サード (企業)

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サード株式会社
SARD Corporation
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
473-0914
愛知県豊田市若林東町上外根50
設立 1985年9月
業種 輸送用機器
事業内容 モータースポーツ関連自動車の企画・開発・製造・販売
一般自動車関連用品(チューニングパーツ含む)の製造・販売
自動車レースなどのイベント参加、航空機関連事業開発
船体およびマリーンエンジン、ドライブ、関連用品の開発・販売
代表者 代表取締役社長 加藤眞
資本金 2,500万円
外部リンク http://www.sard.co.jp/
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サード
国籍 日本の旗 日本
本拠地 愛知県豊田市
創設者 加藤眞
チーム代表 山本泰(エントラント代表)
大澤尚輔(監督)
活動期間 1973年 - 現在
カテゴリ ル・マン24hJSPCJTCJGTCSUPER GT
公式サイト SARD RACING TEAM
備考 前身はシグマオートモーティブ
2013年のSUPER GT (GT500)
エントリー名 LEXUS TEAM SARD
レーサー 日本の旗 脇阪寿一
日本の旗 石浦宏明
マシン 39. DENSO KOBELCO SC430
タイヤ ブリヂストン
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株式会社サードSARD Corporation )は、主にトヨタ系の車のアフターパーツを扱うメーカー。本社は愛知県豊田市。トヨタ製レーシングカーを使用してモータースポーツ活動も行っている。

目次

沿革 [編集]

元々は1972年昭和47年)にレーシングチームとして設立された「株式会社シグマオートモーティブ」が母体である(同社は現在も関連会社として存在)。同社を設立した加藤眞は元々トヨタ(当時はトヨタ自工)の中でもモータースポーツを担当する第7技術部に所属しており、1960年代日本グランプリに参戦したトヨタ・7などの開発を担当していた。

同社は当初からル・マン24時間レースへの出場を目指すと同時に、富士グランチャンピオンレースへの参戦をも狙ったマシンとしてシグマ・MC73/マツダを開発。エンジンは加藤の伝手を頼りトヨタから供給を受ける予定だったが、マシン完成間近になってトヨタからエンジン供給を断られたため、急遽マツダからロータリーエンジンの供給を受けて1973年のル・マン24時間に出場した。同社は翌年のル・マンにもマツダのエンジンで参戦したほか、1975年(昭和50年)にはMC73にトヨタエンジンを搭載してル・マンに参戦している。結局、初期のル・マン挑戦は他チームに供給したシャシー代金を踏み倒されると言う不運が起因する財政難により3年で終了となった。とはいえ、この挑戦時に得たヨーロッパの自動車関連企業とのパイプ構築と言う副産物は大きく、後にターボチャージャー製造の名門・KKK社の輸入総代理店となれたのもこれがあったからである。

1985年(昭和60年)にサードを設立。全日本ツーリングカー選手権グループA)にトヨタ・スープラで参戦する。1986年(昭和61年)シーズンよりMC73以来のオリジナルマシン、サード・MC86X/トヨタで、全日本耐久選手権(後のJSPC)に参戦開始する。

1989年平成元年)シーズンからオリジナルマシンから、トヨタのワークスマシン、トヨタ・89C-Vの供給を受けるようになる。1990年(平成2年)からは「トヨタ・チーム・サード」としてトヨタのワークスチーム待遇となり、90C-Vで15年ぶりにル・マン24時間レース参戦を再開。JSPC最終戦富士1000kmでは初優勝を遂げる。1991年(平成3年)には91C-V鈴鹿1000kmを制している。91年はル・マン参戦が中断したが、1992年(平成4年)からはトヨタのサテライトチームとして参戦を再開し9位で完走している。翌1993年には総合5位、カテゴリー2クラス優勝を果たしている。94C-Vで参戦した1994年(平成6年)には、残り1時間15分まで首位をキープしながら、ミッショントラブルで後退。2位に入賞している。なお、ワークスチーム待遇を得るための条件であった『トヨタの看板を背負うに相応しいドライバーとの契約』をクリアする為に呼ばれたのが、1994年サンマリノGP予選で事故死したローランド・ラッツェンバーガーである。

1994年(平成6年)からはスープラで全日本GT選手権へ参戦。1995年(平成7年)、1996年(平成8年)にはスープラ LM-GTでル・マンに参戦している。また1995年(平成7年)にはトヨタ・MR2をベースとしたオリジナルマシンサード・MC8-Rを開発し、同年と翌1996年(平成8年)にはMC8Rでル・マンへ参戦した。

他にも、2006年(平成18年)の十勝24時間レースレクサス・GS450hを走らせたりしている。2007年(平成19年)には、前年に走らせたレクサスの機構を応用し、2006年(平成18年)にSUPER GTで走らせていたスープラをベースとしたハイブリッド車で参戦し、大きなトラブルもなく見事に総合優勝を果たした。

社名は集積記号の"Σ(シグマ)"が由来となっており、SARDは「Sigma Automotive Research&Development」の頭文字からとっている。

おもなレース活動 [編集]

ル・マン24時間レース [編集]

1990年(平成2年)、トヨタ・90C-Vで15年ぶりにル・マン参戦を果たしたがリタイヤに終わった。翌年は参戦を休止、1992年(平成4年)は92C-Vで参戦し9位で完走。翌1993年(平成5年)は総合5位、カテゴリー2クラス優勝を飾る。グループC時代が終焉し、プライベーターのみの参戦となった1994年(平成6年)はLMP1クラスに94C-Vで参戦。エディ・アーバイン/マウロ・マルティニ/ジェフ・クロスノフ組が残り1時間までトップを快走し、サード、トヨタの初優勝は目前だったが、ミッショントラブルで後退、2位入賞に留まった。

1995年(平成7年)以降はスープラとMC8Rで参戦したが満足な結果は残せず、トヨタの支援を受けるスープラのプロジェクトは1996年(平成8年)一杯で休止。オリジナルのMC8Rでのチャレンジは翌1997年(平成9年)も続いたが、この年は予備予選落ち。以降サードのル・マン参戦は休止している。

全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 (JSPC) [編集]

1986年(昭和61年)より、MC73以来のオリジナルマシン、サードMC86X/トヨタで全日本耐久選手権に参戦開始。オリジナルマシンによる参戦は3年続いたが結果を残せず、1989年(平成元年)よりトヨタのワークスマシン・89C-Vの供給を受けるようになる。1990年(平成2年)富士1000kmでJSPC初優勝を飾る。翌1991年(平成3年)にも1勝をあげ、シリーズが終焉を迎える1992年(平成4年)まで参戦するが、シリーズチャンピオンを獲得することはできなかった。

SUPER GT (旧JGTC) [編集]

DENSO DUNLOP SARD SC430(2008年)

全日本GT選手権SUPER GTには1994年(平成6年)より参戦している。参戦当初は横浜ゴムADVANを使用していた。メインスポンサーは2006年(平成18年)と2009年(平成21年)以外はデンソーがメインスポンサーとなっている。

1997年(平成9年)にシーズン2位の成績を挙げるが、それ以降低迷が続く。2003年(平成15年)に織戸学ドミニク・シュワガー組で1勝し、シーズン6位となる。翌2004年(平成16年)、タイヤをADVANからブリヂストンに変更。アンドレ・クートジェレミー・デュフォア組で1勝を挙げ、シーズン2位の成績を収める。しかし、2005年(平成17年)はマシンの不調もありなかなか調子を上げられず、シーズンランキングで下位に沈む。この年のドライバーはジェレミー・デュフォアに変わって前年の全日本F3選手権でチャンピオンに輝いたロニー・クインタレリが起用された。

2006年(平成18年)はメインスポンサーがtriple a出版に変わり、マシン名が「triple a sard スープラGT」となった。なお、スポンサーがパチンコ情報誌を手がけている関係上、ゼッケンナンバーをゾロ目の#66に変更している。これまではトヨタワークスチームの一員として最新型マシンでの参戦だったが、この年は最新マシンのレクサス・SC430ではなく、前年型のトヨタ・スープラでの参戦となった。そのためか開発が進む最新型マシンに比べ遅れをとっており苦戦を強いられた。ドライバーも変更され、ロニー・クインタレリからルーキーの平中克幸になった。

2007年(平成19年)よりマシンがスープラからSC430(2006年型SC430にアップデートキットを組み込んだ車両)に変更。ゼッケンナンバーが#39に変更、またメインスポンサーにデンソーが復帰した。ドライバーは昨年同様の布陣で挑む。昨年同様前年型マシンだったため苦しい戦いを強いられたが、第8戦で久々の表彰台を獲得することができた。

2008年(平成20年)は再びワークスチームと同じ最新型マシン(といってもそのワークスマシン自体が実質前年度のマシンなので結局昨年と変わらず前年型マシンとなる)での参戦となる。監督には新たに飯田章が起用されることになった。タイヤもブリヂストンからダンロップに変更となる。ドライバーには高木虎之介が迎えられ、昨年に引き続きドライブするアンドレ・クートとコンビを組んだ。最新型マシンを使用するため好成績が期待されたが、タイヤ開発がうまくいかなかったことと、監督として迎えられた飯田章が伊藤大輔の怪我による欠場による代役を務めることになったため、監督をシーズン半ばで辞めることになったのもあり、シーズンを通して低迷した。

2009年(平成21年)も引き続き最新型マシンでの参戦となる。ドライバーは高木虎之介に代わり、平手晃平が起用され、昨年から引き続いてアンドレ・クートとのコンビで挑む。この年は車名からデンソーが外れ、デンソーはメインスポンサーから降格した。

2010年(平成22年)も引き続き最新型マシンで参戦。ドライバーに変更は無くアンドレ・クート、平手晃平コンビのままだが、デンソーが再びメインスポンサーとなる。

2011年(平成23年)前年までのクート(クラフトに移籍)、平手(セルモに移籍)に変わりKRAFTから移籍した石浦宏明と300クラスからステップアップした井口卓人にドライバーを一新。タイヤもダンロップからミシュランに変更した(トヨタではJGTC時代の2003年のトムス以来。レクサスでは初である他、チームではJGTC黎明期の1994年以来である)開幕戦ではタイヤがマシンとマッチしなんとポールポジションを獲得(2位は同じミシュランを履くS-Rord MOLA GT-R)しかし決勝では雨のセッティングがうまくいかず6位に終わる。その後もミシュランタイヤとマシンが噛み合ってか3度のポールポジションを獲得。決勝でも第4戦、8戦にそれぞれ表彰台にのぼる活躍するも優勝には届かず。特に第7戦では優勝争いを繰り広げながら終盤にマシントラブルに泣かされるなど不運にも見舞われたが最終的にシリーズ7位。これはレクサスになって最高位である。

2012年(平成24年)はクラフトから移籍のベテラン脇阪寿一が石浦とコンビを組む。またスポンサーに神戸製鋼が加わり「DENSO KOBELCO SC430」に車名を変更。初めて車名から「サード」が外れる。第2戦富士ではチーム8年ぶりの優勝を飾る(マシンをSC430になって以降初)その後も4位入賞を2回記録するなどリタイヤした第5戦鈴鹿1000kmを除き年間を通じてポイントを獲得する活躍を見せ一時はチャンピオン争いを演じ前年よりさらに上昇、1997年、2004年に次ぐシリーズ3位という成績で終えた。

2013年(平成25年)脇阪、石浦のコンビおよびチーム体制を継続するがタイヤを6年ぶりにブリヂストンに変更となる。


過去に土屋圭市織戸学など、走り屋出身のドライバーが多く乗っている。鈴鹿1000kmでは谷口信輝もドライブした経験もある。その鈴鹿1000kmでは、毎年参戦している。その時のメインスポンサーは、デンソーではなく大塚家具であったが、2006年(平成18年)よりSUPER GTの一部に組み込まれたため、それ以降は大塚家具がメインスポンサーとなることはなかった。

成績 [編集]

開催年 マシン ドライバー タイヤ ランキング ポイント
1995年 サードスープラ ジェフ・クロスノフ DL 8位 32Pts
1996年 サードスープラ ワイン・ガードナー DL 9位 28Pts
1997年 デンソーサードスープラ 影山正美 谷川達也 オリビエ・グルイヤール YH 2位 67Pts
1998年 デンソーサードスープラ 土屋圭市 谷川達也 YH 6位 36Pts
1999年 デンソーサードスープラ 土屋圭市 影山正彦 YH 22位 5Pts
2000年 デンソーサードスープラ 影山正彦 ラルフ・ファーマン YH 12位 25Pts
2001年 デンソーサードスープラ ジェレミー・デュフォア 影山正彦 YH 14位 22Pts
2002年 デンソーサードスープラ ジェレミー・デュフォア 織戸学 YH 14位 33Pts
2003年 デンソーサードスープラ 織戸学 ドミニク・シュワガー YH 6位 57Pts
2004年 デンソーサードスープラ ジェレミー・デュフォア アンドレ・クート BS 2位 61Pts
2005年 デンソーサードスープラ アンドレ・クート ロニー・クインタレッリ BS 16位 21Pts
2006年 triple a サードスープラ アンドレ・クート 平中克幸 ソエイル・アヤリ BS 23位 13Pts
2007年 デンソーサードSC430 アンドレ・クート 平中克幸 BS 15位 21Pts
2008年 デンソーダンロップサードSC430 アンドレ・クート 高木虎之介 DL 21位 11Pts
2009年 ダンロップサードSC430 アンドレ・クート 平手晃平 DL 14位 27pts
2010年 デンソーダンロップサードSC430 アンドレ・クート 平手晃平 カルロ・ヴァン・ダム DL 12位 12pts
2011年 デンソーサードSC430 石浦宏明 井口卓人 MI 7位 40pts
2012年 デンソー KOBELCO SC430 脇阪寿一 石浦宏明 MI 3位 57pts
2013年 デンソー KOBELCO SC430 脇阪寿一 石浦宏明 BS

外部リンク [編集]