

ほか

[編集] その他

[編集] 書籍

[編集] 著書

[編集] 関連書籍

  • おかえりっ! 浜田雅功ファミリーのできるまで(1996年、扶桑社ISBN 4594019420
    • 妻であるタレントの小川菜摘によるエッセイ。
  • HAMASHOの本(1999年、ワニブックス)ISBN 4847013050
    浜田と笑福亭笑瓶が出演した番組「HAMASHO」をまとめたもの。
  • エッ!そうくるかぁー(笑) 浜田家式お約束(2000年、扶桑社)ISBN 4594028888
    • 小川菜摘のエッセイ集第2弾。浜田があとがきを寄せている。

[編集] 脚注

  1. ^ 公式プロフィールより
  2. ^ a b 毎日放送「ごぶごぶ」(2007年2月23日放送)内での本人の発言[出典無効]
  3. ^ 『ガキの使いやあらへんで!』(2010年10月25日放送)内での本人の発言
  4. ^ 『放送室』2004年2月19日放送分の武道館Liveでの本人の発言による
  5. ^徹子の部屋
  6. ^第三回 史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ』(2007年1月4日放送)内での志村による発言
  7. ^ 『読め!』より。
  8. ^ 例えば元阪神タイガース赤星憲広は、ダウンタウンDXに出演した際ツッコミとして2回頭を叩かれたことに対して、「今回、『浜田さんにツっこまれたい』という思いがあったので、たたかれた時は『来た!』と思いましたね。…(中略)…僕の周りの人間は本当にうらやましがると思いますよ。(大阪に)帰ったらいっぱい自慢しようと思っています」と『ザ・テレビジョン』のインタビューで発言している。 『トークの出来は30点? 赤星憲広が「ダウンタウンDX」に初出演!』(2011年5月4日閲覧)
  9. ^ 『三世代漫才トーク』より。
  10. ^ この時の1位は、フットボールアワーの後藤輝基。

[編集] 外部リンク

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