FC東京

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FC東京
原語表記 FC東京
愛称 ガス[注 1]、瓦斯、東京
クラブカラー     ブルー[1]&    レッド[1]
創設年 1935年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン1
クラブライセンス J1
ホームタウン 東京都[1]
ホームスタジアム Ajinomoto Stadium 20101120.JPG
味の素スタジアム[1]
収容人数 49,970[1]
運営法人 東京フットボールクラブ株式会社[1]
代表者 阿久根謙司[1]
監督 イタリアの旗 マッシモ・フィッカデンティ
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
Nuvola apps kview.svg 画像外部リンク
エンブレム
Searchtool.svg en:File:FCTokyo.png
東京フットボールクラブ株式会社[1]
TOKYO FOOTBALL CLUB Co.,Ltd.[2]
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
135-0003[1]
東京都江東区猿江2-15-10[1]
設立 1998年10月1日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 阿久根謙司[1]
資本金 10億6,500万円[3]
売上高 35億4,500万円 (2014年1月期)[3]
営業利益 6,300万円 (2014年1月期)[3]
経常利益 8,900万円 (2014年1月期)[3]
純利益 6,700万円 (2014年1月期)[3]
純資産 13億9,700万円 (2014年1月期)[3]
総資産 19億5,700万円 (2014年1月期)[3]
従業員数 49人[4]
決算期 1月期
主要株主 東京ガス 他(後述)
関係する人物 鳥原光憲
テンプレートを表示
FC東京のサポーター (2008年3月8日 対神戸戦)

FC東京(エフシーとうきょう F.C. Tokyo)は、日本東京都をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要[編集]

1999年にJリーグへ加盟[1]ホームタウン東京都である[1]

歴代社長
氏名 在任期間
01 野本宏 1998.10-2001.1
02 椿原正浩 2001.02-2008.1
03 村林裕 2008.02-2011.1
04 阿久根謙司 2011.02-
FC東京の位置(東京都区部および多摩地域内)
1
1
2
2
3
3
1.味の素スタジアム、2.小平グランド及びクラブハウス、3.深川グランド及び本社

ホームスタジアムは調布市味の素スタジアム(旧称:東京スタジアム)であり[1]国立霞ヶ丘陸上競技場駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場でもホームゲームを開催している。

過去には、東京都内では国立西が丘サッカー場江戸川区陸上競技場、都外では鹿児島県立鴨池陸上競技場2000年)、香川県立丸亀競技場(2000年・2001年)、石川県西部緑地公園陸上競技場(2000年)、長野県松本平広域公園総合球技場2006年2011年にはチャリティーマッチを開催)、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場(2011年)でホームゲームを開催した[注 2]

練習場は小平市FC東京小平グランド[1]東京ガス武蔵野苑)である(2001年までは江東区猿江FC東京深川グランド[5]

このため、地域活動は調布市周辺エリア(三鷹市及び府中市を含む[注 3]。)、小平市、江東区深川を中心として行われている[6]

クラブ名の「FC東京」は、シンプルで誰にもわかり易く馴染みがあり「都民のためのJクラブ」を目指す観点から制定された[1]

マスコットキャラクターは『東京ドロンパ』であり[1]、チーム創設10周年に向けてマスコットを選考して、2009年開幕戦より登場した。

2000年までは東京を名乗るJリーグクラブが他に無かったため、「東京」の呼称であったが、2001年東京ヴェルディ(旧V川崎)が神奈川県川崎市から東京都へホームタウンを変更して以降、「FC東京」や「F東京」などと表記されている。なお、Jリーグの公式情報やスポーツ振興くじ(toto)等での紙面が限られる公式発行物に関しては、F東京として掲載される場合が多い(但し日刊スポーツでは「FC」を入れず、単に「東京」と表記)。

プロ化以前の呼称東京ガスから来る『ガス』が現在でもFC東京を指し示す独自の呼称として残っているのはこうした理由にもよる[注 1]。ニックネームにはこの他ユニフォームのカラーから採られた『青赤軍団[7][8]』がある。

歴史[編集]

前史[編集]

1935年に結成された「東京ガスサッカー部」が前身であり[1]1991年日本サッカーリーグ2部へ昇格[1]1992年からジャパンフットボールリーグへ参加[1]

1997年に『東京ガスフットボールクラブ』へ改称し、Jリーグへの参加を表明。1998年10月1日東京ガス東京電力などが出資した運営法人『東京フットボールクラブ株式会社』が設立され[1][5]、クラブ名称を翌シーズンより『FC東京』へ改称するとともに東京都をホームタウンとしてプロクラブ化し、1999年からのJリーグ加盟とJリーグ ディビジョン2(J2)参加が決まった[1]

1999年(J2)[編集]

1999年、東京都を本拠地とする初めてのチームとしてJリーグ加盟。堅実な戦いで[9]シーズン中盤まで2位以内をキープ。第27節仙台戦でFWアマラオがクラブ初のハットトリックを達成。しかし、ナビスコカップを勝ち上がったことによる過密日程や[9]アマラオの負傷欠場によって[10]、終盤には4連敗を喫してJ1昇格圏外へ追い込まれた。最終節で大分をかわして2位に入り(1999年J2最終節参照)、Jリーグ ディビジョン1(J1)昇格を果たした。

Jリーグヤマザキナビスコカップでは、神戸市原横浜FMのJ1チームを下してベスト4に進出、MF佐藤由紀彦ニューヒーロー賞に選出された[11]

2000年 - 2010年(J1)[編集]

2000年[編集]

2000年は「東京」を名前に持つクラブとして初のJ1進出。開幕5節で4勝1敗の成績で首位に立つなど旋風を起こし[9][10]、年間総合順位は7位。新加入のGK土肥洋一が好守を見せ[10]、以後2006年に至るまでリーグ戦216試合連続フル出場というJリーグ記録を残した[5]

攻撃ではFWアマラオと、川崎から期限付き移籍で加入したツゥットのコンビが得点を量産[9][10]。ツゥットはリーグ2位となる17得点を挙げて、クラブ初のJリーグベストイレブンにも選ばれた[10]。なお、ツゥットはシーズン終了後に浦和へ完全移籍した。

天皇杯は初戦でJ2甲府に敗退。

2001年[編集]

2001年に収容人員49,000人の新本拠地・東京スタジアム(現:味の素スタジアム)が完成・使用開始となった[11]事により観客動員数が飛躍的に増加[10]。スタジアムのこけら落しとなった開幕戦では、川崎市から移転し呼称変更した東京ヴェルディ1969との初の東京ダービーとなり、新加入の元日本代表FW呂比須ワグナーVゴールで制した[9]

呂比須は4月4日のナビスコカップ甲府戦でハットトリックを挙げるなど序盤こそ活躍したものの、アマラオとプレースタイルが重複することなどから徐々に出場機会が減り[10]、チーム加入後わずか半年で福岡へ完全移籍。しかし、その頃には開幕直前に急遽獲得したブラジル人MFケリーがチームにフィットし、司令塔として攻撃陣を掌握[9]。以後4年間攻撃の核として活躍した。

天皇杯初戦で横浜FCに破れ、2年連続でJ2勢に初戦敗退を喫した。この試合を最後に、東京ガス時代以来7年間指揮を執った大熊清監督を退任[9][10][11]

2002年[編集]

2002年、監督に原博実を迎えて攻撃サッカーを指向した強化を進め[10]、開幕戦では前年優勝の鹿島から4点を奪い圧勝[10]。しかしこの試合でMVP級の活躍を見せた小林成光は交通事故で、攻守の起点となった三浦文丈は第2節浦和戦で負傷し、共に長期離脱を強いられた[10]

一方、この年に移籍加入した選手達が5月以降レギュラーに成長。DF加地亮とMF石川直宏が右サイドでの攻撃を活性化させ、DF茂庭照幸も新加入のブラジル人CBジャーンとのコンビで堅守を築いた[10]。また、入団2年目のMF宮沢正史もプレースキッカーとして能力を発揮し、ボランチのレギュラーを掴んだ[10]。シーズン終了後、佐藤由紀彦横浜FMへ期限付き移籍で退団した(その後完全移籍)。

また、この年尾亦弘友希馬場憂太がチーム初のアカデミーからのトップチーム昇格を果たし[11][5]、FC東京U-18所属の呉章銀がこれも初となる2種登録選手でJリーグデビューし[10]、当時のJ1最年少記録となる16歳8ヶ月20日でJ1初出場を果たした。

2003年[編集]

チームスローガン:90分間、攻撃サッカー。

2003年は、DF金沢浄が加入し、リーグ最小失点を記録。1st、2ndステージ共に優勝戦線に絡み[10]、年間順位4位の成績。また、シーズン初戦だった3月8日ナビスコ杯・横浜FM戦(横浜国際総合競技場)で、FC東京U-18所属の高校生だった梶山陽平がトップチームでの公式戦に初出場した[11][10]。一方で、天皇杯を最後に、旧JFL時代からチームを牽引し『KING OF TOKYO』として親しまれたFWアマラオ湘南へ移籍した。

8月にはスペイン・レアル・マドリードとクラブ史上初の国際親善試合を開催[5]。また、加地亮茂庭照幸がクラブ所属選手初の日本代表として出場した[5]

2004年[編集]

チームスローガン:攻激、攻劇、攻撃サッカー。

アマラオに代わって[10]FWルーカスを獲得。また、MF今野泰幸札幌から加入し、ユースからは李忠成梶山陽平呉章銀が昇格[11]

8月にはスペイン遠征を行い、デポルティーボ・ラ・コルーニャの恒例プレシーズンマッチ、トロフェオ・ファンアクーニャガリシア語版に招かれ、これを制し[11]、帆船型のトロフィーを獲得。

リーグ戦は年間8位の成績。ナビスコカップでは、日本代表およびU-23日本代表によって複数の主力を欠く中[10]決勝進出。同カップで初めてベストメンバーを揃えて臨んだ[10]決勝戦では浦和を延長・PK戦の末に破り、初優勝を果たし、Jリーグ加盟後初の公式タイトルを獲得した[5]

2005年[編集]

チームスローガン:攻めて取る。攻めて獲る。

ケリーが退団したが、若手へシフトする意味で大きな補強はしなかった。

開幕直後はそれまで苦手とした磐田に勝利し首位に立つなどしたが、それ以後は4-3-3の新布陣や新加入MFダニーロの不発[10]などでチームワーストの6連敗を喫し、優勝戦線から早々に脱落。5月には原の監督解任が現実味を帯びた時期もあり、9月の横浜FM戦(日産スタジアム)で石川直宏の負傷退場(膝靭帯完全断裂により復帰まで約8か月を要した)[10]、直後のルーカスの意識不明・救急車搬送による試合終了等もあった[10]。終盤戦は12試合負けなしの成績も残して、年間順位は10位。最終節(右図)ではC大阪の優勝を阻止した[10]。シーズン終了後に、原が監督を退任。また、加地亮G大阪へ移籍した。

なお、この年は7月9日の東京ダービー(東京V戦、FC東京主催試合)の試合前、FC東京サポーターによる傷害事件が発生した(FC東京側のサポーター約200名がコンコースにて東京Vサポーターに向け挑発行為に及んだ際、FC東京サポーター1名が場内に設置されていた灰皿のフタを東京V側の群衆に投げつけて、東京Vのクラブ職員、警官、一般人を負傷させ傷害罪で逮捕)。この試合の管理責任者として、FC東京にはJリーグから1000万円の罰金が科せられた。

2006年[編集]

チームスローガン:Ousadia 〜信頼・勇気・挑戦〜
埼玉スタジアム2002で行われた浦和戦

クラブ初の外国籍監督となるブラジル人・ガーロが監督就任。速攻主体のチームを、ボールの保持(ボールポゼッション)を主体とするパスサッカーへの転換を図ったが[10]、3バックの採用や「マンマークを徹底する」守備を基本とし、短いパスで攻撃を構築しようとする戦術はなかなか奏功せず、4月15日の第8節千葉戦では前半に完全にゲームを支配され後半9分までに3失点を喫し惨敗。ブラジルと比較すると緩急が少なく、運動量とスピードでの攻めの多いJリーグでの相手攻撃を防ぐのに苦戦した。

加えて、怪我人も多発し戦術の刷り合わせも図れなくなり、ナビスコ杯では2分4敗の予選リーグ最下位で敗退。更にガーロの要望で獲得したブラジル人FWワシントンも、投入された試合ですぐさま退場処分を受けるなど不発。 7月22日鹿島戦で4失点を喫し敗れると(2-4)、29日広島戦(0-2)、8月5日のプレシーズンマッチ・FCソウル戦(0-3)、12日浦和戦(0-4)と連敗し、8月15日にクラブ初となるシーズン途中での監督解任が発表された。

後任監督には1995年から大熊の下で長くヘッドコーチを務め、この年からFC東京U-18の監督となっていた倉又寿雄が就任。第18節千葉戦から指揮を執り、布陣を4バックに戻すなど修正を施したが、13位でシーズンを終えた。

シーズン終了と共に倉又が監督を退任(U-18監督へと復帰)。12月5日に原が監督に再任された。また、この年限りでジャーン湘南へ移籍)、三浦文丈(引退)、宮沢正史大分へ移籍)、戸田光洋清水へ移籍)などが退団。

2006 FIFAワールドカップ日本代表土肥洋一茂庭照幸の2人がクラブとして初めて選出され[11]、茂庭はオーストラリア代表戦に出場。クラブ初のW杯出場選手となった。

2007年[編集]

開幕戦結果
会場 スコア 相手 会場 スコア 相手
1997 駒沢陸 1-0 福島FC 2003 味スタ 2-1
1998 駒沢陸 3-0 国士大 2004 味スタ 1-0 新潟
1999 西が丘 2-0 鳥栖 2005 味スタ 4-0 新潟
2000 横浜国 1-0 横浜FM 2006 味スタ 2-0 大分
2001 東スタ 2-1 東京V 2007 味スタ 2-4 広島
2002 東スタ 4-2 鹿島
チームスローガン:It's Our Time 〜青き疾風、赤い怒涛〜

2007年は再び原体制となり、コスタリカ代表FWのパウロ・ワンチョペ磐田から元日本代表MF福西崇史、ブラジル人DFエバウドを獲得した。

しかし、ワンチョペの動きには一向にキレが戻らず、エバウドと茂庭照幸の両センターバックも負傷により低調で[10]、攻守の軸が定まらず、開幕からつまづいた[12]。J2だった1999年から2006年まで8シーズン(旧JFL時代の1997年、1998年を含めると10年)続けて開幕戦に勝利していたが、広島に敗れ、開幕戦連勝記録も止まった(右表)。ワンチョペはシーズン途中で退団。更に、U-22代表として梶山陽平伊野波雅彦平山相太の三人が、フル代表として今野泰幸が常時招集されており、中でもスタメンであった梶山が代表戦での怪我で9月に離脱した。シーズン成績は12位で終了。なお、第28節横浜FM戦の勝利で、J1通算100勝を達成した[5]

原は1年限りで監督を退任。

2008年[編集]

チームスローガン:Moving Football 〜ボールも・身体も・観ている人の心も〜
FC東京サポーター
J1第1節神戸戦 (味の素スタジアム)
コレオグラフィ中央の「10」はJリーグ加盟10周年を表す。
FC東京サポーター
J1第34節千葉戦 (フクダ電子アリーナ)

2008年U-17日本代表元監督の城福浩が監督に就任。

土肥洋一福西崇史(共に東京Vへ移籍)に加え、MF馬場憂太千葉へ)、鈴木規郎神戸へ)、伊野波雅彦鹿島へ)、FWルーカスG大阪へ)らがそれぞれ移籍[11]。一方でMF羽生直剛、FWカボレ、DF長友佑都(前年は特別指定)らを獲得。城福は戦術として「ムービングフットボール」を掲げ、2006年に臨んだポゼッションサッカーへ再挑戦した[10]

夏場には白星から遠ざかるが、第30節鹿島戦では長友、カボレらの得点で快勝するなど好調に転じ[10]、シーズン終盤まで優勝の可能性を残した位置での戦いを続けた。

最終節ではJ2降格危機にあった千葉に対して終盤11分間で4点を奪われて逆転負けも喫したが、シーズン成績は年間6位に浮上。天皇杯でも東京ガス時代の1997年以来となるベスト4へ進出した。

2009年[編集]

チームスローガン:Moving Football 〜観ている人の心を動かせ〜
飛田給駅構内。ナビスコカップ優勝を讃える横断幕が掲げられている。

城福体制2年目。福岡から中村北斗水戸から平松大志を獲得した。序盤戦は低迷するが、MF今野泰幸をCBにコンバートし[10]ブルーノ・クアドロスとコンビを組ませ、またボランチに梶山陽平と高卒ルーキー米本拓司を固定した頃から守備が安定。更に、石川直宏の24試合で15得点を挙げる大活躍によってリーグ戦の順位も上がり、ACL出場圏内入りは逃したものの5位に入った。また、長友佑都と石川がJリーグベストイレブンに選出された[11]。2名が受賞したのはクラブ初。また、GK権田修一がリーグ戦の年間完封試合数タイ記録を打ち立てた。

ナビスコカップは決勝で川崎に勝利して優勝。また、この試合で先制点を挙げた米本はニューヒーロー賞とMVPを獲得した。この年より、マスコットの『東京ドロンパ』が登場[11][5]

2010年[編集]

チームスローガン:Moving Football 〜心をひとつに〜

2002年からユニフォームの胸スポンサーだったENEOSが撤退し補強予算が狭められる中[13]浅利悟が引退し[11]藤山竜仁札幌へ移籍。茂庭照幸に戦力外を通告、契約交渉で折り合わずブルーノ・クアドロスが退団、佐原秀樹期限付き移籍期間満了に伴い、川崎に復帰した。退団が相次いだセンターバックには大分から森重真人全州大学校からキム・ヨングンを、また、新潟からMF松下年宏を、ブラジルのABC FCからFWリカルジーニョを期限付き移籍で獲得するも、登録選手はJ1最少の26人、選手の平均年齢はJ1で2番目の若さという陣容だった。

シーズン開幕直前、米本拓司前十字靭帯半月板を損傷。梶山陽平も左足首手術からのコンディション調整に苦しみ[10]、序盤は前年のレギュラーボランチ両名を欠く厳しい選手構成となった。開幕戦こそ4年ぶりに勝利を収めたが(1-0 対横浜FM・味スタ)、J1中断期間前までは得失点ともに少なく引き分ける試合が多かった。

また、2010 FIFAワールドカップ日本代表今野泰幸長友佑都が選出された[11]。なお、長友はW杯終了後にイタリアチェゼーナへ期限付き移籍で退団した。W杯期間中にFW大黒将志らを獲得。大黒の得点もあってスルガ銀行チャンピオンシップで勝利し、前年に続くタイトル獲得には成功したものの、なかなか勝ち点を伸ばせないまま、9月に城福を解任。

後任に大熊清が就任したが、最終節で京都に敗戦し、最終節に勝利した神戸に入れ替わりで年間順位が16位となり、J2降格が決まった。

2011年(J2)[編集]

チームスローガン:TOKYO SPIRIT[注 4] 〜すべては勝つために〜

大熊清が監督を続投。赤嶺真吾(レンタル移籍していた仙台へ完全移籍)、キム・ヨングン大宮へ完全移籍)、リカルジーニョなどが退団した。一方で、FWロベルト・セザーらを獲得、層の薄さに苦しんだ前年の経験を踏まえ、MF谷澤達也など各ポジションにJ2での経験を持つ選手を加えた。

2月には「FC東京のある“まち”」というテーマでの演劇が調布市せんがわ劇場にて公演され、FC東京からは特別審査員として新任の阿久根謙司代表取締役と藤山竜仁普及部コーチが出席した[14]

4月には東北地方太平洋沖地震及び長野県北部地震の復興支援のため、松本山雅FCとのチャリティーマッチを開催[注 5]。また、宮城県出身の今野泰幸が発起人の1人となり、「東北人魂を持つJ選手の会」を設立。秋田県出身の下田光平もこれに参加し、東北地方のサッカー復興に向けて活動した。

リーグ戦序盤を勝ち切るためのキーマンとされたFW平山相太[15]が長期離脱するなど、立石敬之強化部長が「想像を超えて最悪に近いほど故障者が出た。しかも軸になる選手ばかり[16]」と言う程の状況に陥り、序盤は7戦で4得点、2勝に留まり苦しんだが、田邉草民高橋秀人の抜擢、羽生直剛をトップ下に据える[17]4-2-3-1布陣(右図)の採用により徐々に地力を見せ始めた。さらに、2007年まで在籍していたFWルーカスらを補強。第18節(12試合目[注 6])を終えた段階で昇格圏内に入り[10]、以後上位をキープ。11月19日の鳥取戦で勝利し、1年でのJ1復帰を決めた。翌20日に2位の鳥栖が敗れ、J2優勝を決めた。

天皇杯は決勝で京都に勝利し、前身の東京ガスサッカー部を含めたクラブ創設後初、J2勢として初となる天皇杯制覇を果たし、クラブ初のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場権を獲得した。同決勝戦を以て大熊が監督を退任。

2012年 - (J1)[編集]

2012年[編集]

チームスローガン:C・O・A Football[注 7]

監督に前町田監督のランコ・ポポヴィッチが就任。

今野泰幸G大阪へ、鈴木達也徳島へ完全移籍した一方、横浜FMから渡邉千真長谷川アーリアジャスール磐田から加賀健一清水から太田宏介東京Vから河野広貴を完全移籍で獲得、また、期限付き移籍していた選手を復帰させるなど、2年ぶりのJ1及び初のACLでの戦いに向け陣容を整えた[17]。渡邉、長谷川らの活躍でACLはグループリーグを突破し、ベスト16進出(右図)。中断期間中に谷澤達也が退団するも、新加入のネマニャ・ヴチチェヴィッチが穴を埋めた。リーグ戦は10位、ナビスコ杯はベスト4、天皇杯は2回戦敗退に終わった。

2013年[編集]

チームスローガン:C・O・A Football~さらなる進化をめざして~[注 7]

ポポヴィッチ体制2年目。羽生直剛梶山陽平らが期限付き移籍でチームを離れるも、大宮から東慶悟を完全移籍で、イングランド2部サウサンプトンから李忠成を期限付き移籍で獲得。シーズン途中で李が所属元へ復帰、田邉草民が業務提携を結んだスペイン2部サバデルへ期限付き移籍。

リーグ戦では第3節から4連敗し12位まで順位を下げたものの、得点源となった渡邉千真を中心にJ1におけるクラブ史上シーズン最多得点を記録。第8節からの3連勝と第24節からの4連勝でいずれも5位まで順位を上げたが、翌年のACL出場権を獲できる3位以上には届かず、第33節柏戦での敗戦により賞金圏内の7位からも脱落、8位でシーズンを終えた。

ナビスコカップは決勝トーナメント進出を逃し、天皇杯では準決勝でPK戦の末広島に敗れ3位に終わった。

契約満了によりこの年限りでポポヴィッチが退任[18]。FWルーカスが現役を引退した。

なお、この年東京都2020年に開催されるオリンピック・パラリンピックの招致に成功。FC東京は招致PRイベントを行うなど[19]クラブを挙げてこの活動を支援しており[注 8][21]2016年大会招致活動の頃からの協力[22][23]が実った形となった。

2014年[編集]

チームスローガン:Bello e Aggressivo! -限界を超えて頂点へ-

新監督にマッシモ・フィッカデンティが就任。ネマニャ・ヴチチェヴィッチが退団、長谷川アーリアジャスールがC大阪、中村北斗が大宮にそれぞれ完全移籍。FWエドゥーを獲得し、梶山陽平羽生直剛が期限付き移籍から復帰した。

シーズン半ばにかけてフィッカデンティの戦術が浸透し、試合運びが安定。2003年以来となる5試合(J1第16節から第20節まで)連続無失点、クラブ記録となる14試合(J1第13節から第26節まで。右図)不敗といった好調ぶりを見せた[24]

成績[編集]

所属選手[編集]

国際大会選出選手[編集]




入場者記録[編集]

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  J1
  J2
年度 総数 1試合
平均
ホーム
試合数
会場 000000001試合平均入場者 / 総入場者00000000 総計 Jリーグ
公式
1999 62,963 3,498 18 西12,駒3,江3[注 2]
 
[1]
2000 177,107 11,807 15 国10,駒2,[注 2]
鴨1,丸1,石1
 
[2]
2001 334,698 22,313 15 東13,国1,丸1
 
50万人超
2002 332,597 22,173 15 東12,国3
 
[3][4]
2003 373,978 24,932 15 味14,国1
 
100万人超 [5][6]
2004 381,575 25,438 15 味13,国2
 
[7][8]
2005 460,721 27,101 17 味15,国2
 
200万人超 [9]
2006 409,634 24,096 17 味14,国2,松1
 
[10]
2007 429,934 25,290 17 味16,国1
 
[11]
2008 437,176 25,716 17 味15,国2
 
300万人超 [12]
2009 440,032 25,884 17 味15,国2
 
[13]
2010 426,899 25,112 17 味15,国2
 
400万人超 [14]
2011 333,680 17,562 19 味14,国3,駒1,熊1
 
[15]
2012 407,243 23,955 17 味16,国1
 
500万人超 [16]
2013 426,246 25,073 17 味14,国3
 
[17]
2014 17 味16,国1 [18]
熊
松
石
丸
鴨
FC東京の位置
都外試合会場の所在地


カップ戦(Jリーグカップ・ACL)主催試合会場別試合数[編集]

年度 ナビスコ杯 ACL 備考
1999 西が丘2 , 江戸川1
不参加
2000 江戸川1 (ナ杯)2回戦からシード
2001 東京ス2
2002 東京ス2 , 国立1 , 駒沢1 (ナ杯)東京ス=決勝T1を含む
2003 味スタ1 , 国立1 , 駒沢2 (ナ杯)味スタ=決勝T1のみ
2004 味スタ3 , 国立2 (ナ杯)味スタ・国立とも=決勝T各1含む[注 9]
2005 味スタ3
2006 味スタ2 , 国立3
2007 味スタ2 , 国立2 (ナ杯)味スタ=決勝T1含む
2008 味スタ3 , 国立1 , 松本1 (ナ杯)味スタ=決勝T1含む
2009 味スタ3 , 国立1 , 駒沢1 (ナ杯)味スタ=決勝T2を含む[注 9]
2010 味スタ2 , 国立1 , 駒沢1 (ナ杯)味スタ=決勝T1を含む
2011
不参加
2012 味スタ2 東京ス[注 10]1 , 国立2 (ナ杯)ACL出場のため決勝Tにシード
2013 味スタ1 , 国立1 , 駒沢1
不参加
2014 味スタ3

年齢構成[編集]

[33]

年度 平均年齢
(Jリーグ平均)
年齢構成分布
18歳
以下
19~
22歳
23~
29歳
30~
39歳
40~
49歳
50歳
以上
2004 32.5歳(34.7歳) 12.0 6.8 23.9 34.2 15.4 7.7
R10.pngR10.pngR03.pngR01.pngC10.pngC03.pngC01.pngY30.pngY10.pngY05.pngY03.pngG50.pngG10.pngG05.pngG03.pngB30.pngB01.pngM10.pngM05.png
2005 31.7歳(35.4歳) 9.5 9.7 24.7 35.0 16.6 4.5
R10.pngR05.pngR03.pngR01.pngC10.pngC05.pngC03.pngC01.pngY30.pngY10.pngY05.pngY03.pngY01.pngG50.pngG10.pngG10.pngB30.pngB03.pngM05.pngM03.pngM01.png
2006 35.1歳(35.9歳) 5.6 3.6 23.0 37.2 20.1 10.5
R10.pngR01.pngC05.pngC01.pngC01.pngY30.pngY10.pngY05.pngY01.pngG50.pngG10.pngG10.pngG03.pngG01.pngB30.pngB10.pngM10.pngM10.pngM01.png
2007 34.0歳(36.5歳) 5.8 9.5 22.0 35.3 21.1 6.4
R10.pngR01.pngR01.pngC10.pngC05.pngC03.pngC01.pngY30.pngY10.pngY03.pngY01.pngG50.pngG10.pngG10.pngG01.pngB30.pngB10.pngB01.pngB01.pngM10.pngM03.png
2008 37.5歳(37.4歳) 5.8 4.7 13.2 33.4 30.1 12.9
R10.pngR01.pngR01.pngC05.pngC03.pngC01.pngY10.pngY10.pngY05.pngY01.pngG50.pngG10.pngG05.pngG01.pngG01.pngB50.pngB10.pngM10.pngM10.pngM05.pngM01.png
2009 38.1歳(37.3歳) 6.1 4.3 13.8 32.9 26.8 16.1
R10.pngR01.pngR01.pngC05.pngC03.pngC01.pngY10.pngY10.pngY05.pngY03.pngG50.pngG10.pngG05.pngG01.pngB50.pngB03.pngB01.pngM30.pngM01.pngM01.png
2010 38.8歳(38.2歳) 3.8 8.3 11.2 29.6 28.7 18.3
R05.pngR03.pngC10.pngC05.pngC01.pngC01.pngY10.pngY10.pngY01.pngY01.pngG50.pngG05.pngG03.pngG01.pngB50.pngB05.pngB01.pngB01.pngM30.pngM05.pngM01.pngM01.png
2011 37.6歳(38.6歳) 8.1 5.2 15.1 25.3 30.5 15.7
R10.pngR05.pngR01.pngC10.pngY30.pngG50.pngG01.pngB50.pngB10.pngB01.pngM30.pngM01.png
2012 37.2歳(39.0歳) 11.1 7.5 12.9 23.7 26.9 18.0
R10.pngR10.pngR01.pngR01.pngC10.pngC05.pngY10.pngY10.pngY05.pngY01.pngG30.pngG10.pngG05.pngG01.pngG01.pngB50.pngB03.pngB01.pngM30.pngM05.pngM01.png
2013 39.8歳(39.5歳) 6.7 3.5 11.0 25.5 31.7 21.5
R10.pngR03.pngC05.pngC01.pngC01.pngY10.pngY10.pngY01.pngY01.pngG50.pngG01.pngB50.pngB10.pngB03.pngM30.pngM10.pngM03.png

タイトル[編集]

国立霞ヶ関陸上競技場
2004年のJリーグヤマザキナビスコカップ決勝
国立霞ヶ関陸上競技場
2009年のJリーグヤマザキナビスコカップ決勝

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

その他[編集]

個人別[編集]

Jリーグ[編集]

  • 優秀選手賞
  • 優秀新人賞
  • 2003年 石川直宏
  • 2005年 茂庭照幸

ヤマザキナビスコ杯[編集]

その他受賞[編集]

  • 東京都環境賞
    • 2007年
  • 府中市民スポーツ優秀賞
    • 2009年

下部組織[編集]

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 青×赤[1] [1] [1]
FP(2nd) [1] [1] [1]
GK(1st)
GK(2nd)
GK(3rd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

チームカラー[編集]

ユニフォームスポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
東京ガスライフバル LIFEVAL 2010年〜 2009年は背中
2012年はACL予選ラウンド用にも掲出
背中 三菱商事 Mitsubishi
Corporation
2012年〜 2010年〜2011年は袖
JX日鉱日石エネルギー ENEOS 2012年〜 2002年〜2009年は胸、
スポンサー名は新日本石油
パンツ 東京ガス TOKYO GAS 2003年〜

ユニフォームサプライの遍歴[編集]

歴代ユニフォーム[編集]

歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]


国際試合・FP 2nd
国際試合・FP 1st
年度 背中 パンツ サプライヤー
1999 am/pm Enesta TEPCO - adidas
2000
2001
2002 ENEOS am/pm
2003 TOKYO GAS
2004
2005
2006
2007
2008
2009 LIFEVAL
2010 LIFEVAL TEPCO Mitsubishi
Corporation
2011 TEPCO / -[注 12]
2012 LIFEVAL/
Malaysia LNG
Mitsubishi
Corporation
ENEOS
2013 LIFEVAL
2014
  • 2012年の胸スポンサーは、Jリーグ及びACL予選ラウンドが「LIFEVAL」、ACL決勝ラウンドが「Malaysia LNG」
  • 他チームは背番号の上にスポンサー・下に選手名を表記しているが、FC東京は2009年以降反対(背番号の上に選手名・下にスポンサー)表記になっている。
  • タイトル獲得チームであるが、タイトル獲得を表す星は入っていない[注 13]

出資者[編集]

FC東京の位置(東京都区部および多摩地域内)
1
1
2
2
3
3
4
4
5
5
6
6
1.三鷹市、2.府中市、3.調布市、
4.小平市、5.西東京市、6.小金井市
  • スポンサー

詳細は「クラブスポンサー」を参照

  • 株主
2014年8月現在、378団体。発足時は161団体が株主となった[35]
東京ガスの関連企業が多く、区市町村からは1999年より三鷹市府中市調布市が、2002年より小平市西東京市が、2004年より小金井市が名を連ねている。

詳細は「株主名簿」を参照

日本のサイクロン[編集]

アジアのクラブのサポーターは、彼らの最も特徴的な曲を取り込んだサンロレンソ·デ·アルマグロのファンを満たすためにアルゼンチンを訪れた。 FC東京「サイクロン」のファンは新しい曲を作成するために彼女を導いたブエノスアイレスのクラブを参考に、自分自身を呼び出します。

スタジアムBGM[編集]

  • 演出シーン別
【アップ入場 (GK)】 『Take me to a game』 / チームオフィシャル
【アップ (選手)】 『Follow the count』 / チームオフィシャル
【アップ中】 『スタジアムへ行こう!』 / 東京スカパラダイスオーケストラ
【スタメン紹介】 『TECHNOFIRE』 / BUZZ CD:Dance Panic! vol.6 (型番VICP-61341、01年 ASIN B00005HY13)
【審判紹介】 45℃ / JIMSAKU 45℃ (型番POCH-1093、91年 ASIN B00005MX5F)
【選手入場前】 『You'll never walk alone』 / LIVERPOOL FC&SUPPORTERS (販売元:CHERRY RED DECORDS)
【選手入場中】 『Knights on the field』 / チームオフィシャル
【後半入場】 『Outstanding』 / チームオフィシャル
【試合終了後 (勝ち)】 Your voices make the stadium go round / チームオフィシャル
【試合終了後 (引き分け・負け)】 Opening goal / チームオフィシャル
  • オフィシャルCD「City Bred Two Colors」挿入曲

クラブ創設10周年を記念して2008年開幕戦よりスタジアムではクラブオリジナルBGMを使用している。使用曲はオフィシャルCDとして、クラブ名であるF・C・T・O・K・Y・Oの頭文字から始まる計7曲入りのCDを販売している。

  1. Follow the count [選手アップ登場時]
  2. City bred two colors [オフィシャルソング]
  3. Take me to a game [GKアップ登場時]
  4. Opening goal [試合終了後]
  5. Knights on the field [選手入場時]
  6. Your voices make the stadium go round [試合終了後]
  7. Outstanding [後半選手入場時]

異競技間交流[編集]

  • 2006年7月より、プロ野球東京ヤクルトスワローズと共同で東京のスポーツ振興を図ることになった[36]。双方のファンの来場を促進するキャンペーンなどを展開し、東京ドロンパとヤクルトのマスコット・つば九郎が互いの試合を訪問したり、平山相太今野泰幸がヤクルトの始球式に登板するなどの交流イベントが行われている。
  • 2009年夏にはTOKYO MX後援のサッカー・野球・競馬のコラボレーションイベント『ワッショイTOKYO夏ラリー!』で、共にイベントを盛り上げた。

その他[編集]

メディア[編集]

テレビ[編集]

主にテレビ中継はスカパー!東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で行われている(TOKYO MXは東京以外で行われるホーム戦やアウェー戦の試合も自社制作する。一部TBSテレビ日本放送協会(NHK)と同日中継の場合あり)。

2011年3月より、TOKYO MXにて、毎週金曜20:30-21:00に「トーキョー魂!」を放送している。

ジェイコム東京で「FC東京VIVA Paradise」が放送されている。毎月2回更新(15日間のリピート放送)なのでタイムラグが生じるが選手や試合などの情報が放送されている。番組自体は200回近い放送が行われている長寿番組。

ラジオ[編集]

コミュニティーFM局の調布FMFM西東京が、味の素スタジアム開催試合を中継している。1999年J2終盤戦ではTOKYO FMでも試合が生中継されたこともあった。

TOKYO FMでは「F.C. TOKYO SPIRIT 勝利への道」を2011年4月から放送。また、TOKYO FMの「Saturday goes on」、調布FM、FM西東京、レインボータウンFMなどでも、番組内にFC東京応援コーナーを設けている。

新聞他[編集]

東京中日スポーツは、紙面で「365日FC東京」と銘打ったクラブ情報をほぼ毎日掲載するほか、有料登録制の携帯サイト「365日FC東京モバイル」を設けて情報を発信している。

2014年より、クラブ公認月刊誌「F.C.TOKYO MAGAZINE BR TOKYO」を発刊。

出版[編集]

書籍[編集]

オフィシャルファンブック
書籍名 出版社 発売日 頁数 ISBN
FC東京ファンブック 2000 毎日新聞社 2000年4月
162
ISBN 4620791458
(ISBN-13 978-4620791456)
FC東京ファンブック 2001 2001年4月
130
ISBN 4620791768
(ISBN-13 978-4620791760)
FC東京ファンブック 2002 2002年2月
126
ISBN 4620792004
(ISBN-13 978-4620792002)
FC東京ファンブック 2003 2003年3月
129
ISBN 4620792225
(ISBN-13 978-4620792224)
FC東京ファンブック 2004 2004年3月
130
ISBN 462079239X
(ISBN-13 978-4620792392)
FC東京ファンブック 2005 2005年2月
130
ISBN 4620792535
(ISBN-13 978-4620792538)
FC東京ファンブック 2006 2006年2月
130
ISBN 4620792721
(ISBN-13 978-4620792729)
FC東京ファンブック 2007 2007年2月
130
ISBN 4620792926
(ISBN-13 978-4620792927)
FC東京ファンブック 2008 2008年3月
130
ISBN 4620793132
(ISBN-13 978-4620793139)
FC東京ファンブック 2009 2009年3月
130
ISBN 4620793361
(ISBN-13 978-4620793368)
FC東京ファンブック 2010 朝日新聞出版 2010年3月
130
ISBN 4021902139
(ISBN-13 978-4021902130)
FC東京ファンブック 2011 2011年3月
132
ISBN 4021902163
(ISBN-13 978-4021902161)
FC東京オフィシャルファンブック2012 フロムワン 2012年3月
132
FC東京オフィシャルファンブック2013 2013年2月
132
FC東京オフィシャルファンブック2014 2014年2月
132
その他の書籍
書籍名 出版社 発売日 頁数 ISBN
ゴールをめざせ! 攻撃サッカー
点を取るための戦術と練習メニュー[37]
池田書店 2001年6月
191
ISBN 4262162400
(ISBN-13 978-4262162409)

VHS・DVD[編集]

シーズンレビュー
タイトル 発売日 収録時間 ASIN
FC東京 J-1への軌跡 [VHS] 2000年4月21日
40分
ASIN B00005FD5E
Tokyo 2000 (ミレニアム) 2000年4月21日
130分
ASIN B00005FCAH
FC東京 2000-2002 シーズンレビュー (限定生産)
 
FC東京 2002 シーズンレビュー 2003年8月22日
103分
ASIN B0000BHH8U
FC東京 2003 シーズンレビュー 2004年4月23日
110分
ASIN B0001N1OF6
FC東京 シーズンレビュー2004 2005年3月21日
110分
ASIN B0007OE4CE
FC東京 2005シーズンレビュー 2006年3月24日
110分
ASIN B000EPFPAG
FC東京 2006シーズンレビュー 2007年6月08日
99分
ASIN B000NVLBQ8
FC東京 2007シーズンレビュー 2008年5月09日
94分
ASIN B0015RA7GY
FC東京 2008シーズンレビュー 2009年5月08日
90分
ASIN B001RIJZ8M
FC東京 シーズンレビュー2009 2010年3月26日
120分
ASIN B0036BO5KG
FC東京 2010シーズンレビュー 2011年3月28日
129分
ASIN B004O6LZH8
FC東京 2011シーズンレビュー 2012年3月20日
132分
ASIN B007JOZON8
FC東京 2012シーズンレビュー 2013年3月31日
103分
ASIN B00BN39RRK
FC東京 2013シーズンレビュー 2014年3月26日
144分
ASIN B00IM92QJE
その他のDVD
タイトル 販売元 発売日 収録時間 全国書誌番号 / ASIN
2004 Jリーグヤマザキナビスコカップ総集編
初制覇!FC東京カップウィナーズへの軌跡!
日活 2005年1月21日
105分
ASIN B0006VL9M6
FC東京 スターズ 1999-2008 日活 2009年7月24日
118分
ASIN B002AR5O7U
JリーグオフィシャルDVD 2009 Jリーグヤマザキナビスコカップ
FC東京 カップウイナーズへの軌跡「TOKYO AT THE TOP」
データ・スタジアム 2010年1月29日
56分
ASIN B00322S1FO
JリーグオフィシャルDVD 俺たちの国立 (ロード・トゥ・国立)
2009 Jリーグヤマザキナビスコカップ 激闘の軌跡!
データ・スタジアム 2010年1月29日
50分
ASIN B00322S1FY
次代を担うプレーヤー養成プログラム
FC東京U-15むさしのチームプラクティス
T&H 2008年
195分
全国書誌番号:21698016

不祥事[編集]

2013年1月31日、運営会社の東京フットボールクラブ株式会社(東京FC)の経理担当部長が2005年から2012年までの8年間に約2,300万円の会社経費を私的に流用したことが発覚。東京FCは同日付で経理担当部長を懲戒解雇した。損失額については経理担当部長が全額を弁済し、東京FCの代表取締役が責任を取って報酬の20%を3ヶ月間自主返上すると発表した[38]

応援スタイルなど[編集]

ユニフォームやTシャツの着用率よりもタオルマフラーの着用率が高く、試合前に歌われる「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」(ユルネバ)の際はタオルマフラーが揚げられる。[39][40]。レプリカ等の着用率が低い応援席では青赤に染める為に大旗を最前列では振らない(味の素スタジアム国立競技場では振られておらず、アウェーでは最前列で振るサポーターもいる)[41]。2008年と2009年には会員で先着200名にフラッグを無償での貸し出しを行なった[42]。なおFC東京にはサポーター団体が存在しない[43](FC東京の応援は植田朝日を中心としたグループによって行われているが「サポーター団体」ではない)

  • 東京ガス時代から一貫して東京で活動してきたことから、サポーターには『首都東京のチーム』という意識が強く、応援の際にも東京のチームであることを強調している[43]。2010年に東京Vの練馬区移転の話題が挙がった際、「練馬に緑は要らない」という横断幕を出した。
  • 天皇杯ナビスコカップスルガ銀行チャンピオンシップなどの大会限定や一部のチーム戦用(東京V戦や外国チームとの試合)の応援歌がある。
  • ゴール裏からの相手に対するブーイングが強烈であるチームのひとつでもある[44]。相手に対するバッシングも強烈である。
    • 2001年の対C大阪戦でC大阪のJ2降格が決定した際に「さよなら セレッソ」コールをした。
    • 2005年の最終節にC大阪が優勝を逃した際にも「やっちゃった」コール他を行なった。
    • 2008年以降から東京Vに対して「ヴェルディ川崎」コールを行なっている[19]
    • 2011年の開幕戦の鳥栖戦では「飛ばない奴はサガン鳥栖」(福岡の応援歌)コールを行なった[20][21]
    • 相手チームの選手に対してエールを送ることもある(川口能活などの日本サッカーに貢献している選手に対して行なわれている)[44]
  • アウェイのスタジアムグルメを食い尽くす事から「」と呼ばれ、2011年7月24日に国立競技場にて開催されたロアッソ熊本戦では試合開始前に殆どの売店で食料が売切れ、クラブが謝罪する事態となった[45]

注釈[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 海外メディアでは「The Gas Men」との表記も見られる。
  2. ^ a b c 東京スタジアム(味の素スタジアム)完成前の1999年は登録上は西が丘だったが、夏季は芝生の張替え・育成や他のアマチュア大会に使う関係で江戸川を中心に、また秋季はアマチュア大会の日程の都合もあり駒沢で3試合主催した。2000年は西が丘がJ1基準を満たさないため、名目上は収容人員でJ1基準を満たす駒沢だが、照明塔が周辺の騒音を考慮して設置できないため過半数を国立で開催。
  3. ^ 東京スタジアムは、三鷹・府中・調布の3市にまたがる関東村の跡地利用の一環として建設された。
  4. ^ 「SPIRIT」には、Speed(スピード)、Personality(個性)、Independence(自立)、Race(競争)、Insight(状況判断)、Technique(テクニック)の意味が込められている。
  5. ^ Jリーグからの「東北電力東京電力管内での慈善試合開催は不可」との通達もあり、長野県松本平広域公園総合球技場で行われた。
  6. ^ 東日本大震災による公式戦休止のため、リーグ戦の日程が変則的なものとなっていた。
  7. ^ a b 「C・O・A」には、Collective(組織的に)、Offensive(攻撃的に)、Attractive(魅力的に)戦い[17]、サッカーにおいて日本のコア(中心)を目指す意味が込められている。
  8. ^ 招致委員会による「招致応援宣言」に名を連ねたスポーツチームは、ナショナルチーム以外ではFC東京のみである[20]
  9. ^ a b 国立で行われる決勝戦は中立地開催扱いのため含めず。
  10. ^ ACLにおいては、「東京スタジアム」の表記を用いる。
  11. ^ ガスの炎の色を表す。東京ガスを母体とするスポーツチームの多くが、ユニフォームを同系統の配色としている。詳細は東京ガス#スポーツとのかかわりを参照。
  12. ^ 福島第一原子力発電所事故のため、[要出典]2011年4月より掲示を中止[34]
  13. ^ 他のタイトル獲得経験のあるJリーグチームでは清水エスパルスが挙げられる。2012年までは湘南ベルマーレも同様だった。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad クラブガイド:FC東京”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年7月23日閲覧。
  2. ^ CLUB GUIDE:F.C.TOKYO(英語)Jリーグ公式サイト
  3. ^ a b c d e f g 2013年度(平成25年度)Jクラブ個別情報開示資料 (PDF) Jリーグ公式サイト、2014年7月23日閲覧
  4. ^ 企業概要 東京フットボールクラブ 株式会社 ザ・ビジネスモール (2014年5月19日)
  5. ^ a b c d e f g h i 『FC東京ファンブック2010』 アサヒリジナル2010年、120-121頁。
  6. ^ 青山経営論集」第41巻第2号、2006年9月75-82頁
  7. ^ “脱・原トーキョー”に成功。城福監督が新・東京を作った ゲキサカ (2009年11月3日)
  8. ^ 【F東京】フィッカデンティ監督、9日C大阪戦に意欲「組織化された守備を続けて」 スポーツ報知 (2014年8月8日)
  9. ^ a b c d e f g 『FC東京ファンブック2002』 毎日新聞社2002年、106-107頁。
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 『サポーターが選んだFC東京 名勝負BEST10』 コスミック出版2012年、62-74頁。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m 『フットボールサミット第11回』 カンゼン2013年、7-11頁。
  12. ^ 【J1:第18節】鹿島 vs F東京:原博実監督(F東京)記者会見コメント J's GOAL (2007年6月30日)
  13. ^ “FC東京の顔”ENEOSが今季限りで撤退 - ウェイバックマシン(2009年8月19日アーカイブ分) スポーツニッポン (2009年8月17日)
  14. ^ 第2回せんがわ劇場演劇コンクール 参加団体(者)及び市民審査員 大募集!!! せんがわ劇場ウェブサイト 2010.08.04
  15. ^ FC東京は20年前の志で東京Vに立ち向かえるか スポーツナビ、2011.05.03
  16. ^ 加部究サッカー批評 ISSUE53「FC東京の未来像」』 双葉社2011年
  17. ^ a b c FUJI XEROX SUPER CUP 2012特集:出場クラブ紹介 J's GOAL
  18. ^ “ランコ ポポヴィッチ氏との契約について”. F.C.TOKYO OFFICIAL WEBSITE. (2013年10月23日). http://www.fctokyo.co.jp/?p=177934 2013年10月23日閲覧。 
  19. ^ FC東京 VS サガン鳥栖戦における招致PRイベント実施について 東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会 (2013年8月26日)
  20. ^ プロモーション 招致応援宣言 東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会
  21. ^ 東京-浦和、史上初の5発全ヘッド/J1 日刊スポーツ (2013年9月15日)
  22. ^ J1リーグ「FC東京vsジェフユナイテッド千葉」戦で、東京招致活動応援イベント「聖火点灯式」開催! 東京オリンピック・パラリンピック招致委員会 (2009年4月19日)
  23. ^ Jリーグ公式戦における招致PRについて (PDF) 東京オリンピック・パラリンピック招致委員会 (2009年4月14日)
  24. ^ 日程・結果 Jリーグ
  25. ^ 第28回オリンピック競技大会(アテネ/2004)サッカー男子 日本代表メンバーに茂庭照幸、今野泰幸、石川直宏、徳永悠平選手選出のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年7月16日アーカイブ分) FC東京 2004.07.16
  26. ^ 国際親善試合(7/24@神戸)、キリンチャレンジカップALL FOR 2010!(7/29@東京)、第29回オリンピック競技大会(2008/北京)サッカー男子メンバーに長友佑都選手、梶山陽平選手選出のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年7月14日アーカイブ分) FC東京 2008.07.14
  27. ^ ロンドンオリンピック2012日本代表メンバー 徳永悠平選手、権田修一選手選出のお知らせ FC東京 2012.07.02
  28. ^ U-20 日本代表FIFAワールドユース選手権大会UAE2003メンバーに鈴木規郎選手、徳永悠平選手選出のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年7月16日アーカイブ分) FC東京 2003.11.17
  29. ^ U-20日本代表(6/2~7/4)~FIFAワールドユース選手権大会オランダ2005~メンバーに、増嶋竜也選手、梶山陽平選出のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年7月15日アーカイブ分) FC東京 2005.05.28
  30. ^ U-17日本代表チーム FIFA U-17ワールドカップ韓国2007(8/8〜9/13)メンバーにFC東京U-18所属の廣永遼太郎選手選出のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年7月14日アーカイブ分) FC東京 (2007年8月6日)
  31. ^ FIFA U-17ワールドカップ ナイジェリア2009 U-17日本代表メンバーにFC東京U-18所属の廣木 雄磨選手選出のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年5月7日アーカイブ分) FC東京 2009.10.05
  32. ^ U-17日本代表 FIFA U-17ワールドカップ メキシコ2011(6/18~7/10)メンバーに、FC東京U-18所属の野沢 英之選手選出のお知らせ FC東京 2011.06.03
  33. ^ 観戦者調査 サマリーレポート Jリーグ
  34. ^ 東京電力様に関する対応について FC東京 2011.04.28
  35. ^ サッカー批評ISSUE55双葉社2012年、69頁。ISBN 978-4575452754
  36. ^ 「東京ヤクルトスワローズ」と、東京のスポーツ振興に向けて協力 - ウェイバックマシン(2012年7月15日アーカイブ分) FC東京 2006.07.03
  37. ^ サッカー攻撃指南書『ゴールをめざせ!攻撃サッカー』発行のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年7月14日アーカイブ分) FC東京、2001.06.12
  38. ^ “ファンのみなさまへ【お詫び】” (プレスリリース), FC東京, (2013年1月31日), http://www.fctokyo.co.jp/?p=160126 2013年3月14日閲覧。 
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  45. ^ 【年末企画】編集部が選ぶ!J'sGOAL的2011年10大ニュース! J's GOAL (2011.12.30)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]