柏木陽介
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| 柏木 陽介 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ヨースケ | |
| カタカナ | カシワギ ヨウスケ | |
| ラテン文字 | KASHIWAGI Yosuke | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1987年12月15日(21歳) | |
| 出身地 | 兵庫県神戸市 | |
| 身長 | 174cm | |
| 体重 | 68kg | |
| 血液型 | AB | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF | |
| 背番号 | 10 | |
| 利き足 | 左足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2006- | 79(10) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月13日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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柏木 陽介(かしわぎ ようすけ、1987年12月15日 - )は、日本のサッカー選手。兵庫県神戸市生まれ、揖保郡御津町(現:たつの市)育ち。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはミッドフィールダー。広島県立吉田高等学校卒業。
目次 |
[編集] 来歴
兵庫県神戸市生まれ、揖保郡御津町育ち。小中学校の同級生には木下真吾がいた。中学3年次、ヴィッセル神戸ユースに進もうとしていたが、サンフレッチェ広島からスカウトされ、ユース寮などの練習環境に惹かれ、テストを経て2003年広島ユースに加入。その当時は体がかなり細かったこともあり[1]、関西圏チームのどこからも具体的なスカウトはなかった。
元々は攻撃的なMFの選手だったがボランチへコンバートされ、高校2年からレギュラーを掴み、チームの中軸としてユースチームで高円宮杯全日本ユース選手権の初制覇、日本クラブユース選手権の連覇を達成し、高校3年次には2種登録選手としてナビスコカップに出場。またU-17、U-18日本代表にも選出。
- 2006年シーズン
- トップチームに昇格。同期入団は橋内優也、槙野智章、趙佑鎮ら。6月にミハイロ・ペトロヴィッチが監督に就任すると、「若手を積極的に起用する」という方針[2]から攻撃的MFとしての出場が増加し、レギュラーに定着する[3]。17試合に出場し、シーズン終盤の快進撃に貢献した。11月にはAFCユース選手権2006に出場し、3得点4アシストを挙げる。
- 2007年シーズン
- 4月15日、日本代表強化合宿でオシムジャパンの候補に初選出[4]。同年、FIFA U-20ワールドカップ2007に出場し主力として活躍した[5]。それが認められ、同年北京オリンピックアジア予選メンバーに選ばれ予選突破に貢献する[1]。柏木本人がブンデスリーガへの移籍を希望していた[6]ほか、シーズン終了後に広島のJ2降格が決定したことから複数クラブからのオファーがあった[7][8]が、最終的に広島に残留した。
- 2008年シーズン
- 背番号が27から10に変更された。なお、広島の背番号10は代々高木琢也、久保竜彦、ウェズレイらストライカーの選手が背負っており、中盤の選手が10を背負うのは柏木が初めてであった。北京五輪代表候補にも名前が挙がっていたが、序盤の怪我による不振から北京五輪本大会のメンバーには選ばれなかった[9]。
- 2009年シーズン
[編集] プレースタイル
激しいプレーと高いテクニックを併せ持つ[10]選手で、ミハイロ・ペトロヴィッチ曰く「広島のダイヤモンド」[11](柏木本人曰く「広島の王子様」[要出典])。本人は「1試合に1回は観客を魅了するプレーをしたい。」と話し、[要出典]、得意の左足から創造性溢れるプレーを繰り出す[11]。泥臭い守備も厭わず、ボール奪取から攻撃への素早い切り替えも上手い[12]。
中盤での幅広いプレーが可能で、トップ下でゲームを組み立てながら自らゴールも狙い、ボランチとしてもゲームをコントロールできる[5][7]。攻守にわたって豊富な運動量で貢献する[1]ことから、「走るファンタジスタ」と呼ばれる[12]。
[編集] エピソード
- 2009年、公式ブログ上に誤って携帯電話の番号とメールアドレスを掲載してしまう事件があった。知人へのメールを、誤ってブログ更新用のメールアドレスに送ってしまったミスと考えられている[13]。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- 1994年 - 1997年 : 神戸市立松尾小学校
- 1997年 - 1999年 : 御津町立御津小学校
- 2000年 - 2002年 : 御津町立御津中学校
- 2003年 - 2005年 : サンフレッチェ広島ユース(広島県立吉田高等学校)
- プロ経歴
- 2006年 - 現 在 : サンフレッチェ広島
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005 | 広島 | 35 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
| 2006 | 広島 | 27 | J1 | 17 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 19 | 1 |
| 2007 | 広島 | 27 | J1 | 31 | 5 | 7 | 0 | 4 | 1 | 42 | 6 |
| 2008 | 広島 | 10 | J2 | 31 | 4 | - | 4 | 0 | 35 | 4 | |
| 2009 | 広島 | 10 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 48 | 6 | 9 | 0 | 5 | 1 | 62 | 7 | |
| 日本 | J2 | 31 | 4 | - | 4 | 0 | 35 | 4 | |||
| 総通算 | 79 | 10 | 9 | 0 | 9 | 1 | 97 | 11 | |||
- 2005年 ユース所属
- 2007年 入替戦 - 2試合0得点
[編集] 経歴
- 公式戦初出場:2005年6月4日 ナビスコカップ第5節 vsガンバ大阪戦(広島スタジアム)
- Jリーグ初出場:2006年7月22日 J1第14節 vsジェフユナイテッド千葉戦(広島ビッグアーチ)
- Jリーグ初先発:2006年8月20日 J1第18節 vs大分トリニータ戦(広島ビッグアーチ)
- Jリーグ初得点:2006年8月23日 J1第19節 vsガンバ大阪戦(万博記念競技場)
[編集] タイトル
- 2003年
- 日本クラブユース選手権 優勝
- Jユースカップ 優勝
- 2004年
- 日本クラブユース選手権 優勝
- 高円宮杯全日本ユース選手権 優勝
- 2005年
- JFAプリンスリーグU-18中国 MVP
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- U-19日本代表
- AFCユース選手権 予選(2005年)
- AFCユース選手権(2006年)
- U-20日本代表
[編集] 脚注
- ^ a b c 読売新聞 (2007年10月16日). "走る中盤攻守のキーマン". 2009年7月1日 閲覧。
- ^ Yahoo!スポーツ (2009年3月6日). "広島が“魅せるサッカー”でJ1に挑む". 2009年7月1日 閲覧。
- ^ 中国新聞 (2008年2月19日). "柏木、左脚故障 開幕は微妙". 2009年7月1日 閲覧。
- ^ 日刊スポーツ (2007年4月15日). "「気を失うほどの選手ではない」:オシム語録". 2009年7月1日 閲覧。
- ^ a b Yahoo!スポーツ (2007年6月27日). "柏木陽介、飛躍へのターニングポイント". 2009年7月1日 閲覧。
- ^ MSN産経ニュース (2007年9月9日). "U-22柏木陽介がブンデス移籍熱望!すでに大物代理人と契約". 2009年7月1日 閲覧。
- ^ a b 日刊スポーツ (2007年12月7日). "浦和が広島MF柏木獲りへ". 2009年7月1日 閲覧。
- ^ 日刊スポーツ (2007年12月14日). "広島MF柏木に柏からオファー". 2009年7月1日 閲覧。
- ^ スポニチアネックス. "五輪落選の柏木、金崎が“逆転招集”". 2009年7月1日 閲覧。
- ^ 中国新聞 (2006年2月8日). "サンフレ2006新戦力 MF 柏木陽介". 2009年6月27日 閲覧。
- ^ a b サンフレッチェ広島. "PickUpPlayer 柏木陽介". 2009年6月27日 閲覧。
- ^ a b 文藝春秋. "Jリーグ選手情報 柏木陽介". 2009年6月27日 閲覧。
- ^ livedoor スポーツ (2009年3月12日). "サンフレッチェ広島の柏木陽介選手がブログに電話番号とメアドを誤掲載。". 2009年7月1日 閲覧。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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