ガンバ大阪

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ガンバ大阪
原語表記 ガンバ大阪[1]
愛称 ガンバ
クラブカラー      ブルー &      ブラック[1]
創設年 1980年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン1
クラブライセンス J1
ホームタウン 大阪府吹田市[1]茨木市[1]高槻市[1]豊中市[1]
ホームスタジアム
Banpaku osaka expo 1970 stadium (field).jpg
万博記念競技場[1]
収容人数 21,000
運営法人 株式会社ガンバ大阪[1]
代表者 野呂輝久[1]
監督 日本の旗 長谷川健太
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社ガンバ大阪
GAMBA OSAKA Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
郵便番号:565-0826
大阪府吹田市千里万博公園3-3 万博記念公園スポーツ広場内[1]
設立 1991年10月1日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営他
代表者 代表取締役社長 野呂輝久[1]
資本金 1,000万円 (2013年1月期)[2]
売上高 32億8,500万円 (2013年1月期)[2]
営業利益 ▲6,700万円 (2013年1月期)[2]
経常利益 400万円 (2013年1月期)[2]
純利益 400万円 (2013年1月期)[2]
純資産 2億3,200万円 (2013年1月期)[2]
総資産 9億7,200万円 (2013年1月期)[2]
決算期 毎年1月[2]
主要株主 パナソニック 70%
関西電力 10%
大阪ガス 10%
西日本旅客鉄道 10%
外部リンク 公式ウェブサイト
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ガンバ大阪(ガンバ おおさか、Gamba Osaka)は、日本大阪府吹田市茨木市高槻市豊中市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

概要[編集]

2007年4月7日 川崎フロンターレ戦

1980年創部の松下電器産業サッカー部が前身であり、1993年のJリーグ開幕時より加盟している10クラブ(オリジナル10)のひとつである。2005年にJ1リーグ優勝、2008年にAFCチャンピオンズリーグを制覇するなど、国内3大タイトル(J1リーグ天皇杯ナビスコカップ)の全てを獲得している5クラブの一つである。獲得タイトル数はJリーグ全加盟クラブ中4位、近畿地方以西のクラブでは最多である。

ホームタウンは2011年まで大阪府吹田市、2012年2月より吹田市、茨木市高槻市豊中市の4市に変更・広域化した[1][3]1997年にそれまで淀川区にあったクラブ事務所と京田辺市にあった練習場をスタジアムがある万博記念公園に移転した。2004年より吹田市、茨木市および高槻市、2006年より左記3市および豊中市を重点4市と定めた[4][5]2010年、これまで各市でG大阪の支援活動を行っていた4市の後援会が一丸となり、G大阪とともに各自治体、企業などと協力し、青少年の健全育成や街の活性化をはじめとする地域貢献活動を目的とした「ガンバ大阪後援会」が発足した。なお、大阪府大阪市をホームタウンとしているセレッソ大阪に対し、G大阪は北摂北河内地域14市3町を重点地域にしている[4][6]

ホームスタジアムは万博記念競技場[1]。クラブハウスと練習グラウンドは万博記念公園スポーツ広場内のガンバ大阪練習場である[1][7]

クラブ名の「ガンバ(GAMBA)」は、イタリア語で「」を意味し、「脚」によってシンプルで強いチームを目指す[1]。また、日本語の「頑張る」にも通じ[1]

  • チーム一丸となって勝利を目指してガンバるチーム
  • どんな状況でもガンバって勝利を勝ちとるチーム
  • 大阪をホームタウンとし、大阪を中心とした関西ファンの声援を受けてガンバるチーム
  • 日本一、世界一のクラブ組織に向けてガンバるサッカークラブ

という意味が込められている[8]

発足から1995年までのクラブ名は「パナソニックガンバ大阪」としていた。略称表記はJリーグ発足当初は「大阪」であったが、1995年に大阪市にホームタウンを置くC大阪がJリーグに昇格してからは、C大阪と区別するため「G大阪」もしくは「ガ大阪」と表記されている。

運営会社は株式会社ガンバ大阪で、設立当初は松下電器産業(現・パナソニック)が全株式を保有していたが、1997年に関西電力大阪ガス西日本旅客鉄道が株主となっている。なお、資本金はJリーグクラブの中でも最少である。

マスコット松下進デザインの「ガンバボーイ[1] で、ゼウスの生まれ変わりという設定である。ガンバって勝利を勝ち取る元気なサッカーボーイであり、雷の形の闘志あふれるエネルギーをその手につかんでいる。動物ではなく人間をモチーフにした数少ないマスコットの1つ(オリジナル10では唯一の人間をモチーフにしたマスコット)である。Jリーグ開幕当初は、デザインイラストどおりギリシャ風の衣装を着用するデザインであったが[9]、1990年代後半頃からはユニフォームを着用したイラストに変更された。ただし、ユニフォーム以外を着用しているものも少数ではあるが存在した。

エンブレム1995年までは、クラブマスコットのガンバボーイそのものがエンブレムの代わりであり、正式なエンブレムができた1996年以降は、クラブカラーと同じブルーとブラックで大阪府の府鳥「百舌鳥」を伝統の象徴である盾型にアレンジし、その中央にはサッカーボールが描かれ、勝利の証である月桂樹のかわりに、大阪府の木「銀杏」の葉が周囲を飾るものになっている。

歴史[編集]

前史[編集]

1980年に創部された松下電器産業サッカー部が前身[1]1984年日本サッカーリーグ(JSL)2部[1]1986年にJSL1部へ昇格[1]第70回天皇杯全日本サッカー選手権大会(1990年)優勝[1] などの成績を残した。

1991年10月1日、運営会社である株式会社松下サッカークラブを設立。

1992年 - 1995年[編集]

1992年にクラブ名を「パナソニックガンバ大阪」と命名。Jリーグ創設時からの加盟クラブ「オリジナル10」の一つであり、当初は近畿地方で唯一のJリーグクラブだった。Jリーグ加盟時は松下がユニバーサル映画を買収した時期と重なり、強そうなのでスティーブン・スピルバーグの映画『ジョーズ』から大阪城にも引っ掛け「大阪ジョーズ」という名前が有力候補だった。しかし、瀬戸内海サメが出没する事件が発生しことなどから、このクラブ名は不採用となった[10]

松下初代監督水口洋次の同い年の親友で松下監督をJSL閉幕時点でも務めた釜本邦茂が引き続きJ参戦に向けて指揮を執った。永島昭浩礒貝洋光本並健治エジバウドなどが所属していた。1992年のJリーグカップは8位に終わったが、第72回天皇杯全日本サッカー選手権大会はベスト8の成績。しかし、1993年1月にエジバウドがシーズン開幕を待たずして交通事故で他界した。

1993年Jリーグ開幕節5月16日)、万博記念競技場浦和と対戦し、和田昌裕の得点で1-0で勝利したが、1st・2ndステージとも8勝10敗の成績で、順位はそれぞれ10チーム中8位と6位。Jリーグ開幕初年は年間成績7位に終わる。ナビスコ杯ではベスト4へ進出。

1994年、永島が清水エスパルスに移籍した一方、前年からのアレイニコフに加え、ツベイバプロタソフといった元ソ連代表勢が加入した。しかし、守備の要となる筈だったツベイバがケガで離脱し、1stステージは7勝15敗で12チーム中10位。2ndステージはツベイバが復帰したが、7連敗を喫すなど最下位争いの常連となり、名古屋グランパスエイト・浦和と共にJリーグのお荷物と扱われるようになった[11]。最終的に8勝14敗で1stステージ同様の10位の成績。カップ戦はナビスコ杯天皇杯共にベスト4で敗退。シーズン終了後、成績不振により釜本が監督を解任された。

1995年ジークフリート・ヘルトが監督に就任。ヒルハウススクリーニャらが加入。また、ユースから宮本恒靖らがクラブで初めて昇格した。1stステージ序盤は6勝2敗と好スタートを切り、首位争いに加わったが、その後は8連敗を喫し、最終的なステージ成績は10勝16敗で14チーム中11位。2ndステージは8勝18敗の13位。年間総合順位は初めて最下位に終わり、シーズン終了後にヘルトが監督を退任した。天皇杯は2年連続でベスト4に入った。

1996年 - 1998年[編集]

1996年、クラブ名を「ガンバ大阪」、法人名を「(株)ガンバ大阪」にそれぞれ改称。前アシスタントコーチのヨジップ・クゼが監督に就任。初の1シーズン制で行われ、リーグ開幕から15連敗していたV川崎に第9節に勝利するなど、前半戦は8勝7敗。しかし後半戦で失速し、最終的な年間成績は11勝19敗で16チーム中12位。年間成績は初年度から参加した10チーム中唯一4年連続の負け越しとなった。天皇杯は3年連続でベスト4に進出した一方で、ナビスコ杯では予選で敗退した。

1997年、礒貝が浦和、本並がV川崎に移籍。一方でカメルーン代表パトリック・エムボマが加入し、新井場徹がユースから昇格した。また、ユースから飛び級でトップチームに昇格した稲本潤一が当時のJリーグ最年少出場記録となる17歳171日でJリーグ公式戦に初出場した。1stステージを8勝8敗(17チーム中8位)と初めて勝敗を五分に持ち込むと、2ndステージは当時のJリーグ記録となる9連勝を飾り、首位争いに加わり、2位の成績を残した。また、年間成績も初めて勝ち越し4位となった。なお、エムボマは25得点を挙げて、クラブ初のJリーグ得点王ベストイレブンを獲得。シーズン終了後、クゼが監督が母国クロアチア代表のスタッフ就任により退団、天皇杯はアシスタントコーチのフリードリッヒ・コンシリアが率い、4年連続でベスト4に入った。

1998年フレデリック・アントネッティの監督就任が決まっていたが、ヨーロッパのシーズンが終了してからの来日という形になり、それまではコンシリアが監督を務めた。また、橋本英郎がユースから昇格し、姫路市立琴丘高等学校播戸竜二を練習生として獲得した(数か月後にプロ契約)。1stステージは14位(7勝10敗)。7月にエムボマがイタリア・セリエAカリアリに移籍した。2ndステージは16位(5勝12敗)となり、年間成績は15位。また、ナビスコ杯は予選敗退、天皇杯は3回戦で敗退した。

1999年 - 2001年[編集]

1999年大黒将志二川孝広がユースから昇格した。1stステージは6勝9敗で16チーム中10位に終わり、アントネッティがシーズン途中で監督を退任。2ndステージから早野宏史が監督に就任したが、5勝1分9敗の13位。年間成績は11位となった。また、ナビスコ杯は2回戦、天皇杯は4回戦で敗退した。

2000年、1stステージは5勝2分8敗の13位。2ndステージは開幕から5連勝。第10節の広島戦での勝利で3年ぶりに首位に立った。鹿島と優勝を争ったが、第14節で鹿島、最終節で磐田に破れ、順位は4位。なお、年間成績では6位、15勝2分13敗と3年ぶりに勝ち越した。また、天皇杯では3年ぶりにベスト4へ進出。

2001年遠藤保仁山口智を獲得。1stステージは9勝6敗の5位。1stステージ終了後、稲本がクラブ初となる海外移籍で、イングランドプレミアリーグアーセナルFCへ移籍。2ndステージは低迷し、第8節にC大阪戦(大阪ダービーVゴール負け)の翌日に早野が監督を辞任した。コーチの竹本一彦が監督に昇格したが、最終成績は5勝2分8敗の11位。年間成績は16チーム中7位(14勝2分14敗)。

2002年 - 2004年[編集]

2002年、前監督の西野朗が監督に就任。1stステージは中断期間までに4勝1分け2敗の4位。再開後も4連勝で一時は3位に浮上、最終的に9勝1分5敗で4位に入った。2ndステージも磐田と優勝を争ったが、直接対決で0-2と完敗するなどし、2位の成績(10勝5敗)。年間順位も過去最高の3位となり、19勝1分10敗と2年振りの勝ち越しを達成。また失点数・反則ポイント共に、チーム歴代最少であった。

2003年は、年間で7度アディショナルタイムで失点を喫するなど失った勝ち点が積み重なった結果、一時は残留争いに加わった。1stステージは4勝4分7敗で12位、2ndステージは優勝争いには絡めず、6勝5分4敗で7位。年間成績も10勝9分11敗と4年ぶりに負け越した。シーズン終了後、新井場徹が鹿島に移籍した。なお、4月17日、1996年12月29日の天皇杯準決勝広島戦でのプレー中の事故を最後に1998年シーズン途中に退団した今藤幸治が死去した。

2004年シジクレイフェルナンジーニョらを獲得。1st・2ndステージ共に優勝争いに加わり、1stステージ7勝3分5敗で4位、2ndステージ8勝3分4敗で3位の成績。なお、この年は大黒将志がリーグ戦日本人最多の20得点を挙げた。また、J1・1st第15節新潟戦で家長昭博がJリーグ史上初となる2種登録選手によるデビュー戦での初得点を挙げた。カップ戦においては、ナビスコ杯ベスト8、天皇杯ベスト4の成績となった。

2005年[編集]

2005年アラウージョ藤ヶ谷陽介を獲得するも、序盤6試合はわずか1勝であったが、リーグ戦中盤以降にはアラウージョ、大黒将志、フェルナンジーニョを擁する攻撃力が機能するようになり(総得点は合計82)、22節に首位に立つ。ナビスコ杯は初めて決勝へ進出。決勝は千葉にPK戦で敗退したが、準優勝の成績を収めた。リーグでは終盤に失速し、第33節終了時点でC大阪に抜かれ、2位に後退。それでも、最終節で川崎に勝利し、勝ち点1差の首位だったC大阪がFC東京と引き分けたため、クラブ創設以来初また関西のチームとして初となるリーグ優勝を果たした(詳細は2005年J1最終節を参照)。同時にAFCチャンピオンズリーグ2006(ACL)の出場権を獲得した。

この年、アラウージョがクラブのシーズン最多得点となる33得点を挙げ、クラブでは1998年のエムボマ以来となる得点王と、クラブ初となるリーグMVPを獲得。シーズン終了後、アラウージョが退団。この年、16得点を挙げた大黒もフランス2部リーググルノーブルへ移籍した。また、1993年のJリーグ開幕から所属した松波正信が現役を引退した。

2006年[編集]

2006年は、FWにマグノ・アウベスと、7年ぶりにG大阪復帰となる播戸竜二から元日本代表のMF明神智和、日本代表のDF加地亮らを獲得。また、ユースからは安田理大平井将生ら過去最多の6人が昇格した。

初出場したAFCチャンピオンズリーグ2006はマグノ・アウベスが8得点で大会得点王を獲得したが、グループリーグで敗退。A3チャンピオンズカップ2006中国大連実徳と千葉には勝利したが、韓国蔚山現代に大敗し、2位の成績。

リーグ戦は最終節前で浦和勝ち点3差の2位であったが、最終節の浦和との直接対決に2-3で敗れ、リーグ連覇はならなかった(最終順位は3位)。なお、マグノ・アウベスがクラブ史上3人目の得点王となる26得点、播戸も16得点を挙げた。

リーグ戦終了後、宮本恒靖がオーストリアレッドブル・ザルツブルクへ移籍、また、フェルナンジーニョも退団した。

天皇杯では、Jリーグ加入後初(前身の松下電器時代を含めると16年ぶり)の決勝進出を果たしたが、浦和に敗退した。

2007年[編集]

ナビスコカップ決勝時のガンバ大阪サポーターによるコレオグラフィー

2007年は、FWバレーレンタルでDF中澤聡太を獲得。開幕前に行われたゼロックススーパーカップでは浦和と2年連続で対戦し、マグノ・アウベスハットトリックを含む4-0で勝利しスーパカップ初制覇。

ナビスコ杯では、2年ぶりに決勝進出。決勝では川崎と対戦し、決勝点を挙げた安田理大が、大会MVPとニューヒーロー賞を受賞した。

リーグ戦は、クラブ初となる開幕4連勝で波に乗り、中断期間まで12勝5分け1敗と好調のまま首位。中断明けの浦和との直接対決に敗れ、最終的に2年連続の3位に終わったが、浦和が前年度の天皇杯とAFCチャンピオンズリーグ2007を優勝したため、ACLの大会規定により天皇杯優勝枠でAFCチャンピオンズリーグ2008の出場が決まった。

シーズン後、外国籍選手のクラブ最多出場記録を持ち、ゲームキャプテンも務めたシジクレイが退団。また、實好礼忠が現役を引退した。

2008年[編集]

佐々木勇人ルーカス山崎雅人らを獲得した2008年シーズンは300日余りの間に公式戦を過去最多の61試合をこなす過酷な日程となった。

2月のパンパシフィックチャンピオンシップ2008は、初戦でロサンゼルス・ギャラクシー、決勝でヒューストン・ダイナモに夫々勝利し、1992年クイーンズカップ以来となる16年ぶりに国際タイトルを獲得した。

5月17日、埼玉スタジアムの浦和戦(第13節)で、一部のG大阪サポーターによる浦和側への観客席に対する物の投げ込みを発端とした両クラブのサポーターが衝突する騒動が発生し、クラブは騒動を起こしたBB sez TOKYOの団員2名を永久入場禁止とし、同団体は解散となった。また、Jリーグから1,000万円の制裁金が課された。

7月30日、スルガ銀行チャンピオンシップアルゼンチンアルセナルFCと対戦し、0-1で敗れた。

2年ぶりに出場したAFCチャンピオンズリーグ2008では準決勝で前年覇者である浦和とのACL史上初のJリーグ勢対決を2戦合計4-2(第1戦 1-1、第2戦 3-1)で制すると、11月12日の決勝ではオーストラリアのアデレード・ユナイテッドに2戦合計5-0(第1戦 3-0、第2戦 2-0)で勝利し、クラブ史上初、Jリーグ勢では1999年(AFCチャンピオンズリーグの前身であるアジアクラブ選手権)の磐田、2007年の浦和に次ぐ3クラブ目となるアジア制覇を果たす。また、ACL史上3クラブ目の無敗での優勝、そして、史上初のアウェー全勝(6戦中4戦が逆転勝ち)での優勝であった。遠藤保仁が大会MVPを受賞。また、AFCよりアジア年間最優秀クラブ賞を受賞し、監督の西野朗がアジア年間最優秀監督賞を受賞した。

一方で、リーグ戦はシーズン序盤でやや躓くと、立て直してきた中盤には播戸竜二肝機能障害、遠藤がウィルス感染症で離脱。更に、エースストライカーのバレーUAEアル・アハリに移籍。また、横浜FMからロニーを獲得するも、チームにフィットせず中盤で大失速。特にJ1第19節からJ1第24節まで勝利が無く、優勝争いから脱落する。最終順位は8位に終わった。

12月、日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ2008は初戦の準々決勝でこの年3度目の対戦となったアデレードに1-0で勝利。準決勝はヨーロッパ王者マンチェスター・ユナイテッドに3-5で敗戦。3位決定戦は北中米カリブ海王者パチューカに1-0で勝利し、前年の浦和に続き大会3位となった。

天皇杯はクラブワールドカップとの日程が並行したため、中2?3日の間隔で試合が行なわれたが、2年ぶりに決勝へ進出。との決勝は延長後半に途中出場の播戸の先制点が決勝点となり1-0で勝利し、前身の松下電器時代の1990年度大会以来、18年ぶり2度目の優勝を果たす。また、国内3大タイトルを全て獲得した5つ目のクラブとなった。同時にAFCチャンピオンズリーグ2009出場権も獲得した。

2009年[編集]

2009年は、レアンドロチョ・ジェジンなどのFW、高木和道パク・ドンヒョクの日韓代表経験を持つDFらを獲得した。

2009年5月16日 浦和レッズ戦

5月2日、レアンドロがJ1第9節 大分戦で4月8日のACLグループリーグ第3節 スリウィジャヤ戦から続いていた、公式戦の連続試合得点をクラブ新記録となる7試合連続ゴールを達成した。最終的には5月10日のJ1第11節[12] 柏戦までの9試合まで記録を更新。また、同試合で4月12日J1第5節 大宮戦から続いていたJ1の連続試合得点をクラブタイ記録の6試合連続ゴールも達成した。

5月20日、ACLグループリーグ第6節 FCソウル戦で、この年クラブ初の高校2年生でトップチームに昇格した宇佐美貴史が、1997年に稲本潤一が記録したクラブ最年少記録を更新する、17歳14日での公式戦初出場・初得点を記録。しかし、試合には敗れ、2006年のACLから続いていたACLの連続無敗記録が19試合で途切れた。そして、ラウンド16で川崎に敗れ、ACL連覇を逃した。

リーグ戦は開幕から二川孝広加地亮の不在や期待された新戦力がチームに馴染まなかった影響により、なかなか調子が上がらず、特に5月後半から7月の半ば頃まで、万博でのホームゲームで6連敗(ACL、ナビスコカップ含む)を喫した。さらに8月にはチーム得点王のレアンドロがカタールアル・サッドに移籍。新潟からペドロ・ジュニオールを獲得するもチームへのフィットに時間がかかり結果は出せず、一時は鹿島との最大勝ち点差が19となった。

11月8日、J1第31節 京都戦のペドロ・ジュニオールの2得点目で鹿島、磐田に次ぐ3クラブ目となるリーグ戦クラブ通算1000ゴールを達成。11月24日、AFCより遠藤保仁が日本人選手5人目、Jリーグ所属選手では1997年の中田英寿平塚)以来となるアジア年間最優秀選手賞を受賞した。

後半戦はなんとか立て直し、第32節まで優勝の可能性を残しつつも、第33節で首位の鹿島との直接対決で1-5と大敗して優勝を逃した。それでも、最終的に3位となり、AFCチャンピオンズリーグ2010の出場権は獲得した。

天皇杯は決勝で名古屋をで破り、歴代7チーム目の天皇杯連覇を達成。なお、ルーカスが天皇杯6試合で8得点を挙げた。なお、天皇杯決勝戦を最後に、1997年から所属した松代直樹が現役を引退した。

2010年[編集]

2010年は、ここ数年行った大型補強を行わず、新人とレンタル復帰以外では、FWのドドゼ・カルロスの獲得のみにとどめ、現有戦力の維持を優先した。

シーズン開幕から6試合連続公式戦未勝利。リーグ戦も開幕から5試合連続未勝利で、その後も相次ぐ主力選手の離脱、外国籍選手の不調、更には試合終了間際の失点などが重なり、なかなか波に乗れず、1試合未消化であるものの首位争いから大きく離され、11位で中断期間に入る。また、ペドロ・ジュニオールがブラジルのクラブへ移籍し、ゼ・カルロスも途中退団した。

AFCチャンピオンズリーグ2010は、グループリーグ第3節シンガポール・アームド・フォーシズ戦で平井将生が日本人選手では7人目、ユース出身選手では大黒将志以来となるハットトリックを達成する活躍などで、3年連続グループリーグを突破するもラウンド16でこの年ACLを制した城南一和に敗れた。

リーグ後半戦、磐田から韓国代表イ・グノを獲得。優勝した名古屋との直接対決では2試合とも敗れ、勝ち点10差をつけられたが、2位の成績となり、AFCチャンピオンズリーグ2011の出場権を獲得した。なお、ACLでハットトリックを決めた平井がチームトップの14得点(リーグでは日本人2位)、高校3年生ながら主力に定着した宇佐美貴史も高校生Jリーガーのシーズン最多記録となる7得点を挙げ、G大阪下部組織出身者として初のJリーグベストヤングプレーヤー賞(新人王)を受賞した。3年目の武井択也も途中離脱した明神智和の代役としてチームに貢献した。

天皇杯では準決勝で清水に敗れ天皇杯3連覇を逃した。

シーズン終了後、安田理大オランダ1部フィテッセに、C大阪へレンタル移籍していた家長昭博スペイン1部マジョルカに、広島へレンタル移籍していた山崎雅人が広島に、安田晃大北九州に、ルーカスアトレチコ・パラナエンセに完全移籍した。

2011年[編集]

クラブ設立20周年となる2011年は、Kリーグ全北現代モータースから元U-23韓国代表のキム・スンヨンブラジル1部SCインテルナシオナルから昨シーズンC大阪でリーグ戦14得点を挙げたアドリアーノ、大学生の金正也藤春廣輝川西翔太を獲得、ユースから大森晃太郎が昇格し、開幕直後にレンタルでコリンチャンス-ALからアフォンソを獲得した。

アンブロ(販売元:デサント)と新たに2020年シーズンまでのユニフォームサプライヤー契約を締結した。また、1995年以来毎年行われてきた石川県西部緑地公園陸上競技場でのホームゲームから撤退した。

3月11日に発生した東日本大震災の影響で、J1第2節から第6節が開催延期となった。これを受け、クラブ公式サイトで被災地への義援金を募るチャリティーオークションが開催され、3月27日には神戸との「東北地方太平洋沖地震チャリティーマッチ ?LET'S SUPPORT OUR FRIENDS 今こそ仲間のために行動しよう!?」が万博記念競技場で開催された。10月2日、創立20周年記念試合となったJ1第28節浦和戦で、6クラブ目となるJ1通算300勝を達成。

AFCチャンピオンズリーグ2011はグループリーグを首位で突破したが、ラウンド16でC大阪に敗退。ナビスコ杯は浦和に準決勝で敗退。天皇杯水戸に3回戦で敗退。

リーグ序盤戦、アドリアーノがクラブタイ記録の6試合連続得点を記録するなど得点ランキングトップを独走する活躍を見せ、攻撃面ではリーグトップの得点数であったが、守備面は開幕からの連続失点試合がリーグワーストの18試合で、総失点数が一時期リーグ最多となった。6月、アドリアーノがカタールのアル・ジャイシュ、7月に宇佐美貴史ドイツバイエルン・ミュンヘンに移籍した一方、草津からFWラフィーニャを獲得。ラフィーニャ加入以降の夏場を無敗で乗り切り、第22節川崎戦で2009年3月以来となる首位に立ったが、第29節名古屋戦に大敗し、に首位を明け渡した。その後、最終節まで優勝の可能性を残したが、最終順位は3位で2年連続無冠に終わった。

シーズン終了後、2002年から10年間監督を務めた西野朗が退任した。

2012年[編集]

天皇杯決勝時のガンバ大阪サポーター

2012年、監督にジョゼ・カルロス・セホーンが就任。コーチ陣も元日本代表呂比須ワグナーを含む3人が加入。山口智橋本英郎下平匠やイ・グノらが退団した一方、FC東京から今野泰幸甲府からパウリーニョ徳島から佐藤晃大FCソウルからイ・スンヨルを完全移籍で、清水から武田洋平CAタボン・ダ・セーハからエドゥワルドをレンタル移籍で獲得し、丹羽大輝が6年ぶり、寺田紳一倉田秋が3年ぶりにレンタル移籍先から復帰。新人では大卒で阿部浩之、テスト生から沼田圭悟を獲得し、ユースからは田尻健西野貴治稲森克尚が昇格した。

シーズン初の公式戦となったAFCチャンピオンズリーグ2012グループリーグ初戦に0-3で敗北。また、J1第2節のC大阪戦(大阪ダービー)を含むJ1第3節まで公式戦5連敗を喫した。J1第3節終了後の3月26日に監督のセホーン、ヘッドコーチの呂比須、フィジカルコーチのウェリントンおよび強化本部長の山本浩靖を解任。後任にコーチの松波正信がクラブOB初・クラブ最年少で監督に就任した。ACLでは1勝に留まり、この年出場したJリーグ勢で唯一グループリーグで敗退。

第6節(川崎戦)でリーグ戦初勝利を挙げたが、中断前の12試合でわずか2勝(3分7敗)。15位の新潟と勝点差6(ACL出場による日程変更でリーグ戦試合消化はガンバが新潟より1試合少ない状態)の16位と降格圏に低迷。これを受け、夏の補強としてRCDマヨルカから家長昭博アル・サッドからレアンドロが期限付き移籍で復帰。また、清水から岩下敬輔を期限付き移籍で獲得。一方で、6月にラフィーニャと契約解除。7月にイ・スンヨルが蔚山現代FC、寺田が横浜FC、星原が水戸へそれぞれ期限付き移籍で退団。中盤以降、新戦力のレアンドロや家長の活躍もあり後半戦はやや持ち直すものの、第33節時点で降格圏内の16位で第34節(最終節)を迎える。しかし、最終節の磐田戦に敗れ、最終的には17位の成績となり、初のJ2降格が決定した。この年、総得点数はリーグ1位の67得点であったが、総失点はリーグ17位の65失点であった。大量得点で勝つこともあった反面、1試合2得点以下の試合では1勝もすることができなかった。また、ホームは17試合の内わずか4勝(7分6敗)に終わった。

天皇杯は3年ぶりに決勝へ進出したが、に敗れ、ACLの出場権を逃した。シーズン終了後、松波が監督を退任した[13]

2013年[編集]

初のJ2で迎えた2013年、監督に元清水監督の長谷川健太が就任[1]中澤聡太川崎へ、佐々木勇人仙台へ完全移籍したが、主力選手の大半がチームに残留した。シーズン前の補強では、ロンドン五輪韓国代表のオ・ジェソク関西大学からユース出身の岡崎建哉を獲得。一方で、ユースからの昇格は14年ぶりに見送られた。

開幕から12試合連続無敗を記録(6勝6分)。第13節神戸戦で初黒星を喫したが、第13節以降6連勝を記録。第16節終了時点で神戸をかわして首位に浮上。代表組の遠藤・今野が不在となった6月も無敗で乗り切り前半戦を首位で折り返す。後半戦、2012年夏から期限付き移籍で加入していた家長とレアンドロがそれぞれ契約満了により退団するが、ステアウア・ブカレストからロチャ、ドイツ・TSG1899ホッフェンハイムへの期限付き移籍が満了した宇佐美貴史が2年ぶりに復帰した。夏場はロチャ・宇佐美の活躍で順調に乗り切ったが、第32節長崎戦でホーム初黒星を喫すると、以降やや失速し第35節で神戸に再び首位の座を明け渡してしまう。それでも、第37節以降連勝を重ねると、第39節熊本戦での勝利で首位を再奪還すると同時に1年でのJ1昇格が決定。さらに、ホーム最終戦となった第41節山形戦でJ2優勝を達成した。ホーム万博でタイトルを勝ち取ったことはこれが初であった。また、J1・J2両カテゴリーの優勝は柏・広島に次ぐ3クラブ目となった。総得点は2位の神戸の78点を21点上回る99得点であった。

この年、ホームでの観客動員は平日開催が多かったこともあり、ホームゲームのシーズン平均入場者数は前年よりも下回る12,286人(前年度比83.1%)であったが、アウェーでは各地で好調な動員を記録。前年のJ2の平均観客動員は6000人を下回ったが、2013年のアウェーのガンバ戦はほとんどが1万人以上の動員を記録。中でも、富山、松本、岡山など複数のクラブ過去最多動員記録を更新し、J2全体の入場者数は前年より約15%増加するなど、J2の観客動員増加に大きく貢献したシーズンであった。

2014年[編集]

2年ぶりのJ1で迎えた2014年新潟から東口順昭千葉から米倉恒貴を獲得し、河田晃兵が3年ぶり、金正也が2年ぶりにレンタル先から復帰。外国人選手では、クリシューマECからリンスパウリスタFCから期限付き移籍でエブソンを獲得。ユースからは内田裕斗小川直毅、さらに井手口陽介がクラブ史上5人目となる飛び級で昇格した。

シーズン中には、エブソンが讃岐へ期限付き移籍、加地亮が、MSLチーヴァス・USAへ完全移籍したが、川崎甲府に在籍していたパトリックを期限付き移籍で獲得した。

4月16日、ナビスコカップ・グループリーグ第3節鳥栖戦で、2種登録選手の高木彰人が16歳8カ月12日での公式戦初出場を果たし、2009年に宇佐美が記録したクラブ史上最年少出場記録を更新した。

選手[編集]

国際大会出場選手[編集]

成績[編集]

国内3大大会成績
Jリーグ ディビジョン1 ナビスコ杯 天皇杯全日本サッカー選手権大会
順位 回数 年度 成績 回数 年度 成績 回数 年度
優勝 1 2005 優勝 1 2007 優勝 2 2008, 2009
2位 1 2010 準優勝 1 2005 準優勝 2 2006, 2012
3位 6 2002, 2004, 2006, 2007, 2009, 2011 ベスト4 5 1993, 1994, 2002, 2008, 2011 ベスト4 8 1994, 1995, 1996, 1997, 2000, 2004, 2007, 2010
4位 1 1997 ベスト8 6 2003, 2004, 2006, 2009, 2010, 2012 ベスト8 3 1992, 2001, 2005,
6位 1 2000 2回戦敗退 3 1999, 2000, 2001 ベスト16 3 1999, 2002, 2003
7位 2 1993, 2001 予選敗退 4 1992, 1996, 1997, 1998 3回戦敗退 3 1998, 2011, 2013
8位 1 2008 2回戦敗退 1 1993
10位 2 1994, 2003
11位 1 1999
12位 1 1996
14位 1 1995
15位 1 1998
17位 1 2012

年度別チーム得点王[編集]

年度 チーム得点王 得点 備考
1993 日本の旗 永島昭浩 12得点
1994 日本の旗 山口敏弘 16得点
1995 オランダの旗 ヒルハウス 20得点
1996 クロアチアの旗 ムラデノビッチ 11得点
1997 カメルーンの旗 エムボマ 25得点 リーグ得点王
1998 日本の旗 小島宏美 17得点
1999 日本の旗 小島宏美
ブラジルの旗 ルイジーニョ
6得点
2000 日本の旗 小島宏美 9得点
2001 クロアチアの旗 ニーノ・ブーレ 17得点
2002 ブラジルの旗 マグロン 22得点
2003 ブラジルの旗 マグロン 15得点
2004 日本の旗 大黒将志 20得点
2005 ブラジルの旗 アラウージョ 33得点 J1得点王
2006 ブラジルの旗 マグノ・アウベス 26得点 J1得点王
2007 ブラジルの旗 バレー 20得点
2008 ブラジルの旗 バレー 10得点
2009 ブラジルの旗 レアンドロ 11得点
2010 日本の旗 平井将生 14得点
2011 韓国の旗 イ・グノ 15得点
2012 ブラジルの旗 レアンドロ 14得点
2013 日本の旗 宇佐美貴史 19得点

ダービーマッチ[編集]

大阪ダービー[編集]

関西ダービー[編集]

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

表彰[編集]

アジアサッカー連盟(AFC)
  • AFC年間最優秀監督賞
  • AFC年間最優秀クラブ賞
    • 2008年
Jリーグ
ナビスコカップ
その他受賞
  • 関西スポーツ賞
    • 2005年 特別賞
    • 2008年 特別賞
    • 2009年 特別賞 - 日本の旗 遠藤保仁
  • 大阪イメージアップ賞(知事賞詞)
    • 2009年

クラブ記録[編集]

最多得点試合[編集]

J1リーグ戦
  • 7-1 【2004年10月2日 2nd第8節 C大阪戦(万博)】
  • 7-1 【2005年7月2日 第13節 東京V戦(万博)】
  • 7-2 【2012年8月25日 第23節 札幌戦(万博)】
J2リーグ戦
  • 8-2 【2013年7月3日 第22節 岐阜戦(長良川)】(J2の最多得点記録)
Jリーグカップ(ナビスコ杯)
  • 5-0 【1993年10月16日 グループリーグ第7節 広島戦(西京極)】
  • 5-2 【1998年5月23日 グループリーグ第2節 札幌戦(万博)】
  • 5-3 【2005年5月21日 グループリーグ第3節 東京V戦(万博)】
  • 5-2 【2007年7月14日 準々決勝第2戦 浦和戦(万博)】
天皇杯
AFCチャンピオンズリーグ(ACL)
  • 15-0 【2006年3月22日 グループリーグ第2節 ダナンFC戦(万博)】(ACLの最多得点タイ記録)

最多失点試合[編集]

J1リーグ戦
  • 1-7 【1996年5月4日 第12節 柏戦(万博)】
Jリーグカップ(ナビスコカップ)
  • 1-7 【1994年8月3日 準決勝 V川崎戦(瑞穂)】

連勝記録[編集]

J1リーグ戦
  • 9連勝 【1997年8月9日 2nd第4節 清水戦(日本平) - 1997年9月13日 第12節 横浜F戦(万博)】
天皇杯
  • 15連勝 【2008年11月16日 4回戦 甲府戦(万博) - 2010年12月25日 準々決勝 浦和戦(万博)】
AFCチャンピオンズリーグ(ACL)
  • 8連勝 【2008年10月8日 決勝T準決勝第2戦 浦和戦(埼玉) - 2009年5月6日 グループリーグ第5節 山東魯能泰山戦(山東)】

連続無敗記録[編集]

J1リーグ戦
  • 13試合 【2007年4月22日 第7節 磐田戦(万博) - 2007年8月11日 第19節 新潟戦(万博)】
ホーム
  • 25試合(20勝5分) 【2006年3月29日 第4節 大宮戦 - 2007年8月11日 第19節 新潟戦】(J1史上最多タイ記録)
AFCチャンピオンズリーグ(ACL)
  • 19試合 【2006年5月3日 グループリーグ第5節 全北現代モータース戦(万博) - 2009年5月6日 グループリーグ第5節 山東魯能泰山戦(山東)】

連敗記録[編集]

J1リーグ戦
  • 8連敗 【1995年5月10日 サントリー第15節 浦和戦(大宮) - 1995年7月8日 第22節 V川崎戦(万博)】

リーグ戦通算勝利記録[編集]

  • 初勝利 【1993年5月16日 サントリー第1節 浦和戦(万博)】
  • 通算100勝 【1999年8月16日 2nd第4節 柏戦(万博)】
  • 通算150勝 【2002年11月16日 2nd第13節 浦和戦(駒場)】
  • 通算200勝 【2006年4月15日 第8節 横浜FM戦(日産)】
  • 通算250勝 【2009年4月17日 第6節 山形戦(万博)】
  • 通算300勝 【2011年10月2日 第28節 浦和戦(万博)】

個人記録[編集]

最年少出場[編集]

公式戦
  • 16歳8カ月12日 - 日本の旗 高木彰人【2014年4月16日 ナビスコカップ グループリーグ第3節 鳥栖戦(ベアスタ)】
J1リーグ戦
  • 17歳18日 - 日本の旗 宇佐美貴史【2009年5月24日 第13節 鹿島戦(万博)】

最年少得点[編集]

公式戦
  • 17歳14日 - 日本の旗 宇佐美貴史【2009年5月20日 ACLグループリーグ第6節 FCソウル戦(万博)】
J1リーグ戦
  • 17歳179日 - 日本の旗 稲本潤一 【1997年4月20日 第3節 清水戦(万博)】

通算最多出場[編集]

日本人選手
  • 409試合 - 日本の旗 二川孝広 (1999年 - 2013年) ※継続中【初出場:1999年8月28日 2nd第5節 横浜FM戦】
外国籍選手
  • 122試合 - ブラジルの旗 シジクレイ (2004年 - 2007年) 【初出場:2004年3月13日 1st第1節 鹿島戦】

通算最多得点[編集]

日本人選手
外国籍選手

シーズン最多得点[編集]

日本人選手
外国籍選手

リーグ戦通算出場記録[編集]

※2013年J2リーグ終了時点(他クラブでの出場を含む)

連続試合得点[編集]

公式戦
  • 9試合
    • ブラジルの旗 レアンドロ【2009年4月8日 ACLグループリーグ第3節 vsスリウィジャヤ - 2009年5月10日 J1リーグ第11節 柏戦】
J1リーグ戦
  • 6試合
    • カメルーンの旗 エムボマ【1997年8月23日 2nd第7節 C大阪戦 - 1997年9月13日 2nd第12節 横浜F戦】
    • ブラジルの旗 アラウージョ【2005年9月3日 第22節 東京V戦 - 2005年10月15日 第27節 神戸戦】
    • 日本の旗 播戸竜二【2006年8月27日 第20節 名古屋戦 - 2006年10月1日 第25節 甲府戦】
    • ブラジルの旗 レアンドロ【2009年4月12日 第5節 大宮戦 - 2009年5月10日 第11節[12] 柏戦】
    • 日本の旗 橋本英郎【2010年7月28日 第15節 神戸戦 - 2010年8月22日 第20節 名古屋戦】
    • ブラジルの旗 アドリアーノ【2011年4月29日 第8節 山形戦 - 2011年6月15日 第15節[14] 仙台戦】

ハットトリック[編集]

J1リーグ戦
  • 4得点
  • 3得点
    • 日本の旗 永島昭浩【1993年6月5日 サントリー第7節 名古屋戦】(日本人選手初のハットトリック)
    • 日本の旗 松波正信【1993年11月20日 NICOS第14節 市原戦】(18歳364日のJ1最年少記録)
    • 日本の旗 山口敏弘【1994年4月6日 サントリー第7節 平塚戦】
    • ウクライナの旗 プロタソフ【1995年6月28日 サントリー第20節 清水戦】
    • カメルーンの旗 エムボマ【1998年4月18日 1st第7節 柏戦】
    • ユーゴスラビアの旗 ドロブニャク【1998年8月8日 1st第17節 横浜F戦】
    • 日本の旗 小島宏美【2000年4月22日 1st第8節 福岡戦】
    • 日本の旗 大黒将志【2004年10月2日 2nd第8節 C大阪戦】【2004年11月6日 2nd第12節 新潟戦】【2005年4月23日 第7節 FC東京戦】
    • ブラジルの旗 アラウージョ【2005年7月2日 第13節 東京V戦】【2005年9月10日 第23節 広島戦】
    • ブラジルの旗 フェルナンジーニョ【2006年3月12日 第2節 C大阪戦】
    • ブラジルの旗 マグノ・アウベス【2006年3月12日 第2節 C大阪戦】【2006年11月26日 第33節 京都戦】
    • ブラジルの旗 バレー【2007年9月1日 第24節 名古屋戦】
    • ブラジルの旗 ラフィーニャ【2011年8月20日 第22節 川崎戦】
    • ブラジルの旗 レアンドロ【2012年8月25日 第23節 札幌戦】
J2リーグ戦
天皇杯
FUJI XEROX SUPER CUP(スーパーカップ)
AFCチャンピオンズリーグ(ACL)
  • 4得点
  • 3得点
    • ブラジルの旗 フェルナンジーニョ【2006年3月22日 グループリーグ第2節 vsダ・ナン(万博)】
    • ブラジルの旗 レアンドロ【2009年3月17日 グループリーグ第2節 vsFCソウル(ソウル)】
    • 日本の旗 平井将生【2010年3月23日 グループリーグ第3節 vsシンガポール・アームド・フォーシズ(シンガポール)】
パンパシフィックチャンピオンシップ
  • 4得点
    • ブラジルの旗 バレー【2008年2月23日 決勝 vsヒューストン・ダイナモ(ハワイ)】(大会初ハットトリック)

記念ゴール[編集]

J1リーグ記録
  • 通算100ゴール - 日本の旗 松波正信【1993年6月9日 サントリー第11節 広島戦(万博)】
  • 通算10,000ゴール - 日本の旗 前田雅文【2005年5月8日 第11節 名古屋戦(万博)】
  • 通算15,500ゴール - ブラジルの旗 ラフィーニャ【2011年9月18日 第26節 横浜FM戦(日産)】
クラブ記録
  • 第1ゴール - 日本の旗 和田昌裕【1993年5月16日 サントリー第1節 浦和戦(万博)】
  • 通算100ゴール - 日本の旗 山村博土【1994年9月21日 NICOS第12節 広島戦(福島)】
  • 通算200ゴール - オランダの旗 ヒルハウス【1995年11月22日 NICOS第25節 C大阪戦(万博)】
  • 通算300ゴール - 日本の旗 稲本潤一【1997年9月20日 2nd第13節 柏戦(万博)】
  • 通算400ゴール - 日本の旗 小島宏美【2000年4月22日 1st第8節 福岡戦(万博)】
  • 通算500ゴール - 日本の旗 吉原宏太【2002年4月13日 1st第6節 FC東京戦(万博)】
  • 通算600ゴール - 日本の旗 山口智【2004年4月3日 1st第6節 清水戦(万博)】
  • 通算700ゴール - ブラジルの旗 アラウージョ【2005年7月6日 第14節 広島戦(広島ビ)】
  • 通算800ゴール - 日本の旗 播戸竜二【2006年8月30日 第21節 新潟戦(万博)】
  • 通算900ゴール - 日本の旗 播戸竜二【2008年3月30日 第3節 東京V戦(万博)】
  • 通算1,000ゴール - ブラジルの旗 ペドロ・ジュニオール【2009年11月8日 第31節 京都戦(万博)】
  • 通算1,100ゴール - 韓国の旗 イ・グノ【2011年7月10日 第3節 大宮戦(NACK)】
  • 通算1,200ゴール -

その他記録[編集]

スタジアム[編集]

ホーム側サポーターとアストロビジョン

ホームスタジアムは万博記念競技場であり、同競技場の南にはクラブハウスと練習グラウンド、クラブショップが併設されている。1997年までは京都府京田辺市の松下電工(現:パナソニック)敷地内にあった練習グラウンドを使用していた。

G大阪が関西唯一のJリーグクラブであった頃は、神戸ユニバー記念競技場西京極競技場でもホームゲームを行ったことがある。また、1995年〜2010年まで金沢市石川県西部緑地公園陸上競技場でホームゲームを行っていた。現在はすべて万博記念競技場でホームゲームを開催している[15]

美味G横丁[編集]

美味G横丁(おいじいよこちょう)は、万博記念競技場の最寄り駅「公園東口駅」からスタジアムに向かう通り道で開催されているG大阪のフードコート。2008年6-7月にフードフェスタが導入され、2008年8月より美味G横丁と名称を変更し、ホームゲームで開催されている。2009年からはメインスタンド裏にも出店している。

新スタジアム構想[編集]

2008年7月、万博記念競技場国際サッカー連盟(FIFA)の定める国際規格を満たしていないため、新スタジアムの建設・移転計画が発表された[16]。実際に2008年に開催されたスルガ銀行チャンピオンシップは、C大阪のホームスタジアムである大阪長居スタジアムで行われた。

2009年7月11日、万博記念競技場において、収容人数は32,000人、建設資金推定金額150億円。サッカー専用の屋根付きスタジアムとし、スタンド屋根部分には「ソーラーパネル」を設置して、電力供給を担うとの内容のスタジアム構想が発表された[17][18]。また、同時に新スタジアム建設費の一部を民間資金で調達する計画もリリースされた[17][18]。また、建設予定地を万博敷地内にするよう吹田市などに要請した[17]

2010年1月8日、当時日本サッカー協会が目指していた2018/2022年FIFAワールドカップ日本招致構想の開催地自治体に吹田市が立候補し、開催スタジアムをG大阪が同市内に建設予定の新スタジアムを使用することを発表した[19]。しかし、吹田市は、完成したスタジアムの寄贈を受ける一方、G大阪が市に肩代わりを求めていた用地賃借料・年約2億円、完成後の大規模修繕費・約20億円、W杯招致に向けたスタジアムの増改築費約20-30億円についての費用は負担しないことを決めた。これにより、G大阪は3月議会に予定していたスタジアムの寄付収受の議案の提出を当面見送り、新たな資金確保策について検討していたが[20]、3月5日にG大阪が新スタジアム計画を保留したことにより、吹田市は2018/2022年のワールドカップ開催都市への立候補を辞退した[21]

2010年3月11日、新スタジアムの建設を目的とした「スタジアム建設募金団体」が発足、同団体の理事長にG大阪を運営する株式会社ガンバ大阪の代表取締役が就任した。なお、募金活動は建設候補地が正式に決定し、採納予定地方公共団体の議会による承認を受けた上で、大阪国税局から認定された後に開始された[22]

2011年5月に就任した井上哲也吹田市長が、新スタジアムに対する受け入れ姿勢を示したことで、2010年3月以降、協議が中断していた吹田市と協議を再開。同年10月24日、万博記念公園内に建設する方針を固め、吹田市にスタジアム建設決定の報告書を提出[23]。同年11月7日にはG大阪吹田後援会が新スタジアム建設推進に向け署名活動を開始[24]。同年12月26日、吹田市議会で、新スタジアムの建設と吹田市が寄贈を受けるための議案が承認された[25]。また、32,000人収容のスタジアム建設に必要な110億円は、この時点でほぼメドが立ち、今後の寄付金の上積みが見込めれば、40,000人を目標に規模を拡大することも明かされた[25]

2012年3月、新スタジアムが吹田市の環境影響評価(アセスメント)の対象となり、それに約1年半を要することが判明したことで、完成予定が当初の2013度末から1年以上延期することになった[26]。同年4月2日、スタジアム建設のための募金活動を開始[27]

2013年10月、募金金額が最低基準をクリアし新スタジアムの着工を同年12月に開始することが発表された[28]。同年12月、スタジアム建設の起工式が行われた[29]。収容人数は約40,000人、完成は2015年10月頃になる見込み。

観客動員記録[編集]

最多観客動員試合[編集]

2006年9月23日 川崎フロンターレ戦
J1リーグ戦
J2リーグ戦
  • 万博記念競技場
    • 18,193人【2013年7月20日 第25節 神戸戦】
参考記録

最少観客動員試合[編集]

J1リーグ戦
  • 万博記念競技場
    • 2,720人【1999年4月28日 1st第9節 京都戦】
  • 石川県西部緑地公園陸上競技場
    • 7,739人【2001年11月3日 2nd第13節 広島戦】
  • 神戸ユニバー記念競技場
    • 7,774人【1995年9月27日 NICOS第12節 磐田戦】
J2リーグ戦
  • 万博記念競技場
    • 6,559人【2013年9月15日 第33節 水戸戦】

年度別観客動員記録[編集]

年度 所属 合計
動員数
最多動員数 最少動員数 平均
動員数
試合数 ホーム試合会場 備考
動員数 相手 会場 動員数 相手 会場
1993 J 388,286 41,054 V川崎 神戸ユ 13,069 名古屋 西京極 21,571 18 万博15、神戸ユ2、西京極1
1994 492,084 37,292 浦和 12,568 磐田 22,367 22 万博17、神戸ユ4、西京極1
1995 346,054 19,486 V川崎 万博 7,320 清水 万博 13,310 26 万博21、神戸ユ3、西京極1、佐賀1
1996 120,058 13,517 名古屋 金沢 5,025 磐田 8,004 15 万博14、金沢1 スタンドの増築
1997 135,088 16,071 浦和 万博 4,716 京都 8,443 16 万博15、金沢1
1998 148,290 18,890 磐田 3,282 8,723 17 万博16、金沢1
1999 J1 119,934 17,807 名古屋 2,720 京都 7,996 15 万博15
2000 146,917 21,543 鹿島 4,182 福岡 9,794 15 万博15
2001 175,849 21,598 鹿島 6,175 FC東京 11,723 15 万博14、金沢1
2002 191,429 22,712 磐田 6,130 広島 12,762 15 万博14、金沢1
2003 153,324 16,146 鹿島 4,828 千葉 10,222 15 万博14、金沢1
2004 187,752 18,011 磐田 4,429 千葉 12,517 15 万博14、岡山1
2005 271,416 22,884 鹿島 6,646 新潟 15,966 17 万博16、金沢1 初のリーグ優勝
2006 276,395 20,916 浦和 8,388 大分 16,259 17 万博16、金沢1 ゴール裏の改装
2007 296,465 20,982 浦和 12,163 大分 17,439 17 万博16、金沢1
2008 274,169 20,773 横浜FM 10,039 16,124 17 万博16、金沢1
2009 301,105 20,394 京都 10,159 山形 17,712 17 万博16、金沢1
2010 283,111 20,973 C大阪 9,093 京都 16,654 17 万博16、金沢1
2011 278,981 20,991 鹿島 11,364 磐田 16,411 17 万博17
2012 251,232 19,393 FC東京 8,218 鳥栖 14,778 17 万博17
2013 J2 257,996 18,193 神戸 6,559 水戸 12,286 21 万博21
5,095,933 14,116 361 万博335/金沢12/その他14
  • 動員数の太字は歴代最多記録

アカデミー[編集]

G大阪のアカデミーは、初代監督 釜本邦茂が主催していたジュニアユースおよびジュニア年代のクラブチーム「釜本FC」が移行する形でJリーグ開幕前年の1992年に発足したものであり[30]、「豊かな人間形成」「世界に通じるクリエイティブな選手の育成」「フェアプレー精神の遵守」の3つをコンセプトとする指導方針のもと、ユース(約30名)、ジュニアユース(3チーム、約300名)、ジュニア(4チーム、約1500名)の3カテゴリーで構成された一貫指導体制を敷いている[31]

2008年までG大阪の育成・普及部長を務めた初代ユース監督上野山信行の指導のもと、Jリーグ開幕当初から様々な大会で実績を残している。また、宮本恒靖稲本潤一新井場徹大黒将志橋本英郎二川孝広家長昭博安田理大宇佐美貴史などがトップチームに昇格している。

ガンバ大阪ユース[編集]

Jリーグ開幕当初から全国のクラブユースチームを代表するチームで、1998年高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 では、大黒将志二川孝広らを擁して、全国レベルの強豪校と互角に渡り合い準優勝の成績を収めた。なお、Jユースカップの優勝回数(4回)は最多である。

年度 所属 リーグ戦 カップ戦 監督
試合 勝点 順位 クラブユース
選手権
高円宮杯 Jユースカップ
1992 準優勝 上野山信行
1993 ベスト8 3位
1994 ベスト16 優勝
1995 準優勝 ベスト8 ベスト4
1996 GL敗退 ベスト8 準優勝
1997 ベスト4 ベスト16 ベスト4 西村昭宏
1998 優勝 準優勝 ベスト4
1999 GL敗退 ベスト16 竹本一彦
2000 ベスト8 優勝 高橋真一郎
2001 ベスト8 ベスト8
2002 GL敗退 優勝
2003 プリンスリーグ関西 7 19 6 1 0 優勝 ベスト8 GL敗退 ベスト16 島田貴裕
2004 7 19 6 1 0 優勝 GL敗退 ベスト8 GL敗退
2005 7 18 6 0 1 優勝 ベスト4 ベスト16 ベスト4
2006 6 13 4 1 1 2位 優勝 ベスト4 ベスト16
2007 6 14 4 2 0 優勝 優勝 ベスト8 ベスト4
2008 プリンスリーグ関西1部 7 16 5 1 1 2位 ベスト4 ベスト16 優勝 松波正信
2009 7 7 2 1 4 7位 GL敗退 ベスト4 島田貴裕
2010 プリンスリーグ関西2部 7 21 7 0 0 優勝 ベスト8 GL敗退
年度 所属 リーグ戦 カップ戦 監督
試合 勝点 順位 クラブユース選手権 Jユースカップ
2011 プリンスリーグ関西1部 14 34 11 1 2 2位 GL敗退 ベスト16 梅津博徳
2012 18 48 16 0 2 優勝 ベスト16 準優勝
2013 プレミアリーグWEST 18 23 7 2 9 7位 ベスト4 ベスト8
タイトル

ガンバ大阪ジュニアユース[編集]

万博グラウンドがある吹田市にあるチーム。高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会で2006年、2007年と2連覇、2012年に史上初の全国3冠、2012年のマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップで準優勝するなど、様々な大会で実績を残している。

年度 所属 リーグ戦 カップ戦 監督
試合 勝点 順位 クラブユース
選手権
高円宮杯 JFA
プレミアカップ
1998 GL敗退 島田貴裕
1999 ベスト4
2000 ベスト16
2001 ベスト8 ベスト8
2002 GL敗退 曽根純也
2003 ベスト16
2004 準優勝 ベスト4 鴨川幸司
2005 ベスト16 ベスト16
2006 モルテン・大阪府リーグ1部 9 14 4 2 3 5位 ベスト8 優勝
2007 11 23 7 2 2 2位 ベスト8 優勝 優勝
2008 11 16 5 1 5 7位 準優勝 ベスト16 GL敗退
2009 関西サンライズリーグ 9 22 7 1 1 2位 GL敗退 優勝
2010 11 27 9 0 2 優勝 GL敗退
2011 11 30 10 0 1 優勝 準優勝 1回戦敗退 GL敗退
2012 22 63 21 0 1 優勝 優勝 優勝 優勝
2013 22 61 20 1 1 優勝 ベスト4 GL敗退
タイトル

ガンバ大阪堺ジュニアユース[編集]

年度 所属 リーグ戦 カップ戦
試合 勝点 順位 クラブユース
選手権
高円宮杯 JFA
プレミアカップ
1998 ベスト16 ベスト16 準優勝
1999 ベスト8
2000
2001 GL敗退
2002 GL敗退 ベスト16
2003 GL敗退
2004 GL敗退 GL敗退
2005
2006 モルテン・大阪府リーグ1部 9 13 4 1 4 6位 ベスト16
2007 11 18 6 0 5 6位
2008 モルテン・大阪府リーグ2部A 11 15 5 0 6 9位
モルテン・大阪府リーグ2部B 11 30 10 0 1 優勝
2009 モルテン・大阪府リーグ1部 10 9 2 3 5 8位
モルテン・大阪府リーグ2部A 11 27 8 3 0 優勝
2010 モルテン・大阪府リーグ1部 9 18 5 3 1 2位
9 16 5 1 3 4位
2011 9 8 2 2 5 8位
フューチャーリーグ大阪1部 12 7 2 1 9 7位
2012 アドバンスリーグ大阪2部A 18 37 12 1 5 3位
2013 アドバンスリーグ大阪2部B 18 46 14 4 0 優勝 GL敗退

ガンバ大阪門真ジュニアユース[編集]

2001年6月に発足。2010年の日本クラブユースサッカー選手権では初出場でベスト16。また、2011年に関西サンライズリーグへ昇格した。

年度 所属 リーグ戦 カップ戦
試合 勝点 順位 クラブユース
選手権
高円宮杯 JFA
プレミアカップ
2001
2002
2003
2004
2005
2006 モルテン・大阪府リーグ1部 9 21 6 3 0 2位
2007 11 20 6 2 3 4位
2008 11 27 8 3 0 優勝
11 14 4 2 5 7位
2009 10 20 6 2 2 2位
9 22 7 1 1 優勝
2010 9 19 6 1 2 優勝 ベスト16
2011 関西サンライズリーグ 11 15 4 3 4 7位
2012 22 28 8 4 10 6位 GL敗退 1回戦敗退
2013 22 37 11 4 7 4位 ベスト32

トップチーム昇格者・出身選手[編集]

トップチーム昇格者の内、飛び級で昇格した選手は稲本潤一新井場徹(1997年)、家長昭博(2004年)、宇佐美貴史(2009年)、井手口陽介(2014年)の5名で、特に宇佐美はジュニアユースとユースをそれぞれ2年間で飛び級している唯一の高校2年生次でのトップチーム昇格者である。

ユニフォーム[編集]

2013年度のユニフォーム
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 青×黒[1] [1] [1]
FP(2nd) [1] [1] [1]
GK(1st)
GK(2nd)
GK(3rd) 栗色 栗色 栗色
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

チームカラー[編集]

    青、   

ゲームシャツには1997年シーズンより青と黒の縦縞模様のデザインを使用している。これには1996年シーズン終了後に当時G大阪でプレーしていた礒貝洋光が縦縞模様への変更を提案したという経緯があるが、彼自身は1997年から浦和へ移籍したため一度も着ることはなかった[30]

ユニフォームスポンサー[編集]

国際試合・FP 1st
掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
パナソニック Panasonic 1992年 -
背中 ロート製薬 ROHTO 2003年2nd -
ゼンショク でん 2001年2nd -
パンツ 大建工業 DAIKEN 2012年-

エピソード[編集]

  • ロート製薬は、2004年夏季にロゴを変更したがそのシーズンは旧ロゴのままで試合を行い、2005年シーズンから新ロゴを着用している。
  • 2006年シーズンは、2005年のJ1リーグ年間優勝チームであるため、日本サッカー協会のシンボルである八咫烏の付いたチャンピオンマークが右袖についていた。
  • フィールドプレーヤーの3rdユニフォームは2ndユニフォームが青色であった2006年まで白色のシャツを採用していた。2011年は、マスコットの「ガンバボーイ」が持つ稲妻をイメージした黄色のゲームシャツを採用した。
  • 左胸のエンブレム上に5つの星が付けられているが、2005年のJ1リーグ、2007年のナビスコカップ、2008年および2009年の天皇杯、2008年のAFCチャンピオンズリーグの5つの優勝を表している。また、2009年以降は国際試合ユニフォームにも星が1つつけられている。
  • 2001‐02年の2ndユニフォームのチェンジショーツ及び、2003‐08年の2ndユニフォームのパンツのカラーに白を採用していた。
  • 2011年10月2日、創立20周年記念試合となったJ1第28節浦和戦では、この試合限定で黒のゲームシャツを採用した。
  • 2012年9月15日、なでしこリーグスペランツァFC大阪高槻との同日開催となったJ1第28節新潟戦では、黄色の限定ユニフォームを採用した。

ユニフォームサプライの遍歴[編集]

歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]

年度 背中 パンツ サプライヤー
1992 Panasonic - - - Mizuno/adidas
1993
1994
1995
1996
1997 National adidas
1998
1999 le coq sportif
2000
2001 でん (2nd)
2002 でん
2003 National (1st)
ROHTO (2nd)
UMBRO
2004 ROHTO
2005 シャディ
(2005年8月から)
2006
2007 MIDORI
2008
2009
2010 -
2011
2012 DAIKEN
2013
2014
  • 1992年のナビスコカップから1996年までの背中は「Matsushita Electric Industrial Co., Ltd.」ないしは「Panasonic/National」。
  • 2007年から2012年のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の試合は胸広告(Panasonic)のみ掲示。

スローガン[編集]

年度 スローガン
1997 GAMBA REVOLUTION
1998 Run Together ともに勝利を!
1999 Dream together
2000 激闘宣言
2001 挑戦
2002 新挑戦
2003 Over the Top
2004 Re:Start - ガンバが変わる -
2005 熱き青の力で、共に頂点へ
2006 もっと熱く、青く、強く!!!
〜 さらに新たな挑戦へ 〜
2007 超攻撃
2008 Power 〜力の結集〜
2009 SHOBU
〜そして、ワールドスタンダードへ〜
2010 夢 〜すべてをひとつに〜
2011 新芯進 〜新たなる未来へ〜
2012 躍動
2013 復活
〜さらなる進化を勝ち取るために〜
2014 Rising G
〜沈んだ陽がまた昇り、まばゆい輝きを放つように〜

スポンサー[編集]

メディア[編集]

サポーターミーティング[編集]

2008年より開催されているクラブ関係者とサポーターとの意見交換会。議事録は公式サイトに掲載されている。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac クラブガイド:ガンバ大阪”. 日本プロサッカーリーグ. 2013年10月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 2012年度Jクラブ個別情報開示資料 (PDF)
  3. ^ “ガンバ大阪・名古屋グランパスのホームタウン広域化について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2012年2月21日), http://www.j-league.or.jp/release/000/00004340.html 2013年3月1日閲覧。 
  4. ^ a b 『ガンバ大阪オフィシャルイヤーブック 2009』 102頁
  5. ^ 第2回 サポーターミーティング - ガンバ大阪オフィシャルサイト
  6. ^ Jリーグニュースプラス Vol.2 - Jリーグ公式サイト、2008年4月
  7. ^ クラブハウス - ガンバ大阪オフィシャルサイト
  8. ^ クラブ概要 - ガンバ大阪オフィシャルサイト
  9. ^ [ 5.15 ハッピーバースデー J.LEAGUE ] PLAYBACK 1993 - J's GOAL、2010年5月13日。また、2011年10月2日の20周年記念試合では開幕当初の衣装で登場した。
  10. ^ 川淵三郎『虹を掴む』講談社、2006年 ISBN 978-4062126762
  11. ^ サッカーマガジンJリーグ名古屋グランパス優勝号 2011年 1/1号、p.64。
  12. ^ a b 第10節 川崎戦はACL出場のため、7月1日に実施。
  13. ^ 松波正信監督の退任について ガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年1月1日
  14. ^ 第9節名古屋戦、第10節鹿島戦はACL出場により、8月17日と7月27日に実施。
  15. ^ 2011年シーズン 金沢での公式戦開催について ガンバ大阪オフィシャルサイト、2011年2月4日
  16. ^ 「新スタジアム」建設にむけて”. スタジアム建設募金団体公式サイト (2008年7月18日). 2013年3月1日閲覧。
  17. ^ a b c 「新スタジアム」建設にむけて”. スタジアム建設募金団体公式サイト (2009年7月11日). 2013年3月1日閲覧。
  18. ^ a b 【Jリーグ】G大阪、サポーターに30億円寄付募る 新スタジアム建設費 MSN産経ニュース、2009年7月11日
  19. ^ ワールドカップ開催地自治体立候補の正式申請について 吹田市
  20. ^ ガンバスタジアム、2012年度完成暗雲…吹田市、費用負担せず 読売新聞、2010年2月6日
  21. ^ W杯招致 吹田市 開催を断念 産経新聞大阪、2010年3月6日
  22. ^ 「スタジアム建設募金団体」発足”. スタジアム建設募金団体公式サイト (2010年3月11日). 2013年3月1日閲覧。
  23. ^ 吹田市長 表敬訪問について”. スタジアム建設募金団体公式サイト (2011年10月25日). 2013年3月1日閲覧。
  24. ^ サッカースタジアム建設要望署名へ ご協力のお願い ガンバ大阪オフィシャルサイト、2011年11月10日
  25. ^ a b ガ大阪:スタジアム建設への議案承認 吹田市議会 毎日新聞、2011年12月26日
  26. ^ 【Jリーグ】G大阪の新スタジアム完成予定1年以上延期へ MSN産経ニュース、2012年3月14日
  27. ^ スタジアム建設募金開始 スタジアム建設募金団体公式ホームページ、2012年4月2日
  28. ^ ガンバ新スタジアム、15年10月に完成の見通し スポニチ、2013年10月22日
  29. ^ 12/15起工式イベントのご報告 スタジアム建設募金団体公式ホームページ、2013年12月16日
  30. ^ a b 『ガンバ大阪15年史』ベースボール・マガジン社、2007年 ISBN 978-4583614632
  31. ^ アカデミー - ガンバ大阪オフィシャルサイト

関連項目[編集]

外部リンク[編集]