ダリオ・フランキッティ
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| ダリオ・フランキッティ | |
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2009年のインディ500で
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 生年月日 | 1973年5月19日(39歳) |
| 出身地 | スコットランド、ウェスト・ロージアン、バスゲート |
| 親族 | ポール・ディ・レスタ(いとこ) マリーノ・フランキッティ(弟) アシュレイ・ジャッド(妻) ナオミ・ジャッド(義母) ウィノナ・ジャッド(義姉) |
| 過去参加シリーズ | |
| 1991 1992-1993 1994 1995 1995-1996 1997-2002 2002-2007 2007-2009 2008-2009 2007-2008 2007 2007-2008 2008 2009- |
フォーミュラ・ヴォクソール・ジュニア フォーミュラ・ヴォクソール・ロータス イギリスF3 DTM ITC CART インディカー ALMS ロレックス・スポーツカーシリーズ ARCA NASCARトラック・シリーズ ネイションワイド・シリーズ NASCARスプリントカップ インディカー |
| 選手権タイトル | |
| 2007, 2009, 2010, 2011 |
シリーズチャンピオン |
| 受賞 | |
| 1992 2001 2009 |
マクラーレン・オートスポーツ・アウォード グレッグ・ムーア・レガシー・アウォード BRDCゴールドスター |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| インディカー・シリーズ | |
| 活動時期 | 1997 - 2007, 2009 - 2010 |
| 所属 | ホーガン・レーシング (1997), チーム KOOL グリーン (1998-2002), アンドレッティ・グリーン・レーシング (2003-2007) チップ・ガナッシ・レーシング (2009-) |
| 出走回数 | 203 |
| 優勝回数 | 30 |
| ポールポジション | 25 |
予選を待つフランキッティ、2007年のインディ500で
ジョージ・ダリオ・マリーノ・フランキッティ(George Dario Marino Franchitti[1][2]、1973年5月19日 - )は、スコットランド、エディンバラ出身のレーシングドライバー。インディカー・シリーズでは3年連続を含む4度のシリーズチャンピオン、インディ500では3度の優勝を獲得している。2001年にアメリカの女優アシュレイ・ジャッドと結婚したが、2013年1月に離婚。現在はテネシー州在住。
経歴 [編集]
- 1991年にデビューし、フォーミュラ・ヴォクゾール・ジュニア選手権を制覇。
- 1994年にはイギリスF3選手権でシーズン1勝、シリーズ4位。
- 1995年はFIA国際ツーリングカー選手権(ITC)で3位、ドイツツーリングカー選手権(DTM) では5位の成績を収める。
- 1996年、ITCの最後のレースとなった鈴鹿サーキットの第1レースで優勝。
- 1997年からはCART(現・チャンプカー)に参戦し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得する。
- チーム・グリーンに在籍した1998年は3位、1999年は2位、2000年は13位、2001年は7位、2002年は4位と、安定した成績を残すも、今1歩タイトルには届かなかった。
- 2003年からアンドレッティ・グリーン・レーシングに改名したチームごとインディカー・シリーズ(IRL)に転向するも、怪我により後半戦を欠場。
- 2004年は開幕戦からレースに復帰、第9戦・第12戦では優勝を果たし、ランキング6位。
- 翌2005年は第9戦(ナッシュビル)と第17戦(フォンタナ)で優勝、第7戦(リッチモンド)と第10戦(ミルウォーキー)では2位に入り、ランキング4位を獲得する。
- 2006年も第2戦(セントピーターズバーグ)でポールポジション獲得、第13戦(インフィニオン・レースウェイ)で2位を獲得、6度のトップ10フィニッシュを果たし、ランキング8位。
- 2007年には、インディ500で優勝するなどの活躍を見せ、最終戦(シカゴランド・スピードウェイ)ではラスト一周でトップとなりシリーズチャンピオンに輝いた。
- 2008年にはチップ・ガナッシ・レーシングよりNASCAR・スプリントカップシリーズに参戦したが、全くいいところがなく、シーズン途中に下位カテゴリーのネイションワイドシリーズに降格。それでも成績が上向かなかった。
- 2009年シーズンはNASCARから撤退しIRLへ復帰、自身がチャンピオンを獲得した2007年のライバルチームのチップ・ガナッシから復帰し同じく2007年にチャンピオンを争ったスコット・ディクソンがチームメイトとなった。開幕戦でチームメイトのディクソンがクラッシュする中4位フィニッシュ、第2戦のロングビーチで早くも復帰後初優勝を飾る。その後第3戦ではクラッシュに終わるが、第7戦アイオワ、第10戦トロントで勝利しチーム・ペンスキーのエリオ・カストロネベス等がライバルとなったが、徐々にカストロネベスが脱落し、チームメイトのディクソン、ペンスキーの新鋭ライアン・ブリスコーとチャンピオン争いを繰り広げる。第15戦インフィネオンでポールポジションから1度もトップを譲らない走りでブリスコーを抑えきり、シーズン4勝目を挙げこのレースで13位に終ったディクソンを逆転しブリスコーに4ポイント差の2位に浮上した。しかし第15戦シカゴでブリスコーがチームメイトのディクソンとの争いを制してポール・トゥ・ウィンを達成、自身は4位に終わりブリスコーに25点差を付けられることとなった。しかし、残り2戦となったツインリンクもてぎでブリスコーが18位、チームメイトのディクソンはポール・トゥ・ウィンで自身は2位、この結果ディクソンがランキングトップに立ち、フランキッティは変わらずランキング2位ではあるもののポイントリーダーに5点差、3位のブリスコーに3点差で最終戦ホームステッドを迎え、最終戦での勝利によって逆転で2度目のタイトルを獲得した。
- 2010年のインディ500で2度目の優勝、最終戦でウィル・パワーを逆転して3度目のタイトルを獲得した。
- フランキッティはCART・IRLキャリアのほとんどをホンダエンジンで走行し、勝利とタイトルを獲得している。
- 2010年度ドイツツーリングカー選手権チャンピオンで、2011年のF1世界選手権に参戦したポール・ディ・レスタとは従兄弟。
参照 [編集]
- ^ “Andretti Green Racing Team Profile”. Acura. (2007年1月3日) 2008年12月2日閲覧。
- ^ “Second star wedding for Highland town”. BBC News. (2001年12月7日) 2008年12月2日閲覧。