山崎雅人
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| 山崎 雅人 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ヤマ、ザキさん | |
| カタカナ | ヤマザキ マサト | |
| ラテン文字 | YAMAZAKI Masato | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1981年12月4日 | |
| 出身地 | 京都府 | |
| 身長 | 174cm | |
| 体重 | 68kg | |
| 血液型 | B型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ガンバ大阪 | |
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 30 | |
| 利き足 | 右足 | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
山崎 雅人(やまざき まさと、1981年12月4日 - )は、京都府出身のプロサッカー選手。Jリーグディビジョン1(J1)・ガンバ大阪所属。ポジションはフォワード。
目次 |
[編集] 来歴
京都大宅SSSでサッカーをはじめる。中学時代は大宅中学校、高校は久御山高校と、地元の学校のサッカー部で活躍する。2000年に国士舘大学へと進学。 2003年、大学4年時に韓国・大邱で行われた第22回ユニバーシアードでは5得点の活躍をし、見事日本の金メダル(連覇)に貢献する。
ユニバでの活躍が認められ、翌2004年にJ1リーグの横浜F・マリノスに入団。しかし層の厚い横浜FMのFW陣の中でなかなか出場機会に恵まれず、2シーズン目の2005年8月に大分トリニータへと期限付き移籍。リーグ初得点を含む2ゴールを挙げる。
2006年、シャムスカ監督の信頼を得たことで大分へと完全移籍。ほとんどが途中出場ながらもリーグ戦25試合に出場。 大分で3シーズン目となる翌2007年は出場時間も大幅に増え、シーズンの終盤戦には完全にスターティングメンバーに定着する。
2008年、ガンバ大阪へと完全移籍する。リーグ戦での出場機会は少ないながらも、AFCチャンピオンズリーグで5得点の大活躍で苦しむチームを救い、優勝に貢献した。
[編集] プレースタイル
ストライカーというよりはチャンスメーカータイプで、トップ下やサイドハーフとしてもプレー出来る。前線からの守備にも労を惜しまず、ピッチを広く走り回るアグレッシブで泥臭いスタイルが持ち味の選手。 大分トリニータ時代、シャムスカ監督からは「戦術に忠実な選手」として重宝されていた。 ガンバ大阪では勝負強さを生かし、スーパーサブとして活躍。元々技術力が低いわけではなく、課題であった得点力も身についてきている。
[編集] 人物・エピソード
- 松井大輔とは小学生の頃に大宅SSSでチームメイト、中学時代も大宅中で同級生であった。
- 国士大時代の2003年、ユニバーシアード代表に選ばれ背番号10を背負いエースストライカーとして戦った。当時の主将は岩政大樹(学芸大)。
- 2008年のACLで重要な場面でゴールを奪う活躍を続け、マスコミやサポーターからは「ACL男」と呼ばれた。
- 国内戦での得点数はFWとしては物足りない数字だが、ユニバ代表でのチーム得点王であり、横浜F・マリノス時代のACLでは2004年、2005年と2年連続ゴールを決めている。またガンバ大阪の一員として参加した2008年のACLでは得点ランク3位タイの5ゴールを挙げ、同年のFIFAクラブワールドカップでもマンチェスター・ユナイテッドとCFパチューカ相手に得点を奪うなど、国際舞台に強い選手といえる。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 1994年 - 1996年 京都市立大宅中学校
- 1997年 - 1999年 京都府立久御山高等学校
- 2000年 - 2003年 国士舘大学
プロ経歴
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2000 | 国士大 | 39 | JFL | 6 | 1 | - | |||||
| 2001 | 国士大 | 29 | JFL | 12 | 4 | - | - | 12 | 4 | ||
| 2002 | 国士大 | 17 | JFL | 1 | 0 | - | |||||
| 2003 | 国士大 | 10 | JFL | 2 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||
| 2004 | 横浜FM | 27 | J1 | 13 | 0 | 6 | 1 | 1 | 0 | 20 | 1 |
| 2005 | 横浜FM | 27 | J1 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | 2 | 0 | |
| 大分 | 30 | J1 | 10 | 2 | - | 1 | 0 | 11 | 2 | ||
| 2006 | 大分 | 30 | J1 | 25 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 30 | 0 |
| 2007 | 大分 | 30 | J1 | 26 | 1 | 6 | 0 | 2 | 0 | 34 | 1 |
| 2008 | G大阪 | 30 | J1 | 30 | 4 | 4 | 0 | 5 | 2 | 39 | 6 |
| 2009 | G大阪 | 30 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 106 | 7 | 20 | 1 | 10 | 2 | 136 | 10 | |
| 日本 | JFL | 21 | 5 | - | |||||||
| 総通算 | 127 | 12 | 20 | 1 | 10 | 2 | 136 | 10 | |||
| 国際大会個人成績 | FIFA | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
| 2004 | 横浜FM | 27 | 4 | 1 | - | |
| 2005 | 横浜FM | 27 | 4 | 1 | - | |
| 2008 | G大阪 | 30 | 12 | 5 | 3 | 2 |
| 2009 | G大阪 | 30 | 6 | 1 | - | |
| 通算 | AFC | 26 | 8 | 3 | 2 | |
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
- ユニバ日本代表
- 2003年 - ユニバーシアード・大邱大会
[編集] 外部リンク
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