本山雅志

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本山 雅志
名前
愛称 モト、マサシ
カタカナ モトヤマ マサシ
ラテン文字 MOTOYAMA Masashi
基本情報
国籍 日本
生年月日 1979年6月20日(30歳)
出身地 福岡県北九州市若松区
身長 175cm
体重 66kg
血液型 A型
選手情報
在籍チーム 日本の旗 鹿島アントラーズ
ポジション MF
背番号 10
利き足 右足
代表歴
2000-2006 日本 28 (0)
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

本山 雅志(もとやま まさし、1979年6月20日 - )は福岡県北九州市若松区出身で鹿島アントラーズ所属のサッカー選手ポジションミッドフィールダーだが、フォワードもこなす。元日本代表選手。

目次

[編集] 経歴

1979年6月20日、北九州市若松区で鮮魚店を営む一家に生まれる。地元の二島小学校に入学し、1年生からサッカーをはじめた[1]。二島中学校を経て1995年に福岡県の強豪校、東福岡高校に進学した。高校では1年生からレギュラーになり、3年時の1997年に、インターハイ全日本ユース選手権高校選手権で優勝し、高校サッカー史上初の3冠を達成した。なお、高校選手権の決勝は、後に鹿島のチームメイトになる中田浩二がいる帝京高校との対戦であった。

1998年に鹿島に入団すると、その年の天皇杯で4試合に出場し、3得点を挙げた。続く1999年には、ナイジェリアで開催されたU-20世界選手権(ワールドユース)の日本代表の一員として準優勝に貢献し、小野伸二と共にベストイレブンに選ばれた。 また、この年から鹿島でもリーグ戦にコンスタントに出場するようになり、翌2000年にはシドニーオリンピックに出場するとともに、A代表に選出され、6月18日ボリビア戦で代表デビューを果たした。さらには2000年、2001年の鹿島のリーグ連覇にスーパーサブとして貢献した[1]

2002年からは、前年限りで退団したビスマルクの背番号10を継承し、名実ともに鹿島の中心選手となった。しかし日本と韓国で開催された2002 FIFAワールドカップの代表には選出されなかった。

ジーコが代表を率いるようになった2003年からは代表に招集される機会が多くなり、AFCアジアカップ2004などに参加したものの、ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップの代表からは外れた。

2007年には6月16日サンフレッチェ広島戦でリーグ戦通算200試合出場を達成し、同試合で鹿島ホーム通算500得点目の記念ゴールを決めた。またプロ10年目にしてはじめてリーグ戦全試合出場を果たし、6年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。

2008年は、シーズン中盤の6月に先天性水腎症を患っていることが判明したが、リーグ戦終了までごく近い関係者にしかその事実を明かさず[2]、国際試合のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を含めてほぼフルに出場、リーグ連覇を果たした。

[編集] プレースタイル

視野が広くパスセンスに優れ、利き足でない左足からも非常に丁寧なパスを出す。スルーパスの精度が特に高く、その巧みさからスルーパスの出し方についてNHKの番組で特集されるほどである。 このポジションの選手にしては得点が少ないが、時折見せる類まれなテクニックから生みだされるゴールは観客を魅了する。足が速そうに見えるわりには意外と遅いものの(高校時代の一番速かった頃が7.5秒で現在はそれより遅いらしい)、ドリブルテクニックは国内トップクラスで、高い技術とタイミングで抜き去るタイプである。入団後しばらくはスタミナ不足のためスーパーサブとしての活躍にとどまっていたが、その弱点もやがて見事に克服し、逆に近年は自らのストロングポイントとして圧倒的な運動量と献身的な守備でチームの勝利に大いに貢献している。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] エピソード

  • 実家が自営業(魚屋)ということもあり、人当たりがよく、インタビューにも協力的という評判。ファンサービスも非常に良い。腰も低く、新人時代はサテライトの試合終了後、サポーターからプレーに対する指摘や注文にいちいちお辞儀をしながら聞いていたと言う逸話がある。
  • U-20世界選手権では、得意のドリブルでナイジェリアの観客を魅了する。本山が相手を抜き去る度に大きな歓声が挙がり、ヒーロー扱いを受けた。
  • かなりの甘党。チュッパチャプスが大好き。特に今は無きチェリー味が好きで、本人曰く「チェリー味を再発売してほしいと嘆願書を送った」。チュッパチャプスが大好きなせいか、2008年元日の天皇杯決勝戦(VS広島)の試合終了後、2007年シーズン、最も活躍した選手として大量のチュッパチャプスを、サポーターからプレゼントされている。

Jリーグ優勝5回、ナビスコカップ優勝2回、天皇杯優勝2回を経験している。(2009年1月現在)

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1998 鹿島 24 J 1 0 0 0 4 3 5 3
1999 鹿島 24 J1 18 0 2 0 0 0 20 0
2000 鹿島 16 J1 18 6 3 1 5 0 26 7
2001 鹿島 16 J1 21 3 3 0 3 2 27 5
2002 鹿島 10 J1 24 3 7 1 4 2 35 6
2003 鹿島 10 J1 20 4 4 1 4 1 28 6
2004 鹿島 10 J1 24 3 0 0 2 0 26 3
2005 鹿島 10 J1 32 5 0 0 3 1 35 6
2006 鹿島 10 J1 27 2 7 0 4 1 38 3
2007 鹿島 10 J1 34 2 9 4 5 1 48 7
2008 鹿島 10 J1 32 3 2 0 1 0 35 3
2009 鹿島 10 J1
通算 日本 J1 251 31 37 7 35 11 323 49
総通算 251 31 37 7 35 11 323 49
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2002-03 鹿島 10 1 0
2008 鹿島 10 7 3
通算 AFC 8 3

[編集] タイトル

クラブ
代表
個人

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 28試合 0得点(2000-2006)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2000 3 0
2001 0 0
2002 0 0
2003 3 0
2004 12 0
2005 8 0
2006 2 0
通算 28 0

[編集] 脚注

  1. ^ a b WEBサッカーマガジン 2001年7月26日のインタビューより
  2. ^ 鹿島本山、水腎症乗り越えV獲った/J1 日刊スポーツ 2008年12月7日

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク