日本ビクター

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日本ビクター株式会社
Victor Company of Japan, Limited
種類 株式会社
市場情報
東証1部 6792 1960年11月15日上場
大証1部 6792 1960年11月15日上場
略称 ビクター、JVC
本社所在地 〒221-8528
神奈川県横浜市神奈川区守屋町三丁目12番地
電話番号 045-450-1580
設立 1927年(昭和2年)9月13日
(日本ビクター蓄音器株式会社)
業種 電気機器
事業内容 映像機器音響機器
情報通信機器
記録メディア
代表者 佐藤 国彦(代表取締役社長)
資本金 516億1,500万円
(2007年8月10日現在)
売上高 連結:6,584億49百万円
単独:3,307億43百万円
(2008年3月期)
総資産 連結:3,150億03百万円
単独:2,408億07百万円
(2008年3月期)
従業員数 連結:25,540名 単独:6,452名(2007年9月末日現在)
決算期 3月31日
主要株主 松下電器産業(株) 36.81%
(株)ケンウッド 17.00%
HSBC Fund Services SPARX Asset Management Corporated 6.57%
HSBC Fund Services SPARX Asset Management Limited US Client 6.18%
(2007年9月30日現在)
主要子会社 ビクターエンタテインメント(株) 100%
JVCエンタテインメント(株) 100%
(株)テイチクエンタテインメント 96.1%
関係する人物 高柳健次郎テレビ受像機開発者)
髙野鎮雄VHS開発者)
松下幸之助松下電器産業創業者)
外部リンク www.jvc-victor.co.jp
  

日本ビクター株式会社(にほん-、Victor Company of Japan, Limited)は、映像機器音響機器記録メディアを主製品とするメーカーであり、日本では蓄音機から聞こえる亡き飼い主の声に耳を傾ける犬(ニッパー)とキャッチコピー “His Master's Voice” で知られている。カーオーディオならびに海外でのブランド名はJVC、ブランドステートメントを “The Perfect Experience” としている。本社は神奈川県横浜市神奈川区守屋町3-12。なお、登記上の社名の読みは「にほんビクター」であるが、近年のテレビラジオ放送提供クレジットニュース番組などの報道では「にっぽんビクター」とアナウンスされている。

目次

[編集] 概説

現在の平面式レコードを開発したアメリカ資本のThe Victor Talking Machine Company(ビクタートーキングマシンカンパニー)の日本法人として設立。蓄音機の販売から始まり、現在ではテレビビデオDVDレコーダー/プレーヤー音響機器ビデオカメラ、磁気テープ、光ディスク等の研究・開発・製造・販売を行っている。

家庭用ビデオフォーマットのVHSの開発メーカーであり、ソニーの開発した家庭用VTRベータマックスとのフォーマット争いは有名である。

2007年8月10日をもってケンウッドとの資本提携により松下電器産業の子会社ではなくなったが、引き続き筆頭株主であり、グループ企業に名を連ねている。共に家庭用AV機器を主力とし競合関係にある。長年、松下電器創業者である松下幸之助の方針により、相互補完・相互競争による発展という概念からグループ内でも独自性を持つ企業であった。

ビクター傘下にソフト会社であるビクターエンタテインメントテイチクエンタテインメントを始めとするソフト製作部門を持ち、ソニーに次ぐハード・ソフト事業を有する企業である。また、その他のグループ会社に、JVCエンタテインメントやビクターインテリアなど約100社の関連会社を持つ。

[編集] 歴史

[編集] 設立当初〜戦時中まで

日本ビクター(設立時は日本ビクター蓄音器株式会社)は1927年に米国The Victor Talking Machine Company ビクタートーキングマシンカンパニーの日本法人として設立された。米国ビクターは明治時代から商品を日本に輸出していたが、関東大震災以後大幅な輸入品関税のアップによる収益性の悪化から、生産から販売まで行う現地法人として発足する。

設立から間もなく、1929年に米ビクターはRCA社に吸収合併される。これによりRCAビクターに親会社が移行する。RCA社は海外進出については合弁の方針であったので東芝三井からの出資を受ける。1931年には現在の横浜本社工場に当時東洋一と呼ばれた蓄音機・レコードの製造工場を建設。現在も建設当時の建物が保存されており、横浜市認定歴史的建造物に指定されている。 経営基盤が強化された日本ビクター蓄音器はRCA社から積極的な技術導入を進め、拡声器やラジオなど音のメディアへの積極的な進出をする。

 特にラジオは当時生産できる会社が限られ、特に高級品を中心とした製品を展開し、旺盛な軍需景気に支えられビクターの第一次成長期を支える原動力となった。しかし満州事変以降日米関係が急速に悪化、1938年RCA社は資本撤退、株式を戦前の日本を代表する日産コンツェルンに譲渡する。この時犬のマークとビクターの社名の日本における使用権をRCA社から譲り受ける。しかし日産コンツェルンは間もなく東京電気(直後に芝浦製作所と合併して東京芝浦電気となる。現在の東芝)に株式を売却し、東芝傘下に入る。ビクターはRCA社と資本関係が解消した後も、研究・技術開発で交流を続け、これが後の国産初のテレビ開発や現在でも定評のあるオーディオ技術へと結びつく。戦局が悪化する中で、敵性用語排除の動きを受け、社名を日本音響(株)と改称。生産工場も軍の管理となる。しかしレコードのレーベル名は最後まで「ビクター」を存続させる。

[編集] 戦後〜松下資本傘下へ

戦後に日本ビクターに社名を変更するが、主力の本社・横浜工場・東京文芸座スタジオ、レコード製造施設を空襲によって消失。事業は壊滅状態となる。また戦後の労働争議の混乱を受け社長交代、親会社が東芝から日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行)へ移行する。興銀は役員を派遣し再建計画を策定したが、GHQより銀行の保有株式に制限が決まる。このため興銀は東芝へビクター譲渡を打診するが東芝も戦災で大きな被害を受け話はまとまらず、次に戦前の親会社であるRCA社に打診する。ここで松下電器産業の社長であった松下幸之助がこの話を聞きつけ興味を持つ。幸之助にとってビクターの蓄音機レコードは事業を立ち上げた当初から憧れであり、つねづね手がけたい事業のひとつであった。当時レコードを生産できる企業はビクターとコロムビア(現コロムビアミュージックエンタテインメント)しか存在せずどちらも米国資本の流れを組む企業であった。その一つであるビクターを米国資本に戻しては、日本の電機産業によって将来大きな脅威になると判断。当時ビクターは売上が2500万円程度であったにも拘わらず、債務超過が5億円に達していたが幸之助は工場もろくに見ずに再建を受け入れた。当時松下の資本金が5億円程度であったことを考えると、いかに幸之助が犬のマークにほれ込んだか分かる。再建にあたり幸之助はビクターを安易に合併させず存続を決定。幸之助はビクターの顧客を満足させるのはビクターの技術と社員だとして、松下からは経営の理念だけを持ち込む方針を決めた。ちなみに幸之助自身も1962年からビクターの会長に就任している(その後相談役に就任)。

幸之助は人事についても露骨な進駐軍的な手法は避け、社長には幸之助の同郷人で元海軍大将の野村吉三郎が就き、松下からの紹介により、住友銀行出身の(現三井住友銀行)百瀬結を副社長に。松下本体からは専務の北野善郎を派遣するにとどまった。野村社長は就任すぐにRCA社を訪問。松下資本となった経緯でこじれた関係を修復、技術支援契約を結び従来の関係に戻す。こうした経緯から世界初の4chレコードであるCD-4を開発した際RCA社と松下電器で採用され、この時に導入された技術がビクターが得意とするオーディオ技術に結びつくこととなる。

また世界初のブラウン管テレビを発明し「テレビの父」と呼ばれた高柳健次郎をビクターに迎え入れ、テレビ開発を再開させる。高柳がビクターに入社したのは、ビクターが戦前のRCAの技術導入でテレビを開発したことがあり、自分の技術とドッキングすれば実用化が早まると考え、さらには戦時中の高柳と共に海軍で研究開発を行っていた技術者を受け入れるという条件を唯一ビクターだけが受け入れたことによる。高柳はビクターのテレビ開発に大きな影響を与えただけではなく、世界初の2ヘッドVTR開発(現在のVTRの原型)、ステレオレコードの業界標準の45/45方式、世界初の4chレコードCD-4(マルチサラウンド技術の原型)、プロジェクター等の技術の原点を作り上げビクターの技術の基礎を作り上げた人物である。高柳はのちにビクターの副社長と技術最高顧問を歴任する。

[編集] オイルショック〜VHSによる成長と後退

テレビ事業が本格的に立ち上がり、ビクターは急速に経営の安定度を増し、1960年には東京証券取引所大阪証券取引所に上場する。しかしテレビのダンピング疑惑が業界全体に広まり、主婦連を中心にテレビの不買運動に発展。特に高価格商品にウェイトを置くビクターにとって痛手であった。輸出に逃げ道を求めたがニクソンショックによりそれもできなかった。その後オイルショックによる景気の失速による業界不振が加わりビクターは低迷する。このため社長に松下電器出身の松野幸吉が就任。当時ドル箱であったレコード部門を分離子会社化(現ビクターエンタテインメント)して本体はハード事業に集中することとなった。

1970年代に入り、オーディオブームが到来。AVメーカーはこぞってコンポーネントシステムを発売。ビクターもグラフィックイコライザーや世界初の1台でステレオ音響を実現する球形スピーカー、現在まで高い評価を受けているSXスピーカーシリーズを発売する。

1976年VHSビデオを開発。これによりビクターは第2次成長期に入る。VHSは家庭用ビデオとしての要件を満たし、ソニーのベータマックスとの規格競争にも勝利し、日本初の世界標準規格として現在でも多くの家庭で利用されている。その後もVHSの基本規格を維持しながら、新たな規格を開発した。ビデオカメラ用のVHS-C、高解像度を誇るS-VHS(のちにカメラ用のS-VHS-Cも)、高音質のHi-Fi規格、デジタル音声規格S-VHS-DA、アナログハイビジョン対応のW-VHS、デジタル放送対応のD-VHSと広げる。これらの規格には上位互換性が保障され、ユーザーはデッキを買い換えても、以前のテープを使い続けることができる。この点がVHSの最大の特徴でもある。

VHSの成功は単にビデオだけに留まらず、テープ、電子デバイス、映像ソフトなど新事業を拡大させるきっかけとなり、オーディオ・テレビなど既存の事業にも影響を与えビクターの知名度を一気に高めた。この事は売上高を見ればよく分かる。VHS発売当初には年間売上が1000億円台であった、その後、年平均40%の成長を続けわずか6年で売上高6000億円台に到達。利益はこの4年間で10倍まで拡大した。VHSの製造には精密機器のノウハウが必要であり、当時VTRを手がける企業は少なくビクターが他社の生産請け負うOEM供給を積極的に行った事、採用メーカーが増えるほど特許料が入るため業績が拡大したのである。ビクターはVHSの海外進出に合わせて海外展開を積極的に拡大。生産・販売現地法人を各国に設立。又各国のAV企業へ技術供与をすすめ、JVCのブランドを確立する。また1982年からは欧州でのプロモーション強化を狙いFIFAワールドカップのオフィシャルスポンサーの権利を獲得。これにより欧州におけるJVCブランドは絶対的な信頼を獲得することとなる。

VHSの成功後、次なる世界規格を目指してビデオディスク規格であるVHDを開発。既存のレコード設備を利用でき、絵の出るレコードとして注目を浴びるが、そもそもディスクの耐久性に劣り発売延期が相次ぎ信頼性への疑問が高まった。そのため技術的な面ではパイオニアが発売したビデオディスク規格のレーザーディスクが優勢であった。この間オーディオ市場がレコードからCDに急速に移行するなかで、VHDはディスク生産がレコード生産設備を活用できるという唯一のメリットを失う。さらにCDの普及からレーザー技術が急速に一般化しLDプレーヤーの低価格化を実現し、LDディスク生産性の向上をもたらした。また機能面でもレーザーディスクプレーヤーにCD再生機能を搭載した機種を発売し、VHDの敗北は決定的なものになった。このため劣勢を挽回するために3-D立体再生機能、LDと同等の解像度を持つQX VHD、高音質再生を実現したVHD DigitalAudio、などの規格を開発し、市場に投入するもこれらの規格に対応したソフトはわずかしか発売されず、VHSに次ぐ世界規格の制覇は実現しなかった。同時期デジタルオーディオ方式としてDAD懇談会に次世代のオーディオディスク規格としてVHD規格を利用したAHD規格をCDと同時期に提案するもの、松下などの有力メーカーからの支持を得ることなく一般化することはなかった。

こうした状況においてもビクターは将来的なハイビジョン放送時代を視野に入れ、松下電器産業と共同でアナログハイビジョンのMUSE方式Hi-Vision VHDを開発を進めるものの、MUSE方式によるアナログハイビジョン放送が定着することなかったことも重なり、市場には投入されずに終わる。その後VHDは業務用カラオケ市場に参入するが、レーザーディスクカラオケとの競合に加えて通信カラオケの普及によって完全に駆逐され市場から姿を消す。VHDの失敗はソフトの償却だけで200億円の負担となり、ビクターにとって重荷となり凋落に拍車をかける原因となる。この当時1986年円高不況以降VTR市場の成熟化と円高によって営業利益は低迷していたものの、100億円を超える(ピーク時は1988年の166億円)VHS関連特許使用料収入の下支えが、効果的なリストラ策を遅らせる要因となる。この当時家庭用ビデオ市場の成長は鈍化し、S-VHSによる高画質戦略は一定成果を得たもののVHS規格の切替までには至らずビデオ中心の収益構造も限界に達していた。

[編集] バブル崩壊後

バブル崩壊後、ビクターの低迷は一層深まる。1991年には主力のビデオ市場は海外市場の読み違いによって在庫が増え、そのため翌年の売上が2割近く減ることになる。また在庫処分の費用も増加し巨額の赤字が発生、加えてオーディオ市場の不振も加わり1993年には上場以来初の無配となる。この頃からVHSの関連特許が満期を迎え、これまでの特許利益頼りの収益構造が崩壊。取り扱い商品についてもS-VHS発売以降目立ったヒットが存在しない状況へ陥る。1994年には20年ぶりに松下から守随武雄取締役を社長として迎え入れる。1991年から1995年までグループ会社を含め4000人の人員削減を実行。本社も日本橋から横浜工場に移転する。こうした中でも1991年業界初のワイドテレビを発売、ワイドテレビの先鞭をつける。また独自の動画圧縮技術によって現在のDVDの原型となるビデオCD規格をフィリップス社と共同開発。その後のDVD規格の策定ではビデオCDで得たMPEG技術を提供、ビクターの技術的優位性を確立する。1995年にはソニー松下電器フィリップス日立三菱と共同で家庭用デジタルビデオカメラ規格のDV規格を開発。他社がセミプロ用のハイエンド機種を発売するなか、徹底的に小型化を追求したデジタルムービーを発表。ビクターの技術力の高さを示す一方で、現在のデジタルビデオカメラ市場を切り開く原動力となり、大ヒットを記録する。リストラとヒット商品によって1996年には復配する。しかしその後も市場の悪化とヒット商品の不在によって赤字とリストラによる黒字のサイクルを繰り返す。

1998年には1990年より続いていた米パソコンゲーム会社大手エレクトロニック・アーツ社との合弁事業エレクトロニックアーツ・ビクターを解消。

2001年には松下出身の寺田雅彦が社長就任。2001年から2006年までに単独で3500人削減し、国内外37あった製造拠点を23拠点に集約、映画ゲームといったノンコア事業の売却撤退を進める。その一方でビクター独自の技術を活かしたオンリーワン戦略を進め、個性派企業への転身を図る。主な商品として、ハードディスク搭載MPEGムービー「エブリオ」、世界初の木製振動板「ウッドコーン」(コンポ・単品スピーカー・カースピーカーに搭載)、世界初の家庭用ハイビジョンカメラを発売。独自開発した映像素子(D-ILA)を搭載したリアプロジェクションテレビ・ハイエンドプロジェクターの発売を行う。また、DOS/Vパソコンの市場に参入したが、伸び悩んだ。こうしたリストラと独自商品によって2002年に約445億円の損失から、2004年には156億円の純利益を計上し業績回復を果たす。しかし急速のデジタル家電の価格低下、市場環境の急速な変化、特に海外市場を中心にノンブランドの台頭、デジタル製品特有の商品サイクルの短命化と、開発工程の膨張によるDVDレコーダーの重大な欠陥による損失と、ブランドイメージの悪化によって2004年には赤字転落、2005年度には306億円の当期純損失を計上する。このためより一層のリストラを行わざるを得ない状況にあり、ビクターは苦境に立たされている。また、この業績悪化のため、1982年より協賛してきたFIFAワールドカップも2006年のドイツ大会ではスポンサー降板を余儀なくされている。

[編集] 松下傘下からケンウッドとの経営統合へ

2007年6月ケンウッド経営統合を視野に入れた業務提携を発表。8月10日に総額350億円の第三者割当増資を行い、2008年に持ち株会社による経営統合することを前提にケンウッドが200億円、スパークス・グループが150億円を引き受け、業務・資本提携で合意した。また、経営のスリム化の為に約1150人のリストラを行い、事業の選択と集中を進めるために利益率の低かったVHS関連の部品事業、ビデオテープやDVD-RWなどの記録メディア事業、D-ILAリアプロジェクションテレビ事業を譲渡や撤退も視野に入れた縮小を行うと発表した。ビクターはこれをアクションプラン2007と呼んだ。

2007年10月1日、ケンウッドとビクターの折半出資で技術開発合弁会社、J&K テクノロジーズ株式会社を新設。カー及びホームエレクトロニクス技術開発のコラボレーションがスタートした。

2008年5月12日、6月の株主総会の承認後を経て10月に共同持株会社、JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社を設立し(本店は横浜市のJVC本店内)経営統合することが発表された。これに伴いJVC及びケンウッドは上場廃止、傘下の事業会社となり、共同持株会社が上場される計画。

[編集] ビクターの主な事業

[編集] ホームディスプレイ事業

D-ILAプロジェクター

家庭用ディスプレイは長らくブラウン管の時代が続き、自社ディスプレイを持てなかったメーカーがビクターの他にも多数存在した。その中でもパイオニアプラズマディスプレイシャープ液晶に経営資源を集中させ、大きな成果を生んでいる。ビクターも当初はブラウン管を自社生産していたものの、東芝・松下から購入するようになり、自社製ディスプレイはビクターにとっても悲願であった。

1992年にアメリカの航空宇宙産業大手ヒューズエアクラフト社とプロジェクション映像システム事業を共同で立ち上げILA方式スーパープロジェクターを開発する。このプロジェクターはCRT(ブラウン管)を用いて映像を映し出す。ビクターは1995年ヒューズ社との合弁会社の経営権を獲得し本格的に開発を始め、ブラウン管部分を反射型液晶ディバイスであるD-ILAを独自開発。1997年よりSXGA約130万画素のタイプの量産化に成功。プロジェクター市場に本格的に参入した。また素子を他社にも供給し、キヤノンからプレゼンテーション用プロジェクターに採用されている。

D-ILA(LCOS方式)は理論的に高画質化に向き、構造はシンプルであり、従来の透過型液晶パネルが開口率50%程度なのに対し、D-ILA は90%以上の開口率を持ち、輝度が高く消費電力を低く抑えることができ、無機配向膜を用いており半永久的な素子寿命を持つという特徴を持っている。しかし製造方法が難しく、ビクター以外ではソニーが開発量産化に成功している。(ソニーではSXRDと呼ばれている)

現在D-ILAを使用したプロジェクターでは、業務用を中心に商品を展開している。D-ILAは液晶等の他の素子を使ったモデルと比べて色の表現力や明るさに優れており、高い評価を受けている。近年家庭用の市場にも参入。100万円を超えるフルハイビジョン対応の高級機に集中しており低価格帯の製品が少なかったが、2007年にはD-ILAの高画質にさらに磨きをかけ、かつ低価格を実現した機種であるDLA-HD1、DLA-HD100を続けて市場に投入。AV機器のマニアや評論家の注目を一同に集め、数々の賞を獲得した。

またこのD-ILA素子を利用したハイビジョンを超えるスーパーハイビジョンタイプのプロジェクターの開発をNHKと共同で進め、ハイビジョンの4倍の解像度を誇る4K2Kプロジェクターやそのさらに4倍の8K4Kプロジェクター(愛・地球博内グローバル・ハウスにあるNHKのスーパーハイビジョンシアター用プロジェクターとして)などの開発も行っており、映像の高画質化への研究には余念がない。またコダック社と共同でデジタルシネマ開発を進め、D-ILAプロジェクターを採用した投射システムを開発し、ライバルのソニーと激しい開発競争を行っている。

D-ILAデバイスはテレビにも導入された。ビクターは古くからブラウン管を用いた3管リアプロジェクションテレビを販売していた。2004年にD-ILAデバイスを導入することで、これまでに暗い、視野角が狭いと酷評されてきたリアプロジェクションテレビの常識を覆し、日本国内でも注目を集めた。2005年にはD-ILAの生産量をこれまでの3倍に増強し、日本国内でも発売した。リアプロジェクションテレビの技術開発にも積極的で、CES等の技術展示会では高輝度LEDを使うことによってランプ寿命の問題を無くすことのできるモデル、110インチの超大型のプロジェクションテレビを発表している。また、2007年には奥行き25cm程度で壁掛けも可能な薄型のプロジェクションテレビを他社に先行して北米と欧州で発売した。しかし、急速化している市場の価格下落についていけず、事業を縮小することになった。

液晶テレビ

一方急速に市場が拡大する家庭用薄型テレビ市場においては、自社でパネル開発は行わずブラウン管時代と同様に他社から購入している。その代わりに映像をコントロールする回路に注力してきた。2001年に開発したテレビ用映像処理エンジンのDETに引き続き2004年にはCPU内蔵システムLSIであるGENESSAを開発した。GENESSAの主な働きは、それぞれのディスプレイに合わせた最適な映像になるように白飛びや黒つぶれを押さえつつコントラスト補正(ガンマ補正)をし、さらに色彩感を出すために200万通りにプログラムされている候補の中から最適な色づけをするという動作を秒間60回、映像の1コマ毎に行うものである。2004年に発売したGENESSA搭載モデルから画質の評価が格段にあがり、シェアも伸びた。2005年にはGENESSAの機能が向上して、ノイズリダクション機能などが追加された。2007年にはx.v.Color対応、信号処理の12ビット化、動き補償型の3次元ノイズリダクション機能などを搭載した新型のGENESSA PREMIUMを開発した。

さらに液晶特有の動作ボケを解消する技術として、液晶テレビの周波数を120Hzとして液晶のホールド時間を短くした、残像低減技術「高速液晶ドライバー」も他社に先駆けて市場に投入し差別化を図っている。2007年には周波数を180Hzまで高めることでさらに残像感を小さくする技術や、バックライトにLEDを搭載して画面のエリア毎に輝度をコントロールすることでコントラストを飛躍的に向上させる技術、LCDのバックライトを自社開発することでテレビの電気回路を搭載しつつ厚み3.7センチの薄型化を達成した試作品を技術展示した。ビクターのテレビの商品名はEXEである。

しかし急速に低価格化の進む国内市場において、GENESSAや倍速液晶等の技術力では競合メーカーとの差別化は容易ではなく市場シェアは5%を切る状況であった。このため2008年4月に国内市場の撤退を含めた検討を進めているとの報道がなされていたが、4月25日の決算発表でテレビ事業は一般向け製品から事実上撤退し、業務用市場のみに絞ることが明らかになった。

[編集] オーディオ事業

ピュアオーディオ

ビクターの中で最も歴史のあるオーディオ事業は、創業時から独自性が光る分野でもある。特にスピーカー技術では、1970年代に流行したオーディオブームにおいて高い評価を確立し、現在でもハイエンドスピーカーを国産で手がける数少ないメーカーとして数えられる。

技術的な側面ではスピーカー部門では1本で360度の音の広がりを実現した世界初の球形スピーカーを開発、又世界初のディスクリート4チャンネルのCD-4を完成させた。長年の研究の上に完成された木製コーンを使用したウッドコーンスピーカー、幅3センチの細いDDスピーカー、コーンの振動位置を中央からずらしたオブリコーンスピーカーを開発。アンプ技術では増幅した信号を入力時のアナログ・デジタル波形を比較し補正することで高音質を実現したデジタルアンプのDEUS、音声技術ではデジタル音声の劣化を防ぎ、圧縮によって欠けた信号を予測し、復元する「K2テクノロジー」を開発。特にK2テクノロジーはスタジオやマスタリングといったビクターの関連企業(ビクターエンタテインメント)でソフト製作に携わるエンジニアが参加し開発を進め、多くの業務用機器を始めビクターの民生用機器、果ては同社のデジタルオーディオプレイヤーやauブランドを展開するKDDI向けのごく一部の「KCP+」対応の携帯電話(例・W61TW61SAW61S。これらの3機種に「net K2(ネット・ケイツー)」として搭載される)にも搭載されており、この会社を代表する技術でもある。音響技術では全面に4つのスピーカーを配置することで立体的な音響空間を実現する√4などユニークな技術を活かした商品を展開している。またMPEGの技術力とオーディオ技術から次世代のオーディオディスク規格であるDVD-Audioの規格策定では議長メーカーとして中心的な役割を果たした。 現在取り扱いの商品としてポータブルオーディオやミニコンポからHi-Fiコンポーネントまでラインナップを広げている。単体スピーカーのラインナップは国内メーカーではトップクラスである。自社製品のテレビにも独自のスピーカーを積極的に採用している。特にオーディオブームの去った今でも高級スピーカーを積極的に開発している数少ない企業でもある。

アンプに関してはラインナップは少ないながらも音質が良いと根強い人気がある。かつてはプリメインアンプ、パワーアンプも作ってきたが、現在はホームシアター向けAVアンプの製造が中心となっている。しかし近年人気があがっているホームシアター向け製品においては、オンキヨーデノンヤマハパイオニア等といったライバル他社に比べて、以前から定評のあるスピーカー以外のアンププレーヤー、アンプなどではラインナップが乏しく(ビクターは高価格帯の商品が多い)、低価格から中価格帯を主に扱う大手家電量販店の店頭ではあまり見かけることがない状況となっている。 さらに多様化するオーディオフォーマットへの対応もやや遅れをとっており、高級機へのHDMIiLinkの搭載が急がれている。

ゼネラルオーディオ

一方、ミニコンポ、MD/CDラジカセなどゼネラルオーディオの分野では、今まで生産してきた「ROBOT COMPO」(ロボットコンポ)や「CDioss」(シーディオス)の生産を順時終了。2000年にカラフルなイルミネーション重視の「Lip×Lap」(リップ×ラップ)「Clavia」(クラビア)シリーズ製品の発売スタートなどによってメインターゲットを今までの若い男性層から若い女性層へシフトした。これにより、今までの同社のゼネラルオーディオに対する「クールなイメージ」を「ファッショナブルなイメージ」へと大きく変えるものとなった。 特にこれらの商品ではMD規格を積極的に搭載し、MDデッキとプレーヤー部分持つW-MDタイプを投入し(Wカセットとコンセプトは同じ)、ソニーと共同で長時間記録のMD-LPを開発するなどしている。

また、スピーカー振動部分に世界で初めて木製振動板を使用したウッドコーンスピーカーと小型デジタルアンプ・DEUSを搭載した「ETERNO」シリーズを発売して注目を浴びた。

カーオーディオ

カーオーディオ部門では海外向け、国内向けも「JVC」ブランドで展開している。海外(特に欧州)では第2位のシェアを持ち、ビクターの利益の大半を稼ぐ好調な事業となっているが、国内ではカーナビゲーションを作っていないこともあり競合他社に比べラインナップがあまり充実していないことから収益がよくないため、2007年6月に国内向け生産を打ち切った。

ポータブルオーディオ

2001年からデジタルオーディオプレイヤー事業へ参入していたが、急速なデジタルオーディオプレイヤーの台頭によって、既存のポータブルオーディオが縮小するなかで、2005年から本格的にデジタルオーディオプレーヤーを発売。この分野では珍しい耳かけタイプの機種も発売した。記録媒体にメモリーやHDDを使用している機種、独自のK2テクノロジーを使用したタイプ等を販売しておりラインナップを拡充させている。しかし、市場が縮小するMDをこれらのデジタルプレーヤーではカバーしきれず厳しい状況が続いている。商品名はalneo

[編集] ビデオカメラ事業

DVビデオカメラ

ビクターの主力製品の一つにビデオカメラがある。フィルム時代から取り扱いを行い、業務用からVHSビデオに直接録画できる家庭用まで広く開発してきた。世界シェアではソニーに引き続き2位のシェアを誇り、日本ではソニー、松下電器産業に続く3位である。特にコンパクトなデジタルビデオカメラはDVの開発からポケットタイプのビデオカメラなどをこの会社が先鞭をつけ、市場を急速に拡大させた実績を持つ。 近年でも家庭用のハイビジョンカメラを他社に先駆けて発売するなど意欲的である。のちにこの規格はHDVとしてソニー・キヤノンなどのメーカーと協力して規格化し、家庭用ハイビジョンカメラ規格としての地位を確立する。しかし家庭用ビデオカメラ市場は、DV規格からDVDへ移行するがビクターはこの動きに取り残され、他社が3CCD搭載や高画素数で静止画が撮影できる機能に対して、開発が遅れシェアが落ちたが、ターゲット層に新しく子供ができた若い主婦をメインとして、可愛らしい形状とポップなカラーバリエーションのデザインのモデルを強化し、新たな市場を開拓した。

HDDビデオカメラ

テープからディスクへと記録媒体が変化する中でビクターは記録時間が短いDVDではなく、HDDを記録媒体とした世界初のMPEGムービーカメラ(Everio)を軸に更なるラインナップの強化とビクターのオンリーワン製品の充実で巻き返し、シェアも金額ベースでは国内2位となった。現在では3CCDを搭載し色鮮やかな録画ができ、5メガピクセルの静止画も撮れる高画質タイプや、大容量の固定型ハードディスクを搭載した長時間録画ができる機種も販売しており、近年HDDムービーに参入したソニーや東芝と比較してもラインナップは圧倒的である。また、2007年2月にハイビジョン撮影のできるEverioを発表し、民生市場では世界初となるフルハイビジョン(1920x1080i)での撮影・記録を実現している。

今後はハイビジョンを光ディスクで記録するAVCHD規格、ハードディスクとのハイブリッドタイプなどが競合他社から発売され競争が激化することが予想され、HDDタイプ単体で商品展開するビクターにとっては厳しい状況が続くと思われる。

[編集] ホームストレージ事業

VHS

「ビデオはビクター」のキャッチフレーズが示すとおり、同社にとって主力事業であった家庭用ビデオ事業。ビデオデッキラインナップは業界でもトップを誇っており、近年でもデジタル放送対応しVHSと互換性のあるD-VHSを発売(現在では、海外向けのモデルは生産されているものの、日本国内向けのモデルについては生産中止)するなど、規格提唱メーカーとしてのスタンスを貫いてきた。特に先発規格と互換性維持しながら、新しい付加価値を提供していく企業姿勢はVHDMD-LPHDVなどビクターの規格開発に一貫して表れており、家電メーカーに対してはDVDの映像規格などに関して幅広い影響力を与えたといっても過言ではない。

しかし、DVDレコーダーの急速な普及により、VHSデッキの市場が縮小したことにより、2008年1月にすべての単体デッキの生産を終了し、開発者自らがVHS事業から撤退する結果となった。2008年4月現在、DVDプレーヤー一体型の「HR-DV5」が唯一発売されている機種である。

なお、S-VHSについては、すでに関連特許の多くが消滅しているため、今後は、中華人民共和国など海外のメーカーがS-VHSレコーダーの生産を手がける可能性もある。

DVDレコーダー

上記の通り、ビクターはD-VHSに力を注いでいた。そのため、近年急拡大したHDDDVDデジタルレコーダーの市場への参入が遅れてしまった。これまでに何度か市場参入の機会を伺っていたがDVDレコーダーを発売するとVHSを自己否定するという規格提唱メーカーとしてのジレンマがあったと言える。しかし確実にテープからディスクへの移行が進む中で、本格的にビクターとして参入する際、DVDの映像規格において業界内で分裂していたDVD-RAMDVD-RW双方を録画・再生できる業界初コンパチブルレコーダーを搭載した機種を発売しようとすると、反DVD-RWの松下からストップがかかり、半年程参入が遅れる事態となる。このような結果2004年に本格的にDVDレコーダー事業に本格的に参入した。MPEGの独自技術を保有し、特に長時間モードにおける画質は高く、VHSを開発した企業ということでHDD・DVDレコーダーにVHSを搭載した3in1の機種を業界に先駆けて発売するなど、待ち望まれた発売だった。しかし参入時期が遅れているため、先行している他メーカーと比べて使い勝手という点で発展途中であったこと、急速に進むデジタル家電の低価格化、商品寿命の短命化と開発工程の膨大化が進む環境に遅れて参入したことが災いし、初期の商品で欠陥が発覚して回収や修理で多大な費用を費やし、ブランドイメージを著しく低下させた。問題点を解消した次のモデルでも別の欠陥が発覚し、ビクターのDVDレコーダー事業を壊滅的な状況に立たせる結果となる。

この様な事態が発生したためDVDレコーダー事業は事実上撤退し、自社開発機種は順次生産を打ち切り、シャープからデジタルハイビジョン録画機種のOEM供給を受けることとなった。しかしOEM元が反DVD-RAMのシャープとなったこと(なぜこうなったのかは不明)で、本来ビクターが推していたDVD-RAMは録画も再生もできないという重大な欠点を抱えることとなった(但し、OEM機の元になったシャープ製「ARシリーズ」では、コンパチブルレコーダーではないものの、再生については、DVD-RAMにも対応)。そのためか、家電量販店の店頭で見かけることは少なかった。そのデジタルハイビジョン録画機種もベース機の世代交代でOEM供給も止まり、在庫がなくなった時点で民生用のDVDレコーダー事業から撤退することとなった。業務用のS-VHS一体型機「SR-MV50」(HDDなし)および、DV一体型機「SR-DVM700」については2008年2月現在生産を継続している。

Blu-ray Disc

現在ビクターのホームストレージ事業は次世代DVDと呼ばれるBlu-ray Disc(以下BD)関係の製品の開発に集中することになった。 BD製造のための技術開発は以前から積極的に行っている。報道されている内容では、既存のDVD製造装置を拡張させるだけでBD-ROMを製造できるシステム、世界最高の開口数(集光能力)であるピックアップレンズ、1枚のディスクでBDとDVDを再生できるハイブリッド型ディスクを開発するなど意欲的である。またビクターはBD規格に当初から参加し、CEATEC等の展示会には毎回試作機を展示してきた。また併せて高速記録に対応したBD用の記録ディスクの開発を進め、技術的成果も公開している。

[編集] メディア事業

テープ時代から手がける記録メディア事業は、ビクターのハードメディアで支える事業である。現在ではVHS・ビデオカメラ用MiniDVテープ、CDDVDMD等のブランクディスクなどを主に手がけている。特に記録型光ディスクのブランクメディアにおいてはDVD-RWで他社へのOEM供給を含めてトップシェアであり、ハード事業では手がけていない8cmDVD(家庭用ビデオカメラ用)も扱っている。

[編集] ソフト事業

ソフト事業についてはビクターエンタテインメントを参照のこと。
日本の映像・音声ソフト業界でトップにあるビクターは、サザンオールスターズSMAPレミオロメン夏川りみリア・ディゾンなどが所属するビクターエンタテインメントや演歌などを手がけるテイチクエンタテインメントの他、映像・音楽ソフトの製作・製造・流通・販売など多岐にわたる事業を関連会社によって行っている。こうしたソフト事業を製作から流通まで手がける企業は日本ではソニーとビクターくらいしか存在せず、ソフト流通ではシェア60%を誇った時期もあった。現在はシェアが低下し、苦戦している。また今後は市場が縮小傾向にあるCD市場に対して、ネットワーク配信などを強化し収益基盤を確保することが求められている(CD・DVDのソフトの生産はビクター本体の事業)。(なお、ビクターエンタテインメントはこのことを受け、アニメ関連部門(VictorAnimation及びm-serve)を同系列のJVCエンタテインメントへ事業譲渡(後のflyingDOG)。また、ビクタータイシタタイシタレーベルミュージックとして分社化している。)

[編集] 産業用機器部門

この事業ではD-ILAプロジェクターや、業務用映像・音響機器を取り扱う。特に強みを持つMPEGでは、国内における放送用エンコーダーシステムのシェア90%を誇った時期もあったが現在では販売終了している。その他監視用カメラ、放送用ビデオカメラ、VTR、ホール設計と幅広く行う。

[編集] 電子ディバイス部門

この事業では、HDD用モーター、光ピックアップ、D-ILA素子、高密度ビルドアップ基板VILを手がける。HDD用モーターについては国内第2位のシェアを保ち、ブラウン管用の偏向ヨークやFDDモーターなど、旧来の主力製品に変わる商品として育ちつつあった。2008年にモーター事業はJVC モーター分社化した後、日本産業パートナーズ株式会社(JIPファンド)に、また、サーキット事業を株式会社メイコーにそれぞれ譲渡した(脚注参照)。

[編集] ビクター低迷の要因

日本ビクターは技術力には定評はありながらも、VHS成功以後それに続くヒットを飛ばすことが出来ず、長期間低迷を続けている。この原因としては、アナログ時代の問題点とデジタル時代の問題点の両方を現在まで克服出来ていない点が考えられる。

[編集] アナログ時代(1970年代のVHS成功〜1990年代のバブル崩壊後まで)の問題点

1.規格開発競争による経営体力の消耗
VHS開発以降、ビデオディスク規格のVHD、デジタルオーディオレコーダーのDCCDATといった規格開発競争を繰り広げてきた。ビクターは他社と比較し事業規模が一回り小さく独自性のある技術を武器に対抗してきたが、規格競争を繰り広げる間に市場環境の変化(アナログからデジタルへ)に、さらにオーディオ・ビデオ機器の低価格化による採算性の悪化等が対応できずにいた。さらにこうした苦境を打破するために開発した規格も普及せず、結果的に経営体力を消耗し、VHSで得た巨額の利益を次世代に活かすことが十分出来なかった。このためVHSの特許収入に依存する経営が続き、バブル崩壊後も効果的な構造改革に手をつけない状況が危機を深刻化させる。
2.商品開発力の低下と生産性の低さ
独自の技術を持つ事がビクターの特徴ではあるが、技術開発・商品の戦略と連携の不足によって、市場が望む、あるいはこれから成長する商品をタイムリーに供給できなかった事が挙げられる。特に技術志向が強いために、市場に受け入れられる事よりも、技術的な側面に注力した商品になりがちである。その為、専門家やAV機器のマニアには注目されるものの、一般消費者の理解を得られにくく、先陣を切って発売しても販売が伸びないというパターンが度々繰り返されている。
ビデオ事業では高価格な商品にウエイトを置き、テレビデオ(松下が開発)といった商品を開発することはできなかった。また低価格の商品については価格競争力が弱く市場から取り残され気味であった。ビデオカメラではソニーを中心とする8ミリ規格が主流になり、録画時間が短いVHS-C規格は劣勢に立たされ、しばらくソニーを逆転できない時代が続く。
また優れた技術を持っていても規模の小さなビクターでは量産性の効果を発揮できず、価格競争力ではそのそも他社に劣ってしまう。その間に他社が模倣し、量産性に勝る大手メーカーが市場を押さえ収益に貢献できない構造がこの10数年続いている。特にビクターが業界に先駆けて開発・販売したワイドテレビは他社の猛追の結果、ソニーや松下が市場で優位に立ち苦しい状況が続く。
ビクターはオイルショック後各社が生産合理化を進める中でVHSが成功し、バブル崩壊後各社が海外への生産移転や原価改善を進める中でもVHS関連特許による経営が一定恵まれた点で、生産力をつける時期を逃してしまい他社と比較しても生産性が低い事が挙げられる。このため、独自性のある商品を発売できても、その後に続く商品が生まれず、業績が悪化、リストラによる一時的な業績回復というパターンを繰り返している。
80年代後半になるとデジタル技術の発達によってCDを主体とするオーディオにおけるデジタル化が進行。この流れに追いつけなくなったオーディオの名門企業であるナカミチアカイサンスイなどが次々と経営不振に陥り、倒産あるいは外資ファンドへの売却が進む中、ビクターはVHDDATDCCなどの開発を通じて技術的な蓄積を行いオーディオのデジタル化(レコードからCD、コンパクトカセットテープからMD等)に対応することができた。また映像技術についても映像圧縮技術については国内でも有数の技術力を誇り、MPEGビデオCDW-VHSDVD-VHS、また悲願の自社映像ディバイスであるD-ILAなどの研究開発を進め、商品化を果たすことが出来た。こうしてオーディオ機器のデジタル化、映像機器のデジタル技術の蓄積という第一段階は一応乗り越えることができた。

[編集] 1990年代後半から現在までの問題点

1.デジタル基幹技術の不在
AV業界では、オーディオ部門から変化の動きが始まり、その後でビジュアル機器が移行する傾向がある。テープメディアによる録音技術では、カセットテープによる録音が定着した後に家庭用ビデオ規格が生まれた。AVのデジタル化ではCD規格が誕生してから約20年後に、DVD規格が生まれ定着した。オーディオのデジタル化を乗り切ったビクターの次の課題は、ビジュアルメディア(テレビ・ビデオ)のデジタル化であった。
このためAV各社はブラウン管方式に続く映像ディバイスの開発に力を注ぐことになる。特にパイオニアやシャープの様に自社の映像ディバイスを持てなかったメーカーは長年の研究開発の結果、プラズマや液晶技術を確立した。ビクターも独自の映像素子のD-ILAを1997年に開発する。しかしD-ILAは量産の難しさから開発が進まず、価格競争力で他の映像ディバイスであるDLPLCD方式から後れをとってしまう。
このため近年急速に拡大しつつある家庭用薄型テレビ市場において、CRTブラウン管方式から液晶・プラズマ方式へ移行が進んでいるが、自社映像ディバイスであるD-ILA方式の開発の遅れにより、デバイスを他社から供給してもらう従来からのディスプレイ事業のモデルから脱却できず、市場参入の遅れと価格競争力の弱さに結びつき厳しい状況が続いている。
2.主力事業におけるデジタル化対応の遅れ(特に2000年以降)
ビクターが規格策定にも関わり、関連する特許収入と一定の技術力を持っていたDVD関連では第一段階としてプレーヤーの導入には成功し、独自のI-P変換技術を開発し高い評価を受け、規格策定にも深く関与したDVD-AUDIOプレーヤーも発売する。しかしVHS規格提唱メーカーとしての立場からDVDレコーダーの導入は遅れてしまう。この間の技術的進歩、市場環境の変化から苦戦することになる。特にデジタル技術の浸透によってアジアのメーカーが台頭。デジタル機器は部品を組み立てれば商品を作ることがアナログ機器よりも簡単なため、安価なアジアメーカーに市場を押さえられてしまう。特にビクターのブランドが浸透している欧州でアジアメーカーの台頭により大きな打撃を受けてしまう。また商品サイクルも短期間化が進み、商品開発力が低下したままビクターはデジタル市場特有の環境に対応せざるを得なかった。
映像機器部門で、唯一デジタル化への転換に成功したのは基幹技術を持っていたデジタルビデオカメラ部門だけであった。
3.デジタル製品の特徴を生かせない商品開発と展開
デジタル家電は単体の機能を利用するのみではなく、相互に共通した要素を持ち合わせ、組み合わせて使うことがアナログ家電との大きな違いである。このためAVメーカーではPCとオーディオ、ビデオカメラ、スチルカメラの連動した使用方法を提案してきた。ビクターもこうした特性を活用した商品展開をしようとするが、コンセプトが曖昧で多くの事業が成功せずに終わる。
家庭用ビデオカメラの技術を応用しデジタルスチルカメラ部門にも参入したものの、技術的に動画を基本としたビデオカメラと静止画を基本とするスチルカメラの違いを克服できず、技術的・商品コンセプトが十分ではなかったために、早々に撤退することになる。また家庭用PC部門にも参入し、AV機器とPCとの融合を進めたがAV機器と連携できる機種も少なく撤退する。同じようにPHS事業も早々に撤退。このように市場戦略と商品戦略の曖昧さがビクターの総合力の低下を示している。
寺田社長就任後、オンリーワン・ニッチ特化戦略に基づき、技術と商品の戦略が一体となってビクター独自の商品を生み出している。この点では成果を生んでいるが、ビクターの商品は大多数が低価格の大衆向けのAV機器であり、この分野で独自性が発揮できずコモディティー化から脱却できなければ厳しい現状が続くであろう。
こうした要因によってビクターは商品開発力の低下が進む一方で、AV機器のデジタル化は、それぞれの機器を連携して使用する第二段階に突入。メーカーのソフトウェアの開発力が問われる時代へと変化した。アナログ系の商品を長年扱ってきたビクターにとってこの問題を克服することは容易なことではなく、開発力の強化等を進めてきたが、2004年にようやく参入できたDVDレコーダー事業にて、DVDとVHSのコンパチブルレコーダーに重大なバグが発生。さらに修正後にも新たなバグが発生し対応に追われる。また後継モデルにも問題が発生し、市場への投入時期を逃しビクター本体の業績が悪化、市場に対してはビクターブランドに対する信頼感を傷つける結果となった。さらに2005年には液晶テレビの開発遅れによって(外部委託先の開発の遅れと会社側は説明)、欧州での販売商戦を逃してしまった。この様なデジタル機器特有の市場にいかに対応するのかが最大の課題であるが、特にデジタル機器の市場進出が他メーカーと比べて遅かった同社にとっては克服は容易ではない。
また寺田社長時代にビクターの最重点事業と掲げていたリアプロジェクションテレビについても、「低画質だが安価である」というリアプロジェクションテレビの負のイメージ脱却ができず、「シアタールームに最適、省エネ、自然な色合い」などリアプロジェクションテレビの強みを打ち出すことができなかった。画質には一定の評価があったにもかかわらず、一般消費者には受け入れられなかった。そのため、海外でもシェアを伸ばしつつある液晶とプラズマの両陣営に押され、リアプロジェクションテレビの商品価値は市場売価と共に低下する一方であった。技術的にはリアプロジェクションテレビの弱点である視野角や厚み、ランプ寿命といった問題点に一定の技術成果によって解消できたが、商品投入した頃には既に利益を出せる価格では販売できず、大手販売店の定番商品群からも外れてしまい、事業の縮小を決定的にしてしまった。
現在収益の柱である家庭用ビデオカメラ部門では、ハイビジョンカメラ市場が拡大する中で、映像素子の基盤技術を持っていない弱さが露呈し、世界初の家庭用ハイビジョンカメラを発売できたもののその後の展開がされず、性能と価格面で現在でも有力な家庭用ハイビジョンカメラを投入することが出来ていない。今後は8cmDVDにハイビジョン記録を行うAVCHD規格やHDDとの一体型など様々なタイプが展開されることが予想されるため、現在のHDD単体でのビデオカメラ事業は厳しくなると思われる。
こうした一方でビクターは独自の技術を持ちながらも市場ニーズと合致した商品を投入しきれていない現状がある。現在ホームプロジェクター市場でヒットを飛ばしているエプソンEMD-TMD1は、プロジェクター本体にDVDプレーヤースピーカーを内蔵し、電源を差し込むだけで、ホームシアターを楽しめるとあって、20万円台の低価格のプロジェクター市場で33%とダントツのトップシェアを誇っている。しかしこの機種のスピーカーはDDスピーカーであり、またDVDプレーヤーについても映像処理の技術である・デジタルダイレクトプログレッシブとビクターの技術であり、自社の技術が他社で花開くという結果であり技術を活かした商品作りが課題である一方で、他社へのライセンスビジネスの余地を示している。

[編集] 松下電器産業との関係

現在もビクターの株式の内36.90%松下電器産業が保有しており筆頭株主である。親会社であった頃の松下は買収の経緯や創業者である松下幸之助の方針から、ビクターとの関係を「相互競争による相互発展」と位置づけ、ビクターの独自性と自主性を尊重し、人事面で最低限の関与をし続けてきた。このためビクターの独自性が確保されVHSも成功したといっても過言ではない。

しかし2001年に社長に就任した中村邦夫の方針によって2003年度から松下グループの事業セグメントの再編によってビクターは一つのセグメントとして確立し、グループの事業計画にも参加し、研究開発や部材の共同購入など松下との連携を進める一方で、経営の自主性と責任をより一層持つこととなった。しかしビクターと松下は取り扱い商品でライバル関係にあり、その点を整理せずに今日に至っている。(他の松下グループは再編され、100%子会社もしくは統合されている為、重複する事業は解消されている)当時の松下グループの中でビクターの売上は全体の7%程であり、大きな影響とならず関係が維持されてきた。また、中村はビクターについて「他社へ売るつもりは無い。音響機器で強いブランドと高い技術があり、経営資源を集中すれば十分に立ち直る」と明言し、2006年に社長に就任した大坪文雄も「技術的な相談を受ければ対応する」とコメントし、基本的には会長となった中村と同じスタンスを取っているが、一方で、大坪は三カ年計画の最終年度である2006年度の業績結果を見て判断するとのコメントを表明しており、売却も選択肢の一つであることをほのめかしていた。

なお、メディア報道によると、2006年4月頃には他社への売却を進めていたが折り合いがつかず断念。自力再建を続けることになった。韓国系のメーカーなどは興味を持っていたようだが、松下はアジア系のメーカーへの売却の意志はなく、いったん売却話は消滅してしまった。2006年12月23日にも「売却の方針を固めた」「他社への売却を選択する結果となった」と報じられ、2007年にも連結対象から離れる可能性も出てきたと報道されたが、日本ビクターや親会社の松下電器は、これを公式サイトで否定した。

2007年7月24日、日本ビクターおよびケンウッドは、両社の取締役会において、同年10月期にカーエレクトロニクスとポータブルオーディオ事業分野の協業を開始し、将来的には共同持ち株会社による経営統合を目指すことを決定し松下電器とともにその方針を発表した。同年8月10日にケンウッドとその筆頭株主であるスパークス運用ファンドに対する第三者割当増資を行ない、ケンウッドの持ち株比率が17.1%、松下電器の持ち株比率が36.9%となり、ケンウッドは日本ビクターの第2位の株主になると同時に日本ビクターが松下電器の連結子会社から外れ持分法適用関連会社となった。(日本ビクターのニュースリリース

[編集] かつて参入していた事業

[編集] PHS端末事業

1995年から1999年頃にかけて、DDIポケット(現ウィルコム)向けにPHS端末を供給していた。現在は事業撤退している。

[編集] 作っていた端末

  • TN-PZ1
    • 1995年7月1日発売、サイズ不明、143g
  • TN-PZ3/TN-PZ110/TN-PZ210
    • 1996年5月7日発売、幅45mm×高さ120mm×奥行き25mm、128g
  • TN-PZ5
    • 1997年3月発売、幅43mm×高さ115mm×奥行き21mm、94g
  • TN-PZ7
    • 1997年発売、幅41mm×高さ115mm×奥行き21mm、89g
  • TN-PZ77
    • 1998年10月15日発売、幅37mm×高さ122mm×奥行き19mm、66g
  • AP-V102
    • 1998年11月発売、幅43mm×高さ115mm×奥行き21mm、94g

[編集] 家庭用電話機事業

(stub)

[編集] レコード事業

(stub)

[編集] 音楽教室事業

1960年代後半から「ビクター音楽教室」を全国展開していた。1990年からは松下電器産業の音楽教室事業と統合し、「ビクターテクニクス音楽教室」を展開していたが、2001年ローランドに事業譲渡し撤退している。 なお、専門家の育成を目的とした「ビクター音楽カレッジ」は関連企業として現在も継続している。

[編集] 楽器事業

1958年電子オルガンを発表し楽器事業に参入したが、1991年までに楽器事業から撤退している。

[編集] エアコン事業

三菱重工より事業所向け大型エアコン等をOEM供給を受けて、Victorブランドで販売していた。

[編集] ゲーム機事業

セガのハードウェア、メガドライブセガサターンの互換機を販売。メガドライブ互換機はメガCD一体型を販売したが、セガサターンはセガ発売の物と同等の仕様であった。またセガサターンの周辺機器である「ツインオペレーター」(セガサターンでビデオCDフォトCDが閲覧可能になる)も販売。ドリームキャストの互換機は未発売。いずれもセガ販売の物が中心であり、ビクター製のハードはライバルであるソニーグループのSCE販売のプレイステーションには遠く及ばなかった。

  • ワンダーメガ 1992年4月1日メガドライブとメガCDの一体型機。定価82,800円CD-G再生機能とマイク端子を搭載し、周辺機器であるメガCDカラオケなしでカラオケが楽しめる。MIDI出力端子も搭載。同仕様の機器がセガからも発売されている。
  • ワンダーメガ2 ワンダーメガからMIDI出力端子を省き、代わりに6ボタン仕様のワイヤレスコントローラーが同梱されている機種。定価59,800円。こちらはビクター版のみ発売。
  • Vサターン 1994年11月22日発売(セガサターンと同時)。定価44,800円。仕様は色や内蔵ソフトを除きセガサターンと全く同じである。1996年6月7日にはカラーリングを変更し、定価をあわせた(20,000円)後期型も発売された。

[編集] 主な事業所

  • 横浜本社工場・入江工場/Techno Wing(神奈川県横浜市神奈川区守屋町3-12)
    • テレビ、プロジェクタ、ビデオカメラ、Blu-ray Disc製品の開発、ビルドアップ基板の開発、製造
  • 前橋工場(群馬県前橋市大渡町1-10-1)
    • オーディオ、カーオーディオ、カーナビゲーション製品の開発
  • 水戸工場(茨城県水戸市元吉田町1030)
    • 記録メディアの開発・生産
  • 大和・林間工場(神奈川県大和市下鶴間1644、神奈川県大和市下鶴間1612-1)
    • CD、DVDソフトの生産