アンソニー・レイド

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アンソニー・レイド
Anthony Reid
生誕 1959年5月17日(55歳)
イギリスの旗 イギリスグラスゴー
職業 レーシングドライバー
配偶者 あり
公式サイト
Anthony Reid英語
補足
1992年全日本F3選手権チャンピオン
2004年イギリスツーリングカー選手権インディペンデント部門チャンピオン

アンソニー・レイド(Anthony Reid、1959年5月17日-)はイギリス生まれのレーシングドライバー

プロフィール[編集]

デビュー[編集]

イギリス、スコットランドグラスゴーで生まれる。1979年にイギリスにおける初級フォーミュラであるフォーミュラ・フォードを皮切りにキャリアをスタートし好成績を残す。

イギリスF3[編集]

その後1983年のイギリスF3選手権に名門のマジウィックから参戦し、アイルトン・セナマーティン・ブランドルらと上位を争うなど頭角を現し、1985年まで同シリーズに参戦するが、その後は一旦ステップダウンし格下のフォーミュラ・ボクスホールロータスをドライブする。

ル・マンとJSPC[編集]

レイドらがドライブしル・マン24時間レースで3位に入賞したポルシェ962C

その後は、1990年ル・マン24時間レース日本のアルファ・チームのポルシェ962をドライブし3位に入賞する他、スポーツカー世界選手権全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)にも参戦した。また翌1991年にもコンラッド・モータースポーツのポルシェ962Cでル・マン24時間レースに参戦するなど活躍したものの、フォーミュラカーをはじめとする各選手権のレギュラーシートを得ることはできなかった。

その為、1990年から1991年にかけては、イギリスのドニントンパークサーキットで行われるジム・ラッセル・レーシングスクールの講師も片手間で行った。なお、1991年8月に行われたスクールの生徒には、イギリス国内や日本ブラジルなどからのアマチュアのドライバーに混ざり、後にマクラーレンからF1ドライバーとしてデビューするヤン・マグヌッセンがいた。

全日本F3選手権チャンピオン獲得[編集]

その後、ル・マン24時間レースや全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権における活躍を記憶していた日本のモータースポーツ関係者からの招きで、1991年のシーズン途中に来日し、当時のバブル景気を受け40台近い参加台数を誇っていた全日本F3選手権で東名スポーツのラルト・RT35無限をドライブすることになった。シーズン途中からの参戦にもかかわらず、いきなり優勝を含む上位争いに食い込むなど頭角を現し注目を浴びた。

1992年には、同チームで勢いを保ったまま、ジャック・ヴィルヌーヴ高木虎之介ら、その後F1などのトップフォーミュラで活躍したドライバーを抑え、数回の優勝を含む上位入賞を記録し、シーズン全般に渡りポイントリーダーの位置を保ったまま全日本F3選手権のシリーズチャンピオンを獲得した。また同年には、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にもチーム・タイサンのBMW・M3で参戦した。

F1テスト[編集]

ジョーダン192・ヤマハ

なお、高い開発能力と堅実なドライビングスタイルが高く評価され、1992年のシーズンオフには、ジョーダンF1チームのテストドライブを行ったが、持ち込みスポンサーがないこともありレギュラーシートを得ることはできなかった。

F3000とツーリングカー[編集]

1993年はF3からステップアップし、日本のトップフォーミュラである全日本F3000選手権と全日本F3選手権、全日本ツーリングカー選手権など複数の国内トップカテゴリーで戦うこととなった。好成績が期待されたが、マシンの戦闘力が劣ることからいずれのカテゴリーでもシリーズチャンピオンを獲得することはできなかった。

その後も全日本ツーリングカー選手権への参戦を続け、1994年にはボクスホール(その後オペルに変更)の準ワークスチームで活躍し4勝を挙げ、1995年には3勝を挙げるものの、同年の全日本ツーリングカー選手権仙台ではピットロード内で指示違反をした上、コース役員をはね、即刻失格と80万円の罰金を科せられるなど、荒さも目立ってしまう。

しかし、確実に上位に食い込む巧みなドライビングが高く評価されたこともあり、トップクラスのチームからの誘いは多く、以降1996年までの間は、全日本ツーリングカー選手権や全日本GT選手権(JGTC)などの全日本選手権格式のレースや、インターTECなどの国際格式のレースにおいて数回の優勝を勝ち取り、チャンピオン争いにも加わるなど、安定した好成績を収めている。なお同年のル・マン24時間レースには、リスター・ストームで参戦している。

イギリスツーリングカー選手権(BTCC)[編集]

日産・プリメーラをドライブするレイド(1998年)

日本での好実績が高く評価され、1996年よりイギリスツーリングカー選手権BTCC)において日産チームのワークスドライバーに抜擢され、プリメーラをドライブした。同年にはドイツツーリングカー選手権にも参戦している。翌1998年までの3年間に数回の優勝を含む好成績を挙げ、1998年はドライバーズランキング2位を獲得した。

1999年にはフォードのワークスチームに引き抜かれて移籍し、フォード・モンデオをドライブした。2000年には再びドライバーズランキング2位を獲得した。

2001年から2004年にかけては、トップチームの1つであるウェストサリー・レーシングMGZSをドライブ。マスターズで優勝するものの戦闘力不足からチャンピオン争いには絡めなかった。

しかし、果敢なドライビングで確実にポイントを重ねた結果、独立系チームに与えられる「インディペンデント」のドライバー部門のチャンピオンを2004年に獲得した。しかし、同チームが資金難のため2005年をもって撤退してしまう不運に見舞われた。

現在[編集]

2005年以降もル・マン24時間レースフェラーリ360モデナで参戦するなど、耐久レースを中心とした多くのレースに参戦を行った。2007年にはアルゼンチン・ツーリングカー選手権に参戦した他、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード日産・GT-Rのエキシビジョン走行を行った。

一旦は第一線から撤退するかに見えたが、過去15回の優勝経験を買われ、2009年の後半に再びウェストサリー・レーシングの「チームRAC」からイギリスツーリングカー選手権に復帰参戦し、BMW320siをドライブし後半3戦を戦うこととなった。

2010年は南アメリカ・ツーリングカー選手権に、ホンダのワークスチームである「ペトロブラス・ホンダ」よりシリーズ参戦した。2011年からはイギリスGT選手権にシェブロンGT3で参戦し、2012年にも引き続き同チームより参戦するなど、現在も第一線で活躍している。

レース戦績[編集]

JTCC[編集]

所属チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
1994 HKSチーム ボクスホール・キャバリエ AUT
1

1
AUT
2

1
SUG
1

Ret
SUG
2

DNS
TOK
1

1
TOK
2

3
SUZ
1

12
SUZ
2

5
MIN
1

7
MIN
2

8
TAI
1

Ret
TAI
2

7
TSU
1

5
TSU
2

Ret
SEN
1

9
SEN
2

Ret
FUJ
1

2
FUJ
2

1
4位 106
1995 HKSオペルチームジャパン オペル・ベクトラ FUJ
1

2
FUJ
2

3
SUG
1

Ret
SUG
2

16
TOK
1

19
TOK
2

8
SUZ
1

1
SUZ
2

3
MIN
1

8
MIN
2

1
TAI
1

5
TAI
2

1
SEN
1

DSQ
SEN
2

DNS
FUJ
1

FUJ
2

4位 87

JGTC[編集]

色の意味はこちらを参照→key

所属チーム 使用車両 クラス Rd.1 Rd.2 Rd.3 Rd.4 Rd.5 Rd.6 Rd.7 順位 ポイント
1994 TEAM TAISAN ポルシェ・962C GT1 FUJ
Ret
FUJ
1
MIN
3
5位 44
フェラーリ・F40 SEN
3
SUG
Ret
1995 TEAM TAISAN フェラーリ・F40 GT1 SUZ
11
FUJ
Ret
7位 36
ポルシェ・911 SEN
3
FUJ
9
SUG
1
MIN
9
1996 TEAM TAISAN ポルシェ・911 GT500 SUZ
12
FUJ
SEN
MIN
NC 0
フェラーリ・F40 SUG
15
MIN
1998 TEAM TAISAN ダッジ・バイパー GT500 SUZ
FUJ
SEN
FUJ
MOT
MIN
SUG
10
21位 1

関連項目[編集]

外部リンク[編集]