FC岐阜

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FC岐阜
原語表記 FC岐阜
クラブカラー    
創設年 2001年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン2
ホームタウン 岐阜市を中心とする岐阜県全県
ホームスタジアム
Nagaragawa Stadium 2.JPG
岐阜メモリアルセンター長良川競技場
収容人数 31,000
運営法人 株式会社岐阜フットボールクラブ
代表者 今西和男
監督 日本の旗行徳浩二
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社岐阜フットボールクラブ
Gifu Football Club Co., Ltd.
種類 株式会社
略称 岐阜FC
本社所在地 〒502-0841
岐阜県岐阜市学園町3-42未来会館2F
設立 2006年8月30日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 今西和男
資本金 1億1,100万円
売上高 5億1,900万円 (2011年1月期)
営業利益 1,400万円 (2011年1月期)
純利益 100万円 (2011年1月期)
純資産 ▲9,500万円 (2011年1月期)
決算期 1月期
外部リンク http://www.fc-gifu.com
特記事項:2001年4月に任意団体として設立。2002年から2006年までNPO法人スティックルバックスポーツクラブが運営。
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FC岐阜(エフシーぎふ)は、日本岐阜市を中心とする岐阜県全県にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。「NPO法人FC岐阜スティックルバック」のサッカー部門のトップカテゴリーのチームである。

目次

[編集] 概要

2001年4月、国体に向けて強化する目的で岐阜県サッカー協会により創設。翌2002年、岐阜経済大学が中心となって地域に根ざした総合スポーツクラブの実現を目指して設立された、「NPO法人スティックルバックスポーツクラブ(SSC)」が運営母体となった。SSCはまず陸上競技部門とサッカー部門を編成し、2004年からラグビー部門を設立。サッカー部門のトップチームはJリーグ加盟を目指すため、2006年8月30日に株式会社岐阜フットボールクラブを設立し独立した。

2008年Jリーグ加盟。これに伴いSSCのサッカー部門の育成普及事業を株式会社岐阜FCに移管、SSCを現在の「NPO法人FC岐阜スティックルバック」に名称変更した[1]。チームカラーやエンブレムなどは県花である「レンゲソウ」をモチーフとしている。

SSCのサッカー部門は以下の編成となっている。

  • FC岐阜 - 2001年設立。株式会社岐阜フットボールクラブが運営。
    • FC岐阜 - 2008年Jリーグに加盟。
    • FC岐阜SECOND - 2006年に「FC岐阜B」として設立、2008年名称変更。2012年のぎふ清流国体を目指して編成。
    • 下部組織 - 2008年にSSCのジュニアユースおよびサッカースクールから移管。
      • U-18、U-15、U-14、スクール
  • FC岐阜教員 - 岐阜県教育委員会教員チーム。
  • FC岐阜ユニバ - 岐阜経済大学サッカー部。
  • FC岐阜BELTA - 女子チーム。1985年に「岐阜女子フットボールクラブ」として設立、2005年にSSC加盟。
  • FC岐阜シニア
  • FC岐阜フットサル

ホームスタジアムは、岐阜メモリアルセンター長良川競技場である。

[編集] クラブの歴史

[編集] 2005年 - 2006年(東海リーグ)

[編集] 2005年

名古屋森山泰行が入団。この森山の入団がきっかけとなり、クラブはJリーグ昇格を本格的に目指す事となる。最終節前節までは3位だったが最終節に7-0の大量得点を挙げ、得失点差「1」で上回るという大逆転で東海社会人リーグ2部を2位で終え、2006年シーズンの1部リーグ昇格を決めた。これは試合会場の名前から「口論義の奇跡」として語り種になっている。

[編集] 2006年

シーズン開始前にJリーグ加盟を前提としたFC岐阜法人設立準備室(室長 吉田勝利)が出来る。
東海1部リーグで21世紀以後の4回中3回優勝した実力を持つ静岡FCに勝ち点差11を付けて、全14試合のリーグ戦で12勝2分けで初出場優勝、全国地域サッカーリーグ決勝大会へ東海リーグ枠での出場権を獲得。
地域リーグ決勝大会の決勝リーグではTDKに次いで2位に入り、ホンダロックとの入れ替え戦へ進出。入れ替え戦では、第1戦を4-0、第2戦を4-1と2連勝して2007年からの日本フットボールリーグ(JFL)昇格が確定した。岐阜県勢のチームがJFL以上の全国社会人サッカーリーグの出場権を得たのは西濃運輸以来。
8月30日、運営業務会社「株式会社岐阜フットボールクラブ」(代表取締役 鈴木誠)が設立された。

[編集] 2007年(JFL)

Jリーグ入会を祝って岐阜市庁舎に掲げられた横断幕
2007年1月、Jリーグ準加盟申請を行うが常勤役員1名、常勤スタッフ2名の確保という条項を満たしておらず継続審議となる。しかし同年3月に行われた再審議の結果、「経営基盤の強化」という条件付で準加盟が承認された。その後8月末までに経営の改善を求め、ヒアリング審査を行った上で9月に正式な準加盟承認を目指すとしたが、Jリーグがそれを見送り、12月まで猶予することに。
2005年から顧問を務めていた元広島総監督今西和男が、2007年1月ゼネラルマネージャー(GM)に就任した。また6月21日にJFL第17節から、戸塚哲也に代わって松永英機ヘッドコーチが監督に就任した。
中盤こそ2連敗の試合が続いたが、3連敗以上はせず、安定した戦いぶりを見せた。しかし11月25日にあった佐川急便SCとのホーム最終戦で大敗(1-3)を喫し、J2加盟できるかどうか微妙になったが、12月2日のアルテ高崎との対戦に勝利してシーズンを3位で終了しJ2加盟の順位上の条件を達成し、12月3日に開催されたJリーグの臨時理事会で2008年度からJ2でプレーすることが正式決定された。なおJリーグクラブ誕生は東海3県においては、名古屋についで2クラブ目である。

[編集] 2008年 - (J2)

[編集] 2008年

チームスローガン:「Chance! Challenge! Change!」
J2に昇格して初のシーズンとなり、序盤戦は4月12日の福岡戦で5分間で4点を奪って逆転勝ち[2]するなど、JFLからの昇格の勢いも手伝って、一時は3位(第4節)、1巡目終了時には8位になったものの、シーズン中盤からは攻撃陣の決定力不足と、対戦が一巡したことで戦略面での分析が他チームにされたこと、さらに1巡目に失点が多かったことから導入した守備重視のチーム設計が裏目に出たこともあってか、引き分けの多い試合展開、もしくはゲーム終盤に失点を招くという試合が多くなった。特に2巡目終了から3巡目に差し掛かった7月12日~9月23日の間までは13試合勝ちなし(5分8敗、うち8月24日~9月23日までは6連敗)となり、9月7日の広島戦では7点、同月15日のC大阪戦では6点を取られる大敗を喫した。これらがきっかけとなってチームが失速。13位で終えた。
シーズン終盤には、折からの経営危機がチーム運営に水を差し、12月1日にはレギュラー選手を含む15人の大量解雇を発表した。
典型的な「外弁慶」のシーズンでもあり、10勝のうち、ホームではわずか3勝しか挙げられなかったのに対し、アウェイでは7勝を挙げている。アウェイで大勝することも多いが、対照的にホームでは接戦で勝つのがやっとであった。また、ホーム・アウェイ関係なく大敗を食らうことも多く、特に3戦3敗を喫したC大阪からは3試合で合計12失点(得点は0)している。

[編集] 2009年

太字の選手は天皇杯準々決勝のスターティングメンバー。
チームスローガン:「Challenge to・・・!」
昇格2年目のシーズンは、昨シーズン15人の選手を解雇したため、新たに15人の選手を獲得。そのうち大学生が9人、高校生が2人と若手を積極的に補強し、後はJFLのチームからJリーグ経験のある選手の獲得と、Jリーグの他チームからの補強を一切しなかった。シーズン序盤は、若手中心のメンバーであったことや、チームの財政難の問題もあってか勝ちきれない試合も多く、また6月にチームの絶対的エースだったFW片桐淳至甲府への移籍もあり、戦力面がかなり心配されていた。しかし、シーズンが進むごとにチームは勝ち星をあげていき、前年3勝しか上げられなかったホームでの成績も、5月2日の東京V戦の引き分けから8月16日の札幌戦で敗れるまで、11戦負けなしという記録が作られるほど回復し、この期間に去年全く勝てなかったC大阪からも勝利している。また片桐の移籍で心配された攻撃陣も、FW西川優大佐藤洸一の新卒ツインタワーの2トップや、Jリーグ2年目でキャプテンを務めチームのエースになったMF菅和範が活躍。結局、去年の1つ上の12位と最終目標の10位には届かなかったが、戦力が充実していた去年とは違う若手主体のチームで戦い抜いたことは、チームにとって大きな成長に繋がった。
天皇杯全日本サッカー選手権大会では堅守を生かしたプレーで、4回戦では千葉を相手にDF吉本一謙のゴールにより1-0で対J1クラブ初勝利を挙げ、準々決勝で名古屋に敗北したが、ベスト8へ進出した。

[編集] 2010年

チームスローガン:「前進し続けること STEP BY STEP BY STEP」
新監督に倉田安治を迎えヘッドコーチには元刈谷監督の浮氣哲郎が就任、3年後のJ1昇格を目標として基礎づくりに入った。
高木和正栃木)、橋内竜真JFLびわこ草津レンタル移籍)が移籍、菊池完大友慧水谷允俊らが退団。代わりに、村尾龍矢村上一樹阪本一仁山内智裕(2009年は特別指定選手)が入団。朴基棟フラビオ・ペレイラの新外国人選手が加入。吉本一謙押谷祐樹のレンタル移籍期間が延長した。また、今西和男に変わって服部順一がゼネラルマネージャーに就き、今西は社長業に専念することとなった。また、岐阜市の姉妹都市であるブラジルカンピーナスとの交流事業の一環として同市のサッカー選手サイモン・ガブリエルを獲得。7月には元FC刈谷池上礼一を獲得、大宮より新井涼平をレンタル移籍で獲得。2010年は、J2試合数が大幅に減ったことと、FW陣の不振もあり、最終的に14位と、結果的に見て昨年の12位より順位が2つ下がり、得点がほぼ半分に激減してしまったが、逆に守備が若干安定し、内容的に安定した試合が所々見受けられるシーズンとなった。

[編集] 2011年

チームスローガン:「共に創る STEP BY STEP BY STEP」
この年は元広島監督で今西とは旧知の仲だった木村孝洋が強化部長に就任することが内定していたが、資金難により補強が十分にできないことに対する不満から倉田が辞任したため、急遽木村が後任の監督に就任した。これに伴い強化部長は服部がGMと兼任することになり、チームOBの山田正道が強化部に配置された。
朴基棟光州へ移籍、吉本一謙がレンタル移籍期間満了につきFC東京に復帰、朴俊慶が退団(その後引退)。代わりに三田光徳島)、李漢宰札幌)が完全移籍で、エフライン・リンタロウ)がレンタル移籍で加入、佐光塁ラファエル野田明弘が新加入した。また、6月には川浪吾郎が(柏)がレンタル移籍で加入した。
木村の方針により選手に自由を与えた攻撃的なサッカーを目指したが、前年は比較的安定していた守備が崩壊。攻撃も機能せずに第20節から6試合連続での無得点負けを喫した。後半戦になると攻撃面ではある程度の改善が見られたが、それ以上に失点が多かったためチームの浮上には結びつかなかった。結局、第11節(5試合目)で最下位に転落すると一度も脱出できずにクラブ史上初のJ2最下位に沈み、木村は低迷の責任を取ってシーズン限りで辞任した。

[編集] 2012年

チームスローガン:「MOVingこころ、ひとつに。 」
監督にかつて清水ブータン代表の監督も務めた行徳浩二が就任。
秋田英義嶋田正吾重成俊弥池上礼一野本泰崇が退団、3年間在籍していた押谷祐樹川浪吾郎がレンタル移籍期間満了につきそれぞれ磐田に復帰、新井涼平がレンタル移籍期間満了により退団(その後北九州に完全移籍)、チームを支えてきた菅和範栃木に、西川優大富山に完全移籍、レンタル移籍していた永芳卓磨大分に完全移籍となった。
補強は鳥取から元日本代表服部年宏梅田直哉愛媛から池田昇平、北九州から時久省吾が完全移籍で、神戸から廣田隆治をレンタル移籍で獲得、関田寛士地主園秀美が新加入した。

[編集] 成績

[編集] ホームスタジアム

長良川球技メドウ

Jリーグ加盟以前は、長良川球技メドウ(以下メドウ)を主に使用していたが、メドウの収容人数が3,560人なのに対し、Jリーグが定める規定によると

  • 「収容人数:10,000人以上。最低メイン、バックスタンドは個人席またはベンチシート。ただし芝生席は観客席とみなされない」

など、Jリーグ ディビジョン2開催基準を満たさないメドウを、J2参入後は改修もせずに使用することは困難であったため、ホームスタジアムをメドウから約300メートル南に立地している岐阜メモリアルセンター長良川競技場(以下、長良川競技場)へ変更し、2008年、2009年および2011年以降は岐阜県内で開催する全てのホームゲームは長良川競技場で開催している。

なお、2010年は長良川競技場で2012年ぎふ清流国体に向けてトラック、スタンドなどの改修工事が行われたため、メドウを暫定的なホームスタジアムとして試合を行った[3]

2010年シーズン前は一部の試合を愛知県一宮市光明寺公園球技場(光明寺公園球技場は岐阜県との県境にある)を使用する予定もあったが、実際は、3月から4月の序盤3試合を長良川競技場で行った以外は、全てメドウで開催された。なお、メドウ開催中はゴール裏に鉄骨製仮設スタンドを敷設し、構造上の関係で大旗使用禁止・原則着席のみ、であった。

[編集] 経営問題

  • Jリーグ経営諮問委員会で経営状態が指摘され、2007年10月に岐阜市内の製菓会社社長を理事長とする「FC岐阜個人持株会」を設立し、1口5万円での出資募集を開始した(なおこの持株会には、「試合以外で個人としてもチームを支えたい」として、小峯隆幸が入会したことも有名となった)。持株会発足以降、駅前などでサポーター達が出資の呼びかけを訴える街頭活動を行っている。この結果2011年12月31日現在で611口・計3055万円が集まっている。
  • 2008年シーズンは、重要な収入源の一つであるユニフォームの胸・背中・袖にスポンサーが全く付かず、その状況は2009年シーズンの中盤まで続いた。
2008年シーズン終了時、3億366万円の累積赤字と1億4,616万円の債務超過であったため、Jリーグより公式試合安定開催基金から5,000万円の融資を受けた(ザスパ草津に次いで2例目)。
  • 2009年6月24日には、入場者数が当初の予想より大幅に下回っていることを発表し、併せてこのままの状況が推移すれば当初の予想興行収入である1億円を下回る可能性があり、Jリーグ・公式試合安定開催基金より借入した5,000万円の融資を返済した後、選手やスタッフに給与の支払いができなくなるほど資金が底を突く可能性があるとも発表。(そのような事態が起こらないために)再びホームゲームでファンやサポーター達に呼びかけを行うことを明らかにしている。
  • 2010年4月16日に公式試合安定開催基金から融資された5,000万円を返済したと発表。
  • 2010年にメドウで開催されるようになってからは、観客は3,000人台と少ないが、満席となる試合が多くなったうえに、入場料収入も前年以前と比べて改善された。
  • 2011年4月26日には、2010年度の決算が発表され、経営改善の結果としてJリーグ加盟後初の単年度黒字を達成した。

[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd) グレー グレー グレー
GK(1st) 水色 水色 水色
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

[編集] チームカラー

  •    

[編集] ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
なし
背中 エディオン EIDEN 2011年- 2010年は袖
なし
パンツ コパン COPIN 2010年-

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
2006 アクトス - アサヒ給湯 - Lotto
2007 - アクトス -
2008 - - -/名進研 Mizuno
2009 -/AmetVi -/サン・メイト - 名進研/山中製菓
2010 REALWORLD EIDEN -/鈴木栄光堂 COPIN
2011 ぎふ清流国体 鈴木栄光堂 EIDEN
2012 - -

2011年の胸スポンサーだった「ぎふ清流国体」は契約金の発生しない無償での掲出だった[4]

[編集] メディア

JFL時代
試合の中継は、地上波では岐阜放送が2006年度のシーズン中に、数回中継する程度であるが、ケーブルテレビでは、シーシーエヌがホーム戦を主に中継した。シーシーエヌは、応援番組も放送した。
なお2006年12月17日・23日にそれぞれホーム&アウェイ方式で開催された、JFL入れ替え戦(vs.ホンダロック)の試合を、17日は岐阜放送ラジオ、シーシーエヌ、23日は岐阜放送テレビ、シーシーエヌが生中継した
Jリーグ昇格後
2008年シーズンでは2月24日に開催された『プレシーズンマッチFC岐阜VS名古屋グランパス』の地上波中継はメ〜テレが深夜に録画中継を行ったほか、岐阜放送がスカイパーフェクTV!向けに制作し、後日パーフェクト・チョイスにて無料放送された。レギュラーシーズンはNHK岐阜放送局(J2開幕戦3月9日の生中継が最初)と岐阜放送(3月16日の生中継が最初)とメ〜テレ(3月23日の録画中継が最初)で中継が行われる。なお、スカパーでの中継では、Jリーグからの委託を受けて、業務提携関係にある岐阜放送とメ〜テレが試合ごとに映像を製作する。ラジオでは主に地元コミュニティFM放送のFMわっちが生中継を行い、2009年7月19日の対横浜FC戦の中継より会場限定のミニFM局を開設して解説付の観戦を楽しむことが出来るようになっている。

[編集] 脚注

  1. ^ 岐阜経済大学は、株式会社岐阜フットボールクラブと連携協定を締結しました 岐阜経済大学リリース、 2008年5月25日
  2. ^ 2008 J2 第7節 福岡 vs 岐阜 J's GOAL ゲームサマリー
  3. ^ 中日新聞:FC岐阜、長良川球技メドウにホーム変更:岐阜(CHUNICHI Web)
  4. ^ 2011年オフィシャルユニフォームスポンサー決定のお知らせ FC岐阜公式ホームページ 2011年2月24日

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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