ガンバ大阪
| ガンバ大阪 | |
|---|---|
| 原語表記 | ガンバ大阪[1] |
| 愛称 | ガンバ |
| クラブカラー | ブルー & ブラック[1] |
| 創設年 | 1980年 |
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | Jリーグ ディビジョン2 |
| クラブライセンス | J1・J2 |
| ホームタウン | 大阪府吹田市、茨木市、高槻市、豊中市[1] |
| ホームスタジアム | 万博記念競技場[1] |
| 収容人数 | 21,000 |
| 運営法人 | 株式会社ガンバ大阪[1] |
| 代表者 | 野呂輝久[1] |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
|
| 本社所在地 | 〒565-0826 大阪府吹田市千里万博公園3-3 万博記念公園スポーツ広場内[1] |
| 設立 | 1991年10月1日 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | サッカークラブ運営 |
| 代表者 | 代表取締役社長 野呂輝久[1] |
| 資本金 | 1,000万円 (2012年1月期)[2] |
| 売上高 | 38億1,700万円 (2012年1月期)[2] |
| 経常利益 | 1億500万円 (2012年1月期)[2] |
| 営業利益 | 7,200万円 (2012年1月期)[2] |
| 純利益 | 4,700万円 (2012年1月期)[2] |
| 純資産 | 2億2,900万円 (2012年1月期)[2] |
| 総資産 | 13億1,800万円 (2012年1月期)[2] |
| 決算期 | 毎年1月[2] |
| 主要株主 | パナソニック 70% 関西電力 10% 大阪ガス 10% 西日本旅客鉄道 10% |
| 外部リンク | http://www.gamba-osaka.net/ |
ガンバ大阪(ガンバ おおさか、Gamba Osaka)は、日本の大阪府吹田市、茨木市、高槻市、豊中市にホームを置く[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
概要 [編集]
1980年創部の松下電器産業サッカー部が前身であり、1993年のJリーグ開幕時より加盟している10クラブ(オリジナル10)のひとつである。2005年にJ1リーグ優勝、2008年にAFCチャンピオンズリーグを制覇するなど、国内3大タイトル(J1リーグ、天皇杯、ナビスコカップ)の全てを獲得している5クラブの一つである。獲得タイトル数はJリーグ全加盟クラブ中4位、近畿地方以西のクラブでは最多である。
ホームタウンは2011年までは大阪府吹田市、2012年2月より吹田市、茨木市、高槻市、豊中市の4市にホームタウンを変更・広域化した[1][3]。1997年にそれまで淀川区にあったクラブ事務所と京田辺市にあった練習場をスタジアムがある万博記念公園に移転した。2004年より吹田市、茨木市および高槻市、2006年より左記3市および豊中市を重点4市と定めた[4][5]。2010年、これまで各市でG大阪の支援活動を行っていた4市の後援会が一丸となり、G大阪とともに各自治体、企業などと協力し、青少年の健全育成や街の活性化をはじめとする地域貢献活動を目的とした「ガンバ大阪後援会」が発足した。なお、大阪府大阪市をホームタウンとしているセレッソ大阪(C大阪)に対し、G大阪は北摂・北河内地域14市3町を重点地域にしている[6][4]。
ホームスタジアムは万博記念競技場[1]。クラブハウスと練習グラウンドは万博記念公園スポーツ広場内のガンバ大阪練習場である[1][7]。
クラブ名の「ガンバ(GAMBA)」は、イタリア語で「脚」を意味し、「脚」によってシンプルで強いチームを目指す[1]。また、日本語の「頑張る」にも通じ[1]、
- チーム一丸となって勝利を目指してガンバるチーム
- どんな状況でもガンバって勝利を勝ちとるチーム
- 大阪をホームタウンとし、大阪を中心とした関西ファンの声援を受けてガンバるチーム
- 日本一、世界一のクラブ組織に向けてガンバるサッカークラブ
という意味が込められている[8]。
発足から1995年までのクラブ名は「パナソニックガンバ大阪」としていた。略称表記はJリーグ発足当初は「大阪」であったが、1995年に大阪市にホームタウンを置くC大阪がJリーグに昇格してからは、C大阪と区別するため「G大阪」もしくは「ガ大阪」と表記されている。
運営会社は株式会社ガンバ大阪で、設立当初は松下電器産業(現・パナソニック)が全株式を保有していたが、1997年に関西電力、大阪ガス、西日本旅客鉄道が株主となっている。なお、資本金はJリーグクラブの中でも最少である。
マスコットは松下進デザインの「ガンバボーイ」[1]で、ゼウスの生まれ変わりという設定である。ガンバって勝利を勝ち取る元気なサッカーボーイであり、雷の形の闘志あふれるエネルギーをその手につかんでいる。動物ではなく人間をモチーフにした数少ないマスコットの1つ(オリジナル10では唯一の人間をモチーフにしたマスコット)である。Jリーグ開幕当初は、デザインイラストどおりギリシャ風の衣装を着用するデザインであったが[9]、1990年代後半頃からはユニフォームを着用したイラストに変更された。ただし、ユニフォーム以外を着用しているものも少数ではあるが存在した。
エンブレムは1995年までは、クラブマスコットのガンバボーイそのものがエンブレムの代わりであり、正式なエンブレムができた1996年以降は、クラブカラーと同じブルーとブラックで大阪府の府鳥「百舌鳥」を伝統の象徴である盾型にアレンジし、その中央にはサッカーボールが描かれ、勝利の証である月桂樹のかわりに、大阪府の木「銀杏」の葉が周囲を飾るものになっている。
歴史 [編集]
前史 [編集]
詳細は「松下電器産業サッカー部」を参照
1980年に創部された松下電器産業サッカー部が前身[1]。1984年に日本サッカーリーグ(JSL)2部[1]、1986年にJSL1部へ昇格[1]。第70回天皇杯全日本サッカー選手権大会(1990年)優勝[1]などの成績を残した。
1991年10月1日、運営会社である「(株)松下サッカークラブ」を設立。
1992年 - 1995年 [編集]
1992年にクラブ名を「パナソニックガンバ大阪」と命名。Jリーグ創設時からの加盟クラブ「オリジナル10」の一つであり、当初は近畿地方で唯一のJリーグクラブだった。Jリーグ加盟時は松下がユニバーサル映画を買収した時期と重なり、強そうなのでスティーブン・スピルバーグの映画『ジョーズ』から大阪城にも引っ掛け「大阪ジョーズ」という名前が有力候補だった。しかし、瀬戸内海にサメが出没する事件が発生しことなどから、このクラブ名は不採用となった[10]。
初代監督に釜本邦茂が就任。永島昭浩、礒貝洋光、本並健治、エジバウドなどが所属していた。1992年のJリーグカップは8位に終わったが、第72回天皇杯全日本サッカー選手権大会はベスト8へ進出。しかし、エジバウドはシーズン開幕を待たずして交通事故で他界した。
1993年Jリーグ開幕節(5月16日)、万博記念競技場で行われ浦和と対戦し、和田昌裕の得点で1-0で勝利したが、1st・2ndステージとも8勝10敗の成績で、順位はそれぞれ10チーム中8位と6位。Jリーグ開幕初年は年間成績7位に終わる。ナビスコ杯ではベスト4へ進出。
1994年は、永島が清水に移籍した一方、前年からのアレイニコフに加え、ツベイバやプロタソフといった元ソ連代表勢が加入した。しかし、守備の要となる筈だったツベイバがケガで離脱し、1stステージは7勝15敗で12チーム中10位。2ndステージはツベイバが復帰したが、7連敗を喫すなど最下位争いの常連となり、名古屋グランパスエイト・浦和と共にJリーグのお荷物と扱われるようになった[11]。7連敗の直後に、同年限りでの釜本の監督解任が発表された。最終的に8勝14敗で1stステージ同様の10位に終わった。一方でカップ戦はナビスコ杯・天皇杯ともにベスト4へ進出。なお、ナビスコ杯準決勝(V川崎戦)は1-7で大敗した。
ハンス・オフトが日本代表監督を務めていた際には、Jリーグで唯一代表選手が不在であったが、パウロ・ロベルト・ファルカンが監督を務めた時代には、一時的に多く選出された。
1995年、ジークフリート・ヘルトが監督に就任。ヒルハウス、スクリーニャらが加入。また、ユースから宮本恒靖らがクラブで初めて昇格した。1stステージ序盤は6勝2敗と好スタートを切り、首位争いに加わったが、その後は8連敗を喫し、最終的なステージ成績は10勝16敗で14チーム中11位。2ndステージは8勝18敗の13位。年間総合順位は初めて最下位に終わり、シーズン終了後にヘルトが監督を解任された。天皇杯は2年連続でベスト4に入った。
1996年 - 1998年 [編集]
1996年、クラブ名を「ガンバ大阪」、法人名を「(株)ガンバ大阪」にそれぞれ改称。前アシスタントコーチのヨジップ・クゼが監督に就任。初の1シーズン制で行われ、リーグ開幕から15連敗していたV川崎に第9節に勝利するなど、前半戦は8勝7敗。しかし後半戦で失速し、最終的な年間成績は11勝19敗で16チーム中12位。年間成績は初年度から参加した10チーム中唯一4年連続の負け越しとなった。天皇杯は3年連続でベスト4に進出した一方で、ナビスコ杯では予選で敗退した。
1997年、礒貝が浦和、本並がV川崎に移籍。一方でカメルーン代表のパトリック・エムボマが加入し、新井場徹がユースから昇格した。また、ユースから飛び級でトップチームに昇格した稲本潤一が当時のJリーグ最年少出場記録となる17歳171日でJリーグ公式戦に初出場した。1stステージを8勝8敗(17チーム中8位)と初めて勝敗を五分に持ち込むと、2ndステージは当時のJリーグ記録となる9連勝を飾り、首位争いに加わり、2位の成績を残した。また、年間成績も初めて勝ち越し4位となった。なお、エムボマは25得点を挙げて、クラブ初のJリーグ得点王とベストイレブンを獲得。シーズン終了後、クゼが監督が母国クロアチア代表のスタッフ就任により退団、天皇杯はアシスタントコーチのフリードリッヒ・コンシリアが率い、4年連続でベスト4に入った。
1998年、フレデリック・アントネッティの監督就任が決まっていたが、ヨーロッパのシーズンが終了してからの来日という形になり、それまではコンシリアが監督を務めた。また、橋本英郎がユースから昇格し、姫路市立琴丘高等学校の[播戸竜二]]を練習生として獲得した(数か月後にプロ契約)。1stステージは14位(7勝10敗)。7月にエムボマがイタリア・セリエAのカリアリに移籍した。2ndステージは16位(5勝12敗)となり、年間成績は15位。また、ナビスコ杯は予選敗退、天皇杯は3回戦で敗退した。
1999年 - 2001年 [編集]
1999年、大黒将志、二川孝広がユースから昇格した。1stステージは6勝9敗で16チーム中10位に終わり、アントネッティがシーズン途中で監督を退任。2ndステージから早野宏史が監督に就任したが、5勝1分9敗の13位。年間成績は11位となった。また、ナビスコ杯は2回戦、天皇杯は4回戦で敗退した。
2000年、1stステージは5勝2分8敗の13位。2ndステージは開幕から5連勝。第10節の広島戦での勝利で3年ぶりに首位に立った。鹿島と優勝を争ったが、第14節で鹿島、最終節で磐田に破れ、順位は4位。なお、年間成績では6位、15勝2分13敗と3年ぶりに勝ち越した。また、天皇杯では3年ぶりにベスト4へ進出。
2001年、遠藤保仁、山口智を獲得。1stステージは9勝6敗の5位。1stステージ終了後、稲本がクラブ初となる海外移籍で、イングランド・プレミアリーグのアーセナルFCへ移籍。2ndステージは低迷し、第8節にC大阪戦(大阪ダービー、Vゴール負け)の翌日に早野が監督を辞任した。コーチの竹本一彦が監督に昇格したが、最終成績は5勝2分8敗の11位。年間成績は16チーム中7位(14勝2分14敗)。
2002年 - 2004年 [編集]
2002年、前柏監督の西野朗が監督に就任。1stステージは中断期間までに4勝1分け2敗の4位。再開後も4連勝で一時は3位に浮上、最終的に9勝1分5敗で4位に入った。2ndステージも磐田と優勝を争ったが、直接対決で0-2と完敗するなどし、2位の成績(10勝5敗)。年間順位も過去最高の3位となり、19勝1分10敗と2年振りの勝ち越しを達成。また失点数・反則ポイント共に、チーム歴代最少であった。
2003年は、年間で7度アディショナルタイムで失点を喫するなど失った勝ち点が積み重なった結果、一時は残留争いに加わった。1stステージは4勝4分7敗で12位、2ndステージは優勝争いには絡めず、6勝5分4敗で7位。年間成績も10勝9分11敗と4年ぶりに負け越した。シーズン終了後、新井場徹が鹿島に移籍した。なお、4月17日、1996年12月29日の天皇杯準決勝広島戦でのプレー中の事故を最後に1998年シーズン途中に退団した今藤幸治が死去した。
2004年、シジクレイ、フェルナンジーニョらを獲得。1st・2ndステージ共に優勝争いに加わり、1stステージ7勝3分5敗で4位、2ndステージ8勝3分4敗で3位の成績。なお、この年は大黒将志がリーグ戦日本人最多の20得点を挙げた。また、J1・1st第15節新潟戦で家長昭博がJリーグ史上初となる2種登録選手によるデビュー戦での初得点を挙げた。カップ戦においては、ナビスコ杯ベスト8、天皇杯ベスト4の成績となった。
2005年 [編集]
2005年、アラウージョ、藤ヶ谷陽介を獲得するも、序盤6試合はわずか1勝であったが、リーグ戦中盤以降にはアラウージョ、大黒将志、フェルナンジーニョを擁する攻撃力が機能するようになり(総得点は合計82)、22節に首位に立つ。ナビスコ杯は初めて決勝へ進出。決勝は千葉にPK戦で敗退したが、準優勝の成績を収めた。リーグでは終盤に失速し、第33節終了時点でC大阪に抜かれ、2位に後退。それでも、最終節で川崎に勝利し、勝ち点1差の首位だったC大阪がFC東京と引き分けたため、クラブ創設以来初また関西のチームとして初となるリーグ優勝を果たした(詳細は2005年J1最終節を参照)。同時にAFCチャンピオンズリーグ2006(ACL)の出場権を獲得した。
この年、アラウージョがクラブのシーズン最多得点となる33得点を挙げ、クラブでは1998年のエムボマ以来となる得点王と、クラブ初となるリーグMVPを獲得。シーズン終了後、アラウージョが退団。この年、16得点を挙げた大黒もフランス2部リーグのグルノーブルへ移籍した。また、1993年のJリーグ開幕から所属した松波正信が現役を引退した。
2006年 [編集]
2006年は、FWにマグノ・アウベスと、7年ぶりにG大阪復帰となる播戸竜二。柏から元日本代表のMF明神智和、日本代表のDF加地亮らを獲得。また、ユースからは安田理大、平井将生ら過去最多の6人が昇格した。
初出場したAFCチャンピオンズリーグ2006はマグノ・アウベスが8得点で大会得点王を獲得したが、グループリーグで敗退。A3チャンピオンズカップ2006は中国の大連実徳と千葉には勝利したが、韓国の蔚山現代に0-6と大敗し、2位の成績に終わった。
リーグ戦は最終節前で浦和に勝ち点3差の2位であったが、最終節の浦和との直接対決に2-3で敗れ、リーグ連覇はならなかった(最終順位は3位)。なお、マグノ・アウベスがクラブ史上3人目の得点王となる26得点、播戸も16得点を挙げた。
リーグ戦終了後、宮本恒靖がオーストリアのレッドブル・ザルツブルクへ移籍、また、2005年のリーグ優勝に貢献したフェルナンジーニョも退団した。
天皇杯では、Jリーグ加入後初(前身の松下電器時代を含めると16年ぶり)の決勝進出を果たしたが、浦和に敗退した。
2007年 [編集]
2007年は、FWバレー、レンタルでDF中澤聡太を獲得。開幕前に行われたゼロックススーパーカップでは浦和と2年連続で対戦し、マグノ・アウベスのハットトリックを含む4-0で勝利しスーパカップ初制覇。
ナビスコ杯では、2年ぶりに決勝進出。決勝では川崎と対戦し、決勝点を挙げた安田理大が、大会MVPとニューヒーロー賞を受賞した。
リーグ戦は、クラブ初となる開幕4連勝で波に乗り、中断期間まで12勝5分け1敗と好調のまま首位。中断明けの浦和との直接対決に敗れ、最終的に2年連続の3位に終わったが、浦和が前年度の天皇杯とAFCチャンピオンズリーグ2007を優勝したため、ACLの大会規定により天皇杯優勝枠でAFCチャンピオンズリーグ2008の出場が決まった。
シーズン後、外国籍選手のクラブ最多出場記録を持ち、ゲームキャプテンも務めたシジクレイが退団。また、實好礼忠が現役を引退した。
2008年 [編集]
佐々木勇人、ルーカス、山崎雅人らを獲得した2008年シーズンは300日余りの間に公式戦を過去最多の61試合をこなす過酷な日程となった。
2月のパンパシフィックチャンピオンシップ2008は、初戦でロサンゼルス・ギャラクシー、決勝でヒューストン・ダイナモに夫々勝利し、1992年のクイーンズカップ以来となる16年ぶりに国際タイトルを獲得した。
5月17日、埼玉スタジアムの浦和戦(第13節)で、一部のG大阪サポーターによる浦和側への観客席に対する物の投げ込みを発端とした両クラブのサポーターが衝突する騒動が発生し、クラブは騒動を起こしたBB sez TOKYOの団員2名を永久入場禁止とし、同団体は解散となった。また、Jリーグから1,000万円の制裁金が課された。
7月30日、スルガ銀行チャンピオンシップでアルゼンチンのアルセナルFCと対戦し、0-1で敗れた。
2年ぶりに出場したAFCチャンピオンズリーグ2008では準決勝で前年覇者である浦和とのACL史上初のJリーグ勢対決を2戦合計4-2(第1戦 1-1、第2戦 3-1)で制すると、11月12日の決勝ではオーストラリアのアデレード・ユナイテッドに2戦合計5-0(第1戦 3-0、第2戦 2-0)で勝利し、クラブ史上初、Jリーグ勢では1999年(AFCチャンピオンズリーグの前身であるアジアクラブ選手権)の磐田、2007年の浦和に次ぐ3クラブ目となるアジア制覇を果たす。また、ACL史上3クラブ目の無敗での優勝、そして、史上初のアウェー全勝(6戦中4戦が逆転勝ち)での優勝であった。遠藤保仁が大会MVPを受賞。また、AFCよりアジア年間最優秀クラブ賞を受賞し、監督の西野朗がアジア年間最優秀監督賞を受賞した。
一方で、リーグ戦はシーズン序盤でやや躓くと、立て直してきた中盤には播戸竜二が肝機能障害、遠藤がウィルス感染症で離脱。更に、エースストライカーのバレーがUAEのアル・アハリに移籍。また、横浜FMからロニーを獲得するも、チームにフィットせず中盤で大失速。特にJ1第19節からJ1第24節まで勝利が無く、優勝争いから脱落する。最終順位は8位に終わった。
12月、日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ2008は初戦の準々決勝でこの年3度目の対戦となったアデレードに1-0で勝利。準決勝ではヨーロッパ王者のマンチェスター・ユナイテッド相手に3得点を奪うも3-5で敗戦。3位決定戦では北中米カリブ海王者のパチューカに1-0で勝利し、前年の浦和に続き大会3位となった。
天皇杯はクラブワールドカップとの日程が並行したため、中2?3日の間隔で試合が行なわれたが、2年ぶりに決勝へ進出。柏との決勝は延長後半に途中出場の播戸の先制点が決勝点となり1-0で勝利し、前身の松下電器時代の1990年度大会以来、18年ぶり2度目の優勝を果たす。また、国内3大タイトルを全て獲得した5つ目のクラブとなった。同時にAFCチャンピオンズリーグ2009出場権も獲得した。
2009年 [編集]
2009年は、前年のリーグ戦の低迷からレアンドロ、チョ・ジェジンのJリーグ経験豊富なFW、更に、高木和道、パク・ドンヒョクの日韓代表経験を持つDFらを獲得する大型補強を行った。
5月2日、レアンドロがJ1第9節 大分戦で4月8日のACLグループリーグ第3節 スリウィジャヤ戦から続いていた、公式戦の連続試合得点をクラブ新記録となる7試合連続ゴールを達成した。最終的には5月10日のJ1第11節[12] 柏戦までの9試合まで記録を更新。また、同試合で4月12日J1第5節 大宮戦から続いていたJ1の連続試合得点をクラブタイ記録の6試合連続ゴールも達成した。
5月20日、ACLグループリーグ第6節 FCソウル戦で、この年クラブ初の高校2年生でトップチームに昇格した宇佐美貴史が、1997年に稲本潤一が記録したクラブ最年少記録を更新する、17歳14日での公式戦初出場・初得点を記録。しかし、試合には敗れ、2006年のACLから続いていたACLの連続無敗記録が19試合で途切れた。そして、ラウンド16で川崎に2-3で敗れACL連覇を逃した。
リーグ戦は開幕から二川孝広と加地亮の不在や期待された新戦力がチームに馴染まなかった影響により、なかなか調子が上がらず、特に5月後半から7月の半ば頃まで、万博でのホームゲームで6連敗(ACL、ナビスコカップ含む)を喫した。さらに8月にはチーム得点王のレアンドロがカタールのアル・サッドに移籍。新潟からペドロ・ジュニオールを獲得するもチームへのフィットに時間がかかり結果は出せず、一時は鹿島との最大勝ち点差が19となった。
11月8日、J1第31節 京都戦のペドロ・ジュニオールの2得点目で鹿島、磐田に次ぐ3クラブ目となるリーグ戦クラブ通算1000ゴールを達成。11月24日、AFCより遠藤保仁が日本人選手5人目、Jリーグ所属選手では1997年の中田英寿(平塚)以来となるアジア年間最優秀選手賞を受賞した。
後半戦はなんとか立て直し、第32節まで優勝の可能性を残しつつも、第33節で首位の鹿島との直接対決で1-5と大敗して優勝を逃した。それでも、最終的に3位となり、AFCチャンピオンズリーグ2010の出場権は獲得した。
天皇杯は決勝で名古屋をで破り、歴代7チーム目の天皇杯連覇を達成。なお、ルーカスが天皇杯6試合で8得点を挙げた。なお、天皇杯決勝戦を最後に、1997年から所属した松代直樹が現役を引退した。
2010年 [編集]
2010年は、ここ数年行った大型補強を行わず、新人とレンタル復帰以外では、FWのドドとゼ・カルロスの獲得のみにとどめ、現有戦力の維持を優先した。
シーズン開幕から6試合連続公式戦未勝利。リーグ戦も開幕から5試合連続未勝利で、その後も相次ぐ主力選手の離脱、外国籍選手の不調、更には試合終了間際の失点などが重なり、なかなか波に乗れず、1試合未消化であるものの首位争いから大きく離され、11位で中断期間に入る。また、ペドロ・ジュニオールがブラジルのクラブへ移籍し、ゼ・カルロスも結果を残せず途中退団した。
AFCチャンピオンズリーグ2010は、グループリーグ第3節シンガポール・アームド・フォーシズ戦で平井将生が日本人選手では7人目、ユース出身選手では大黒将志以来となるハットトリックを達成する活躍などで、3年連続グループリーグを突破するもラウンド16で優勝した城南一和に0-3で敗れ、2年連続ベスト16に終わる。
リーグ後半戦、磐田から韓国代表のイ・グノを獲得。優勝した名古屋との直接対決では2試合とも敗れ、勝ち点10差をつけられたが、2位の成績となり、AFCチャンピオンズリーグ2011の出場権を獲得した。なお、ACLでハットトリックを決めた平井がチームトップの14得点(リーグでは日本人2位)、高校3年生ながら主力に定着した宇佐美貴史も高校生Jリーガーのシーズン最多記録となる7得点を挙げ、G大阪下部組織出身者として初のJリーグベストヤングプレーヤー賞(新人王)を受賞した。3年目の武井択也も途中離脱した明神智和の代役としてチームに貢献した。
シーズン終了後、安田理大がオランダ1部・フィテッセに、C大阪へレンタル移籍していた家長昭博がスペイン1部・マジョルカに、広島へレンタル移籍していた山崎雅人が広島に、安田晃大が北九州にそれぞれ完全移籍した。また、G大阪の多くのタイトル獲得に貢献したルーカスも退団した。
2011年 [編集]
クラブ設立20周年となる2011年は、Kリーグ・全北現代モータースから元U-23韓国代表のキム・スンヨン、ブラジル1部・SCインテルナシオナルから昨シーズンC大阪でリーグ戦14得点を挙げたアドリアーノ、大学生の金正也、藤春廣輝、川西翔太を獲得、ユースチームからは大森晃太郎が昇格し、開幕直後にレンタルでコリンチャンス-ALからアフォンソを獲得した。
アンブロ(販売元:デサント)と新たに2020年シーズンまでのユニフォームサプライヤー契約を締結した。また、1995年以来毎年行われてきた石川県西部緑地公園陸上競技場でのホームゲームから撤退した。
3月11日に発生した東日本大震災の影響で、J1第2節から第6節が開催延期となった。これを受け、クラブ公式サイトで被災地への義援金を募るチャリティーオークションが開催され、3月27日には神戸との「東北地方太平洋沖地震チャリティーマッチ ?LET'S SUPPORT OUR FRIENDS 今こそ仲間のために行動しよう!?」が万博記念競技場で開催された。10月2日、創立20周年記念試合となったJ1第28節浦和戦で、6クラブ目となるJ1通算300勝を達成。
AFCチャンピオンズリーグ2011はJリーグ勢では唯一グループリーグを1位で突破したが、ラウンド16でC大阪に敗れた。代表組の遠藤保仁、イ・グノらを欠いて臨んだナビスコ杯は浦和に1-2で敗れ準決勝で敗退。天皇杯は水戸に3回戦で敗退した。
リーグ序盤戦、新加入のアドリアーノがクラブタイ記録の6試合連続得点を記録するなど得点ランキングトップを独走する活躍を見せ、攻撃面ではリーグトップの得点数を維持し続けるも、守備面では例年以上に安定感を欠き、開幕からの連続失点試合がリーグワーストの18試合に上り、総失点数が一時期リーグ最下位に陥り、更にはJ1第9節(ACL出場による順延開催)名古屋戦でリーグ通算失点数がJ1最速で1000点に到達する不名誉な記録を作ってしまうなど、今ひとつ波に乗りきれなかった。6月、アドリアーノがカタールのアル・ジャイシュ、7月に宇佐美貴史がドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンに移籍した一方、草津からFWラフィーニャを獲得。ラフィーニャ加入以降の夏場を無敗で乗り切り、第22節川崎戦で2009年3月以来となる首位に立ったが、第29節名古屋戦に大敗し、柏に首位を明け渡す。その後、3位に後退し、最終節まで優勝の可能性を残すも、3位となり、2年連続無冠に終わった。
シーズン終了後、2002年から10年間監督を務めた西野朗が退任。山口智や橋本英郎、下平匠やイ・グノらが退団した。
2012年 [編集]
2012年、監督にジョゼ・カルロス・セホーンが就任。コーチ陣も元日本代表の呂比須ワグナーを含む3人が加入。補強面ではFC東京から今野泰幸、甲府からパウリーニョ、徳島から佐藤晃大、FCソウルからイ・スンヨルを完全移籍で、清水から武田洋平、CAタボン・ダ・セーハからエドゥワルドをレンタル移籍で獲得し、丹羽大輝が6年ぶり、寺田紳一と倉田秋が3年ぶりにレンタル移籍先から復帰。新人では大卒で阿部浩之、テスト生から沼田圭悟を獲得し、ユースからは田尻健、西野貴治、稲森克尚が昇格した。
しかし、シーズン初の公式戦となったAFCチャンピオンズリーグ2012グループリーグ初戦を0-3で惨敗すると、第2節のC大阪戦(大阪ダービー)を含むリーグ戦の第3節までの公式戦5連敗を喫した。リーグ戦第3節終了後の3月26日にセホーン監督、呂比須ヘッドコーチ、ウェリントンフィジカルコーチの3人と、山本浩靖強化本部長を解任。後任監督にはコーチの松波正信がクラブOB初・クラブ最年少で監督に就任した。なお、ACLは1勝に留まり、この年出場したJリーグ勢で唯一グループリーグで敗退。
J1第6節川崎戦でリーグ戦初勝利を挙げたが、中断前の12試合でわずか2勝(3分7敗)。15位の新潟と勝点差6(ACL出場による日程変更でリーグ戦試合消化はガンバが新潟より1試合少ない状態)の16位と降格圏に低迷。これを受け、夏の補強としてRCDマヨルカから家長昭博、アル・サッドからレアンドロが期限付き移籍で復帰。また、清水から岩下敬輔を期限付き移籍で獲得。一方で、6月にラフィーニャと契約解除。7月にイ・スンヨルが蔚山現代FC、寺田が横浜FC、星原が水戸へそれぞれ期限付き移籍で退団。中盤以降、新戦力のレアンドロや家長の活躍もあり後半戦はやや持ち直すものの、同じく下位に低迷していた大宮や新潟も大きく調子を落とさなかったため、最終節前の時点で15位の神戸と勝点1差の16位で最終節を迎える。最終節の磐田戦に勝利すれば残留の可能性があったが1-2で敗れ、17位に下がり、クラブ初のJ2降格が決定した。この年、総得点数はリーグ1位の67得点に対して総失点は最下位の札幌に次ぐリーグワースト2位の65失点に達し、ホーム17試合でわずか4勝(7分6敗)と直近10年では最悪の勝率になる勝負弱さをシーズン通して露呈するなど、最後まで攻守のアンバランスさを改善できないシーズンであった。
天皇杯は3年ぶりに決勝へ進出したが、柏に敗れ、6年ぶりにACLの出場権を逃した。大会終了後に松波が監督を退任した[13]。
2013年 [編集]
初のJ2で迎える2013年、監督に元清水監督の長谷川健太が就任[14]。中澤聡太が川崎へ、佐々木勇人が仙台へ完全移籍したが、主力選手の大半がチームに残留した。シーズン前の補強では、ロンドン五輪韓国代表のオ・ジェソク、関西大学からユース出身の岡崎建哉を獲得。一方で、ユースからの昇格は14年ぶりに見送られた。
選手 [編集]
詳細は「ガンバ大阪の選手一覧#所属選手・スタッフ」を参照
国際大会出場選手 [編集]
成績 [編集]
詳細は「ガンバ大阪の年度別成績一覧」を参照
| 国内3大大会成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| Jリーグ ディビジョン1 | ナビスコ杯 | 天皇杯全日本サッカー選手権大会 | |||||||||
| 順位 | 回数 | 年度 | 成績 | 回数 | 年度 | 成績 | 回数 | 年度 | |||
| 優勝 | 1 | 2005 | 優勝 | 1 | 2007 | 優勝 | 2 | 2008, 2009 | |||
| 2位 | 1 | 2010 | 準優勝 | 1 | 2005 | 準優勝 | 2 | 2006, 2012 | |||
| 3位 | 6 | 2002, 2004, 2006, 2007, 2009, 2011 | ベスト4 | 5 | 1993, 1994, 2002, 2008, 2011 | ベスト4 | 8 | 1994, 1995, 1996, 1997, 2000, 2004, 2007, 2010 | |||
| 4位 | 1 | 1997 | ベスト8 | 6 | 2003, 2004, 2006, 2009, 2010, 2012 | ベスト8 | 3 | 1992, 2001, 2005, | |||
| 6位 | 1 | 2000 | 2回戦敗退 | 3 | 1999, 2000, 2001 | ベスト16 | 3 | 1999, 2002, 2003 | |||
| 7位 | 2 | 1993, 2001 | 予選敗退 | 4 | 1992, 1996, 1997, 1998 | 3回戦敗退 | 2 | 1998, 2011 | |||
| 8位 | 1 | 2008 | 2回戦敗退 | 1 | 1993 | ||||||
| 10位 | 2 | 1994, 2003 | |||||||||
| 11位 | 1 | 1999 | |||||||||
| 12位 | 1 | 1996 | |||||||||
| 14位 | 1 | 1995 | |||||||||
| 15位 | 1 | 1998 | |||||||||
| 17位 | 1 | 2012 | |||||||||
年度別チーム得点王 [編集]
| 年度 | チーム得点王 | 得点 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1993 | 12得点 | ||
| 1994 | 16得点 | ||
| 1995 | 20得点 | ||
| 1996 | 11得点 | ||
| 1997 | 25得点 | リーグ得点王 | |
| 1998 | 17得点 | ||
| 1999 | 6得点 | ||
| 2000 | 9得点 | ||
| 2001 | 17得点 | ||
| 2002 | 22得点 | ||
| 2003 | 15得点 | ||
| 2004 | 20得点 | ||
| 2005 | 33得点 | J1得点王 | |
| 2006 | 26得点 | J1得点王 | |
| 2007 | 20得点 | ||
| 2008 | 10得点 | ||
| 2009 | 11得点 | ||
| 2010 | 14得点 | ||
| 2011 | 15得点 | ||
| 2012 | 14得点 |
ダービーマッチ [編集]
大阪ダービー [編集]
関西ダービー [編集]
タイトル [編集]
国内タイトル [編集]
- スーパーカップ:1回
- 2007年
国際タイトル [編集]
- クイーンズカップ:1回
- 1992年
表彰 [編集]
- アジアサッカー連盟(AFC)
- AFC年間最優秀選手賞
- 2009年 -
遠藤保仁
- 2009年 -
- AFC年間最優秀監督賞
- 2008年 -
西野朗
- 2008年 -
- AFC年間最優秀クラブ賞
- 2008年
- AFCチャンピオンズリーグMVP
- 2008年 -
遠藤保仁
- 2008年 -
- チェアマン特別賞(Join賞)
- 2008年 ※下部組織による選手育成の功績を讃えて
- 特別賞
- 2008年 ※AFCチャンピオンズリーグ優勝を讃えて
- その他受賞
- 日本プロスポーツ大賞
- 2005年 殊勲賞
- 2008年 特別賞
- 報知プロスポーツ大賞
- 1997年 -
エムボマ - 2008年 -
遠藤保仁
- 1997年 -
- テレビ朝日 ビッグスポーツ大賞「日本サッカー応援宣言!やべっちF.C.賞(サッカープロジェクト賞)」
- 大阪イメージアップ賞(知事賞詞)
- 2009年
クラブ記録 [編集]
最多得点試合 [編集]
- J1リーグ戦
- 7-1 【2004年10月2日 2nd第8節 C大阪戦(万博)】
- 7-1 【2005年7月2日 第13節 東京V戦(万博)】
- 7-2 【2012年8月25日 第23節 札幌戦(万博)】
- Jリーグカップ(ナビスコ杯)
- 5-0 【1993年10月16日 グループリーグ第7節 広島戦(西京極)】
- 5-2 【1998年5月23日 グループリーグ第2節 札幌戦(万博)】
- 5-3 【2005年5月21日 グループリーグ第3節 東京V戦(万博)】
- 5-2 【2007年7月14日 準々決勝第2戦 浦和戦(万博)】
- 天皇杯
- AFCチャンピオンズリーグ(ACL)
- 15-0 【2006年3月22日 グループリーグ第2節 ダナンFC戦(万博)】(ACLの最多得点タイ記録)
最多失点試合 [編集]
- J1リーグ戦
- 1-7 【1996年5月4日 第12節 柏戦(万博)】
- Jリーグカップ(ナビスコカップ)
- 1-7 【1994年8月3日 準決勝 V川崎戦(瑞穂)】
連勝記録 [編集]
- J1リーグ戦
- 9連勝 【1997年8月9日 2nd第4節 清水戦(日本平) - 1997年9月13日 第12節 横浜F戦(万博)】
- 天皇杯
- 15連勝 【2008年11月16日 4回戦 甲府戦(万博) - 2010年12月25日 準々決勝 浦和戦(万博)】
- AFCチャンピオンズリーグ(ACL)
- 8連勝 【2008年10月8日 決勝T準決勝第2戦 浦和戦(埼玉) - 2009年5月6日 グループリーグ第5節 山東魯能泰山戦(山東)】
連続無敗記録 [編集]
- J1リーグ戦
- 13試合 【2007年4月22日 第7節 磐田戦(万博) - 2007年8月11日 第19節 新潟戦(万博)】
- ホーム
- 25試合(20勝5分) 【2006年3月29日 第4節 大宮戦 - 2007年8月11日 第19節 新潟戦】(J1史上最多タイ記録)
- AFCチャンピオンズリーグ(ACL)
- 19試合 【2006年5月3日 グループリーグ第5節 全北現代モータース戦(万博) - 2009年5月6日 グループリーグ第5節 山東魯能泰山戦(山東)】
連敗記録 [編集]
- J1リーグ戦
- 8連敗 【1995年5月10日 サントリー第15節 浦和戦(大宮) - 1995年7月8日 第22節 V川崎戦(万博)】
リーグ戦通算勝利記録 [編集]
- 初勝利 【1993年5月16日 サントリー第1節 浦和戦(万博)】
- 通算100勝 【1999年8月16日 2nd第4節 柏戦(万博)】
- 通算150勝 【2002年11月16日 2nd第13節 浦和戦(駒場)】
- 通算200勝 【2006年4月15日 第8節 横浜FM戦(日産)】
- 通算250勝 【2009年4月17日 第6節 山形戦(万博)】
- 通算300勝 【2011年10月2日 第28節 浦和戦(万博)】
個人記録 [編集]
最年少出場 [編集]
- 公式戦
- J1リーグ戦
最年少得点 [編集]
- 公式戦
- 17歳14日 -
宇佐美貴史【2009年5月20日 ACLグループリーグ第6節 FCソウル戦(万博)】
- J1リーグ戦
- 17歳179日 -
稲本潤一 【1997年4月20日 第3節 清水戦(万博)】
通算最多出場 [編集]
- 日本人選手
- 373試合 -
二川孝広 (1999年 - 2012年) ※継続中【初出場:1999年8月28日 2nd第5節 横浜FM戦】
- 外国籍選手
- 122試合 -
シジクレイ (2004年 - 2007年) 【初出場:2004年3月13日 1st第1節 鹿島戦】
通算最多得点 [編集]
- 日本人選手
- 77得点 -
遠藤保仁 (2001年 - 2012年) ※継続中
- 外国籍選手
- 42得点 -
マグロン (2002年 - 2004年)
シーズン最多得点 [編集]
- 日本人選手
- 20得点 -
大黒将志 (2004年)
- 外国籍選手
- 33得点 -
アラウージョ (2005年)
リーグ戦通算出場記録 [編集]
- 100試合出場
※2012年J1リーグ終了時点(J2や他クラブでの出場を含む)
連続試合得点 [編集]
- 公式戦
- 9試合
レアンドロ【2009年4月8日 ACLグループリーグ第3節 vsスリウィジャヤ - 2009年5月10日 J1リーグ第11節 柏戦】
- J1リーグ戦
- 6試合
エムボマ【1997年8月23日 2nd第7節 C大阪戦 - 1997年9月13日 2nd第12節 横浜F戦】
アラウージョ【2005年9月3日 第22節 東京V戦 - 2005年10月15日 第27節 神戸戦】
播戸竜二【2006年8月27日 第20節 名古屋戦 - 2006年10月1日 第25節 甲府戦】
レアンドロ【2009年4月12日 第5節 大宮戦 - 2009年5月10日 第11節[12] 柏戦】
橋本英郎【2010年7月28日 第15節 神戸戦 - 2010年8月22日 第20節 名古屋戦】
アドリアーノ【2011年4月29日 第8節 山形戦 - 2011年6月15日 第15節[15] 仙台戦】
ハットトリック [編集]
- J1リーグ戦
- 4得点
マグロン【2002年7月14日 1st第8節 清水戦】
- 3得点
永島昭浩【1993年6月5日 サントリー第7節 名古屋戦】(日本人選手初のハットトリック)
松波正信【1993年11月20日 NICOS第14節 市原戦】(18歳364日のJ1最年少記録)
山口敏弘【1994年4月6日 サントリー第7節 平塚戦】
プロタソフ【1995年6月28日 サントリー第20節 清水戦】
エムボマ【1998年4月18日 1st第7節 柏戦】
ドロブニャク【1998年8月8日 1st第17節 横浜F戦】
小島宏美【2000年4月22日 1st第8節 福岡戦】
大黒将志【2004年10月2日 2nd第8節 C大阪戦】【2004年11月6日 2nd第12節 新潟戦】【2005年4月23日 第7節 FC東京戦】
アラウージョ【2005年7月2日 第13節 東京V戦】【2005年9月10日 第23節 広島戦】
フェルナンジーニョ【2006年3月12日 第2節 C大阪戦】
マグノ・アウベス【2006年3月12日 第2節 C大阪戦】【2006年11月26日 第33節 京都戦】
バレー【2007年9月1日 第24節 名古屋戦】
ラフィーニャ【2011年8月20日 第22節 川崎F戦】
レアンドロ【2012年8月25日 第23節 札幌戦】
- J2リーグ戦
- 3得点
レアンドロ【2013年4月21日 第10節 富山戦】
- 天皇杯
- 5得点
大黒将志【2004年12月12日 5回戦 横浜FC戦】
- 3得点
- FUJI XEROX SUPER CUP(スーパーカップ)
- 3得点
マグノ・アウベス【2007年2月24日 浦和戦】(スーパーカップ初ハットトリック)
- AFCチャンピオンズリーグ(ACL)
- 4得点
マグノ・アウベス【2006年3月22日 グループリーグ第2節 vsダ・ナン(万博)】
- 3得点
- パンパシフィックチャンピオンシップ
- 4得点
バレー【2008年2月23日 決勝 vsヒューストン・ダイナモ(ハワイ)】(大会初ハットトリック)
記念ゴール [編集]
- 通算100ゴール -
松波正信【1993年6月9日 サントリー第11節 広島戦(万博)】 - 通算10,000ゴール -
前田雅文【2005年5月8日 第11節 名古屋戦(万博)】 - 通算15,500ゴール -
ラフィーニャ【2011年9月18日 第26節 横浜FM戦(日産)】
- クラブ記録
- 第1ゴール -
和田昌裕【1993年5月16日 サントリー第1節 浦和戦(万博)】 - 通算100ゴール -
山村博土【1994年9月21日 NICOS第12節 広島戦(福島)】 - 通算200ゴール -
ヒルハウス【1995年11月22日 NICOS第25節 C大阪戦(万博)】 - 通算300ゴール -
稲本潤一【1997年9月20日 2nd第13節 柏戦(万博)】 - 通算400ゴール -
小島宏美【2000年4月22日 1st第8節 福岡戦(万博)】 - 通算500ゴール -
吉原宏太【2002年4月13日 1st第6節 FC東京戦(万博)】 - 通算600ゴール -
山口智【2004年4月3日 1st第6節 清水戦(万博)】 - 通算700ゴール -
アラウージョ【2005年7月6日 第14節 広島戦(広島ビ)】 - 通算800ゴール -
播戸竜二【2006年8月30日 第21節 新潟戦(万博)】 - 通算900ゴール -
播戸竜二【2008年3月30日 第3節 東京V戦(万博)】 - 通算1,000ゴール -
ペドロ・ジュニオール【2009年11月8日 第31節 京都戦(万博)】 - 通算1,100ゴール -
イ・グノ【2011年7月10日 第3節 大宮戦(NACK)】
その他記録 [編集]
- 1試合2選手のハットトリック
スタジアム [編集]
吹田市の万博記念競技場がホームスタジアムであり、同競技場の南にはクラブハウスと練習グラウンド、クラブショップが併設されている。1997年までは京都府京田辺市の松下電工(現:パナソニック)敷地内にあった練習グラウンドを使用していた。
G大阪が関西唯一のJリーグクラブであった頃は、神戸ユニバー記念競技場や西京極競技場でもホームゲームを行ったことがある。また、1995年〜2010年まで金沢市の石川県西部緑地公園陸上競技場でホームゲームを行っていた。現在はすべて万博記念競技場でホームゲームを開催している[16]。
美味G横丁 [編集]
美味G横丁(おいじいよこちょう)は、万博記念競技場の最寄り駅「公園東口駅」からスタジアムに向かう通り道で開催されているG大阪のフードコート。2008年6-7月にフードフェスタが導入され、2008年8月より美味G横丁と名称を変更し、ホームゲームで開催されている。2009年からはメインスタンド裏にも出店している。
新スタジアム構想 [編集]
2008年7月、万博記念競技場が国際サッカー連盟(FIFA)の定める国際規格を満たしていないため、新スタジアムの建設・移転計画が発表された[17]。実際に2008年に開催されたスルガ銀行チャンピオンシップは、C大阪のホームスタジアムである長居スタジアムで行われた。
2009年7月11日、万博記念競技場において、収容人数は32,000人、建設資金推定金額150億円。サッカー専用の屋根付きスタジアムとし、スタンド屋根部分には「ソーラーパネル」を設置して、電力供給を担うとの内容のスタジアム構想が発表された[18][19]。また、同時に新スタジアム建設費の一部を民間資金で調達する計画もリリースされた[18][19]。また、建設予定地を万博敷地内にするよう吹田市などに要請した[18]。
2010年1月8日、日本サッカー協会が目指している2018/2022年FIFAワールドカップ日本招致構想の開催地自治体に吹田市が立候補し、開催スタジアムをG大阪が同市内に建設予定の新スタジアムを使用することを発表した[20]。しかし、吹田市は、完成したスタジアムの寄贈を受ける一方、G大阪が市に肩代わりを求めていた用地賃借料・年約2億円、完成後の大規模修繕費・約20億円、W杯招致に向けたスタジアムの増改築費約20-30億円についての費用は負担しないことを決めた。これにより、G大阪は3月議会に予定していたスタジアムの寄付収受の議案の提出を当面見送り、新たな資金確保策について検討していたが[21]、3月5日にG大阪が新スタジアム計画を保留したことにより、吹田市は2018/2022年のワールドカップ開催都市への立候補を辞退した[22]。
2010年3月11日、新スタジアムの建設を目的とした「スタジアム建設募金団体」が発足、同団体の理事長にG大阪を運営する株式会社ガンバ大阪の代表取締役が就任した。なお、募金活動は建設候補地が正式に決定し、採納予定地方公共団体の議会による承認を受けた上で、大阪国税局から認定された後に開始するという[23]。
2011年1月22日に開催された第6回サポーターミーティングで、建設予定地は未定だが、2013年にクラブの判定基準が換わり、そこでFIFAが定める基準を満たさないと、ACLなどの国際試合が開催できなくなるため、2014年のリーグ開幕から利用することを目標としていると発表した[24]。
2011年5月に就任した井上哲也吹田市長が受け入れ姿勢を示したことで、2010年3月以降、協議が中断していた吹田市と協議を再開。同年10月24日、万博記念公園内に建設する方針を固め、吹田市にスタジアム建設決定の報告書を提出[25]。同年11月7日にはG大阪吹田後援会が新スタジアム建設推進に向け署名活動を開始[26]。同年12月26日、吹田市議会で、新スタジアムの建設と吹田市が寄贈を受けるための議案が承認された[27]。また、32,000人収容のスタジアム建設に必要な110億円は、この時点でほぼメドが立ち、今後の寄付金の上積みが見込めれば、40,000人を目標に規模を拡大することも明かされた[27]。
2012年3月、新スタジアムが吹田市の環境影響評価(アセスメント)の対象となり、それに約1年半を要することが判明したことで、完成予定が当初の2013度末から1年以上延期することになった[28]。同年4月2日、スタジアム建設のための募金活動を開始[29]。
2013年1月、新スタジアムの着工を同年7月に開始することが発表された[30]。収容人数は約40,000人、完成は2015年夏までになる見込み。
観客動員記録 [編集]
最多観客動員試合 [編集]
- J1リーグ戦
- 万博記念競技場
- 22,884人【2005年9月24日 第25節 鹿島戦】 (改修前)
- 20,991人【2011年11月3日 第31節 鹿島戦】 (改修後)
- 石川県西部緑地公園陸上競技場
- 19,129人【2005年8月24日 第20節 磐田戦】
- 神戸ユニバー記念競技場
- 41,054人【1993年11月6日 NICOS第10節 V川崎戦】
- 参考記録
- 国立競技場
- 46,880人【2007年1月1日 天皇杯決勝 浦和戦】
- 横浜国際総合競技場
- 67,618人【2008年12月18日 FCWC準決勝 マンチェスター・ユナイテッドFC戦】
最少観客動員試合 [編集]
- J1リーグ戦
- 万博記念競技場
- 2,720人【1999年4月28日 1st第9節 京都戦】
- 石川県西部緑地公園陸上競技場
- 7,739人【2001年11月3日 2nd第13節 広島戦】
- 神戸ユニバー記念競技場
- 7,774人【1995年9月27日 NICOS第12節 磐田戦】
年度別観客動員記録 [編集]
| 年度 | 合計 動員数 |
最多動員数 | 最少動員数 | 平均 動員数 |
試合数 | ホーム試合会場 | 備考 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 動員数 | 相手 | 会場 | 動員数 | 相手 | 会場 | |||||||||
| 1993 | 388,286 | 41,054 | V川崎 | 神戸ユ | 13,069 | 名古屋 | 西京極 | 21,571 | 18 | 万博15、神戸ユ2、西京極1 | ||||
| 1994 | 492,084 | 37,292 | 浦和 | 12,568 | 磐田 | 22,367 | 22 | 万博17、神戸ユ4、西京極1 | ||||||
| 1995 | 346,054 | 19,486 | V川崎 | 万博 | 7,320 | 清水 | 万博 | 13,310 | 26 | 万博21、神戸ユ3、西京極1、佐賀1 | ||||
| 1996 | 120,058 | 13,517 | 名古屋 | 金沢 | 5,025 | 磐田 | 8,004 | 15 | 万博14、金沢1 | スタンドの増築 | ||||
| 1997 | 135,088 | 16,071 | 浦和 | 万博 | 4,716 | 京都 | 8,443 | 16 | 万博15、金沢1 | |||||
| 1998 | 148,290 | 18,890 | 磐田 | 3,282 | 柏 | 8,723 | 17 | 万博16、金沢1 | ||||||
| 1999 | 119,934 | 17,807 | 名古屋 | 2,720 | 京都 | 7,996 | 15 | 万博15 | ||||||
| 2000 | 146,917 | 21,543 | 鹿島 | 4,182 | 福岡 | 9,794 | 15 | 万博15 | ||||||
| 2001 | 175,849 | 21,598 | 鹿島 | 6,175 | FC東京 | 11,723 | 15 | 万博14、金沢1 | ||||||
| 2002 | 191,429 | 22,712 | 磐田 | 6,130 | 広島 | 12,762 | 15 | 万博14、金沢1 | ||||||
| 2003 | 153,324 | 16,146 | 鹿島 | 4,828 | 千葉 | 10,222 | 15 | 万博14、金沢1 | ||||||
| 2004 | 187,752 | 18,011 | 磐田 | 4,429 | 千葉 | 12,517 | 15 | 万博14、岡山1 | ||||||
| 2005 | 271,416 | 22,884 | 鹿島 | 6,646 | 新潟 | 15,966 | 17 | 万博16、金沢1 | 初のリーグ優勝 | |||||
| 2006 | 276,395 | 20,916 | 浦和 | 8,388 | 大分 | 16,259 | 17 | 万博16、金沢1 | ゴール裏の改装 | |||||
| 2007 | 296,465 | 20,982 | 浦和 | 12,163 | 大分 | 17,439 | 17 | 万博16、金沢1 | ||||||
| 2008 | 274,169 | 20,773 | 横浜FM | 10,039 | 柏 | 16,124 | 17 | 万博16、金沢1 | ||||||
| 2009 | 301,105 | 20,394 | 京都 | 10,159 | 山形 | 17,712 | 17 | 万博16、金沢1 | ||||||
| 2010 | 283,111 | 20,973 | C大阪 | 9,093 | 京都 | 16,654 | 17 | 万博16、金沢1 | ||||||
| 2011 | 278,981 | 20,991 | 鹿島 | 11,364 | 磐田 | 16,411 | 17 | 万博17 | ||||||
| 2012 | 251,232 | 19,393 | FC東京 | 8,218 | 鳥栖 | 14,778 | 17 | 万博17 | ||||||
| 2013 | 21 | 万博21 | J2所属 | |||||||||||
| 計 | 4,837,939 | 14,229 | 340 | 万博314/金沢12/その他14 | ||||||||||
- 動員数の太字は歴代最多記録
アカデミー [編集]
G大阪のアカデミーは、初代監督 釜本邦茂が主催していたジュニアユースおよびジュニア年代のクラブチーム「釜本FC」が移行する形でJリーグ開幕前年の1992年に発足したものであり[31]、「豊かな人間形成」「世界に通じるクリエイティブな選手の育成」「フェアプレー精神の遵守」の3つをコンセプトとする指導方針のもと、ユース(約30名)、ジュニアユース(3チーム、約300名)、ジュニア(4チーム、約1500名)の3カテゴリーで構成された一貫指導体制を敷いている[32]。
2008年までG大阪の育成・普及部長を務めた初代ユース監督上野山信行の指導のもと、Jリーグ開幕当初から様々な大会で実績を残している。また、宮本恒靖、稲本潤一、新井場徹、大黒将志、橋本英郎、二川孝広、家長昭博、安田理大、宇佐美貴史などがトップチームに昇格すると共にクラブの主力に定着した。
ガンバ大阪ユース [編集]
Jリーグ開幕当初から全国のクラブユースチームを代表するチームで、1998年の高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 では、大黒将志、二川孝広らを擁して、全国レベルの強豪校と互角に渡り合い準優勝の成績を収めた。なお、Jユースカップの優勝回数(4回)は最多である。
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | 監督 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 順位 | クラブユース 選手権 |
高円宮杯 | Jユースカップ | ||||
| 1992 | 準優勝 | 上野山信行 | ||||||||||
| 1993 | ベスト8 | 3位 | ||||||||||
| 1994 | ベスト16 | 優勝 | ||||||||||
| 1995 | 準優勝 | ベスト8 | ベスト4 | |||||||||
| 1996 | GL敗退 | ベスト8 | 準優勝 | |||||||||
| 1997 | ベスト4 | ベスト16 | ベスト4 | 西村昭宏 | ||||||||
| 1998 | 優勝 | 準優勝 | ベスト4 | |||||||||
| 1999 | GL敗退 | ベスト16 | 竹本一彦 | |||||||||
| 2000 | ベスト8 | 優勝 | 高橋真一郎 | |||||||||
| 2001 | ベスト8 | ベスト8 | ||||||||||
| 2002 | GL敗退 | 優勝 | ||||||||||
| 2003 | プリンスリーグ関西 | 7 | 19 | 6 | 1 | 0 | 優勝 | ベスト8 | GL敗退 | ベスト16 | 島田貴裕 | |
| 2004 | 7 | 19 | 6 | 1 | 0 | 優勝 | GL敗退 | ベスト8 | GL敗退 | |||
| 2005 | 7 | 18 | 6 | 0 | 1 | 優勝 | ベスト4 | ベスト16 | ベスト4 | |||
| 2006 | 6 | 13 | 4 | 1 | 1 | 2位 | 優勝 | ベスト4 | ベスト16 | |||
| 2007 | 6 | 14 | 4 | 2 | 0 | 優勝 | 優勝 | ベスト8 | ベスト4 | |||
| 2008 | プリンスリーグ関西1部 | 7 | 16 | 5 | 1 | 1 | 2位 | ベスト4 | ベスト16 | 優勝 | 松波正信 | |
| 2009 | 7 | 7 | 2 | 1 | 4 | 7位 | GL敗退 | ベスト4 | 島田貴裕 | |||
| 2010 | プリンスリーグ関西2部 | 7 | 21 | 7 | 0 | 0 | 優勝 | ベスト8 | GL敗退 | |||
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | 監督 | ||||||||
| 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 順位 | クラブユース選手権 | Jユースカップ | |||||
| 2011 | プリンスリーグ関西1部 | 14 | 34 | 11 | 1 | 2 | 2位 | GL敗退 | ベスト16 | 梅津博徳 | ||
| 2012 | 18 | 48 | 16 | 0 | 2 | 優勝 | ベスト16 | 準優勝 | ||||
| 2013 | プレミアリーグWEST | 18 | ||||||||||
- タイトル
- プリンスリーグ関西1部:5回
ガンバ大阪ジュニアユース [編集]
万博グラウンドがある吹田市にあるチーム。高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会で2006年、2007年と2連覇、2012年に史上初の全国3冠、2012年のマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップで準優勝するなど、様々な大会で実績を残している。
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | 監督 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 順位 | クラブユース 選手権 |
高円宮杯 | JFA プレミアカップ |
||||
| 1998 | GL敗退 | 島田貴裕 | ||||||||||
| 1999 | ベスト4 | |||||||||||
| 2000 | ベスト16 | |||||||||||
| 2001 | ベスト8 | ベスト8 | ||||||||||
| 2002 | GL敗退 | 曽根純也 | ||||||||||
| 2003 | ベスト16 | |||||||||||
| 2004 | 準優勝 | ベスト4 | 鴨川幸司 | |||||||||
| 2005 | ベスト16 | ベスト16 | ||||||||||
| 2006 | モルテン・大阪府リーグ1部 | 9 | 14 | 4 | 2 | 3 | 5位 | ベスト8 | 優勝 | |||
| 2007 | 11 | 23 | 7 | 2 | 2 | 2位 | ベスト8 | 優勝 | 優勝 | |||
| 2008 | 11 | 16 | 5 | 1 | 5 | 7位 | 準優勝 | ベスト16 | GL敗退 | |||
| 2009 | 関西サンライズリーグ | 9 | 22 | 7 | 1 | 1 | 2位 | GL敗退 | 優勝 | |||
| 2010 | 11 | 27 | 9 | 0 | 2 | 優勝 | GL敗退 | |||||
| 2011 | 11 | 30 | 10 | 0 | 1 | 優勝 | 準優勝 | 1回戦敗退 | GL敗退 | |||
| 2012 | 22 | 63 | 21 | 0 | 1 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | |||
| 2013 | 22 | GL敗退 | ||||||||||
- タイトル
- JFAプレミアカップ:3回
- 2007年, 2009年, 2012年
- 関西サンライズリーグ:3回
- 2010年, 2011年, 2012年
ガンバ大阪堺ジュニアユース [編集]
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 順位 | クラブユース 選手権 |
高円宮杯 | JFA プレミアカップ |
|||
| 1998 | ベスト16 | ベスト16 | 準優勝 | ||||||||
| 1999 | ベスト8 | ||||||||||
| 2000 | |||||||||||
| 2001 | GL敗退 | ||||||||||
| 2002 | GL敗退 | ベスト16 | |||||||||
| 2003 | GL敗退 | ||||||||||
| 2004 | GL敗退 | GL敗退 | |||||||||
| 2005 | |||||||||||
| 2006 | モルテン・大阪府リーグ1部 | 9 | 13 | 4 | 1 | 4 | 6位 | ベスト16 | |||
| 2007 | 11 | 18 | 6 | 0 | 5 | 6位 | |||||
| 2008 | モルテン・大阪府リーグ2部A | 11 | 15 | 5 | 0 | 6 | 9位 | ||||
| モルテン・大阪府リーグ2部B | 11 | 30 | 10 | 0 | 1 | 優勝 | |||||
| 2009 | モルテン・大阪府リーグ1部 | 10 | 9 | 2 | 3 | 5 | 8位 | ||||
| モルテン・大阪府リーグ2部A | 11 | 27 | 8 | 3 | 0 | 優勝 | |||||
| 2010 | モルテン・大阪府リーグ1部 | 9 | 18 | 5 | 3 | 1 | 2位 | ||||
| 9 | 16 | 5 | 1 | 3 | 4位 | ||||||
| 2011 | 9 | 8 | 2 | 2 | 5 | 8位 | |||||
| フューチャーリーグ大阪1部 | 12 | 7 | 2 | 1 | 9 | 7位 | |||||
| 2012 | アドバンスリーグ大阪2部A | 18 | 37 | 12 | 1 | 5 | 3位 | ||||
| 2013 | アドバンスリーグ大阪2部B | 18 | |||||||||
ガンバ大阪門真ジュニアユース [編集]
2001年6月に発足。2010年の日本クラブユースサッカー選手権では初出場でベスト16。また、2011年に関西サンライズリーグへ昇格した。
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 順位 | クラブユース 選手権 |
高円宮杯 | JFA プレミアカップ |
|||
| 2001 | |||||||||||
| 2002 | |||||||||||
| 2003 | |||||||||||
| 2004 | |||||||||||
| 2005 | |||||||||||
| 2006 | モルテン・大阪府リーグ1部 | 9 | 21 | 6 | 3 | 0 | 2位 | ||||
| 2007 | 11 | 20 | 6 | 2 | 3 | 4位 | |||||
| 2008 | 11 | 27 | 8 | 3 | 0 | 優勝 | |||||
| 11 | 14 | 4 | 2 | 5 | 7位 | ||||||
| 2009 | 10 | 20 | 6 | 2 | 2 | 2位 | |||||
| 9 | 22 | 7 | 1 | 1 | 優勝 | ||||||
| 2010 | 9 | 19 | 6 | 1 | 2 | 優勝 | ベスト16 | ||||
| 2011 | 関西サンライズリーグ | 11 | 15 | 4 | 3 | 4 | 7位 | ||||
| 2012 | 22 | 28 | 8 | 4 | 10 | 6位 | GL敗退 | 1回戦敗退 | |||
| 2013 | 22 | ||||||||||
トップチーム昇格者・出身選手 [編集]
詳細は「ガンバ大阪の選手一覧#下部組織出身者」を参照
トップチーム昇格者の内、飛び級で昇格した選手は稲本潤一、新井場徹(1997年)、家長昭博(2004年)、宇佐美貴史(2009年)の4名で、特に宇佐美はジュニアユースとユースをそれぞれ2年間で飛び級している唯一の高校2年生次でのトップチーム昇格者である。
ユニフォーム [編集]
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チームカラー [編集]
青、 黒
ゲームシャツには1997年シーズンより青と黒の縦縞模様のデザインを使用している。これには1996年シーズン終了後に当時G大阪でプレーしていた礒貝洋光が縦縞模様への変更を提案したという経緯があるが、彼自身は1997年から浦和へ移籍したため一度も着ることはなかった[31]。
ユニフォームスポンサー [編集]
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | パナソニック | Panasonic | 1992年 - | |
| 背中 | ロート製薬 | ROHTO | 2003年2nd - | |
| 袖 | ゼンショク | でん | 2001年2nd - | |
| パンツ | 大建工業 | DAIKEN | 2012年- |
エピソード [編集]
| 国際試合・FP 1st |
- ロート製薬は、2004年夏季にロゴを変更したがそのシーズンは旧ロゴのままで試合を行い、2005年シーズンから新ロゴを着用している。
- 2006年シーズンは、2005年のJ1リーグ年間優勝チームであるため、日本サッカー協会のシンボルである八咫烏の付いたチャンピオンマークが右袖についていた。
- フィールドプレーヤーの3rdユニフォームは2ndユニフォームが青色であった2006年まで白色のシャツを採用していた。2011年は、マスコットの「ガンバボーイ」が持つ稲妻をイメージした黄色のゲームシャツを採用した。
- 左胸のエンブレム上に5つの星が付けられているが、2005年のJ1リーグ、2007年のナビスコカップ、2008年および2009年の天皇杯、2008年のAFCチャンピオンズリーグの5つの優勝を表している。また、2009年以降は国際試合ユニフォームにも星が1つつけられている。
- 2001‐02年の2ndユニフォームのチェンジショーツ及び、2003‐08年の2ndユニフォームのパンツのカラーに白を採用していた。
- 2011年10月2日、創立20周年記念試合となったJ1第28節浦和戦では、この試合限定で黒のゲームシャツを採用した。
- 2012年9月15日、なでしこリーグのスペランツァFC大阪高槻との同日開催となったJ1第28節新潟戦では、黄色の限定ユニフォームを採用した。
ユニフォームサプライの遍歴 [編集]
歴代ユニフォームスポンサー年表 [編集]
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 1992 | Panasonic | - | - | - | Mizuno/adidas |
| 1993 | |||||
| 1994 | |||||
| 1995 | |||||
| 1996 | |||||
| 1997 | National | adidas | |||
| 1998 | |||||
| 1999 | le coq sportif | ||||
| 2000 | |||||
| 2001 | でん (2nd) | ||||
| 2002 | でん | ||||
| 2003 | National (1st) ROHTO (2nd) |
UMBRO | |||
| 2004 | ROHTO | ||||
| 2005 | シャディ (2005年8月から) |
||||
| 2006 | |||||
| 2007 | MIDORI | ||||
| 2008 | |||||
| 2009 | |||||
| 2010 | - | ||||
| 2011 | |||||
| 2012 | DAIKEN | ||||
| 2013 |
- 1992年のナビスコカップから1996年までの背中は「Matsushita Electric Industrial Co., Ltd.」ないしは「Panasonic/National」。
- 2007年から2012年のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の試合は胸広告(Panasonic)のみ掲示。
スローガン [編集]
| 年度 | スローガン |
| 1997 | GAMBA REVOLUTION |
|---|---|
| 1998 | Run Together ともに勝利を! |
| 1999 | Dream together |
| 2000 | 激闘宣言 |
| 2001 | 挑戦 |
| 2002 | 新挑戦 |
| 2003 | Over the Top |
| 2004 | Re:Start - ガンバが変わる - |
| 2005 | 熱き青の力で、共に頂点へ |
| 2006 | もっと熱く、青く、強く!!! 〜 さらに新たな挑戦へ 〜 |
| 2007 | 超攻撃 |
| 2008 | Power 〜力の結集〜 |
| 2009 | SHOBU 〜そして、ワールドスタンダードへ〜 |
| 2010 | 夢 〜すべてをひとつに〜 |
| 2011 | 新芯進 〜新たなる未来へ〜 |
| 2012 | 躍動 |
| 2013 | 復活 〜さらなる進化を勝ち取るために〜 |
スポンサー [編集]
スポンサーについては、スポンサー一覧を参照
メディア [編集]
- テレビ大阪(RKK)
- J:COM
- 「GAMBA EX」 (-2009年12月)
- 毎日放送(MBS)
- GAMBA TV〜青と黒〜(2009年9月28日-)
サポーターミーティング [編集]
2008年より開催されているクラブ関係者とサポーターとの意見交換会。議事録は公式サイトに掲載されている。
サポーターミーティング議事録は、当項目を参照
脚注 [編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s クラブガイド:ガンバ大阪 Jリーグ公式サイト
- ^ a b c d e f g h 2011年度Jクラブ個別情報開示資料 (PDF)
- ^ “ガンバ大阪・名古屋グランパスのホームタウン広域化について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2012年2月21日) 2013年3月1日閲覧。
- ^ a b 『ガンバ大阪オフィシャルイヤーブック 2009』 102頁
- ^ 第2回 サポーターミーティング - ガンバ大阪オフィシャルサイト
- ^ Jリーグニュースプラス Vol.2 - Jリーグ公式サイト、2008年4月
- ^ クラブハウス - ガンバ大阪オフィシャルサイト
- ^ クラブ概要 - ガンバ大阪オフィシャルサイト
- ^ [ 5.15 ハッピーバースデー J.LEAGUE PLAYBACK 1993] - J's GOAL、2010年5月13日。また、2011年10月2日の20周年記念試合では開幕当初の衣装で登場した。
- ^ 川淵三郎『虹を掴む』講談社、2006年 ISBN 978-4062126762
- ^ サッカーマガジンJリーグ名古屋グランパス優勝号 2011年 1/1号、p.64。
- ^ a b 第10節 川崎戦はACL出場のため、7月1日に実施。
- ^ 松波正信監督の退任についてガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年1月1日
- ^ 2013シーズン ガンバ大阪 長谷川健太監督就任のお知らせガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年1月1日
- ^ 第9節名古屋戦、第10節鹿島戦はACL出場により、8月17日と7月27日に実施。
- ^ 2011年シーズン 金沢での公式戦開催についてガンバ大阪オフィシャルサイト、2011年2月4日
- ^ “「新スタジアム」建設にむけて”. スタジアム建設募金団体公式サイト (2008年7月18日). 2013年3月1日閲覧。
- ^ a b c “「新スタジアム」建設にむけて”. スタジアム建設募金団体公式サイト (2009年7月11日). 2013年3月1日閲覧。
- ^ a b 【Jリーグ】G大阪、サポーターに30億円寄付募る 新スタジアム建設費MSN産経ニュース、2009年7月11日
- ^ ワールドカップ開催地自治体立候補の正式申請について吹田市
- ^ ガンバスタジアム、2012年度完成暗雲…吹田市、費用負担せず読売新聞、2010年2月6日
- ^ W杯招致 吹田市 開催を断念産経新聞大阪、2010年3月6日
- ^ “「スタジアム建設募金団体」発足”. スタジアム建設募金団体公式サイト (2010年3月11日). 2013年3月1日閲覧。
- ^ 第6回サポーターミーティングガンバ大阪オフィシャルサイト
- ^ “吹田市長 表敬訪問について”. スタジアム建設募金団体公式サイト (2011年10月25日). 2013年3月1日閲覧。
- ^ サッカースタジアム建設要望署名へ ご協力のお願いガンバ大阪オフィシャルサイト、2011年11月10日
- ^ a b ガ大阪:スタジアム建設への議案承認 吹田市議会毎日新聞、2011年12月26日
- ^ 【Jリーグ】G大阪の新スタジアム完成予定1年以上延期へMSN産経ニュース、2012年3月14日
- ^ スタジアム建設募金開始スタジアム建設募金団体公式ホームページ、2012年4月2日
- ^ G大阪の新スタジアム7月に着工日刊スポーツ、2013年1月12日
- ^ a b 『ガンバ大阪15年史』ベースボール・マガジン社、2007年 ISBN 978-4583614632
- ^ アカデミー - ガンバ大阪オフィシャルサイト
関連項目 [編集]
- ガンバ大阪チアダンスチーム
- 大阪ダービー/関西ダービー
- 2005年J1最終節
- 仙石幸一 (ホームゲームスタジアムDJ)
- スペランツァFC大阪高槻
- 朝日放送 (スカパー!でのG大阪ホームゲーム中継制作協力担当会社。スカパーで生放送される試合は朝日放送およびスカパー!の協力によるエリアワンセグ放送「G-SEG ジーセグ powered by スカパー!」を実施している)
- GAMBINO
- BRIGATE NEROAZZURRE
- Black and Blue Squad(通称BB)
- BB sez TOKYO
外部リンク [編集]
- 公式ウェブサイト (携帯)
- ガンバ大阪 - Facebook
- オフィシャル動画サイト GAMBA -FAMILY.NET
- 公式応援番組 GAMBA TV〜青と黒〜
- スタジアム建設募金団体公式ウェブサイト
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