ヴァンフォーレ甲府

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ヴァンフォーレ甲府
原語表記 ヴァンフォーレ甲府
愛称 ヴァンフォーレ
クラブカラー ブルー
創設年 1965年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン J2
ホームタウン 甲府市韮崎市を中心とする山梨県全県
ホームスタジアム 小瀬スポーツ公園陸上競技場
収容人数 17,000
運営法人 株式会社ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ
代表者 海野一幸
監督 内田一夫
公式サイト 公式サイト
   サッカークラブPJ
株式会社ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ
VENTFORET YAMANASHI SPORTS CLUB Inc.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 〒400-8535
山梨県甲府市北口2丁目12-1
Annex1 3・4階
電話番号 055-254-6867
設立 1997年2月7日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 海野一幸
資本金 3億6,700万円(2009年1月現在)
主要株主 山日YBSグループ:25%
山梨県:22%
甲府市:11%
韮崎市:5%
その他99企業・263個人:37%
  

ヴァンフォーレ甲府(ヴァンフォーレこうふ、Ventforet Kofu)は、日本山梨県甲府市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

[編集] クラブの概要

1999年Jリーグ加盟。チーム名はフランス語の「Vent(風)」と「Forêt(林)」を合わせた造語で、現在の甲府市内に本拠を置いていた戦国時代の甲斐国主で、郷土の象徴的人物でもある武田信玄の旗指物「風林火山」にちなんでいる。また多くのJリーグクラブは、親会社である有名企業に頼っている[1]が、ヴァンフォーレは有名企業に頼らず地元山梨の会社などの小口スポンサーの支援を受けてクラブを運営している。Jリーグ加入当初のホームタウンは「甲府市、韮崎市を中心とする30市町村」だったが、「平成の大合併」に伴う統合により2005年7月までに13市町村となり、その後Jリーグの理事会の承認を得て山梨県全市町村をホームタウンとしている。

事務所は、2006年より山梨文化会館に隣接して新たに建てられた4階建のビルの3階と4階にある。以前は山日YBSグループの企業が保有している3階建ての雑居ビルを間借りしており、壁面には石原克哉の巨大広告が貼られていた。オフィシャルショップは甲府駅南東側にある商店街かすがもーる岡島百貨店の南側)の一角に「ヴァンフォーレプラザ」があり、ホームゲームのチケット販売やクラブサポーター入会を受け付けている他、グッズ販売も行なっている。

登録本拠地(ホームスタジアム)はJリーグ参入当初から山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場であるが、会場の都合や促販などにより他会場で行なうこともある。サテライトリーグの試合は山梨県富士北麓公園陸上競技場櫛形総合公園陸上競技場の2会場で行なわれている。練習場は押原公園グラウンドを中心とした県内13箇所を移動しながら練習を行なっている。企業や学校の練習場を借りて使用する場合もあるがその場合は非公開(私有地による一般人の立ち入りができないため)となる(詳細はヴァンフォーレ甲府の練習場を参照)。

マスコットキャラクターは2006年6月12日に、甲斐犬をモチーフにした新マスコットのヴァンくんが誕生した。このマスコットキャラクターはデザイン・名称共に一般公募により決められた。また2009年3月1日より新たなマスコットとしてフォーレちゃんが誕生している。

[編集] クラブの歴史

[編集] 甲府クラブ時代

前身の甲府サッカークラブ(通称-甲府クラブ)は、1965年県立甲府第一高校のOBチーム鶴城クラブ(かくじょう-)が日本サッカーリーグ(JSL)昇格を目指して全国社会人サッカー選手権大会に出場する際に、他校出身選手も交えて設立された(結果はベスト8)。クラブは川手良萬[2]の支援により運営されていたが、企業チームではなくれっきとしたクラブチームであり、選手は様々な職業の人間から成り立っていた。

[編集] 1967年-1985年

1967年より関東サッカーリーグに参加。1969年には全国社会人サッカー選手権大会において優勝(浦和サッカークラブと同時優勝)、JSLとの入れ替え戦に進出するも、日立製作所サッカー部(現-柏レイソル)に2戦2敗で昇格は叶わなかった[3]。翌1970年も同大会で準優勝し入れ替え戦に進出するもNKKに2戦2敗で敗れ昇格ならず。1972年から新設されたJSL2部に参加。1980年1981年は低迷し入れ替え戦に回るもののいずれも勝利し残留し続けた。

[編集] 1986年-1994年

1986年には川手の死去によりクラブの存続が危ぶまれた時期もあったが、支援者の資金協力により存続が決まった。 1992年のJSL閉幕時には、1972年の第1回大会から1991/92年の第20回大会まで、「昇格も降格も消滅もせずJSL2部に所属し続けた唯一のチーム」として特別表彰を受けている。1992年からはリーグ制度改正に伴い旧JFL2部に参加。1993年、旧JFL2部において10チーム中9位となり地域リーグへの自動降格の危機に陥ったが、甲府より上位に位置していたNKKとトヨタ自動車東富士FCがこの年を最後に廃部したためかろうじて入れ替え戦に進出。小瀬陸上競技場で行われた入れ替え戦において日本電装(現-FC刈谷)に2-1で勝利し、翌年から1部制になる旧JFLへの残留が決定した。

[編集] ヴァンフォーレ甲府時代

1995年、チーム名を現在のヴァンフォーレ甲府に改称。1999年のJリーグ2部制発足に伴いJ2に参加した。歴史上、日本の社会人サッカーで「2部」が発足して以来、常にそのカテゴリーへ所属し続けるという記録を2005年まで更新し続けた。

[編集] 塚田・勝俣体制(1995年-2000年)

1999年よりJリーグにディビジョン2(J2)が新設されるため、それに参加することにあわせた準備を実施。山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場の改修、チームの株式会社化を積極的に行なった結果、1997年に1999年からJ2へ参加することが決定された。旧JFL最終年の1998年にはバロン大柴克友らの活躍により過去最高の4位を記録。しかし無理な補強が災いし、この時から業績が悪化。シーズン終了後にリーグ得点王になったバロンがジェフユナイテッド市原へ移籍するなど戦力が大幅に低下した状態でJリーグへ参入することになった。

1999年
チームスローガン:修業無限

ライセンスの問題からそれまで指揮をとっていた塚田雄二にかわり、勝俣進体制[4]でJリーグ初年度を迎える。しかし、開幕10試合未勝利など去年と打って変わってチームは惨憺たる状態で、前年度の好成績から一転、一度も順位を上げることなく最下位を独走する形でシーズンを終了する。また、人件費抑制など経費削減に努めたものの、ユニフォームスポンサーがゼロに陥るなど広告収入が激減、さらに関心の薄さや低迷するチームが影響し、観客の伸び悩みにより3年連続の単年度赤字に陥ってしまう。このため、前年オフ同様大柴ら主力を放出せざるを得なくなった。

2000年
チームスローガン:一蹴りごとに、心(ハート)を込めて。

塚田が監督として復帰したものの、上述の通りチーム状況は前年以上に悪化しており、第4節のベガルタ仙台戦の勝利を最後に第33節のアルビレックス新潟戦に勝利するまでJリーグ記録の25連敗[5]を記録するなど2年連続最下位に終わる。また、観客動員は浦和レッドダイヤモンズ戦を除き3,000人を超えた試合が開幕戦のみであり、1,000人を割る試合が5試合もあるなど惨憺たるもので、ユニフォームスポンサーも秋になってようやく背番号につくようになるなど広告収入も上がらず、これが影響してシーズン終了直前に経営危機問題が発覚し、チームの存続が危ぶまれることとなる。

ヴァンフォーレ甲府経営危機問題」も参照

[編集] ヘイス体制(2001年)

チームスローガン:EVOLUTION

存続運動などの結果、条件付で2001年の参戦が決まり、上永吉英文が強化部長に就任[6]するとブラジルの名門チームパルメイラスと提携を結び、ヘイス監督をはじめ5人のブラジル人選手の無償提供を受ける。しかし監督をはじめブラジル人選手の来日が大幅に遅れるなど足並みが揃わないまま開幕を迎え、1勝すれば昇格が決まるベガルタ仙台にホームで勝利するなどしたが、98失点というJリーグ最多失点記録が災いし3年連続最下位に終わる。しかしこの年に社長へ就任した山日YBSグループ出身の海野一幸による経営改革やサポーターの努力もあり、上記に挙げられた存続条件は3条件ともクリアされ、またJ参入3年目にして初めて単年度黒字を計上したため、2002年度以降のチームの存続が決定した。

[編集] 第一次大木体制(2002年)

チームスローガン:Action&Reaction!

パルメイラスとの提携を解除するかわりJ1チームの清水エスパルスと提携を結ぶ。世界的イリュージョニストとして知られる二代目引田天功(プリンセス・テンコー)がスポンサーに就任したことで話題になった。成績的にも、この年に就任した大木武監督の目指すプレースタイルが浸透し始めた後期から徐々に上昇。藤田健倉貫一毅石原克哉水越潤の活躍もあり12チーム中7位に入りJ2参加から初めての最下位脱出に成功する。また観客動員も順調に伸び、9月21日にはセレッソ大阪戦においてチーム初となる小瀬競技場での観客動員の満員(当時は13000人収容)を記録している。

[編集] 松永体制(2003年-2004年)

2003年基本メンバー
2003年
チームスローガン:1mm1cmの努力

好成績を残した大木が清水エスパルスの監督に就任することになり、代わりに清水のサテライト監督を務めていた松永英機が就任。大木退任により再び低迷するのかとの不安も囁かれたが、松永は昨シーズンのプレースタイルを継承。倉貫、石原、水越に横浜F・マリノスなどでプレーしていた外池大亮を加えた中盤は安定し、さらに6月には元日本代表の小倉隆史が加入すると、藤田またはこの年湘南ベルマーレから移籍した須藤大輔によるツートップでチーム力は向上。結果としてJ2参入後初となるシーズン勝ち越しおよび全チームからの勝利を獲得するなど最終節でアビスパ福岡に抜かれたものの5位に入り、2002年以上の成績を残した。

2004年
チームスローガン:未知への挑戦!〜1mm1cmの努力〜

外池がサンフレッチェ広島へ移籍した代わりに、旧JFL時代に活躍したFWバロンが甲府へ復帰。小倉または山崎光太郎との2トップが機能し開幕から得点を量産。一時は2位になるなどチーム状況は良好で、前期は3位で折り返す。しかし昇格も見えていた矢先の7月31日にバロンが契約の問題から退団(その後鹿島アントラーズへ移籍)。それでも第3クールは何とか昇格争いに踏み留まるものの、藤田と石原が怪我により長期離脱すると完全に失速。第4クールは2勝しかできない惨々たる状況で昇格争いから脱落し、7位でシーズンを終了した。

[編集] 第二次大木体制(2005年-2007年)

2005年
チームスローガン:One Play One Game 

松永に代わり大木が監督に復帰。2002年から培ってきた攻撃重視のプレースタイルをさらに発展させた。大宮アルディージャから移籍したFWバレーがこのシーズン、J2得点ランク2位の21得点を挙げる活躍。J1への自動昇格となる2位以上こそならなかったものの、ベガルタ仙台と最終節までもつれ込む熾烈な3位争いを展開。結果最終節で3位に滑り込みJ1・J2入れ替え戦への出場を果たし、柏レイソルとの入れ替え戦においても連勝し、J2初年度から3年連続最下位に低迷し「J2のお荷物」とまで言われていたヴァンフォーレが、遂にJ1への昇格[7]を果たした。

ヴァンフォーレ甲府の2005年シーズン」も参照

2006年基本メンバー
2006年
チームスローガン:Explore J1〜探検J1〜

昇格初年度は限られた予算の中、元日本代表の林健太郎やJFLベストイレブンの宇留野純などを獲得し、身の丈に合った補強を行ないJ1初のシーズンを迎える。初戦こそ清水エスパルスに敗れたものの、J2で通用した走るサッカーが機能し始めた3戦目の川崎フロンターレ戦でJ1初勝利を挙げると、バレーや途中加入の茂原岳人らの活躍で横浜F・マリノスや鹿島アントラーズ、ガンバ大阪などの強豪チームに勝利するなどホームゲームでは予想以上の健闘を見せる。一方でアウェーにおいては3勝しかできなかった上、守備が崩壊し大差で負けることが多く、これが影響しJ1に残留するものの18チーム中15位に終わった。ただし、7位の名古屋グランパスとの勝ち点差がわずか6の一方で、入れ替え戦ラインである16位のアビスパ福岡との勝ち点差が15もあったことを考えれば、健闘したといえる。

2007年
チームスローガン:Decision & Doing 〜決断&実行〜

シーズン終了後に昇格の立役者バレーがガンバ大阪へ、7年間甲府の主力としてプレーした倉貫が京都サンガF.C.へ移籍。更に5年間プレーしたアライールが契約を更新せずに退団等、各ポジションの要を失なってしまう。穴を埋めるべくJ1他チームの主力選手にオファーを出したものの練習環境の不備などによりことごとく断られ、目だった補強はブラジル全国選手権でチーム得点王にもなったことがあるアルベルトとオリンピック日本代表の経験をもつ増嶋竜也のレンタル移籍に留まり、その他については独自セレクションによる大量獲得であったため戦力低下は否めなかったが、フロントおよびサポーター、サッカー関係者からは去年のスタイルが出来れば残留できるとされていた。

しかし開幕から4連敗を喫し、その後ゴールデンウィークまで4勝1分で乗り切り一時は残留争いから脱出した時期もあったが、ゴールデンウィーク明け頃から連敗を重ね、さらに第16節においてはジャッジに不満を持った茂原と試合に出場していなかった林がトラブルを起こし出場停止を喰らう[8]など不安定な状況が続く。

前半戦終了後に羽地登志晃ラドンチッチを獲得し、ナビスコ杯得点王になった須藤とともに後半戦の巻き返しを図ったが、J1の堅固な守備の前に得点はおろか相手陣内でシュートすら打てなくなり、自陣でパス回しばかりという攻撃的サッカーとは程遠い状況に陥ってしまう。また、去年同様守備が崩壊したため再び連敗を重ね、11月24日のJ1第33節で柏に1-2で敗れたことによりJ2降格が決定した。

[編集] 安間体制(2008年‐2009年)

2009年開幕メンバー
2008年
チームスローガン:Feel 〜感じる〜

大木が退任し、ヘッドコーチの安間貴義が内部昇格の形で監督に就任。茂原が柏へ、増嶋が京都へ、須藤がヴィッセル神戸へそれぞれ移籍。一方で、補強面では昨年後半より愛媛FCにレンタル移籍していたジョジマールの復帰と美尾敦の6年ぶり復帰、またガンバ大阪から前田雅文のレンタル移籍のみに留まる等、昨年同様後手に回ってしまう。

これが影響し開幕5戦未勝利を喫するなど、第1クールは14試合で4勝しかできずに9位に低迷する。攻撃陣はジョジマールが調子を崩し、羽地や宇留野、前田といった日本人FWもシュートがゴールに入らない状態であった。また、また守備もゴールキーパーの桜井繁やサイドバックのルーキー輪湖直樹が活躍したものの、肝心なところで失点するという勝負弱さが露呈する。

7月にサーレスマラニョンの2人のブラジル人FWを期限付きで獲得。すると2人とも目覚しい活躍を見せ、同時に急成長した大西容平とともに得点を量産するようになった。しかし上中位チームに勝てないという勝負弱さは最後まで改善されず、何とか勝ち越したものの一度も昇格争いに絡めないまま7位でシーズンを終了した。

2009年
チームスローガン:ICHIGAN

前年10月に大宮で監督経験のある佐久間悟ゼネラルマネージャーに就任。サーレス、ジョジマール、羽地、宇留野といった主力攻撃陣や終盤を除きゴールを守っていた桜井を放出した。一方で新戦力の補強はこれまでの独自セレクションを廃止し、スカウトによる獲得に特化した。FWマラニョン、FW金信泳、FW森田浩史と3人のFWを完全移籍で獲得、さらにGK荻晃太、DFダニエルの2人をレンタル移籍で獲得した。第1クールを4位で折り返すと、更なる補強として6月にFWガウボン、FW片桐淳至を完全移籍で獲得した。

このシーズンは3つの昇格枠をかけてセレッソ大阪、ベガルタ仙台、湘南ベルマーレと争う展開となる。スタートダッシュに成功したチームは荻やダニエルをはじめとする守備陣の奮闘により昇格争いをしていた3チームおよびコンサドーレ札幌東京ヴェルディの降格組みから着実に勝ち星を積み重ねていった。一方で栃木SCカターレ富山ファジアーノ岡山といった新参入3チームに対して勝ち星を取りこぼすことが多く、これが後々響くこととなる。第3クールに入ると大阪・仙台に先行され、湘南と残り1枠の争いになったが、ここでゴールを守っていた荻が椎間板ヘルニアを発症して今季絶望となり、さらにダニエルが累積警告による出場停止となり、この2人が出場できなかった直接対決で逆転負けを喫し、結局勝ち点1差の4位でシーズンを終了した。

このシーズン終了に、元日本代表の林健太郎が引退を表明。また、GK4人のうち引退を表明した阿部謙作を含め荻を除く3人が、さらに主力の森田浩史や杉山新、前年活躍した輪湖直樹などが退団するなど新人・ベテラン問わず大ナタが振るわれることとなった。

[編集] 内田体制(2010年)

チームスローガン:

安間監督の退任により複数の後継監督候補者の名前が挙がったが、前年にヘッドコーチをしていた内田一夫監督に就任。

[編集] エピソード

[編集] 地元のサポート体制

甲府側ゴール裏観客席およびピッチ看板。ゴール裏のピッチ看板が2重に配置されているほか、パックスタンドにも広告用横断幕が掲げられているのが分かる。
2009年12月5日ロアッソ熊本戦(資料)

クラブが解散の危機に立たされた2001年、地元市民からは「山梨唯一のプロスポーツクラブの灯を消すな」ということで存続を訴え続け、クラブが掲げた3つの条件(別掲)をクリアして市民チームとして再建を果たしたが、それを支えているのは地元の企業・店舗などからの支援体制である。

サッカーに関心のなかった甲府市民らまでを巻き込んだ支援活動により、大都市の大手企業だけでなく地元の企業や店舗などもスタジアムの広告看板を掲示するようになった(試合中に使われる担架にまで広告を載せている)他、クリーニング店が選手の使用したユニフォームや練習着を無償洗濯したり、理髪店やパン屋、温泉施設など、多くの企業がヴァンフォーレの選手・スタッフに対しての無料優待を受けて全面的な支援体制を強化させている。

また、運営会社のヴァンフォーレ山梨スポーツクラブは山日YBSグループ各社との結びつきが強く、クラブ公式サイト(i-mode公式サイトを含む)は山日YBSグループの企業が運営している。また2006年4月から山梨放送でヴァンフォーレ甲府応援番組VENTスポ!が始まった。2009年8月にはホームグラウンドである小瀬陸上競技場のスクリーンが山梨県によってフルカラーに全面改修された事を受け新たな動画展開を実施している。この操作もグループ企業が県の許可を取得し受け持っている。

これらの体制やクラブ運営が評価を受け、徳島ヴォルティスがJリーグ参入前に海野を徳島へ呼んでアドバイスを受けたり、川淵三郎などがJリーグへ参入するチームに対して甲府の成功例をよく挙げている。

[編集] プロリーグでのアマチュア選手

1999年にJリーグへ参入し、選手たちとプロ契約を結ぶことになったが、主力選手であり当時竜王町役場に勤務していた石原大助も引退・退団せずに契約を更新した。しかし石原大助の本業は地方公務員であり、地方公務員法により副業を行なうことが禁止されているため、報酬を得ないアマチュア選手として引き続き契約することになった。

2000年には石原大助以外にも5人の選手とアマチュア契約をしている。これは財政状況を改善すべく人件費削減を見込んでの契約であったが、連敗記録を喫するなどチーム状況が散々で、観客動員低迷などかえって財政状況が悪化してしまう事態に陥ってしまった。

2001年のアマチュア契約は再び石原大助だけになった。石原大助は17試合に出場したが、年齢による衰えなどからこの年を最後に現役を引退している。その後甲府は特別指定選手を除き、全員がプロ選手で構成されている。

[編集] 5年ぶりの現役復帰

経営および成績が低迷していた2000年はシーズン中に退団するなど選手数は24人と少なく、このうちプロ契約をしている選手はわずか18人とギリギリの状況に陥ってしまった。そこでこの年フィジカルコーチとして甲府に入団した鶴田道弘に対し7月にプロ契約を結び、現役復帰することになった。鶴田は名古屋グランパスエイトヴィッセル神戸でプレイする経歴こそ持っていたものの、1996年を最後に現役を退いており、再びピッチに立つのは5年ぶりであった。

しかしやはり5年のブランクを埋めることはできずに鶴田の出場は4試合に留まり、シーズン終了後に戦力外通告を受けるとともに2度目の現役引退。現在は東海学園高等学校の監督をしており、全国高等学校サッカー選手権大会にも出場している。

[編集] プリンセス・テンコー

2002年にプリンセス・テンコーがスポンサーとなり、注目を浴びることになる。危機的状況から脱出したとはいえ経営状況は不安定な状況であり、そんな中プリンセス・テンコー側からの申し入れにより背中の背番号部分に「PRINCESS TENKO」の文字が入ることになった。個人がJリーグのユニフォームスポンサーになるのは中田英寿湘南ベルマーレ)や藤原紀香横浜FC)の例があるが、テンコーはホームゲームでイリュージョンを行なったり、甲府のユニフォームを着てテレビ番組に出演するなど積極的に甲府を支援していた。ユニフォーム契約は2003年までであったが、現在もプリンセス・テンコーに感謝しているサポーターは多い(2004年度はサガン鳥栖を、現在は山梨クィーンビーズを支援している)。

[編集] オールスターでのチーム振り分け

2006年と2007年はJ1に所属していたため、Jリーグオールスターサッカーにも参加していたが、振り分けは2006年は東軍(甲府よりわずかに西に位置している清水は西軍)であったが、2007年は西軍に振り分けられた。これは甲府より西にあった京都サンガF.C.、セレッソ大阪、アビスパ福岡がともにJ2に陥落し、かわりに甲府より東に位置する柏レイソルと横浜FCが昇格したためである。

[編集] 開幕戦未勝利のジンクス

リーグ参入の1999年から2009年までの11年間におよび開幕戦に勝利したことがない。これは1999年に参入した10チームで唯一の記録である。また、2008年まで開幕第2戦およびホームゲーム開幕戦に勝利したこともなかったが、いずれも2009年に勝利を挙げている。なお、過去11シーズンのうち8シーズンにおいて小瀬で初勝利を挙げている(現方式だと9シーズン)。

ヴァンフォーレ甲府の開幕戦と第2節、シーズン初勝利の成績
年度 開幕戦 初勝利
1999年 大宮韮崎中央)1-2● 第11節、対仙台仙台)2-1※
2000年 札幌小瀬)0-3● 第3節、対仙台(小瀬)1-0
2001年 川崎等々力)1-3● 第6節、対水戸(小瀬)3-1
2002年 横浜FC三ツ沢球)2-3● 第3節、対水戸(ひたちなか)1-0
2003年 鳥栖(小瀬)1-1△ 第3節、対湘南(小瀬)1-0
2004年 札幌(札幌D)2-2△ 第6節、対湘南(小瀬)1-0
2005年 札幌(小瀬)2-2△ 第4節、対水戸(小瀬)4-1
2006年 清水(小瀬)0-2● 第3節、対川崎(小瀬)1-0
2007年 横浜FM日産)0-1● 第5節、対神戸(小瀬)4-3
2008年 岐阜(小瀬)1-1△ 第6節、対C大阪 (小瀬)3-2
2009年 岡山桃スタ)0-0△ 第2節、岐阜(長良川)1-0
※:当時の延長Vゴール方式による、現方式だと初勝利は第12節の新潟戦(小瀬、3-0)となる。

[編集] ダービーマッチ

川中島ダービー(vsアルビレックス新潟

武田信玄甲斐)と上杉謙信越後)の「川中島の合戦」にちなみ2003年頃からこの呼称が使われている。2003年と2006年には長野県信濃)の松本平広域公園総合球技場(松本アルウィン)を会場にし、試合前に武田・上杉両軍に扮したパフォーマンスが行われる。なお、2007年は小瀬を使用することになったため川中島の演出は行なわれず、その他の年についてはカテゴリが違うため行なわれていない。新潟の主催試合でも川中島を意識したイベントが行われている。

富士山ダービー(vs清水エスパルス

富士山を望む位置にあることから同じディビジョンとなった2006年と2007年に実現。甲府がJ1昇格初戦となる試合では双方から記念グッズも発売されている。

温泉ダービー(vsザスパ草津

2005年に松本平広域公園総合球技場(松本アルウィン)にて行なわれた試合では、草津側と共に温泉にちなんだ演出が行なわれた。甲府は石和温泉に関連して神輿、草津は草津温泉に関連して湯もみの演出を行なっている。なお、草津以外にも愛媛FC道後温泉)やFC岐阜下呂温泉)など付近に有名温泉地のあるチームは数多くあるが、甲府の試合で「温泉ダービー」の呼称が使われたのはこの試合のみである。

詳細については日本のダービーマッチを参照。

[編集] チーム成績・歴代監督

[編集] シーズン

年度 所属 リーグ戦 カップ戦
※1
天皇杯 監督 備考
試合 勝点 勝利 敗戦 引分 順位
1967年 関東 14 18 8 4 2 4位
1968年 14 15 7 6 1 4位
1969年 14 25 12 1 1 優勝
1970年 14 22 10 2 2 優勝
1971年 14 19 8 3 3 2位
1972年 JSL2部 18 21 9 6 3 3位 2回戦敗退 日本の旗鈴木晃
1973年 18 26 12 4 2 2位 日本の旗保坂司
1974年 18 20 8 6 4 5位
1975年 18 14 5 9 4 7位
1976年 18 12 4 10 4 8位 予選敗退
1977年 18 32 8(2) 10(4) 5位 予選敗退 ※2
1978年 18 38 10(1) 8(0) 3位 予選敗退 日本の旗岩間友次
1979年 18 26 7(2) 11(2) 8位 1回戦敗退 日本の旗田原一孝
1980年 18 10 4 12 2 9位 2回戦敗退 ※3
1981年 18 10 4 12 2 9位 ベスト8
1982年 18 12 4 10 4 8位 1回戦敗退
1983年 18 14 4 8 6 8位 2回戦敗退
1984年 18 6 1 13 4 10位 2回戦敗退 1回戦敗退
1985年 JSL2部東 10 10 5 5 0 3位 2回戦敗退
JSL2部上 10 10 4 2 4 4位
1986/87年 JSL2部東 14 15 6 5 3 3位 ベスト8 1回戦敗退
JSL2部上 14 11 5 8 1 7位
1987/88年 JSL2部東 14 6 1 9 4 8位 1回戦敗退 日本の旗清水満 ※4
JSL2部下 7 13 4 1 2 13位
1988/89年 JSL2部東 14 14 7 7 0 5位 1回戦敗退
JSL2部下 21 20 10 9 2 9位
1989/90年 JSL2部 30 24 5 16 9 12位 1回戦敗退 日本の旗新藤道也
1990/91年 30 34 9 14 7 12位 1回戦敗退 日本の旗鰻池晴雄
1991/92年 30 33 9 15 6 10位 2回戦敗退
1992年 旧JFL2部 18 28 9 8 1 5位 日本の旗深沢一智
1993年 18 6 12 9位
1994年 旧JFL 30 9 21 14位 2回戦敗退 日本の旗勝俣進
1995年 30 43 14 16 9位 日本の旗塚田雄二
1996年 30 33 11 19 11位 2回戦敗退
1997年 30 52 19 11 6位 3回戦敗退
1998年 30 59 22 8 4位 4回戦敗退
1999年 J2 36 18 5 27 4 10位 1回戦敗退 2回戦敗退 日本の旗勝俣進 ※5
2000年 40 18 5 32 3 11位 1回戦敗退 4回戦敗退 日本の旗塚田雄二
2001年 44 25 8 34 2 12位 1回戦敗退 3回戦敗退 ブラジルの旗ヘイス
2002年 44 58 16 18 10 7位 3回戦敗退 日本の旗大木武
2003年 44 69 19 13 12 5位 3回戦敗退 日本の旗松永英機
2004年 44 58 15 16 13 7位 4回戦敗退
2005年 44 69 19 13 12 3位 4回戦敗退 日本の旗大木武 ※3
2006年 J1 34 42 12 15 6 15位 予選敗退 ベスト8
2007年 34 27 7 21 6 17位 ベスト8 5回戦敗退
2008年 J2 42 59 15 13 14 7位 4回戦敗退 日本の旗安間貴義
2009年 51 97 28 13 10 4位 4回戦敗退
2010年 36 日本の旗内田一夫
※1:1976年から1991年までのカップ戦はJSLカップ、1999年以降のカップ戦はJリーグカップ(ヤマザキナビスコカップ)。
※2:()内の数値はPK勝・PK負の数値。左記の勝利数・敗北数はPK勝・PK負の数値を含む。
※3:入れ替え戦の成績を除外。結果は後述。
※4:後期はリーグ戦とは別に順位決定戦があり、勝利数を含むが勝ち点は除外。
※5:総監督として塚田雄二が就任。

[編集] 入替戦

年度 入替戦名 対戦相手 スコア 備考
第1戦 第2戦
1968年 JSL・全社 日立製作所(JSL) 0-2● 0-1○ 関東リーグ残留
1969年 JSL・全社 NKK(JSL) 1-2● 2-2△ 関東リーグ残留
1980年 JSL2部・地域 古河電工千葉(地域) 1-2● 4-1○ JSL2部残留
1981年 JSL2部・地域 電電公社近畿(地域) 1-0○ 4-1○ JSL2部残留
1993年 旧JFL2部・地域 日本電装(地域) 2-1○ 旧JFL残留
2005年 J1・J2 柏レイソル(J1) 2-1○ 6-2○ J1昇格

[編集] プレシーズンマッチ・親善試合

年月日 大会名 対戦相手 試合会場 スコア
2004年3月4日 さいしんカップ 浦和レッドダイヤモンズ 熊谷陸 0-2●
2006年2月26日 FC東京 味スタ 1-2●
2009年4月12日 チャリティーマッチ TAKE ACTION F.C. 小瀬 3-1○

[編集] Jリーグ公式戦対戦通算成績

2010年開幕前までの通算成績
チーム名 J1 J2 ナビスコ杯 合計
コンサドーレ札幌 - - - 7 8 8 - - - 7 8 8
ベガルタ仙台 - - - 9 5 12 - - - 9 5 12
モンテディオ山形 - - - 10 5 16 - - - 10 5 16
水戸ホーリーホック - - - 13 4 13 - - - 13 4 13
鹿島アントラーズ 1 0 3 - - - 1 0 1 2 0 4
栃木SC - - - 1 2 0 - - - 1 2 0
ザスパ草津 - - - 6 2 2 - - - 6 2 2
浦和レッズ 0 1 3 0 0 4 - - - 0 1 7
大宮アルディージャ 2 1 1 5 2 17 0 0 1 7 3 19
ジェフユナイテッド千葉 0 1 3 - - - - - - 0 1 3
柏レイソル 1 0 1 - - - - - - 1 0 1
FC東京 1 0 3 0 0 4 0 0 2 1 0 9
東京ヴェルディ - - - 3 0 0 0 1 1 3 1 1
川崎フロンターレ 1 1 2 3 4 13 1 0 1 5 5 16
横浜F・マリノス 1 1 2 - - - 0 0 2 1 1 4
横浜FC 2 0 0 13 6 7 - - - 15 6 7
湘南ベルマーレ - - - 10 6 14 - - - 10 6 14
アルビレックス新潟 0 0 4 4 4 12 0 1 1 4 5 17
カターレ富山 - - - 1 1 1 - - - 1 1 1
清水エスパルス 0 1 3 - - - - - - 0 1 3
ジュビロ磐田 0 1 3 - - - 1 1 0 1 2 3
名古屋グランパス 1 1 2 - - - 3 1 0 4 2 2
FC岐阜 - - - 3 3 0 - - - 3 3 0
京都サンガF.C. 1 1 0 3 1 8 - - - 4 2 8
ガンバ大阪 1 0 3 - - - - - - 1 0 3
セレッソ大阪 1 0 1 1 6 3 0 0 1 2 6 5
ヴィッセル神戸 1 0 1 - - - - - - 1 0 1
ファジアーノ岡山FC - - - 1 1 1 - - - 1 1 1
サンフレッチェ広島 3 1 0 3 1 3 - - - 6 2 3
徳島ヴォルティス - - - 7 2 1 - - - 7 2 1
愛媛FC - - - 3 1 2 - - - 3 1 2
ギラヴァンツ北九州 - - - - - - - - - - - -
アビスパ福岡 0 2 0 10 5 7 - - - 10 7 7
大分トリニータ 2 0 2 1 1 14 - - - 3 1 16
サガン鳥栖 - - - 8 13 13 - - - 8 13 13
ロアッソ熊本 - - - 5 0 1 - - - 5 0 1
通算 19 12 37 130 80 179 6 4 10 155 96 226

[編集] ホームゲーム観客動員数

[編集] 最多観客動員試合

J1
  • 2006年7月29日 第16節 対浦和レッドダイヤモンズ 17,000人(小瀬)
  • 2007年8月18日 第21節 対浦和レッドダイヤモンズ 36,756人(国立)
J2
  • 2009年11月21日 第49節 対湘南ベルマーレ 16,844人(小瀬)
  • 2003年8月30日 第30節 対アルビレックス新潟 13,043人(松本)

[編集] 最少観客動員試合

J1
  • 2006年7月19日 第13節 対京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.) 8,025人(小瀬)
  • 2006年4月8日 第7節 対アルビレックス新潟 14,599人(松本)
J2
  • 2000年6月11日 第18節 対モンテディオ山形 724人(小瀬)
  • 1999年9月10日 第25節 対FC東京 619人(韮崎中央)

[編集] 年度別観客動員記録と開催スタジアム

年度 Div. 合計
動員数
最多
動員数
最少
動員数
平均
動員数
ホーム
試合数
ホームゲーム会場
(数字は試合数、太字は登録本拠地)
備考
1999年 J2 26,450 3,807 619 1,469 18 小瀬14、韮崎中央4 Jリーグ参入
2000年 J2 37,004 6,005 724 1,850 20 小瀬17、北麓2、韮崎中央1 経営危機問題
2001年 J2 68,850 5,541 1,508 3,130 22 小瀬22 県内小瀬一本化
2002年 J2 108,108 13,000 3,047 4,914 22 小瀬22
2003年 J2 127,515 13,043 2,382 5,796 22 小瀬21、松本1 県外初開催
2004年 J2 140,141 10,121 2,401 6,370 22 小瀬21、松本1
2005年 J2 152,491 14,234 4,903 6,931 22 小瀬21、松本1 小瀬増築開始、J1昇格
2006年 J1 207,629 17,000 8,025 12,213 17 小瀬16、松本1 小瀬増築完了
2007年 J1 233,476 36,756 8,373 13,734 17 小瀬16、国立1 J2降格
2008年 J2 217,428 14,521 7,267 10,354 21 小瀬21
2009年 J2 276,463 16,844 5,582 11,059 25 小瀬25 LED電光掲示板へ改修
1,595,555 6,998 228

[編集] リーグ戦の主な記録

[編集] チーム記録

[編集] 最多得点試合

H & A スコア 試合日 対戦相手
J1 ホーム 4-3 2007年第5節(4月7日) ヴィッセル神戸
アウェー 3-2 2006年第6節(4月1日) セレッソ大阪
3-1 2006年第15節(7月26日) サンフレッチェ広島
3-1 2006年第22節(9月9日) FC東京
J2 ホーム 6-1 2004年第19節(6月23日) 横浜FC
6-0 2009年第23節(6月24日) アビスパ福岡
アウェー 5-1 2003年J2第6節(4月12日) 横浜FC

[編集] 最多失点試合

H & A スコア 試合日 対戦相手
J1 ホーム 1-6 2007年第14節(6月10日) ジュビロ磐田
アウェー 1-5 2006年第17節(8月12日) 名古屋グランパスエイト
0-5 2007年第29節(10月21日) ガンバ大阪
J2 ホーム 3-5 1999年第25節(9月10日) FC東京
1-5 2001年第26節(8月14日) サガン鳥栖
アウェー 1-6 1999年第4節(4月4日) アルビレックス新潟
0-6 1999年第9節(5月2日) コンサドーレ札幌

[編集] 最多連勝記録

J1リーグ戦
3連勝(2007年第7節(4月21日)から第9節(5月3日))
J2リーグ戦
4連勝(2009年第42節(9月27日)から第45節(10月18日))
5連勝 (2002年第26節(8月21日)から第31節(9月15日))-ルール改正前のカウント

[編集] 最多連敗記録

J1リーグ戦
5連敗(2007年第21節(8月18日)から第25節(9月15日))
J2リーグ戦
19連敗(2000年第13節(5月18日)から第32節(9月11日))
25連敗(2000年第5節(4月2日)から第32節(9月11日))-ルール改正前のカウント

[編集] 個人記録

[編集] 通算最多出場者

  • 通算
328試合 - 石原克哉(日本の旗 日本)(初出場2001年(4月21日)vs.横浜FC戦)
  • リーグ戦
297試合 - 石原克哉(日本の旗 日本)

[編集] 通算最多得点

  • 35得点 - バレー(ブラジルの旗 ブラジル)(初出場2005年(3月5日)vs.コンサドーレ札幌)

[編集] 最多連続得点試合

  • 5試合 - バレー(ブラジルの旗 ブラジル)(2005年J2第11節(5月7日)から第15節(6月4日))

[編集] シーズン最多得点

J1リーグ戦
14得点 - バレー(ブラジルの旗 ブラジル)(2006年)
J2リーグ戦
21得点 - バレー(ブラジルの旗 ブラジル)(2005年)

[編集] ハットトリック

得点数 氏名 達成日 対戦相手
J1
達成者なし

入替戦 6得点 バレー 2005年12月10日(第2戦) 柏レイソル
J2 4得点 バロン 2004年5月2日(J2第9節) 水戸ホーリーホック
3得点 ジョルジーニョ 2002年10月19日(J2第38節) アビスパ福岡
山崎光太郎 2004年6月23日(J2第19節) 横浜FC
バレー 2005年5月28日(J2第14節) 徳島ヴォルティス
カップ戦 3得点 須藤大輔 2007年7月7日(準々決勝第1戦) 川崎フロンターレ

[編集] 記念ゴール

ゴール数 氏名 達成日 対戦相手
J2 2500 ジョルジーニョ 2002年11月10日(J2第42戦) サガン鳥栖
3500 バロン 2004年6月26日(J2第20戦) 京都パープルサンガ
8000 大西容平 2009年10月4日(J2第43戦) 東京ヴェルディ

[編集] 獲得タイトル

[編集] チームタイトル

甲府クラブ
ヴァンフォーレ甲府
  • 2009年までに獲得したタイトルは無し。

[編集] 個人別タイトル

甲府クラブ
  • JSL2部得点王‐数野篤人(日本の旗 日本)(1978年、12得点)
  • JSL2部アシスト王‐小林慎二(日本の旗 日本)(1990/91年)
ヴァンフォーレ甲府
  • 旧JFLベスト11‐バロン(ブラジルの旗 ブラジル)
  • ナビスコ杯得点王‐須藤大輔(日本の旗 日本)(2007年、6得点)

[編集] キャンプ地

年度 地域 会場
2001年 日本の旗茨城県鹿島郡波崎町[9] 波崎サッカーパーク
2002年 日本の旗静岡県清水市[10] J-STEP
2003年 日本の旗静岡県清水市 J-STEP
日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター
2004年 日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター
2005年 日本の旗静岡県静岡市清水区 J-STEP
2006年 日本の旗静岡県静岡市清水区 J-STEP
日本の旗宮崎県西都市 清水台総合公園多目的広場
韓国の旗ソウル水原市など 水原WCスタジアムサブグラウンドなど
2007年 日本の旗静岡県静岡市清水区 J-STEP
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場
韓国の旗ソウル・水原市など 水原WCスタジアムサブグラウンドなど
2008年 日本の旗静岡県静岡市清水区 J-STEP
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場
2009年 グアムの旗グァム レオパレスリゾート
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場

[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 青(一部白、赤)
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd) ピンク
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd

[編集] チームカラー

  • ホームが青色
  • アウェーが白色

[編集] ユニフォームデザイン

甲府クラブ時代は武田氏赤備えをイメージする赤一色であったが、ヴァンフォーレになってからはホーム色は青、アウェーは白を基調としている。 一時期袖部が赤一色(アウェー用は赤一色)になったり、腰部にエンブレムの武田菱が入るなどのデザイン変更がされるようになったが、 現在はホーム用が青色を基調に首周りや袖先・腰部が赤色、アウェー用が白色を基調に首周りや袖先・腰部が青色と非常にシンプルなものになっている。なお、ゴールキーパー用はホームが黄色、アウェーが桃色(パンツは黒色)を基調にしている。

[編集] ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
はくばく はくばく 2001年〜2006年・2009年〜 2007年〜2008年は背中
背中 東京エレクトロン 東京エレクトロン 2009年〜 2006年〜2008年は袖・2007年〜2008年はパンツ
ジット Jit 2009年〜
パンツ なし

[編集] ユニフォームサプライ

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1998年 NTTDoCoMo DIRECTV PENALTY
1999年 nr(ennerre)
2000年 ‐/index nr(ennerre)
2001年 はくばく index Sannichi YBS Group nr(ennerre)
2002年 はくばく PRINCESS TENKO Sannichi YBS Group 武田消毒 nr(ennerre)
2003年 はくばく PRINCESS TENKO Sannichi YBS Group 武田消毒 DELLERBA
2004年 はくばく シャトレーゼ 泉郷 武田消毒 DELLERBA
2005年 はくばく シャトレーゼ 泉郷 信玄食品 DELLERBA
2006年 はくばく NIPRO 東京エレクトロン pal*system DELLERBA
2007年 NIPRO はくばく 東京エレクトロン 東京エレクトロン UMBRO
2008年 NIPRO はくばく 東京エレクトロン 東京エレクトロン UMBRO
2009年 はくばく 東京エレクトロン Jit UMBRO

[編集] チーム名変遷

  • 1965年〜 甲府サッカークラブ
  • 1995年〜 ヴァンフォーレ甲府

[編集] メディア

ヴァンフォーレ甲府の情報を知るには下記のメディアが有効である。

  • テレビ
    • VENTスポ!YBS) 毎週日曜 16:55‐17:30 生放送の応援番組
    • VFTVヴァンフォーレTV(NNS) 金曜 18:30、19:45、22:20、土曜 9:50
    • もうすぐ山梨のおひる〜ひるまえヴァンフォーレ〜(NHK甲府)毎週月曜 11:40‐12:00
    • VF甲府コーナー「光と水の如く」YBS 毎週月曜 18:16‐
  • 新聞雑誌
  • インターネット
    • ヴァンフォーレ甲府公式サイト
    • 山梨日日新聞「Miljan」内「ヴァンフォーレ甲府ニュース」

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 例:横浜F・マリノス=日産自動車名古屋グランパス=トヨタ自動車ガンバ大阪=パナソニック(旧・松下電器産業)など
  2. ^ 甲府一高の前身の甲府中OB、元鶴城クラブ選手で当時は川手工業所の社長
  3. ^ 奇しくも36年後にヴァンフォーレ甲府は柏レイソルとの入れ替え戦に勝ってJ1昇格を決めている。
  4. ^ 塚田が総監督として実質的に指揮をとっていた。
  5. ^ 当時の第11節サガン鳥栖戦の引き分けを挟んだカウントによる。現在は引分けなしの第12節から第32節「19連敗」とカウント。
  6. ^ 開幕直前の3月に自社の業務に専念という理由から退任
  7. ^ チーム結成以来日本のトップディビジョンに進出したことがなく、これが初めてである
  8. ^ 茂原は主審に対する侮辱行為および器物破損によりナビスコ杯を含め7試合出場停止、林は出場していなかったが試合終了後の主審に対する暴言により2試合の出場停止
  9. ^ 現・神栖市
  10. ^ 現・静岡市清水区

[編集] 外部リンク