アルビレックス新潟

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アルビレックス新潟
原語表記 アルビレックス新潟
愛称 アルビ
クラブカラー     オレンジ、    ブルー[1]
創設年 1955年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン1
クラブライセンス J1
ホームタウン 新潟県新潟市聖籠町[1]
ホームスタジアム デンカビッグスワンスタジアム[1]
収容人数 42,300[1]
運営法人 株式会社アルビレックス新潟[1]
代表者 田村貢[1]
監督 日本の旗 柳下正明
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

アルビレックス新潟(アルビレックスにいがた、Albirex Niigata)は、日本新潟県新潟市および北蒲原郡聖籠町をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要[編集]

チーム名の由来となった二重星アルビレオ。オレンジの星と青の星からなる。

1955年、新潟明訓高校OBが中心となって創部した新潟イレブンサッカークラブが前身[1]。1994年、はくちょう座にある二重星アルビレオに由来する『アルビレオ新潟FC』に改称したが、1997年、商標問題からクラブ名の改称を決定し、県民投票の結果"アルビレオ"とラテン語で「王」を意味する"レックス"を掛け合わせた造語である『アルビレックス新潟』に改称した[1]。なお、他の候補名は新潟弁で「俺たちの」を意味する『オラッタ新潟』と「白鳥の騎士」を意味する『システーネス新潟』があった。1999年にJリーグへ加盟。

ホームタウンはホームスタジアム・東北電力ビッグスワンスタジアムがある新潟県新潟市とクラブハウスのある北蒲原郡聖籠町マスコットキャラクターは白鳥をモチーフに2000年に登場した『アルビくん』。

近隣にライバルクラブは存在していないが、2007年頃から企画先行ながらヴァンフォーレ甲府との対戦を川中島ダービー[2]モンテディオ山形との対戦を天地人ダービーと呼ぶようになった。

総合型地域スポーツクラブ[編集]

なでしこリーグに参加する女子チーム・アルビレックス新潟レディース(2002年創設・活動開始)を持つほか、会場の応援を彩るチアリーディングチームも運営している。

また、Jリーグ百年構想による総合型地域スポーツクラブを目指しており、バスケットボール日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)に新潟アルビレックスBBが、バスケットボール女子日本リーグ機構(WJBL)に新潟アルビレックスBBラビッツが参戦している他、2004年にスキースノーボードチームアルビレックス新潟[1]、2005年に陸上競技新潟アルビレックスランニングクラブを創設[1]。更に、2006年にプロ野球独立リーグベースボール・チャレンジ・リーグに参戦する新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ[1]、2010年にモータースポーツアルビレックスレーシングチームが創設されている[1]。なお、各「アルビレックス」はイメージカラーを共有しているが、各競技チームの運営会社は全く別個の企業であり、各運営会社間に直接の資本関係等はない。

歴史[編集]

前史[編集]

1955年、新潟イレブンサッカークラブとして創部[1]1982年には社会優良団体(優良スポーツクラブ)として文部大臣賞を受賞した。

1991年、新潟県サッカー協会は2002 FIFAワールドカップの開催地に立候補することを決定(翌1992年に新潟県議会でも可決[注 1])。ワールドカップ招致活動の一環として掲げられたプロサッカークラブの創設と短期間でのJリーグ加盟を実現するため、新潟県社会人サッカーリーグからのスタートとなるクラブの新設ではなく、天皇杯全国社会人サッカー選手権大会などの全国大会への出場経験を持つ北信越リーグの新潟イレブンSCを強化することになり、1994年、県サッカー協会の強化指定を受けた新潟イレブンSCを母体に新潟蹴友会の主力選手を加えてチーム名をアルビレオ新潟FCに改称した。新監督に県の外国人スポーツ指導者招聘事業により来県していたフランス・ファン・バルコムが就任し、新潟イレブンSCの監督を務めていた若杉透は総監督に就任した。

1996年、チーム母体を法人組織として株式会社を設立。クラブ名をアルビレックス新潟に改称して臨んだ1997年は北信越リーグ連覇を果たし、日本サッカー協会及びJリーグより地域リーグ所属のクラブからは唯一となる1999年に開幕するJ2への参入を承認された。1998年、全国地域リーグ決勝大会を勝ち抜き、ジャパンフットボールリーグに昇格[1]。JFLは永井良和監督の下で臨んだが、順位は11位と低迷。翌年からのJ2参入に向けてチームを強化するため、26名の選手のうち17名との契約を打ち切ることになった[注 2]

1999年 - 2003年 (J2)[編集]

J2昇格後は秋葉忠宏鈴木慎吾寺川能人ら、各ポジションにJリーグ経験者を含む即戦力を補強した。2000年には新潟出身の元日本代表、神田勝夫が、2001年には同じく代表経験のある黒崎久志が加入した。昇格初年度の1999年はJ2開幕から7連勝を記録してリーグ中盤戦まで首位をキープするなど健闘し、最終順位は4位となった。永井は2000年まで監督を務めたが、J1昇格はならなかった。

2001年、新監督に反町康治が就任。日韓W杯の会場に選出された新潟スタジアムを主な舞台に、元日本代表の山口素弘船越優蔵マルクス安英学らが活躍し、2003年サンフレッチェ広島川崎フロンターレとのし烈な昇格争いを制してJ2優勝・J1昇格を決めた。優勝を決めた最終節大宮アルディージャ戦には、ビッグスワンに42,223人のサポーターが詰めかけた[5]。詳細は「2003年J2第43節・最終節」を参照。マルクスは2002年(19得点)、2003年(32得点)と、2年連続でJ2得点王となった[6]

2004年 - (J1)[編集]

J1昇格後も2005年まで反町が指揮を執った。昇格1年目の2004年はエジミウソンファビーニョらブラジル人を中心としたカウンター戦術で、2ndステージで4連勝[注 3]をマークするなど一時上位争いを展開し、最終節を待たずに残留を決めた[8]。また、新潟県中越地震の影響(余震及びスタジアム駐車場が自衛隊の前線基地となった)により、10月、11月に予定されていた新潟スタジアムでの2試合は、国立霞ヶ丘陸上競技場平塚競技場で代替開催された。代替開催も新潟サポーターは県内から多数駆け付け、手製の横断幕を持って応援した[9]。地震直後の試合となった柏レイソル戦では試合前に会場全体で黙とうが捧げられた。

2006年から2009年までの4年間は鈴木淳が監督を務めた。鈴木はマルシオ・リシャルデス矢野貴章らを中心とした攻撃的なチームを作り上げ、2007年にJ1昇格後最高順位となる6位の成績を残した。また、この年には矢野がクラブ初の日本代表に選出され、3月24日に行われたペルー代表戦で初キャップを記録した[10]。中心選手だったエジミウソン、坂本將貴らが移籍した2008年は残留争いに巻き込まれるが[11]2009年には4-3-3の攻撃的なフォーメーションを敷いて上位争いに顔を出した[12]

鈴木の後任にはヘッドコーチから黒崎久志が昇格し、2シーズン連続でJ1残留に成功した。2010年は11試合連続無敗のクラブ記録を作り[注 4]、その間2004年以来6シーズンぶりに4連勝を記録した[注 5]。しかし黒崎の在任中、前述した矢野、Jリーグベストイレブンに選出されたマルシオ[15] をはじめ、代表経験のある酒井高徳曺永哲等、多くの主力選手が国内外へ流出し、2011年終盤から得点力不足に悩まされた[16]2012年は開幕から3連敗を喫するなど降格圏内に沈み、黒崎は2012年5月に辞任した[17]。シーズン途中での監督交代はクラブ史上初のことだった[18]

黒崎の辞任後、2011年までジュビロ磐田の監督を務めていた柳下正明が監督に就任し[19]、チームは薄氷のJ1残留に成功した。残留争いは最終節までもつれ、新潟が勝利してもなお自力での残留は困難な状況だったが、最終節で残留を争うヴィッセル神戸ガンバ大阪が共に敗れ、逆転で15位に浮上してJ1残留を果たした[20]。最終節に至る経緯は「2012年J1最終節」が詳しい。

J1連続在籍10年目を迎えた2013年川又堅碁の活躍とともに夏場から調子を上げ、J1残留を決めた第30節から最終節までクラブ新記録となる5連勝を記録し、3年ぶりの1桁順位となる7位でシーズンを終えた[21]。翌28日には2014年も柳下が引き続き指揮を執ることが発表された[22]

記録と成績[編集]

タイトル[編集]

ユニフォーム[編集]

Jリーグ参入時(1999年)のユニフォーム

チームカラーはオレンジと青、白。オレンジと青はチーム名の由来となったはくちょう座の「アルビレオ」、日本海に沈む夕日、日本海信濃川に、白は白鳥と雪から採られた[1]

J参入以前はミズノがサプライヤーで、シャツ、パンツともにオレンジ、襟が青色のデザイン。胸スポンサーはコロナ、袖はトップカルチャー(蔦屋書店表記)で、1999年から毎年胸にスポンサーロゴを掲出している亀田製菓は背スポンサーだった。1997年からパンツが青になり、J2昇格と共に1999年からカッパがサプライヤーとなると、シャツに青のストライプが加わった。2003年からサプライヤーがアディダスに変更され、2007年から上下ともオレンジがメインになった。2009年は背スポンサーが見つからないままシーズンが開幕するが、アパレルブランド「X-Large」等を展開するビーズインターナショナルが7月から半年間スポンサーロゴを掲出した[23]

2014年シーズンの新ユニフォームは「原点回帰」と名打たれ、Jリーグ参入時の太いストライプ柄が復活する[24]

スタジアム[編集]

アルビレックス新潟、ゴール裏サポーター(新潟スタジアム

ホームスタジアムはJFLに加盟した1998年から2000年までは新潟市陸上競技場のみだったが、2001年に新潟スタジアム(ビッグスワン。電気化学工業の施設命名権購入により、2014年からデンカビッグスワンスタジアム)の完成後は2か所併用となる。ただし登録上の本拠地は新潟陸のみのままで、新潟スは「準本拠地」の扱いだったが、ビッグスワンでの試合比率を増やし、過半数の試合を開催して事実上の移転となった。

2004年のJ1昇格後のホームゲームはすべてビッグスワンで開催している(Jリーグへの登録上の本拠地は2004年から2012年まではこの2箇所を併記されていたが、2013年に新潟市陸上競技場の本拠登録を抹消した。但しJリーグファンガイドでの掲載は2011年以後省略されている)。なお、2004年新潟県中越地震により、リーグ戦と天皇杯の新潟主管(扱い)のそれぞれ1試合ずつは、関東地方の競技場に振り替えられ、2014年最終節は大雪の影響で茨城県立カシマサッカースタジアムで開催した。(2004年-(J1)の項参照)また、ビッグスワンはJリーグアウォーズにて、4度(2007年、2009年、2012年、2013年)ベストピッチ賞を受賞している[25]

スタジアム内の場内アナウンスは新潟お笑い集団NAMARAから森下英矢中村博和大野まさやが歴任している。

練習場は主に聖籠町にあるクラブハウスのピッチを使用しているが、新潟市陸上競技場、新発田市五十公野運動公園陸上競技場、同市五十公野サンスポーツランドを使用する場合もある。短期合宿は十日町市ベルナティオ(クロアチア・ピッチ)で行うことが多い。

観客動員[編集]

Jリーグでも屈指の観客動員力を持ち、2003年度はJ2所属ながらJ1、J2を通して最多の観客動員数約66万人を記録した[26]。2004年度は、浦和レッドダイヤモンズがJ2所属だった2000年(この年トップは鹿島アントラーズの約26万人)を除き、1996年度から守り続けていたJ1年間観客動員トップの座を初めて奪取する約56万5000人(1試合あたり約37,700人)の動員を記録した[27]。 2005年には年間68万人までに伸び、2003年から3年連続でJリーグ(J1・J2含む)1位の観客動員数を記録した[27]。この観客動員数が評価され、クラブは2003年、2004年と2年連続でJリーグアウォーズ・join賞 (チェアマン特別賞)を受賞している[28][29]

しかし観客動員は2006年をピークに減少が続いており、2011年には平均3万人を割り込んだ[30]。同年7月13日のヴァンフォーレ甲府戦ではJ1昇格後最少となる13,644人を記録しており、クラブ側も観客動員数の回復を喫緊の課題と捉えている[31]。2013年に動員の下落は下げ止まりの感を見せたものの、長らく浦和に次ぐ2番手だった観客動員数は横浜F・マリノスに抜かれて3位に転落した[32]。2014年は最終節の延期の影響もあり4位となった[33][34]

選手・監督[編集]

2014年に選出されたJ1昇格10周年記念「俺たちの夢のイレブン」[注 6]

アルビレオ新潟への改称以降、クラブには200人を超える選手が在籍した。最多の出場試合、最長の在籍期間は共に新潟県内出身の本間勲で、2014年で在籍15年目、出場試合数は300を超える。最多得点選手はブラジル国籍のエジミウソンで、116試合に出場して62得点を決めている。エジミウソンをはじめとした外国籍選手の国籍は述べ7ヶ国を数え、最多は常駐のスカウトを派遣しているブラジル国籍選手である[注 7]

監督の交代はJリーグ昇格以前から少なく、2年未満の短期間で辞任した監督はいない。アルビレオ改称後、最長の在任期間は反町康治の5年、最短は黒崎久志の2年と5ヶ月で、シーズン途中で辞任した監督も黒崎ただ1人である[18]。J1での最高順位は鈴木淳が指揮を執った2007年の6位、最多勝ち点は柳下正明が指揮を執った2013年の55点である[35]

夢のイレブン[編集]

クラブのJ1昇格10周年を記念し、2013年11月から12月にかけ新潟日報紙上で「俺たちの夢のイレブン」が募集された。ファン投票の結果を受け、2014年1月4日の新潟日報紙上で発表された「夢のイレブン・監督」12人を以下に記す[36]。最多得票はマルシオ・リシャルデスの507票だった。

GK
東口順昭
DF
酒井高徳鈴木大輔内田潤金珍洙
MF
マルシオ・リシャルデス本間勲レオ・シルバ田中亜土夢
FW
川又堅碁エジミウソン
監督
反町康治

(並びは投票数順)

運営会社[編集]

株式会社アルビレックス新潟
Albirex Niigata Inc.
種類 株式会社
本社所在地 950-0954[1]
新潟市中央区美咲町2-1-10[1]
設立 1996年4月[1]
業種 サービス業
代表者 田村貢[1]
資本金 7億1,275万円
売上高 24億500万円 (2012年12月期)[37]
営業利益 ▲4,500万円 (2012年12月期)[37]
経常利益 7,900万円 (2012年12月期)[37]
純利益 4,400万円 (2012年12月期)[37]
純資産 4億2,500万円 (2012年12月期)[37]
総資産 9億7,000万円 (2012年12月期)[37]
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現在、新潟県内を中心に170の企業・団体から出資を受けているが、具体的な出資者名は明らかにされていない[38]。設立当初は県内に単独でJリーグクラブを支える体力がある企業が存在しないため、「広く薄く」の方針で多くの企業から出資を募った[39]。事業規模は毎年23-24億円程度で、30億円程度とされるJ1クラブの平均予算と比較しても貧弱な数字になっている[31]。現在の社長は3代目で、クラブ広報を務めていた田村貢。前身の新潟イレブン在籍の経験もあり、2009年1月に就任した。後述する初代社長の池田弘、2代目社長の中野幸夫は、新潟社長退任後にいずれもJリーグ理事の役職に就いた。

1996年、アルビレオ新潟は県内企業30社が1000万円を出し合い、2億9500万円の資本金で設立された[39]。経営の中心には、県内で多数の専門学校を展開するNSGグループ理事長の池田弘が据えられた。当初アルビレオのJリーグ挑戦はワールドカップ誘致活動の一環という性格が強く、経営状態も芳しくなかった為に誘致成功を手土産に解散の可能性もあったという[40]。池田は私財を投じて窮地をしのぐ一方で、後援会組織を立ち上げて小口の個人出資を募った[40]。さらにこの頃から「ばらまき作戦[39]」とも揶揄された採算を度外視した無料招待券の大量配布が始まり、観客動員数は飛躍的に増加。収支は2000年に初めて黒字へ転換した[39]

しかし、J1昇格に伴う強化費の増加に加え、観客動員数の落ち込み等を要因とする営業収入の落ち込みもあり、2005年から公表されている収支報告では毎年営業赤字を計上した。チケット売り上げ等の興業収入は最大時の2005年に約12億円を計上したが、2012年は最大時から5億円減となる約7億円、興業収入の柱となるシーズンチケットの売り上げは最盛期の2万枚からおおよそ半減している[31]

下部組織[編集]

アカデミー[編集]

  • ユース
1998年4月創設・活動開始。本隊の他に過去には、提携チームとして中条ユース( - 2004年度)があった。
  • ジュニアユース
2004年4月創設・活動開始。2004年4月、提携チームであった「アルビレックス新潟新潟ジュニアユース」を解消して新たに直属チームとして編成された。本隊の他に、提携チームとして柏崎ジュニアユース中条ジュニアユースがある。過去には、提携チームとして新潟ジュニアユース( - 2004年度)と加茂ジュニアユース( - 2005年度)があった。
  • ジュニア
2007年4月創設・活動開始。
  • サッカースクール
東新潟校・美咲校・駅南校・寺尾校・白根校・亀田校・アルビレッジ校がある。

実質的な下部組織チーム[編集]

2004年創設・活動開始。日本のJリーグクラブとして初となる国外姉妹チーム展開となった。下部組織・姉妹クラブとしてアルビレックス新潟バルセロナ[41]アルビレックス新潟プノンペンを展開する[42]
アルビレックス新潟の運営母体はNSGグループ(新潟総合学院、国際総合学園)が行っているが、NSGグループの傘下にあるJAPANサッカーカレッジは、現在北信越フットボールリーグに加盟しており、同チームに所属している選手は、アルビレックス新潟の練習へも参加でき、事実上のアマチュア組織のチームとなっている。また、2005年度から高等部も設けられ、開志学園JSC高等部はアルビレックス新潟ユースとともにユース部門を担っている。詳細は当該項参照。

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 新潟県サッカー協会理事長(当時)の澤村哲郎は、賛同を得るにあたって、新潟県が1998年冬季オリンピック(後に長野での開催が決まる)の開催都市に立候補できずにいたことが大きな要因になったと述べている[3]
  2. ^ この決定を下した池田弘代表取締役社長(当時)は「人切り池田」として大きな非難を浴びた[4] が、その様子が川淵三郎の目に留まる。このことがきっかけとなり、池田は後にJリーグ理事に就任した。
  3. ^ 2004年9月23日 J1 2ndステージ・ 第6節 広島戦-2004年10月17日 J1 2ndステージ・第9節 鹿島戦[7]
  4. ^ 2010年4月17日 J1・第7節 名古屋戦-2010年8月7日 J1・第17節 京都戦[13]
  5. ^ 2010年5月1日 J1・第9節 神戸戦-2010年5月15日 J1・第12節 山形戦[14]
  6. ^ 選手の配置は実際のポジションと異なる選手もいるが、紙面に掲載された順に配置した。
  7. ^ 朝鮮籍安英学、在籍時二重国籍の中島ファラン一生を含める。
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s クラブガイド:アルビレックス新潟 Jリーグ公式サイト
  2. ^ http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00048332.html
  3. ^ 飯塚健司 『アルビレックス新潟の奇跡』 小学館2005年ISBN 4093553335
  4. ^ トップインタビュー 株式会社アルビレックス新潟 代表取締役社長 池田 弘氏 インタープライズ・コンサルティング
  5. ^ 元川悦子. “【J2 第44節新潟 vs 大宮戦レポート】”. J's Goal. 2013年1月23日閲覧。
  6. ^ マルクス選手獲得のお知らせ”. 川崎フロンターレ. 2013年1月23日閲覧。
  7. ^ 斎藤慎一郎. “【J1-2nd:第9節 新潟 vs 鹿島 レポート】新潟が粘り勝ちで4連勝。鹿島の一瞬の隙を突いてファビーニョが決勝ゴール”. J's Goal. 2013年1月27日閲覧。
  8. ^ 前島芳雄. “【第85回天皇杯5回戦:磐田 vs 新潟 プレビュー】”. J's Goal. 2013年1月23日閲覧。
  9. ^ 斎藤慎一郎. “【J1-2nd:第11節 新潟 vs 柏 レポート】”. J's Goal. 2013年1月23日閲覧。
  10. ^ 矢野 貴章 選手 キリンチャレンジカップ2007 ~ALL FOR 2010!~(3/24 対 ペルー代表@横浜国際総合競技場 )日本代表メンバーに追加招集のお知らせ”. アルビレックス新潟. 2013年1月23日閲覧。
  11. ^ 斎藤慎一郎. “【開幕直前!33クラブ別戦力分析レポート:新潟】目標は5位以内。チーム内の競争が「アグレッシブ」の質を高める。”. J's Goal. 2013年1月27日閲覧。
  12. ^ 大中祐二. “鈴木淳監督の“秘密のレシピ”とは?(アルビレックス新潟)”. OCNスポーツ. 2013年1月22日閲覧。
  13. ^ 佐藤円. “【J1:第18節 山形 vs 新潟】レポート:北村が2試合連続決勝ゴール! 守備で術中にはめた山形が新潟の負けなしを11試合でストップ!”. J's Goal. 2013年1月27日閲覧。
  14. ^ 斎藤慎一郎. “【J1:第12節 新潟 vs 山形】レポート:新潟が6年ぶりの4連勝。本間勲の決勝のミドルシュートで山形に逆転勝ち。”. J's Goal. 2013年1月27日閲覧。
  15. ^ 2010Jリーグアウォーズ”. Jリーグ. 2013年1月23日閲覧。
  16. ^ 斎藤慎一郎. “【開幕直前!40クラブ別戦力分析レポート:新潟】”. J's Goal. 2013年1月27日閲覧。
  17. ^ 新潟日報 2012年5月22日
  18. ^ a b 新潟、黒崎久志監督が辞任…J1の監督交代は今シーズン4クラブ目”. FromOne co.,Ltd. 2013年1月27日閲覧。
  19. ^ 柳下正明監督 就任のお知らせ アルビレックス新潟公式サイト
  20. ^ 斎藤慎一郎. “J1最終節 新潟4-1札幌”. J's Goal. 2013年1月22日閲覧。
  21. ^ 斎藤慎一郎 (2013年10月27日). “新潟、J1残留確定!川又ハットで視察ザックに代表入りアピール”. スポーツニッポン. 2013年10月29日閲覧。
  22. ^ 柳下 正明監督 契約更新のお知らせ”. アルビレックス新潟. 2013年10月29日閲覧。
  23. ^ フォト日記詳細 アルビレックス新潟 公式サイト: 2009年07月11日
  24. ^ アルビレックス新潟2014新ユニフォーム”. アルビレックス新潟. 2014年1月4日閲覧。
  25. ^ Jリーグ - スタジアム - 東北電力ビッグスワンスタジアム”. Jリーグ. 2013年1月27日閲覧。
  26. ^ Jリーグ - 公式記録”. Jリーグ. 2013年1月23日閲覧。
  27. ^ a b 年度別入場者数推移(1993~2005)”. Jリーグ. 2013年1月23日閲覧。
  28. ^ 2004Jリーグベストピッチ賞/Join賞(チェアマン特別賞)”. Jリーグ. 2013年1月27日閲覧。
  29. ^ 【2003 J.LEAGUE Awards】Join賞(チェアマン特別賞)”. Jリーグ. 2013年1月27日閲覧。
  30. ^ a b 年度別入場者数推移(1993~2012)”. Jリーグ. 2013年1月23日閲覧。
  31. ^ a b c サポーターカンファレンス議事録”. アルビレックス新潟. 2013年1月23日閲覧。
  32. ^ 2013Jリーグ ディビジョン1 クラブ別入場者数”. Jリーグ. 2014年1月4日閲覧。
  33. ^ 2014Jリーグ ディビジョン1 クラブ別入場者数”. Jリーグ. 2014年12月10日閲覧。
  34. ^ 最終節を除く16戦までの計算ではJ1で3位の水準であった
  35. ^ 17勝、勝ち点55、過去最多”. 新潟日報. 2014年1月4日閲覧。
  36. ^ 新潟日報 2014年1月4日1版 17-18面 特集面
  37. ^ a b c d e f 2012年度Jクラブ情報開示 資料 (PDF) Jリーグ公式サイト
  38. ^ 会社概要 アルビレックス新潟公式ホームページ
  39. ^ a b c d 大野貴司 『プロスポーツクラブ経営戦略論』 三恵社、2010年、118-129頁。
  40. ^ a b 上田里恵 (2007年12月7日). “<ベンチャースピリッツ>アルビレックス新潟会長 池田弘”. Biz STYLE. 2013年2月5日閲覧。
  41. ^ アルビレックス新潟バルセロナ 外務省公認事業プロジェクトに認定 アルビレックス新潟バルセロナ 2013年2月5日
  42. ^ アルビレックス新潟FCプノンペン、創立! アルビレックス新潟 2013年10月16日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]