徳島ヴォルティス

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徳島ヴォルティス
原語表記 徳島ヴォルティス
呼称 徳島ヴォルティス
クラブカラー    [1]
創設年 1955年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン1
クラブライセンス J1
ホームタウン 徳島市[1]鳴門市[1]美馬市[1]
板野町[1]松茂町[1]藍住町[1]
北島町[1] を中心とする徳島県全県[1]
ホームスタジアム
Naruto athletic stadium130825-2.JPG
鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム[1]
収容人数 16,599[1]
運営法人 徳島ヴォルティス株式会社[1]
代表者 新田広一郎[1]
監督 日本の旗 小林伸二
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
徳島ヴォルティス株式会社
Tokushima Vortis Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 779-0108[1]
徳島県板野郡板野町犬伏字瓢谷2-22[1]
設立 2004年9月10日[2]
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 新田広一郎[1]
資本金 4億900万円 (2013年1月期)[3]
売上高 10億5,000万円 (2013年1月期)[3]
営業利益 7,400万円(2013年1月期)[3]
経常利益 9,100万円 (2013年1月期)[3]
純利益 5,200万円 (2013年1月期)[3]
純資産 5億800万円 (2013年1月期)[3]
総資産 6億4,800万円 (2013年1月期)[3]
決算期 1月期
主要株主 大塚製薬[4]
外部リンク http://www.vortis.jp
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徳島ヴォルティス(とくしまヴォルティス、Tokushima Vortis)は、日本徳島市鳴門市美馬市板野町松茂町藍住町北島町を中心とする徳島県全県をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要[編集]

2004年9月に設立された「徳島ヴォルティス株式会社」が運営会社であり[1]、徳島県、ホームタウンの各自治体市町)、大塚製薬グループ、徳島新聞販売所(徳島新聞本体は一般社団法人のため販売店を運営する子会社が出資)、四国放送ケーブルテレビ徳島阿波銀行徳島銀行四国旅客鉄道テレビ鳴門トヨタカローラ徳島などの企業・団体などが出資している[4]。ホームスタジアムは鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム[1]、練習場は徳島スポーツビレッジである[1]

チーム名称の「ヴォルティス」(Vortis)とは、イタリア語を意味する「Vortice」(ヴォルティーチェ)をもとにした造語である[2]。「豪快な鳴門の渦潮のように、パワー・スピード・ 結束力を兼ね備え、観客を興奮の渦に巻き込むチーム」を目指すと説明される[2]。なおこの「ヴォルティス」は一時期Jリーグを目指して、大塚製薬の実業団サッカー部時代のジャパンフットボールリーグに在籍していた1994年-1998年の期間中も愛称として使われていた。

応援スタイル[編集]

大塚製薬サッカー部時代からの伝統でかつてサポーターは得点を取ると阿波踊りを踊っていた。Jリーグ加盟が決まったときもクラブ事務所で阿波踊りを踊ったほどである。また応援に用いる鳴り物としては太鼓が一般的であるが、阿波踊りに用いる(かね、鉦鼓とも呼ぶ)も併用される。[要出典]この応援スタイルはプロ野球四国アイランドリーグplus徳島インディゴソックスでも取り入れられている。

マスコットキャラクター[編集]

2009年6月12日タヌキをモチーフにしたマスコットが発表され、名称を公募した結果、2009年7月20日に『ヴォルタくん』と『ティスちゃん』と発表された[1]

そのほかに、ホームゲーム(試合前・ハーフタイムなど)や徳島県内で開催されるイベントでは非公式マスコットの「ボール君」がクラブを代表して参加する(ボール型の着ぐるみをかぶっているが、顔と手足が出ているため、MCも可能)。

『ヴォルタくん』、『ティスちゃん』、『ボール君』とで「ぽんぽこ倶楽部」というユニットを組んでいる。[5]

なお、マスコットにタヌキが選ばれたのは、阿波狸合戦に代表される徳島とタヌキの縁に因む[1]

歴史[編集]

前史[編集]

1955年に結成された「大塚製薬サッカー部」が前身であり[1]1990年日本サッカーリーグ2部へ昇格した[1]1992年からはジャパンフットボールリーグ[1]、1999年からは日本フットボールリーグ(JFL)へそれぞれ参加。2003年および2004年にJFLで連続優勝を果たした。

Jリーグ参加には慎重な姿勢であったが、2004年9月に運営法人が設立され、Jリーグ加盟を申請[2]。2004年12月、2005年からのJリーグ入会が認められた[1][2]

2005年 - 2013年(J2)[編集]

2005年

2004年シーズンに活躍した林威宏が開幕戦で負傷し、僅か1試合のみの出場となったが、新加入の羽地登志晃(12得点)と小林康剛(11得点)のFW2人が二桁得点を挙げ、伊藤彰大森健作高橋範夫などの他の新戦力も大場啓片岡功二なども活躍し、7位の湘南と勝ち点2差の12チーム中9位に入った。

2006年

9月、大塚製薬から8年間チームを率いた田中真二が監督を辞任し、ヘッドコーチの東泰が監督に就任したが、就任直後に行われた愛媛との四国ダービーで敗れるなど、最下位の13位でシーズンを終えた。

シーズン終了後、東が退任した。また、2年前の取り決め通りに大塚製薬の社員選手は翌年以降の進路選択を行った。大場は現役を引退して社業に専念、片岡は徳島とプロ選手契約を結んで大塚製薬を退社、林は選手を引退して徳島のユースコーチに就任など、それぞれの道を歩んだ。12月にクラブ事務所が板野郡板野町犬伏にある徳島スポーツビレッジ(土地は板野町と大塚製薬が無料で貸与)に移転した。

2007年
クラブスローガン :「Re・ヴォルティス -再生への決意-

練習場が徳島市内の大塚製薬徳島工場グラウンドから徳島スポーツビレッジに移転した。 今井雅隆が監督に就任。シーズン中に横浜FMから塩川岳人を獲得、甲府との間で羽地と長谷川太郎の交換トレード(長谷川はレンタル移籍)などを行ったが、勝ち点33で2年連続の最下位に終わった。第43節から第50節にかけての7試合連続無得点敗北は、この期間を挟む757分連続無得点と共にJリーグ記録を作った(合計31得点もリーグ最少)。

2008年
クラブスローガン :「闘走!~想いをひとつに~

前年まで京都の監督だった美濃部直彦を監督に迎え、小林・長谷川・青葉幸洋・筒井・大森らが退団(青葉・筒井・大森の3人は現役引退)した一方、西河翔吾藤田泰成米田兼一郎などJ1経験を持つ選手を補強した。また、新外国人として、からドゥンビアをレンタルで獲得。そのドゥンビアは2年連続最下位だったチームを押し上げ、上位チームにも互角の戦いを演じるなど、徳島の戦力アップに貢献し、さらに5月にはコートジボワール代表に選出された。徳島からのA代表選出は史上初となる。しかし、ドゥンビアが6月にBSCヤングボーイズへ移籍してチームから抜けると全く勝てなくなり、第20節から第37節まで1勝も出来ない(4分け13敗)など低迷、3年連続で最下位に終わった。その後、高本浩司が3年連続最下位の責任をとり社長を辞任、新田広一郎が後任社長へ就任した。天皇杯も初戦(3回戦)で国士舘大学に敗北した。

2009年
クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 前進あるのみ

美濃部体制2年目。監督以外のスタッフが全員退団し、新たなコーチを招聘。また、昨シーズンから15人の選手が退団し、レンタル移籍だった外国人選手3人も契約を更新せず、石原・西河はレンタル元に復帰した。一方で、徳重隆明三田光高桑大二朗上野秀章井上渉筑城和人三木隆司青山隼などのJ1経験者やぺ・スンジンファビオ日野優などを獲得。8月にC大阪から元U-17日本代表柿谷曜一朗を期限付き移籍で獲得した。シーズン成績は19勝5分17敗の9位(18チーム中)と前年を上回る順位でシーズンを終えた。天皇杯は初戦(2回戦)で鹿屋体育大学に敗北、2年連続で大学チームに苦杯を舐めた。

2010年
クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 不断前進

柿谷をレンタル延長、レンタルだった青山を完全移籍で獲得するなど主力を維持する一方で、島田裕介輪湖直樹濱田武平島崇らを獲得。また、津田知宏平繁龍一をレンタルで獲得するなど、前年に続き積極補強を敢行。これにより、かつて京都で美濃部の下でプレーした選手がチームの各ポジションを占め、特に攻撃陣はJ2屈指の選手層を有することになった。また、初の下部組織出身者としてユースから岡卓磨が昇格。シーズン途中にはブラジルのトンベンセFCよりドウグラスをレンタル移籍で加入させ更に補強を進めた。開幕から4連勝で一時は首位となったが、その後は守備の不安定さもあり、負けが込んで失速し、8位となりJ1昇格は成らなかった。また、この年を最後に徳島ヴォルティス・セカンドが活動休止となった。天皇杯は3年振りに初戦(ガイナーレ鳥取戦)を突破したが、3回戦で浦和に敗北した。

2011年
クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 全力前進

美濃部体制4年目。羽地挽地が引退、前年完全移籍で獲得した青山浦和に移籍したが、前年の主力であった津田柿谷ドウグラスをレンタル延長。さらに杉本恵太衛藤裕西嶋弘之エリゼウ榎本達也ディビッドソン純マーカス、などを完全移籍で獲得。また島村毅長谷川徹をレンタルで獲得した。またシーズン中の7月に仙台から斉藤大介を完全移籍で獲得。センターラインを中心に新戦力を獲得した2011年は序盤は4-3-3での流動的攻撃をテーマに戦い、津田復帰後は主に佐藤津田の2トップの4-4-2で戦った。

シーズン開幕から津田エリゼウドウグラスペ・スンジンなど主軸を怪我で欠きなかなかフルメンバーが揃わなかったが、シーズンを通して昇格争いに絡み7月31日の第23節を終えた時点で首位に立った。その後は札幌鳥栖の後半戦の巻き返しなどもあり、一時は5位まで順位を落とすが9月以降は上位戦や愛媛戦などで取りこぼしはあったものの、連敗は無く徐々に勝ち点を積み上げていった。 しかし、東日本大震災の影響で10月26日に延期されていた第7節、ホームでの札幌戦で0-2で敗戦。さらに11月27日のホームの鳥栖戦で敗戦。最終節(12月3日)岡山に敗北。シーズン4位となり、J1昇格はならなかった。

シーズン終了後、昇格失敗の責任を取り美濃部が監督を退任、上野秀章が引退してアカデミーコーチに就任、六車拓也が退団、島村毅湘南に復帰)、柿谷曜一朗C大阪へ復帰)がレンタル移籍期間満了、佐藤晃大G大阪)、ぺ・スンジン横浜FC)、輪湖直樹水戸)、倉貫一毅京都)、登尾顕徳北九州)、ディビッドソン純マーカスMLSバンクーバー・ホワイトキャップス)、島田裕介Kリーグ江原FC)、福島新太およびグルージャ盛岡にレンタル移籍していた大原卓丈福島ユナイテッドFC)、安藤寛明HOYO大分)らが完全移籍した。

2012年
クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 全ての力でJ1へ!

昨シーズン山形の監督だった小林伸二が監督に就任した。

宮崎光平太田圭輔鈴木達也花井聖那須川将大大久保裕樹福元洋平ジオゴを完全移籍で、上里一将青山隼をレンタル移籍で獲得、レンタル移籍だった津田知宏長谷川徹が完全移籍に移行、ドウグラスのレンタル移籍期間が延長、阿部一樹がレンタル移籍期間満了に伴い復帰、1度戦力外にしたエリゼウと再契約した。またシーズン中の6月に鹿島よりアレックスをレンタル移籍で獲得した。

開幕から2連勝で、第2節終了時に首位に立ったが、第3節から第11節まで3連敗2度を含む9試合勝ちなし(2分7敗)で第11節終了時に20位へ順位を下げた。その後もシーズンを通して得点不足とけが人に悩み、怪我人が戻ってきてもまた怪我人が出るなど苦しいチーム運営を迫られた。第6節以降シーズン終了までの間は第26節から28節と第31節に12位となったのが最高で、一度も昇格争いに絡むことがなく、最終節まで昇格争いを繰り広げた前年より大きく順位を落とす15位でシーズンを終えた。

2013年
クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 2013 跳動

小林体制2年目。ヘッドコーチに山形元ヘッドコーチの長島裕明が就任した。

GKオ・スンフン京都へ移籍、徳重隆明がアマチュア契約で名古屋サッカークラブに入団。一方、小林によれば「獲得のポイントは中央のライン」[6] として、千代反田充柴崎晃誠高崎寛之を完全移籍で、松井謙弥川浪吾郎大﨑淳矢をレンタル移籍により獲得、アレックスをレンタルから完全移籍に移行、ドウグラスのレンタル移籍期間を延長した。また、大卒新人選手として木下淑晶藤原広太朗佐々木一輝李栄直を獲得した。

開幕から3試合未勝利(1分2敗)の後3連勝し、第6節終了時には一旦5位となるが、その直後に3連敗するなどし、結局前半戦は第6節を除き10位以下で、前半戦(第21節)終了時は15位であった[7]。第22節の札幌戦からクラブ記録となる6連勝[8]、第33節まで12試合連続負けなしを記録したことで、第33節終了時に3位に浮上した。第37節からの3連敗で6位に下げたが、第40節から第42節まで2勝1分の成績でリーグ戦を4位で終えた。プレーオフ準決勝はホームで千葉と引き分けたが、規定により決勝に進出。決勝は京都に勝利して四国初となるJ1昇格が決まった[9]

2014年 - (J1)[編集]

クラブスローガン :「共創 ~KEEP GOING FORWARD 2014~[10]

J1初戦となる開幕戦は鳥栖に、J1でのホーム初戦はC大阪にいずれも敗れた。

成績[編集]

タイトル[編集]

  • 現在まで獲得タイトルは無し。

スタジアム・練習場[編集]

ホームスタジアム[編集]

鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム

大塚製薬サッカー部時代は徳島市球技場および徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場(現:鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム)を併用。また、1993年までは徳島市にある大塚製薬徳島工場グラウンド(ナイター設備あり)も使用していた。

Jリーグ加盟後は鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアムをホームスタジアムとし[1]、2005・2006年に高知県立春野総合運動公園陸上競技場、2007年に香川県立丸亀競技場で各1試合ずつホームゲームを行った以外、全てのホームゲームを開催している。

2012年1月1日、経済団体の徳島ニュービジネス協議会は、徳島駅北の公有地に商業施設を備えた複合施設「街中スタジアム」を建設する構想が打ち出した。ヴォルティスのホームスタジアムとして利用することを想定している[11]

練習場[編集]

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) [1] [1] [1]
FP(2nd) [1] [1] [1]
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

チームカラー[編集]

  •    [1]

ユニフォームスポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
大塚製薬 POCARI SWEAT 2004年-
背中 大塚製薬 大塚製薬 2005年-
アース製薬 アース 2005年-
パンツ 阿波銀行 阿波銀行 2014年-

ユニフォームサプライの遍歴[編集]

歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]

年度 背中 パンツ サプライヤー
2004 POCARI
SWEAT
Amino-Value Mizuno
2005 アース 大塚製薬
2006
2007
2008 AXAS Co.
2009
2010
2011
2012
2013
2014 阿波銀行

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai クラブガイド:徳島ヴォルティス”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年3月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e 徳島ヴォルティス 会社概要”. 徳島ヴォルティス. 2013年6月26日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 2012年度Jクラブ情報開示 資料 (PDF) Jリーグ公式サイト
  4. ^ a b 株主一覧”. 徳島ヴォルティス. 2013年8月30日閲覧。
  5. ^ 「ポンポコ倶楽部」誕生!!”. ヴォルティス日記 (2010年4月15日). 2013年8月30日閲覧。
  6. ^ J's GOAL 徳島:新加入選手・スタッフ記者会見(13.01.17)
  7. ^ “ヴォルティス、ガンバに零敗”. 徳島新聞. (2013年6月30日). http://www.topics.or.jp/localSports/122545366453/2013/06/2013_13725535326427.html 2013年11月25日閲覧。 
  8. ^ “ヴォルティス、3発6連勝”. 徳島新聞. (2013年8月5日). http://www.topics.or.jp/localSports/122545366453/2013/08/2013_13756671191187.html 2013年11月25日閲覧。 
  9. ^ 徳島勝った! 四国初のJ1 日刊スポーツ 2013年12月8日閲覧
  10. ^ 2014シーズン クラブスローガン決定のお知らせ 徳島ヴォルティスオフィシャルサイト 2014年1月20日閲覧
  11. ^ 徳島駅北にスタジアム 徳島ニュービジネス協、活性化へ構想”. 徳島新聞 (2012年1月1日). 2013年8月30日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]