徳島ヴォルティス
| 徳島ヴォルティス | |
|---|---|
| 原語表記 | 徳島ヴォルティス |
| 愛称 | ヴォルティス |
| クラブカラー | 青 |
| 創設年 | 1955年 |
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | Jリーグ ディビジョン2 |
| ホームタウン | 徳島市、鳴門市、美馬市 板野町、松茂町、藍住町 北島町を中心とする徳島県全県 |
| ホームスタジアム | 鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム |
| 収容人数 | 20,000 |
| 運営法人 | 徳島ヴォルティス株式会社 |
| 代表者 | 新田広一郎 |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 〒779-0108 徳島県板野郡板野町犬伏字瓢谷2-22 |
| 設立 | 2004年9月10日 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | サッカークラブの運営 |
| 代表者 | 新田広一郎 |
| 資本金 | 40,900万円 |
| 売上高 | 8億5,400万円(2011年1月期) |
| 営業利益 | 5,500万円 (2011年1月期) |
| 純利益 | 2,300万円 (2011年1月期) |
| 純資産 | 4億3,300万円 (2011年1月期) |
| 総資産 | 5億4,700万円 (2011年1月期) |
| 決算期 | 1月期 |
| 主要株主 | 大塚製薬 他 |
| 外部リンク | http://www.vortis.jp |
徳島ヴォルティス(とくしまヴォルティス、Tokushima Vortis)は、日本の徳島市、鳴門市、美馬市、板野町、松茂町、藍住町、北島町を中心とする徳島県全県にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
[編集] 概要
2004年9月に設立された「徳島ヴォルティス株式会社」が運営会社であり、徳島県、ホームタウンの各自治体(市町)、並びに大塚製薬グループ、徳島新聞販売所(徳島新聞本体は社団法人のため販売店を運営する子会社が出資)、四国放送、ケーブルテレビ徳島、阿波銀行、徳島銀行、四国旅客鉄道、テレビ鳴門、トヨタカローラ徳島など県内外の企業・団体などが出資している[1]。徳島市、鳴門市、美馬市、松茂町、板野町、北島町、藍住町を中心とした徳島県全県をホームタウンとしている。
[編集] ホームスタジアム
大塚製薬サッカー部時代は主に徳島市球技場を使用していた。また1993年までは徳島市にある大塚製薬徳島工場グラウンド(ナイター設備あり)も併用していたが、Jリーグ加盟後は徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場(2007年5月より鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアムへ改称)で開催している。
また、一度Jリーグ昇格構想が上がった1993-1995年ごろに、徳島県名西郡石井町の県有地にサッカー・ラグビー専用スタジアムの「徳島県スタジアム」(徳島県球技場とも。仮称)を建設する方針だったが、Jリーグ参戦見送りを受けてこのスタジアム建設計画も白紙・凍結された。
2012年1月1日、県内の経済団体から、徳島駅北の公有地に商業施設を備えた複合施設「街中スタジアム」を建設する構想が打ち出され、徳島ヴォルティスのホームスタジアムとして利用することが想定されている。[2]
J2昇格後、2005・2006年に高知県立春野総合運動公園陸上競技場、2007年に香川県立丸亀競技場で各1試合ずつホームゲームを行った。
[編集] 練習場
- 徳島スポーツビレッジ (板野町)
- 徳島市球技場
- 大塚製薬徳島工場グラウンド (徳島市。社有地につき見学不可)
[編集] 応援スタイル
大塚製薬サッカー部時代からの伝統でかつてサポーターは得点を取ると阿波踊りを踊っていた。Jリーグ加盟が決まったときもクラブ事務所で阿波踊りを踊ったほどである。また応援に用いる鳴り物としては太鼓が一般的であるが、阿波踊りに用いる鉦(かね、鉦鼓とも呼ぶ)も併用される。この応援スタイルはプロ野球四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスでも取り入れられている。
[編集] マスコットキャラクター
2009年6月12日にタヌキをモチーフにしたマスコットが発表され、名称を公募した結果、2009年7月20日に『ヴォルタくん』と『ティスちゃん』と発表された。
そのほかに、ホームゲーム(試合前・ハーフタイムなど)や徳島県内で開催されるイベントでは非公式マスコットの「ボール君」がクラブを代表して参加する(ボール型の着ぐるみをかぶっているが、顔と手足が出ているため、MCも可能)。
『ヴォルタくん』、『ティスちゃん』、『ボール君』とで「ぽんぽこ倶楽部」というユニットを組んでいる。
なお、マスコットにタヌキが選ばれたのは、阿波狸合戦に代表される徳島とタヌキの縁に因む。
[編集] 歴史
[編集] 前史
1955年に結成された「大塚製薬サッカー部」が前身であり、1978年から四国社会人リーグで4度の優勝、1990年には日本サッカーリーグ2部へ昇格を果たした。1992年からはジャパンフットボールリーグ、1999年からは「日本フットボールリーグ」(JFL)へそれぞれ参加。2003年および2004年にJFLで連続優勝を果たした。
Jリーグ参加には慎重な姿勢であったが、2004年9月に運営法人が設立され、Jリーグ加盟を申請。2005年からのJリーグ ディビジョン2(J2)入会が認められた。
Jリーグ参加に至るまでの経緯や大塚製薬サッカー部時代の経歴については「大塚製薬サッカー部」を参照
[編集] 2005年 - (J2)
[編集] 2005年
2004年シーズンに活躍した林威宏が開幕戦で負傷し、僅か1試合のみの出場という誤算があったものの、新加入した羽地登志晃(12得点)と小林康剛(11得点)のFW2人が二桁得点を挙げる活躍を見せ、伊藤彰・大森健作・高橋範夫などの他の新戦力も大場啓、片岡功二などとうまく調和し、7位の湘南と勝ち点2差の12チーム中9位に入った。
[編集] 2006年
チームは下位に低迷した。9月28日、大塚製薬から8年間チームを率いた田中真二が監督を辞任し、東泰ヘッドコーチが監督に就任したが、就任直後に行われた愛媛との四国ダービーで敗れるなど、最下位の13位でシーズンを終えた。
シーズン終了後、東が退任して今井雅隆が監督に就任。また、2年前の取り決め通りに大塚製薬の社員選手は翌年以降の進路選択を迫られた。大場は現役を引退して社業に専念、片岡は徳島とプロ選手契約を結んで大塚製薬を退社、林は選手を引退して徳島のユースコーチに就任など、それぞれの道を歩んだ。12月19日にはクラブ事務所が板野郡板野町犬伏にある徳島スポーツビレッジ内に移転した。この土地は板野町と大塚製薬が無料で貸与し、新年度からは練習場が徳島市内の大塚製薬徳島工場グラウンドからこちらに移される事になった。
[編集] 2007年
- クラブスローガン :「Re・ヴォルティス -再生への決意-」
今井体制で巻き返しを図ったが、勝ち点はまたも伸び悩んだ。クラブはシーズン中にも横浜FMから塩川岳人の獲得、甲府との間で羽地と長谷川太郎の交換トレード(長谷川はレンタル移籍)などの戦力整備を行ったが、効果は現れなかった。特に第43節から第50節にかけての7試合連続無得点敗北は、この期間を挟む757分連続無得点と共にJリーグ記録を作る程の極度の得点不足となり、勝ち点33で2年連続の最下位に終わった(合計31得点もリーグ最少)。
[編集] 2008年
- クラブスローガン :「闘走!~想いをひとつに~」
前年まで京都の監督だった美濃部直彦を監督に迎え、小林・長谷川・青葉幸洋・筒井・大森らが退団(青葉・筒井・大森の3人は現役引退)した一方、西河翔吾・藤田泰成・米田兼一郎などJ1経験を持つ選手を補強した。また、新外国人として、柏からドゥンビアをレンタルで獲得。そのドゥンビアは2年連続最下位だったチームを押し上げ、上位チームにも互角の戦いを演じるなど、徳島の戦力アップに貢献し、さらに5月にはコートジボワール代表に選ばれ、対日本戦でデビューした。日本代表ではないが、徳島からの代表選出は史上初となる。しかしそのドゥンビアが6月にBSCヤングボーイズに移籍することになり、チームから抜けると全く勝てなくなり、第20節から第37節まで1勝も出来ない(4分け13敗)など低迷、3年連続で最下位に終わった。その後代表者の高本浩司が3年連続最下位の責任として辞任、新田広一郎が後任社長へ就任した。天皇杯も初戦(3回戦)で国士舘大学に敗北した。
[編集] 2009年
- クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 前進あるのみ」
昨シーズンからチーム体制を大幅に変更した。まずは監督以外のコーチを全員解雇して新たなコーチを招聘、更に昨シーズンから15人の選手を大量に解雇、レンタル移籍だった外国人選手3人も契約を更新せず、石原・西河はレンタル元に復帰した。一方で、徳重隆明・三田光・高桑大二朗・上野秀章・井上渉・筑城和人・三木隆司・青山隼などのJ1経験者やぺ・スンジン・ファビオ・日野優などの必要なポジションの選手を獲得。更にシーズン途中、C大阪から若い世代の日本代表で実績をあげているFW柿谷曜一朗を期限付きで獲得する等、積極的に補強を行った。その結果、着実に勝ち点を重ね、19勝5分17敗の9位(18チーム中)と前年を大きく上回る順位でシーズンを終えた。天皇杯は初戦(2回戦)で鹿屋体育大学に敗北、2年連続で大学チームに苦杯を舐めた。
[編集] 2010年
- クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 不断前進」
柿谷をレンタル延長、レンタルだった青山を完全移籍で獲得するなど主力を維持する一方で、島田裕介、輪湖直樹、濱田武、平島崇らを獲得。また、津田知宏や平繁龍一をレンタルで獲得するなど、前年に続き積極補強を敢行。これにより、かつて京都で美濃部の下でプレーした選手がチームの各ポジションを占め、特に攻撃陣はJ2屈指の選手層を有することになった。また、初の下部組織出身者としてユースから岡卓磨が昇格。シーズン途中にはブラジルのトンベンセFCよりドウグラスをレンタル移籍で加入させ更に補強を進めた。新加入の津田、平繁、柿谷等の攻撃陣などがうまく噛み合い、開幕から4連勝で一時は首位となったが、その後は守備の不安定さもあり、負けが込んで失速し、8位となりJ1昇格は成らなかった。また、この年を最後に徳島ヴォルティス・セカンドを休止することが発表された。天皇杯は3年振りに初戦(ガイナーレ鳥取戦)を突破したが、3回戦で浦和に敗北した。
[編集] 2011年
- クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 全力前進」
4年目となる美濃部体制はチームとして初めてJ1昇格という目標を明言してシーズンに臨む。 羽地や挽地が引退、前年完全移籍で獲得した青山が浦和に移籍するなどの戦力放出もあったが、前年の主力であった津田、柿谷、ドウグラスをレンタル延長。さらに杉本恵太、衛藤裕、西嶋弘之、エリゼウ、榎本達也、ディビッドソン純マーカス、などを完全移籍で獲得。また島村毅、長谷川徹をレンタルで獲得した。またシーズン中の7月に仙台から斉藤大介を完全移籍で獲得。センターラインを中心に新戦力を獲得した2011年は序盤は4-3-3での流動的攻撃をテーマに戦い、津田復帰後は主に佐藤と津田の2トップの4-4-2で戦った。
シーズン開幕から津田やエリゼウ、ドウグラス、ペ・スンジンなど主軸を怪我で欠きなかなかフルメンバーが揃わなかったが、シーズンを通して昇格争いに絡み7月31日の第23節を終えた時点ではFC東京を上回る1位に躍り出る事もあった。その後は札幌・鳥栖の後半戦の巻き返しなどもあり、一時は5位まで順位を落とすが9月以降は上位戦や愛媛戦などで取りこぼしはあったものの、連敗は無く徐々に勝ち点を積み上げていった。 しかし、昇格争いの天王山となった11月27日のホームでの鳥栖戦で0-3で敗戦。12月3日の最終節も岡山に敗北。シーズン4位となり、J1昇格はならなかった。
シーズン終了後、昇格失敗の責任を取り美濃部が監督を退任、上野秀章が引退してアカデミーコーチに就任、島田裕介、六車拓也、福島新太、東北サッカーリーグ・グルージャ盛岡にレンタル移籍していた大原卓丈(その後東北サッカーリーグ・福島ユナイテッドFCへ移籍)が退団、島村毅(湘南に復帰)、柿谷曜一朗(C大阪へ復帰)がレンタル移籍期間満了、佐藤晃大(G大阪)、ぺ・スンジン(横浜FC)、輪湖直樹(水戸)、倉貫一毅(京都)、登尾顕徳(北九州)、ディビッドソン純マーカス(MLS・バンクーバー・ホワイトキャップス)が移籍、安藤寛明がレンタル移籍していたJFL・HOYO大分に完全移籍した。
[編集] 2012年
新監督に昨シーズン山形の監督だった小林伸二が監督に就任した。
宮崎光平、太田圭輔、鈴木達也、花井聖、那須川将大、大久保裕樹、福元洋平、ジオゴを完全移籍で、上里一将、青山隼をレンタル移籍で獲得、レンタル移籍だった津田知宏、長谷川徹が完全移籍に移行、ドウグラスのレンタル移籍期間が延長、阿部一樹がレンタル移籍期間満潮に伴い復帰、1度戦力外にしたエリゼウと再契約した。
[編集] 成績
詳細は「徳島ヴォルティスの年度別成績一覧」を参照
[編集] 獲得タイトル
- 現在まで獲得タイトルは無し。
[編集] ユニフォーム
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[編集] チームカラー
- 青
[編集] ユニフォームスポンサー
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
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| 胸 | 大塚製薬 | POCARI SWEAT | 2004年〜 | |
| 背中 | 大塚製薬 | 大塚製薬 | 2005年〜 | |
| 袖 | アース製薬 | アース製薬 | 2005年〜 | |
| パンツ | アクサス | AXAS Co. | 2008年〜 |
[編集] ユニフォームサプライの遍歴
- 2005年~ ミズノ
[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 2004 | POCARI SWEAT |
Amino-Value | 阿波銀行 | 四国放送 | Mizuno |
| 2005 | アース | 大塚製薬 | |||
| 2006 | |||||
| 2007 | |||||
| 2008 | AXAS Co. | ||||
| 2009 | |||||
| 2010 | |||||
| 2011 |
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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