ヴァンフォーレ甲府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ヴァンフォーレ甲府
原語表記 ヴァンフォーレ甲府
愛称 ヴァンフォーレ
クラブカラー      ブルー[1]
創設年 1965年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン1
クラブライセンス J1
ホームタウン 甲府市[1]韮崎市[1] を中心とする山梨県全県[1]
ホームスタジアム
Vfk2009112101.jpg
山梨中銀スタジアム[1]
収容人数 17,000
運営法人 株式会社ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ[1]
代表者 海野一幸[1]
監督 日本の旗 城福浩
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ヴァンフォーレ甲府(ヴァンフォーレこうふ、Ventforet Kofu)は、日本甲府市韮崎市を中心とする山梨県全県にホームを置く[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。

目次

概要[編集]

名前の由来となった風林火山の旗

1999年にJリーグへ加盟[1]。チーム名はフランス語の「Vent(風)」と「Forêt(林)」を合わせた造語で[1]戦国時代の武将の武田信玄の旗印である「風林火山」に基づいている[1]。また、母体企業を持つJリーグクラブがある[注 1] 一方で、ヴァンフォーレは特定の母体企業を持たず、地元山梨の会社などの小口スポンサーの支援を受けている。ホームタウンは、Jリーグ加盟時は「甲府市、韮崎市を中心とする30市町村」(「平成の大合併」に伴ってその後13市町村)であったが、2005年7月より「甲府市、韮崎市を中心とする山梨県全県」となった[1]

オフィシャルショップは甲府中央商店街「かすがもーる」の一角に「まちなかヴァンフォーレプラザ」があり[1]、ホームゲームのチケット販売やクラブサポーター入会受付、グッズ販売も行なっている。また、岡島百貨店6階にもグッズ販売を置いているコーナーがある[1]

ホームスタジアムは山梨中銀スタジアム[1]2011年3月の命名権導入前の名称は「山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場」)である。練習場は韮崎中央公園芝生広場山梨大学医学部グラウンド押原公園グラウンドを主に7箇所のグラウンドを使用している[1]

マスコットは甲斐犬をモチーフにした[1]ヴァンくん2006年6月12日より)、フォーレちゃん2009年3月1日より)である[1]

歴史[編集]

前身[編集]

1965年に創設され、日本サッカーリーグ(JSL)、ジャパンフットボールリーグ(JFL)に所属した甲府サッカークラブが母体となる[1]

Jリーグ開幕以降、山梨県サッカー協会やOBらによってJリーグ加盟に向けた準備が進められ、1995年にチーム名をヴァンフォーレ甲府に改称[1]1997年に地元企業などが出資して運営法人ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブを設立して[1] プロクラブ化。1998年はリーグ2位となる31得点を挙げたバロン大柴克友らの活躍により過去最高のJFL4位。1999年に発足するJリーグ ディビジョン2(J2)に参加が決まった。シーズン終了後、バロンは市原へ移籍した。

塚田・勝俣体制(1999年-2000年)[編集]

1999年
チームスローガン:修業無限

ライセンスの問題からそれまで指揮をとっていた塚田雄二に代わり、勝俣進体制[注 2] でJリーグ初年度を迎える。しかし、開幕10試合未勝利など、前年度から一転、一度も順位を上げることなく最下位でシーズンを終了。また、人件費抑制など経費削減に努めたものの、ユニフォームスポンサーがゼロに陥るなど広告収入が激減、さらに関心の薄さや低迷するチームが影響し、観客の伸び悩みにより3年連続の単年度赤字に陥り、前年オフ同様大柴ら主力を放出せざるを得なくなった。

2000年
チームスローガン:一蹴りごとに、心(ハート)を込めて。

塚田が監督に復帰したが、上述の通りチーム状況は前年以上に悪化。第4節の仙台戦の勝利を最後に第33節の新潟戦に勝利するまで6連敗と19連敗を含む26試合未勝利(後述)を記録するなど2年連続最下位に終わる。また、観客動員は浦和戦を除き3,000人を超えた試合が開幕戦のみであり、1,000人を割る試合が5試合もあった。さらにユニフォームスポンサーも秋になってようやく背番号につくようになるなど広告収入も上がらず、これが影響してシーズン終了直前に経営危機問題が発覚し、チームの存続が危ぶまれることとなる。

ヘイス体制(2001年)[編集]

チームスローガン:EVOLUTION

存続運動などの結果、条件付で2001年の参戦が決まり、上永吉英文が強化部長に就任[注 3] するとブラジルの名門チームSEパルメイラスと提携を結び、監督のルイス・ドス・ヘイス・ゴンサルベス及び5人のブラジル人選手の無償提供を受ける。ヘイスをはじめブラジル人選手の来日が大幅に遅れるなど足並みが揃わないまま開幕を迎え、J1昇格目前の仙台にホームで勝利するなどしたが、98失点というJリーグ最多失点記録が災いし3年連続最下位に終わる。しかし、この年に社長に就任した山日YBSグループ出身の海野一幸による経営改革やサポーターの努力で、3つの存続条件を全て達成し、またJ参入3年目にして初めて単年度黒字を計上したため、2002年度以降のチームの存続が決定した。

第一次大木体制(2002年)[編集]

チームスローガン:Action&Reaction!

パルメイラスとの提携を解除し、清水エスパルスと提携を結ぶ(別掲)。この年に監督に就任した大木武の目指すプレースタイルが浸透し始めた後期から徐々に上昇。藤田健倉貫一毅石原克哉水越潤の活躍もあり12チーム中7位に入りJ2参加から初めての最下位脱出に成功する。また観客動員も順調に伸び、9月21日にはC大阪戦においてチーム初となる小瀬競技場での観客動員の満員(当時は13000人収容)を記録した。

また、世界的イリュージョニストとして知られるプリンセス・テンコーがスポンサーとなり、背中部分に「PRINCESS TENKO」の文字が入った。個人がJリーグのユニフォームスポンサーになるのは中田英寿湘南)や藤原紀香横浜FC)の例があるが、テンコーはホームゲームでイリュージョンを行ったり、甲府のユニフォームを着てテレビ番組に出演するなど積極的に甲府を支援。テンコーとは2003年までスポンサー契約が続いた。

松永体制(2003年-2004年)[編集]

2003年
チームスローガン:1mm1cmの努力

好成績を残した大木が清水の監督に就任することになり、代わりに清水のサテライト監督を務めていた松永英機が就任。大木退任により再び低迷するのかとの不安も囁かれたが、松永は昨シーズンのプレースタイルを継承。倉貫、石原、水越に横浜FMなどでプレーした外池大亮を加えた中盤は安定し、さらに6月には元日本代表の小倉隆史が加入すると、藤田またはこの年湘南から移籍した須藤大輔によるツートップでチーム力は向上。結果としてJ2参入後初となるシーズン勝ち越しおよび全チームからの勝利を獲得するなど最終節で福岡に抜かれたものの5位に入り、2002年以上の成績を残した。

2004年
チームスローガン:未知への挑戦!〜1mm1cmの努力〜

外池が広島へ移籍した代わりに、旧JFL時代に活躍したFWバロンが甲府へ復帰。小倉または山崎光太郎との2トップが機能し開幕から得点を量産。一時は2位になるなどチーム状況は良好で、前期は3位で折り返す。しかし昇格も見えていた矢先の7月31日にバロンが退団(その後鹿島に移籍)。それでも第3クールまでは何とか昇格争いに踏みとどまるものの、藤田と石原が怪我により長期離脱するとチームは失速。第4クールは2勝しかできずに7位でシーズンを終了した。

第二次大木体制(2005年-2007年)[編集]

バレー(右)
2005年
チームスローガン:One Play One Game 

大木が監督に復帰し、2002年から培ってきた攻撃重視のプレースタイルを更に発展させた。大宮から移籍したFWバレーがこのシーズン、J2得点ランク2位の21得点を挙げる活躍。J1への自動昇格となる2位以上こそならなかったものの、仙台と最終節までもつれ込む熾烈な3位争いを展開。最終節では3位に滑り込んでJ1・J2入れ替え戦に進み、との入れ替え戦で連勝して、J1昇格を決めた。

2006年
チームスローガン:Explore J1〜探検J1〜

昇格初年度は限られた予算の中、元日本代表の林健太郎やJFLベストイレブンの宇留野純、6年ぶりにチームへ復帰した堀井岳也、札幌などでプレーしたピジュなどを獲得し、身の丈に合った補強を行ないJ1初のシーズンを迎える。J1初戦は清水に敗れたが、J2で通用した走るサッカーが機能し始めた3戦目の川崎戦でJ1初勝利を挙げると、バレーや途中加入の茂原岳人らの活躍で横浜FM鹿島G大阪などの強豪チームに勝利するなどホームゲームでは予想以上の健闘を見せる。一方でアウェーにおいては3勝しかできなかった上、守備が崩壊し大差で負けることが多く、これが影響しJ1に残留するものの18チーム中15位に終わった。ただし、7位の名古屋との勝ち点差がわずか6(9位の横浜FMとの勝ち点差が3)の一方で、入れ替え戦ラインである16位の福岡との勝ち点差が15もあったことを考えれば、健闘したといえる。

2007年
チームスローガン:Decision & Doing 〜決断&実行〜

シーズン終了後に昇格の立役者バレーがG大阪に移籍し、倉貫とアライールが退団。J1他チームの主力の獲得に乗り出したものの即戦力として期待される補強はブラジル全国選手権でチーム得点王にもなったことがあるFWアルベルトとオリンピック日本代表候補のDF増嶋竜也をそれぞれレンタル移籍で獲得するにとどまった。

大木が新たに取り入れた戦術「クローズ」がうまく機能せず、開幕4連敗を喫しその後残留争いから脱出したが、5月頃から再び連敗を重ね、第16節においてはジャッジに不満を持った茂原と試合に出場していなかった林がトラブルを起こし出場停止を受ける[注 4] など不安定な状況が続いてしまう。

シーズン後半にに羽地登志晃ラドンチッチの両FWを獲得し、ナビスコ杯得点王になった須藤とともに後半戦の巻き返しを図ったが羽地とラドンチッチは戦術になじめず、またJ1の堅固な守備の前にクローズは最後まで機能しなかったことで第33節で柏に1-2で敗れたことにより17位でJ2降格が決定した。

安間体制(2008年‐2009年)[編集]

2008年
チームスローガン:Feel 〜感じる〜

ヘッドコーチの安間貴義が内部昇格の形で監督に就任。茂原、増嶋、須藤などの主力選手がそれぞれ移籍した一方で補強面ではジョジマール美尾敦の復帰と前田雅文のレンタル移籍のみに留まった。さらに降格の原因の一つとなった戦術「クローズ」を継承したものの前年同様うまく機能せず、開幕戦でこの年参入したFC岐阜に追いつかれるなど5戦未勝利とスタートダッシュに失敗、攻撃陣はシュートを放つも枠の中に入らない状態で、守備も連係ミスによってオウンゴールを献上するなど攻守ともにバラバラになってしまう。その結果前半戦21試合を終えてわずか5勝しか挙げられず11位に低迷。特に得点数は20得点と1試合平均で1点を割り込み、リーグ最下位であった。7月にサーレスマラニョンの2人のブラジル人FWを期限付きで獲得。急成長した大西容平とともに目覚しい活躍を見せ、順位も少しずつ上がっていった。しかし上位チームに勝てないという勝負弱さは最後まで改善されず、何とか勝ち越したものの一度も昇格争いに絡めないまま7位でシーズンを終了。前年、今年と2年続けて補強が失敗したチームは、10月に元大宮監督の佐久間悟ゼネラルマネージャーに迎えた。

2009年
チームスローガン:ICHIGAN ~共に戦い、共に喜ぶ~

主力FW陣を大量放出し、かわりにマラニョンの完全移籍へ移行と金信泳森田浩史の各FWを獲得。守備陣はGK荻晃太、DFダニエルの2人をレンタル移籍で獲得した。この補強が功を奏し、第1クールを4位で折り返すと更なる補強として6月に岐阜から片桐淳至を、更に広島に在籍し9得点を挙げたガウボンの両FWを完全移籍で獲得した。

3つの昇格枠をかけてC大阪、仙台、湘南と争い、スタートダッシュに成功。荻やダニエルをはじめとする守備陣の奮闘により、昇格争いをしていた3チームおよび札幌東京Vの降格組から着実に勝ち星を積み重ねていった。一方で栃木SC富山岡山といった新参入3チームに対して勝ち星を取りこぼすことが多かった。第3クールに入るとC大阪・仙台に先行され、残り1枠の争いになったが、荻の負傷離脱も重なり昇格をかけた湘南との直接対決で敗北。結局勝ち点1差の4位でシーズンを終了した。

内田体制(2010年)[編集]

チームスローガン:ICHIGAN -Try Again-

前年にヘッドコーチをしていた内田一夫が新監督に就任。前年を最後に林健太郎とGK阿部謙作が引退、森田と長年チームに在籍した杉山新が退団した。補強面では即戦力に特化、前年に途中加入ながら鳥栖で15得点を挙げたハーフナー・マイクと2005年のJ2得点王で前年夏まで京都に在籍したパウリーニョを完全移籍で獲得した。

開幕直前に戦術を急遽変更したことから最初の4戦は1勝1分2敗であったが、その後攻撃陣が機能するようになり第13節で2位に浮上するとそのまま順位を維持。第34節の栃木戦に勝利し、4年ぶりのJ1復帰を決めた。J2シーズンは前回昇格した2005年より上の2位の成績を収めた。また、ハーフナーが20得点を挙げチーム初となるJ2得点王を獲得した。

三浦・佐久間体制(2011年)[編集]

チームスローガン:団結、挑戦、飛躍 ~ここから続く、喜びのために~

「J1での戦い方の経験不足」など総合的な理由で内田との契約を打ち切り、守備強化を目的に三浦俊也が大木以来の外部招聘となる監督に就任。選手は藤田健秋本倫孝、マラニョン(レンタル移籍)などが退団した一方、清水からMF伊東輝悦とDF市川大祐の2人の元日本代表をはじめ、主に戦力外通告になったベテラン選手を中心に獲得した。

しかし元々攻撃的なパスサッカー中心の甲府にあって、三浦の採ったゾーンディフェンスからなる守備重視の戦術は全く機能せず、連敗と大量失点を重ね、7月に三浦を解任[注 5]。GMの佐久間が後任の監督に就任。ハーフナー、パウリーニョ、片桐、井澤惇らを中心にチームを立て直し、7月には元札幌のダヴィ、元磐田の金珍圭を獲得。ハーフナーが得点を量産したものの、最終節で大宮に敗れて降格が決定した。

シーズン終了後、ハーフナーには藤田、秋本らの放出や三浦の招聘といったチーム作りの方針を批判され[2]、佐久間は補強した選手の質に問題があったと述べた[3]

なお、ハーフナーが8月に日本代表へ招集され、9月2日のワールドカップアジア3次予選北朝鮮戦に出場したことによりクラブ初の現役日本代表選手が誕生した。また、10月11日のタジキスタン戦で2得点を挙げたことによりクラブ初のA代表戦での得点者となった。

城福体制(2012年‐)[編集]

2012年
チームスローガン:move ~原点からの挑戦~

佐久間がGMに戻り、元FC東京監督の城福浩が監督に就任。ハーフナー、パウリーニョ、ダニエル、市川ら主力選手が大量に退団した一方で浦和からFW高崎寛之広島からDF盛田剛平東京VからDF福田健介らが加入した。

14年目にして初めて開幕戦に勝利(後述)すると昨季シーズン途中に加入しながらも無得点に終わったダヴィが開幕戦から得点を量産。ダヴィへのマークが厳しくなり、他の選手が得点力不足に陥ったことにより、第13節ホーム京都戦で0-3と敗れ8位後退、第19節までこの年より導入されたJ1昇格プレーオフ参加資格となる6位前後を彷徨っていたが、城福が取り入れたムービングフットボールが機能し始め、またシーズン途中にガンバ大阪や清水など複数のJチームでプレーしていたフェルナンジーニョが加入しマークが分散するようになったことでチームは再び調子を取り戻し、第25節アウェー千葉戦、第26節ホーム東京V戦と2戦連続で首位のチームに勝利しチーム初の首位に躍り出る。第19節以降それまで、首位に立ったチームがいずれも1節で首位を明け渡し、毎節首位が入れ替わる混戦が続いていたが、甲府が首位に浮上して以降はシーズン終了まで1度も首位の座を明け渡さず、第38節ホーム湘南戦に引き分けたことで3度目のJ1昇格(1年でのJ1復帰)が決定。翌第39節福岡戦も3-2で勝利し、J2優勝を成し遂げた。ヴァンフォーレ甲府としては勿論、甲府クラブ時代を含め「全国規模のリーグ戦」で優勝したのは初めてである。第18節ホーム千葉戦で敗れた後、第19節アウェー水戸戦での勝利から最終節アウェー京都戦まで24戦無敗(後述)というJ2記録を打ち立てた。

2013年
チームスローガン:move ~プロヴィンチアの挑戦~

ダヴィ、フェルナンジーニョ、高崎、永里源気片桐淳至ら主力が多く退団したため、代わりとなる補強が急務となっていた。即戦力として東京Vから土屋征夫平本一樹横浜FMから青山直晃から水野晃樹を完全移籍で獲得、さらにFC東京から羽生直剛をレンタルで獲得した。一方で外国人補強は「決定的な力を持った外国人ストライカーの獲得については現時点では至らなかった」(佐久間GM)[4] と言う通りレニーウーゴといった未知数の選手で挑むことになったが、レニーは開幕前に契約解除、ウーゴも7月を以て契約解除(その後熊本に移籍)となった。さらに昨年から唯一残ったドウグラスも開幕数試合で解除、レニーに代わり獲得した元パラグアイ代表オルティゴサもチームの方針と合わず中断期間中の6月に解除と外国人が次々と入れ替わり、中断期間中に方針の定まらないチーム状況に対しGMが現場に説明する事態になった[5]。シーズン途中からJリーグの経験のある外国人選手の獲得に転換し、5月に元磐田マルキーニョス・パラナ、7月に元磐田のジウシーニョを獲得、また川崎からパトリックをレンタル移籍させた。

開幕から第10節まで3勝5分2敗で推移していたが、上述の外国人の度重なる入れ替えや極度の得点力不足により、第11節清水戦の敗戦以降コンフェデレーションズカップによる中断を挟んで8連敗を喫し、第18節終了時には降格圏の16位まで転落する。しかし、第19節以降はパトリック・ジウシーニョの加入と新たに採用した山本、佐々木、青山による3バックシステムにより守備が安定したことによって5勝8分3敗と持ち直し、最終的に16位の湘南と勝ち点12差の15位でシーズンを終了、2006年以来のJ1残留を果たした。なお、ナビスコ杯は予選リーグで敗退。天皇杯は準々決勝で広島にPK戦で敗れチーム記録タイのベスト8となった。

2014年
チームスローガン:飛躍 ~プロヴィンチアの挑戦~

柏が広島へ、伊東がAC長野パルセイロへ移籍。またパトリックが退団し、平本、羽生、河田晃兵とのレンタル契約を終了した。新戦力は名古屋から阿部翔平ザルツブルクからクリスティアーノ(昨シーズンは栃木SCに在籍)、チョンブリーFCからインドネシア代表イルファンを補強した。


クラブの特徴[編集]

地元のサポート体制[編集]

甲府側ゴール裏観客席およびピッチ看板。ゴール裏のピッチ看板が2重に配置されているほか、パックスタンドにも広告用横断幕が掲げられているのが分かる。
2009年12月5日J2最終節 対ロアッソ熊本戦(資料)

クラブが解散の危機に立たされた2001年、地元市民からは「山梨唯一のプロスポーツクラブの灯を消すな」ということで存続を訴え続け、クラブが掲げた3つの条件(別掲)をクリアして市民チームとして再建を果たしたが、それを支えているのは地元の企業・店舗などからの支援体制である。

サッカーに関心のなかった甲府市民らまでを巻き込んだ支援活動により、大都市の大手企業だけでなく地元の企業や店舗などもスタジアムの広告看板を掲示するようになった(試合中に使われる担架にまで広告を載せている)他、クリーニング店が選手の使用したユニフォームや練習着を無償洗濯したり、理髪店やパン屋、温泉施設など、多くの企業がヴァンフォーレの選手・スタッフに対しての無料優待を受けて全面的な支援体制を強化させており、公式ホームページも地元のホームページ制作会社がボランティアで制作・運営を行っている。

一方で、運営会社のヴァンフォーレ山梨スポーツクラブは山日YBSグループ各社との結びつきが強く、i-mode公式サイトなどは山日YBSグループの企業が運営している。また2006年4月から山梨放送でヴァンフォーレ甲府応援番組VENTスポ!が始まった(2010年3月に終了)。2009年8月にはホームグラウンドである小瀬陸上競技場のスクリーンが山梨県によってフルカラーに全面改修された事を受け新たな動画展開を実施している。この操作もグループ企業が県の許可を取得し受け持っている。

これらの体制やクラブ運営が評価を受け、徳島ヴォルティスがJリーグ加盟前に海野を徳島へ呼んでアドバイスを受けたり、元チェアマンの川淵三郎などがインタビューなどで甲府の成功例を挙げている[6]

人材の補強と育成[編集]

経営危機以来運営管理が厳しくされていることから赤字を出すことが出来ず、また遅れている設備面での投資を優先していることもあり、他チームからの戦力外選手やレンタル移籍の選手を獲得している。パルメイラスや清水エスパルスと業務提携を行っていた時は選手だけでなく監督も出向という形で起用し、人件費抑制に努めていた。また、合同トライアウトとは別にセレクションによる選手獲得を積極的に行い、藤田健や大西容平、秋本倫孝などのちにレギュラーとして活躍する選手を育て上げたが、2007年に大量獲得した選手がレギュラーを奪えずに3年以内で全員退団するなどチーム状況の変化により効果が薄いことから2008年を最後に実施されていない。

一方で下部組織による育成は遅れており、1種選手としてトップに昇格したのは唐澤大夢(2009年昇格、2010年退団)と堀米勇輝(2010年昇格)、若杉好輝(2014年昇格)のみとなっている。この問題を解決するため2009年に山梨学院大学と提携を結び、ユース出身の選手を大学に入学させて育成したり、逆に大学側の有望な選手をヴァンフォーレ甲府に入団させるシステムを取り入れている。

各種イベント[編集]

甲府はホームゲームごとにホームタウン内の各市町村のサンクスデーを行っているのをはじめ、節目に記念試合やセレモニーを行うことが多い。小倉隆史が引退した翌年の開幕戦である2006年開幕戦には試合前に引退セレモニーを開催したのをはじめ、2009年4月には地元・山梨出身の中田英寿率いる「TAKE ACTION FOUNDATION」との親善試合、2010年6月には前年に引退した林健太郎引退試合を開催している。また、2011年7月に伊東輝悦がJ1出場500試合を記念して試合前にセレモニーを開催している。

2005年、2010年、2012年とJ1に昇格した3回にわたり甲府市内をパレードしている。2005年、2010年はスカイバス東京の2階に選手が乗っていたが、2012年は富士急行のオープントップバス「KABA BUS」の2階に選手が乗ってパレードを行っている。

サポーター[編集]

ヴァンフォーレ甲府サポーターによるコレオグラフィー
2007年5月3日J1第9節 対横浜FC戦

ホーム側ゴール裏のサポーターが応援歌を歌うスタイルとなっている。サポーター集団であるHINCHASを中心に特徴的な「」の巨大フラッグを掲げ、コーヒールンバ[注 6]野球狂の詩、真っ赤な太陽などをベースとした歌を歌いながら応援し、試合に勝利すると輝く夜空を斉唱する。それ以外のサポーターは基本的に歌を歌わず座って観戦、以前はメガホンを叩きながら応援していたが次第に減少し、現在は1プレイに注視してボールの奪い合いの時でも歓声を上げる人が多い。武田消毒がスポンサーを行っていた時は当社が提供したビッグフラッグを試合前に披露していたが、撤退後はビッグフラッグにかわりコレオグラフィーを行うことがある。

アウェーゲームへは自前で向かうことがあるほか、クラブ主催のバスツアーが設定されている。また、多くのサポーターが見込まれる場合は応援専用列車を仕立てることもある。2010年、2012年にはジェフユナイテッド市原・千葉と交互で応援専用列車を仕立てている。

エピソード[編集]

プロリーグでのアマチュア選手[編集]

1999年にJリーグへ参入し、選手たちとプロ契約を結ぶことになったが、Jリーグはアマチュア選手の登録を認めていることもあり、主力選手であり当時竜王町役場に勤務していた石原大助も引退・退団せずに契約を更新した。しかし石原の本業は地方公務員であり、地方公務員法により副業を行なうことが禁止されているため、報酬を得ないアマチュア選手として引き続き契約した。

2000年は石原以外に5人の選手とアマチュア契約。これは財政状況を改善すべく人件費削減を見込んでの契約であったが、連敗記録を喫するなどチーム状況が散々で、観客動員低迷などかえって財政状況が悪化した。

2001年のアマチュア契約は再び石原だけになった。石原は17試合に出場したが、年齢による衰えなどからこの年を最後に現役を引退。その後甲府は特別指定選手を除き、全員がプロ選手で構成されている。

コーチからの現役復帰[編集]

過去にコーチがチーム事情により選手登録された例が2回ある。

経営および成績が低迷していた2000年はシーズン中に退団するなど選手数は24人と少なく、このうちプロ契約をしている選手はわずか18人となった。そこでこの年フィジカルコーチとして甲府に入団した鶴田道弘に対し7月にプロ契約を結び、現役復帰することになった。鶴田は名古屋神戸でプレーした経歴こそ持っていたものの、1996年を最後に現役を退いており、再びピッチに立つのは5年ぶりであった。鶴田は4試合に出場し、シーズン終了後に契約非更改となり2度目の現役引退。現在は東海学園高等学校の監督をしており、全国高校総合体育大会全国高等学校サッカー選手権大会にも出場している。

2010年は6月に荻晃太が負傷し長期離脱してしまい、出場できるGKが2人だけとなったため、2006年に現役引退しこの年よりGKコーチをしている松下太輔が急遽選手登録されることになった。但しあくまで緊急措置としての登録で、荻が怪我から復帰した後の9月末に1試合も出場することなく選手登録を抹消され、コーチ専属に戻っている。

試合中の停電[編集]

2005年12月7日に小瀬で開催されたJ1・J2入れ替え戦(対柏レイソル)第1戦において、後半ロスタイム突入直後に奈須伸也が相手FW矢野貴章にタックルをして転倒させた直後、照明が落ち停電になるアクシデントが発生した。すぐに非常灯が点灯したものの、試合が開催できる照度に戻るまで30分を要した。これにより試合終了時間が9時半を過ぎてしまい、本来なら東京方面の終電に乗れる柏サポーターが帰れなくなる事態となった。原因として入れ替え戦という注目度の高い試合であることから観客やマスメディアが多く駆けつけたことによる電力使用量が増えたことと、小瀬の照明設備の配線不備が挙げられている。クラブは柏サポーターに対して東京方面行の臨時バスを出すなどの手配をしたが、この事態を重く見たJリーグは対策をとるよう報告書の提出を求めた。改善されなければ昇格ができなかった可能性があったもののシーズン終了後に配線工事などの対策をとったことから無事に翌年からのJ1昇格を果たしている。

オールスターでのチーム振り分け[編集]

2006年と2007年はJ1に所属していたため、Jリーグオールスターサッカーにも参加していたが、振り分けは2006年は東軍(甲府よりわずかに西に位置している清水は西軍)であったが、2007年は西軍に振り分けられた。これは甲府より西にあった京都、C大阪、福岡がともにJ2に陥落し、かわりに甲府より東に位置する柏と横浜FCが昇格したためである。なお、東西の変動はアルビレックス新潟でも発生している。

各記録[編集]

19連敗(26戦未勝利)[編集]

2000年の甲府は第4節の仙台戦(小瀬、1-0)の勝利を最後に連敗を続け、第33節の新潟戦(新潟市陸、1-0)に勝利するまで26戦勝利から遠ざかっていた[注 7]。このうち引き分けたのが第11節の鳥栖戦のみであり、残りの25戦はすべて負けていたことから当時の連敗カウントは「25連敗」であった。その後「連勝・連敗は引き分けを挟まない[7]」というルールに改定され、過去の記録もこれが適用されたことから現在は「6連敗の後1分けを挟み19連敗」となっている。19連敗に減ったとはいえ、この記録はJ2はもちろんのことJリーグ全体を見ても1996年に京都が記録した17連敗[注 8] を上回る記録である。また、第4節が3月30日、第33節が9月15日開催であったことから実に5か月半勝利から遠ざかっていたことになる。

その後未勝利記録は2003年にサガン鳥栖が更新(シーズン単体で28試合、翌年甲府に勝利するまで30試合まで継続)した[注 9] が、連敗記録は現在も破られていない。

未勝利(連敗記録)中のスコア
スコア スコア
5 浦和(駒場)1-3● 19 水戸(ひたちなか)0-2●
6 大分(小瀬)1-3● 20 湘南(小瀬)1-2●
7 山形(鶴岡)2-4● 21 大宮(大宮)0-1●
8 水戸(韮崎中央)0-3● 22 鳥栖(小瀬)0-1●
9 湘南(平塚)0-3● 23 仙台(小瀬)1-2●
10 大宮(小瀬)1-2● 24 浦和(駒場)0-3●
11 鳥栖(鳥栖)1-1△ 25 大分(小瀬)2-3●
13 札幌(厚別)1-2● 26 山形(山形市陸)1-4●
14 新潟(小瀬)1-3● 27 水戸(北麓)0-1●
15 仙台(仙台)1-3● 28 湘南(平塚)2-4●
16 浦和(小瀬)0-3● 29 大宮(小瀬)1-2●延長
17 大分(佐伯市陸)0-2● 30 鳥栖(鳥栖)0-3●
18 山形(小瀬)1-4● 32 札幌(小瀬)0-2●

24試合連続無敗[編集]

2012年の甲府は第18節の千葉戦(中銀スタ、0-2)を最後に以降シーズン終了まで24試合負けることがなかった[8]。これまでの記録は2010年に柏が記録した19試合連続無敗であり、甲府はこの記録を5試合上回ることになる[9]。無敗記録中の成績は16勝8分であり、うち12試合が1点差勝利である。さらに32節、35節、36節の3試合は後半ロスタイムで逆転勝利を挙げるなど接戦には非常に強かった。

なお、上述の通り19連敗の記録は保持されていることから、甲府はJ2における連敗記録と無敗記録という両方の記録を持つことになった。

無敗記録中のスコア
スコア スコア
19 水戸(K'sスタ)3-1○ 31 横浜FC(中銀スタ)2-1○
20 富山(中銀スタ)4-1○ 32 大分(大銀ドーム)2-1○
21 岡山(カンスタ)1-1△ 33 岡山(中銀スタ)1-0○
22 岐阜(中銀スタ)0-0△ 34 鳥取(中銀スタ)1-1△
23 町田(町田市陸)1-0○ 35 北九州(本城)3-2○
24 松本(中銀スタ)2-1○ 36 栃木(グリスタ)2-1○
25 千葉(フクアリ)1-0○ 37 徳島(中銀スタ)3-2○
26 東京V(中銀スタ)3-1○ 38 湘南(中銀スタ)2-2△
27 草津(正田スタ)2-1○ 39 福岡(レベスタ)3-2○
28 水戸(中銀スタ)1-0○ 40 愛媛(ニンスタ)0-0△
29 富山(富山)1-1△ 41 熊本(中銀スタ)2-0○
30 山形(中銀スタ)0-0△ 42 京都(西京極)0-0△

開幕戦未勝利[編集]

1999年のJリーグ参入以来、2011年に至るまで開幕戦に勝てないジンクスがあった。参入初戦の大宮アルディージャ戦(韮崎中央、1-2)以来開幕戦4連敗で、初勝ち点は2003年のサガン鳥栖戦(小瀬、1-1)である。2011年までの成績は5分8敗で、2011年の時点で開幕戦未勝利は2009年以前にJリーグへ参入した36チームの中では唯一の記録であった(他に未勝利なのは2010年参入のギラヴァンツ北九州と2011年参入のガイナーレ鳥取のみ)。また、2戦目勝利およびホーム開幕戦勝利も11年目の2009年にようやく達成(第2節FC岐阜戦(長良川、1-0)、第3節コンサドーレ札幌(小瀬、2-1))するなど開幕当初は調子が上がらないことが多い。

参入14年目となる2012年開幕戦の栃木SC戦(中銀スタ)で2-1とJ参入後初勝利を挙げ、同時に未勝利記録は13でストップした。

Jリーグ参入後、開幕戦初勝利までの記録
年度 Div. スコア 年度 Div. スコア
1999 J2 大宮 (韮崎中央) 1-2● 2006 J1 清水 (小瀬) 0-2●
2000 J2 札幌 (小瀬) 0-3● 2007 J1 横浜FM (日産) 0-1●
2001 J2 川崎 (等々力) 1-3● 2008 J2 岐阜 (小瀬) 1-1△
2002 J2 横浜FC (三ツ沢球) 2-3● 2009 J2 岡山 (桃スタ) 0-0△
2003 J2 鳥栖 (小瀬) 1-1△ 2010 J2 福岡 (レベスタ) 1-3●
2004 J2 札幌 (札幌D) 2-2△ 2011 J1 磐田 (中銀スタ) 0-1●
2005 J2 札幌 (小瀬) 2-2△ 2012 J2 栃木 (中銀スタ) 2-1○

ダービーマッチ[編集]

富士山ダービー (vs清水エスパルス)
富士山を望む位置にあることから同じディビジョンとなった2006年に実現。甲府がJ1昇格初戦となる試合では双方から記念グッズも発売されている。
甲信ダービー (vs松本山雅FC)
甲府のホームタウンである甲斐国と松本のホームタウンである信濃国をあわせて甲信地方と呼ばれており、同一ディビジョンになった2012年に互いの試合はこの名前が使われている。
川中島ダービー (vsアルビレックス新潟)
武田信玄甲斐)と上杉謙信越後)の川中島の戦いにちなみ2003年頃からこの呼称が使われている。2003年と2006年には長野県信濃)の長野県松本平広域公園総合球技場(アルウィン)を会場にし、試合前に武田・上杉両軍に扮したパフォーマンスが行われた。また、新潟の主催試合でも川中島を意識したイベントが行われている。なお、2007年以降甲府のホームゲームは小瀬(中銀スタ)を使用しているため、行なわれていない。

ホームゲーム観客動員数[編集]

最多観客動員試合[編集]

J1
  • 2006年7月29日 第16節 浦和戦 17,000人 (小瀬)
  • 2007年8月18日 第21節 浦和戦 36,756人 (国立)
J2
  • 2009年11月21日 第49節 湘南戦 16,844人 (小瀬)
  • 2003年8月30日 第30節 新潟戦 13,043人 (松本)

最少観客動員試合[編集]

J1
  • 2011年4月23日 第7節[注 10] 神戸戦 6,893人 (中銀)
  • 2014年3月1日 第1節 鹿島戦 13,809人 (国立)
J2
  • 2000年6月11日 第18節 山形戦 724人 (小瀬)
  • 1999年9月10日 第25節 FC東京戦 619人[注 11] (韮崎中央)

年度別観客動員記録と開催スタジアム[編集]

2013年J1第14節 ヴァンフォーレ甲府vs浦和レッズ戦。浦和戦の場合小瀬競技場(山梨中銀スタジアム)では収容し切れないため、国立競技場で開催する。
Jリーグ参入後、初めてホームゲームを開催した韮崎中央公園陸上競技場。
2003年から2006年まで年1試合ホームゲームを開催していた長野県松本平広域公園総合球技場。

Jリーグ加盟当初は、小瀬競技場(山梨中銀スタジアム)が日本陸連・山梨陸連との日程調整の都合で開催できない日があったため、週末に行うべき試合をある平日のナイターに移動させたり、また日程の都合がつかなければ韮崎市(韮崎中央公園陸上競技場)や富士吉田市(富士北麓公園陸上競技場)に変更させたりした。しかし韮崎、北麓ともJリーグ開催基準を満たしていないスタジアムであることから、2001年以降は同県で唯一リーグの基準を満たす小瀬のみに会場を絞っている。

県外の開催は2003年から2006年の間、松本市(長野県松本平広域公園総合球技場)で年1試合開催していた。松本での開催では小瀬競技場改修による代替だった2004年を除きダービーマッチと銘打ち様々なイベントが行われていた。但し2012年よりJリーグに参入した松本山雅FCは当スタジアムがホームグラウンドであるため、今後は特殊な事由を除き松本での開催は不可能である。

また、2006年の浦和レッドダイヤモンズ戦で小瀬競技場の定員一杯の観客動員(17,000人)を達し、これ以上の収容が不可能であることから2007年以降の浦和戦は国立霞ヶ丘陸上競技場でホームゲームを開催している。2014年も国立ではレッズ戦1試合を主催する予定だったが、シーズン開幕戦2週間前に山梨県地方を襲った記録的大雪により、山梨県小瀬スポーツ公園陸上自衛隊の拠点として使用されたことなどもあり、陸上競技場の除雪作業、および試合への使用が難しいと判断され[10]、同年2月21日に当初開幕戦としてヴァンフォーレが主管する予定であった鹿島アントラーズ戦の会場を国立競技場に変更することを決定[11]、同年は国立競技場で2試合開催することになった。

なおJFL時代使用していた甲府市緑が丘スポーツ公園陸上競技場ではJリーグの開催実績はない。

     J1      J2

年度 合計
動員数
最多
動員数
最少
動員数
平均
動員数
ホーム
試合数
会場 1試合平均入場者/総入場者 備考
1999 26,450 3,807 619 1,469 18 小瀬14、韮崎4
Jリーグ参入
2000 37,004 6,005 724 1,850 20 小瀬17、北麓2、韮崎1
経営危機問題
2001 68,850 5,541 1,508 3,130 22 小瀬22
県内小瀬一本化
2002 108,108 13,000 3,047 4,914 22 小瀬22
2003 127,515 13,043 2,382 5,796 22 小瀬21、松本1
県外初開催
2004 140,141 10,121 2,401 6,370 22 小瀬21、松本1
2005 152,491 14,234 4,903 6,931 22 小瀬21、松本1
小瀬増築開始
2006 207,629 17,000 8,025 12,213 17 小瀬16、松本1
小瀬増築完了
2007 233,476 36,756 8,373 13,734 17 小瀬16、国立1
2008 217,428 14,521 7,267 10,354 21 小瀬21
2009 276,463 16,844 5,582 11,059 25 小瀬25
2010 223,309 16,431 10,163 12,406 18 小瀬18
2011 205,808 21,589 6,893 12,106 17 中銀16、国立1
命名権導入
2012 218,539 16,643 6,161 10,407 21 中銀21
2013 214,441 28,906 7,754 12,614 17 中銀16、国立1
2014 17 中銀15、国立2[注 12]
2,251,844 7,929 284
小瀬・中銀:小瀬陸上競技場・山梨中銀スタジアム、国立:国立霞ヶ丘陸上競技場、松本:長野県松本平広域公園総合球技場(アルウィン)
韮崎:韮崎中央公園競技場、北麓:富士北麓競技場

観客動員上位[編集]

順位 所属 日時 会場 対戦相手 観客数 備考 所属 日時 会場 対戦相手 観客数 備考
1 J1 2007年8月18日 国立 浦和 36,756 J2 2009年11月21日 小瀬 湘南 16,844
2 2013年7月6日 国立 浦和 28,906 2012年10月14日 中銀 湘南 16,643
3 2011年8月20日 国立 浦和 21,589 2010年6月12日 小瀬 千葉 16,431
4 2006年7月29日 小瀬 浦和 17,000 2010年5月5日 小瀬 15,600
5 2007年5月3日 小瀬 横浜FC 16,279 2009年9月23日 小瀬 仙台 15,076
6 2006年10月1日 小瀬 G大阪 15,462 2008年5月6日 小瀬 横浜FC 14,521
7 2006年5月3日 小瀬 F東京 15,427 2005年10月1日 小瀬 横浜FC 14,234
8 2011年11月3日 中銀 横浜FM 15,315 2012年7月15日 中銀 松本 14,150
9 2007年11月18日 小瀬 大宮 15,151 2009年7月18日 小瀬 C大阪 13,580
10 2013年9月14日 中銀 鹿島 15,137 2008年3月9日 小瀬 岐阜 13,211

成績[編集]

チーム記録[編集]

最多得点試合[編集]

Div. H & A スコア 試合日 対戦相手
J1 ホーム 4-3 2007年第5節 (4月7日) ヴィッセル神戸
4-3 2011年第23節 (7月16日) ガンバ大阪
アウェー 4-0 2011年第29節 (10月15日) セレッソ大阪
J2 ホーム 6-1 2004年第19節 (6月23日) 横浜FC
6-0 2009年第23節 (6月24日) アビスパ福岡
6-0 2010年第33節 (11月7日) ギラヴァンツ北九州
アウェー 5-1 2003年J2第6節 (4月12日) 横浜FC

最多失点試合[編集]

Div. H & A スコア 試合日 対戦相手
J1 ホーム 1-6 2007年第14節 (6月10日) ジュビロ磐田
アウェー 1-5 2006年第17節 (8月12日) 名古屋グランパスエイト
0-5 2007年第29節 (10月21日) ガンバ大阪
1-5 2013年第12節 (5月18日) サンフレッチェ広島
J2 ホーム 3-5 1999年第25節 (9月10日) FC東京
1-5 2001年第26節 (8月14日) サガン鳥栖
アウェー 1-6 1999年第4節 (4月4日) アルビレックス新潟
0-6 1999年第9節 (5月2日) コンサドーレ札幌

最多連勝記録[編集]

J1リーグ戦
3連勝 (2007年第7節(4月21日)から第9節(5月3日))
J2リーグ戦
6連勝 (2012年第23節(7月8日)から第28節(8月12日))

最多連敗記録[編集]

J1リーグ戦
8連敗 (2013年第11節(5月11日)から第18節(7月31日))
J2リーグ戦
19連敗 (2000年第13節(5月18日)から第32節(9月11日))

個人記録[編集]

通算最多出場者[編集]

通算はリーグ戦とカップ戦(天皇杯ナビスコ杯)のみ。プレシーズンマッチ、引退試合、練習試合などは省略する。

  • 通算
452試合 - 日本の旗 石原克哉 (初出場2001年4月21日 vs.横浜FC戦)
  • リーグ戦
418試合 - 日本の旗 石原克哉

通算出場試合上位[編集]

JリーグのJ1・J2リーグ戦のみ。太字は2012年シーズン終了時点での在籍選手。記録は2013年12月8日現在。

選手名 出場試合数 在籍期間 備考
1 石原克哉日本の旗 日本 418試合 2001- リスト・オブ・ワン・クラブ・マン資格あり。
2 藤田健(日本の旗 日本 354試合 2001-2010
3 山本英臣日本の旗 日本 347試合 2003-
4 倉貫一毅(日本の旗 日本 246試合 2000-2006
5 池端陽介(日本の旗 日本 218試合 2002-2010
6 杉山新(日本の旗 日本 217試合 2003-2009
7 阿部謙作(日本の旗 日本 155試合 2003-2009 GK最多。2005年はシーズン途中まで神戸在籍。
8 荻晃太日本の旗 日本 154試合 2009-
9 秋本倫孝(日本の旗 日本 151試合 2005-2010
10 土橋宏由樹(日本の旗 日本 148試合 1999-2005
参考
  • 伊東輝悦日本の旗 日本)(542試合試合出場、うちJ1リーグ戦517試合は楢崎正剛に次いで歴代2位。甲府では59試合出場)

通算最多得点[編集]

  • 41得点 - 日本の旗 藤田健 (初出場:2001年3月17日 vs.湘南戦)

最多連続得点試合[編集]

  • 5試合
    • ブラジルの旗 バレー (2005年J2第11節(5月7日)から第15節(6月4日))
    • ブラジルの旗 ダヴィ (2012年J2第35節(9月23日)から第39節(10月21日))

シーズン最多得点[編集]

J1リーグ戦
17得点 - 日本の旗 ハーフナー・マイク (2011年)
J2リーグ戦
32得点 - ブラジルの旗 ダヴィ (2012年)

通算チーム得点上位[編集]

2011シーズン終了時点。得点数はリーグ戦のみ。

選手名 得点数 在籍期間 備考
1 藤田健(日本の旗 日本 41得点 2001-2010
2 ハーフナー・マイク(日本の旗 日本 37得点 2010-2011
2 マラニョン(ブラジルの旗 ブラジル 37得点 2008-2010
4 バレー(ブラジルの旗 ブラジル 35得点 2005-2006 入れ替え戦の7得点を除く
5 ダヴィ(ブラジルの旗 ブラジル 32得点 2011-2012

年度別チーム得点王[編集]

年度 リーグ チーム得点王 得点(試合数) 備考
1999 J2 大柴克友(日本の旗 日本
堀井岳也(日本の旗 日本
7点(36試合)
2000 金晃正(韓国の旗 韓国 5点(40試合)
2001 太田圭輔(日本の旗 日本 11点(44試合)
2002 鶴見智美(日本の旗 日本
影山由高(日本の旗 日本
8点(44試合)
2003 小倉隆史(日本の旗 日本 10点(44試合)
2004 バロン(ブラジルの旗 ブラジル 14点(44試合)
2005 バレー(ブラジルの旗 ブラジル 21点(44試合) リーグ得点2位
2006 J1 バレー(ブラジルの旗 ブラジル 14点(34試合)
2007 茂原岳人(日本の旗 日本 6点(34試合)
2008 J2 マラニョン(ブラジルの旗 ブラジル 9点(42試合)
2009 マラニョン(ブラジルの旗 ブラジル 19点(51試合)
2010 ハーフナー・マイク(日本の旗 日本 20点(36試合) リーグ得点王
2011 J1 ハーフナー・マイク(日本の旗 日本 17点(34試合) リーグ得点2位
2012 J2 ダヴィ(ブラジルの旗 ブラジル 32点(42試合) リーグ得点王
2013 J1 ウーゴ(ブラジルの旗 ブラジル
パトリック(ブラジルの旗 ブラジル
5点(34試合)

ハットトリック[編集]

得点数 氏名 達成日 対戦相手
J1 達成者なし
入替戦 6得点 ブラジルの旗 バレー 2005年12月10日 (第2戦)
J2 4得点 ブラジルの旗 バロン 2004年5月2日 (第9節) 水戸
3得点 ブラジルの旗ジョルジーニョ 2002年10月19日 (第38節) 福岡
日本の旗山崎光太郎 2004年6月23日 (第19節) 横浜FC
ブラジルの旗バレー 2005年5月28日 (第14節) 徳島
ブラジルの旗マラニョン 2010年4月29日 (第9節) 札幌
日本の旗ハーフナー・マイク 2010年11月7日 (第33節) 北九州
カップ戦 3得点 日本の旗須藤大輔 2007年7月7日 (準々決勝第1戦) 川崎

記念ゴール[編集]

ゴール数 氏名 達成日 対戦相手
J2 2500 ブラジルの旗ジョルジーニョ 2002年11月10日 (J2第42戦) 鳥栖
3500 ブラジルの旗バロン 2004年6月26日 (J2第20戦) 京都
8000 日本の旗大西容平 2009年10月4日 (J2第43戦) 東京V

タイトル[編集]

チームタイトルおよび個人別タイトルはリーグ戦およびカップ戦のみ記載。

チームタイトル[編集]

Jリーグ ディビジョン2:1回

個人別タイトル[編集]

旧JFLベスト11
J2得点王
Jリーグベストイレブン
  • 日本の旗 ハーフナー・マイク (2011年)
ヤマザキナビスコカップ得点王

キャンプ地[編集]

年度 地域 会場
2001 日本の旗茨城県鹿島郡波崎町[注 13] 波崎サッカーパーク
2002 日本の旗静岡県清水市[注 14] 清水ナショナルトレーニングセンター
2003
日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター
2004
2005 日本の旗静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター
2006
日本の旗宮崎県西都市 清水台総合公園多目的広場
韓国の旗ソウル水原市など 水原WCスタジアムサブグラウンドなど
2007 日本の旗静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場
韓国の旗ソウル・水原市など 水原WCスタジアムサブグラウンドなど
2008 日本の旗静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場
2009 グアムの旗グァム レオパレスリゾート
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場
2010 日本の旗和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 サイクリングターミナル陸上競技場
2011 日本の旗和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 サイクリングターミナル陸上競技場
2012 日本の旗和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場
2013 日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場
日本の旗山梨県富士吉田市 北麓公園陸上競技場
2014 日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場
日本の旗静岡県静岡市清水区 清水蛇塚スポーツグラウンド[注 15]

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 青×赤[1]
FP(2nd) [1]
GK(1st)
GK(2nd) 赤橙 赤橙 赤橙
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

チームカラー[編集]

  •      ブルー[1]     ワインレッド

ユニフォームデザイン[編集]

  • 甲府クラブ時代は武田氏赤備えをイメージする赤一色であったが、ヴァンフォーレになってからはホームは青、アウェーは白を基調としている。
  • 一時期袖部が赤一色(アウェー用は赤一色)になったり、腰部にエンブレムの武田菱が入るなどのデザイン変更がされるようになったが、現在はホーム用が青を基調に首周りや袖先・腰部が赤、アウェー用が白を基調に首周りや袖先・腰部が青である。なお、ゴールキーパー用はホームが、アウェーが赤橙を基調にしている。

ユニフォームスポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
はくばく はくばく 2001年〜2006年、
2009年〜
2007年〜2008年は背中
背中 東京エレクトロン山梨 東京エレクトロン山梨 2012年〜
アエラホーム アエラホーム 2013年〜
パンツ AERAHOME

ユニフォームサプライ[編集]

歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]

年度 背中 パンツ サプライヤー
1997 TOSHIBA - TOKYO DOME - UMBRO
1998 NTTDoCoMo DIRECTV - PENALTY
1999 - - nr(ennerre)
2000 ‐/index
2001 はくばく index Sannichi
YBS Group
2002 PRINCESS
TENKO
武田消毒
2003 DELLERBA
2004 シャトレーゼ 泉郷
2005 信玄食品
2006 NIPRO 東京エレクトロン pal*system
2007 NIPRO はくばく 東京エレクトロン UMBRO
2008
2009 はくばく 東京エレクトロン Jit ジット -
2010
2011 Mizuno
2012 東京エレクトロン山梨
2013 アエラホーム AERAHOME
2014

メディア[編集]

地元メディアによる試合中継[編集]

  • NHK甲府放送局(県域総合テレビ) - 一部は相手チームの地元局との相互放送、あるいは甲府局単独でアウェイ中継も行う。
  • 山梨放送(YBSテレビ、YBSラジオ) - ラジオは年1試合程度静岡放送SBSラジオが乗り入れる事例がある(「富士山ダービー」)。また特番『SSS~スリーエス~』としてアウェイ試合の経過速報を伝えることもある。一般的な実況中継でもアウェイに乗り込んで独自制作することがある。テレビは基本的にホーム試合で、スカパー!向け映像制作・実況も担当。
  • UTYテレビ山梨 - 年1試合程度。過去に『ウッティ発!』の時間帯でゴールデンタイムの実況中継(後半のみ)を行ったことがある。
  • NNS甲府CATV - 主にホーム試合。
  • エフエム甲府『ヴァンフォーレ甲府入れ込み実況中継』 - ホーム、アウェイとも同程度の中継回数。

その他チーム情報[編集]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 例:横浜F・マリノス=日産自動車名古屋グランパスエイト=トヨタ自動車ガンバ大阪=パナソニックなど
  2. ^ 塚田が総監督として実質的に指揮をとっていた。
  3. ^ 開幕直前の3月に自社の業務に専念という理由から退任
  4. ^ 茂原は主審に対する侮辱行為および器物破損によりナビスコ杯を含め7試合出場停止、林は出場していなかったが試合終了後の主審に対する暴言により2試合の出場停止
  5. ^ 甲府クラブ時代を含め、シーズン途中で監督を解任したのは初めて。
  6. ^ ボカ・ジュニアーズ横浜F・マリノスコンサドーレ札幌などでも歌われている。
  7. ^ 節と試合数が合わないのは当時のJ2は11チームであり、節によっては休みがあったため
  8. ^ 但し1998年まではリーグ戦でもPK戦が実施されており、京都の場合は引き分けが存在しなかった時の記録である。
  9. ^ 現在は2010年-2011年にギラヴァンツ北九州が記録した35試合未勝利。
  10. ^ 東日本大震災の影響により、2試合目として開催。
  11. ^ 2009年10月7日 J2第44節 岡山-栃木戦が615人(とりスタ)で更新するまで10年間リーグ戦最少観客記録だった。
  12. ^ このうち開幕戦は中銀スタジアムでの開催の予定であったが、平成26年豪雪の影響により国立霞ヶ丘陸上競技場へ代替開催となった。
  13. ^ 現・神栖市
  14. ^ 現・静岡市清水区
  15. ^ 当初は予定していなかったキャンプ地であるが、平成26年豪雪の影響により県内の主要練習場での練習ができないことから、急遽追加された。
出典

関連項目[編集]

外部リンク[編集]