ガンバ大阪
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| ガンバ大阪 | |
|---|---|
| 原語表記 | ガンバ大阪 |
| 愛称 | ガンバ |
| クラブカラー | ブルー ブラック |
| 創設年 | 1980年 |
| 所属リーグ | Jリーグ |
| 所属ディビジョン | J1 |
| ホームタウン | 大阪府吹田市 |
| ホームスタジアム | 万博記念競技場 |
| 収容人数 | 21,000 |
| 運営法人 | 株式会社ガンバ大阪 |
| 代表者 | 金森喜久男 |
| 監督 | 西野朗 |
| 公式サイト | 公式サイト |
ガンバ大阪(ガンバ おおさか、Gamba Osaka)は、日本の大阪府吹田市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
[編集] 概要
1991年のJリーグ創設時より加盟している10クラブ(オリジナル10)のひとつ。
クラブの前身は1980年創部の松下電器産業サッカー部。ホームスタジアムは万博記念競技場。同スタジアムの隣接地にある万博記念公園スポーツ広場内にクラブハウスと練習グラウンドがある[1]。
クラブ名の「ガンバ(GAMBA)」は、イタリア語でサッカーの原点である「脚」を意味する他、日本語の「頑張る」とも掛けている。当初は松下電器産業(当時)のAVブランド(現在は社名)として使われる「パナソニック」の冠を被せ「パナソニックガンバ大阪」としていた。メディア上での略称表記は、Jリーグ発足当初は「大阪」であったが、セレッソ大阪のJリーグ昇格以降は「G大阪」もしくは「ガ大阪」となっている。
マスコットは松下進デザインの「ガンバボーイ」という名の雷小僧で、ゼウスの生まれ変わりという設定である。ガンバって勝利を勝ち取る元気なサッカーボーイであり、雷の形の闘志あふれるエネルギーをその手につかんでいる。 Jリーグ開幕当初は、デザインイラストどおりギリシャ風の衣装を着用するデザインであったが、1990年代後半頃からユニフォームを着用したイラストにほぼ全て変更された。ユニフォーム以外を着用しているものも少数ではあるが存在する。動物ではなく人間をモチーフにした数少ないマスコットの1つ(J1では唯一の人間をモチーフにしたマスコット)である。
クラブでは吹田市の周辺の北摂・北河内地域の14市3町をホームタウン活動エリアとして位置づけている[2]。中でも2004年からは吹田市、茨木市、高槻市、2006年からは豊中市を加えた4市を重点4市と定めている[2][3]。
Jリーグの中では自前の下部組織からの選手育成で成功しているクラブの1つで、ユース(万博)・ジュニアユース(万博・堺・門真)・ジュニア(豊中・堺・門真)がある。
1991年のJリーグ加盟当初からパナソニックが100%株式を保有する子会社であったが、1997年からは地域密着度を高めるために関西電力、大阪ガス、JR西日本が株主となった。なお、資本金はJリーグクラブの中でも最少規模である。
ガンバ大阪株主(2008年時点)
- パナソニック(70%)
- 関西電力(10%)
- 大阪ガス(10%)
- 西日本旅客鉄道(10%)
括弧内は、持株比率を示す。
[編集] 歴史
1980年、前身の松下電器産業サッカー部として、奈良県社会人リーグ2部に加盟登録し、活動を開始。1984年にJSL2部、1986年にJSL1部に初昇格。1990年に天皇杯で優勝した。
Jリーグ参加にあたって1992年にクラブ名を「パナソニックガンバ大阪」に改称。加盟時は松下がユニヴァーサル映画を買収した時期と重なり、強そうなのでスティーブン・スピルバーグの名作『ジョーズ』から大阪城にも引っ掛け「大阪ジョーズ」というチーム名が有力候補だった。しかし、瀬戸内海にサメが出没する事件が社会現象となったことなどから、このチーム名は不採用となっている[4]。
Jリーグ創設時からの加盟チーム「オリジナル10」のひとつであり、当初は関西で唯一のJリーグクラブだった。
[編集] 1993年 - 1994年
かつての名選手釜本邦茂を監督に据え、永島昭浩・礒貝洋光・本並健治といった人気プレイヤーも抱えていたが、最下位争いの常連で成績は芳しくなかった。当時、ガンバ大阪は名古屋グランパスエイト・浦和レッドダイヤモンズとともにリーグのお荷物扱いであり、ハンス・オフトが日本代表監督を務めていた際には、Jリーグで唯一代表選手が不在であった。更にニコスステージで7連敗を喫すると、同年限りで釜本は監督を解任された。
[編集] 1995年
1995年は釜本の後を継いだジークフリート・ヘルト監督の下、サントリーステージ序盤には初の首位争いを展開したが、その後失速して負け続け、8連敗も喫した。終わってみれば前年以上に悲惨な成績であり、ニコスステージの更なる低迷もあって結局ヘルトは1年で解任となった。
[編集] 1996年
チーム名を『パナソニックガンバ大阪』から『ガンバ大阪』に変更し、ヨジップ・クゼ監督の初年度となった1996年も、ヴェルディ川崎に4年目で初めて勝利し連敗を15で止めたこと(この試合は前半にV川崎に2点先制されたものの、後半に3点を返し、3-2で大逆転勝ちを納めたという試合だった)以外ファンを興奮させる出来事はなく、全体的に見ればチーム力は低いままであった。初の1ステージ制という状況の中、年間成績は初年度から参加の10チームの中で唯一、4年連続負け越した。
[編集] 1997年 - 1999年
1997年、この年ユースから飛び級でトップチームに昇格した稲本潤一は17才6ヶ月でJリーグデビューを果たし、当時のJリーグ最年少出場記録を塗り替えた。さらに当時カメルーン代表のパトリック・エムボマを獲得。チームを一人で引っ張りエムボマは同年の得点王を獲得した。2ndステージにはチームとして当時最高の2位の成績も残し、初めて年間成績で勝ち越したが、エムボマに頼りきった戦術は関係者やマスコミから多くの批判を受け、「エムボマがいないとガンバれない」と揶揄されることも多かった[要出典]。エムボマがチームを離れるとすぐに下位チームに戻り、再び暗黒の時代を迎えた。またこの年は新大阪にあったクラブ事務所と京田辺市にあった練習場を、万博に移転。
この頃、宮本恒靖(95年)稲本潤一(98年)大黒将志、二川孝広(99年)などユース出身の選手がトップチームに相次いで昇格した。
[編集] 2000年
2000年、ガンバ大阪は1stステージにおいて、優勝争いを繰り広げたセレッソ大阪とは対照的に13位と大きく低迷するが、2ndステージでは鹿島アントラーズと優勝争いを繰り広げた。しかし鹿島との天王山で敗れて優勝の可能性を失うと、最終節ではジュビロ磐田に0-4で大敗した。
[編集] 2001年 - 2004年
2001年、後にチームの中心選手となる、遠藤保仁、山口智を獲得し、1stステージは上位に食い込んだが、1stステージ終了後、主軸として活躍していた稲本のクラブ史上初となる国外移籍が決定。今度は2ndステージで低迷。2002年シーズンは1st・2ndステージ共に優勝争いに絡むが、どちらも磐田との天王山で敗戦したこともあって、優勝を逃した。
2003年、後半ロスタイムに幾度となく失点する姿が目立ち、終盤の集中力が幾度となく批判された。この年は、一時は降格の危機に立たされる羽目に陥ることとなった。2004年には上位チームに返り咲き、優勝争いに加わるが、やはり終了間際での失点癖や肝心な試合での黒星が目立ち、優勝することは出来なかった。
この頃は、2002年のコンサドーレ札幌、2003年のベガルタ仙台に対してのように、連敗記録を作っていたチームに久々の白星を与えるパターンも目立った。
[編集] 2005年
2005年もリーグ戦、カップ戦とも快進撃を見せるが、宮本の負傷以後は調子がやや下降であった。なお、11月5日に開催されたジェフユナイテッド市原・千葉とのナビスコカップは決勝へ進出、準優勝の成績を収めた。
リーグ戦でも10月22日の大分トリニータ戦に敗れると、この試合以降1勝5敗と急激に失速。下位に低迷していた柏レイソルや大宮アルディージャにも黒星を喫し、11月26日には、ナビスコ杯で敗れたばかりの千葉に再び1-2で敗れ、残り1試合の時点でセレッソ大阪に抜かれ2位に後退した。しかし最終節の川崎フロンターレ戦に4-2で勝利、勝点1差の首位だったC大阪がFC東京と引き分けたため、再逆転で悲願の初優勝を勝ち取った。これは関西のチームとして初のリーグ優勝であった。
シーズン終了後、同年の得点王となったアラウージョが退団、またチームでアラウージョに次ぐ得点を挙げた大黒もフランス2部リーグのグルノーブルへ移籍した。
[編集] 2006年
リーグ戦連覇を目指した2006年は攻撃力の低下が懸念されていたが、FWでマグノ・アウベス、播戸竜二を獲得したのを始め、更にMFでは元日本代表の明神智和やDFの加地亮、手島和希を獲得し大型補強を行なった。
マグノ・アウベス、播戸の2人で第33節の時点で合計41点を叩き出したこともあって首位・浦和に勝ち点3差の2位につけていたが、最終節の浦和との直接対決ではマグノ・アウベスの先制弾もむなしく2-3で敗れ、優勝はならなかった。さらに勝ち点2点差であった川崎が勝利したために3位に転落し、2007年のAFCチャンピオンズリーグの出場権も逃した。リーグ終盤に遠藤のウイルス性肝炎による離脱が響いたと言われている。
[編集] 2007年
遠藤が復帰した天皇杯では、Jリーグ加入後初(前身の松下電器時代を含めると16年ぶり)の決勝進出を果たしたが、再び浦和に敗戦。なお、2007年のゼロックス・スーパーカップでは、浦和と2年連続で対戦し、マグノ・アウベスのハットトリックを含む4-0で勝利。見事に前年の雪辱を果たした。
2007年11月3日、2年ぶりに決勝に進出したナビスコカップで川崎と対戦し、1-0で勝利を収めた。国内主要3大会(J1リーグ、天皇杯、ナビスコカップ)において、2つ目のタイトルとなった。
[編集] 2008年
水本裕貴、佐々木勇人、ルーカス、山崎雅人などを獲得し、補強を行った。2008年シーズンは300日余りの間に公式戦を61試合こなす過酷なシーズンとなった。
アメリカから2チーム、オーストラリアから1チーム、2007年ナビスコカップ優勝のG大阪の計4チームが出場したパンパシフィックチャンピオンシップ2008では、初戦 デビッド・ベッカムの所属するロサンゼルス・ギャラクシーに1-0で勝利し、決勝のヒューストン・ダイナモ戦では、バレーの4ゴールを含む6-1で勝利。16年ぶりに国際タイトルを獲得した。
2008年7月30日、スルガ銀行チャンピオンシップ2008 OSAKAが開催され、南米のコパ・スダメリカーナ優勝のアルセナルFCと対戦し、0-1で敗戦した。
2008年11月12日、AFCチャンピオンズリーグ2008決勝でオーストラリア代表のアデレード・ユナイテッドに2戦計5-0(第1戦 3-0、第2戦 2-0)で勝利し、初優勝を決めた。また、AFCチャンピオンズリーグ史上初のアウェー戦全勝(6戦中4戦が逆転勝ち)での優勝であった。なお、準決勝で前回の覇者である浦和レッズに2戦計4-2(第1戦 1-1、第2戦 3-1)で勝利していた。AFCチャンピオンズリーグ2008を優勝したことによりFIFAクラブワールドカップ2008に出場することが決定した。また2008年11月25日、AFCよりアジア最優秀クラブ賞を受賞した。
一方で、Jリーグでは苦戦を強いられる一年となった。シーズン序盤でやや躓くと、中盤に入り立て直してきたと思いきやエースストライカーのバレーがアル・アハリに移籍。これに対し、横浜F・マリノスからロニーを獲得するものの、思うような結果が残せずに中盤で大失速。特にJ1第19節からナビスコカップなどを挟んで、J1第24節までの約2ヶ月間勝ち星から見放され、優勝争いから脱落する。シーズン最終順位は2009年のACL出場圏(3位以内)からも大きく離れ、8位に終わる。2009年のACLへ出場するには天皇杯を優勝のみとなった。
クラブW杯2008でも西野監督の掲げる攻撃的パスサッカーを貫き、準決勝では欧州代表のマンチェスター・ユナイテッド相手に3ゴールを奪うが3-5で敗れる。3位決定戦ではパチューカに臨み、山崎の先制点が決勝点となり、1-0で勝利。大会3位に輝いた。
リーグ戦とACL、双方終了後は天皇杯とクラブW杯の日程が並行したため、中2〜3日の間隔で試合が行なわれ、選手達の疲労も懸念されたが、順当に勝ち進み、2年ぶりに決勝へ進出。2009年1月1日、国立競技場で行なわれた柏レイソルとの決勝では0-0のまま延長戦に突入。迎えた延長後半11分、播戸竜二の先制弾が決勝点となり1-0で勝利。前身の松下電器時代以来、18年ぶり2度目の優勝を果たした。同時に2009年のACL出場権も獲得した。
[編集] 2009年
パク・ドンヒョク、高木和道、チョ・ジェジン、レアンドロを獲得する、大型補強を行なう一方で、ユースからは宇佐美貴史、大塚翔平などが昇格した。シーズン前からマスコミには史上最強軍団と詠われた。1月29日、クラブ史上初サポーター同席の下、ホームスタジアムの万博記念競技場で新体制発表会見を行なった。
5月2日、レアンドロがJ1第9節 vs大分トリニータ戦で4月8日のACL vsスリウィジャヤ戦から続いていた、公式戦の連続試合得点をクラブ新の7試合連続のゴールを決めた。最終的には5月10日のJ1リーグ戦 第11節[5] vs柏レイソルまでの9試合まで記録を伸ばした。また、同試合で4月12日第5節 vs大宮アルディージャから続いていた、J1リーグ戦の連続試合得点をクラブタイ記録の6試合連続のゴールを決めた。
5月6日、ACLグループリーグ第5節 vs山東魯能戦(山東省体育中心体育場)で1-0で勝利し、ACLが始まって以来、未勝利だった中国でのアウェイゲームで日本勢初勝利となった。
[編集] 選手
詳細は「ガンバ大阪の選手一覧#現役選手・スタッフ」を参照
[編集] チーム名変遷
- 1980年〜 松下電器産業サッカー部
- 1992年〜 パナソニックガンバ大阪
- 1996年〜 ガンバ大阪
[編集] スタジアム
本拠地は、吹田市の万博記念競技場(万博スタジアム)を本拠地として使用している。収容人数は21,000人。同競技場の南にはクラブハウスがあり、練習グラウンドとクラブショップが併設されている。1997年までは京都府京田辺市の松下電工(現:パナソニック電工)敷地内にあった練習グラウンドを使用していた。
ガンバ大阪が関西唯一のJリーグクラブであった頃は、神戸ユニバー記念競技場や西京極競技場でもホームゲームを行ったことがあるが、現在は年に一度石川県西部緑地公園陸上競技場で行う以外はすべて万博記念競技場でホームゲームを開催している。
現在のスタジアムはFIFAの定める国際規格を満たしておらず、AFCチャンピオンズリーグなどの国際試合を開催できない可能性がある。実際、2008年に出場したスルガ銀行チャンピオンシップは、「万博は国際大会に不適格」という理由でライバル・セレッソ大阪のホームスタジアムである長居スタジアムで行われ、使うガンバ大阪、使われるセレッソ大阪双方の関係者に複雑な思いを抱かせた。同じく2008年に出場したAFCチャンピオンズリーグでは関係者の交渉によって全試合を万博記念競技場で開催したが、決勝第2戦がホームだった場合は開催できなかった可能性があった。
万博記念競技場は下に貯水槽があることから改築は困難とされ、クラブは新スタジアムの建設・移転を模索している。新スタジアムの移転先としては、2005年に高槻市の京都大学農場跡地、2007年に茨木市のJR茨木駅前のサッポロビール工場跡地、2008年7月にエキスポランド内の敷地に建設案が浮上。決定までには至っていないが、2008年10月1日の大阪府議会でガンバ大阪と吹田市が万博記念公園の敷地内にある、エキスポランドの土地に新スタジアム建設を検討していることが明らかになった。しかし同地にはパラマウント・ピクチャーズによるテーマパークの建設計画もあり、未だに流動的である。
[編集] ダービーマッチ
[編集] 大阪ダービー
詳細は「大阪ダービー」を参照
- ガンバ大阪 vs セレッソ大阪
[編集] その他のダービー
詳細は「関西ダービー」を参照
- 京阪ダービー
- ガンバ大阪 vs 京都サンガF.C.(1996年-2000年、2002年-2003年、2006年、2008年- )
- 阪神ダービー
- ガンバ大阪 vs ヴィッセル神戸(1997年-2005年、2007年- )
[編集] 成績
[編集] 年度別成績と歴代監督
| 年度 | 所属 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | ステージ 順位 |
年間順位 (チーム数) |
ナビスコ杯 | 天皇杯 | 他公式戦 | 監督 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992年 | - | - | - | - | - | - | - | - (-) |
予選敗退 | ベスト8 | - | |
| 1993年 | J サントリー | 18 | - | 8 | 10 | - | 8位 | 10位 (10) |
ベスト4 | 2回戦敗退 | - | |
| J ニコス | 18 | - | 8 | 10 | - | 6位 | ||||||
| 1994年 | J サントリー | 22 | - | 7 | 15 | - | 10位 | 10位 (12) |
ベスト4 | ベスト4 | - | |
| J ニコス | 22 | - | 8 | 14 | - | 10位 | ||||||
| 1995年 | J サントリー | 26 | 31 | 10 | 16 | - | 11位 | 14位 (14) |
- | ベスト4 | - | |
| J ニコス | 26 | 26 | 8 | 18 | - | 13位 | ||||||
| 1996年 | J | 30 | 33 | 11 | 19 | - | - | 12位 (16) |
予選敗退 | ベスト4 | - | |
| 1997年 | J 1st | 16 | 34 | 8 | 8 | - | 8位 | 4位 (17) |
予選敗退 | ベスト4 | - | |
| J 2nd | 16 | 34 | 12 | 4 | - | 2位 | ||||||
| 1998年 | J 1st | 17 | 17 | 7 | 10 | - | 14位 | 15位 (18) |
予選敗退 | 3回戦敗退 | - | |
| J 2nd | 17 | 13 | 5 | 12 | - | 16位 | ||||||
| 1999年 | J1 1st | 15 | 17 | 6 | 9 | 0 | 10位 | 11位 (16) |
2回戦敗退 | 4回戦敗退 | - | |
| J1 2nd | 15 | 15 | 5 | 9 | 1 | 13位 | ||||||
| 2000年 | J1 1st | 15 | 17 | 5 | 8 | 2 | 13位 | 6位 (16) |
2回戦敗退 | ベスト4 | - | |
| J1 2nd | 15 | 28 | 10 | 5 | 0 | 4位 | ||||||
| 2001年 | J1 1st | 15 | 25 | 9 | 6 | 0 | 5位 | 7位 (16) |
2回戦敗退 | ベスト8 | - | |
| J1 2nd | 15 | 17 | 5 | 8 | 2 | 11位 | ||||||
| 2002年 | J1 1st | 15 | 27 | 9 | 5 | 1 | 4位 | 3位 (16) |
ベスト4 | 4回戦敗退 | - | |
| J1 2nd | 15 | 27 | 10 | 5 | 0 | 2位 | ||||||
| 2003年 | J1 1st | 15 | 16 | 4 | 7 | 4 | 12位 | 10位 (16) |
ベスト8 | 4回戦敗退 | - | |
| J1 2nd | 15 | 23 | 6 | 4 | 5 | 7位 | ||||||
| 2004年 | J1 1st | 15 | 24 | 7 | 5 | 3 | 4位 | 3位 (16) |
ベスト8 | ベスト4 | - | |
| J1 2nd | 15 | 27 | 8 | 4 | 3 | 3位 | ||||||
| 2005年 | J1 | 34 | 60 | 18 | 10 | 6 | - | 優勝 (18) |
準優勝 | ベスト8 | - | |
| 2006年 | J1 | 34 | 66 | 20 | 8 | 6 | - | 3位 (18) |
ベスト8 | 準優勝 | スーパーカップ 準優勝 | |
| ACL2006 予選敗退 | ||||||||||||
| A3カップ2006 準優勝 | ||||||||||||
| 2007年 | J1 | 34 | 67 | 19 | 5 | 10 | - | 3位 (18) |
優勝 | ベスト4 | スーパーカップ 優勝 | |
| 2008年 | J1 | 34 | 50 | 14 | 12 | 8 | - | 8位 (18) |
ベスト4 | 優勝 | パンパシ2008 優勝 | |
| スルガCS 準優勝 | ||||||||||||
| ACL2008 優勝 | ||||||||||||
| FCWC2008 3位 | ||||||||||||
| 2009年 | J1 | 34 | - | (18) |
スーパーカップ 準優勝 |
[編集] Jリーグ対戦通算成績
[編集] J1対戦通算成績
- 2008年シーズン終了時
| 対戦チーム | 勝ち | 引分 | 負け | 得点 | 失点 |
|---|---|---|---|---|---|
| コンサドーレ札幌 | 3 | 2 | 3 | 9 | 8 |
| ベガルタ仙台 | 3 | 0 | 1 | 11 | 1 |
| モンテディオ山形 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 鹿島アントラーズ | 12 | 6 | 20 | 48 | 67 |
| 水戸ホーリーホック | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 栃木SC | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| ザスパ草津 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 浦和レッドダイヤモンズ | 14 | 6 | 16 | 52 | 55 |
| 大宮アルディージャ | 4 | 0 | 4 | 11 | 9 |
| ジェフユナイテッド市原・千葉(ジェフ市原) | 18 | 4 | 16 | 61 | 64 |
| 柏レイソル | 12 | 1 | 15 | 44 | 55 |
| FC東京 | 8 | 2 | 8 | 34 | 25 |
| 東京ヴェルディ(ヴェルディ川崎) | 13 | 2 | 19 | 54 | 58 |
| 川崎フロンターレ | 5 | 2 | 3 | 24 | 20 |
| 横浜F・マリノス(横浜マリノス) | 12 | 4 | 22 | 58 | 70 |
| 横浜FC | 1 | 1 | 0 | 3 | 2 |
| 湘南ベルマーレ(ベルマーレ平塚) | 10 | 0 | 6 | 35 | 32 |
| ヴァンフォーレ甲府 | 3 | 0 | 1 | 11 | 4 |
| アルビレックス新潟 | 4 | 2 | 4 | 24 | 18 |
| カターレ富山 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 清水エスパルス | 17 | 3 | 18 | 66 | 63 |
| ジュビロ磐田 | 12 | 3 | 19 | 54 | 61 |
| 名古屋グランパスエイト | 22 | 2 | 14 | 73 | 59 |
| FC岐阜 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 京都サンガF.C. | 11 | 0 | 7 | 35 | 23 |
| セレッソ大阪 | 16 | 0 | 8 | 53 | 28 |
| ヴィッセル神戸 | 10 | 6 | 6 | 51 | 36 |
| ファジアーノ岡山 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| サンフレッチェ広島 | 15 | 3 | 16 | 58 | 56 |
| 徳島ヴォルティス | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 愛媛FC | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| アビスパ福岡 | 7 | 2 | 5 | 24 | 17 |
| サガン鳥栖 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| ロアッソ熊本 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 大分トリニータ | 7 | 0 | 5 | 22 | 15 |
| 横浜フリューゲルス | 8 | 0 | 10 | 30 | 27 |
| 合計 | 247 | 51 | 246 | 945 | 873 |
[編集] 国際試合
| 開催年月日 | 大会名 | 対戦相手 | 会場 | スコア | 勝敗 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2006年3月8日 | ACL2006グループリーグ | 全州ワールドカップ競技場 | 2-3 | 敗戦 | |
| 2006年3月22日 | ACL2006グループリーグ | 万博記念競技場 | 15-0 | 勝利 | |
| 2006年4月12日 | ACL2006グループリーグ | 万博記念競技場 | 3-0 | 勝利 | |
| 2006年4月26日 | ACL2006グループリーグ | 大連市金州人民体育場 | 0-2 | 敗戦 | |
| 2006年5月3日 | ACL2006グループリーグ | 万博記念競技場 | 1-1 | 引分 | |
| 2006年5月17日 | ACL2006グループリーグ | チラン・スタジアム | 5-1 | 勝利 | |
| 2006年8月2日 | A3チャンピオンズカップ | 国立競技場 | 3-2 | 勝利 | |
| 2006年8月5日 | A3チャンピオンズカップ | 国立競技場 | 0-6 | 敗戦 | |
| 2006年8月8日 | A3チャンピオンズカップ | 国立競技場 | 2-0 | 勝利 | |
| 2008年2月20日 | パンパシ選手権2008準決勝 | アロハ・スタジアム | 1-0 | 勝利 | |
| 2008年2月23日 | パンパシ選手権2008決勝 | アロハ・スタジアム | 6-1 | 勝利 | |
| 2008年3月12日 | ACL2008グループリーグ | 万博記念競技場 | 1-1 | 引分 | |
| 2008年3月19日 | ACL2008グループリーグ | 光陽専用球技場 | 4-3 | 勝利 | |
| 2008年4月9日 | ACL2008グループリーグ | テルストラ・ドーム | 4-3 | 勝利 | |
| 2008年4月23日 | ACL2008グループリーグ | 万博記念競技場 | 2-0 | 勝利 | |
| 2008年5月7日 | ACL2008グループリーグ | スパチャラサイ国立競技場 | 2-0 | 勝利 | |
| 2008年5月21日 | ACL2008グループリーグ | 万博記念競技場 | 1-1 | 引分 | |
| 2008年7月30日 | スルガ銀行CS2008 | 長居スタジアム | 0-1 | 敗戦 | |
| 2008年9月17日 | ACL2008決勝T準々決勝 | ハレド・ビン・ワリド・スタジアム | 2-1 | 勝利 | |
| 2008年9月24日 | ACL2008決勝T準々決勝 | 万博記念競技場 | 2-0 | 勝利 | |
| 2008年10月8日 | ACL2008決勝T準決勝 | 万博記念競技場 | 1-1 | 引分 | |
| 2008年10月22日 | ACL2008決勝T準決勝 | 埼玉スタジアム2002 | 3-1 | 勝利 | |
| 2008年11月5日 | ACL2008決勝T決勝 | 万博記念競技場 | 3-0 | 勝利 | |
| 2008年11月12日 | ACL2008決勝T決勝 | ハインドマーシュ・スタジアム | 2-0 | 勝利 | |
| 2008年12月14日 | FCWC2008準々決勝 | 豊田スタジアム | 1-0 | 勝利 | |
| 2008年12月18日 | FCWC2008準決勝 | 横浜国際総合競技場 | 3-5 | 敗戦 | |
| 2008年12月21日 | FCWC2008三位決定戦 | 横浜国際総合競技場 | 1-0 | 勝利 | |
| 2009年3月10日 | ACL2009グループリーグ | 万博記念競技場 | 3-0 | 勝利 | |
| 2009年3月17日 | ACL2009グループリーグ | ソウルワールドカップ競技場 | 4-2 | 勝利 | |
| 2009年4月8日 | ACL2009グループリーグ | 万博記念競技場 | 5-0 | 勝利 | |
| 2009年4月21日 | ACL2009グループリーグ | ジャカ・バリン・スタジアム | 3-0 | 勝利 | |
| 2009年5月6日 | ACL2009グループリーグ | 山東省体育中心体育場 | 1-0 | 勝利 | |
| 2009年5月20日 | ACL2009グループリーグ | 万博記念競技場 | 1-2 | 敗戦 | |
| 2009年6月24日 | ACL2009ラウンド16 | 万博記念競技場 | 2-3 | 敗戦 |
[編集] 獲得タイトル
[編集] 国内タイトル
[編集] 国際タイトル
- AFCチャンピオンズリーグ: 1回
- クイーンズカップ(タイ): 1回
- パンパシフィックチャンピオンシップ: 1回
[編集] 表彰
- フェアプレー賞
- 個人
- 2005年 - 大黒将志
- J1
- 2008年
- 高円宮杯
- 2007年
- 個人
- 最優秀監督賞
- 2005年 - 西野朗
- チェアマン特別賞
- 2008年
- 特別賞
- 2008年
[編集] その他
- テレビ朝日 ビッグスポーツ大賞
- 日本サッカー応援宣言!やべっちF.C.賞(サッカープロジェクト賞)
- 2008年 - 遠藤保仁
- 日本サッカー応援宣言!やべっちF.C.賞(サッカープロジェクト賞)
- フットボーラー・オブ・ザ・イヤー(日本年間最優秀選手賞)
- 2008年 - 遠藤保仁
- 関西スポーツ賞
- 2009年(特別賞)
- 大阪イメージアップ賞(知事賞詞)
- 2009年
[編集] 記録
[編集] チーム記録
- 最多得点試合記録
J1リーグ戦
- 7-1 【2004年10月2日2nd第8節 vsセレッソ大阪 @万博】
- 7-1 【2005年7月2日第13節 vs東京ヴェルディ1969 @万博】
Jリーグカップ(ナビスコカップ)
- 5-0 【1993年10月16日グループリーグ第7節 vsサンフレッチェ広島 @西京極】
- 5-2 【1998年5月23日グループリーグ第2節 vsコンサドーレ札幌 @万博】
- 5-3 【2005年5月21日グループリーグ第3節 vs東京ヴェルディ1969 @万博】
- 5-2 【2007年7月14日準々決勝第2戦 vs浦和レッドダイヤモンズ @万博】
ACL
- 15-0 【2006年3月22日グループリーグ第2節 対ダ・ナン(ベトナム) @万博】 ※ACLの最多得点タイ記録
- 最多失点試合記録
J1リーグ戦
- 1-7 【1996年5月4日第12節 vs柏レイソル @万博】
Jリーグカップ(ナビスコカップ)
- 1-7 【1994年8月3日準決勝 vsヴェルディ川崎 @瑞穂】
- 連勝記録
J1リーグ戦
- 9連勝 【1997年8月9日2nd第4節 vs清水エスパルス @日本平 〜 同年9月13日第12節 vs横浜フリューゲルス @万博】
ホーム不敗記録
- 25試合 【2006年3月29日J1第4節 vs大宮アルディージャ 〜 2007年8月11日J1第19節 vsアルビレックス新潟 - 20勝5分】 ※J1史上最多タイ記録
- 連敗記録
J1リーグ戦
- 8連敗 【1995年5月10日サントリー第15節 vs浦和レッドダイヤモンズ @大宮 〜 同年7月8日第22節 vsヴェルディ川崎 @万博】
- 最多観客動員試合(ホームゲーム)
- 22,884人【2005年9月24日J1第25節 vs鹿島アントラーズ - ゴール裏改修前】
- 20,982人【2007年8月15日J1第20節 vs浦和レッドダイヤモンズ - ゴール裏改修後】
その他スタジアム
- 41,054人【1993年11月6日NICOS第10節 vsヴェルディ川崎 @神戸ユニバー】
- 最少観客動員試合(ホームゲーム)
万博記念競技場
- 2,720人【1999年4月28日1st第9節 vs京都パープルサンガ】
- 年度別観客動員記録
- J1リーグ戦
| 年度 | 合計 動員数 |
最多 動員数 |
最少 動員数 |
平均 動員数 |
ホーム 試合数 |
備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1993年 | 388,286 | 21,571 | 18 | |||
| 1994年 | 492,084 | 22,367 | 22 | |||
| 1995年 | 346,054 | 13,310 | 26 | |||
| 1996年 | 120,058 | 8,004 | 15 | スタンドの増築 | ||
| 1997年 | 135,088 | 8,443 | 16 | |||
| 1998年 | 148,290 | 8,723 | 17 | |||
| 1999年 | 119,934 | 7,996 | 15 | |||
| 2000年 | 146,917 | 9,794 | 15 | |||
| 2001年 | 175,849 | 11,723 | 15 | |||
| 2002年 | 191,429 | 12,762 | 15 | |||
| 2003年 | 153,324 | 16,146 | 4,828 | 10,222 | 15 | |
| 2004年 | 187,752 | 17,874 | 4,429 | 12,517 | 15 | |
| 2005年 | 271,416 | 22,884 | 6,646 | 15,966 | 17 | 初の年間優勝 |
| 2006年 | 276,395 | 20,916 | 8,388 | 16,259 | 17 | ゴール裏の改装 |
| 2007年 | 296,465 | 20,982 | 12,163 | 17,439 | 17 | |
| 2008年 | 274,169 | 20,773 | 10,039 | 16,124 | 17 | |
| 計 | 3,911,262 | 14,379 | 272 |
- 合計動員数の太字はガンバ大阪歴代最高年間観客動員数
[編集] 個人記録
- 最年少試合出場
- 17歳14日 - 宇佐美貴史【2009年5月20日ACLグループリーグ第6節 vsFCソウル @万博】
- 最年少得点
- シーズン最多得点
- 33得点 - アラウージョ(2005年)
- 通算最多出場
- 367試合 - 山口智【初出場:1996年3月20日Jリーグ第2節 vs京都パープルサンガ】
- 通算最多得点
- 55得点 - 遠藤保仁
- 通算最多出場(外国籍選手)
- 122試合 - シジクレイ【初出場:2004年3月13日1st第1節 vs鹿島アントラーズ】
- 通算最多得点(外国籍選手)
- 42得点 - マグロン
- リーグ戦出場記録
- 300試合出場
- 山口智 367試合
- 明神智和 342試合
- 遠藤保仁 306試合
- 200試合出場
- 100試合出場
※2008年12月6日現在。他チームでの出場も含む。
- 連続試合得点
公式戦
- 9試合
- レアンドロ【2009年4月8日ACLグループリーグ第2節 vsスリウィジャヤ 〜 同年5月10日J1リーグ第11節 vs柏レイソル】
J1リーグ戦
- 6試合
- ハットトリック
J1リーグ戦
- 4得点
- マグロン【2002年7月14日1st第8節 vs清水エスパルス】
- 3得点
- 永島昭浩【1993年6月5日サントリー第7節 vs名古屋グランパス】※Jリーグ日本人初ハットトリック
- 松波正信【1993年11月20日NICOS第14節 vsジェフユナイテッド市原】
- 山口敏弘【1994年4月6日サントリー第7節 vsベルマーレ平塚】
- プロタソフ【1995年6月28日サントリー第20節 vs清水エスパルス】
- エムボマ【1998年4月18日1st第7節 vs柏レイソル】
- ドロブニャク【1998年8月8日1st第17節 vs横浜フリューゲルス】
- 小島宏美【2000年4月22日1st第8節 vsアビスパ福岡】
- 大黒将志【2004年10月2日2nd第8節 vsセレッソ大阪】【2004年11月6日2nd第12節 vsアルビレックス新潟】【2005年4月23日第7節 vsFC東京】
- アラウージョ【2005年7月2日第13節 vs東京ヴェルディ1969】【2005年9月10日第23節 vsサンフレッチェ広島】
- フェルナンジーニョ【2006年3月12日第2節 vsセレッソ大阪】
- マグノ・アウベス【2006年3月12日第2節 vsセレッソ大阪】【2006年11月26日第33節 vs京都パープルサンガ】
- バレー【2007年9月1日第24節 vs名古屋グランパスエイト】
Jリーグスーパーカップ(ゼロックススーパーカップ)
- 3得点
- マグノ・アウベス【2007年2月24日 vs浦和レッドダイヤモンズ】※スーパーカップ史上初ハットトリック
天皇杯
- 5得点
- 大黒将志【2004年12月12日5回戦 vs横浜FC】
ACL
- 4得点
- マグノ・アウベス【2006年3月22日グループリーグ第2節 vsダ・ナン @万博】
- 3得点
パンパシフィックチャンピオンシップ
- 4得点
- バレー【2008年2月23日決勝 vsヒューストン・ダイナモ @ハワイ】※パンパシフィックチャンピオンシップ史上初ハットトリック
- 記念ゴール
J1リーグ戦
- 通算100ゴール - 松波正信【1993年6月9日サントリー第11節 vsサンフレッチェ広島 @万博】
- 通算10,000ゴール - 前田雅文【2005年5月8日第11節 vs名古屋グランパス @万博】
- その他
- 1試合2選手のハットトリック
[編集] 下部組織
近年、トップに続きユースも輝かしい活躍を見せている。
ガンバ大阪の下部組織は、初代監督 釜本邦茂が主催していたジュニアユースおよびジュニア年代のクラブチーム「釜本FC」が移行する形で1992年に発足した[6]。下部組織の元責任者である、上野山信行も元々は釜本FCの指導者だった。
- 主な大会実績
- 1992年 第16回日本クラブユースサッカー選手権 準優勝
- 1994年 第2回Jユースカップ 優勝
- 1995年 第19回日本クラブユースサッカー選手権 準優勝
- 1995年 第3回Jユースカップ 3位
- 1996年 第4回Jユースカップ 準優勝
- 1997年 第21回日本クラブユースサッカー選手権 3位
- 1997年 第5回Jユースカップ 3位
- 1998年 第22回日本クラブユースサッカー選手権 優勝
- 1998年 第9回高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 準優勝
- 2000年 第8回Jユースカップ 優勝
- 2002年 第10回Jユースカップ 優勝
- 2005年 第29回日本クラブユースサッカー選手権 3位
- 2005年 第13回Jユースカップ 3位
- 2006年 第30回日本クラブユースサッカー選手権 優勝
- 2006年 第17回高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 3位
- 2007年 第31回日本クラブユースサッカー選手権大会 優勝
- 2008年 第32回日本クラブユースサッカー選手権大会 3位
- 2008年 第16回Jユースカップ 優勝
- トップチーム昇格者
詳細は「ガンバ大阪の選手一覧#下部組織出身者」を参照
[編集] ユニフォーム
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[編集] チームカラー
チームカラーは青色と黒色。ゲームシャツには1997年シーズンより青と黒の縦縞模様のデザインを使用している。これには1996年シーズン終了後に当時ガンバ大阪でプレーしていた礒貝洋光が縦縞模様への変更を提案したという経緯があるが、彼自身は1997年から浦和レッズへ移籍したため一度も着ることはなかった[6]。
[編集] ユニフォームスポンサー
- 公式戦(国内試合)
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | パナソニック | Panasonic | 1992年 - | |
| 背中 | ロート製薬 | ROHTO | 2003年2nd - | |
| 袖 | ゼンショク | でん | 2001年 - | |
| パンツ | なし |
- 国際試合
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | パナソニック | Panasonic | 2008年 - |
AFCチャンピオンズリーグに出場した際には胸のスポンサー1社以外認められないため、パナソニック以外のスポンサーマークを取り除いたユニフォームを使用。本来、ロート製薬のスポンサーマークがついている背中部分には選手名が記されている。
[編集] エピソード
- 1992年のナビスコカップから1996年のシーズン終了までは背番号の下に「Matsushita Electric Industrial Co., Ltd.」ないしは「Panasonic/National」のクレジット、1997年 - 2003年ファーストステージまで背番号上部に"National"のロゴマークを入れていたが、同社の世界ブランドネームをパナソニックに統一することに伴いそのロゴを外すことになり、代って2003年セカンドステージからロート製薬が背番号スポンサーとなった。
- ロート製薬は、2004年夏季にロゴが変更されたがそのシーズンは旧ロゴのままで試合を行い、2005年度から新ロゴを着用している。
- 2006年シーズンは、2005年のJ1リーグ年間優勝チームであるため、日本サッカー協会のシンボルである八咫烏の付いたチャンピオンマークが右袖についていた。
- 2006年まで、フィールドプレーヤーの3rdユニフォームを採用していたが、2007年シーズンからは廃止となった。
[編集] ユニフォームサプライの遍歴
[編集] 歴代スポンサー年表
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 1992年 | Panasonic | - | - | - | Mizuno/adidas |
| 1993年 | Panasonic | - | - | - | Mizuno/adidas |
| 1994年 | Panasonic | - | - | - | Mizuno/adidas |
| 1995年 | Panasonic | - | - | - | Mizuno/adidas |
| 1996年 | Panasonic | - | - | - | Mizuno/adidas |
| 1997年 | Panasonic | - | National | - | adidas |
| 1998年 | Panasonic | - | National | - | adidas |
| 1999年 | Panasonic | - | National | - | le coq sportif |
| 2000年 | Panasonic | - | National | - | le coq sportif |
| 2001年 | Panasonic | でん(2ndより) | National | - | le coq sportif |
| 2002年 | Panasonic | でん | National | - | le coq sportif |
| 2003年 | Panasonic | でん | National (1st) ROHTO (2nd) |
- | UMBRO |
| 2004年 | Panasonic | でん | ROHTO | - | UMBRO |
| 2005年 | Panasonic | でん | ROHTO | シャディ | UMBRO |
| 2006年 | Panasonic | でん | ROHTO | シャディ | UMBRO |
| 2007年 | Panasonic | でん | ROHTO | MIDORI | UMBRO |
| 2008年 | Panasonic | でん | ROHTO | MIDORI | UMBRO |
| 2009年 | Panasonic | でん | ROHTO | - | UMBRO |
[編集] 出典
- ^ クラブハウス - ガンバ大阪オフィシャルサイト
- ^ a b 『ガンバ大阪オフィシャルイヤーブック 2009』 102頁。
- ^ 第2回 サポーターミーティング - ガンバ大阪オフィシャルサイト
- ^ 川淵三郎『虹を掴む』講談社、2006年 ISBN 978-4062126762
- ^ a b 第10節 川崎フロンターレ戦はACL出場の為、7月1日に実施。
- ^ a b 『ガンバ大阪15年史』ベースボール・マガジン社、2007年 ISBN 978-4583614632
[編集] 関連項目
- ガンバ大阪の選手一覧
- ガンバ大阪チアダンスチーム
- オリジナル10
- 大阪ダービー
- 2005年J1最終節
- 仙石幸一(ホームゲームスタジアムDJ)
- トヨタカローラ新大阪
[編集] 外部リンク
- 公式サイト
- 公式応援番組GAMBA EXサイト
- タイトルへの挑戦 ガンバ大阪 - 大阪日刊スポーツ新聞社
- 特集 G大阪新スタジアム - スポーツ報知 大阪版
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