松本山雅FC

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松本山雅FC
原語表記 松本山雅フットボールクラブ
呼称 松本山雅FC
愛称 ターミガンズ[1]
クラブカラー     [2]
創設年 1965年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン2
クラブライセンス J1
ホームタウン 長野県松本市[2]塩尻市[2]山形村[2]安曇野市[2]
ホームスタジアム
ALWIN7.jpg
長野県松本平広域公園総合球技場[2]
(アルウィン)
収容人数 20,396
運営法人 株式会社松本山雅[2]
代表者 大月弘士[2]
監督 日本の旗 反町康治
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社松本山雅
MATSUMOTO YAMAGA Co.,Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 390-0837[2]
長野県松本市鎌田2-2-4[2]
設立 2010年[2] 7月9日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 大月弘士[2]
資本金 1億2,800万円 (2013年1月期)[3]
売上高 8億9,300万円 (2013年1月期)[3]
営業利益 6,600万円 (2013年1月期)[3]
経常利益 7,000万円 (2013年1月期)[3]
純利益 3,900万円 (2013年1月期)[3]
純資産 1億6,500万円 (2013年1月期)[3]
総資産 2億2,100万円 (2013年1月期)[3]
決算期 1月期
主要株主 松本市塩尻市山形村安曇野市
松本山雅支援持株会他
外部リンク 公式ウェブサイト
特記事項:2004年から2010年までNPO法人アルウィンスポーツプロジェクト(ASP)が運営[2]
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松本山雅FC(まつもとやまがエフシー、Matsumoto Yamaga Football Club)は、日本長野県松本市塩尻市山形村安曇野市[2]をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。登録チーム名は松本山雅フットボールクラブである。

概要[編集]

1965年創部の山雅サッカークラブが前身となり[2]2004年に運営法人として特定非営利活動法人アルウィンスポーツプロジェクト(以下、ASP)が設立され[2]、2005年よりクラブ名を松本山雅フットボールクラブ(松本山雅FC)へ変更した[2]。愛称は一般公募で選ばれた、長野県の県鳥である「雷鳥」を意味する「ターミガンズ英語: Ptarmigans)」である[1]

2010年2月にJリーグ準加盟が承認。2010年7月にASPに代わる運営会社として株式会社松本山雅を設立[2] して、2011年2月よりクラブ運営をASPより承継[2]2011年12月にJリーグへ加盟した。

ホームタウンはそれまでの長野県松本市1市から、2013年2月26日より松本市、安曇野市山形村塩尻市へ変更・広域化された[4]。ホームスタジアムは長野県松本平広域公園総合球技場(アルウィン)[2]、練習は松本市サッカー場(長野県フットボールセンター)を主な練習場所とし、他にも松本市内や近隣市町村各所のグラウンドで行なっている[2]

クラブマスコットは「ガンズくん」で、長野県の県鳥であるライチョウをモチーフにしている[2][1]。デザインは2005年に作成され、一部オフィシャルグッズに使用されていた。Jリーグへ加盟した2012年にオフィシャルマスコットとなった。

歴史[編集]

前史[編集]

1965年

当時の国体の長野県選抜の選手を中心に山雅サッカークラブが創部。名称は松本市中央1にあった喫茶店「山雅」に由来している[2]。この店名は山好きの店主が「山」と「優雅」を組み合わせて命名したもので、主に北アルプスへの登山を趣味とする人たちが集まる店だったという。なお店は松本駅前の再開発事業に伴い1975年に閉店している[5]

1969年

穂高商業高校松本県ヶ丘高校のサッカー部OBなどの競技経験者が加入し、この年の県総合体育大会で4強に入る。[6]

1975年

北信越フットボールリーグ発足に伴いリーグ加入[2]

1985年

北信越リーグ初優勝。全国地域サッカーリーグ決勝大会に初出場(コスモ大協に敗れるなど1次ラウンド敗退)。

1997年

長野県サッカー選手権大会に初優勝。天皇杯に初出場。

2004年

運営法人として「特定非営利活動法人アルウィン・スポーツ・プロジェクト(略称・ASP)」が発足[2]。なお、2004年より北信越リーグが2部制となり、同2部所属となった。

2005年

名称を山雅サッカークラブから松本山雅フットボールクラブ(松本山雅FC)へ改称。2月に元青梅ユース元監督の辛島啓珠が監督に就任。選手も元Jリーガーなどが入団。

2005年の北信越2部リーグは前年に発生した新潟県中越地震の影響で、前季のリーグ戦を途中でキャンセルしたクラブの救済措置として、本来の8チームから降格チームなしの10チームに枠を拡大して争われた。1回戦総当たりの前期9試合は4位。前期の成績により上位5チームと下位5チームに分かれた1回戦総当たりの後期4試合は矢畑智裕三本菅崇などの加入により守備面の不安は一掃、全勝優勝し、北信越1部へ昇格。

2006年 - 2009年(北信越リーグ1部)[編集]

2006年

甲府土橋宏由樹白尾秀人、元熊本奈良安剛といった元Jリーガーを中心に補強。開幕戦で前年度1部リーグ覇者の長野エルザサッカークラブ(現AC長野パルセイロ)を破り、リーグ戦最終節まで長野及びJAPANサッカーカレッジ(JSC)と優勝を争い、勝ち点1差で2位(優勝はJSC)。また、9年ぶりに天皇杯へ出場した(2回戦で新日鐵大分サッカー部に敗退)。

2007年
チームスローガン:団結 〜Break Through〜

これまでの「即戦力選手の獲得により最短距離でJリーグを目指す」方針を改め、元Jリーガーの新入団を1名にとどめ、近畿大学片山真人など、主に大学リーグで活躍した有力選手をアマチュア契約で獲得した。また、前年までは夜間練習を主としており、芝生のグラウンドだけでなく土のグラウンドでの練習を強いられる事も珍しくなかったが、この年からは練習環境の向上を掲げて平日午前練習に移行し、練習場所も長野県松本平広域公園総合球技場(アルウィン)周辺及び松本平に点在する各地の芝グラウンドを利用するようになった。リーグ戦は前年同様、最終節までJSCや長野、ツエーゲン金沢と優勝を争い、勝ち点で長野に並ばれたが得失点差で優勝。22年ぶりに全国地域サッカーリーグ決勝大会へ進出。地元アルウィン開催の地域決勝一次ラウンドは2勝1敗のグループ2位となり、決勝ラウンド進出はならなかった。このシーズン限りで土橋が長野に移籍した。

2008年
チームスローガン:Aggressive!

吉澤英生が監督に就任。湘南から柿本倫明山形から鈴木亮平らを完全移籍で、大分から川田和宏をクラブ初となる期限付き移籍で獲得するなど、JリーグやJFLの経験のある選手を多く獲得した。また完全プロ化を視野に入れ、高校生以上についてホームゲームの入場料を有料化した。リーグ戦は4位、全国社会人サッカー選手権大会(以下、全社)も4位に終わった。ただし、出場辞退チームがあり、繰上がりで第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会へ出場したが、2勝1PK敗の2位で2年連続のグループリーグ敗退。天皇杯は、3回戦でJ2の湘南相手にPK戦を制して4回戦に進出した。

2009年
チームスローガン:ONE SOUL 〜思いは一つ。共に駆け上がろう!〜
当初のチームスローガンは「WIN BY ALL 〜共に駆け上がろう〜」だったが、千葉が使用しているスローガン「WIN BY ALL」と重複するとの指摘を受け変更された[7]

吉澤体制2年目。ゼネラルマネージャー東京Vで長く強化担当を務めた加藤善之が就任。プロジェクト開始以来、ボランティアでトップチーム強化を担っていたスポーツライター・吉村憲文と協働での強化体制がスタートした(吉村は4月に退任)。元岐阜北村隆二らを獲得、19名体制で始動した。リーグ戦は終盤まで上位4チーム(松本以外はJSC、長野、金沢)で優勝を争ったが、上位チームとの直接対決でいずれも敗退もしくは引分となり、リーグ戦は4位。なお、6月に元鳥栖鐡戸裕史ら4名、9月に横浜FCから中田健太郎をレンタル移籍で獲得。

第45回全国社会人サッカー選手権大会で優勝。第33回全国地域サッカーリーグ決勝大会は、一次ラウンドは3戦全勝。決勝ラウンドは2勝1PK敗の成績で優勝し、JFL昇格を決めた。長野県のサッカークラブが全国リーグに参加するのは、JFLの前身である日本サッカーリーグジャパンフットボールリーグ時代を通じて史上初。 なお、この大会はアルウィンが決勝ラウンドの会場となり、優勝がかかった3日目の試合には入場無料ながらも10,965人の観客が集まった。地元紙・信濃毎日新聞はJFL昇格が決まった時点で号外を発行。優勝を決めた後、更に昇格と優勝を報じる号外を発行し、それぞれ県内各地やアルウィンで配布した。

なお、北信越フットボールリーグには、1975年のリーグ発足以来、一度も都道府県リーグに降格することなく、2009年まで35シーズン連続で在籍。これは2014年現在リーグ最長記録である。

天皇杯は、2回戦でJ1浦和とアルウィンで対戦し、2-0で勝利。地域リーグ所属クラブとして、史上初めてJ1所属クラブを破った[8]。また、この試合は有料だったが、チケットが完売したため追加販売が行われ、14,494人の観客動員を記録。

2010年 - 2011年(JFL)[編集]

2010年
チームスローガン:ONE SOUL 〜Jへの道。共に駆け上がろう〜

吉澤体制3年目。2月16日、社団法人日本プロサッカーリーグからJリーグ準加盟が承認された[2][9][10]。 7月、ASPに代わる運営会社となる株式会社松本山雅が設立され[2][11][12]、同月に山雅サッカークラブOBによる「山雅会」が発足した。

補強は開幕前に横浜FCから須藤右介徳島から石田祐樹などを獲得。前期は13位であった。後期に入り、東京Vより飯田真輝弦巻健人岡山より武田英明をレンタルで獲得。さらにボランチの須藤をセンターバックに据えたことで守備が安定するようになり、後期第2節以降は5連勝を含む11試合負けなしを記録。一時は5位まで浮上したが、最終順位は7位となり、2011年からのJ2昇格は成らなかった。なお、天皇杯は、2回戦で甲府に敗退した。


2011年
チームスローガン:ONE SOUL

吉澤体制4年目。熊本から渡辺匠横浜FMから元日本代表DFの松田直樹[13][14]水戸から3年ぶりのチーム復帰となる片山真人などを獲得。また、ヘッドコーチに流通経済大学から柴田峡、GKコーチに鳥栖から本間康貴が夫々就任した。また、2月よりトップチームの運営が株式会社松本山雅に代わり、エンブレムが盾と王冠に月桂樹をあしらった初代から、松本城天守の千鳥破風をモチーフとした盾に雷鳥をあしらったデザインに変更された。

JFL優勝・J2昇格を至上課題としてシーズンに臨んだが、序盤の成績は低迷。6月に吉澤を監督から解任し、GMの加藤が後任監督に就任。7月に福岡から李鍾民を獲得。8月2日、チームを引っ張っていた松田直樹が練習中に急性心筋梗塞で突如倒れ、8月4日に死去した。

なお、8月に練習生として練習に参加していた江原FC大橋正博、横浜FCから飯尾和也栃木SCからレンタル移籍で船山貴之を獲得した。リーグ戦は後期第17節のホンダロック戦に勝利してJFL4位以内を確定(最終順位も4位)。12月12日のJリーグ臨時理事会で正式にJリーグへの入会が承認され、町田と共に2012年シーズンからのJ2加入が決定した。全国社会人サッカー選手権大会2006年から制度化された「上位入賞チームの全国地域サッカーリーグ決勝大会出場」資格の特権を活かしたチームのJリーグ昇格第1号となった。

天皇杯は、2回戦で横浜FC、3回戦で新潟に勝利し、Jリーグクラブ以外で唯一4回戦進出を果たした。なお、4回戦は横浜FMに敗れた。シーズン終了後に加藤が監督を退任しGM専任となった。

2012年 - 2014年(J2)[編集]

2012年
チームスローガン:ONE SOUL 〜プロフェッショナルへの変革!〜

湘南元監督の反町康治が監督に就任。木村勝太富山へ完全移籍、山本剛佐藤由将が夫々引退、宮田直樹が移籍期間満了で岡山に復帰した。一方、東京Vから吉田正樹神戸から楠瀬章仁横浜FCから伊藤竜司、湘南から野澤洋輔、栃木SCから期限付き移籍していた船山を完全移籍で、岡山から久木田紳吾および喜山康平千葉から益山司を期限付き移籍で獲得、流通経済大学から村瀬勇太北越高校から有田光成、チーム初となるブラジル人エイジソンを獲得。6月には元町田尹誠悦崔守斌を獲得した。シーズン開幕後は李鍾民とエイジソンとの契約を解除、吉田正樹FC琉球へ、久富賢藤枝MYFCへ、今井昌太ブラウブリッツ秋田へそれぞれ期限付き移籍で、木島良輔が東京Vへ完全移籍で移籍した一方、清水から橘章斗、岡山から一柳夢吾大分から藤川祐司から三浦雄也、ブラジルからアリソン・リカルドを期限付き移籍で、ブラジルからチアゴ・シルヴァを完全移籍で獲得。さらにクラブ初の特別指定選手として、創造学園高校宮下周歩青山学院大学山田修平を指定した。

Jリーグ初得点は第2節(3月11日山形戦で弦巻健人が記録)、第3節(3月17日北九州戦)でJリーグ初勝利を挙げた。また第8節(熊本戦)から第10節(町田戦)まで3連勝、7試合負けなしを第25節から第31節(3勝4分)、第33節から第39節(5勝2分)の2度記録し、第39節終了時点で9位であった。最終順位は12位となったが、1999年のJ2創設後に加入したチームとしては初年度に初めて勝ち越し(15勝14分13敗)、得失点差プラス(+3)でシーズンを終え、観客動員数もJ2で3番目の数値(詳細は#年度別入場者数を参照)を記録した。

天皇杯は初戦(2回戦)で京都に敗退した。

2013年
チームスローガン:One Soul~山雅スタイルへの挑戦~

反町体制2年目。岡山から期限付き移籍していた喜山、札幌から岩沼俊介、北九州から川鍋良祐町田から北井佑季SAGAWA SHIGA FCから村山智彦を完全移籍で、名古屋から吉田眞紀人清水から長沢駿、ブラジルからホドリゴ・カベッサを期限付き移籍で獲得した。さらに高卒・大卒選手の獲得も積極的に行い、三菱養和SCユースから永井堅梧帯広北高校から山田満夫興國高校から和田達也静岡学園から木部未嵐、創造学園高校から宮下周歩、明海大学から鴇田周作阪南大学から飯尾竜太朗明治大学から岩渕良太関西国際大学から蔵田岬平中京大学から中村亮太の計10名を獲得。シーズン中もFC東京から阿部巧を完全移籍で、湘南から岩上祐三、清水から犬飼智也、ブラジルからフェリペ・アウベスを期限付き移籍で獲得した。一方、片山・石川・大橋が引退、藤川・北村・須藤・チアゴ・アリソン・崔が退団。また木島徹也が町田へ、阿部が栃木ウーヴァFCへ、吉田正樹と一柳がFC琉球へ、益山が岐阜へ、渡辺が横浜FCへ、三浦が清水へ、今井がMIOびわこ滋賀へ、久富が藤枝MYFCへ完全移籍。橘が移籍期間満了で清水に復帰し、伊藤がFC琉球へ、村瀬と有田の2名が藤枝MYFCへ、鴇田が福島ユナイテッドへ期限付き移籍した。

また、8月のU-19サッカー日本代表のスペイン遠征メンバーに永井が選出され、アルクディア国際ユースサッカートーナメントに出場。各年代を通じて松本山雅FCから初のサッカー日本代表への選出となった。

開幕戦で前年勝点を取れなかった栃木SCに勝利、3年ぶりに開幕戦に勝利したが、その後は勝ち切れない試合が続いた。特にホーム・アルウィンではなかなか勝利を挙げることが出来ず、ホーム初勝利は5月26日の第15節・富山戦まで待つこととなった。前半戦は14位で折り返したが、夏場に入ってから地力を発揮。さらに岩上の加入により安定したセットプレーを展開できるようになり、第29節・千葉戦から第32節・鳥取戦まで4連勝を記録。最終節までJ1昇格プレーオフ進出圏内の6位以内を争ったが、5位の千葉と6位の長崎に勝ち点で並んだものの得失点差で及ばず、最終順位は7位とプレーオフ進出を逃した。

天皇杯は2回戦は群馬に延長戦で勝利、3回戦で鳥栖に延長戦の末に敗退した。

2014年
チームスローガン:One Soul~走力×創力×総力~

反町体制3年目。名古屋から松本市出身の田中隼磨徳島から大久保裕樹長崎から岩間雄大川崎から棗佑喜、栃木SCからサビア、湘南から期限付き移籍していた岩上を完全移籍で獲得。犬飼の期限付き移籍期間を延長し、鴇田が移籍期間満了で福島から復帰。帝京高校から柳下大樹慶応大学から松下純土桃山学院大学から道上隼人、流通経済大学から椎名伸志が加入した。また、6月に仙台より山本大貴を育成型期限付き移籍で獲得し、8月にはドイツアイントラハト・ブラウンシュヴァイクより李俊協を完全移籍で獲得した。一方、楠瀬が契約満了で、ホドリゴ、フェリペ、長沢、吉田眞紀人が移籍期間満了で、山田が大学進学のため退団。阿部が福岡へ、川鍋が長野へ、伊藤が藤枝へ、弦巻がタイアユタヤFCへ、宮澤がタイ・シーラーチャーFCへ、村瀬がラインメール青森へ、有田が松江シティFCへ完全移籍。岩淵がレノファ山口へ、鴇田が盛岡へ、中村がFC大阪へ、宮下がサウルコス福井へ期限付き移籍した。また、シーズン開幕後は5月末に木部との契約を解除(芸能界に転身)、6月に蔵田のアスルクラロ沼津への期限付き移籍、7月に小松のタイ・アユタヤFCへの完全移籍、8月に朴光一インドスーパーリーグFCプネシティへの期限付き移籍、9月には松下純土町田への育成型期限付き移籍が行われた。

昨年逃したプレーオフ進出を目標に掲げてシーズンイン。試合終了まで落ちない豊富な運動量と昨年より向上した守備力、決定力の高い多彩なセットプレーを武器に順調に勝点を積み重ね、序盤からプレーオフ進出圏内の6位以内をキープし、前半戦を3位で折り返す。第19節・群馬戦から第30節・湘南戦まで4連勝を含む12試合負けなし(8勝4分)を記録するなど後半戦もさらに勝点を積み上げ、第22節終了時点で磐田をかわして2位に浮上。以後その座を譲ることなく、2014年11月1日、第39節・福岡戦(レベスタ)で2-1で勝利し、J1自動昇格条件の2位を確定。クラブ史上初のJ1昇格を決めた。1999年のJ2発足以降にJ2に加入したクラブのJ1昇格は、横浜FC、徳島に次いで3クラブ目。J2加入後3年でのJ1昇格は、J2オリジナル10からの昇格クラブ(1999年の川崎・FC東京、2001年の仙台)とJ1からの降格クラブを除き、史上最速である。

天皇杯は2回戦で讃岐に勝利、3回戦でFC東京に敗退した。

成績[編集]

タイトル・表彰[編集]

リーグ戦[編集]

カップ戦[編集]

その他[編集]

個人[編集]

  • 日本フットボールリーグ
  • Jリーグ

下部組織[編集]

特定非営利活動法人
松本山雅スポーツクラブ
団体種類 特定非営利活動法人
設立 2004年11月18日(認証)
所在地 長野県松本市
活動地域 日本の旗 日本・長野県
活動内容 サッカースクール、アカデミー(ユース・ジュニアユースなど)の運営他
社会人トップチーム「松本山雅フットボールクラブ」は2010年に株式会社松本山雅を設立し、事業を委譲。U-18を2013年に移管。
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松本山雅FCユースアカデミー[編集]

2003年5月より育成組織(アカデミー)が発足[15]

U-18、U-15、U-14、U-13、U-12、U-11、U-10のユースアカデミーを有しており、U-15は長野県トップユースリーグ2部所属。U-18は2011年に第15回北信越クラブユースサッカー選手権大会(U-18)で準優勝し、日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会の出場権を獲得した。松本山雅FCユースアカデミー発足以来、全国大会の出場は初めて。2013年2月にU-18は運営を株式会社松本山雅へ移管、監督に岸野靖之を招聘し本格的に強化を始めた。


また、「松本山雅FCユースアカデミー」とは別に特定非営利活動法人(NPO法人)松本山雅スポーツクラブが運営する「松本山雅ユースアカデミーサッカースクール」があり[16]、S-12(小学6年生)・S-11(小学5年生)・S-10(小学4年生)・S-9(小学3年生)・S-8(小学2年生)・S-7(小学1年生)・KIDS(未就学児童)から構成されている[16]。なお、クラブ員、スクール生含めた総会員数は390人までとなっている[15]

松本山雅FCマスターズ[編集]

2010年に発足した40歳以上の選手が対象のチーム。

2009年まで全国大会に5度出場したアルフット安曇野シニアの主力を中心に山雅サッカークラブOB、会社員や自営業者、教職員など県内各地の選手が所属している。結成初年度で日本スポーツマスターズ県大会、北信越大会を勝ち上がり、全国大会出場を果たしている。運営はユースアカデミー同様、松本山雅スポーツクラブが行う。

スタジアム他[編集]

スタジアム[編集]

ホームスタジアムは長野県松本平広域公園総合球技場(アルウィン)であり、Jリーグ加盟以降は全てのホームゲームを同所で開催している。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「#年度別入場者数」を参照のこと。

年度別入場者数[編集]

略記について
年度 所属 合計
入場者数
最多入場者数 最少入場者数 平均
入場者数
試合数 ホームゲーム
開催スタジアム
備考
入場者数 相手 会場 入場者数 相手 会場
2006 北信越 10,552 2,120 テイヘンズ 松本 1,046 新潟経営大学 松本 1,507 7 松本7
2007 21,311 6,399 長野 483 新潟経営大学 南長野 3,044 7 松本6、南長野1
2008 15,561 4,126 長野 1,122 G新潟 松本 2,223 7 松本7
2009 24,335 6,012 長野 2,334 金沢 3,476 7 松本7
2010 JFL 62,297 8,243 鳥取 3,271 SAGAWA 飯田 5,080 17 松本16、飯田1
2011 128,900 11,956 ソニー 4,032 町田 松本 7,461 17 松本17 JFL年間入場者数記録
2012 J2 200,143 13,098 山形 4,471 北九州 9,531 21 松本21
2013 231,861 17,148 G大阪 7,153 水戸 11,041 21 松本21
2014 267,402 18,496 水戸 8,608 栃木 12,733 21 松本21

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) [2] [2] [2]
FP(2nd) [2] [2] [2]
GK(1st) バーガンディー バーガンディー バーガンディー
GK(2nd) サンシャイン サンシャイン サンシャイン
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

チームカラー[編集]

ユニフォームスポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
セイコーエプソン
エプソン販売
EPSON 2014年- エプソン販売は2010年-
背中 長野銀行 長野銀行 2010年-
キッセイ薬品工業 キッセイ 2010年- 2010-2011年は「キッセイ薬品」
パンツ 信濃毎日新聞 信濃毎日 2007年-

ユニフォームサプライヤーの遍歴[編集]

歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]

年度 背中 パンツ サプライヤー
2005 ESCO サンリン 井上 SANYO|EPSON UMBRO
2006 SANYO|EPSON LEIZ サンリン ESCO
2007 EPSON(※) Hitachi
Chemical
信濃毎日 mitre
2008
2009
2010 長野銀行 キッセイ薬品
2011 adidas
2012 キッセイ
2013
2014

スポンサー[編集]

チーム情報[編集]

スタジアムDJ[編集]

その他[編集]

FDA 4号機[編集]

  • 松本空港に就航しているフジドリームエアラインズ(FDA)が、4号機の導入(2010年10月就航、機体記号:JA04FJ)に際して、FDAのホームページ上での機体色のアンケートを行ったが、松本山雅FCは公式サイトでアンケートへの投票を呼びかけた[20]。なお、2010年7月にFDAは総投票数の54.5%(3,418票)を集めたグリーンを機体色に決定した[21]

松本市観光大使[編集]

  • 2012年3月26日、松本市は松本山雅FCを市の観光大使に任命すると発表[22]、4月1日に行われた第6節ホーム富山戦の試合前に任命式が行われた[23][24]

メディア[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

新聞[編集]

雑誌・フリーペーパー[編集]

映画[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c クラブ概要”. 松本山雅FC. 2014年3月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah クラブガイド:松本山雅FC”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年3月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 2012年度Jクラブ情報開示 資料 (PDF) Jリーグ公式サイト
  4. ^ Jリーグ公式HP (2013年2月26日), “松本山雅FCホームタウン追加について” (プレスリリース), http://www.j-league.or.jp/release/000/00004930.html 2013年2月26日閲覧。 
  5. ^ 2012年1月20日付日刊スポーツ5面
  6. ^ AERA(2009年11月16日号) P66「ルーツは青春の喫茶店」
  7. ^ 公式HP (2009年3月16日). “お知らせ : スローガンについて”. 2010年2月26日閲覧。
  8. ^ 第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦【41】日本サッカー協会の公式記録、PDF形式)
  9. ^ Jリーグ公式HP (2010年2月16日). “ニュースリリース:Jリーグ準加盟審査結果について”. 2010年2月16日閲覧。
  10. ^ クラブ公式HP (2010年2月16日). “お知らせ : Jリーグ準加盟審査結果について”. 2010年2月16日閲覧。
  11. ^ クラブ公公式HP (2010年7月14日). “株式会社設立のご案内”. 2010年7月23日閲覧。
  12. ^ 信濃毎日新聞 (2010年7月15日). “松本山雅、株式会社に Jリーグ入会要件で運営母体”. 2010年7月23日閲覧。
  13. ^ 横浜F・マリノス公式HP (2011年1月9日). “ニュース詳細 : 松田直樹選手 松本山雅フットボールクラブへ移籍のお知らせ”. 2011年1月12日閲覧。
  14. ^ クラブ公式HP (2011年1月9日). “ニュース : 選手加入のお知らせ”. 2011年1月12日閲覧。
  15. ^ a b ユースアカデミーとは”. 松本山雅FC. 2013年3月10日閲覧。
  16. ^ a b サッカースクール会員規約”. 松本山雅FC. 2013年3月10日閲覧。
  17. ^ 松本山雅 パラグアイ代表チラベルトの発言から設立 - スポーツニッポン、2014年11月2日
  18. ^ 松本山雅フットボールクラブに対するスポンサードのお知らせ エプソン販売最新ニュース(2010年2月8日)
  19. ^ 2014シーズン ユニフォームスポンサー追加のお知らせ 松本山雅FC
  20. ^ クラブ公式HP (2010年6月4日). “FDA様「NEXT COLOR?」キャンペーンについて”. 2010年10月22日閲覧。
  21. ^ 4号機のカラーリングを発表 (PDF) フジドリームエアラインズ2010年7月23日)、2013年7月7日閲覧
  22. ^ 信濃毎日新聞 (2012年3月27日). “J2松本山雅、松本市の観光大使に”. 2012年4月4日閲覧。
  23. ^ 松本市公式HP (2012年4月2日). “松本山雅FCを観光大使に任命”. 2012年4月4日閲覧。
  24. ^ クラブ公式HP (2012年4月4日). “松本市観光大使就任について”. 2012年4月4日閲覧。
  25. ^ クラブ公式HP (2010年2月25日). “「松本山雅チャンネル」開局のお知らせ”. 2010年3月2日閲覧。
  26. ^ テレビ松本 (2010年2月25日). “松本山雅チャンネル開局にあたり”. 2010年3月2日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]