那須大亮

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那須 大亮
名前
愛称 ナス
カタカナ ナス ダイスケ
ラテン文字 NASU Daisuke
基本情報
国籍 日本
生年月日 1981年10月10日(27歳)
出身地 鹿児島県南さつま市
身長 180cm
体重 75kg
血液型 O型
選手情報
在籍チーム ジュビロ磐田
ポジション DF
背番号 6
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
2002-2007
2008
2009-
横浜F・マリノス
東京ヴェルディ
ジュビロ磐田
119 (6)
32 (1)
? (?)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年1月17日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

那須 大亮(なす だいすけ、1981年10月10日 - )は、鹿児島県南さつま市出身のサッカー選手Jリーグディヴィジョン1(J1)ジュビロ磐田に所属、ポジションはDFDHSB

以前所属した横浜F・マリノスでは主にボランチを務めていたが、五輪代表ではDFで起用されていた。東京ヴェルディでは本人の希望もありCBに固定されていた。

目次

[編集] 来歴

2002年駒澤大学3年であった那須は、大学生Jリーガーとして横浜F・マリノスに入団。1年目は出場1試合にとどまった。

2003年、横浜FMに岡田武史監督が就任。中盤でのアンカー役となれる選手を求めていた同監督は、2002年に浦和レッズで現役引退したマリノスOB・井原正巳の推薦のもと、浦和から獲得した河合竜二を起用しようとした。しかし河合のコンディションが万全ではなく、苦肉の策としてDFの那須を起用することを決定。このコンバートが那須にとって重要な転機となった。

与えられたポジションは本職ではないボランチだったが、持ち味であるディフェンス力でチームに貢献。試合出場を重ねる中で、チームの中心選手へと成長を遂げた。当時の日本代表エースである久保竜彦を獲得し優勝を目指していたチームにおいて、J1完全制覇の立役者となっただけでなく、自身も新人王のタイトルを獲得した。また、同年8月にはしばらく遠ざかっていたU-22日本代表にも復帰。その存在感を徐々に増していった。

2004年初頭、アテネオリンピックを目指すU-23日本代表に招集。積極的にチームを引っ張り、新たに加入した田中マルクス闘莉王のお目付け役ともなった。3月に行われた、アテネオリンピック予選では、第4節のバーレーン戦で途中交代した鈴木啓太の代わりにキャプテンマークを巻き、第5節のレバノン戦では出場停止だったものの、最終節のUAE戦では先制点を挙げ、チームの予選突破に貢献。本大会直前には、山本昌邦監督からキャプテンを指名された。

しかし、現地ギリシャ入り後にコンディションを崩し、本大会初戦のパラグアイ戦で失点に直結する致命的なミスを犯し、前半のみで交代。第2節のイタリア戦では、2点ビハインドの前半18分、負傷した徳永悠平に替わり途中出場。駒野友一と入れ替わるかたちで左SBに入り獅子奮迅のプレーを見せるも、日本は2-3で敗れた。最終戦となったガーナ戦は起用されず、不完全燃焼に終わった。

同年、横浜FMは浦和とのチャンピオンシップ(CS)に出場。2試合合計1-1(PK4-2)で勝利し、Jリーグ2連覇を飾った。しかし、CS直前に負傷した那須はベンチでチームの優勝を見届ける形となった。 これ以降は横浜FMにおいてプレーの幅を広げるなど成長を遂げ、中澤佑二松田直樹、河合竜二、栗原勇蔵らJ屈指のDFを擁するチームにおいて厳しいポジション争いの中で切磋琢磨していた。

2007年早野宏史監督の下で重用され、CB・SB・ボランチと多くのポジションで起用されたが、中でもSBとしての起用が多く、左SBが本職である小宮山尊信田中裕介、右SBの田中隼磨らを差し置いての起用であった。だが本職のCBとして代表を目指したい那須は移籍を模索。このシーズン途中にFC東京からレンタル移籍のオファーが届いた際には、F・マリノスに残る決断をしたが、シーズン終了後の2008年1月11日東京ヴェルディへの完全移籍が発表された。ヴェルディではキャプテンを任される試合もありレギュラーとして奮闘するも、自身初となるJ2降格を経験。

2009年1月17日ジュビロ磐田への完全移籍が発表された。

[編集] プレースタイル

危機察知能力に優れ、カバーリングを得意とする。空中戦にも強く、セットプレー時に真っ直ぐジャンプしてヘディングでゴールを決める事もある。

判断が遅い事と時々ポカミスを犯してしまうのが欠点。自陣ペナルティエリア付近でボールを持った時に次の行動に迷ってしまい、気づいたらボールを相手選手に取られている…というケースが1試合に1回以上のペースで発生してしまう選手である。またスタミナも決してある方ではない。

ヴェルディ移籍当初、センターバックで起用されることに強いこだわりを見せた。移籍後は、センターバックのみで起用されているが、90分を通して集中力を切らすことなくプレーし、目立ったミスがないため、サポーターの間からも信頼を得ていた。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2001 駒大 4 - - -
2002 横浜FM 36 J1 3 0 0 0 1 0 4 0
2003 横浜FM 26 J1 29 2 6 0 3 0 38 2
2004 横浜FM 26 J1 24 1 3 0 1 0 28 1
2005 横浜FM 4 J1 29 2 3 1 2 0 34 3
2006 横浜FM 4 J1 16 1 9 1 3 0 28 2
2007 横浜FM 4 J1 18 0 8 0 1 0 27 0
2008 東京V 5 J1 32 1 6 0 1 0 39 1
2009 磐田 6 J1
通算 日本 J1 151 7 35 2 12 0 198 9
日本 - -
総通算 151 7 35 2
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2004 横浜FM 26 3 0
2005 横浜FM 4 5 1
通算 AFC 8 1

[編集] タイトル

[編集] 代表歴

[編集] 高校時代の全国大会歴

1997年 出場
1999年 準優勝
1998年 出場

[編集] 大学時代の全国大会歴

2001年 優勝

[編集] エピソード

  • 2007年のマリノスのファン感謝イベントで中澤佑二率いる「DJオズマリノス」に若手選手に混ざって参加、「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」でダンスを披露した。
  • その性格の熱さから「マリノスの闘将」、「ヴェルディの闘将」と所属する先々のチームで命名されている。ちなみにサッカー以外でもすぐに熱くなるらしく、公私に親交のあるマリノスの坂田大輔には「やつはなんでも熱いから」と揶揄されている。
  • ボウリングでも熱くなるらしく、GUAPOブログでFC東京の中村北斗に所属事務所の忘年会でその熱さっぷりに「ナス(松)岡修造」とあだ名されていたことを公表されている。

[編集] 外部リンク


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