ヴァンフォーレ甲府

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ヴァンフォーレ甲府
原語表記 ヴァンフォーレ甲府
愛称 ヴァンフォーレ,VFK
クラブカラー      ブルー[1]
創設年 1965年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン1
クラブライセンス J1
ホームタウン 甲府市[1]韮崎市[1] を中心とする山梨県全県[1]
ホームスタジアム
Vfk2009112101.jpg
山梨中銀スタジアム[1]
収容人数 17,000[1]
運営法人 株式会社ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ[1]
代表者 海野一幸[1]
監督 日本の旗 樋口靖洋
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
甲府市にあるクラブ事務所(3階および4階)
韮崎市にあるクラブハウス

ヴァンフォーレ甲府(ヴァンフォーレこうふ、Ventforet Kofu)は、日本甲府市韮崎市を中心とする山梨県全県をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。

概要[編集]

名前の由来となった風林火山の旗

1999年にJリーグへ加盟[1]。チーム名はフランス語の「Vent(風)」と「Forêt(林)」を合わせた造語で[1]戦国時代の武将の武田信玄の旗印である「風林火山」に基づいている[1]。また、母体企業を持つJリーグクラブがある[注 1] 一方で、ヴァンフォーレは特定の母体企業を持たず、地元山梨の会社などの小口スポンサーの支援を受けている。ホームタウンは、Jリーグ加盟時は「甲府市、韮崎市を中心とする30市町村」(「平成の大合併」に伴ってその後13市町村)であったが、2005年7月より「甲府市、韮崎市を中心とする山梨県全県」となった[1]

オフィシャルショップは甲府中央商店街「かすがもーる」の一角に「まちなかヴァンフォーレプラザ」があり[1]、ホームゲームのチケット販売やクラブサポーター入会受付、グッズ販売も行なっている。また、岡島百貨店6階にもグッズ販売を置いているコーナーがある[1]

ホームスタジアムは山梨中銀スタジアムである[1](詳細は#スタジアムを参照)。練習場についてはヴァンフォーレ甲府の練習場を参照のこと。

マスコットは甲斐犬をモチーフにした[1]ヴァンくん2006年6月12日より)、フォーレちゃん2009年3月1日より)である[1]

アンセムは2014年までチーム独自のものは存在せず、入場時はJリーグ公式アンセムを使用している。2015年より地元山梨出身で元レミオロメンのボーカルであった藤巻亮太制作のアンセムを使用することが決定している[2]

歴史[編集]

前身[編集]

1965年に鶴城クラブを拡大化した甲府サッカークラブが前身[1]1972年よりJSL2部1992年より旧JFLに参入。1995年ヴァンフォーレ甲府にクラブチームのままチーム名を変更した[1]

1997年-1998年 (旧JFL)[編集]

1997年

1997年に地元企業などが出資して運営会社・ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブを設立[1]。この年の旧JFLでは16位中6位に入る。

1998年

旧JFLで4位の成績を収め、バロンがリーグ2位となる31得点を挙げた。1999年よりJリーグ加盟が承認され、Jリーグ ディビジョン2(J2)に参加が決まった。またこの年の天皇杯では既にJリーグに参入しているC大阪に勝利し、この年でチームの合併消滅が決定した横浜Fに敗れている[注 2]

1999年-2005年 (J2)[編集]

1999年

ライセンスの問題からそれまで指揮をとっていた塚田雄二に代わり、勝俣進が監督に就任[注 3] した一方、バロンが市原へ移籍した。リーグ戦は開幕10試合未勝利などを喫し、最下位の成績。また、人件費抑制など経費削減に努めたものの、ユニフォームスポンサーがゼロに陥るなど広告収入が激減、さらに関心の薄さや低迷するチームが影響し、観客の伸び悩みにより3年連続の単年度赤字に陥った。

2000年

塚田が監督に復帰。リーグ戦は2年連続最下位に終わり、第4節の仙台戦の勝利を最後に第33節の新潟戦に勝利するまで6連敗と19連敗を含む26試合未勝利(後述)を記録した。また、観客動員は浦和戦を除き3,000人を超えた試合が開幕戦のみであり、1,000人を割る試合が5試合あった。登録選手は24人でうち6人がアマチュア契約、さらにプロ契約での途中退団者が発生し選手が不足したことからフィジカルトレーナーだった鶴田道弘と急遽プロ契約を結びやりくりせざるを得ない状況であった(鶴田はこのシーズンのみで再び引退)。

前年度シーズン終了直前に経営危機問題が発覚し、チームの存続が危ぶまれることとなる。

2001年

存続運動などの結果条件付で2001年の参戦が決まり、上永吉英文が強化部長に就任[注 4] するとブラジルのSEパルメイラスと提携を結び、監督のルイス・ドス・ヘイス・ゴンサルベス及び5人のブラジル人選手の無償提供を受ける。ヘイスをはじめブラジル人選手の来日が大幅に遅れるなど足並みが揃わないまま開幕を迎え、J1昇格目前の仙台にホームで勝利するなどしたが3年連続最下位の成績。また、98失点はJリーグ最多失点記録となった。経営面は3つの存続条件を全て達成すると共にJ参入3年目にして初めて単年度黒字を計上し、翌年度以降のチームの存続が決定した。なお、この年を以て甲府クラブ時代から在籍し、公務員Jリーガーとしてプレーしていた石原大助が引退。翌年以降は全選手がプロ契約のみとなる。

2002年

パルメイラスとの提携を解除し、清水エスパルスと提携を結んだ(別掲)。また、監督に大木武が就任。藤田健倉貫一毅石原克哉水越潤の活躍もあり12チーム中7位に入った。また、9月21日には[C大阪戦においてチーム初となる小瀬競技場で満員(当時は13000人収容)を記録した。また、イリュージョニストのプリンセス・テンコーがスポンサーとなり、背中部分に「PRINCESS TENKO」の文字が入った。個人がJリーグのユニフォームスポンサーになるのは中田英寿湘南)や藤原紀香横浜FC)の例があるが、テンコーはホームゲームでイリュージョンを行ったり、甲府のユニフォームを着てテレビ番組に出演するなど甲府を支援。テンコーとは2003年までスポンサー契約が続いた。

2003年

大木が監督を退任(後に清水の監督に就任)し、東京V元監督の松永英機が後任の監督に就任。松永は昨シーズンのプレースタイルを継承。倉貫、石原、水越に横浜FMなどでプレーした外池大亮を加えた中盤は安定し、さらに6月には元日本代表の小倉隆史が加入すると、藤田またはこの年湘南から移籍した須藤大輔によるツートップでチーム力は向上。結果としてJ2参入後初となるシーズン勝ち越しおよび全チームからの勝利を獲得するなど最終節で福岡に抜かれたものの5位に入った。

2004年

外池が広島へ移籍した一方、6年ぶりにバロンが復帰。小倉または山崎光太郎との2トップが機能し開幕から得点を量産。一時は2位になるなどチーム状況は良好で、前期は3位で折り返す。7月31日にバロンが退団(その後鹿島に移籍)したものの第3クールまでは昇格争いに踏み留まったが、藤田と石原が怪我により長期離脱するとチームは失速。第4クールは2勝しかできずに7位でシーズンを終了した。

2005年

大木が監督に復帰。大宮から移籍したFWバレーがこのシーズン、J2得点ランク2位の21得点を挙げる活躍。J1への自動昇格となる2位以上こそならなかったものの、仙台をかわして3位でシーズンを終えた。J1・J2入れ替え戦に連勝して、J1昇格が決まった。

2006年-2007年 (J1)[編集]

バレー(右)
2006年

昇格初年度は限られた予算の中、元日本代表の林健太郎やJFLベストイレブンの宇留野純、6年ぶりにチームへ復帰した堀井岳也、札幌などでプレーしたピジュなどを獲得した。J1初戦は清水に敗れたが、J2で通用した走るサッカーが機能し始めた3戦目の川崎戦でJ1初勝利を挙げると、バレーや途中加入の茂原岳人らの活躍で横浜FM鹿島G大阪などに勝利したが、18チーム中15位の成績。なお、7位の名古屋との勝ち点差は6(9位の横浜FMとの勝ち点差が3)であった。

2007年

バレーがG大阪へ、倉貫が京都へ、アライールヴェラノポリスECへ移籍した一方、ブラジル・コリチーバFCからFWアルベルトFC東京からDF増嶋竜也をそれぞれ期限付き移籍で獲得した。大木が新たに取り入れた戦術「クローズ」がうまく機能せず、開幕4連敗を喫し4月は3連勝などで残留争いから脱出したが、5月頃から再び連敗を重ね、第16節においてはジャッジに不満を持った茂原と試合に出場していなかった林がトラブルを起こし出場停止を受けた[注 5] 。シーズン後半にに羽地登志晃ラドンチッチの両FWを獲得し、ナビスコ杯得点王になった須藤とともに後半戦の巻き返しを図ったが、第33節で柏に1-2で敗れてJ2降格が決定した(最終順位は17位)。シーズン終了後に大木が監督を退任した。

2008年-2010年 (J2)[編集]

2008年

ヘッドコーチの安間貴義が監督に就任。茂原、増嶋、須藤などがそれぞれ移籍した一方で補強面ではジョジマール美尾敦が復帰し、前田雅文をレンタル移籍で獲得した。リーグ戦は開幕から5戦未勝利を喫するなど、前半戦21試合を終えてわずか5勝で11位に低迷。7月にサーレスマラニョンの2人のブラジル人FWを期限付きで獲得。急成長した大西容平とともに活躍したが、上位チームに勝てないという勝負弱さは最後まで改善されず、最終順位は7位。なお、10月に元大宮監督の佐久間悟ゼネラルマネージャーに就任した。

2009年

主力FW陣を大量放出し、かわりにマラニョンの完全移籍へ移行と金信泳森田浩史の各FWを獲得。守備陣はGK荻晃太、DFダニエルの2人をレンタル移籍で獲得した。リーグ戦は第1クールを4位で折り返し、6月に岐阜から片桐淳至を、更に広島に在籍し9得点を挙げたガウボンの両FWを完全移籍で獲得した。リーグ戦は最終的に湘南と3位を争ったが、直接対決で敗れ、湘南と勝ち点1差の4位でシーズンを終了した。

この年、伸び悩んでいる若手の人材を育成するため、山梨学院大学と提携を結び、選手間の相互交流を行なうことになった[3]

2010年

安間が退任し、前年にヘッドコーチをしていた内田一夫が監督に就任。林健太郎とGK阿部謙作が引退、森田と長年チームに在籍した杉山新が退団した一方、横浜FM(前年は鳥栖に在籍)からハーフナー・マイク、元京都のパウリーニョを完全移籍で獲得した。開幕直前に戦術を急遽変更したことから最初の4戦は1勝1分2敗であったが、その後攻撃陣が機能するようになり第13節で2位に浮上するとそのまま順位を維持。第34節の栃木SC戦に勝利し、4年ぶりのJ1復帰を決めた。J2シーズンは前回昇格した2005年より上の2位の成績を収めた。また、ハーフナーが20得点を挙げチーム初となるJ2得点王を獲得した。

2011年 (J1)[編集]

「J1での戦い方の経験不足」など総合的な理由で内田との契約を打ち切り、守備強化を目的に三浦俊也が大木以来の外部招聘となる監督に就任。藤田健秋本倫孝、マラニョン(レンタル移籍)などが退団した一方、清水から共に元日本代表のMF伊東輝悦とDF市川大祐のなどのベテラン選手を中心に獲得した。しかし元々攻撃的なパスサッカー中心の甲府にあって、三浦の採ったゾーンディフェンスからなる守備重視の戦術は全く機能せず、連敗と大量失点を重ね、7月に三浦を解任[注 6]。GMの佐久間が後任の監督に就任。ハーフナー、パウリーニョ、片桐、井澤惇らを中心にチームを立て直し、7月には元札幌のダヴィ、元磐田の金珍圭を獲得。ハーフナーが得点を量産したものの、最終節で大宮に敗れて降格が決定した。

シーズン終了後、ハーフナーには藤田、秋本らの放出や三浦の招聘といったチーム作りの方針を批判され[4]、佐久間は補強した選手の質に問題があったと述べた[5]。なお、ハーフナーが8月にクラブ初となる日本代表へ選出され、10月11日の2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選タジキスタン戦で2得点を挙げてクラブ初のA代表戦での得点者となった。

2012年 (J2)[編集]

佐久間がGMに戻り、元FC東京監督の城福浩が監督に就任。ハーフナー、パウリーニョ、ダニエル、市川ら主力選手が退団した一方で浦和からFW高崎寛之広島からDF盛田剛平東京VからDF福田健介らが加入した。14年目にして初めて開幕戦に勝利(後述)すると昨季シーズン途中に加入しながらも無得点に終わったダヴィが開幕戦から得点を量産。ダヴィへのマークが厳しくなり、他の選手が得点力不足に陥ったことにより、第13節ホーム京都戦で0-3と敗れ8位後退、第19節までこの年から導入されたJ1昇格プレーオフ参加資格となる6位前後を彷徨っていたが、城福が取り入れたムービングフットボールが機能し始め、またシーズン途中にガンバ大阪や清水など複数のJチームでプレーしていたフェルナンジーニョが加入しマークが分散するようになったことでチームは再び調子を取り戻し、第25節アウェー千葉戦、第26節ホーム東京V戦と2戦連続で首位のチームに勝利しチーム史上初の首位に躍り出る。第19節以降それまで、首位に立ったチームがいずれも1節で首位を明け渡し、毎節首位が入れ替わる混戦が続いていたが、甲府が首位に浮上して以降はシーズン終了まで1度も首位の座を明け渡さず、第38節・湘南戦に引き分けたことで3度目のJ1昇格(1年でのJ1復帰)を、第39節・福岡戦に3-2で勝利し、J2優勝を決めた。ヴァンフォーレ甲府としては勿論、甲府クラブ時代を含め「全国規模のリーグ戦」で優勝したのは初めてである。第18節ホーム千葉戦で敗れた後、第19節アウェー水戸戦での勝利から最終節アウェー京都戦までJ2記録となる24戦無敗(後述)でシーズンを終えた。

2013年- (J1)[編集]

2013年

ダヴィ、フェルナンジーニョ、高崎、永里源気片桐淳至らが退団した一方、東京Vから土屋征夫平本一樹横浜FMから青山直晃から水野晃樹を完全移籍で、FC東京から羽生直剛をレンタルで獲得した。一方で外国人補強は「決定的な力を持った外国人ストライカーの獲得については現時点では至らなかった」(佐久間GM)[6] と言う通りレニーウーゴといった未知数の選手で挑むことになったが、レニーは開幕前に契約解除、ウーゴも7月を以て契約解除(その後熊本に移籍)となった。さらに昨年から唯一残ったドウグラスも開幕数試合で解除、レニーに代わり獲得した元パラグアイ代表オルティゴサもチームの方針と合わず中断期間中の6月に解除と外国人が次々と入れ替わり、中断期間中に方針の定まらないチーム状況に対しGMが現場に説明する事態になった[7]。シーズン途中からJリーグの経験のある外国人選手の獲得に転換し、5月に元磐田マルキーニョス・パラナ、7月に元磐田のジウシーニョを獲得、また川崎からパトリックをレンタル移籍させた。

開幕から第10節まで3勝5分2敗で推移していたが、上述の外国人の度重なる入れ替えや極度の得点力不足により、第11節清水戦の敗戦以降コンフェデレーションズカップによる中断を挟んで8連敗を喫し、第18節終了時には降格圏の16位まで転落する。しかし、第19節以降はパトリック、ジウシーニョの加入と新たに採用した山本、佐々木、青山による3バックシステムにより守備が安定したことによって5勝8分3敗と持ち直し、最終的に16位の湘南と勝ち点12差の15位でシーズンを終了、2006年以来のJ1残留を果たした。ナビスコ杯は予選リーグで敗退。天皇杯は準々決勝で広島にPK戦で敗れチーム記録タイのベスト8となった。

2014年

柏が広島へ、伊東がAC長野パルセイロへ移籍。またパトリックが退団し、平本、羽生、河田晃兵とのレンタル契約を終了した。新戦力は名古屋から阿部翔平ザルツブルクからクリスティアーノ(昨シーズンは栃木SCに在籍)、チョンブリーFCからインドネシア代表イルファンを補強。シーズン中には畑尾大翔VfRアーレンから阿部拓馬札幌湘南に在籍していたキリノ[8] を補強した。また、来年より、神奈川大学の伊藤純也が特別指定選手として加入することが決まり、特別指定選手として登録をした。

開幕前のキャンプ中に山梨県全体を平成26年豪雪が襲い、県内の練習場が使えなくなったうえ開幕戦を国立競技場に振り替えざるを得なくなるなど苦しい状況から始まる。それでも堅守とFWとして再契約された盛田の活躍などによりブラジルW杯前は残留圏内に位置していたが先述の豪雪や商標権問題の解決による支払金の影響によりW杯期間中の中断ではキャンプを短縮せざるを得なくなり、再開後第15節から第22節まで8戦未勝利(5分3敗)と降格圏まで陥落。しかし9月に入り第23節の鳥栖戦で9試合ぶりの勝利を挙げると第29節まで2勝3分2敗と持ち直し、第30節の川崎戦に勝利し降格圏から脱出すると続けてC大阪と広島にも勝利。他の残留争いのチームが伸び悩んだこともあり第32節終了時点でJ1残留が決定し、最終順位は過去最高の13位。ナビスコ杯は3勝したものの予選リーグで敗退。天皇杯はベスト16でJ2の北九州に2年連続でPK戦で敗退。

2015年

チーム初となる連続3シーズン目。前年を以て城福が退任。樋口靖洋が新監督に就任した[9]


チームスローガン[編集]

年度 スローガン 年度 スローガン
1999 修業無限 2009 ICHIGAN
~共に戦い、共に喜ぶ~
2000 一蹴りごとに、心を込めて。
※心は「ハート」と読む。
2010 ICHIGAN
-Try Again-
2001 EVOLUTION 2011 団結、挑戦、飛躍
~ここから続く、喜びのために~
2002 Action&Reaction! 2012 move
~原点からの挑戦~
2003 1mm1cmの努力 2013 move
~プロヴィンチアの挑戦~
2004 未知への挑戦!
〜1mm1cmの努力〜
2014 飛躍
~プロヴィンチアの挑戦~
2005 One Play One Game
2006 Explore J1
〜探検J1〜
2007 Decision & Doing
〜決断&実行〜
2008 Feel
〜感じる〜

各記録[編集]

19連敗(26戦未勝利)[編集]

2000年の甲府は第4節の仙台戦(小瀬、1-0)の勝利を最後に連敗を続け、第33節の新潟戦(新潟市陸、1-0)に勝利するまで26戦勝利から遠ざかっていた[注 7]。このうち引き分けたのが第11節の鳥栖戦のみであり、残りの25戦はすべて負けていたことから当時の連敗カウントは「25連敗」であった。その後「連勝・連敗は引き分けを挟まない[10]」というルールに改定され、過去の記録もこれが適用されたことから現在は「6連敗の後1分けを挟み19連敗」となっている。19連敗に減ったとはいえ、この記録はJ2はもちろんのことJリーグ全体を見ても1996年に京都が記録した17連敗[注 8] を上回る記録である。また、第4節が3月30日、第33節が9月15日開催であったことから実に5か月半勝利から遠ざかっていたことになる。

その後未勝利記録は2003年にサガン鳥栖が更新(シーズン単体で28試合、翌年甲府に勝利するまで30試合まで継続)した[注 9] が、連敗記録は現在も破られていない。

未勝利(連敗記録)中のスコア
スコア スコア
5 浦和(駒場)1-3● 19 水戸(ひたちなか)0-2●
6 大分(小瀬)1-3● 20 湘南(小瀬)1-2●
7 山形(鶴岡)2-4● 21 大宮(大宮)0-1●
8 水戸(韮崎中央)0-3● 22 鳥栖(小瀬)0-1●
9 湘南(平塚)0-3● 23 仙台(小瀬)1-2●
10 大宮(小瀬)1-2● 24 浦和(駒場)0-3●
11 鳥栖(鳥栖)1-1△ 25 大分(小瀬)2-3●
13 札幌(厚別)1-2● 26 山形(山形市陸)1-4●
14 新潟(小瀬)1-3● 27 水戸(北麓)0-1●
15 仙台(仙台)1-3● 28 湘南(平塚)2-4●
16 浦和(小瀬)0-3● 29 大宮(小瀬)1-2●延長
17 大分(佐伯市陸)0-2● 30 鳥栖(鳥栖)0-3●
18 山形(小瀬)1-4● 32 札幌(小瀬)0-2●

24試合連続無敗[編集]

2012年の甲府は第18節の千葉戦(中銀スタ、0-2)を最後に以降シーズン終了まで24試合負けることがなかった[11]。これまでの記録は2010年に柏が記録した19試合連続無敗であり、甲府はこの記録を5試合上回ることになる[12]。無敗記録中の成績は16勝8分であり、うち12試合が1点差勝利である。さらに32節、35節、36節の3試合は後半ロスタイムで逆転勝利を挙げるなど接戦には非常に強かった。

なお、上述の通り19連敗の記録は保持されていることから、甲府はJ2における連敗記録と無敗記録という両方の記録を持つことになった。

無敗記録中のスコア
スコア スコア
19 水戸(K'sスタ)3-1○ 31 横浜FC(中銀スタ)2-1○
20 富山(中銀スタ)4-1○ 32 大分(大銀ドーム)2-1○
21 岡山(カンスタ)1-1△ 33 岡山(中銀スタ)1-0○
22 岐阜(中銀スタ)0-0△ 34 鳥取(中銀スタ)1-1△
23 町田(町田市陸)1-0○ 35 北九州(本城)3-2○
24 松本(中銀スタ)2-1○ 36 栃木SC(グリスタ)2-1○
25 千葉(フクアリ)1-0○ 37 徳島(中銀スタ)3-2○
26 東京V(中銀スタ)3-1○ 38 湘南(中銀スタ)2-2△
27 草津(正田スタ)2-1○ 39 福岡(レベスタ)3-2○
28 水戸(中銀スタ)1-0○ 40 愛媛(ニンスタ)0-0△
29 富山(富山)1-1△ 41 熊本(中銀スタ)2-0○
30 山形(中銀スタ)0-0△ 42 京都(西京極)0-0△

開幕戦未勝利[編集]

1999年のJリーグ参入以来、2011年に至るまで開幕戦に勝てないジンクスがあった。参入初戦の大宮アルディージャ戦(韮崎中央、1-2)以来開幕戦4連敗で、初勝ち点は2003年のサガン鳥栖戦(小瀬、1-1)である。2011年までの成績は5分8敗で、2011年の時点で開幕戦未勝利は2009年以前にJリーグへ参入した36チームの中では唯一の記録であった(他に未勝利なのは2010年参入のギラヴァンツ北九州と2011年参入のガイナーレ鳥取のみ)。また、2戦目勝利およびホーム開幕戦勝利も11年目の2009年にようやく達成(第2節FC岐阜戦(長良川、1-0)、第3節コンサドーレ札幌(小瀬、2-1))するなど開幕当初は調子が上がらないことが多い。

参入14年目となる2012年開幕戦の栃木SC戦(中銀スタ)で2-1とJ参入後初勝利を挙げ、同時に未勝利記録は13でストップした。

Jリーグ参入後、開幕戦初勝利までの記録
年度 Div. スコア 年度 Div. スコア
1999 J2 大宮 (韮崎中央) 1-2● 2006 J1 清水 (小瀬) 0-2●
2000 J2 札幌 (小瀬) 0-3● 2007 J1 横浜FM (日産) 0-1●
2001 J2 川崎 (等々力) 1-3● 2008 J2 岐阜 (小瀬) 1-1△
2002 J2 横浜FC (三ツ沢球) 2-3● 2009 J2 岡山 (桃スタ) 0-0△
2003 J2 鳥栖 (小瀬) 1-1△ 2010 J2 福岡 (レベスタ) 1-3●
2004 J2 札幌 (札幌D) 2-2△ 2011 J1 磐田 (中銀スタ) 0-1●
2005 J2 札幌 (小瀬) 2-2△ 2012 J2 栃木SC (中銀スタ) 2-1○

スタジアム[編集]

2013年J1第14節 ヴァンフォーレ甲府vs浦和レッズ戦。浦和戦の場合小瀬競技場(山梨中銀スタジアム)では収容し切れないため、国立競技場で開催していた。
Jリーグ参入後、初めてホームゲームを開催した韮崎中央公園陸上競技場。
2003年から2006年まで年1試合ホームゲームを開催していた長野県松本平広域公園総合球技場。

県内ではJリーグ参入から一貫して小瀬陸上競技場(山梨中銀スタジアム)での開催であるが、加盟当初の1999年および2000年は日本陸連・山梨陸連との日程調整の都合で開催できない日があったため、週末に行うべき試合をある平日のナイターに移動させたり、また日程の都合がつかなければ韮崎市(韮崎中央公園陸上競技場)や富士吉田市(富士北麓公園陸上競技場)に変更させたりした。しかし韮崎、北麓ともJリーグ開催基準を満たしていないスタジアムであることから、2001年以降は同県で唯一リーグの基準を満たす小瀬のみに会場を絞っている。

県外の開催は2003年から2006年の間、松本市(長野県松本平広域公園総合球技場)で年1試合開催していた。松本での開催では小瀬競技場改修による代替だった2004年を除きダービーマッチと銘打ち様々なイベントが行われていた。但し2012年よりJリーグに参入した松本山雅FCは当スタジアムがホームグラウンドであるため、今後は特殊な事由を除き松本での開催は不可能である。

また、2006年の浦和レッドダイヤモンズ戦で小瀬競技場の定員一杯の観客動員(17,000人)に達し、これ以上の収容が不可能であることから2007年以降の浦和戦は国立霞ヶ丘陸上競技場でホームゲームを開催している。2014年も国立では浦和戦1試合を主催する予定だったが、シーズン開幕戦2週間前に山梨県地方を襲った記録的大雪により、山梨県小瀬スポーツ公園陸上自衛隊の拠点として使用されたことなどもあり、陸上競技場の除雪作業、および試合への使用が難しいと判断され[13]、同年2月21日に当初開幕戦としてヴァンフォーレが主管する予定であった鹿島アントラーズ戦の会場を国立競技場に変更することを決定[14]、同年は国立競技場で2試合開催することになった。なお、この年の浦和戦を最後に現国立競技場を解体し新国立競技場の建設に着手、また竣工後も2019 ラグビーワールドカップ2020年夏季オリンピックなどがあることから当面の間は国立での開催も不可能となる。

甲府クラブ時代および旧JFL時代は甲府クラブ時代のホームグラウンドでもあった甲府市緑が丘スポーツ公園サッカー場、解体後は同公園にある陸上競技場でも試合を開催していた。しかしJリーグ参入後は陸上競技場は練習場の一部開催に留まり、現在は練習場としても原則使用されていない。

新スタジアム構想[編集]

現在使用している小瀬陸上競技場(山梨中銀スタジアム)は改修を行なっているとはいえ竣工から30年が経過し、特に竣工時からメインスタンドはそのままであることから経年劣化が著しい状態である。また、元々がかいじ国体時に建設された国体用競技場であり、スタンドとピッチの間にトラックがあるなど改修を続けてきたとはいえサッカーを観戦するには良好とは言い難い状況である。さらにJリーグクラブライセンス制度ではB基準として「スタジアムに観客席の3分の1以上に屋根があること」(さらにC基準として「観客席全体に屋根があること」)が求められているが、小瀬(中銀)にはメインスタンドのごく一部のみに屋根があるだけでB基準すら達していないのが現状である。これに関して当時の鬼武健二チェアマンは「中央新幹線の甲府駅予定地にサッカー専用スタジアムを併設する」という夢構想を明かし[15]、海野会長も2010年の昇格報告会で「陸上競技場でサッカーを見るのは、オペラを体育館で見るようなもの」とし、県に対して専用スタジアムの建設を要望。県は土地代を含めて100億円以上の費用が掛かることを懸念しつつ検討すると回答した[16]

その後吹田市立スタジアム(仮称)や北九州市立スタジアム(仮称)、南長野運動公園総合球技場など他のJリーグクラブでも専用スタジアムの建設が進行していることや、クラブも念願のクラブハウス確保が達成し次のステップとして専用スタジアムの確保に切り替えたこと、さらに県も山梨県議会議員が全国のサッカー競技場を視察のうえ議会で提言したり、2020年夏季オリンピック東京開催が決定しそれに関連して県内にサッカーやラグビー競技のキャンプ地として使用可能なスポーツ施設の建設を検討するなど[17]ラグビー兼用ではあるが専用スタジアムの建設着手に前向きな動きを見せている。

2014年4月25日、ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブや県ラグビー協会、県アメリカンフットボール協会など4団体は山梨県に総合球技場建設を陳情し、署名活動を開始[17]。同年9月12日に海野会長らは村井満チェアマンと共に山梨県庁を訪れ、9万5627筆の署名を提出。村井チェアマンは「是非ご配慮、ご検討お願いします」と横内正明知事に要請した。これに対し翌年2月を以て退任する横内知事は「次の知事が決定しやすいよう私のいる間に予算や場所など検討はしっかりやっておきたい」と述べている[18]

ホームゲーム入場者数[編集]

最多入場者試合[編集]

J1
  • 2006年7月29日 第16節 浦和戦 17,000人 (小瀬)
  • 2007年8月18日 第21節 浦和戦 36,756人 (国立)
J2
  • 2009年11月21日 第49節 湘南戦 16,844人 (小瀬)
  • 2003年8月30日 第30節 新潟戦 13,043人 (松本)

最少入場者試合[編集]

J1
  • 2011年4月23日 第7節[注 10] 神戸戦 6,893人 (中銀)
  • 2014年3月1日 第1節 鹿島戦 13,809人 (国立)
J2
  • 2000年6月11日 第18節 山形戦 724人 (小瀬)
  • 1999年9月10日 第25節 FC東京戦 619人[注 11] (韮崎中央)


年度別入場者数[編集]

     J1      J2

年度 合計
入場者数
最多
入場者
最少
入場者数
平均
入場者数
ホーム
試合数
会場 1試合平均入場者数/総入場者数 備考
小瀬 その他
1999 26,450 3,807 619 1,469 18 14 韮崎4
Jリーグ参入。
2000 37,004 6,005 724 1,850 20 17 北麓2
韮崎1
2001 68,850 5,541 1,508 3,130 22 22
県内の試合を小瀬一本に絞る。
2002 108,108 13,000 3,047 4,914 22 22
県外初開催。
2003 127,515 13,043 2,382 5,796 22 21 松本1
2004 140,141 10,121 2,401 6,370 22 21 松本1
2005 152,491 14,234 4,903 6,931 22 21 松本1
小瀬増築開始。工事期間中サイドおよびバック上段を閉鎖。
(10月にサイドスタンド増築完了により開放)
2006 207,629 17,000 8,025 12,213 17 16 松本1
小瀬増築完了(開幕戦のみバックスタンド工事中)
2007 233,476 36,756 8,373 13,734 17 16 国立1
国立初開催。
2008 217,428 14,521 7,267 10,354 21 21
2009 276,463 16,844 5,582 11,059 25 25
2010 223,309 16,431 10,163 12,406 18 18
2011 205,808 21,589 6,893 12,106 17 16 国立1
命名権導入。「小瀬陸上競技場」から「山梨中銀スタジアム」に変更。
2012 218,539 16,643 6,161 10,407 21 21
2013 214,441 28,906 7,754 12,614 17 16 国立1
2014 206,904 36,505 5,416 12,171 17 15 国立2
[注 12]
2015              
2,458,748 8,168 301
小瀬:小瀬陸上競技場(2011年より山梨中銀スタジアム)、国立:国立霞ヶ丘陸上競技場、松本:長野県松本平広域公園総合球技場(アルウィン)
韮崎:韮崎中央公園競技場、北麓:富士北麓競技場

入場者数上位[編集]

順位 所属 日時 会場 対戦相手 入場者数 備考 所属 日時 会場 対戦相手 入場者数 備考
1 J1 2007年8月18日 国立 浦和 36,756 J2 2009年11月21日 小瀬 湘南 16,844
2 2014年5月6日 国立 浦和 36,505 2012年10月14日 中銀 湘南 16,643
3 2013年7月6日 国立 浦和 28,906 2010年6月12日 小瀬 千葉 16,431
4 2011年8月20日 国立 浦和 21,589 2010年5月5日 小瀬 15,600
5 2006年7月29日 小瀬 浦和 17,000 2009年9月23日 小瀬 仙台 15,076
6 2007年5月3日 小瀬 横浜FC 16,279 2008年5月6日 小瀬 横浜FC 14,521
7 2006年10月1日 小瀬 G大阪 15,462 2005年10月1日 小瀬 横浜FC 14,234
8 2006年5月3日 小瀬 F東京 15,427 2012年7月15日 中銀 松本 14,150
9 2011年11月3日 中銀 横浜FM 15,315 2009年7月18日 小瀬 C大阪 13,580
10 2007年11月18日 小瀬 大宮 15,151 2008年3月9日 小瀬 岐阜 13,211

成績[編集]

チーム記録[編集]

最多得点試合[編集]

Div. H & A スコア 試合日 対戦相手
J1 ホーム 4-3 2007年第5節 (4月7日) ヴィッセル神戸
4-3 2011年第23節 (7月16日) ガンバ大阪
アウェー 4-0 2011年第29節 (10月15日) セレッソ大阪
J2 ホーム 6-1 2004年第19節 (6月23日) 横浜FC
6-0 2009年第23節 (6月24日) アビスパ福岡
6-0 2010年第33節 (11月7日) ギラヴァンツ北九州
アウェー 5-1 2003年J2第6節 (4月12日) 横浜FC

最多失点試合[編集]

Div. H & A スコア 試合日 対戦相手
J1 ホーム 1-6 2007年第14節 (6月10日) ジュビロ磐田
アウェー 1-5 2006年第17節 (8月12日) 名古屋グランパスエイト
0-5 2007年第29節 (10月21日) ガンバ大阪
1-5 2013年第12節 (5月18日) サンフレッチェ広島
J2 ホーム 3-5 1999年第25節 (9月10日) FC東京
1-5 2001年第26節 (8月14日) サガン鳥栖
アウェー 1-6 1999年第4節 (4月4日) アルビレックス新潟
0-6 1999年第9節 (5月2日) コンサドーレ札幌

最多連勝記録[編集]

J1リーグ戦
3連勝 (2007年第7節(4月21日)から第9節(5月3日))
J2リーグ戦
6連勝 (2012年第23節(7月8日)から第28節(8月12日))

最多連敗記録[編集]

J1リーグ戦
8連敗 (2013年第11節(5月11日)から第18節(7月31日))
J2リーグ戦
19連敗 (2000年第13節(5月18日)から第32節(9月11日))

個人記録[編集]

通算最多出場者[編集]

通算はリーグ戦とカップ戦(天皇杯ナビスコ杯)のみ。プレシーズンマッチ、引退試合、練習試合などは省略する。

  • 通算
491試合 - 日本の旗 石原克哉 (初出場2001年4月21日 vs.横浜FC戦)
  • リーグ戦
446試合 - 日本の旗 石原克哉

通算出場試合上位[編集]

JリーグのJ1・J2リーグ戦のみ。太字は2014年シーズン終了時点での在籍選手。記録は2014年12月8日現在。

選手名 出場試合数 在籍期間 備考
1 石原克哉日本の旗 日本 446試合 2001- リスト・オブ・ワン・クラブ・マン資格あり。
2 山本英臣日本の旗 日本 380試合 2003-
3 藤田健(日本の旗 日本 354試合 2001-2010
4 倉貫一毅(日本の旗 日本 246試合 2000-2006
5 池端陽介(日本の旗 日本 218試合 2002-2010
6 杉山新(日本の旗 日本 217試合 2003-2009
7 荻晃太日本の旗 日本 177試合 2009- GK最多。
8 阿部謙作(日本の旗 日本 155試合 2003-2009 2005年はシーズン途中まで神戸在籍。
9 秋本倫孝(日本の旗 日本 151試合 2005-2010
10 土橋宏由樹(日本の旗 日本 148試合 1999-2005
参考

通算最多得点[編集]

  • 41得点 - 日本の旗 藤田健 (初出場:2001年3月17日 vs.湘南戦)

最多連続得点試合[編集]

  • 5試合
    • ブラジルの旗 バレー (2005年J2第11節(5月7日)から第15節(6月4日))
    • ブラジルの旗 ダヴィ (2012年J2第35節(9月23日)から第39節(10月21日))

シーズン最多得点[編集]

J1リーグ戦
17得点 - 日本の旗 ハーフナー・マイク (2011年)
J2リーグ戦
32得点 - ブラジルの旗 ダヴィ (2012年)

通算チーム得点上位[編集]

2011シーズン終了時点。得点数はリーグ戦のみ。

選手名 得点数 在籍期間 備考
1 藤田健(日本の旗 日本 41得点 2001-2010
2 ハーフナー・マイク(日本の旗 日本 37得点 2010-2011
2 マラニョン(ブラジルの旗 ブラジル 37得点 2008-2010
4 バレー(ブラジルの旗 ブラジル 35得点 2005-2006 入れ替え戦の7得点を除く
5 ダヴィ(ブラジルの旗 ブラジル 32得点 2011-2012

年度別チーム得点王[編集]

年度 リーグ チーム得点王 得点(試合数) 備考
1999 J2 大柴克友(日本の旗 日本
堀井岳也(日本の旗 日本
7点(36試合)
2000 金晃正(韓国の旗 韓国 5点(40試合)
2001 太田圭輔(日本の旗 日本 11点(44試合)
2002 鶴見智美(日本の旗 日本
影山由高(日本の旗 日本
8点(44試合)
2003 小倉隆史(日本の旗 日本 10点(44試合)
2004 バロン(ブラジルの旗 ブラジル 14点(44試合)
2005 バレー(ブラジルの旗 ブラジル 21点(44試合) リーグ得点2位
2006 J1 バレー(ブラジルの旗 ブラジル 14点(34試合)
2007 茂原岳人(日本の旗 日本 6点(34試合)
2008 J2 マラニョン(ブラジルの旗 ブラジル 9点(42試合)
2009 マラニョン(ブラジルの旗 ブラジル 19点(51試合)
2010 ハーフナー・マイク(日本の旗 日本 20点(36試合) リーグ得点王
2011 J1 ハーフナー・マイク(日本の旗 日本 17点(34試合) リーグ得点2位
2012 J2 ダヴィ(ブラジルの旗 ブラジル 32点(42試合) リーグ得点王
2013 J1 ウーゴ(ブラジルの旗 ブラジル
パトリック(ブラジルの旗 ブラジル
5点(34試合)
2014 J1 クリスティアーノ(ブラジルの旗 ブラジル
盛田剛平(日本の旗 日本
5点(34試合)

ハットトリック[編集]

得点数 氏名 達成日 対戦相手
J1 達成者なし
入替戦 6得点 ブラジルの旗 バレー 2005年12月10日 (第2戦)
J2 4得点 ブラジルの旗 バロン 2004年5月2日 (第9節) 水戸
3得点 ブラジルの旗ジョルジーニョ 2002年10月19日 (第38節) 福岡
日本の旗山崎光太郎 2004年6月23日 (第19節) 横浜FC
ブラジルの旗バレー 2005年5月28日 (第14節) 徳島
ブラジルの旗マラニョン 2010年4月29日 (第9節) 札幌
日本の旗ハーフナー・マイク 2010年11月7日 (第33節) 北九州
カップ戦 3得点 日本の旗須藤大輔 2007年7月7日 (準々決勝第1戦) 川崎

記念ゴール[編集]

ゴール数 氏名 達成日 対戦相手
J2 2500 ブラジルの旗ジョルジーニョ 2002年11月10日 (J2第42戦) 鳥栖
3500 ブラジルの旗バロン 2004年6月26日 (J2第20戦) 京都
8000 日本の旗大西容平 2009年10月4日 (J2第43戦) 東京V

タイトル[編集]

チームタイトルおよび個人別タイトルはリーグ戦およびカップ戦のみ記載。

チームタイトル[編集]

Jリーグ ディビジョン2:1回

個人別[編集]

キャンプ地[編集]

年度 地域 会場
2001 日本の旗茨城県鹿島郡波崎町[注 13] 波崎サッカーパーク
2002 日本の旗静岡県清水市[注 14] 清水ナショナルトレーニングセンター
2003
日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター
2004
2005 日本の旗静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター
2006
日本の旗宮崎県西都市 清水台総合公園多目的広場
韓国の旗ソウル水原市など 水原WCスタジアムサブグラウンドなど
2007 日本の旗静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場
韓国の旗ソウル・水原市など 水原WCスタジアムサブグラウンドなど
2008 日本の旗静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場
2009 グアムの旗 グアム レオパレスリゾート
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場
2010 日本の旗和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 サイクリングターミナル陸上競技場
2011 日本の旗和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 サイクリングターミナル陸上競技場
2012 日本の旗和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場
2013 日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場
日本の旗山梨県富士吉田市 北麓公園陸上競技場
2014 日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター
日本の旗宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場
日本の旗静岡県静岡市清水区 清水蛇塚スポーツグラウンド[注 15]
日本の旗静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター

下部組織[編集]

アカデミー[編集]

  • ヴァンフォーレ甲府U-18
  • ヴァンフォーレ甲府U-15
  • ヴァンフォーレ甲府U-12

タイトル[編集]

U-15

  • デベロップカップ:2011

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) [1] [1] [1]
FP(2nd) [1] [1] [1]
GK(1st)
GK(2nd) 水色 水色 水色
GK(3rd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

チームカラー[編集]

  •      ブルー[1]

ユニフォームデザイン[編集]

  • 甲府クラブ時代は武田氏赤備えをイメージする赤一色であったが、ヴァンフォーレになってからはホームは青、アウェーは白を基調としている。
  • 当初ホームユニフォームは青と一部分が白であったが、2003年からは甲府クラブ時代の基調であった赤色が入るようになった。当初は袖部が赤色一色で、2006年は腰部に移動し菱形がちりばめられていた。アンブロ時代は肩の一部分と縮小したが、ミズノになった後は2011年から2012年は縦のストライプ、2013年からは横ストライプになっている。

ユニフォームスポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
はくばく はくばく 2001年-2006年、
2009年-
2007年-2008年は背中
背中 東京エレクトロン山梨 東京エレクトロン山梨 2012年-
アエラホーム アエラホーム 2013年-
パンツ AERAHOME

ユニフォームサプライの遍歴[編集]

歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]

年度 背中 パンツ サプライヤー
1997 TOSHIBA - TOKYO DOME - UMBRO
1998 NTTDoCoMo DIRECTV - PENALTY
1999 - - nr(ennerre)
2000 ‐/index
2001 はくばく index Sannichi
YBS Group
2002 PRINCESS
TENKO
武田消毒
2003 DELLERBA
2004 シャトレーゼ 泉郷
2005 信玄食品
2006 NIPRO 東京エレクトロン pal*system
2007 NIPRO はくばく 東京エレクトロン UMBRO
2008
2009 はくばく 東京エレクトロン Jit ジット -
2010
2011 Mizuno
2012 東京エレクトロン山梨
2013 アエラホーム AERAHOME
2014

メディア[編集]

地元メディアによる試合中継[編集]

  • NHK甲府放送局(県域総合テレビ) - 一部は相手チームの地元局との相互放送、あるいは甲府局単独でアウェイ中継も行う。
  • 山梨放送(YBSテレビ、YBSラジオ) - ラジオは年1試合程度静岡放送SBSラジオが乗り入れる事例がある(「富士山ダービー」)。また特番『SSS~スリーエス~』としてアウェイ試合の経過速報を伝えることもある。一般的な実況中継でもアウェイに乗り込んで独自制作することがある。テレビは基本的にホーム試合で、スカパー!向け映像制作・実況も担当。
  • UTYテレビ山梨 - 年1試合程度。過去に『ウッティ発!』の時間帯でゴールデンタイムの実況中継(後半のみ)を行ったことがある。
  • NNS甲府CATV - 主にホーム試合。
  • エフエム甲府『ヴァンフォーレ甲府入れ込み実況中継』 - ホーム、アウェイとも同程度の中継回数。

その他チーム情報[編集]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 例:横浜F・マリノス=日産自動車名古屋グランパスエイト=トヨタ自動車ガンバ大阪=パナソニックなど
  2. ^ この対戦があることから、「公式戦においてJリーグ初年度に参入したオリジナル10全チームとの対戦経験がある」ことになる。なお、オリジナル10で最後に対戦したのは2006年第12節のガンバ大阪である。
  3. ^ 塚田が総監督として実質的に指揮をとっていた。
  4. ^ 開幕直前の3月に自社の業務に専念という理由から退任
  5. ^ 茂原は主審に対する侮辱行為および器物破損によりナビスコ杯を含め7試合出場停止、林は出場していなかったが試合終了後の主審に対する暴言により2試合の出場停止
  6. ^ 甲府クラブ時代を含め、シーズン途中で監督を解任したのは初めて。
  7. ^ 節と試合数が合わないのは当時のJ2は11チームであり、節によっては休みがあったため
  8. ^ 但し1998年まではリーグ戦でもPK戦が実施されており、京都の場合は引き分けが存在しなかった時の記録である。
  9. ^ 現在は2010年-2011年にギラヴァンツ北九州が記録した35試合未勝利。
  10. ^ 東日本大震災の影響により、2試合目として開催。
  11. ^ 2009年10月7日 J2第44節 岡山-栃木SC戦が615人(とりスタ)で更新するまで10年間でのJ2リーグ戦最少観客記録だった。
  12. ^ このうち開幕戦は中銀スタジアムでの開催の予定であったが、平成26年豪雪の影響により国立霞ヶ丘陸上競技場へ代替開催となった。
  13. ^ 現・神栖市
  14. ^ 現・静岡市清水区
  15. ^ 当初は予定していなかったキャンプ地であるが、平成26年豪雪の影響により県内の主要練習場での練習ができないことから、急遽追加された。
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab クラブガイド:ヴァンフォーレ甲府”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年5月30日閲覧。
  2. ^ クラブ創立50周年記念企画「ヴァンフォーレ甲府アンセム」制作アーティスト藤巻亮太さんに決定および「歌詞・フレーズ(クラブへの想い)」募集のお知らせ”. ヴァンフォーレ甲府公式. 2014年10月31日閲覧。
  3. ^ ~山梨学院大とヴァンフォーレ甲府が業務提携~(山梨学院大学公式)
  4. ^ ハーフナー甲府退団へ「チームをぶっ壊す意味が分からない」 スポーツニッポン,2011年12月3日
  5. ^ 【J1:第34節 大宮 vs 甲府】甲府側プレビュー:『心』で戦うサッカーで僅かな可能性に賭ける J's GOAL,2011年12月2日
  6. ^ 【2013シーズン始動!】甲府:新体制発表会見での出席者コメント(2013年1月15日、J's GOAL)
  7. ^ VF甲府 助っ人次々退団、異例の事態 野心や忠誠心内面読めず(山梨日日新聞)
  8. ^ 過去2チームでは国籍はブラジルであり通常の外国人枠での登録であったが、その後、東ティモール国籍を取得、今回はアジア枠として選手登録された)
  9. ^ “樋口 靖洋氏 監督就任のお知らせ” (プレスリリース), ヴァンフォーレ甲府, (2014年12月8日), http://www.ventforet.jp/news/press_release/508012 2014年12月8日閲覧。 
  10. ^ Jリーグ 公式戦における「連勝・連敗」の定義について
  11. ^ J1に昇格した2013年シーズンの初戦も引き分けたので チーム記録としては25戦
  12. ^ スポーツ無敗記録一覧
  13. ^ “【重要】3月1日の山梨中銀スタジアムでの開幕戦について” (プレスリリース), ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ, (2014年2月21日), http://www.ventforet.jp/news/press_release/506331 
  14. ^ “【代替地決定!】3月1日(土)開幕戦は国立競技場で開催” (プレスリリース), ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ, (2014年2月21日), http://www.ventforet.jp/news/press_release/506334 
  15. ^ 2009年7月11日、山梨日日新聞記事
  16. ^ 2010年11月19日、山梨日日新聞記事
  17. ^ a b “「総合球技場」建設を フットボール系4団体 県に要望、署名開始へ”. 山梨日日新聞. (2014年4月25日). http://www.sannichi.co.jp/local/news/2014/04/25/9.html 
  18. ^ “村井チェアマン、山梨県に球場建設求め署名提出”. スポーツ報知. (2014年9月12日). http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20140912-OHT1T50301.html 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]