赤嶺真吾

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赤嶺真吾
名前
愛称 シンゴ
カタカナ アカミネ シンゴ
ラテン文字 AKAMINE Shingo
基本情報
国籍 日本
生年月日 1983年12月8日(25歳)
出身地 沖縄県那覇市
身長 179cm
体重 74kg
血液型 O型
選手情報
在籍チーム FC東京
ポジション FW
背番号 24
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
2006-現 在 FC東京 61 (19)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

赤嶺真吾(あかみね しんご、1983年12月8日 - )は、沖縄県那覇市出身のサッカー選手である。鹿児島実業高校出身。ポジションはFWJリーグFC東京に所属。 家族は妻と一女。


目次

[編集] 略歴

鹿児島実業高校から駒澤大学へ進学。1年次は深井正樹巻誠一郎(ともにジェフユナイテッド市原・千葉)が在籍していたことからスタメン出場もままならなかったが、2年次からはエースストライカーとして活躍し、数々の栄冠を手にする。大学4年間で全日本大学選手権のベストフォワード選手を2度受賞。

2005年トルコイズミルで開催されたユニバーシアード夏季大会の日本代表に選出され、チームの優勝に貢献した。同年にはJリーグ特別強化指定選手となりFC東京の練習に参加、6月11日に行われたナビスコ杯・千葉戦で公式戦デビューを果たした。

2006年にFC東京に正式に入団。シーズン当初はベンチ入りできずにいたが、徐々に途中出場の機会を増やすようになっていった。プロ初ゴールは2006年J1第8節・千葉戦で記録。相手GKがこぼしたところを泥臭く押し込んだ。

2008年にはブラジル人FWカボレとの相性も良く、リーグ戦ゴール数も2ケタに乗せるなど結果を残し、平山相太を控えに追いやる形で先発する事が多くなった。日本代表(A代表)候補合宿にも招集された。シーズン終了後にはヴィッセル神戸からの獲得オファーがあることが報道されたが、2009年もFC東京でプレーを続けることを表明した。

[編集] プレースタイル

  • DFラインの裏へ飛び出し、一瞬の隙を突いてゴールを奪う典型的なストライカー。ポストプレーもこなし、前線からのディフェンスにも労を惜しまない。
  • シュートをする形にはこだわらず、体のどこかでゴールを奪うことが第一。

[編集] 所属クラブ

[編集] 経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2003 駒澤大 - - - 1 0 1 0
2004 駒澤大 - - - 1 0 1 0
2005 FC東京 34 J1 0 0 1 0 0 0 1 0
2006 FC東京 24 J1 16 3 3 0 0 0 19 3
2007 FC東京 24 J1 15 4 4 2 1 0 20 6
2008 FC東京 24 J1 30 12 6 3 4 3 40 18
2009 FC東京 24 J1
通算 日本 J1 61 19 14 5 5 3 80 27
日本 - - 2 0 2 0
総通算 61 19 14 5 8 3 82 27
  • 2005年は特別指定選手として出場

[編集] 日本代表

[編集] ユニバーシアード代表

[編集] 背番号

[編集] 補足

  • 趣味は沖縄料理食べ歩き。
  • 小学校3年のときに父に勧められ地元の野球チームに入団しに行くが「4年生から」と断られたためサッカーを始めた。
  • 元FC東京の喜名哲裕は小・中学校の先輩。ヴィッセル神戸のFW我那覇和樹も小禄中の先輩である。
  • 小学5年で入団したFC小禄では九州大会を制覇、小禄中でも沖縄最強を誇った。
  • ゴールパフォーマンスはシーサーのポーズ サポーターには「にゃー」のポーズとして知られる。
  • 赤嶺の応援歌は”ジンギスカン”の替え歌であり、かつては東京ガス・FC東京で活躍したFW岡元勇人福田健二に対して使われていた歌を受け継いでいる。
  • ジュビロ磐田戦での活躍が目立ち、2007年以降、磐田と対戦し赤嶺が出場した公式戦5試合で7ゴールを決め「磐田キラー」と呼ばれる。FC東京はそれまで磐田を苦手にしており、アウェイ(ヤマハスタジアム)で勝利した事が無かったが、赤嶺の決勝ゴールで2008年にアウェイ初勝利を記録し、翌2009年のアウェイ戦も赤嶺の決勝点で勝利するなど相性が良い。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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