日本ビクター

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JVCケンウッド > 日本ビクター
日本ビクター株式会社
Victor Company of Japan, Limited
Victor-logo.svg
JVC Logo.svg
Jvckenwood.jpg
旧日本ビクター本社工場
種類 株式会社
市場情報 非上場(以下は過去のデータ)
東証1部 6792 1960年11月15日 - 2008年9月25日
大証1部(廃止) 6792 1960年11月15日 - 2008年9月25日
略称 ビクター
JVC
本社所在地 日本の旗 日本
221-8528
横浜市神奈川区守屋町3-12
設立 1927年昭和2年)9月13日
(日本ビクター蓄音器株式会社)
業種 電気機器
事業内容 映像機器音響機器
情報通信機器
記録メディア
代表者 不破 久温(代表取締役社長)
資本金 516億1,500万円
2008年平成20年)3月31日現在)
売上高 連結:4,620億86百万円
単独:2,302億05百万円
(2009年3月期)
総資産 連結:2,579億77百万円
単独:1,950億19百万円
(2009年3月期)
従業員数 連結:11,611名 単独:3,460名
2009年3月末日現在)
決算期 3月31日
主要株主 株式会社JVCケンウッド 100%
主要子会社 ビクターエンタテインメント(株) 100%
JVCエンタテインメント(株) 100%
(株)テイチクエンタテインメント 96.1%
関係する人物 高柳健次郎テレビ受像機開発者)
髙野鎮雄VHS開発者)
松下幸之助パナソニック創業者)
外部リンク http://www3.jvckenwood.com/
特記事項:2011年10月1日に株式会社JVCケンウッドに合併。
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日本ビクター株式会社(にほんビクター、Victor Company of Japan, Limited)は、かつて存在した映像機器音響機器記録メディアを主製品とするメーカー。株式会社JVCケンウッド子会社であった。

日本では、蓄音機から聞こえる亡き飼い主の声に耳を傾ける犬(ニッパー)を描いて“His Master's Voice”と名づけられた絵を登録商標としていることで知られている。グローバルブランドを「JVC」、ブランドステートメントを「The Perfect Experience」としている。現在はJVCケンウッドが「JVC」ブランドを展開している。

なお社名の読みについて、定款に定めをおいておらず登記もされていないが、近年のテレビラジオ放送提供クレジットニュース番組などの報道では「にほんビクター」とアナウンスされている。

概説[編集]

現在の平面式レコードを開発したアメリカ資本のThe Victor Talking Machine Company(ビクタートーキングマシンカンパニー)の日本法人として設立。蓄音機の販売から始まり、現在ではテレビビデオDVDレコーダー/プレーヤー音響機器ビデオカメラ、磁気テープ、光ディスク等の研究・開発・製造・販売を行っている。

JVC」というブランド名は、日本ビクター設立当時の英語表記である「Japan Victor Company」から来ている。「JVC」は主にビクターが商標権の都合で使用できない海外市場で用いられてきたが、2009年からは日本市場にも導入されている。

家庭用ビデオフォーマットのVHSの開発メーカーであり、ソニーの開発した家庭用VTRベータマックスとのフォーマット争いは有名である。

2007年平成19年)8月10日ケンウッドとの資本提携により松下電器産業(現・パナソニック)の子会社ではなくなったが、その後も筆頭株主としてグループ企業に名を連ねていた。共に家庭用AV機器を主力とし競合関係にある。長年、パナソニック創業者である松下幸之助の方針により、相互補完・相互競争による発展という概念からグループ内でも独自性を持つ企業であった。2008年10月にケンウッドと経営統合し、持株会社のJVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社の子会社となり、パナソニックは持株会社の株主となった。

2011年5月13日、10月1日に日本ビクターを含む3事業会社と、JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社(同年8月1日に株式会社JVCケンウッドに改称)が合併する計画が発表された。

傘下にソフト会社であるビクターエンタテインメントテイチクエンタテインメントを始めとするソフト製作部門を持ち、ソニーに次ぐハード・ソフト事業を有する企業である。また、その他のグループ会社に、JVCエンタテインメントやビクターインテリアなど約100社の関連会社を持っていた。

歴史[編集]

設立から戦後まで[編集]

日本ビクター第一工場ファサード

1927年(昭和2年)に日本ビクター(設立時は日本ビクター蓄音器株式会社)は米国The Victor Talking Machine Company ビクタートーキングマシンカンパニーの日本法人として設立され、米国ビクターは明治時代から商品を日本に輸出していたが、関東大震災以後大幅な輸入品関税のアップによる収益性の悪化から、生産から販売まで行う現地法人として発足する。

1929年に米ビクターはRCA社に吸収合併される。これにより、RCAビクターに親会社が移行する。RCA社は、海外進出については合弁の方針であったので、東芝・三井からの出資を受ける。1931年には、現在の横浜本社工場に当時東洋一と呼ばれた蓄音機・レコードの製造工場となる第一工場を建設。経営基盤が強化された日本ビクター蓄音器は、RCA社から積極的な技術導入を進め、拡声器やラジオなど音のメディアへの積極的な進出をする。

1938年にRCA社は資本撤退、株式を戦前の日本を代表する日産コンツェルンに譲渡する。この時、犬のマークとビクターの社名の日本における使用権を、RCA社から譲り受ける。しかし、日産コンツェルンは、東京電気(現・東芝)に株式を売却し、東芝傘下に入る。ビクターはRCA社と資本関係が解消した後も、研究・技術開発で交流を続け、国産初のテレビ開発や、オーディオ技術へと結びつく。戦局が悪化する中で、敵性語排除の動きを受け、社名を日本音響(株)と改称。生産工場も軍の管理となる。しかしレコードのレーベル名は最後まで「ビクター」を存続させる。

戦後から松下の傘下へ[編集]

戦後に日本ビクターに社名を変更するが、主力の本社・横浜工場・東京文芸座スタジオ、レコード製造施設を空襲によって焼失。事業は壊滅状態となる。また、戦後の労働争議の混乱を受け、社長交代、親会社が東芝から日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行)へ移行する。興銀は役員を派遣し再建計画を策定したが、GHQより銀行の保有株式に制限が決まる。このため、興銀は東芝へビクター譲渡を打診するが、東芝も戦災で大きな被害を受け、さらにはビクターの債務返済問題がこじれて話はまとまらず、次に戦前の親会社であるRCA社に打診する。

1954年(昭和29年)に松下電器産業(現パナソニック)と提携し、社長には松下幸之助の同郷人で元海軍大将の野村吉三郎が就き、松下からの紹介により、住友銀行出身の(現三井住友銀行百瀬結を副社長に。松下本体からは専務の北野善郎を派遣するにとどまった。野村は就任すぐにRCA社を訪問し、松下との関係を修復、技術支援契約を結び従来の関係に戻す。

1946年(昭和21年)に高柳健次郎を技術部長としてビクターに迎え入れ(1950年には取締役技術部長に就任)、テレビ開発を再開させ、世界初の2ヘッドVTR開発(現在のVTRの原型)、ステレオレコードの業界標準の45/45方式、世界初の4chレコードCD-4(マルチサラウンド技術の原型)、プロジェクター等の技術の原点を作り上げた。高柳はのちにビクターの副社長と技術最高顧問を歴任する。

オイルショックからVHS[編集]

1960年には東京証券取引所・大阪証券取引所に上場する。しかし、テレビのダンピング疑惑が業界全体に広まり、主婦連を中心にテレビの不買運動に発展。特に高価格商品にウェイトを置くビクターにとって痛手であった。輸出に逃げ道を求めたが、ニクソンショックによりそれもできなかった。その後、オイルショックによる景気の失速による業界不振が加わり、ビクターは低迷する。このため、社長に松下電器出身の松野幸吉が就任。当時ドル箱であったレコード部門を分離子会社化(現ビクターエンタテインメント)して、本体はハード事業に集中することとなった。

1970年代に入り、オーディオブームが到来。AVメーカーはこぞってコンポーネントシステムを発売。ビクターもグラフィックイコライザーや世界初の1台でステレオ音響を実現する球形スピーカー、SXスピーカーシリーズを発売する。

1976年にはVHSビデオを開発。VHSは家庭用ビデオとしての要件を満たし、ソニーのベータマックスとの規格競争にも勝利し、日本初の世界標準規格。その後もVHSの基本規格を維持しながら、新たな規格を開発し、ビデオカメラ用のVHS-C、高解像度を誇るS-VHS、高音質のHi-Fi規格、デジタル音声規格S-VHS-DA、アナログハイビジョン対応のW-VHS、デジタル放送対応のD-VHSと広げる。これらの規格には上位互換性が保障され、ユーザーはデッキを買い換えても、以前のテープを使い続けることができる。VHSの影響でテープ、電子デバイス、映像ソフトなど新事業を拡大させるきっかけとなり、オーディオ・テレビなど既存の事業にも影響を与えた。

VHS発売当初には年間売上が1000億円台であった、その後、年平均40%の成長を続けわずか6年で売上高6000億円台に到達。利益はこの4年間で10倍まで拡大した。ビクターはVHSの海外進出に合わせて海外展開を積極的に拡大。生産・販売現地法人を各国に設立。また、各国のAV企業へ技術供与をすすめ、JVCのブランドを確立する。

1982年からは欧州でのプロモーション強化を狙いFIFAワールドカップのオフィシャルスポンサーの権利を獲得。これにより欧州におけるJVCブランドは絶対的な信頼を獲得することとなる。

VHSの成功後、既存のレコード設備を利用でき、絵の出るレコードとしてVHDを商品化して注目を浴びる。参入を表明したメーカーは多数あったが、ディスクの耐久性に劣り発売延期が相次いだこと、技術的な面ではパイオニアが発売したビデオディスク規格のレーザーディスク(LD)が優勢で、オーディオ市場がレコードから光学読み取りのCDに移行する中、VHDはディスク生産がレコード生産設備を活用できるという唯一のメリットを失う。日本ビクターは3-D立体再生機能、LDと同等の解像度を持つQX VHD、高音質再生を実現したVHD DigitalAudio、などの規格を開発し、市場に投入するもこれらの規格に対応したソフトはわずかしか発売されず、同時期、デジタルオーディオ方式としてDAD懇談会に次世代のオーディオディスク規格としてVHD規格を利用したAHD規格をCDと同時期に提案したものの、松下などの有力メーカーからの支持を得ることなく一般化することはなかった。

松下電器産業と共同でアナログハイビジョンのMUSE方式Hi-Vision VHDを開発を進めるものの、MUSE方式によるアナログハイビジョン放送が定着することがなかったことも重なり、市場には投入されずに終わる。その後VHDは業務用カラオケ市場に参入するが、レーザーディスクカラオケとの競合に加えて通信カラオケの普及によって完全に駆逐され市場から姿を消す。VHDの失敗はソフトの償却だけで200億円の負担となり、ビクターの凋落に拍車をかける原因となる。

1986年円高不況以降、VTR市場の成熟化と円高によって営業利益は低迷していたものの、100億円を超える(ピーク時は1988年の166億円)VHS関連特許使用料収入の下支えが、効果的なリストラ策を遅らせる要因となる。

バブル崩壊後[編集]

1991年には、主力のビデオ市場は海外市場の読み違いによって在庫が増え、翌年の売上が2割近く減る。また在庫処分の費用も増加し巨額の赤字が発生、加えてオーディオ市場の不振も加わり1993年には上場以来初の無配となる。この頃からVHSの関連特許が満期を迎える。

1994年には、20年ぶりに松下から守随武雄取締役を社長として迎え入れる。1991年から1995年まで、グループ会社を含め4000人の人員削減を実行。本社も日本橋から横浜工場に移転する。こうした中でも1991年業界初のワイドテレビを発売、ワイドテレビの先鞭をつける。また、独自の動画圧縮技術によって現在のDVDの原型となるビデオCD規格をフィリップス社と共同開発。その後のDVD規格の策定では、ビデオCDで得たMPEG技術を提供、ビクターの技術的優位性を確立する。

1995年には、ソニー・松下電器・フィリップス・日立・三菱と共同で、家庭用デジタルビデオカメラ規格のDV規格を開発。他社がセミプロ用のハイエンド機種を発売するなか、小型化を追求したデジタルムービーを発表。ビクターの技術力の高さを示す一方で、現在のデジタルビデオカメラ市場を切り開く原動力となり、大ヒットを記録する。リストラとヒット商品によって、1996年には復配するが、市場の悪化とヒット商品の不在によって、赤字とリストラによる黒字のサイクルを繰り返す。

1998年には、1990年より続いていた米パソコンゲーム会社大手エレクトロニック・アーツとの合弁事業エレクトロニックアーツ・ビクターを解消。

2001年には、松下出身の寺田雅彦が社長就任。2001年から2006年までに単独で3500人削減し、国内外37あった製造拠点を23拠点に集約、映画・ゲームといったノンコア事業の売却撤退を進める。一方でビクター独自の技術を活かしたオンリーワン戦略を進め、個性派企業への転身を図る。主な商品として、ハードディスク搭載MPEGムービー「エブリオ」、世界初の木製振動板「ウッドコーン」(コンポ・単品スピーカー・カースピーカーに搭載)、世界初の家庭用ハイビジョンカメラを発売。独自開発した映像素子(D-ILA)を搭載したリアプロジェクションテレビ・ハイエンドプロジェクターの発売を行う。また、DOS/Vパソコンの市場に参入したが、伸び悩んだ。こうしたリストラと独自商品によって2002年に約445億円の損失から、2004年には156億円の純利益を計上し業績回復を果たす。しかし急速のデジタル家電の価格低下、市場環境の急速な変化、海外市場を中心にノンブランドの台頭、デジタル製品特有の商品サイクルの短命化と、開発工程の膨張によるDVDレコーダーの重大な欠陥による損失と、ブランドイメージの悪化によって2004年には赤字転落、2005年度には306億円の当期純損失を計上する。このため再度のリストラを行わざるを得ない状況。また、この業績悪化のため、1982年より協賛してきたFIFAワールドカップも2006年のドイツ大会で、2010年には1978年からスポンサードして来た「東京ビデオフェスティバル」の後援を降りざるを得なくなった。

松下傘下からケンウッドとの経営統合へ [編集]

2007年10月1日、ケンウッドとビクターの折半出資で技術開発合弁会社、J&K テクノロジーズ株式会社を新設。カー及びホームエレクトロニクス技術開発のコラボレーションがスタートした。

2008年5月12日、6月の株主総会の承認後を経て10月に共同持株会社、JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社を設立し(本店は横浜市のJVC本店内)経営統合することが発表された。これに伴いJVC及びケンウッドは上場廃止、傘下の事業会社となり、予定通り10月1日に共同持株会社が上場された。

前述の通り、2011年10月1日をもってJVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社から商号変更した株式会社JVCケンウッドに吸収合併され、これにより日本ビクター株式会社なる法人は84年の歴史に幕を下ろした。

ビクターの主な事業[編集]

ホームディスプレイ事業[編集]

D-ILAプロジェクター
1992年にアメリカの航空宇宙産業大手ヒューズ・エアクラフトとプロジェクション映像システム事業を共同で立ち上げILA方式スーパープロジェクターを開発する。このプロジェクターはCRT(ブラウン管)を用いて映像を映し出す。
1995年にビクターはヒューズとの合弁会社の経営権を獲得し本格的に開発を始め、ブラウン管部分を反射型液晶ディバイスであるD-ILAを独自開発。
D-ILA(LCOS方式)は理論的に高画質化に向き、構造はシンプルであり、従来の透過型液晶パネルが開口率50%程度なのに対し、D-ILA は90%以上の開口率を持ち、輝度が高く消費電力を低く抑えることができ、無機配向膜を用いており半永久的な素子寿命を持つという特徴を持っている。しかし製造方法が難しく、ビクター以外ではソニーが開発量産化に成功している。(ソニーではSXRDと呼ばれている)
D-ILAを使用したプロジェクターでは、業務用を中心に商品を展開、D-ILAは液晶等の他の素子を使ったモデルと比べて色の表現力や明るさに優れている。100万円を超えるフルハイビジョン対応の高級機に集中しており低価格帯の製品が少なかったが、2007年にはD-ILAの高画質にさらに磨きをかけ、かつ低価格を実現した機種であるDLA-HD1、DLA-HD100を続けて市場に投入、数々の賞を獲得した。
またこのD-ILA素子を利用したハイビジョンを超えるスーパーハイビジョンタイプのプロジェクターの開発をNHKと共同で進め、ハイビジョンの4倍の解像度を誇る4K2Kプロジェクターやその4倍の8K4Kプロジェクター(愛・地球博内グローバル・ハウスにあるNHKのスーパーハイビジョンシアター用プロジェクターとして)などの開発。またコダックと共同でデジタルシネマ開発を進め、D-ILAプロジェクターを採用した投射システムを開発。
D-ILAデバイスはテレビにも導入された。ビクターは古くからブラウン管を用いた3管リアプロジェクションテレビを販売していた。2004年にD-ILAデバイスを導入。2005年にはD-ILAの生産量をこれまでの3倍に増強し発売した。等の技術展示会では高輝度LEDを使うことによってランプ寿命の問題を無くすことのできるモデル、110インチの超大型のプロジェクションテレビを発表している。また、2007年には奥行き25cm程度で壁掛けも可能な薄型のプロジェクションテレビを他社に先行して北米と欧州で発売した。
液晶テレビ
2004年CPU内蔵システムLSIであるGENESSAを開発した。GENESSAの主な働きは、それぞれのディスプレイに合わせた最適な映像になるように白飛びや黒つぶれを押さえつつコントラスト補正(ガンマ補正)をし、さらに色彩感を出すために200万通りにプログラムされている候補の中から最適な色づけをするという動作を秒間60回、映像の1コマ毎に行うものである。2004年に発売したGENESSA搭載モデルから画質の評価が格段にあがり、シェアも伸びた。2005年にはGENESSAの機能が向上して、ノイズリダクション機能などが追加された。2007年にはx.v.Color対応、信号処理の12ビット化、動き補償型の3次元ノイズリダクション機能などを搭載した新型のGENESSA PREMIUMを開発した。
動作を解消する技術として、液晶テレビの周波数を120Hzとして液晶のホールド時間を短くした、残像低減技術「高速液晶ドライバー」も他社に先駆けて市場に投入。2007年には周波数を180Hzまで高めることでさらに残像感を小さくする技術や、バックライトにLEDを搭載して画面のエリア毎に輝度をコントロールすることでコントラストを飛躍的に向上させる技術、LCDのバックライトを自社開発することでテレビの電気回路を搭載しつつ厚み3.7センチの薄型化を達成した試作品を技術展示した。ビクターのテレビの商品名はEXE
液晶ディスプレイ
2009年7月、テレビチューナーを搭載しない高級液晶ディスプレイXIVIEWの1号機を発売。

オーディオ事業[編集]

ピュアオーディオ
スピーカー部門では1本で360度の音の広がりを実現した世界初の球形スピーカーを開発、又世界初のディスクリート4チャンネルのCD-4を完成させた。木製コーンを使用したウッドコーンスピーカー、幅3センチの細いDDスピーカー、コーンの振動位置を中央からずらしたオブリコーンスピーカーを開発。アンプ技術では増幅した信号を入力時のアナログ・デジタル波形を比較し補正することで高音質を実現したデジタルアンプのDEUS、音声技術ではデジタル音声の劣化を防ぎ、圧縮によって欠けた信号を予測し、復元する「K2テクノロジー」を開発。特にK2テクノロジーはスタジオやマスタリングといったビクターの関連企業(ビクターエンタテインメント)でソフト製作に携わるエンジニアが参加し開発を進め、多くの業務用機器を始めビクターの民生用機器、果ては同社のデジタルオーディオプレーヤーやauブランドを展開するKDDI沖縄セルラー電話向けの一部を除く2008年春モデル以降の「KCP+」対応の携帯電話(「net K2(ネット・ケイツー)」として搭載)にも搭載されている。
ゼネラルオーディオ
2000年にカラフルなイルミネーション重視の「Lip×Lap」(リップ×ラップ)「Clavia」(クラビア)シリーズ製品の発売。これにより、今までの同社のゼネラルオーディオに対する「クールなイメージ」を「ファッショナブルなイメージ」へと大きく変えるものとなった。 2007年より「Memory COMPO」シリーズの展開もスタートした。
カーオーディオ
カーオーディオ部門では海外向け、国内向けも「JVC」ブランドで展開している。2007年6月に国内向け生産を打ち切った。
ポータブルオーディオ
2001年からデジタルオーディオプレーヤー事業へ参入していたが、急速なデジタルオーディオプレーヤーの台頭によって、2005年から本格的にデジタルオーディオプレーヤーを発売。記録媒体にメモリーやHDDを使用している機種、独自のK2テクノロジーを採用したモデルを販売しておりラインナップを拡充させていた。しかし、市場が縮小するMDをこれらのデジタルオーディオプレーヤーではカバーしきれず不振が続き、2009年夏に全機種の生産を終了し、2010年5月下旬に事実上撤退した。商品名はalneo

ビデオカメラ事業[編集]

DVビデオカメラ
HDDビデオカメラ

ホームストレージ事業[編集]

VHS
DVDレコーダー
Blu-ray Disc

メディア事業[編集]

テープ時代から手がける記録メディア事業は、ビクターのハードメディアで支える事業であった。現在ではVHS・ビデオカメラ用MiniDVテープ、CDDVDMD等のブランクディスクなどを主に手がけている。特に記録型光ディスクのブランクメディアにおいてはDVD-RWで他社へのOEM供給を含めてトップシェアであり、ハード事業では手がけていない8cmDVD(家庭用ビデオカメラ用)も扱っている。

しかし、全体の業績悪化により、メディア事業も整理対象となり、2008年7月1日ビクターアドバンストメディアとして分社し、同年10月1日に同社株式の65%が太陽誘電に売却された。

ソフト事業[編集]

映像・音楽ソフトの製作・製造・流通・販売など多岐にわたる事業を関連会社によって行っている。制作(上流)から流通(下流)まで一手に引き受けられるのは日本ではソニーグループとビクターしか存在せず、ソフト流通ではシェア60%を誇った時期もあった。
1990年代にはテレビアニメ『メタルファイター・MIKU』や『トライガン』等を制作していた事もあった。現在はビクターエンタテインメントと同じく関連会社のフライングドッグに引き継がれている。

産業用機器部門[編集]

電子ディバイス部門[編集]

HDD用モーター、光ピックアップ、D-ILA素子、高密度ビルドアップ基板VILを手がける。HDD用モーターについては国内第2位のシェアを保ち、ブラウン管用の偏向ヨークやFDDモーターなど、旧来の主力製品に変わる商品として育ちつつあった。2008年にモーター事業はJVC モーター分社化した後、日本産業パートナーズ(JIPファンド)に、また、サーキット事業をメイコーにそれぞれ譲渡した(脚注参照)。

松下電器産業(現・パナソニック)との関係[編集]

2011年3月現在、パナソニックはJVCケンウッド株式を19.17%保有する筆頭株主。

ケンウッドとの統合までは、松下電器産業がビクターの株式のうち52.4%を保有する筆頭株主で、親会社。

2001年に社長に就任した中村邦夫の方針によって、2003年度から松下グループの事業セグメントの再編によって、ビクターは一つのセグメントとして確立し、グループの事業計画にも参加し、研究開発や部材の共同購入など松下との連携を進める一方で、経営の自主性と責任をより一層持つこととなった。当時の松下グループの中でビクターの売上は全体の7%程。

2007年7月24日、日本ビクターおよびケンウッドは、両社の取締役会において、同年10月期にカーエレクトロニクスとポータブルオーディオ事業分野の協業を開始し、将来的には共同持ち株会社による経営統合を目指すことを決定し松下電器とともにその方針を発表した。同年8月10日にケンウッドとその筆頭株主であるスパークス運用ファンドに対する第三者割当増資を行ない、ケンウッドの持ち株比率が17.1%、松下電器の持ち株比率が36.9%となり、ケンウッドは日本ビクターの第2位の株主になると同時に日本ビクターが松下電器の連結子会社から外れ持分法適用関連会社となった(日本ビクターのニュースリリース)。

かつて参入していた事業[編集]

PHS端末事業[編集]

1995年から1999年頃にかけて、DDIポケット(現ウィルコム)向けにPHS端末を供給していた。現在は事業撤退している。

作っていた端末[編集]

  • TN-PZ1
    • 1995年7月1日発売、幅50mm×高さ120mm×奥行き26mm、145g
  • TN-PZ3/TN-PZ110/TN-PZ210
    • 1996年5月7日発売、幅45mm×高さ120mm×奥行き25mm、128g
  • TN-PZ5
    • 1997年3月発売、幅43mm×高さ115mm×奥行き21mm、94g
  • TN-PZ7
    • 1997年発売、幅41mm×高さ115mm×奥行き21mm、89g
  • TN-PZ77
    • 1998年10月15日発売、幅37mm×高さ122mm×奥行き19mm、66g
  • AP-V102
    • 1998年11月発売、幅43mm×高さ115mm×奥行き21mm、94g

テレビ受像機およびディスプレイ事業[編集]

かつて生産されていたブラウン管テレビ(主に「MEGA」シリーズ)のブラウン管は三菱電機より供給されていた。また薄型テレビ(プラズマ・液晶)も「EXE」と名付けられて生産されていたが、売り上げ不振による赤字が増大したことから2008年限りでテレビ受像機およびディスプレイ生産より完全撤退した。

家庭用電話機事業[編集]

コードレスホンなど、かつて発売していた。特にビクターらしく、ステレオコンポにコードレスホンを搭載したこともあった。留守番電話の録音にはコンパクトカセットを利用出来た。

レコード事業[編集]

かつてはRCAレコードおよびBMGとの合弁によるBMGビクター(現:アリオラジャパンの前身)、MCAレコードとの合弁によるユニバーサル・ビクター(ユニバーサルミュージック(旧ポリグラム)が吸収)が存在した。

音楽教室事業[編集]

1960年代後半からビクトロンを対象とした「ビクター音楽教室」を全国展開していた。1990年からは松下電器産業のテクニトーンによる音楽教室と事業統合し、両社合弁の「ビクターテクニクス音楽教室」を展開していたが、2001年ローランドに事業譲渡し撤退。特約楽器店運営の一部教室はローランドミュージックスクールとして存続している。

なお、専門家の育成を目的とした音楽教室「ビクター音楽カレッジ」は関連企業として現在も継続している。

楽器事業[編集]

1958年電子オルガンを発表し楽器事業に参入したが、1991年までに楽器事業から撤退している。

エアコン事業[編集]

三菱重工より事業所向け大型エアコン等をOEM供給を受けて、Victorブランドで販売していた。

ゲーム機事業[編集]

セガのハードウェア、メガドライブセガサターンの互換機を販売。メガドライブ互換機はメガCD一体型を販売したが、セガサターンはセガ発売の物と同等の仕様であった。またセガサターンの周辺機器である「ツインオペレーター」(セガサターンでビデオCDフォトCDが閲覧可能になる)も販売。ドリームキャストの互換機は未発売。いずれもセガ販売の物が中心であり、ビクター製のハードはライバルであるソニーグループのSCE販売のプレイステーションには遠く及ばなかった。

  • ワンダーメガ 1992年4月1日メガドライブとメガCDの一体型機。定価82,800円。CD-G再生機能とマイク端子を搭載し、周辺機器であるメガCDカラオケなしでカラオケが楽しめる。MIDI出力端子も搭載。同仕様の機器がセガからも発売されている。
  • ワンダーメガ2 ワンダーメガからMIDI出力端子を省き、代わりに6ボタン仕様のワイヤレスコントローラーが同梱されている機種。定価59,800円。こちらはビクター版のみ発売。
  • Vサターン 1994年11月22日発売(セガサターンと同時)。オープン価格だが同等の価格で販売されていた。仕様は色や内蔵ソフトを除きセガサターンと全く同じである。1996年6月7日にはカラーリングを変更し、実売価格をあわせた(オープン価格)後期型も発売された。

パソコン事業[編集]

MSX規格より参入し、MSX2規格にも対応した機種を発売していた。 その後、暫くパソコン本体を販売する事はなかったが、WindowsXP発売後のモバイルPC市場に参入し、WindowsCE対応のInterLinkCEシリーズとWindowsXP対応のInterLinkXP/XVシリーズを販売していた。(現在は生産終了)

InterLinkXP/XVシリーズはすべてコンパクト性を特徴として、全モデルのポインティングデバイスがスティックタイプで統一されている。

また、映像編集を意識してか、MP-XP3210以外の全モデルでi.LINK(IEEE1394)端子が装備されている。 本体はASUSからのOEMである。

一時期は、マウスなどの周辺機器や、業務用ディスプレイやHDDも生産、販売していた。

業務用カラオケ事業[編集]

1995年から2006年まで、子会社のビクターレジャーシステムから業務用通信カラオケ「孫悟空」を発売していたが、2006年4月、ビクターレジャーシステムの全株式をエクシングへ譲渡し撤退。

インテリア事業[編集]

70年代から80年代中期にかけて、家具・インテリア事業に参入し、「ソフィット(Sofitt)」というブランドで発売していた。オーディオ/ビジュアル機器と組み合わせるような提案を行うことは一切なかった。

主な事業所[編集]

  • 本社・横浜事業所(横浜市神奈川区守屋町3-12)
    • テレビ、プロジェクタ、ビデオカメラ、Blu-ray Disc製品の開発
  • 横須賀事業所(神奈川県横須賀市神明町58-4)
    • 業務用製品の生産、要素技術の研究開発
  • 前橋事業所(前橋市大渡町1-10-1)
    • オーディオ製品の開発

かつての事業所[編集]

  • 岩井工場 (茨城県坂東市(旧・岩井市)大字辺田1106
    • ブラウン管テレビを製造していたが、タイ工場へ移管したため閉鎖された。跡地にはヨークタウン坂東が建設された。
  • 小山工場 (栃木県小山市中久喜1475-1)
    • ブラウン管テレビの電子部品を製造していたが、中国へ移管したため閉鎖された。
  • 鶴ヶ峰工場 (神奈川県横浜市旭区今宿東町1532)
    • デジタルビデオカメラの基幹部品塔を製造していたが、大和工場に移管したため閉鎖された。跡地にはマンションが建設された。
  • 林間工場(神奈川県大和市下鶴間1612-1)
    • CD、DVD、BDソフトの生産、ビクタークリエイティブメディアとして分社化
  • 水戸工場(茨城県水戸市元吉田町1030)
    • 記録メディアの開発・生産、ビクターアドバンスドメディアとして分社化
  • 大倉山工場(神奈川県横浜市港北区太尾町804)
    • 旧コンポーネント&デバイス事業本部 精機事業部。プリント配線板の工場だったが事業は横浜工場に統合され閉鎖。
  • 八王子工場[1]東京都八王子市石川町2969-2、北八王子工業団地
    • 業務用製品の開発・生産を行っていたが用地売却に伴い横須賀工場へ
  • 藤枝工場(静岡県藤枝市花倉430-1)
    • HDD用モーターの開発・生産を行っていたが、日本産業パートナーズに譲渡

年表[編集]

  • 1927年昭和2年)9月13日 - 日本ビクター蓄音器株式会社設立。
  • 1943年(昭和17年) - 商号を日本音響株式会社に変更。
  • 1945年(昭和20年) - 商号を日本ビクター株式会社に変更。
  • 1951年(昭和26年) - 音楽部門、レコード会社では日本初のテープ・レコーダー(米マグネコーダ製)を導入、運用開始。
  • 1953年(昭和28年)10月 - 音楽部門、LPレコードの発売を開始[2]
  • 1954年(昭和29年) - 松下電器産業(現パナソニック)と提携(現・筆頭株主)。
  • 1957年(昭和32年)4月 - 音楽部門、日本初のステレオ・テープ・ソフトを発売(ベルリオーズ「幻想交響曲」ミュンシュ指揮ボストン交響楽団)。
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - RIAA等で正式決定した45/45方式のステレオレコードが再生できる日本初のステレオセットSTL-1を発売。
  • 8月1日 - 音楽部門、日本初のステレオ・レコードを発売[3]
  • 10月1日 - 音楽部門、録音からプレスまで純国産のステレオLPを2枚発売(歌舞伎「勧進帳」(SLJ-2001)ほか)。
  • 1959年(昭和34年) - 2ヘッドVTR開発(世界初)。
  • 1960年(昭和35年) - カラーテレビ発売。
  • 1972年(昭和47年) - 音楽部門を分社し、ビクター音楽産業(現在のビクターエンタテインメント)設立(現・連結子会社)。
  • 1976年(昭和51年)10月 - 家庭用VHSビデオデッキ第1号機(HR-3300)、発売[4]
  • 1977年(昭和52年)4月 - CI導入、創業時から使用されてきた「VICTOR」から「Victor」表記に変更される。
  • 1980年(昭和55年) - VHS一体型ビデオカメラ発売。
  • 1983年(昭和58年) - 音声専用ヘッドによるFM深層記録(ハイファイ)を取り入れた事で、VHSの音質を飛躍的に向上させた。また、同技術を採用した機種「HR-D725」を発売。
  • 1987年(昭和62年) - 輝度信号の大幅なハイバンド化により、VHSの画質を飛躍的に向上させた新規格、「S-VHS方式」を発表。家庭用ビデオとして、世界で初めて放送クオリティーに迫る高画質を実現させた。また同年、S-VHS規格対応の第1号機として「HR-S7000」を発売。
  • 1989年平成元年)6月 - K2インターフェイスを導入したCDプレーヤーの第1号機発売。
  • 1995年(平成7年) - 20ビット以上のDIGITAL K2技術を使い、マスタリング、盤質、製造品質を大幅改良した高品質CDソフト 「XRCD」を発表。
  • 1999年(平成11年) - D-VHSレコーダ発売。
  • 2003年(平成15年) - 家庭用としては世界初となる、デジタルハイビジョンビデオカメラ発売。ウッドコーンスピーカー発売。
  • 2004年(平成16年) - D-ILAリアプロジェクションテレビ発売(北米)。HDDビデオカメラ発売。
  • 2005年(平成17年) - net K2技術の開発。業界初の高速液晶ドライバー技術を開発。
  • 2007年(平成19年) - ケンウッドと業務提携。松下電器産業の子会社から関連会社となる。
  • 2008年(平成20年) - サーキット事業をメイコーに譲渡[5]

脚注[編集]

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  1. ^ 2009年8月28日、工場の売却を発表。
  2. ^ 第1号はアルフレッド・コルトーのピアノによるショパンピアノ作品集(LS-2001)で、彼の1952年の来日の際にテープ・レコーダーを使って、同年12月1日と3日、当時東京築地にあった日本ビクター・スタジオにて録音された音源を使用している。現在は、BMG JAPANからCDにて発売されている。
  3. ^ この日の初回ステレオ発売はLP3枚、EP2枚。内容は、クラシック音楽では全て12インチLPで、チャイコフスキー作曲「ピアノ協奏曲第1番エミール・ギレリス(ピアノ)フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団(SLS-2001)、ベートーヴェン作曲、「ヴァイオリン協奏曲ニ長調ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS-2002)の以上2枚で、いずれも価格は2800円。ポピュラー音楽では、12インチLPが「ステレオ・ボール・ルーム」(ラルフ・フラナガン楽団、フランキー・カール楽団)(SLS-5001)の1枚(価格:2500円)、7インチの45回転EP盤が、「王様 プラード・イン・ウルトラ・Hi-Fi」(ペレス・プラード楽団)(SEP-1001)、「魅惑の東洋の旅 第1集(Around the Far East)」(アルマンド・フェデリコ楽団)(SEP-1002)で、いずれも価格は900円だった。これらのレコードは全て米RCAビクター原盤によるもので、国立国会図書館に所蔵されている。
  4. ^ 定価は25万6千円で、留守番録画用タイマーは別売りで1万円であった。当機種はシャープ三菱電機等、多数のメーカにOEM供給をした。
  5. ^ サーキット事業の譲渡に関するお知らせ 2008年1月30日 [1]
  6. ^ 会社分割によるモータ事業部門の分社化及び事業譲渡に関するお知らせ 2008年02月27日 [2]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]