カイル・ブッシュ
| カイル・トーマス・ブッシュ | |||||||
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| 基本情報 | |||||||
| 生年月日 | 1985年5月2日(28歳) |
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| 表彰 |
2004 Busch Series Rookie of the Year |
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| NASCAR スプリントカップ・シリーズでの経歴 | |||||||
| 車番-チーム | 18 – Joe Gibbs Racing (TOYOTA CAMRY) | ||||||
| 2011年の順位 | 12th | ||||||
| 初戦 | 2004 UAW-DaimlerChrysler 400 (Las Vegas) | ||||||
| 初勝利 | 2005 Sony HD 500 (California) | ||||||
| 最終勝利 | 2011 Pure Michigan 400 (Michigan) | ||||||
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| NASCAR ネイションワイド・シリーズでの経歴 | |||||||
| 車番-チーム | 18– Joe Gibbs Racing (TOYOTA CAMRY) | ||||||
| 2011年の順位 | カップシリーズメイン登録の為順位無し | ||||||
| 初戦 | 2003 Carquest Auto Parts 300 (Charlotte) | ||||||
| 初勝利 | 2004 Funai 250 (Richmond) | ||||||
| 最終勝利 | 2011 Virginia 529 College Savings 250 (Richmond) | ||||||
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| NASCAR キャンピング・ワールド・トラック・シリーズでの経歴 | |||||||
| 車番-チーム | 18– Kyle Busch Motorsports (TOYOTA TUNDRA) | ||||||
| 2011年の順位 | カップシリーズメイン登録の為順位無し | ||||||
| 初戦 | 2001 Power Stroke Diesel 200 (Lucas Oil Raceway at Indianapolis) | ||||||
| 初勝利 | 2005 Quaker Steak and Lube 200 (Charlotte) | ||||||
| 最終勝利 | 2011 New Hampshire 175 (New Hampshire) | ||||||
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| Statistics current as of 2012 The Budweiser Shootout End.. | |||||||
カイル・トーマス・ブッシュ (Kyle Thomas Busch, 1985年5月2日 - )は、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス出身のNASCARドライバー。
目次 |
プロフィール [編集]
3大カップ戦の最下位クラスであるキャンピングワールドトラックシリーズを20歳19日で、最上位クラスであるスプリントカップシリーズを20歳125日で勝利するという2つの最年少記録を打ち立てた(スプリントカップシリーズは19歳35日のジョーイ・ロガーノに2009年度ニューハンプシャーでのレースで更新されたが、トラックシリーズについては所持中)。日テレG+で付けられている愛称は「ヤングスター」、現地では「The Spider」「Rowdy Busch,」「Wild Thing」「Shrub」などと呼ばれる。同シリーズ参戦中の2004年シリーズチャンピオン、カート・ブッシュは実兄である。
ラスベガス出身という超都会っ子であることに加え、年上にも物怖じせず、ガンガンぶつかっていくその姿から「ノーフィアー(恐れ知らず)」とも言われ、現地では優勝するとブーイング、トラブルが起こると歓声が上がるトップヒールでもある。マシンの窓に立っておじぎをする優勝パフォーマンスでも有名である。
2012年は、キャンピングワールドトラックシリーズ&ネイションワイドシリーズ(#54)をKyle Busch Motorsports、 スプリントカップシリーズ(#18)をJoe Gibbs Racingから参戦する。
経歴 [編集]
NASCAR以前 [編集]
始めて車を運転したのは6歳の時であり、その後家のガレージで父と兄の指導の元、レースカーのメンテナンスを行い、10歳になると兄の小さなチームでクルーチーフとして活動した。
13歳になると学業を第一としながらレーサーとしての活動をスタート、1990年~2001年にはラスベガス・モーター・スピードウェイで行われているローカルレースで通算65勝を上げる。
NASCAR [編集]
16歳にてクラフツマントラックシリーズ(現キャンピングワールドトラックシリーズ)にスポット参戦、初年度いきなり6戦中2戦でトップ10フィニッシュするという好成績をあげるものの、2002年のテスト中にCARTマルボロ500の関係でレース場に入場出来無くなってしまい、6週間後NASCAR側も18歳以下の参戦を禁じる(当時冠スポンサーがウィンストンだった影響もある、また一部下位シリーズに限り2007年シーズンから16歳に引き下げられた)ということになってしまったために2年間を別組織であるASAシリーズへ移籍して闘う事となる。
2003年この年齢制限から解放され、ブッシュシリーズ(現ネーションワイドシリーズ)へとスポット参戦、その後2004年にネーションワイドシリーズへフル参戦、5勝を上げランキング2位に、同時にルーキーオブザイヤーのタイトルを手にする。このルーキーイヤー5勝はルーキーイヤードライバーの中では歴代最多勝である。
この5勝で才能が一気に開花。翌2005年にはキャンピングワールドトラックシリーズと最上位のネクステルカップシリーズ(現スプリントカップシリーズ)でほぼ同時に最年少勝利記録を樹立し、キャンピングワールドトラックシリーズ3勝、ネーションワイドシリーズ1勝、スプリントカップシリーズ1勝の計4勝、そしてスプリントカップシリーズではルーキーオブザイヤーのタイトルも獲得した。
その後どこかしらのシリーズで年間1勝以上を獲得し続け、2008年Joe Gibbs Racingへ移籍した年には年間8勝をマーク。しかし全部チェイス前だったこともあり、ランキングは10位に留まった。
2009年シーズンは序盤を3シリーズ掛け持ち、後半はスポット参戦のトラックシリーズのレース数が少なく、2シリーズ掛け持ちという体勢が災いしたか、序盤こそ4勝で一時期最多勝となるものの、チェイスを18ポイント差でブライアン・ビッカーズに持って行かれるという最悪な展開でシリーズチャンピオンへの座を閉ざされる事となる。その後優勝は無かったがなんとか上位フィニッシュを繰り返し、結果シーズン13位でミリオンダラーボーナスを獲得。ネーションワイドシリーズでは第7戦でカール・エドワーズからトップを奪うとそのまま独走。年間最多勝となる9勝と賞金王も獲得し、2ndカテゴリーとはいえ自身初の戴冠となった。参戦が15戦止まりであったトラックシリーズも年間7勝と、3シリーズ合計20勝は年間最多勝である。2月21日のフォンタナ戦では、キャンピングワールドトラックシリーズとネーションワイドシリーズを同日に優勝するという史上初の快挙も達成した。
2010年、キャンピングワールドトラックシリーズをKyle Busch Motorsportsから、ネイションワイド&スプリントカップシリーズをJoe Gibbs Racingより参戦した。スプリントカップシリーズでは、第10戦リッチモンド、第12戦ドーバー、第24戦ブリストルの計3勝を挙げ年間ランキング8位。8月に行われたブリストル戦では、NASCAR史上初となる、キャンピングワールドトラックシリーズ、ネイションワイドシリーズ、スプリントカップシリーズの3カテゴリー同一週制覇(週末3連勝)を成し遂げた。
2011年も引き続き、キャンピングワールドトラックシリーズをKyle Busch Motorsportsから、ネイションワイド&スプリントカップシリーズをJoe Gibbs Racingより参戦。スプリントカップシリーズでは、第4戦ブリストル、第9戦リッチモンド、第18戦ケンタッキー、第23戦ミシガンの計4勝を挙げチェイス進出を決めるものの、チャンピオン最有力候補でありながら、チェイス戦に入ってからは失速。更には、第34戦テキサスの週末に行われたキャンピングトラックワールドシリーズにおいて、イエロー中の報復行動が問題となり、その週末のネイションワイド&スプリントカップ戦を出場停止処分(代役はそれぞれデニー・ハムリン&マイケル・マクドーウェル)となるなど、結果的にスプリントカップシリーズランキングを12位で終える事となった。 なお、この年行われたニューハンプシャーでのネイションワイド戦において、NASCARでの通算100勝目をマークした。
2012年1月19日、Kyle Busch Motorsportsより、ネイションワイドシリーズにモンスター・エナジー社と複数年契約を結び参戦する事が発表された。ドライバーはカイルをメインとして兄のカートとシェアすることが合わせて発表された。
ドライビングスタイル [編集]
前出の通りノーフィアーと呼ばれる過激な走りで常にトップを取りに行く走りが魅力。特にリスタートに関しての能力はずば抜けており、リスタートごとに抜群のスタートを決め順位を上げる姿はよく見られる。ただ過激な走りが行き過ぎ、軽い接触に対して報復としてぶつけ返しタイヤをパンクさせるなどの自爆も目立つ。他にも肝心な所でパンクしたりレーシングアクシデントでクラッシュさせられたりと運の悪さも目立ち、勝てるがランキングが上がらないドライバーである。
コース的な相性はローバンクショートトラック、ハイバンクショートトラック、インターミディエイトトラック、スーパースピードウェイとどのトラックでも勝てる器用さを持ち、特に2008年には36戦中2戦しかないロードコースの両方を制覇するなど、器用さはオーバルトラックの走り方だけに留まらない。 その走りは、USF1のドライバー候補に挙がっていたほどである。
外部リンク [編集]
The official website of Kyle Busch
The official website of Kyle Busch Motorsports
The Kyle Busch Foundation