矢野貴章

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矢野 貴章 Football pictogram.svg
名前
愛称 キショウ
カタカナ ヤノ キショウ
ラテン文字 YANO Kisho
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1984年4月5日(27歳)
出身地 静岡県浜松市
身長 185cm
体重 77kg
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 SCフライブルク
ポジション FW
背番号 22
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
2003-05
2006-2010
2010-
日本の旗 柏レイソル
日本の旗 アルビレックス新潟
ドイツの旗 SCフライブルク
39 (04)
152 (30)
15 (00)
代表歴 2
2007 - 日本の旗 日本 19 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月15日現在。
2. 2009年6月17日現在。
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矢野 貴章(やの きしょう、1984年4月5日 - )は、静岡県浜松市出身のプロサッカー選手ブンデスリーガSCフライブルク所属。ポジションフォワード(センターフォワード・左右ウイング)。マネジメント会社はサニーサイドアップ。実兄の矢野晴之介は現在、日本体育大学女子サッカー部の監督を務める[1]

目次

[編集] 来歴

小学生時代はジュビロ浜北サッカースクール付属少年団に在籍。中学生時代に在籍したヤマハジュビロSSではサイドバックを務めていたが、浜名高校在籍時にフォワードにコンバートされた[2]2001年にはU-17日本代表としてU-17世界選手権に出場し、5-1と大敗したフランス代表戦でゴールを挙げた。2002年は、ジュビロ磐田強化指定選手に登録された。

高校卒業時には4クラブから誘われ、その中からJ1柏レイソルを選択する[3]。入団1年目の2003年開幕戦から先発メンバーに抜擢され、リーグ戦18試合に出場。しかし、2004年の試合出場はわずか9分に留まり、2005年もシーズン前半はベンチ外が続いたが、6月にU-21日本代表としてトゥーロン国際大会に参加したことが転機となり、シーズン後半はコンスタントに出場するようになった[4][5]

2005年、柏が入れ替え戦に敗れJ2降格が決定したため、2006年は柏の1年先輩にあたる永田充とともにJ1のアルビレックス新潟に移籍する。新潟移籍後は主力として重用され、主にエジミウソンとコンビを組んで2トップを構成。プロ入り後最多のJ1リーグ戦6得点を挙げ、エジミウソンと並ぶ得点源としてチームのJ1残留に貢献した。

2007年3月、日本代表に初招集され、3月24日のペルー戦で国際Aマッチ初出場。新潟在籍選手として初の日本代表選手となった。9月11日の国際親善試合スイス戦で代表初得点を挙げた。  

2009年シーズン序盤から中盤は3トップの右ウィングとして起用されていたが、左ウィングを務めたペドロ・ジュニオールガンバ大阪へ移籍した後はそれまでと同様2トップの一角として起用された。

2010年より、状況によりゲームキャプテンを務める。5月10日、2010 FIFAワールドカップ最終登録メンバーに選出。事前に予想されていなかったサプライズ選出であり、新潟在籍選手としては初のW杯メンバーとなった。6月14日に行われたグループリーグ第一戦のカメルーン戦では、後半37分から大久保嘉人との交代で出場し、ワールドカップ初出場を果たした。

2010年8月27日、ブンデスリーガSCフライブルク公式サイトにて、同クラブとの契約が発表され、夢だった海外移籍を実現。代理人は長谷部誠香川真司らと同じトーマス・クロート。9月11日、VfBシュトゥットガルト戦でブンデスリーガデビューを果たすも、その後はレギュラーの座を掴むすることはできず、2010-11シーズンは主に途中投入で15試合に出場するも、無得点に終わった。2011年12月20日、クラブから戦力外通告を受けた。

[編集] 特徴・評価

長身を利した高さや身体を張ったプレーだけでなく、ドリブル突破、スペースへの飛び出しを得意とする[6]。また、豊富な運動量や前線からの守備が得意であり、チームの為に労を惜しまない選手である[7][8][9]。その一方で、シュート精度に課題があり、J1リーグ戦におけるシュート決定率や90分平均得点は低いものとなっているが[10]、殆ど角度のない位置からのシュート(通称:貴章ゾーン)を決める事が多い選手でもある[7]。  

[編集] エピソード

  • スポーツニッポン静岡版の記事によると、母校である静岡県立浜名高等学校の恩師に「将来はどうするつもりだ?」との回答に、「いつかは地元(ジュビロ磐田を指していると思われる。)でプレーをしたい」と語っている。
  • 父親が亡くなった直後に試合に出場してゴールを決め、その試合をたまたま見ていた関係者の目にとまり、日本代表に選出された。
  • 技術的には上の選手が多い静岡のチームにいたせいか批判は絶えなかったが、小学生、高校生時の監督は彼を起用し続けた。
  • 2010年W杯メンバーに選出されたとき、岡田武史監督(当時)はFWである矢野に、フィジカルとセットプレー時の守備に期待していると語っていた。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2003 18 J1 18 2 2 0 0 0 20 2
2004 2 0 1 0 1 0 4 0
2005 19 2 1 0 2 0 22 2
2006 新潟 11 33 6 6 1 2 1 41 8
2007 33 7 6 1 1 0 40 8
2008 33 6 3 0 2 0 38 6
2009 33 8 1 0 4 5 38 13
2010 20 3 2 0 0 0 22 3
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2010-11 フライブルク 22 ブンデス1部 15 0 - 0 0 15 0
2011-12 -
通算 日本 J1 191 34 22 2 12 6 225 42
ドイツ ブンデス1部 15 0 - 0 0 15 0
総通算 206 34 22 2 12 6 240 42
  • 2002年は強化指定選手としてジュビロ磐田に登録(公式戦出場は無し)。

その他の公式戦

[編集] 経歴

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 19試合 2得点 (2007年 - )


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2007 7 1
2008 5 0
2009 4 1
2010 3 0
通算 19 2

[編集] ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2007年9月11日 オーストリアクラーゲンフルト スイスの旗 スイス ○4-3 国際親善試合
2. 2009年5月31日 日本東京 ベルギーの旗 ベルギー ○4-0 キリンカップサッカー2009

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 初先発・ビューティー川澄2発/女子W杯 - サンケイスポーツ、2011年7月15日
  2. ^ 日刊スポーツ 高校サッカー2002 金の卵を探せ!注目選手紹介 第6回 矢野貴章(浜名3年)
  3. ^ 「止める蹴るしゃべる」『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2003年9月30日号 No.941、61-63ページ
  4. ^ 人 of the Week『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2005年8月9日号 No.1037、66ページ
  5. ^ 永田充×矢野貴章 対談『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2006年2月7日号 No.1063、96-97ページ
  6. ^ 『週刊サッカーマガジン増刊 2007 J1&J2リーグ選手名鑑』(ベースボール・マガジン社) 、『週刊サッカーダイジェスト』(日本スポーツ企画出版社)2008年6月17日号 No.953 p29等の記述によった
  7. ^ a b 『週刊サッカーマガジン増刊 2008 J1&J2リーグ選手名鑑』(ベースボール・マガジン社)の記述によった
  8. ^ “J1新潟・矢野、ドイツで羽ばたけ サッカー欧州移籍 契約交渉へ出発”. CHUNICHI Web (中日新聞社). (2010年8月27日). http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20100827/CK2010082702000134.html 2010年9月11日閲覧。 
  9. ^ “【Jリーグ】「新潟の誇りもって南アへ」矢野、得点逃すも6季ぶり4連勝に貢献”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2010年5月15日). http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/100515/scr1005152003007-n1.htm 2010年9月11日閲覧。 
  10. ^ TBS スーパーサッカーの選手データによった

[編集] 外部リンク

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