アルビレックス新潟

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アルビレックス新潟
原語表記 アルビレックス新潟
愛称 アルビ
クラブカラー      オレンジ、     ブルー
創設年 1955年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン1
ホームタウン 新潟県新潟市聖籠町
ホームスタジアム Inside of Niigata stadium-1.jpg
東北電力ビッグスワンスタジアム
新潟市陸上競技場 (現在トップチーム使用せず)
収容人数 東北電ス=42,300
新潟陸=18,671
運営法人 株式会社アルビレックス新潟
代表者 田村貢
監督 日本の旗黒崎久志
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社アルビレックス新潟
Albirex Niigata Inc.
種類 株式会社
本社所在地 〒950-0954
新潟市中央区美咲町2-1-10
設立 1996年4月
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営他
代表者 田村貢
資本金 7億1,275万円
売上高 22億1,600万円(2010年12月期)
営業利益 ▲1億2,500万円(2010年12月期)
純利益 400万円(2010年12月期)
決算期 12月期
主要株主 地元(新潟県内)中心に170企業・団体
外部リンク http://www.albirex.co.jp
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アルビレックス新潟(アルビレックスにいがた、Albirex Niigata)は、日本新潟県新潟市および聖籠町にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

[編集] クラブ概要

チーム名の由来となった二重星であるアルビレオ。オレンジの星と青の星からなる。

1955年に新潟イレブンサッカークラブとして創部し、新潟蹴友会(現グランセナ新潟FC)の一部の選手を迎えた1994年アルビレオ新潟FCと改名。1996年にはチーム母体を法人組織として株式会社アルビレオ新潟FCを設立、プロサッカークラブとして活動を開始した。
しかし、1997年に商標の問題からクラブ名の変更を決定し、県民投票の結果現在のアルビレックス新潟に改名した。なお、この「アルビレックス」は二重星で当初のクラブ名であった「アルビレオ」とラテン語で王を意味する「レックス」を掛け合わせた造語である。

ホームタウン新潟県新潟市及び北蒲原郡聖籠町に設けている。ホームスタジアムは、2003年まで新潟市陸上競技場新潟スタジアム(現:東北電力ビッグスワンスタジアム)を併用していたが、2004年J1昇格以降は、ホームゲームはすべてビッグスワンで開催している。

練習場はほとんど聖籠町にあるクラブハウスのピッチを使用しているが、新発田市五十公野運動公園陸上競技場、五十公野サンスポーツランド、新潟市陸上競技場を使用する場合もある。短期合宿は主に十日町市ベルナティオ(クロアチア・ピッチ)で行う事が多い。

マスコットキャラクターは、白鳥をモチーフとする「アルビくん」(2000年)・「スワンちゃん」(2002年)夫妻、三つ子の「アーくん」・「ルーちゃん」・「ビィくん」(2007年)。それぞれかわいらしさと力強さが表現されている。

現在、新潟県内を中心に170の企業・団体から出資を受けているが、具体的な出資者名は明らかにされていない[1]

[編集] 歴史

[編集] 新潟イレブンSC時代 (1955年 – 1993年)

1955年新潟明訓高校OBが中心となり創部。新潟1部リーグ北信越フットボールリーグ天皇杯を舞台に戦い、新潟の強豪チームとして活躍した。1982年、社会優良団体(優良スポーツクラブ)として文部大臣賞を受賞。1986年には北信越リーグを制覇した。

[編集] 創設からJ2加盟まで (1994年 – 1998年)

1994年、新潟県サッカー協会から強化指定を受け、新潟県外国人スポーツ指導員のフランス・ファン・ヴァルコムを監督に、若杉透を総監督に招聘。新潟蹴友会(現:グランセナ新潟FC)の一部選手を加え、チーム名をアルビレオ新潟FCと改名した。

1996年、チーム母体を法人組織として、株式会社アルビレオ新潟を設立。プロサッカークラブとして活動を開始した。 リーグ戦では新潟イレブンSC時代以来10年ぶりに優勝を果たし、全国地域リーグ決勝大会に進出したが、1勝1PK負で予選リーグで敗退した。

1997年商標問題から改名を決定。県民投票に委ねた結果、3つの新名称候補の中からアルビレックス新潟が選ばれ、これに改名した。リーグ戦では、創部以来初めて全勝して北信越リーグ2連覇を果たす。その後、日本サッカー協会及びJリーグから、1999年に開幕されるJ2への加盟が承認された。

1998年、激戦を制して決勝大会で優勝し、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)への昇格を決定。これをもって創設以来指揮を執っていたヴァルコム監督が勇退し、新監督に元ジェフユナイテッド市原永井良和を招聘。リーグ戦は12勝18敗の11位で終了した。

[編集] 1999年 - 2003年(J2)

1999年コンサドーレ札幌ベガルタ仙台モンテディオ山形大宮アルディージャFC東京川崎フロンターレヴァンフォーレ甲府サガン鳥栖大分トリニータと並んでJ2に加盟した。リーグ戦では序盤から7連勝と席巻し、川崎、FC東京、大分との4強争いに突入。最終的には20勝2分14敗の4位で終了し、惜しくもJ1昇格はならなかった。2000年は前年から一転して低空飛行が続き、15勝5分20敗の7位で終了。この年をもって永井良和監督は退任した。

2001年、元湘南ベルマーレ反町康治を監督に招聘。元日本代表FW黒崎久志、FW氏原良二、FWアンドラジーニャが得点を量産。新潟スタジアムのこけら落とし、11月にはJ2リーグ入場者数新記録を樹立(42,011人)し、追い風が吹いたが、26勝4分14敗の4位で終了した。

2002年、元本田技研のFWマルクス立正大学のMF安英学らが新加入。J2入場者数新記録を樹立(42,211人)し、マルクスがJ2リーグ得点王に輝いたものの、またも昇格を逃した。

2003年、元日本代表MF山口素弘、FW上野優作、FW森田浩史らが新加入。川崎、サンフレッチェ広島との三つ巴の昇格争いを制し、創設以来の悲願であったJ2優勝・J1昇格を果たした。シーズン終了後、2003Jリーグアウォーズにて『Join賞』(チェアマン特別賞)及び新潟県知事表彰を受賞した。

[編集] 2004年 - (J1)

[編集] 2004年

2年連続でJ2得点王を獲得したマルクスらが退団したが、代役としてエジミウソン桑原裕義松尾直人を獲得。更に、他チームへ移籍していた鈴木慎吾寺川能人が復帰した。

J1リーグ1stステージは、3勝5分7敗の14位で終了。オフシーズン中には「ワールドチャレンジマッチ2004」を行い、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズ(☆2-1)、スペインのバレンシアCF(☆5-2)と対戦した。

2ndステージは、オフシーズン中に獲得したオゼアス、エジミウソン、MFファビーニョを3トップに据える戦術が的中し、成績は向上。10月23日に発生した中越地震の影響を受けながらも、J1リーグ戦の年間観客動員数新記録を樹立(565,336人)し、2ndステージの順位は7勝2分6敗の7位と向上、年間順位も10位につけ、J1残留を達成。中越地震で被災した県民をチームを挙げて激励した。

12月4日、新潟スタジアムで「新潟県中越地震復興支援チャリティーマッチ がんばれ新潟!」を開催し、ジーコジャパンドリームチームと対戦。0-0で引き分けた。また、Jリーグアウォーズにて、2年連続で『Join賞』(チェアマン特別賞)を受賞した。

[編集] 2005年

秋葉忠宏徳島へ、安英学名古屋へ、栗原圭介神戸へ、平間智和FCホリコシへ、オゼアスブラジリエンセFCへ移籍したが、河原和寿諏訪雄大らが新加入、ADサンカエターノからアンデルソン・リマ京都パープルサンガから萩村滋則、名古屋から海本慶治岡山哲也らが移籍加入した。

リーグ戦は開幕戦から0-4で大敗するなど守備が安定せず、シーズンを通して厳しい戦いが続いた。第20節の鹿島戦では2-7と大敗。これを受けてチームは急きょ緊急補強を断行し、ジュビロ磐田から菊地直哉を期限付き移籍で獲得。それでもなお第23節清水エスパルス戦から4連敗を喫したが、その後は5試合負け無しと息を吹き返し、最終的には11勝9分14敗の12位でJ1残留を決めた。

[編集] 2006年

チームスローガン:「'新生

6年間にわたり指揮を執った反町康治監督が勇退。選手も、木寺浩一丸山良明桑原裕義上野優作萩村滋則アンデルソン・リマらが移籍・退団し、菊地直哉磐田へ復帰、高橋直樹が現役を引退した。

新監督には、元山形監督の鈴木淳を招聘。新戦力は、中野洋司田中亜土夢が新加入し、仙台からシルビーニョ中原貴之から永田充矢野貴章が移籍加入した。鈴木新監督は若手選手の育成を図る方針に基づいてチーム作りを行い、そこに既存戦力との融和を試みたが、リーグ戦では川崎フロンターレに0-6で大敗。2年連続で開幕戦で敗北する結果となり、その後もシーズンを通じて波が激しく不安定な状況が続いたが、12勝6分16敗の14位で終了、3年連続でのJ1残留を達成した。

[編集] 2007年

チームスローガン:「'闘え!新潟

鈴木健太郎岡山哲也ファビーニョらが退団、中原貴之仙台へ復帰し、喜多靖梅山修が現役を引退したが、上位進出を目指すため、積極的に移籍市場に介入。千葉から坂本將貴福岡から千代反田充大宮からディビッドソン純マーカスが完全移籍加入、鹿島から深井正樹が期限付き移籍加入した。

リーグ序盤戦こそスタートダッシュに失敗したものの、マルシオ・リシャルデスの移籍加入後はチーム状況が向上。J1昇格後初めて上位争いに加わったが、M・リシャルデスを欠いた中盤戦から終盤戦にかけて勢いが落ち、第24節千葉戦から4連敗を喫した。第33節横浜FM戦、第34節大分戦で2連敗を喫したものの、最終的には15勝6分13敗でJ1昇格後初めて勝ち越し、J1昇格後最高の6位に付けた。

[編集] 2008年

前年リーグ戦で19得点を挙げたエジミウソン浦和へ、三田光湘南へ、坂本將貴千葉へ、六車拓也徳島へ、シルビーニョECヴィトーリアへ完全移籍、諏訪雄大JSCへ、神戸へ期限付き移籍していたディビッドソン純マーカス札幌へ期限付き移籍、深井正樹鹿島から名古屋へ期限付き移籍した。

移籍市場で主力級の選手を引き抜かれ、前年から一転して厳しい状況に追い込まれたが、早くから新卒選手の獲得に乗り出し、ユースから大野和成長谷部彩翔星稜高校から鈴木大輔三菱養和SCユースから木暮郁哉成立学園高校からマイケル・ジェームズ愛媛県立小松高校から川又堅碁が新加入した。

開幕前に負傷離脱したマルシオ・リシャルデスを欠いた状況でスタートしたリーグ戦だったが、開幕から4連敗を喫し、18位まで低迷。その後第5節から第17節は7勝4分け1敗と持ち直したものの、第19節札幌戦を最後に再びM・リシャルデスが離脱すると不調に陥り、第20節東京V戦から2度目の4連敗を経験。後半戦も低迷は続き、終盤戦には4分3敗と7試合勝利から遠ざかり、磐田大宮、東京V、札幌とのJ1残留争いに巻き込まれ、最終節まで入れ替え戦にもつれ込む可能性があったが、第34節G大阪戦では3-2で勝利し、11勝9分14敗の13位で終了。辛くもJ1残留を果たした。

[編集] 2009年

野澤洋輔寺川能人が契約満了、アレッサンドロが期限付き移籍期間終了により退団、海本慶治は現役を引退、長谷部彩翔JSCへ完全移籍、河原和寿栃木SCへ、マイケル・ジェームズはJSCへ期限付き移籍し、JSCへ期限付き移籍していた諏訪雄大は同チームへ完全移籍、アレッサンドロCAブラガンチーノに復帰した。

新戦力は、流通経済大学から三門雄大新潟経営大学から東口順昭、JSCから明堂和也、ユースから酒井高徳G大阪ユースからブルーノ・カスタニェイラが新加入し、横浜FMから大島秀夫横浜FCから曺永哲が完全移籍加入、大宮からペドロ・ジュニオールジョインヴィレECからジウトンが期限付き移籍加入し、札幌へ期限付き移籍していたディビッドソン純マーカスが復帰した。

それまで採用してきた4-4-2から分厚い選手層を活かす4-3-3にシステムを変更。これによりP・ジュニオール、大島秀夫、矢野貴章ら攻撃的な選手が躍動し、リーグ開幕戦(対FC東京戦)では4-1で勝利、続く第2節鹿島戦でも2-1で勝利し、開幕2連勝を達成した。開幕から5試合は3勝1分1敗と開幕ダッシュに成功した。しかし、それからは先制点を奪いながらも追いつかれて引き分けに持ち込まれる試合が多くなり、第6節広島戦ではP・ジュニオールがハットトリックを達成しながらも6試合勝利から見放されるも、リーグ前半戦は8勝5分け3敗で折り返した。

シーズン途中にはパリ・サンジェルマンFCからエヴェルトン・サントスを期限付き移籍で獲得したが、リーグ中盤戦になると勢いは徐々に落ち、8月にはリーグ戦で10得点を挙げていたP・ジュニオールがG大阪へ完全移籍(この移籍の際、P・ジュニオールの保有権を大宮から買い取り、改めてG大阪へ完全移籍させるという措置をとった)。これを受け再び4-4-2システムに布陣を変更して後半戦に臨んだが、最早前半戦で見せた圧倒的な攻撃力は鳴りを潜め、最終的には13勝11分10敗の8位でリーグ戦を終了した。

天皇杯は準々決勝で清水エスパルスに敗れたものの、初のベスト8入りを果たした。

[編集] 2010年

クラブスローガン:「'SMILE

鈴木淳監督が契約満了により退任。選手も、松尾直人ディビッドソン純マーカスが契約満了、エヴェルトン・サントスが期限付き移籍期間終了により退団し、北野貴之大宮へ、松下年宏FC東京へ、千代反田充名古屋へ完全移籍、マイケル・ジェームズJSCから金沢へ、ジウトンはポルト・アレグレFCから鹿島へ期限付き移籍した。

新監督には、鈴木体制下でヘッドコーチを務めていた黒崎久志が内部昇格する形で就任。新戦力は、ユースから奥山武宰士三菱養和SCユースから加藤大が新加入し、から小林慶行、大宮から高木貴弘千葉からミシェウが完全移籍加入、札幌から西大伍コリンチャンス・アラゴアーノからファグネルが期限付き移籍加入した。また、栃木SCへ期限付き移籍していた河原和寿FC町田ゼルビアへ期限付き移籍していたブルーノ・カスタニェイラが復帰した。

黒崎新体制の下で迎えたシーズンはリーグ序盤戦は5分3敗と8試合勝利が無かったが、第9節神戸戦でシーズン初勝利を飾るとチーム状況は一気に好転し、第12節山形戦まで2004年以来となる4連勝を達成。その後も好調を続け、第17節京都戦で11試合無敗記録を樹立した。

2010 FIFAワールドカップ矢野貴章日本代表に選出され、新潟に所属する選手として初のW杯代表選手が誕生した。

シーズン途中には、パラナ・クルーベから岩崎陽平アヴァイFCからジョン・パウロが移籍加入した。W杯終了後も好調を維持していたが、8月末に矢野がSCフライブルクへ移籍。マルシオ・リシャルデス、ミシェウの両司令塔が戦列から負傷離脱したことも重なり勢いに陰りが見え始め、9月は勝利することができなかったが、司令塔の復帰後は持ち直し、上位争いを演じていた名古屋や鹿島を下すことに成功。一方で勝ち切れない試合が増え、リーグ終盤戦は4分1敗で最終節を迎えた。それでも、第34節湘南戦では3-1で勝利し、リーグ戦は12勝13分9敗の9位で終了した。

シーズン終了後、新潟の選手として初めてM・リシャルデスがJリーグ ベストイレブンに選出された。

[編集] 2011年

クラブスローガン:「'SMILE
チームスローガン:「'Aggressive&Speed

明堂和也高木貴弘が契約満了により、ファグネルが期限付き移籍期間満了により退団。永田充マルシオ・リシャルデス浦和へ、中野洋司横浜FCへ、西大伍札幌から鹿島へ完全移籍、奥山武宰士新潟シンガポールへ、大分へ期限付き移籍していた河原和寿栃木SCへ期限付き移籍した。

新戦力は、ユースから渡辺泰広流通経済大学付属柏高校から増田繁人帝京長岡高校から酒井宣福が新加入し、大分から菊地直哉から石川直樹、札幌から藤田征也が完全移籍で、アナーポリスFCからブルーノ・ロペスが期限付き移籍で加入した。また、金沢へ期限付き移籍していた長谷部彩翔が復帰した。

リーグ第1節福岡戦では2年ぶりの開幕戦勝利を飾ったが、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響を受け、リーグ戦は第2節山形戦から第6節川崎戦は延期された。

3月29日に行われた「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」の日本代表チームには東口順昭が選出され、短時間ながらも試合出場を果たした。4月4日には再来日を見送っていたジョン・パウロのレンタル契約の解除、4月8日には小澤英明の加入を発表した。

4月24日より再開されたリーグ戦は、開幕戦も含めて5試合負け無しと好発進を切ったが、負傷者の続出や主力選手の代表選出も重なり満足な布陣が組めず、5月から6月にかけて9試合未勝利と苦戦が続き、低迷を余儀なくされた。シーズン途中の補強としては、PSTCからハファエル、柏から村上佑介ダヌービオFCからアンデルソンが移籍加入。村上の獲得も功を奏し夏場には3連勝をして中位に浮上したものの、その後は7試合未勝利と再びスランプに陥る。更に8月末に東口順昭が負傷離脱し、残るGKは小澤英明のみとなってしまうアクシデントも発生。これを受けて緊急補強を断行し、清水から武田洋平を期限付き移籍で獲得。選手登録の期間が終了していたもののGKの負傷による例外として承認され、代わりに東口の登録を抹消した[2] [3]
第27節磐田戦消化時点でJ2昇格圏内に沈んでいる甲府に勝ち点差「2」まで迫られたが、ここから川崎に対して鬼門の等々力陸上競技場でJ1昇格後初勝利を収めるなど2度目の3連勝を記録。第32節G大阪戦でJ1残留を確定させ、最終的には10勝9分15敗の14位でリーグ戦を終えた。

ナビスコカップは、準々決勝まで進出。過去最高のベスト8入りを果たした。一方、天皇杯は2回戦で北信越リーグ富山新庄クラブに5-0とJ1昇格後最多得点で大勝したが、3回戦でJFLの松本山雅FCに敗退した。

[編集] 2012年

森保一広島監督に就任)ら3名のコーチが退団。選手は、長谷部彩翔岩崎陽平が契約満了、ハファエルが期限付き移籍期間満了により退団し、千葉和彦は広島へ、曺永哲大宮へ、千葉へ期限付き移籍していた大島秀夫札幌へ完全移籍、栃木SCへ期限付き移籍していた河原和寿は完全移籍に移行、川又堅碁アンデルソン岡山へ、酒井高徳VfBシュツットガルトへ、加藤大愛媛FCへ、愛媛FCへ期限付き移籍していた大野和成湘南へ、JFLの金沢へ期限付き移籍していたマイケル・ジェームズはJFLのV・ファーレン長崎へ期限付き移籍、武田洋平清水からG大阪へ期限付き移籍した。

新戦力は、ユースから西村竜馬桐生第一高校から鈴木武蔵崇実大学から金永根慶熙大学から金珍洙が新加入し、鹿島から小谷野顕治磐田から大井健太郎が完全移籍で、京都から中村太亮、G大阪から平井将生パウリスタFCからアラン・ミネイロが期限付き移籍で加入した。また、新潟シンガポールへ期限付き移籍していたブルーノ・カスタニェイラが復帰した。

[編集] 成績

[編集] タイトル

[編集] リーグ戦

[編集] その他受賞

  • 2003年 Jリーグ・アウォーズ join賞 (チェアマン特別賞)
  • 2004年 Jリーグ・アウォーズ join賞 (チェアマン特別賞)

[編集] 個人別

[編集] 個人記録

2010年第1節終了時。○は在籍中の選手。

最多試合出場
  • 256試合
寺川能人(J1 136試合、J2 120試合)2000-02、2004-2008
最年少試合出場
  • 17歳11ヶ月21日
酒井高徳2009年3月7日 J1・第1節 FC東京
最年長試合出場
  • 37歳1ヶ月6日※J2
神田勝夫2003年7月26日 J2・第24節 アビスパ福岡
  • 36歳5ヶ月16日※J1
山口素弘2005年7月13日 J1・第16節 セレッソ大阪
シーズンフルタイム出場
  • 2001年、44試合※J2
野澤洋輔
  • 2003年、44試合※J2
野澤洋輔、丸山良明
  • 2007、34試合※J1
北野貴之
通算最多得点
  • 通算62得点
エジミウソン(J1 62得点、J2 0得点)2004~2007
最多連続試合出場
  • 99試合(J2時代を含む)
野澤洋輔 2002年3月30日 J2・第6節 モンテディオ山形戦-2004年8月14日 J1・2nd第1節 東京ヴェルディ1969
なお、2002-03シーズンに京都パープルサンガへレンタル移籍していた鈴木慎吾は、京都在籍時を含めると2001年11月6日 J2・第42節 山形戦から2005年4月28日 J1・第8節 清水エスパルス戦まで、J1、J2リーグに101試合連続出場している。
最多連続得点試合
  • 5試合
エジミウソン 2005年8月20日 J1・第19節 ガンバ大阪戦-2005年9月10日 J1・第23節 セレッソ大阪戦
エジミウソン 2007年10月8日 J1・第28節 大宮アルディージャ戦-2007年11月18日 J1・第32節 横浜FC
鈴木慎吾 1999年8月1日 J2・第19節 FC東京戦-1999年8月29日 J2・第23節 大宮アルディージャ戦
シーズン最多得点
  • 19得点※J1
エジミウソン2007年
  • 32得点※J2
マルクス2003年
最年少得点
  • 18歳6ヶ月6日
田中亜土夢2006年4月8日 J1・第7節 ヴァンフォーレ甲府
最年長得点
  • 36歳5ヶ月4日※J2
神田勝夫2002年11月24日 J2・第44節 水戸ホーリーホック
  • 35歳9ヶ月26日※J1
山口素弘2004年11月23日 J1・2nd第14節 横浜F・マリノス
  • また、桑原裕義は2005年8月20日のJ1リーグ第19節ガンバ大阪戦で33歳8ヶ月19日、リーグ戦244試合目での初ゴールを記録した。これはGKを除いた選手のJリーグ最遅初得点記録であった。

[編集] チーム記録

ハットトリック

被ハットトリック

最多得点・最多失点 (1999年~2009年)

1試合最多得点
  • J1リーグ 4得点 - (試合多数)
  • J2リーグ 7得点 - 2003年9月13日 第33節 vs横浜FC @福島 7-1
  • ナビスコ杯 4得点 - 2004年4月29日 予選リーグ第2節 vsガンバ大阪 @新潟ス 4-4
  • 天皇杯 9得点 - 2002年12月1日 1回戦 vs紀北蹴球団 @紀三井寺 9-0
1試合最多失点
  • J1リーグ 7失点 - 2005年8月24日 第20節 vs鹿島アントラーズ @鹿島 2-7
                - 2006年9月9日 第22節 vsジュビロ磐田 @ヤマハ 0-7
  • J2リーグ 5失点 - 2000年4月16日 第7節 vs浦和レッズ @駒場 1-5
  • ナビスコ杯 5失点 - 2009年6月7日 予選リーグ第6節 vsサンフレッチェ広島 @広島ビ 1-5
  • 天皇杯 4失点 - 2003年12月20日 4回戦 vsジュビロ磐田 @ヤマハ 0-4

[編集] エピソード・トピックス

[編集] サポーター

アルビレックス新潟、ゴール裏サポーター

浦和レッドダイヤモンズに次いでサポーターの数も非常に多く、東北電力ビッグスワンスタジアムではアウェイの一角を除いてアルビレックスサポーターで占める。2003年度はJ2所属ながらJ1、J2を通して最多の観客動員数約66万人を記録した。2004年度は、浦和がJ2所属だった2000年(この年トップは鹿島アントラーズの約26万人)を除き1996年度から守り続けていたJ1年間観客動員トップの座を初めて奪取する約56万5000人(1試合あたり約37,700人)の動員を記録した。2005年には年間68万人までに伸び、2003年から3年連続でJリーグ(J1・J2含む)1位の観客動員数を記録した。

応援スタイル

基本的にホーム側ゴール裏に集まったサポーターが応援歌を歌うスタイルで、ブーイング等はこのエリアから起こる。ただし、応援歌を歌って選手を鼓舞するスタイルなので相手選手のラフプレーに対する抗議のためのブーイングは起こるものの、プレーを妨害する意図でのブーイングは行われない。

ゴール裏以外の観客は応援歌を歌うなどの応援は行わないが新潟の選手のプレーに自然と大歓声と拍手が起き、ゴール裏の応援に手拍子で合わせて選手を鼓舞する。しかし、サッカーをよく知らない観客も多いため何気ないプレーでも歓声が上がることがある。

[編集] 異競技間交流

Jリーグ百年構想による総合型地域スポーツクラブを目指しており、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)にも新潟アルビレックスBBとして参戦。また会場の応援を彩るチアリーディングチームも運営している他、2004年にはスキースノーボードの「チームアルビレックス新潟」、2005年には陸上競技の「新潟アルビレックスランニングクラブ」を結成。さらに、野球独立リーグベースボール・チャレンジ・リーグ所属の「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」、モータースポーツの「アルビレックスレーシングチーム」も設立。2011年4月に新潟アルビレックスBBラビッツバスケットボール女子日本リーグ機構)が発足した。

なお、各「アルビレックス」はイメージカラーを共有しているが、各競技チームの運営会社は全く別個の企業であり、各運営会社間に直接の資本関係等はない。

サッカーのアルビレックス新潟としては、2004年には同チームのサテライトと関連団体のJAPANサッカーカレッジ(JSC)に所属する選手等でシンガポールのSリーグに参戦している(「アルビレックス新潟シンガポール」=通称:アルビレックス新潟・S。運営は別会社)。また、女子サッカーチーム「アルビレックス新潟レディース」も設けており、2004年度からはL2リーグ(日本女子サッカーリーグ2部)に昇格。2006年度シーズンで優勝し、2007年度シーズンからは日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)に昇格している。

[編集] 無料チケット

無料観戦チケット(以下、無料券)を配布するにあたり、無作為に大量の無料券を広範囲に配布し観客を集めようとする方式ではなく、チームフロントは先ず新潟の各地区の区長に伺いを立て、無料券を置いても良いという長の了承を得てから配布を行っていた。開始時は限られた地区だけだったが、他地区の住民から「あの地区の人達は無料で観戦してるのに、何故うちの地区に無料券が無いのか」とチームフロントに問い合わせがくるが、上記の理由により了承が得られなかった地区への配布は行わなかった。しかし無料券の恩恵を得られている住民がサッカーで騒ぐに連れて配布地区と未配布地区にサッカーに対する熱の幅が出始め、無料券を求める未配布地区の住民が不平を訴え、配布地区は無料券の争奪となる。一旦地区長から断られた手前、チームフロントの判断だけでは直接住民の要求に応じられなかった上に、2002年W杯開催に向けての機運と共にチームの戦績が上がり、ホームスタジアムで連勝しだすと無料券争奪はさらに苛烈なものとなる。自チームの試合が観たくとも無料券が手に入らなかった者は当然ながら自腹での観戦となり、一度、無料券の配布を断った未配布地区の区長は住民の突き上げと不平で、無料券を配分してくれるようチームフロントに願い出るまでになる。安定した観客数とリピーターの確保の成功と比例して、数に限りがあり入手の成否がある無料券より確実に観戦が出来る観戦券購入者も増えるようになる。これらの経緯を経てJ2屈指の観客動員を誇るクラブチームへと成長し、現在でも浦和レッドダイヤモンズに次いでJリーグ2位の観客動員を記録している。

[編集] アルビレックス成功の余波

アルビレックス新潟の成功は、プロ野球を含む日本スポーツ界全体に衝撃を与えた。人口が100万人に満たない中堅地方都市でもプロスポーツが成り立つ事と、理念のみが先行していた地域密着の商業的正しさ、日本での有効性が証明された為である。また、大都市圏程の人口を持たない地方都市のスポーツ市場が従来予想されていたより大きく、地方都市市民が持つローカリズム感情が非常に大きなエネルギーを持っている事を明らかにした事も、他の多くのスポーツや自治体に影響を与える事となった。

[編集] 新潟県中越地震

新潟県中越地震の影響(余震及びスタジアム駐車場が自衛隊の前線基地となった)により、2004年10月30日に予定されていた新潟スタジアムでの2004年2ndステージ第11節(戦)は、11月10日国立霞ヶ丘陸上競技場で代替開催された。また、11月13日に新潟スタジアムで開催が予定されていた天皇杯4回戦(湘南戦)は同日に平塚競技場で開催された。それでもサポーターは新潟県内から多数現地に駆け付け「地震なんかにゃ負けねぇよ!頑張ろうぜ!新潟人」と手製の横断幕を持って応援した。地震直後の試合となった柏戦では試合前に会場全体で黙とうが捧げられた。

[編集] その他

  • 他のチームのJ1昇格やJ2降格により、東軍か西軍か変わりやすい地域のためJリーグオールスターサッカーでは2004年は東軍のチームになったが、2005年は西軍のチームになった。2006年は東軍であった柏、東京VのJ2降格(神戸は西軍)、アルビレックスより西にある京都福岡のJ1昇格(甲府は東軍)に伴い、再び東軍のチームとなった。2007年は横浜FCと柏が昇格したために、またしても西軍のチームとなった。
なお、JFLオールスターには東軍で出場し、JFL・Jリーグ通じて出場したオールスターでの敗戦が無い。
  • 2007年途中にはFW矢野貴章がクラブ初のサッカー日本代表に選出され、2007年3月24日に行われたペルー戦で後半途中から出場し初キャップを記録。2007年9月11日に行われた国際親善試合スイス戦ではロスタイムに勝ち越しとなる貴重なA代表初ゴールを上げた。 
  • 2010年現在、J1のクラブの中で唯一J2時代を含めて監督のシーズン途中解任がない。

[編集] 試合に関するエピソード・トピックス

[編集] 注目度の高い試合

甲府との対戦を川中島ダービーと呼ぶことがある。
これは戦国時代上杉謙信武田信玄の戦を再現したもので、両チームともそれにちなんだイベントを試合前に行う。狭義では長野県アルウィン)で行われる、甲府との対戦を指す。 (1998年-2003年、2006年-2007年)
  • アルビレックス新潟 vs モンテディオ山形
天地人ダービーを参照のこと。
普段は客席の大半が新潟サポーターで占められる新潟スタジアムだが浦和戦は例外。浦和のサポーターが片方のゴールスタンド全てを占めるため通常とは違う雰囲気の試合となる。J2時代の大量得点での勝利や、終了間際に同点に追いつくなど印象に残る試合が多い。 (2000年、2004年-)また、新潟の選手が浦和に引き抜かれることがしばしばあり、ほぼ毎年のように新潟の選手の引き抜きが行われている。
対戦成績は五分ではあるものの、新潟スタジアムでの試合を苦手としているG大阪との対戦。土砂降りの雨など悪天候での試合になることが多く、その中での勝利や2008年J1最終節のような劇的な試合展開となることが多い。 (2004年-)
J2で顔を合わせて以来、ホームで負けたことが無い川崎との対戦。 (1998年-1999年、2001年-2003年、2005年-)

2年連続で芝生用のスプリンクラーが誤作動し、川崎サポーターに大量の水が掛かる事件があり、球団は公式に謝罪している。(2009年-2010年)当該の川崎サポーターには、川崎のレプリカユニフォームが新潟の負担により、プレゼントされることになった。

[編集] 試合関連記録

最多連続無敗試合
  • 11試合
2010年4月17日 J1・第7節 名古屋戦-2010年8月7日 J1・第17節 京都戦
最多連勝
  • J1 4連勝
2004年9月23日 J1 2ndステージ・ 第6節 広島戦-2004年10月17日 J1 2ndステージ・第9節 鹿島戦
2010年5月1日 J1・第9節 神戸戦-2010年5月15日 J1・第12節 山形戦
最多連敗

[編集] 観客動員記録

最多観客動員試合
最少観客動員試合
通算観客動員
  • 2005年9月10日 J1 対C大阪 J1通算観客動員 100万人(26試合目での達成)
  • 2007年4月14日 J1 対G大阪 J1通算観客動員 200万人
  • 2007年11月10日 J1 対FC東京 J1通算観客動員 250万人(65試合目での達成)
  • 2008年10月4日 J1 対横浜FM J1通算観客動員 300万人
年度別観客動員記録
略記について
所属 年度 試合数 合計 平均 最多 最少 試合会場 備考
JFL 1998 - 40,447 2,696 - - - -
J2 1999 18 75,798 4,211 9,327 2,045 - J2加盟
2000 20 80,139 4,007 11,662 1,786 - -
2001 22 366,500 16,659 42,011 2,373 - 新潟スタジアム完成
2002 22 472,507 21,478 42,211 9,125 新潟ス11、新潟陸11 -
2003 22 667,447 30,339 42,223 8,644 新潟ス15、新潟陸7 -
J1 2004 15 565,336 37,689 41,955 11,150 新潟ス14、国立1 J1昇格
2005 17 681,945 40,114 41,988 35,337 新潟ス17 J1最多観客動員数 (当時)
2006 17 658,050 38,709 42,056 33,993 新潟ス17 -
2007 17 650,698 38,276 42,015 31,500 東北電ス17 -
2008 17 586,325 34,490 40,359 22,740 東北電ス17 -
2009 17 568,582 33,446 40,268 24,392 東北電ス17 -
2010 17 519,221 30,542 41,002 19,152 東北電ス17 -
2011 17 - - - - 東北電ス17 -
5,892,548 JFLは加算しない

[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) オレンジ オレンジ オレンジ
FP(2nd) ブルー
GK(1st)
GK(2nd)
GK(3rd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

[編集] チームカラー

  •      オレンジ、     青、    

オレンジは日本海に沈む夕日、青はチーム名の由来となったはくちょう座の「アルビレオ」および日本海信濃川、白は白鳥と雪から採られた。

[編集] ユニフォームデザインの変遷

  • 1996
シャツ、パンツともにオレンジ、襟が青色のデザイン。シャツには薄いオレンジで星印が描かれた。FP 2ndはシャツ、パンツともに青。
  • 1997-1998
シャツはオレンジ、パンツが青、襟が白のデザイン。シャツには薄いオレンジでエンブレムが描かれた。FP 2ndはシャツ、パンツともに白に変更。
  • 1999-2002
1997-1998と同じくパンツは青のままだが、シャツに5本の太い青ストライプが加わった。うち2001-02はシャツの肩とパンツのサイドが、カッパマークが多数並ぶラインとなった。
  • 2003-2004
サプライヤーがアディダスに変更。シャツはオレンジで、襟はなく肩に3本線、わき腹部分には青色のカッティングが加えられた。パンツは青。2ndは上下とも白。
  • 2005-2006
2003-2004と同じようにシャツがオレンジ、パンツが青色のデザイン。シャツの肩から脇にかけて白いラインが追加された。2ndは小さな襟がつく。
  • 2007
1stパンツがオレンジに変更。市内を流れる信濃川、阿賀野川を表す青い波線が両脇に入る。サポーターズイヤー12周年記念限定モデル。
  • 2008-2009
1stはパンツ、シャツ共にオレンジ。J2時代のストライプが復活したが、濃いオレンジのシャドウ型ストライプで、アディダスのため5本ではなく極太の3本となった。2ndは白にグレーのピンストライプ。
  • 2010-
1stユニフォームはシャツ・パンツ共にオレンジで、左肩と右腰に青いアクセントが大きく入った印象的なデザインとなり、2ndユニフォームはシャツは白、パンツは青で、同じく青いアクセントが入る。ストライプは廃止された。

[編集] ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
亀田製菓 亀田製菓 1999年 - 1996年 - 1998年までは背中
背中 コメリ コメリ 2011年 -
全国農業協同組合連合会新潟県本部 新潟米 2004年 -
パンツ 新潟日報社 新潟日報 2003年 -

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1996 CORONA 蔦屋書店 亀田製菓 Mizuno
1997
1998 DIREC TV
1999 亀田製菓 2002W杯新潟県
開催準備委員会
蔦屋書店 Kappa
2000 B's INTERNATIONAL
2001 2002W杯新潟県
推進委員会
B's INT'L
2002
2003 朱鷺メッセ styles 新潟日報 adidas
2004 新潟米
2005 MSN
2006
2007
2008 TSUTAYA
2009 –/XLARGE/B's INT'L
2010 XLARGE/B's INT'L
2011 コメリ

[編集] その他

[編集] チーム名変遷

  • 1955  -1994.11 新潟イレブンサッカークラブ
  • 1994.11-1997.3  アルビレオ新潟FC  *1996.3 法人組織として(株)アルビレオ新潟を設立・プロ化
  • 1997.4 -      アルビレックス新潟

[編集] 歴代会長・社長

会長
社長

[編集] 場内アナウンス

新潟お笑い集団NAMARA
  • 森下英矢
  • 中村博和
  • 大野まさや

[編集] 下部組織

下部組織出身選手はアルビレックス新潟の選手一覧#下部組織出身者を参照。

アルビレックス新潟ユース

1998年4月創設・活動開始。本隊の他に過去には、提携チームとして中条ユース(~2004年度)があった。

2007年:GL敗退 2008年:ベスト16
-
1999年:GL敗退 2000年:GL敗退 2001年:GL敗退 2002年:GL敗退 2003年:GL敗退 2004年:GL敗退
2005年:GL敗退 2006年:GL敗退 2007年:ベスト8 2008年:GL敗退 2009年:3位 2010年:GL敗退
1999年:GL敗退 2000年:GL敗退 2001年:GL敗退 2002年:GL敗退 2003年:GL敗退 2004年:GL敗退
2005年:GL敗退 2006年:GL敗退 2007年:GL敗退 2008年:GL敗退 2009年:決勝T1R敗退 2010年:決勝T2R敗退
アルビレックス新潟ジュニアユース

2004年4月創設・活動開始。2004年4月、提携チームであった「アルビレックス新潟新潟ジュニアユース」を解消して新たに直属チームとして編成された。本隊の他に、提携チームとして柏崎ジュニアユース中条ジュニアユースがある。過去には、提携チームとして新潟ジュニアユース(~2004年度)と加茂ジュニアユース(~2005年度)があった。

2006年:3位 2010年:GL敗退
2007年:GL敗退 2008年:準優勝 2009年:GL敗退 2010年:1R敗退
2007年:ベスト16 2008年:GL敗退 2010年:GL敗退
アルビレックス新潟ジュニア

2007年4月創設・活動開始。

-
2010年:GL敗退
-
アルビレックス新潟レディース
当該項目参照。
アルビレックス新潟レディースU-18
  • 2005年創設・活動開始
アルビレックス新潟レディース項参照
アルビレックス新潟サッカースクール
東新潟校・美咲校・駅南校・寺尾校・白根校・亀田校・アルビレッジ校がある。
アルビレックス新潟シンガポール
当該項目参照
実質的なアルビレックス新潟の下部組織チーム
アルビレックス新潟の運営母体はNSGグループ(新潟総合学院、国際総合学園)が行っているが、NSGグループの傘下にあるJAPANサッカーカレッジは、現在北信越フットボールリーグに加盟しており、同チームに所属している選手は、アルビレックス新潟の練習へも参加でき、事実上のアマチュア組織のチームとなっている。また、2005年度から高等部も設けられ、開志学園JSC高等部はアルビレックス新潟ユースとともにユース部門を担っている。
日本国外にサテライトを持つサッカークラブ
日系ベルマーレ湘南ベルマーレが設立したパラグアイリーグ地方2部・実質4部に所属のチーム。若手選手の派遣・育成・強化を図る計画で設立した点でアルビレックス新潟と共通するといえる。)

[編集] 出典

  1. ^ 会社概要 アルビレックス新潟公式ホームページ
  2. ^ 登録選手追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ公式サイト2011年9月9日
  3. ^ 武田 洋平選手 登録ウインドーの例外の適用に関するお知らせ アルビレックス新潟公式サイト 2011年9月9日
  4. ^ http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00048332.html

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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