藤本淳吾
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| 藤本 淳吾 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ジュンゴ | |
| カタカナ | フジモト ジュンゴ | |
| ラテン文字 | FUJIMOTO Jungo | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1984年3月24日(25歳) | |
| 出身地 | 神奈川県大和市 | |
| 身長 | 173cm | |
| 体重 | 69kg | |
| 血液型 | B型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF | |
| 背番号 | 10 | |
| 利き足 | 左足 | |
| 代表歴 | ||
| 2007 | 4 (0) | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
藤本 淳吾(ふじもと じゅんご、1984年3月24日 - )は、神奈川県大和市出身のプロサッカー選手。 ポジションはMF。J1・清水エスパルス所属。
目次 |
[編集] プレースタイル
レフティ(左足が利き足)であり、尊敬する人物は同じレフティのマラドーナである。攻撃のイマジネーションに溢れ基礎技術も高い。澤登正朗がつけていた背番号10を継承した事から、一部では「澤登の背番号を受け継ぐ男」と呼ばれる。清水のエースとしての更なる成長が期待される。
[編集] 経歴
小学生の頃より地元の横浜マリノスプライマリーに入り、そのまま中学1年までマリノスの下部組織に所属。しかし中学2年に上がるときにメンバーに残ることができず、横浜栄FCを経て桐光学園高校に進学した。
高校時代は、U-16、U-17日本代表に選出され、2001年U-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)に出場。グループリーグ敗退も3戦全てに先発出場した。
しかし、高校サッカー選手権には縁が無く、同じU-17日本代表だった阿部祐大朗のいる桐蔭学園に屈し続け、最後の冬も県大会決勝で敗れている(目立った成績は、高校3年時のインターハイベスト8ぐらいである)。各年代の日本代表には選ばれ続けたものの、チームとしてタイトルには縁遠かったこともあり、高校3年生の時に正式なオファーを貰ったのは当時J2の川崎フロンターレのみ。元サッカー選手の父親[1]から「現状ではプロに行っても長くプレーできないかもしれない」と言われたこと、また地元のJ1チーム・マリノス以外なら筑波大学進学と決めていたこともあって大学進学を決意。
筑波大学でも1年時よりレギュラーを獲得。1年時の第76回関東大学リーグでは2得点1アシスト。2年時の第77回関東大学リーグでは4得点5アシスト。第52回全日本大学サッカー選手権大会決勝では貴重な決勝点(筑波大1-0駒大)を挙げ、2連覇に貢献。大会ベストMFに。3年時の第78回関東大学リーグでは同大学を4年ぶり14回目の優勝に導き、自身も5得点7アシストでアシスト王とベストイレブンに輝いている。さらに4年時の第79回関東大学リーグでも12アシストでアシスト王とベストイレブンに輝く。これらの活躍から、大学在籍4年間を通して大学選抜に選ばれ続けた。
日本代表関連では、2005年6月の第33回トゥーロン国際大会参加のU-21日本代表メンバーに選ばれ、また8月のユニバーシアード・イズミル大会では背番号10番を背負い司令塔として日本を3連覇に導き、大会MVPと得点王(6得点)に輝いている。
同年、清水エスパルスの特別指定選手としてナビスコカップに1試合出場。
目覚しい活躍をみせた大学時には、高校時代とは打って変わって多くのJ1クラブが獲得候補選手リストに掲げ争奪戦を繰り広げたが、その中から藤本は清水エスパルスを選択。2006年に正式加入した。清水を選んだのは、特別指定選手として練習に参加した際、軽いプレーをした藤本に長谷川健太監督が「やる気がないなら帰れ」と叱責、このことからお客さん扱いではなく1人の戦力として見てくれていることに喜びを感じ清水で成長したいという気持ちがわいたためと語っている。
プロ1年目シーズンの序盤はコンディション作りや怪我に悩まされ安定した活躍ができなかったが、シーズン終盤ポジションを右サイドハーフに移し視界を広げたことでプレーの幅が広がり爆発的な活躍をした。第31節、第32節では2試合でプロ入りして初のハットトリックを含む5得点1アシストを記録するなど、28試合出場8得点4アシストで1シーズン目を終えた。これらの活躍が評価され2006年シーズンのJリーグ新人王(奇しくも初代新人王は澤登)、第39回内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞。
2年目の2007年シーズンは日本代表候補に初選出され、自身の誕生日にフル代表デビューを果たす。また、Jリーグオールスターサッカーに東西両軍を合わせ最多得票を集めて選出され出場した。
2008年7月22日大宮アルディージャ戦で相手タックルにより左足首を負傷。精密検査の結果、左足腓骨骨折および左足首内側靭帯損傷で全治3ヶ月の重症であることが判明、2008年シーズン残り試合の出場は絶望的となった(腓骨骨折を経験したサッカー選手には、田中達也、戸田光洋、稲本潤一、ルイス・フィーゴらがおり、いずれも復帰に半年から1年がかかっている)。翌シーズンの2節で復帰している
[編集] 所属クラブ
ユース・その他経歴
- - 1996年 横浜マリノスプライマリー
- 1996年 - 1997年 横浜マリノスジュニアユース
- 1997年 - 1998年 横浜栄FC
- 1999年 - 2001年 桐光学園高校
- 2002年 - 2005年 筑波大学
プロ経歴
- 2006年 - 清水エスパルス
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2002 | 筑波大 | 15 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
| 2005 | 筑波大 | 10 | - | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | ||
| 2005 | 清水 | 35 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | |
| 2006 | 清水 | 10 | J1 | 28 | 8 | 5 | 0 | 3 | 3 | 36 | 11 |
| 2007 | 清水 | 10 | J1 | 34 | 7 | 4 | 1 | 3 | 0 | 41 | 8 |
| 2008 | 清水 | 10 | J1 | 18 | 2 | 6 | 4 | 0 | 0 | 24 | 6 |
| 通算 | 日本 | J1 | 80 | 17 | 16 | 5 | 6 | 3 | 102 | 25 | |
| 日本 | 他 | - | - | 3 | 1 | 3 | 1 | ||||
| 総通算 | 80 | 17 | 16 | 5 | 9 | 4 | 105 | 26 | |||
- 2005年は特別指定選手として出場
[編集] 代表歴
- 2000年 U-16日本代表
- 2001年 U-17世界選手権代表、U-18日本代表
- 2005年 ユニバーシアード日本代表、U-21日本代表
- 2007年 日本代表
- 初cap 2007年3月24日ペルー戦
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 4試合 0得点(2007-)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2007 | 4 | 0 |
| 通算 | 4 | 0 |
[編集] 個人タイトル
[編集] 関連項目
- 特別指定選手としてJリーグクラブに登録された選手一覧
- Jリーグ歴代新人王
- 清水エスパルスの選手一覧
- ソル・スポーツマネージメント - 所属マネジメント会社
[編集] 脚注
[編集] 参考文献等
[編集] 外部リンク
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