アントニオ・モンテイロ・ドゥトラ

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ドゥトラ Football pictogram.svg
名前
本名 Antonio Monteiro Dutra
愛称 虎、動虎
カタカナ アントニオ・モンテイロ・ドゥトラ
ラテン文字 Dutra
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1973年8月11日(40歳)
身長 169cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 横浜F・マリノス
ポジション DF/MF
背番号 5
利き足
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

アントニオ・モンテイロ・ドゥトラ(Antonio Monteiro Dutra、1973年8月11日-)は、ブラジルマラニョン州ドゥーケ・バセラル出身のサッカー選手。ポジションはDF(左サイドバック)、MF。通称はドゥトラ

人物[編集]

ブラジル北東部のマラニョン州に生まれ、同州のバカバウSCのユースチームに所属した後、同クラブでプロ契約。その後はブラジル国内のクラブを渡り歩き、カンピオナート・ブラジレイロ(ブラジル国内選手権)の中で経験を積んだ。

2001年8月、自身初のブラジル国外移籍として日本のJリーグ1部クラブ、横浜F・マリノスに加入して以来、2006年の退団までクラブの中心選手として活躍。移籍シーズンにクラブが直面していた2部降格の危機を救い、2003年2004年にはリーグ2連覇を達成すると共に、Jリーグベストイレブンに選出された。2003-2006年途中に監督を務めていた岡田武史には、ケガ人が続出した際に「ドゥトラだけは代わりはいない」と評された。6シーズンという長期にわたり活躍したが、2006年11月に戦力外通告を受けた。金銭面や若返りを図るクラブの方針によるものとされる。

ブラジル帰国後はマリノス移籍前に在籍していたスポルチ・レシフェへ6年ぶりに復帰。ここでもレギュラーとして起用され[1]、2008年にはドゥトラにとって初めて母国での全国レベルのタイトルとなるコパ・ド・ブラジル優勝を経験した。

2012年3月23日、同年から在籍していたサンタクルスFCを離れ、約5年ぶりにマリノスに復帰することが決定した。前回の退団理由の一つが「若返り」と推測された上、既に38歳とサッカー選手としてはかなりの高齢だったため、その復帰に懐疑的なサポーターも多かったが[2]、同年のJ1第5節で先発出場すると、その後のリーグ戦30試合中28試合に出場して左サイドバックで活躍し、開幕7試合未勝利と序盤に出遅れたマリノスが最終順位で4位に入るのに貢献した。これもあり、12月21日にクラブ側はドゥトラとの2013年シーズンの契約延長を発表した。

来歴[編集]

  • 1990年 - バカバウFCの下部組織選手として在籍を開始。
  • 1993年 - 同クラブのトップ選手として契約。プロサッカー選手としての活動を開始。
  • 1999年 - コリチーバFCでパラナ州選手権に優勝。
  • 2001年8月 - 横浜F・マリノスの監督に就任したラザロニに誘われる形で、ブリットナザとともに、半年間のレンタル移籍で加入。当時のマリノスは、残留争いに苦しんでいた。
  • 2001年8月11日 - J1 2ndステージ第1節 vs アビスパ福岡横浜国際総合競技場)でJリーグ初出場。115分(延長後半10分)、Jリーグ初得点となるVゴールを決めた。この日は彼の誕生日でもあり、バースデーゴールともなった。
  • 2001年10月13日 - J1 2ndステージ第8節 vs 浦和レッドダイヤモンズ埼玉スタジアム2002)で、89分、得点を決めた。埼玉スタジアム2002のこけら落としとなる試合だった。
  • 2001年10月27日 - ナビスコカップ決勝 vs ジュビロ磐田国立霞ヶ丘競技場)に出場。マリノスの一員としてナビスコカップ優勝を経験。
  • 2001年11月24日 - J1 2ndステージ第15節 vs ヴィッセル神戸神戸ウイングスタジアム)で、14分、FKから直接得点。マリノスのJ1残留が懸かった大一番での得点であった。
  • 2003年8月2日 - J1 1stステージ第15節 vs ヴィッセル神戸(横浜国際総合競技場)に出場。J1・1stステージ優勝を経験。
  • 2003年11月29日 - J1 2ndステージ第15節 vs ジュビロ磐田(横浜国際総合競技場)に出場。J1・2ndステージ優勝、および「完全優勝」によるJリーグ年間優勝を経験。
  • 2004年2月 - 2003年度Jリーグチャンピオンとして参加したA3 NISSAN チャンピオンズカップ2004の全3試合に出場。
  • 2004年2月-5月 - 2003年度Jリーグチャンピオンとして参加したAFCチャンピオンズリーググループリーグ6試合中5試合に出場。2得点を挙げた。
  • 2004年3月6日 - 2003年度Jリーグチャンピオンとして参加した2004 ゼロックススーパーカップ vs ジュビロ磐田(国立霞ヶ丘競技場)に出場。
  • 2004年6月26日 - J1 1stステージ第15節 vs 鹿島アントラーズ(横浜国際総合競技場)に出場。J1・1stステージ優勝、および史上初の3ステージ連続優勝を経験。
  • 2004年12月5日 - 1stステージチャンピオンとして参加したJリーグチャンピオンシップ第1戦 vs 浦和レッズ(横浜国際総合競技場)に出場。
  • 2004年12月11日 - Jリーグチャンピオンシップ第2戦 vs 浦和レッズ(埼玉スタジアム2002)に出場。PK戦では4人目のキッカーを務め、年間優勝(2連覇)を決めるシュートを決めて見せた。
  • 2005年2月 - 2004年度Jリーグチャンピオンとして参加したA3 NISSAN チャンピオンズカップ 2005の全3試合に出場。
  • 2005年2月26日 - 2004年度Jリーグチャンピオンとして参加した2005 ゼロックススーパーカップ vs 東京ヴェルディ1969(横浜国際総合競技場)に出場。
  • 2005年3月-5月 - 2004年度Jリーグチャンピオンとして参加したAFCチャンピオンズリーググループリーグ6試合中5試合に出場。1得点を挙げた。
  • 2005年7月6日 - J1第14節 vs 鹿島アントラーズ(横浜国際総合競技場)での出場で、Jリーグ100試合出場を達成。
  • 2006年12月2日 - 2007年度の契約更新を行わないこと(戦力外通告)がマリノスの公式サイト上で発表された。
  • 2006年12月13日 - ブラジルに帰国。その後、スポルチ・レシフェに復帰。
  • 2008年6月11日 - コパ・ド・ブラジル決勝でコリンチャンスを下して優勝(1勝1分)。
  • 2012年1月22日 - 日産スタジアムで行われた、マリノス時代のチームメイトの松田直樹を追悼するメモリアルゲームに出場[3]
  • 2012年3月23日 - 約5年ぶりとなるマリノスへの復帰が発表。
  • 2012年4月7日 - J1第5節 vs アルビレックス新潟東北電力ビッグスワンスタジアム)に出場。Jリーグでの出場は6シーズンぶり。
  • 2012年12月21日 - マリノスとの2013年度の契約更新が発表。
  • 2013年8月31日 - J1第24節 vs 大宮アルディージャNACK5スタジアム)での出場で、Jリーグ200試合出場を達成。
  • 2013年12月20日 - マリノスとの2014年度の契約更新が発表。
  • 2014年1月1日 - 天皇杯決勝 vs サンフレッチェ広島(国立競技場)に出場。天皇杯優勝を経験

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1992 バカバウ
1993
1994 パイサンドゥ 19 0
1995 モジミリン
1996
1997 サントス 13 1
1998 アメリカMG 20 1
1999 コリチーバ 18 0
2000 サントス
2000 スポルチ・レシフェ 17 0
2001
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2001 横浜FM 32 J1 12 3 4 0 1 0 17 3
2002 2 25 1 5 1 2 0 32 2
2003 5 28 1 7 0 3 1 38 2
2004 22 0 4 1 1 0 27 1
2005 32 1 4 0 2 0 38 1
2006 28 2 4 0 0 0 32 2
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2007 スポルチ・レシフェ
2008
2009
2010
2011
2011 サンタクルス
2012
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2012 横浜FM 5 J1 29 0 1 0 2 0 32 0
2013 33 1 9 0 5 0 47 0
2014
通算 ブラジル
日本 J1 209 9 38 2 16 1 263 12
総通算

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2004 横浜FM 5 5 2
2005 5 1
通算 AFC 10 3

その他の国際公式戦

個人タイトル[編集]

その他[編集]

  • 子供の頃はアマゾン川で釣りをしていた。ピラニアを釣り上げて焼いて食べていた(キックオフ!!F・マリノスの番組中のインタビューより)
  • 嫌いな食べ物は刺身。好きな食べ物は焼肉。
  • 前述の経歴からも分かる通り、スタジアムのこけら落としとなる試合の多くで得点を挙げている。マリノスの「こけら落とし不敗神話」に大きく貢献したと言える。

脚注[編集]

  1. ^ リーグ戦出場240試合は、ドゥトラの経歴で同一クラブで最も試合に出場したクラブとなる。
  2. ^ サーチナニュース2012年3月24日付 「サポーターの思いは複雑、横浜F・マリノスにドゥトラが復帰」
  3. ^ J's GOALニュース同日付 「【松田直樹メモリアルゲーム】試合後の監督・選手コメント

外部リンク[編集]