山口素弘
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| 名前 | |||||||
| 愛称 | ヤマ、モトさん | ||||||
| カタカナ | ヤマグチ モトヒロ | ||||||
| ラテン文字 | YAMAGUCHI Motohiro | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1969年1月29日(43歳) | ||||||
| 出身地 | 群馬県高崎市 | ||||||
| 身長 | 177cm[1] | ||||||
| 体重 | 72kg[1] | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | MF | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2007年12月14日現在。 2. 2007年12月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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山口 素弘(やまぐち もとひろ、1969年1月29日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF、主にボランチを多く務めた。現在は主にサッカー解説者として活躍中。
目次 |
[編集] 選手時代の特徴
運動量は多い訳ではないが、非常に知的で、巧みに相手のパスの出し所を消していき、攻撃の芽を摘む。また、攻撃の起点となってパスをフィールド全体に散らすと共に、ミドルシュートなどで自身も積極的にゴールを狙う。1997年の鹿島アントラーズ戦ではボランチとしては珍しいハットトリックを達成した。
ポジション柄、ゲームメーカータイプの選手(日本代表では名波浩、中田英寿、横浜フリューゲルスではエドゥー、ジーニョ)らを下支えする役割を得意としている。
大学卒業後、全日空/フリューゲルスから横浜FCまでの17シーズン中14シーズン、所属した4チームの全てでキャプテンを務めた。
[編集] 経歴
[編集] クラブにて
1984年、前橋育英高等学校入学。1985年、鳥取国体に群馬県代表として出場。1987年1月、全国高校サッカー選手権大会に出場。
1987年4月、東海大学に入学。1988年、全日本大学サッカー選手権大会で優勝(東海大学はこの年が同大会へ初出場であり、この年を含めて6年連続で決勝に進出した)。関東選抜(対関西選抜戦)に選出され、同試合にてMVPに選出される。また、1学年下で礒貝洋光、澤登正朗が加入し、ポジションを守備的ミッドフィルダーに移す。1989年、全日本大学サッカー選手権大会で準優勝。1990年、全日本大学サッカー選手権大会で2度目の優勝。同年、ユニバーシアード(サッカー競技)日本代表に選出される。
1991年4月、全日空に入社、全日空サッカークラブ(後に横浜フリューゲルス)の選手となる。当時の監督は加茂周。1992年、Jリーグの前哨戦であったナビスコカップに出場。Jリーグの開幕した1993年、8月19日の対浦和戦にてJリーグ初ゴール。1994年1月1日、天皇杯で優勝。1995年8月、第1回アジアスーパーカップで優勝。1996年、1997年と2年連続でJリーグベストイレブンに選出される。
1998年10月29日、横浜フリューゲルスと横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)の合併が発表されたことにより、12月、名古屋グランパスエイトに移籍発表。1999年1月1日、横浜フリューゲルスとして最後の試合となった天皇杯にて優勝。
2000年1月1日、移籍後の名古屋においても天皇杯優勝。
2002年12月、名古屋から戦力外通告を受けて、アルビレックス新潟に移籍。2003年11月23日、新潟がJ2で優勝し、J1昇格を果たす。2004年12月4日、新潟県中越地震チャリティーマッチにジーコジャパンドリームチームの一員として出場。
2005年8月16日、新潟からJ2の横浜FCにレンタル移籍(その後、完全移籍)。2006年、横浜FCのJ1昇格に大きく貢献した。2007年、キャプテンとしてチームを牽引。シーズン終了を待たずして戦力外通告を受け、現役引退。
[編集] 代表にて
1995年1月、キング・ファハド・カップでのナイジェリア戦で日本代表にデビューする。
1997年、フランスW杯アジア最終予選に向けて、日本代表に選出される。
1998年6月、日本代表としてフランスW杯に出場(日本は3戦全敗でグループリーグ敗退)。
[編集] 現役引退後
現在は主にサッカー解説者として活躍中。2008年4月よりJFAアンバサダーとして若年層に対する技術指導や普及活動にも従事している。
[編集] エピソード
- 1997年のフランスW杯アジア最終予選第3戦、国立霞ヶ丘陸上競技場で行われた韓国戦でのループシュートは、1985年の木村和司のメキシコW杯アジア最終予選対韓国戦のフリーキックと並び、伝説と称されている。
- W杯で史上初めてシュートを放った日本人であり、また、横浜FCのJ1での初戦でも初めてのシュートを放っている。
- Jリーグが発足してから唯一、「15年連続開幕スタメン出場」を続けていた。
- 横浜フリューゲルスに対する思いが強い選手の一人ではある。
- 2007年のインタビュー[2]のインタビューによると、山口は名古屋や新潟に在籍した時も自宅を横浜に残していたが、フリューゲルスからF・マリノスに移管されたかつての練習場、東戸塚トレーニングセンターには全く近付かなかったとしている。そして、横浜FCがこの練習場を2006年に引き継いだ際、山口はフリューゲルス時代と同じ場所に自分のロッカーを置いた。
- 引退後に自身の引退試合を企画していたが、引退試合において「フリューゲルス」の名称を使う許可が下りなかったため、開催を断念している。
- 現役時代はクールなイメージが強い選手だったが、すぽると!ではユニークなトークが多い。
[編集] 所属クラブ
- 1984年 - 1987年 前橋育英高等学校
- 1987年 - 1991年 東海大学
- 1991年 - 1998年 全日空サッカークラブ/横浜フリューゲルス
- 1999年 - 2002年 名古屋グランパスエイト
- 2003年 - 2005年8月 アルビレックス新潟
- 2005年8月 - 2007年 横浜FC
- 2007年12月 現役引退
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1990-91 | 全日空 | 32 | JSL1部 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||
| 1991-92 | 23 | 22 | 1 | 1 | 1 | ||||||
| 1992 | 横浜F | - | J | - | 6 | 0 | |||||
| 1993 | 35 | 3 | 6 | 1 | 4 | 0 | 45 | 4 | |||
| 1994 | 34 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 37 | 2 | |||
| 1995 | 41 | 3 | - | 1 | 0 | 42 | 3 | ||||
| 1996 | 28 | 8 | 14 | 5 | 1 | 0 | 43 | 13 | |||
| 1997 | 5 | 19 | 6 | 1 | 0 | 5 | 1 | 25 | 7 | ||
| 1998 | 34 | 7 | 0 | 0 | 5 | 0 | 39 | 7 | |||
| 1999 | 名古屋 | 6 | J1 | 29 | 2 | 6 | 0 | 5 | 0 | 40 | 2 |
| 2000 | 28 | 1 | 6 | 1 | 2 | 0 | 36 | 2 | |||
| 2001 | 28 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 34 | 1 | |||
| 2002 | 25 | 2 | 6 | 0 | 0 | 0 | 31 | 2 | |||
| 2003 | 新潟 | 8 | J2 | 42 | 4 | - | 3 | 0 | 45 | 4 | |
| 2004 | J1 | 29 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 34 | 2 | ||
| 2005 | 12 | 0 | 3 | 0 | - | 15 | 0 | ||||
| 横浜FC | 30 | J2 | 18 | 0 | - | 2 | 0 | 20 | 0 | ||
| 2006 | 6 | 46 | 0 | - | 0 | 0 | 46 | 0 | |||
| 2007 | J1 | 20 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 25 | 0 | ||
| 通算 | 日本 | J1 | 362 | 37 | 63 | 7 | 27 | 1 | 452 | 45 | |
| 日本 | J2 | 106 | 4 | - | 5 | 0 | 111 | 4 | |||
| 日本 | JSL1部 | 22 | 1 | 1 | 1 | 22 | 1 | ||||
| 総通算 | 490 | 42 | 64 | 8 | |||||||
その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 4試合0得点
- 1994年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2000年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際試合
- 2000/01 アジアカップウィナーズカップ 4試合0得点
[編集] 経歴
- 日本代表初出場:1995年1月6日 対ナイジェリア戦(リヤド)
- 日本代表初得点:1995年2月26日 対韓国戦(香港)
- Jリーグ初出場:1993年5月16日 対清水エスパルス戦(横浜市三ツ沢公園球技場)
- Jリーグ初得点:1993年8月14日 対鹿島アントラーズ戦(茨城県立カシマサッカースタジアム)
- JSL(1部)初出場:1991年9月15日 対松下電器戦(三ツ沢球技場)
- JSL(1部)初得点:1992年2月9日 対松下電器戦(神戸総合運動公園ユニバー記念競技場)
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 1990年 ユニバーシアード
- 1995年 キング・ファハド・カップ、ダイナスティカップ、キリンカップ、アンブロカップ
- 1996年 カールスバーグカップ、キリンカップ、AFCアジアカップ
- 1997年 フランスW杯アジア予選(1次・最終)、キングスカップ、キリンカップ、JOMOカップ
- 1998年 フランスW杯、ダイナスティカップ、キリンカップ
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 58試合 4得点(1995-1998)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1995 | 14 | 1 |
| 1996 | 13 | 2 |
| 1997 | 22 | 1 |
| 1998 | 9 | 0 |
| 通算 | 58 | 4 |
[編集] 関連項目
- ジョホールバルの歓喜(1997年 ワールドカップフランス大会アジア地区最終予選)
- 1998 FIFAワールドカップ日本代表
[編集] 受賞歴
[編集] 大学
- 1988年 MVP(関西選抜vs関東選抜)
[編集] Jリーグ
- 1996年 Jリーグベストイレブン
- 1997年 Jリーグベストイレブン
- 1998年 Jリーグオールスターサッカー
- 1999年 Jリーグ優秀選手賞
- 2004年 Jリーグオールスターサッカー
- 2008年 Jリーグ功労選手賞
[編集] 著書
- 『横浜フリューゲルス消滅の軌跡―キャプテン山口素弘が語るチーム消滅と天皇杯優勝までのドラマ』日本文芸社刊
[編集] テレビ出演
- すぽると!(フジテレビ)土曜日のJリーグコーナー担当
- Foot!(J SPORTS)不定期ゲスト
- ヤマザキナビスコカップ(フジテレビワンツーネクスト)解説
- ブンデスリーガ(フジテレビNEXT)解説
- UEFAチャンピオンズリーグ(スカパー!)解説
- プレミアリーグ・バルサTV(J SPORTS)解説
- Jリーグ・名古屋グランパスホーム戦中継(東海テレビ)解説 ※初出演は2009年7月5日深夜に録画放送されたガンバ大阪戦
[編集] 参考文献
- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102324-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1998』、小学館、1998 ISBN 4-09-102335-5
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-100-6
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-102-2
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-104-9
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8116-7
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8134-5
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-802-6
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005 ISBN 4-86155-805-0
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2006』、コナミ、2006 ISBN 4-86155-811-5
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007 ISBN 978-4-86155-839-9
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102323-1
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-101-4
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-103-0
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8117-5
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8135-3
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-801-8
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005 ISBN 4-86155-806-9
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2006』、コナミ、2006 ISBN 4-86155-812-3
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007 ISBN 978-4-86155-840-5
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2008』、コナミデジタルエンタテインメント、2008 ISBN 978-4-86155-846-7
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 山口素弘のオフィシャルブログ
- プロフィール
- 山口素弘×腕時計本舗コラボウォッチ「M.PIVOTE」
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