アルビレックス新潟
| アルビレックス新潟 | |||
|---|---|---|---|
| 原語表記 | アルビレックス新潟 | ||
| 愛称 | アルビ | ||
| クラブカラー | オレンジ、 ブルー[1] | ||
| 創設年 | 1955年 | ||
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | ||
| 所属ディビジョン | Jリーグ ディビジョン1 | ||
| クラブライセンス | J1・J2 | ||
| ホームタウン | 新潟県新潟市、聖籠町[1] | ||
| ホームスタジアム | 東北電力ビッグスワンスタジアム[1] 新潟市陸上競技場[1] (現在トップチーム使用せず) |
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| 収容人数 | 東北電ス=42,300 新潟陸=18,671 |
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| 運営法人 | 株式会社アルビレックス新潟[1] | ||
| 代表者 | 田村貢[1] | ||
| 監督 | |||
| 公式サイト | 公式サイト | ||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |||
アルビレックス新潟(アルビレックスにいがた、Albirex Niigata)は、日本の新潟県新潟市および北蒲原郡聖籠町にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
概要 [編集]
1955年、新潟明訓高校OBが中心となって創部した新潟イレブンサッカークラブが前身[1]。1994年、はくちょう座にある二重星アルビレオに由来する『アルビレオ新潟FC』に改称したが、1997年、商標問題からクラブ名の改称を決定し、県民投票の結果"アルビレオ"とラテン語で「王」を意味する"レックス"を掛け合わせた造語である『アルビレックス新潟』に改称した[1]。なお、他の候補名は新潟弁で「俺たちの」を意味する『オラッタ新潟』と「白鳥の騎士」を意味する『システーネス新潟』があった。1999年にJリーグへ加盟。
ホームタウンはホームスタジアム・東北電力ビッグスワンスタジアムがある新潟県新潟市とクラブハウスのある北蒲原郡聖籠町。マスコットキャラクターは白鳥をモチーフに2000年に登場した『アルビくん』。
近隣にライバルクラブは存在していないが、2007年頃から企画先行ながらヴァンフォーレ甲府との対戦を川中島ダービー[2]、モンテディオ山形との対戦を天地人ダービーと呼ぶようになった。
総合型地域スポーツクラブ [編集]
なでしこリーグに参加する女子チーム・アルビレックス新潟レディース(2002年創設・活動開始)を持つほか、会場の応援を彩るチアリーディングチームも運営している。
また、Jリーグ百年構想による総合型地域スポーツクラブを目指しており、バスケットボールの日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)に新潟アルビレックスBBが、バスケットボール女子日本リーグ機構(WJBL)に新潟アルビレックスBBラビッツが参戦している他、2004年にスキー・スノーボードのチームアルビレックス新潟を[1]、2005年に陸上競技の新潟アルビレックスランニングクラブを創設[1]。更に、2006年にプロ野球独立リーグ・ベースボール・チャレンジ・リーグに参戦する新潟アルビレックス・ベースボール・クラブが[1]、2010年にモータースポーツのアルビレックスレーシングチームが創設されている[1]。なお、各「アルビレックス」はイメージカラーを共有しているが、各競技チームの運営会社は全く別個の企業であり、各運営会社間に直接の資本関係等はない。
歴史 [編集]
詳細は「:Category:アルビレックス新潟のシーズン」を参照
前史 [編集]
1955年、新潟イレブンサッカークラブとして創部[1]。1982年には社会優良団体(優良スポーツクラブ)として文部大臣賞を受賞した。
1991年、新潟県サッカー協会は2002 FIFAワールドカップの開催地に立候補することを決定(翌1992年に新潟県議会でも可決[注 1])。ワールドカップ招致活動の一環として掲げられたプロサッカークラブの創設と短期間でのJリーグ加盟を実現するため、新潟県社会人サッカーリーグからのスタートとなるクラブの新設ではなく、天皇杯、全国社会人サッカー選手権大会などの全国大会への出場経験を持つ北信越リーグの新潟イレブンSCを強化することになり、1994年、県サッカー協会の強化指定を受けた新潟イレブンSCを母体に新潟蹴友会の主力選手を加えてチーム名をアルビレオ新潟FCに改称した。新監督に県の外国人スポーツ指導者招聘事業により来県していたフランス・ファン・バルコムが就任し、新潟イレブンSCの監督を務めていた若杉透は総監督に就任した。
1996年、チーム母体を法人組織として株式会社を設立。クラブ名をアルビレックス新潟に改称して臨んだ1997年は北信越リーグ連覇を果たし、日本サッカー協会及びJリーグより地域リーグ所属のクラブからは唯一となる1999年に開幕するJ2への参入を承認された。1998年、全国地域リーグ決勝大会を勝ち抜き、ジャパンフットボールリーグに昇格[1]。JFLは永井良和監督の下で臨んだが、順位は11位と低迷。翌年からのJ2参入に向けてチームを強化するため、26名の選手のうち17名との契約を打ち切ることになった[注 2]。
1999年 - 2003年(J2) [編集]
J2昇格後は秋葉忠宏や鈴木慎吾、寺川能人ら、各ポジションにJリーグ経験者を含む即戦力を補強した。2000年には新潟出身の元日本代表、神田勝夫が、2001年には同じく代表経験のある黒崎久志が加入した。昇格初年度の1999年はJ2開幕から7連勝を記録してリーグ中盤戦まで首位をキープするなど健闘し、最終順位は4位となった。永井は2000年まで監督を務めたが、J1昇格はならなかった。
2001年、新監督に反町康治が就任。日韓W杯の会場に選出された新潟スタジアムを主な舞台に、元日本代表の山口素弘、船越優蔵、マルクス、安英学らが活躍し、2003年にサンフレッチェ広島、川崎フロンターレとのし烈な昇格争いを制してJ2優勝・J1昇格を決めた。優勝を決めた最終節大宮アルディージャ戦には、ビッグスワンに42,223人のサポーターが詰めかけた[5]。詳細は「2003年J2第43節・最終節」を参照。マルクスは2002年(19得点)、2003年(32得点)と、2連連続でJ2得点王となった[6]。
2004年 - (J1) [編集]
J1昇格後も2005年まで反町が指揮を執り、エジミウソン、ファビーニョらのブラジル人を中心としたカウンター戦術で残留を果たした[7]。2004年には昇格後のクラブ記録となるリーグ戦4連勝を記録している[注 3]。また、新潟県中越地震の影響(余震及びスタジアム駐車場が自衛隊の前線基地となった)により、10月、11月に予定されていた新潟スタジアムでの2試合は、国立霞ヶ丘陸上競技場、平塚競技場で代替開催された。それでもサポーターは新潟県内から多数現地に駆け付け、手製の横断幕を持って応援した[9]。地震直後の試合となった柏レイソル戦では試合前に会場全体で黙とうが捧げられた。
2006年から2009年までの4年間は鈴木淳が監督を務めた。鈴木はマルシオ・リシャルデスや矢野貴章らを中心とした攻撃的なチームを作り上げ、2007年にJ1昇格後最高順位となる6位の成績を残した。また、この年には矢野がクラブ初の日本代表に選出され、3月24日に行われたペルー代表戦で初キャップを記録した[10]。中心選手だったエジミウソン、坂本將貴らが移籍した2008年は残留争いに巻き込まれるが[11]、2009年には4-3-3の攻撃的なフォーメーションを敷いて上位争いに顔を出した[12]。
鈴木の後任にはヘッドコーチから黒崎久志が昇格し、2シーズン連続でJ1残留に成功した。2010年は11試合連続無敗のクラブ記録を作り[注 4]、その間J1昇格後のクラブタイ記録となる4連勝を記録した[注 5]。しかし黒崎の在任中、前途した矢野、Jリーグベストイレブンに選出されたマルシオ[15]をはじめ、代表経験のある酒井高徳、曺永哲等、多くの主力選手が国内外へ流出し、2011年終盤から得点力不足に悩まされた[16]。2012年は開幕から3連敗を喫するなど降格圏内に沈み、黒崎は2012年5月に辞任した[17]。シーズン途中での監督交代はクラブ史上初のことだった[18]。
黒崎の辞任後、2011年までジュビロ磐田の監督を務めていた柳下正明が監督に就任し[19]、チームは薄氷のJ1残留に成功した。残留争いは最終節までもつれ、新潟が勝利してもなお自力での残留は困難な状況だったが、最終節で残留を争うヴィッセル神戸とガンバ大阪が共に敗れ、逆転で15位に浮上してJ1残留を果たした[20]。最終節に至る経緯は「2012年J1最終節」が詳しい。
2013年でJ1連続在籍10年目を迎え、前年から引き続き柳下正明が監督を務める[21]。 アビスパ福岡から、成岡翔を完全移籍で獲得。2003年、ともにジュビロ磐田に入団した大井健太郎と菊地直哉と、同じ柳下監督のもとでチームメートになった。
記録と成績 [編集]
詳細は「アルビレックス新潟の年度別成績一覧」を参照
タイトル [編集]
- Jリーグ ディビジョン2:1回
- 北信越フットボールリーグ:3回
- 1986年、1996年、1997年
ユニフォーム [編集]
| J2昇格時(1999年)のユニフォーム |
各年度別のスポンサー等の詳細は「Category:アルビレックス新潟のシーズン」の年度別記事を参照
チームカラーはオレンジと青、白。オレンジと青はチーム名の由来となったはくちょう座の「アルビレオ」、日本海に沈む夕日、日本海と信濃川に、白は白鳥と雪から採られた[1]。
J参入以前はミズノがサプライヤーで、シャツ、パンツともにオレンジ、襟が青色のデザイン。胸スポンサーはコロナ、袖はトップカルチャー(蔦屋書店表記)で、1999年から毎年胸にスポンサーロゴを掲出している亀田製菓は背スポンサーだった。1997年からパンツが青になり、J2昇格と共に1999年からカッパがサプライヤーとなると、シャツに青のストライプが加わった。2003年からサプライヤーがアディダスに変更され、2007年から上下ともオレンジがメインになった。2009年は背スポンサーが見つからないままシーズンが開幕するが、アパレルブランド「X-Large」等を展開するビーズインターナショナルが7月から半年間スポンサーロゴを掲出した[22]。
2012年から使用される現在のモデルは、1stに細いストライプが大きな間隔で入り、2ndは紺青の襷ラインにオレンジの両脇カッティングが加わる。復活した大きな襟の色は1stが白、2ndが紺に近い青。胸スポンサーの「亀田製菓」が赤文字白縁取りから白い長方形の上に赤文字となる。2013年も現在のモデルが継続されるが、背中上部に2012年終盤に展開された『We are Oneプロジェクト』で用いられたロゴが追加される[23]。
スタジアム [編集]
ホームスタジアムは2003年まで新潟市陸上競技場と新潟スタジアム(東北電力の施設命名権購入により、2013年まで東北電力ビッグスワンスタジアム)を併用していたが、2004年のJ1昇格後のホームゲームはすべてビッグスワンで開催している(現在もJリーグへの登録上の本拠地は2箇所併記となっているが、2011年以降は新潟市陸上競技場についてはJリーグファンガイドでの掲載を省略されている)。また、ビッグスワンはJリーグアウォーズにて、3度(2007年、2009年、2012年)ベストピッチ賞を受賞している[24]。
練習場は主に聖籠町にあるクラブハウスのピッチを使用しているが、新潟市陸上競技場、新発田市五十公野運動公園陸上競技場、同市五十公野サンスポーツランドを使用する場合もある。短期合宿は十日町市のベルナティオ(クロアチア・ピッチ)で行うことが多い。
スタジアム内の場内アナウンスは新潟お笑い集団NAMARAから森下英矢、中村博和、大野まさやが歴任している。
観客動員 [編集]
浦和レッドダイヤモンズに次いでサポーターの数が多く、2003年度はJ2所属ながらJ1、J2を通して最多の観客動員数約66万人を記録した[25]。2004年度は、浦和がJ2所属だった2000年(この年トップは鹿島アントラーズの約26万人)を除き、1996年度から守り続けていたJ1年間観客動員トップの座を初めて奪取する約56万5000人(1試合あたり約37,700人)の動員を記録した[26]。 2005年には年間68万人までに伸び、2003年から3年連続でJリーグ(J1・J2含む)1位の観客動員数を記録した[26]。この観客動員数が評価され、クラブは2003年、2004年と2年連続でJリーグアウォーズ・join賞 (チェアマン特別賞)を受賞している[27][28]。
しかし観客動員は2006年をピークに減少が続いており、2011年年には平均3万人を割り込んだ[29]。同年7月13日のヴァンフォーレ甲府戦ではJ1昇格後最少となる 13,644人を記録しており、クラブ側も観客動員数の回復を喫緊の課題と捉えている[30]。
| 年度別観客動員記録[29] | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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| 所属 | 年度 | 試合数 | 合計 | 平均 | 最多 | 最少 | 試合会場 | 備考 |
| JFL | 1998 | - | 40,447 | 2,696 | - | - | - | - |
| J2 | 1999 | 18 | 75,798 | 4,211 | 9,327 | 2,045 | - |
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| 2000 | 20 | 80,139 | 4,007 | 11,662 | 1,786 | - | ||
| 2001 | 22 | 366,500 | 16,659 | 42,011 | 2,373 | - |
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| 2002 | 22 | 472,507 | 21,478 | 42,211 | 9,125 | 新潟ス11、新潟陸11 | - | |
| 2003 | 22 | 667,447 | 30,339 | 42,223 | 8,644 | 新潟ス15、新潟陸7 | ||
| J1 | 2004 | 15 | 565,336 | 37,689 | 41,955 | 11,150 | 新潟ス14、国立1 |
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| 2005 | 17 | 681,945 | 40,114 | 41,988 | 35,337 | 新潟ス17 |
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| 2006 | 17 | 658,050 | 38,709 | 42,056 | 33,993 | 新潟ス17 | ||
| 2007 | 17 | 650,698 | 38,276 | 42,015 | 31,500 | 東北電ス17 | ||
| 2008 | 17 | 586,325 | 34,490 | 40,359 | 22,740 | 東北電ス17 |
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| 2009 | 17 | 568,582 | 33,446 | 40,268 | 24,392 | 東北電ス17 | - | |
| 2010 | 17 | 519,221 | 30,542 | 41,002 | 19,152 | 東北電ス17 | - | |
| 2011 | 17 | 442,836 | 26,049 | 37,830 | 13,644 | 東北電ス17 | - | |
| 2012 | 17 | 425,309 | 25,018 | 35,506 | 15,854 | 東北電ス17 | - | |
| 計 | 6,760,693 | JFLは加算しない | ||||||
経営状況 [編集]
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 〒950-0954[1] 新潟市中央区美咲町2-1-10[1] |
| 設立 | 1996年4月[1] |
| 業種 | サービス業 |
| 代表者 | 田村貢[1] |
| 資本金 | 7億1,275万円 |
| 売上高 | 22億2,700万円 (2011年12月期)[31] |
| 経常利益 | 7,900万円 (2011年12月期)[31] |
| 営業利益 | ▲4,300万円 (2011年12月期)[31] |
| 純利益 | 7,200万円 (2011年12月期)[31] |
| 純資産 | 3億8,100万円 (2011年12月期)[31] |
| 総資産 | 9億2,200万円 (2011年12月期)[31] |
現在、新潟県内を中心に170の企業・団体から出資を受けているが、具体的な出資者名は明らかにされていない[32]。設立当初は県内に単独でJリーグクラブを支える体力がある企業が存在しないため、「広く薄く」の方針で多くの企業から出資を募った[33]。事業規模は毎年23-24億円程度で、30億円程度とされるJ1クラブの平均予算と比較しても貧弱な数字になっている[30]。現在の社長は3代目で、クラブ広報を務めていた田村貢。前身の新潟イレブン在籍の経験もあり、2009年1月に就任した。後述する初代社長の池田弘、2代目社長の中野幸夫は、新潟社長退任後にいずれもJリーグ理事の役職に就いた。
1996年、アルビレオ新潟は県内企業30社が1000万円を出し合い、2億9500万円の資本金で設立された[33]。経営の中心には、県内で多数の専門学校を展開するNSGグループ理事長の池田弘が据えられた。当初アルビレオのJリーグ挑戦はワールドカップ誘致活動の一環という性格が強く、経営状態も芳しくなかった為に誘致成功を手土産に解散の可能性もあったという[34]。池田は私財を投じて窮地をしのぐ一方で、後援会組織を立ち上げて小口の個人出資を募った[34]。さらにこの頃から「ばらまき作戦[33]」とも揶揄された採算を度外視した無料招待券の大量配布が始まり、観客動員数は飛躍的に増加。収支は2000年に初めて黒字へ転換した[33]。
しかし、J1昇格に伴う強化費の増加に加え、観客動員数の落ち込み等を要因とする営業収入の落ち込みもあり、2005年から公表されている収支報告では毎年営業赤字を計上した。チケット売り上げ等の興業収入は最大時の2005年に約12億円を計上したが、2012年は最大時から5億円減となる約7億円、興業収入の柱となるシーズンチケットの売り上げは最盛期の2万枚からおおよそ半減している[30]。2009年度以降は東北電力が購入した施設命名権による収入や、後援会からの寄付金等で最終的な黒字を確保しているものの、依然3億円を超える累積赤字は解消されていない[35]。
下部組織 [編集]
下部組織出身選手については「アルビレックス新潟の選手一覧#下部組織出身者」を参照
アカデミーの年度別成績については「アルビレックス新潟の年度別成績一覧#アカデミー」を参照
アカデミー [編集]
- ユース
- 1998年4月創設・活動開始。本隊の他に過去には、提携チームとして中条ユース( - 2004年度)があった。
- ジュニアユース
- 2004年4月創設・活動開始。2004年4月、提携チームであった「アルビレックス新潟新潟ジュニアユース」を解消して新たに直属チームとして編成された。本隊の他に、提携チームとして柏崎ジュニアユースと中条ジュニアユースがある。過去には、提携チームとして新潟ジュニアユース( - 2004年度)と加茂ジュニアユース( - 2005年度)があった。
- ジュニア
- 2007年4月創設・活動開始。
- サッカースクール
- 東新潟校・美咲校・駅南校・寺尾校・白根校・亀田校・アルビレッジ校がある。
実質的な下部組織チーム [編集]
- 2004年創設・活動開始。詳細は当該項参照。2013年2月5日、2013-14シーズンよりスペインにアルビレックス新潟バルセロナを設立し、カタルーニャ州4部リーグに参戦することが発表された。プロジェクトは日本スペイン交流400周年事業の一環として外務省の認可を受ける[36]。
- JAPANサッカーカレッジ
- 開志学園高等学校JAPANサッカーカレッジ高等部
- アルビレックス新潟の運営母体はNSGグループ(新潟総合学院、国際総合学園)が行っているが、NSGグループの傘下にあるJAPANサッカーカレッジは、現在北信越フットボールリーグに加盟しており、同チームに所属している選手は、アルビレックス新潟の練習へも参加でき、事実上のアマチュア組織のチームとなっている。また、2005年度から高等部も設けられ、開志学園JSC高等部はアルビレックス新潟ユースとともにユース部門を担っている。詳細は当該項参照。
脚注 [編集]
- 注釈
- ^ 新潟県サッカー協会理事長(当時)の澤村哲郎は、賛同を得るにあたって、新潟県が1998年冬季オリンピック(後に長野での開催が決まる)の開催都市に立候補できずにいたことが大きな要因になったと述べている[3]。
- ^ この決定を下した池田弘代表取締役社長(当時)は「人切り池田」として大きな非難を浴びた[4]が、その様子が川淵三郎の目に留まる。このことがきっかけとなり、池田は後にJリーグ理事に就任した。
- ^ 2004年9月23日 J1 2ndステージ・ 第6節 広島戦-2004年10月17日 J1 2ndステージ・第9節 鹿島戦[8]
- ^ 2010年4月17日 J1・第7節 名古屋戦-2010年8月7日 J1・第17節 京都戦[13]
- ^ 2010年5月1日 J1・第9節 神戸戦-2010年5月15日 J1・第12節 山形戦[14]
- 出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s クラブガイド:アルビレックス新潟 Jリーグ公式サイト
- ^ http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00048332.html
- ^ 飯塚健司 『アルビレックス新潟の奇跡』 小学館、2005年。ISBN 4093553335。
- ^ トップインタビュー 株式会社アルビレックス新潟 代表取締役社長 池田 弘氏 インタープライズ・コンサルティング
- ^ 元川悦子. “【J2 第44節新潟 vs 大宮戦レポート】”. J's Goal. 2013年1月23日閲覧。
- ^ “マルクス選手獲得のお知らせ”. 川崎フロンターレ. 2013年1月23日閲覧。
- ^ 前島芳雄. “【第85回天皇杯5回戦:磐田 vs 新潟 プレビュー】”. J's Goal. 2013年1月23日閲覧。
- ^ 斎藤慎一郎. “【J1-2nd:第9節 新潟 vs 鹿島 レポート】新潟が粘り勝ちで4連勝。鹿島の一瞬の隙を突いてファビーニョが決勝ゴール”. J's Goal. 2013年1月27日閲覧。
- ^ 斎藤慎一郎. “【J1-2nd:第11節 新潟 vs 柏 レポート】”. J's Goal. 2013年1月23日閲覧。
- ^ “矢野 貴章 選手 キリンチャレンジカップ2007 ~ALL FOR 2010!~(3/24 対 ペルー代表@横浜国際総合競技場 )日本代表メンバーに追加招集のお知らせ”. アルビレックス新潟. 2013年1月23日閲覧。
- ^ 斎藤慎一郎. “【開幕直前!33クラブ別戦力分析レポート:新潟】目標は5位以内。チーム内の競争が「アグレッシブ」の質を高める。”. J's Goal. 2013年1月27日閲覧。
- ^ 大中祐二. “鈴木淳監督の“秘密のレシピ”とは?(アルビレックス新潟)”. OCNスポーツ. 2013年1月22日閲覧。
- ^ 佐藤円. “【J1:第18節 山形 vs 新潟】レポート:北村が2試合連続決勝ゴール! 守備で術中にはめた山形が新潟の負けなしを11試合でストップ!”. J's Goal. 2013年1月27日閲覧。
- ^ 斎藤慎一郎. “【J1:第12節 新潟 vs 山形】レポート:新潟が6年ぶりの4連勝。本間勲の決勝のミドルシュートで山形に逆転勝ち。”. J's Goal. 2013年1月27日閲覧。
- ^ “2010Jリーグアウォーズ”. Jリーグ. 2013年1月23日閲覧。
- ^ 斎藤慎一郎. “【開幕直前!40クラブ別戦力分析レポート:新潟】”. J's Goal. 2013年1月27日閲覧。
- ^ 新潟日報 2012年5月22日
- ^ “新潟、黒崎久志監督が辞任…J1の監督交代は今シーズン4クラブ目”. FromOne co.,Ltd. 2013年1月27日閲覧。
- ^ 柳下正明監督 就任のお知らせ アルビレックス新潟公式サイト
- ^ 斎藤慎一郎. “J1最終節 新潟4-1札幌”. J's Goal. 2013年1月22日閲覧。
- ^ 柳下 正明監督 続投のお知らせ アルビレックス新潟公式サイト
- ^ フォト日記詳細 アルビレックス新潟 公式サイト: 2009年07月11日
- ^ “アルビレックス新潟×難波章浩 クラブ応援ソング「We are ONE」を3月6日(水)に発売”. アルビレックス新潟. 2013年2月8日閲覧。
- ^ “Jリーグ - スタジアム - 東北電力ビッグスワンスタジアム”. Jリーグ. 2013年1月27日閲覧。
- ^ “Jリーグ - 公式記録”. Jリーグ. 2013年1月23日閲覧。
- ^ a b “年度別入場者数推移(1993~2005)”. Jリーグ. 2013年1月23日閲覧。
- ^ “2004Jリーグベストピッチ賞/Join賞(チェアマン特別賞)”. Jリーグ. 2013年1月27日閲覧。
- ^ “【2003 J.LEAGUE Awards】Join賞(チェアマン特別賞)”. Jリーグ. 2013年1月27日閲覧。
- ^ a b “年度別入場者数推移(1993~2012)”. Jリーグ. 2013年1月23日閲覧。
- ^ a b c “サポーターカンファレンス議事録”. アルビレックス新潟. 2013年1月23日閲覧。
- ^ a b c d e f 2011年度Jクラブ情報開示 資料 (PDF) Jリーグ公式サイト
- ^ 会社概要 アルビレックス新潟公式ホームページ
- ^ a b c d 大野貴司 『プロスポーツクラブ経営戦略論』 三恵社、2010年、118-129頁。
- ^ a b 上田里恵 (2007年12月7日). “<ベンチャースピリッツ>アルビレックス新潟会長 池田弘”. Biz STYLE. 2013年2月5日閲覧。
- ^ 有田憲一 (2011年5月3日). “アルビレックス新潟、6期連続営業赤字 サッカーJ1”. 朝日新聞
- ^ アルビレックス新潟バルセロナ 外務省公認事業プロジェクトに認定 アルビレックス新潟バルセロナ 2013年2月5日
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- アルビレックス新潟公式サイト
- アルビレックス新潟/Albirex Niigata - Facebook
- アルビレックス新潟 - 公式YouTubeチャンネル
- アルビレックス新潟 - Google+
- albirex_pr (albirex_pr) - Twitter
- アルビレックス新潟オフィシャルインターネットショップ
- アルビレックス新潟後援会
- アルビレックス - 新潟日報
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