アルテ高崎

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アルテ高崎
原語表記 アルテ高崎
愛称 アルテ
クラブカラー      赤、    白、    
創設年 1996年
解散年 2011年
ホームタウン 群馬県高崎市
ホームスタジアム 高崎市浜川陸上競技場
群馬県立敷島公園サッカー・ラグビー場
収容人数 2,320
代表者 堀越哲二
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

アルテ高崎(アルテたかさき、Arte Takasaki)は、、かつて日本フットボールリーグ(JFL)などで活動した日本サッカーチーム。ホームタウンは群馬県高崎市。旧チーム名は(群馬)FCホリコシ。

概要[編集]

クラブは群馬県の学校法人堀越学園学校法人堀越学園 (東京都)とは別の法人)が運営する社会人サッカークラブ。

2006年に公募で決まった愛称の「アルテ」は、観ている人々に感動と喜びを与えるような芸術的(ポルトガル語だとARTE)なサッカーを目指すという意味と、高崎が群馬交響楽団の本拠地でもある芸術(ART)の街でもあることに由来。またギリシャ神話の狩猟の女神であるアルテミスのように、狙った獲物は確実にしとめ、試合に確実に勝利できるようにという願いも込められたものであった。

群馬県高崎市をホームタウンとし、高崎市浜川陸上競技場のほか、前橋市群馬県立敷島公園サッカー・ラグビー場をホームスタジアムとして使用していた。

2004年4月に開校した堀越学園グループの創造学園大学サッカー部と連携し、同チームに指導者を派遣して選手育成するなど、人材交流を展開していた。

歴史[編集]

ホームスタジアムとして使用していた高崎市浜川陸上競技場
ホームスタジアムとして使用していた群馬県立敷島公園サッカー・ラグビー場

母体チームは1996年に結成された「マッキーFC」。FCホリコシとして再結成された2000年[1]群馬県社会人サッカーリーグ2部で全勝、翌年も同1部で全勝優勝して関東サッカーリーグに昇格。2003年、同1部で優勝。FC京都BAMB1993との入れ替え戦を制して、2004年から日本フットボールリーグ(JFL)へ昇格した。

2004年11月13日天皇杯4回戦では柏レイソルを1-0で下す快挙を成し遂げた。

2005年1月、チーム名から「群馬」を削って「FCホリコシ」に改めることになった。これは高崎市の市民チームとして定着させることを念頭においた暫定的なものと考えられている。なお日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)への参入に当って、当初2005年度からの参入を目指したが準備が間に合わず2006年度からの参入に方針を転換、2005年9月に加盟申請書をJリーグに提出し本拠地を群馬県立敷島公園県営陸上競技場にするなど具体案を示した。しかし必要書類が不十分として参入は見送られ、その後に導入されたJリーグ準加盟制度への加入申請も行わず、チームのJリーグ参加実現は完全に暗礁へ乗り上げた(その後施設利用規定の改定によりアルテ高崎の群馬県立敷島公園県営陸上競技場の使用ができなくなった)。

2005年12月、FCホリコシは高崎を必ず名前に入れることを条件にチーム名を公募、2006年1月にチーム名を「アルテ高崎」とすることを発表した。

2006年は成績不振になったこともあり監督がめまぐるしく代わった。またシーズン中及びシーズン終了後に資金難を理由に監督兼任だったアマラオはじめ、主力選手が大量退団した。結局主力選手の退団で選手層が薄くなったこともあり、シーズン通して安定した戦いができず、順位も10位に落とした。

2007年はアルゼンチン人のピボを監督へ招聘して臨んだが、選手層の薄さもあって、開幕戦に勝利以後は33試合で勝利を挙げられず、シーズン途中でピポが監督を辞任、勝ち点はJFL最低記録の7に留まり年間最下位となった。年間総得点17も2回戦総当たりではリーグ最低記録となった。

本来なら全国地域リーグ決勝大会の上位チームと入れ替え戦を行い、地域リーグに降格する可能性もあったが、この年はロッソ熊本FC岐阜のJ2参入とアローズ北陸YKK APサッカー部統合によるJFLのチーム数減少のため入れ替え戦は行われず、辛うじてJFL残留が決まった。なお岐阜はリーグ最終節の対戦相手だったが、この試合で岐阜が引き分け以下だった場合最終順位は5位で昇格を逃し入れ替え戦が実施されていた可能性が高く、皮肉にも「負けて残留を決める」という形になった。

2008年も開幕から勝利を挙げることができず、このため渡辺克之監督が前期第12節で辞任し、新たに幸谷秀巳を監督に迎えた。そして、前期第14節(6月1日)にソニー仙台FC戦で約1年2ヶ月ぶりに勝利をあげた。ちなみに、2007年前期第2節から2008年前期第13節までのリーグ戦46試合連続未勝利記録はJFLのワースト記録となった(この記録は他のサッカーリーグでも例がなく、ごく稀な記録である。Jリーグ記録はギラヴァンツ北九州の35試合連続である)。また、最終節(11月30日)のHonda FC戦では一試合11失点のJFLワーストタイ記録となってしまった(アルテ高崎も1得点しており一試合で合計12得点はJFL記録となった)。また、年間失点数が107となり、これもJFL最低記録となってしまった。順位も地域リーグ降格圏内の17位になってしまったが、栃木SCカターレ富山ファジアーノ岡山の3チームがJリーグに昇格したため、前年に続いてJFLに残留することになった。

2009年は幸谷に代わって横浜FCユース監督の後藤義一を新監督に招聘。前期は上位に食い込む健闘をみせたが後期に失速し、14位に終わった。それでも前年の失点数が107だったのを46まで減らし、自力残留も果たした。

しかし2010年は前期こそ11位で折り返したものの、リーグ最低の得点力だったこともあり、後期はわずかに1勝しか挙げられず(後期の順位は18位)後期第10節から最終節まで8連敗を喫した。特に最終節の佐川印刷戦は引き分けでも残留が決まる状況だったにもかかわらず、ロスタイムに勝ち越されて17位だったジェフリザーブズが勝利し、勝ち点で上回ってしまったためアルテが17位に転落、入れ替え戦に回った(本来、17位は地域リーグへ自動降格となってしまうがガイナーレ鳥取がJ2昇格の4位以内を確定したため、17位は入れ替え戦回りとなった)。そして入れ替え戦三洋電機洲本との対戦となったが、第1戦のアウェー戦に大勝したこともあり、2試合合計で1勝1分で辛うじてJFL残留が決まった。JFL所属チームが入れ替え戦でJFL残留を決めたのは2002年ジヤトコサッカー部以来8年ぶり2チーム目となった。

2011年JAPANサッカーカレッジから土井良太が加入するなど、9人が加入した。得点力は土井がチーム得点王となる9点を獲得したが、勝ち点を落とす試合も多く、結果16位で本来なら前年と同じく入れ替え戦回りとなるが、FC町田ゼルビア松本山雅FCがJリーグに昇格、ジェフリザーブズのチーム解散に伴うJFL脱退によりJFL残留することになった。

またJ2昇格決定試合にアルテが関わっていることが多く、前述のFC岐阜の他に2008年の栃木SC、2009年のニューウェーブ北九州、2010年のガイナーレ鳥取まで4年連続でいわゆるJ2への見送りという不名誉な記録を作った(このうち3度は見送っていなければ降格の可能性が高まるという皮肉な形となった)。

2011年12月、2012年以降の活動が困難であることからチーム移管をしたい旨の要望があり、 同月16日に開催された2011年度第5回JFL理事会にてこの旨を報告し、2012年1月早々に再度審議を行った。 その後、移管について準備してきたが、移管先団体より法人の運営も含め不安定な要素が多く、 法人を設立し健全なチーム運営を行っていくには厳しい状況である事を理由に、2012年1月13日午前に移管を辞退する旨の申し出が 文書にて提出され、移管が不成立に終わった。 そのため、JFL理事会において、前記の結果を受けアルテ高崎の今後のJFLでの活動は困難と判断し、その後、運営団体である株式会社J・SからもJFLから退会したい旨の文書が提出され、JFLでの活動は 2011年度をもって終了した[2]。また、規約上群馬県1部リーグへの降格となるが、群馬県リーグでの2012年度の参加も辞退するほか、下部組織もアルテ高崎とは別の組織で活動を行うことになり(但し小学生のU-12チームが「モスバーガー杯小学生大会」の群馬予選に優勝しており、全国大会終了まで活動する予定であるとされている)、当面の間チームの活動を休止する事となった[3]

チーム成績・歴代監督[編集]

年度 所属 順位 勝点 試合 得点 失点 得失 天皇杯 監督
1996 群馬県2部A 優勝 県予選3位
1997 群馬県1部 7位
1998 群馬県2部A 11
1999 2位 11
2000 優勝 0 0 1回戦 鈴木隣
2001 群馬県1部 優勝 36 12 12 0 0 2回戦 山出邦男
2002 関東 2位 22 9 6(1) - 3(0) 20 16 4 2回戦
2003 関東1部 優勝 35 14 11 2 1 49 13 36 県予選準優勝 池田司信
2004 JFL 8位 41 30 11 8 11 48 47 1 5回戦
2005 8位 48 30 15 3 12 53 40 13 3回戦 三輪和幸/小見幸隆
2006 10位 37 34 10 7 17 36 62 -26 2回戦 金光浩浜口和義
アマラオ (選手兼任)
2007 18位 7 34 1 4 29 17 71 -54 県予選敗退 ピポ/渡辺克之
2008 17位 20 34 5 5 24 40 107 -67 1回戦 渡辺克之/幸谷秀巳
2009 14位 40 34 9 13 12 34 46 -12 2回戦 後藤義一
2010 17位 29 34 7 8 19 28 51 -23 2回戦
2011 16位 34 33 9 7 17 39 55 -16 2回戦
  • (  )内の数字は、PK戦

永久欠番[編集]

  • 30 加藤康祐 - 2005年2月6日、練習中に心室細動を起こし急逝。チームへの功績を称えて2005年、永久欠番に指定。

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd)
GK(1st) 黄×黒
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

クラブカラー[編集]

  •      赤、    白、    

スポンサー[編集]

ユニフォームサプライの遍歴[編集]

  • 2004 - 2006年 PENALTY
  • 2006 - 2008年 A-LINE
  • 2009年 - 2010年 LOHAS
  • 2011年 goleador

A-LINEとの契約は2008年で終了し、2009年より新しく「LOHAS」と契約したが、「LOHAS」というユニフォームのメーカー・ブランドは存在せず、不明な部分は多い。また、「LOHAS」がスポンサーである時期にはビブスなどの供給を受けられず、A-LINEのロゴが入ったのビブスを着用していたり、ユニフォームもロゴが剥がれた状態で着用し続けたなど、チームのスポンサー難や資金的な厳しさを如実に物語っていた。

なお、ユニフォーム・ビブスなどは全てチームの所有物である為、選手には貸与という形で与えられ、退団時にはチームに返却するというシステムになっていた。

歴代所属選手[編集]

背番号変遷 (2000年-2009年)[編集]

No. 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009
監督 鈴木隣 山出邦男 池田司信 三輪和幸
小見幸隆
金光浩
浜口和義
アマラオ
ピポ
渡辺克之
渡辺克之
幸谷秀巳
後藤義一
1 蓮寛正俊 井坂進一 鏑木豪 和田翔太 斯波薫
2 竹内泰孝 山村泰弘 小澤慶二郎 高木成太 田尾知己 小柴翔太 小島直希
3 近賀健太郎 小川大介 三本菅崇 - - - 岩澤徹
4 高橋勇菊 神田文之 神田文之
梁英二
貞富信宏 松本三四郎 西村陽毅 井上恭平
5 生井洋祐 深田慶太 白山貴俊 ファブリシオ
大谷昌司
小川裕史
6 島崎寛之 木村哲昌 瀬田元吾 山田正道
高畑浩二
山田正道 今井雅貴 秋葉勇志
7 飯塚勝大 菅野賢一 アマラオ 川股要佑 山田裕也
8 清水幸司 清水武士 大谷武大 大谷武大
サントス
冨田晋矢
小川雄司
小川雄司 河村勝 川勾邦明
9 福島謙二 藏川洋平 磯山和司 田中靖大 久保田圭一
10 越智稔 北原健二 森陽一 斉藤紀由 高須洋平 里見仁義 大谷昌司
11 苫米地健一 村田教生 森陽一 奈良安剛 アマラオ アマラオ
山本朝陽
杉山琢也 田中翔太
12 井坂進一 道本大三郎 サポーターズナンバー 野尻衛 サポーターズナンバー
13 石田裕彦 井上賢治 山田智也 杉山琢也 石沢泰羅 亘崇詞
吉澤正悟
14 石川裕介 高山洋平 羽山拓巳 細貝聡 細貝聡
田中靖大
亘崇詞 石沢泰羅
15 青木康真 水戸大輔 三本菅崇 平間智和 松本三四郎 タファエル
ラウール
阿久澤剛 山藤健太
16 北村豪 浜岡寛 エヴァンドロ 町田多聞 樋口昌俊 梁英二 岩間雄大
17 浜岡寛 高平和樹 ダニロ 照井篤 - - - 飯室綾太
18 桜井勇介 清水幸司 小松原学 浅野大地 森陽一
安田和弘
安田和弘
ボナフィナ
- 杉山琢也
19 大石篤人 生井洋祐 奈良紳太郎 笵偉 阿部巧也 チアゴ チアゴ
内田一平
-
20 渡邉順平 上田高志 小山大樹 川勾邦明 蒲原直樹
21 八重樫豊 蓮寛正俊 - 加藤康祐 宮本英俊 高須洋平 高橋竜太 津本貴啓
22 浅倉丈太郎 北村豪 水戸大輔 生方育大
川股要佑
川股要佑 浜岡寛
23 斉藤尚人 川口健一 浜岡寛 金久保勝仁 片山弘之 高尚徳 石川貢 小川裕史 白山貴俊
24 江原昇 佐藤篤 兼松直紀 川勾邦明 大野寿久 大井逸都 田中翔太 大越崇司
25 糸井洋平 小野田伸悟 谷奥智 正野豊 奈良安剛 今井雅貴 水野和樹 白山貴俊 内田一平
植松俊行
26 - - - - 細川功 矢部次郎 神谷恭平
27 - - - - 小野貴裕
チュウミ
チュウミ 河村勝 - 増田清一
28 - - - - 大野寿久 小松原学 山本朝陽 石沢泰羅 床井伸太朗 正木秀俊
29 - - - - - 斉藤紀由 ベット - - 田代主水
30 長井秀樹 - - - 中西功 加藤康祐 永久欠番
31 シュナイダー - - - 宮本英俊 鏑木豪 堀之内健介 岩舘直 津本貴啓 岩舘直
32 - - - - - 大澤一俊 秋元崇 工藤光俊 森慶太
33 - - - - - 片桐淳至 黄永宗 村木伸二 久保田圭一 田中賢治
34 - - - - - - 浅野大地 秋葉勇志 -
35 - - - - - 岡田大
37 木野雅之 - - - - - - - - -

背番号変遷 (2010年-2011年)[編集]

No. 2010 2011
監督 後藤義一
1 安藤淳也
2 小島直希
3 岩澤徹
4 長谷川務
5 小川裕史 小林亮太
6 秋葉勇志 川里光太郎
7 山田裕也
8 森慶太 島優也
9 - 伊藤和基
10 石沢泰羅
11 伊藤和基 小林定人
12 サポーターズナンバー
13 一柳穣 佐藤大樹
14 飯室綾太 益子義浩
15 山藤健太
16 岩間雄大 田中舜
17 松尾昇悟
18 植松俊行 布施有太
19 - 土井良太
20 益子義浩 望月大地
21 津本貴啓 土田健太
22 田代主水
23 白山貴俊 安間ム月
24 川里光太郎 竹越夏基
25 関根真
26 神谷恭平
27 増田清一
28 吉田明生 -
29 塚本一希
30 永久欠番
31 岩舘直
32 佐藤大樹 -
34 小柴翔太 白山貴俊
35 岡田大

チーム名変遷[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 当初は群馬FCフォルトナだったが、商標上の問題で同年途中から変更された。
  2. ^ アルテ高崎、JFLからの退会について”. 日本フットボールリーグ (2012年1月13日). 2012年1月15日閲覧。
  3. ^ アルテ高崎の今後について”. アルテ高崎 (2012年2月4日). 2012年2月6日閲覧。

外部リンク[編集]