中村俊輔
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|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| 愛称 | シュン(日本)、NAKA(海外) | ||||||
| カタカナ | ナカムラ シュンスケ | ||||||
| ラテン文字 | NAKAMURA Shunsuke | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1978年6月24日(33歳) | ||||||
| 出身地 | 神奈川県 | ||||||
| 身長 | 178cm | ||||||
| 体重 | 73kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | MF | ||||||
| 背番号 | 25 | ||||||
| 利き足 | 左足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2010年4月23日現在。 2. 2010年7月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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中村 俊輔(なかむら しゅんすけ、1978年6月24日 - )は、日本のサッカー選手である。ポジションはミッドフィールダー。J1、横浜F・マリノス所属。元日本代表。
2000年にJリーグMVPを日本人選手として最年少の22歳で獲得、ほかにアジアカップ2004MVP、2006-07スコティッシュ・プレミアリーグMVPなどの受賞がある。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 学生時代
1985年、深園FCに入団し、サッカーを始める。1991~1994年には横浜F・マリノスのジュニアユースに所属し、2度の全国制覇を経験したが[2]、ユースへの昇格が出来ず[3]、1994年に桐光学園高等学校へ進学しサッカー部に所属[4]、高校2年生次にて全国高校サッカー選手権に出場し、高校3年生次には同選手権で準優勝を果たした[5][1]。
[編集] クラブ歴
[編集] J1、横浜マリノス・横浜Fマリノス時代
1997年、横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に入団する。マリノスにおいて最初の2シーズンの背番号は25番だった[1]。さらに、1997年シーズンのJリーグ優秀新人賞を受賞した。[要出典]
1999年のシーズンから、10番に背番号を変更した[1]。またこのシーズンにはJリーグベストイレブンを初受賞する[6]。
2000年のシーズンは、22歳でJリーグ最優秀選手賞[7]、日本年間最優秀選手賞を受賞した。2011年現在Jリーグ最優秀選手賞受賞者の中では最年少である。
[編集] セリエA、レッジーナ時代
2002年7月、イタリアのセリエAのレッジーナに移籍する[8]。 レギュラーを確保し[9]キッカーを任され[10]、リーグ戦では7得点(うちPK5得点)[要出典]をあげてセリエA残留に貢献した[9](個人成績も参照)。
2003-04シーズンは出来うる限り代表戦に出場したがコンディションを崩してしまったこと故障を繰り返したことが響いて[要出典]リーグ戦出場は激減した[11]。
2004年2月、横浜マリノス時代のチームメート奥大介の夫人・佐伯日菜子の紹介で知り合ったタレント経験のある元ペットショップ店員と結婚した。[要出典]
セリエA3年目となる2004-05シーズンは、終盤数戦こそ恥骨炎や膝の負傷などで[要出典]途中出場があったがほぼスターティングメンバーとして戦い[12]クラブ創設以来の最高順位に貢献した[13]。
[編集] SPL1部、セルティック時代
セリエAで3年間プレーした後、2005年7月に、スコティッシュ・プレミアリーグ(SPL)(UEFAヨーロッパリーグランキング10位)の2強の一角であるセルティックへ移籍(移籍金は推定250万ポンド、約4億9000万円)。リーグ優勝と国内カップ戦優勝の2冠を獲得した[14]。
2006年9月、2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグに初出場する。グループリーグ第1戦、オールドトラフォードで開催されたマンチェスター・ユナイテッド戦でフリーキックによる得点をあげ、UEFAチャンピオンズカップからUEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)に改編されてからの日本人初得点者となった[14][15]。続く対マンチェスター・ユナイテッド戦でもFKから得点、決勝トーナメント進出を果たす。これはセルティックにとって現行のCLとなって初[16]、日本人選手としても初めての快挙である[17]。2006年10月14日、ダンディー・ユナイテッド戦で海外リーグ戦における自身初のハットトリックを決めた[18]。
2007年4月、セルティックのリーグ戦連覇が決まり、実質日本人で初めて欧州リーグで連覇を経験した選手となった[19]。2006-07シーズンではリーグトップの12アシストを挙げ、スコットランドPFA年間最優秀選手賞、スコティッシュ・プレミアリーグベストイレブン、スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞を受賞、年間ベストゴール賞[20]も獲得した。アジアの人間が欧州リーグでMVPを取るのは初の快挙である[14]。
[編集] リーガ・エスパニョーラ1部、エスパニョール時代
2009年6月22日、横浜F・マリノスなどのオファーを断り、スペイン1部リーグのRCDエスパニョールへの移籍が決定した[21]。Goal.comが報じたところによると、「日本人ミッドフィルダーには大きな期待が寄せられたが、スペインでの最初のシーズンはうまくはいかなかった[22]。」 ポッチェッティーノは中村がエスパニョールで本来のプレーをすることができなかった理由として、「適応」(西: adaptación[23])を挙げた[24]。セルティック時代の恩師ゴードン・ストラカンが監督を務めるイングランド2部所属のミドルスブラFCよりレンタル移籍のオファーを受ける。しかし、2部への移籍となることなどから中村本人が移籍を拒否[25]、代理人が説得へ向かうも中村が拒否したことで、エスパニョールに残留することとなった。2010年2月28日、かつて所属した横浜F・マリノスに移籍が決まった[26]。
[編集] J1、横浜Fマリノス時代(第2次)
2002年以来のJリーグ復帰となったこの2010年シーズンでは、リーグ戦全34試合のうち32試合に出場を果たした[27] 。
2011年1月25日、チームは中村俊輔のキャプテン就任を発表し、本人はその中でキャプテン就任について「光栄な事」と語った[28]。3月29日、東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!にドラガン・ストイコビッチ率いるJリーグ TEAM AS ONEの一員として参加した[29]。
[編集] 日本代表
1996年にはアジアユース韓国大会U-20日本代表に選出され、6試合に出場しカタール戦では1得点を決めた[30]。
1997年、ワールドユースに出場し、コスタリカ戦で1得点を決めた[30]。
1998年初頭にはA代表合宿に初参加した[31]。2月15日のオーストラリア戦で岡田武史が監督を務めるA代表に初招集されたが、このときは試合に出場することはできなかった[32] 。同年12月にはアジア大会U-23日本代表に選出され、クウェート戦で1得点を決めた[30]。
1999年、シドニーオリンピック予選では司令塔に抜擢された[33]
2000年、U-23代表に選出され、シドニーオリンピックにて4試合に先発出場した[30]。2月13日には、アジアカップレバノン大会予選のシンガポール戦でA代表として初出場し、同月16日にブルネイ戦にてA代表初得点を決める[30]。アジアカップ本戦では優勝とベストイレブンを受賞した[34]。
2002年2月には東京、渋谷の東急東横店壁面への日本代表オフィシャル・ユニフォーム、巨大広告に起用されるなど[35]、日韓W杯本大会メンバーへの招集が有力視されていたが、5月、代表合宿で痛めていた足首のケガが長引いたことや[33]、当時の日本代表監督であったトルシエの選考基準に合致しなかったことなどで落選した[36]。
しかし、ジーコ監督が代表監督になると、再び招集され2003年6月、コンフェデレーションズカップフランス大会で、3得点をあげ[37]『ブロンズシュー賞』を受賞した[38]。
アジアカップ中国大会では、決勝戦において日本の全3得点に絡み[39]、最優秀選手に選ばれた[1]。
2005年6月、コンフェデレーションズカップドイツ大会で、1得点[40]2アシスト[要出典]をあげベストイレブンに選出[41]。セルティックの監督、ストラカンにプレーを高く評価されセルティックに移籍することとなった[42]。
2006年6月、ドイツW杯に選出された。中村は、当時の代表監督ジーコに中心選手として重要視され、グループリーグ全3試合にフル出場したが、2敗1分で敗退した。第1戦のオーストラリア戦ではクロスボールが偶然にも直接得点となり、自身のW杯での唯一の得点となった。
2007年3月24日、キリンチャレンジカップ・ペルー戦は、オシムジャパン発足してからの初選出となり、2アシストで勝利に貢献した。
南アフリカで行われた2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグ第2戦の対オランダ戦において後半64分に途中出場するにとどまった[43][44][45][46] 。2010年7月1日には、このワールドカップを最後に日本代表を引退する意思を表明した[47]。
[編集] プレースタイル
プレースキックの名手とされており、特に直接フリーキックを得意としている[48]。ゴールに対して角度のあまりない位置から助走するのが特徴で、軸足を地面に滑り込ませるように踏み込み、勢いそのままに上半身を押し出しながら巻き上げるように足を振り抜く、独特のフォーム(右の写真参照)である。元々は大きく弧を描くキックを得意としていたが、レッジーナ移籍後からはスピードに重点を置いたキックを多用している[49]。
[編集] プロサッカー関係者の評価
レッジーナ時代には、監督のマッツァーリは「中村はバッジオのようなもので、FWもできるし、MFもできる。素質のある選手はDFを抜くこともパスも出せるんだ。」と評した[50]。プランデッリは中村について「創造性があって、相手をかわす能力を持った選手だ」と評した[51]。
セルティック時代には、指揮官であるストラカンは「彼は天才だ。」という言葉を残し、また巷でタックルができない選手だと批判されていることについて疑問を呈した[52]。チームメイトであったドナーティは「ナカは技術面ではチームでナンバー1だ。他にもマクギーディやブラウンら上手い選手はいるけど、ナカは別格」と述べている[53]。
エスパニョールでチームメイトであったデ・ラ・ペーニャ は「ナカはチーム内で一番技術が高い選手だ」と述べた[54]。 レッジーナ時代のチームメイトであったジュゼッペ・コルッチは「中村は根っからにまじめだった。初めて彼の声を聞いたのは半年くらい経ってからだ」と述べている。
元日本代表監督であったフィリップ・トルシエは2010年5月、守備能力を考えた場合、中村をW杯で起用しないことも検討するべきとコメントした[55]。
[編集] スポーツ科学の見地から
筑波大学体育専門学群教授の浅井武(サッカー方法論)は、中村がフリーキックで蹴る「カーブシュート」の回転速度は毎秒7.5回転程度、ボールのスピードは時速99.7~101キロで(これは世界有数の高速だという。)、25メートル飛ぶ間に横に3メートル以上曲がるとみる。また、ボールの回転軸が斜めであるため、ゴール付近で急激に落ちる軌道になるという。浅井は「中村は体を傾け、全身のバネを使って、大きなパワーを生み出している」とも言う[56]。
また、ボールが無回転で揺れる、いわゆる「ブレ球」のシュートを打つことがある。浅井は一般的な「ブレ玉」の蹴り方として、①ボールの中心をける②足を押し出すようにける(並進運動)③強くける(時速72キロ以上)の3点を挙げるが、名古屋大学総合保健体育科学センター体育科学部准教授の布目寛幸(スポーツ科学, スポーツバイオメカニクス)は、中村と本田圭佑の蹴り方を比較分析した上、中村の「ブレ玉」の蹴り方について「本田より内側(インサイド寄り)の得意とする部分でけっている。それ以外の原理は同じだ。」と指摘した。[57]
ピッチに入り乱れる選手の位置を瞬時に把握し、的確なプレーにつなげるには、「スポーツビジョン」(スポーツに必要な視力)と視野の広さが必要と言われる。その中でもサッカーでは、わずかなスペースを見つける能力である深視力の重要性が指摘されている。スポーツビジョン研究会代表の真下一策は、「選手の位置関係を立体的に認識するのが深視力。日本代表らJリーグのトップ選手と、それ以外の選手を比較すると、深視力だけが、最も開きがあった。」「糸を引くようなパスを次々通す人は、位置関係を俯瞰できる能力にたけている。」と述べ、また中村の深視力について過去に中村を指導した経験を持つ浦和アカデミーセンターコーチの池田誠剛は、「シュンは深視力の数値が良かった。」と証言している[58]。
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
各本大会での成績は以下の通り。
年代別代表[30]
- U-20代表
- 1996年 AFCユース選手権韓国大会 ベスト4 6試合出場 1得点
- 1997年 FIFAワールドユースマレーシア大会 ベスト8 5試合出場 1得点
- U-23代表
- 1998年 アジア大会 2次リーグ敗退 3試合出場 1得点
- 2000年 シドニーオリンピック ベスト8 4試合出場 0得点
A代表
- 2000年 アジアカップレバノン大会 優勝 5試合出場 0得点[30]
- 2003年 コンフェデレーションズカップフランス大会 グループリーグ敗退 2試合出場 3得点[37]
- 2004年 アジアカップ中国大会 優勝 6試合出場 2得点[30]
- 2005年 コンフェデレーションズカップドイツ大会 グループリーグ敗退 3試合出場 1得点[37]
- 2006年 FIFAワールドカップ・ドイツ大会 グループリーグ敗退 3試合出場 1得点[37]
- 2007年 アジアカップ2007 ベスト4 6試合出場 2得点[30]
- 2010年 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会 ベスト16 1試合出場 0得点[37]
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 出場試合数98 先発出場試合数89 交代出場試合数9 得点24 警告7 退場0 (2000年 - 2010年)[59]
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2000 | 16 | 3 |
| 2001 | 1 | 0 |
| 2002 | 6 | 2 |
| 2003 | 8 | 4 |
| 2004 | 15 | 3 |
| 2005 | 11 | 2 |
| 2006 | 6 | 2 |
| 2007 | 10 | 4 |
| 2008 | 9 | 2 |
| 2009 | 11 | 2 |
| 2010 | 5 | 0 |
| 通算 | 98 | 24 |
[編集] ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 | 出典 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2000年2月16日 | 中国 | ○ 9-0 | AFCアジアカップ2000予選 | [4] | |
| 2. | 2000年6月11日 | 日本 | △ 1-1 | キリンカップサッカー2000 | [5] | |
| 3. | 2000年8月16日 | 日本 | ○ 3-1 | キリンチャレンジカップ2000 | [6] | |
| 4. | 2002年5月2日 | 日本 | △ 3-3 | キリンカップサッカー2002 | [7] | |
| 5. | ||||||
| 6. | 2003年3月28日 | 日本 | △ 2-2 | 国際親善試合 | [8] | |
| 7. | 2003年6月18日 | フランス | ○ 3-0 | FIFAコンフェデレーションズカップ2003 | [9] | |
| 8. | ||||||
| 9. | 2003年6月20日 | フランス | ● 1-2 | [10] | ||
| 10. | 2004年6月9日 | 日本 | ○ 7-0 | 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選 | [11] | |
| 11. | 2004年7月20日 | 中国 | ○ 1-0 | AFCアジアカップ2004 | [12] | |
| 12. | 2004年7月24日 | 中国 | ○ 4-1 | [13] | ||
| 13. | 2005年6月22日 | ドイツ | △ 2-2 | FIFAコンフェデレーションズカップ2005 | [14] | |
| 14. | 2005年9月7日 | 日本 | ○ 5-4 | キリンチャレンジカップ2005 | [15] | |
| 15. | 2005年10月8日 | ラトビア | △ 2-2 | 親善試合 | [16] | |
| 16. | 2006年6月12日 | ドイツ | ● 1-3 | 2006 FIFAワールドカップ | [17] | |
| 17. | 2007年7月13日 | ベトナム | ○ 3-1 | AFCアジアカップ2007 | [18] | |
| 18. | 2007年7月16日 | ベトナム | ○ 4-1 | [19] | ||
| 19. | 2007年9月11日 | オーストリア | ○ 4-3 | 国際親善試合 | [20] | |
| 20. | ||||||
| 21. | 2008年6月2日 | 日本 | ○ 3-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選 | [21] | |
| 22. | 2008年9月6日 | バーレーン | ○ 3-2 | [22] | ||
| 23. | 2009年3月28日 | 日本 | ○ 1-0 | [23] | ||
| 24. | 2009年11月18日 | 香港 | ○ 4-0 | AFCアジアカップ2011 (予選) | [24] |
[編集] タイトル
[編集] クラブタイトル
- 横浜Fマリノス[60]
- セルティックFC[61]
- スコティッシュ・プレミアリーグ:3回 (2005-06、2006-07、2007-08)
- スコティッシュカップ:1回 (2006-07)
- スコティッシュリーグカップ:2回 (2005-06、2008-09)
[編集] 個人タイトル
- Jリーグ優秀新人賞 (1997年)
- JOMO ALL STAR SOCCER 敢闘賞 (1999年)[62]
- Jリーグ優秀選手賞:3回 (1999年 - 2001年)
- Jリーグベストイレブン:2回 (1999年 - 2000年)
- Jリーグ最優秀選手賞1回 (2000年)
- 日本年間最優秀選手賞:1回 (2000年)
- AFC All Star Team (2000年)
- AFCアジアカップベストイレブン:2回 (2000年、2004年)
- AFCアジアカップ MVP:1回 (2004年)
- スコットランドPFA年間最優秀選手賞:1回 (2006-07)
- スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞:1回 (2006-07)
- スコティッシュ・プレミアリーグベストイレブン:1回 (2006-07)
- スコットランドリーグスポンサー年間最優秀選手賞:1回 (2006-07)
- スコティッシュプレミアリーグ年間ベストゴール:1回 (2006-07 ダンディユナイテッド戦)
- セルティック・ゴール・オブ・ザ・シーズン:1回 (2007-08 レンジャーズ戦)
[編集] その他
- 日本プロスポーツ大賞 殊勲賞:1回 (2000年)
- 報知プロスポーツ大賞 Jリーグ部門:1回 (2000年)
[編集] 経歴
- 1997年3月8日 公式戦初出場 - ナビスコカップ予選 vsヴェルディ川崎戦 (国立競技場)
- 1997年4月16日 Jリーグ初出場 - J 1st第2節 vsガンバ大阪戦 (横浜国際総合競技場)
- 1997年5月3日 Jリーグ初得点 - J 1st第6節 vsベルマーレ平塚戦 (三ツ沢競技場)
- 1998年11月14日 ハットトリック達成 - J 2nd第17節 vsベルマーレ平塚戦 (横浜国際総合競技場)
- 2000年2月13日 A代表初出場 - アジアカップ予選 vsシンガポール戦 (マカオ)
- 2000年2月16日 A代表初得点 - アジアカップ予選 vsブルネイ戦 (マカオ)
- 2002年8月18日 セリエA初出場・初得点 - コッパ・イタリア予選 vsターラント戦 (ターラント)
- 2005年8月6日 スコティッシュ・プレミアリーグ初出場 - スコティッシュ・プレミアリーグ第2節 vsダンディー・ユナイテッド (セルティック・パーク)
- 2005年8月28日 スコティッシュ・プレミアリーグ初得点 - スコティッシュ・プレミアリーグ第5節 vsダンファームリン (イースト・エンド・パーク)
- 2006年9月13日 UEFAチャンピオンズリーグ初得点[63] - グループリーグ第1戦 vsマンチェスター・ユナイテッド戦 (オールド・トラフォード)
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 1997年 - 2002年7月
横浜マリノス (現・横浜F・マリノス) - 2002年8月 - 2005年7月
レッジーナ - 2005年8月 - 2009年6月
セルティックFC - 2009年6月 - 2010年2月
RCDエスパニョール - 2010年2月 - 現在
横浜F・マリノス
[編集] 個人成績[64]
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1997 | 横浜M | 25 | J | 27 | 5 | 3 | 0 | 1 | 0 | 31 | 5 |
| 1998 | 33 | 9 | 4 | 1 | 0 | 0 | 37 | 10 | |||
| 1999 | 横浜FM | 10 | J1 | 26 | 7 | 4 | 0 | 3 | 1 | 33 | 8 |
| 2000 | 30 | 5 | 4 | 1 | 2 | 0 | 36 | 6 | |||
| 2001 | 24 | 3 | 6 | 2 | 1 | 0 | 31 | 5 | |||
| 2002 | 8 | 4 | - | - | 8 | 4 | |||||
| イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2002-03 | レッジーナ | 10 | セリエA | 32 | 7 | 4 | 1 | - | 36 | 8 | |
| 2003-04 | 16 | 2 | 2 | 0 | - | 18 | 2 | ||||
| 2004-05 | 33 | 2 | 0 | 0 | - | 33 | 2 | ||||
| スコットランド | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005-06 | セルティック | 25 | S・プレミア | 33 | 6 | 4 | 0 | 1 | 0 | 38 | 6 |
| 2006-07 | 37 | 9 | 0 | 0 | 5 | 0 | 42 | 9 | |||
| 2007-08 | 26 | 6 | 0 | 0 | 4 | 1 | 30 | 7 | |||
| 2008-09 | 32 | 8 | 3 | 1 | 2 | 0 | 37 | 9 | |||
| スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2009-10 | エスパニョール | 7 | プリメーラ | 13 | 0 | 2 | 0 | - | 15 | 0 | |
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2010 | 横浜FM | 25 | J1 | 32 | 5 | 1 | 0 | 2 | 1 | 35 | 6 |
| 2011 | 24 | 4 | 2 | 0 | 5 | 2 | 31 | 6 | |||
| 2012 | |||||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 204 | 42 | 24 | 4 | 14 | 4 | 242 | 50 | |
| イタリア | セリエA | 81 | 11 | 6 | 1 | - | 87 | 12 | |||
| スコットランド | S・プレミア | 128 | 29 | 7 | 1 | 12 | 1 | 147 | 31 | ||
| スペイン | プリメーラ | 13 | 0 | 2 | 0 | - | 15 | 0 | |||
| 総通算 | 426 | 82 | 39 | 6 | 26 | 5 | 491 | 93 | |||
※Jリーグ第7節、鹿島アントラーズ対横浜F・マリノス(2011年4月23日)終了時点での成績。
その他の公式戦
- 2000年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2003年
- セリエA 残留・昇格プレーオフ 1試合0得点
- 2007年
- UEFAチャンピオンズリーグ 予備予選3回戦 2試合0得点
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| UEFA | UEFA CL | |||
| 2006-07 | セルティック | 25 | 8 | 2 |
| 2007-08 | 4 | 0 | ||
| 2008-09 | 5 | 0 | ||
| 通算 | UEFA | 17 | 2 | |
[編集] 出演
- GET SPORTS (テレビ朝日)
- ドラえもん (テレビ朝日) W杯の特別企画で、絵かき歌に挑戦した。
- ウルトラマンDASH(日本テレビ)2012年1月1日の正月特番放送にて、「窓を開けた(車両全部ではない)住宅街を走行するバスに、3分以内で開いた窓にFKを決める」課題に挑戦し見事成功。周囲からも「E難度の技」と絶賛を受けこれを見た2012年1月19日付英紙「メトロ」においても「マンチェスター・ユナイテッド相手に決めた神技健在」と絶賛を受けた。
[編集] CM
- 日本コカ・コーラ
- アクエリアス (2001年)
- 日本ビクター
- キリンビール
- adidas
- 『サッカー狂症候群 中村俊輔篇』(2002年)
- 『+10 中村俊輔+10 vs デルピエロ+10篇』(2006年) - アレッサンドロ・デル・ピエロとの共演
- 『JOSE+10』(2006年)
- ファミリーマート
- アダムス
- 「リカルデント」(2003年)
- 大塚製薬
- コナミ
- 「ウイニングイレブン9」(2005年) - ジーコとの共演
- 「ウイニングイレブン10」(2006年) - ジーコとの共演
- ヤマダ電機 (2006年 -2010年)
- 『For Your JUST篇』
- 『ヤマダに新戦力篇』
- シュガーレディー (2006年) - 稲本潤一との共演
- TOYOTA 「トビラを開けよう」キャンペーン (2006年)
- AIDEM 「i のある仕事を」キャンペーン (2006年 - 2008年)
- スバル「エクシーガ」 (2009年 - 2010年)
- コーセー「adidas skin protection」(2010年)
- 中村俊輔本人をイメージした香水、「メシア10」の広告など他多数
[編集] PV出演
- Hi-Fi CAMP 「だから一歩前に踏み出して」(2009年)
[編集] 出版
[編集] 執筆書籍
- 2005年 Ciao! - 中村俊輔イタリア日記(ソニーマガジンズ)ISBN 4-7897-2539-1
- 2008年 察知力(幻冬舎)ISBN 4-3449-8081-6
- 2009年 夢をかなえるサッカーノート(文藝春秋)ISBN 4-1637-1740-4
[編集] 関連書籍
- 2000年 中村俊輔 - 世界へはなつシュート(旺文社、北条正士)ISBN 4-01-072495-1
- 2001年 シュンスケ! - 中村俊輔ファンタジスタへの予感(小学館)ISBN 4-09-102343-6
- 2001年 天才レフティー、中村俊輔(ラインブックス、中村俊輔担当記者グループ)ISBN 4-86204-010-1
- 2002年 中村俊輔 飛翔 (ラインブックス、中村俊輔担当記者グループ)ISBN 4-89809-106-7
- 2002年 中村俊輔 リスタート (文藝春秋、佐藤俊)ISBN 4-16-358840-X
- 2003年 黄金のカルテット 中村俊輔物語(汐文社、本郷陽二)ISBN 4-8113-7644-7
- 2003年 海を渡ったヒーローたち - 中村俊輔・稲本潤一・小野伸二・中田英寿(汐文社、本郷陽二)ISBN 4-8113-7654-4
- 2003年 『プライド』 中村俊輔 オフィシャルドキュメントブック(ソニー・マガジンズ、藤沼正明)ISBN 4-7897-2162-0
- 2004年 中村俊輔 栄光への疾走(鹿砦社、中村俊輔取材班)ISBN 4-8463-0559-7
- 2005年 SHUNSUKE 中村俊輔 イタリアの軌跡(朝日新聞社、アルフレード・ペドゥッラ)ISBN 4-02-261474-9
- 2006年 中村俊輔フォトブック 「NAKAMURA SHUNSUKE」(ワニマガジン社、横内禎久)ISBN 4-89829-757-9
- 2007年 LEGEND OF THE ATHLETE 中村俊輔物語(集英社、工藤晋・大内冬樹)ISBN 4-08-874357-1
- 2007年 ファンタジスタ中村俊輔(汐文社、本郷陽二)ISBN 4-8113-8425-3
- 2007年 中村俊輔世界をかける背番号10(ファンタジスタ)(学習研究社、矢内由美子)ISBN 4-05-202814-7
[編集] DVD
- SHUNSUKE
- FANTASISTA Shunsuke Nakamura IN SCOTLAND GLASGOW
- 中村俊輔の“I Love Soccer”サッカー教室〈永久保存版〉
- 中村俊輔DVDバイオグラフィー 2002 - 2005
- セルティック 2005 - 2006シーズン リーグチャンピオンへの軌跡
[編集] 脚注
- ^ a b c d e f PROFILE 中村俊輔オフィシャルウェブサイト 2011年4月17日閲覧。
- ^ ただし、同チームが2年連続全国優勝を果たした3年生時は10番を背負いながら控え選手だった(『中村俊輔物語』より)。
- ^ 中村本人は、当時のプレーが悪かったから昇格できなかったのだと語っているが(著書 察知力)、当時の担当者は160cmに満たない身長が原因だったと述懐している。[要出典]『中村俊輔物語』では体格差を個人技で補おうとしたが、そのプレイスタイルがチームの方針に合わなかったことから出場機会を失っていったという。
- ^ 1学年上には須藤大輔、同級生(ジュニアユースでもチームメイトだった)に佐原秀樹、1学年下に宇留野純や井手口純がいる。
- ^ この時、横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)のサポーターが応援に来た。[要出典]
- ^ 1999Jリーグアウォーズ Jリーグ公式サイト 2011年4月17日閲覧。
- ^ 2000Jリーグアウォーズ Jリーグ公式サイト 2011年4月17日閲覧。
- ^ “中村がレッジーナ移籍 セリエA、背番号「10」”. 47news (2002年7月3日). 2011年4月19日閲覧。
- ^ a b “出場記録 02-03 レッジーナ”. 中村俊輔オフィシャルウェブサイト. 2011年4月19日閲覧。
- ^ “ミラン対レッジーナ、フリーキックでゴールを狙う中村俊輔(右)”. スポーツナビ (不明). 2011年4月19日閲覧。
- ^ “出場記録 03-04 レッジーナ”. 中村俊輔オフィシャルウェブサイト. 2011年4月19日閲覧。
- ^ “出場記録 04-05 レッジーナ”. 中村俊輔オフィシャルウェブサイト. 2011年4月19日閲覧。
- ^ “Storia del club”. Serie B. 2011年4月19日閲覧。
- ^ a b c “【今日は何の日?】中村俊輔が日本人初の欧州リーグMVP!”. Sportiva (2011年4月22日). 2011年5月23日閲覧。
- ^ 1992年からCLとして再編成される以前のチャンピオンズカップにおける初得点者は、1978-79年大会の奥寺康彦。
- ^ UEFAチャンピオンズカップだった40年前に優勝している。
- ^ 1992年からCLとして再編成される以前のチャンピオンズカップでは1979年に奥寺康彦が進出している。
- ^ スポーツ報知 (2006年10月15日). “俊輔ハット!オシム監督見たか…スコットランド・プレミアリーグ”. 2009年3月1日閲覧。
- ^ 近年の欧州リーグでの優勝に関しては中田英寿がセリエA・ASローマで優勝。
- ^ ダンディーユナイテッド戦のループシュート。
- ^ Shunsuke Nakamura to leave Celtic for Espanyol guardian.co.uk 2009年6月22日、2011年4月15日閲覧。
- ^ Spanish Inquisition: La Liga Worst Team Of The SeasonGoal.com 2009年12月29日、2011年4月15日閲覧。
- ^ El conflicto Nakamura EL PAÍS.com 2010年2月11日、2011年4月15日閲覧。
- ^ 必要とされなかったファンタジスタ (1/2)中村俊輔がスペインで活躍できなかった理由 スポーツナビ、2010年3月1日、2011年4月15日閲覧。
- ^ 中村、代理人とボロ移籍の話し合いへ - Goal.com、2010年2月2日
- ^ 中村俊輔「スペイン挑戦は失敗だと思わない」 (1/2)横浜F・マリノス入団会見 スポーツナビ 2010年2月28日、2011年4月15日閲覧。
- ^ “横浜Fマリノスオフィシャルウェブサイト”. 横浜Fマリノス. 2011年4月26日閲覧。
- ^ 2011シーズン キャプテン決定のお知らせ 横浜Fマリノス 2011年1月25日。同年4月11日閲覧。
- ^ マッチレポート 日本サッカー協会 2011年3月29日。同年4月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 中村俊輔 日本サッカー協会 2011年4月13日閲覧。2008年6月14日までに中村が出場した全ての年代の代表の試合の一覧を見ることができる。
- ^ 俊輔の代表初選出に、先輩選手は“アイツ何なの”? Sports Watch、2009年4月18日
- ^ 選手情報 中村俊輔 日本サッカー協会 最終更新日2010年06月29日、2011年4月13日閲覧。
- ^ a b “トルシエ元日本代表監督、東京スポーツに「俊輔外し」の真相語る。” (2008年6月24日). 2011年5月28日閲覧。
- ^ 中村 俊輔(なかむら・しゅんすけ) スポニチ 最終更新日不明、2011年4月17日閲覧。
- ^ “一足先に熱い商戦がキックオフ! 渋谷・ワールドカップ関連ビジネス事情”. シブヤ経済新聞 (2002年2月22日). 2011年5月11日閲覧。
- ^ “Will home beckon Celtic's Japanese star Nakamura?”. ニューヨーク・タイムズ (2009年3月1日). 2011年4月3日閲覧。
- ^ a b c d e Shunsuke NAKAMURA FIFA.com 2011年4月15日閲覧。
- ^ 正式には"adidas Golden Shoe"賞第3位“FIFA Confederations Cup France 2003”. FIFA.com. 2011年4月19日閲覧。より
- ^ “日本、開催国・中国を破りアジアカップ連覇!”. sportsnavi (2004年8月7日). 2011年4月28日閲覧。
- ^ “試合記録”. 日本サッカー協会 (2005年5月22日). 2011年4月19日閲覧。
- ^ ドイツキッカー誌の選定による“ドイツ『キッカー』誌が選んだコンフェデ杯ベスト11に中村が選出”. @nifty (2005年7月1日). 2011年4月19日閲覧。 。
- ^ “Nakamura arrival excites Strachan”. BBC SPORT (2005年7月29日). 2011年4月19日閲覧。
- ^ “2010.06.14 マンガウング/ブルームフォンテーン”. SAMURAI BLUE. 2011年4月26日閲覧。
- ^ “2010.06.19 ダーバン”. SAMURAI BLUE. 2011年4月26日閲覧。
- ^ “2010.06.24 ルステンブルク”. SAMURAI BLUE. 2011年4月26日閲覧。
- ^ “ラウンド16 2010.06.29 ツワネ/プレトリア”. SAMURAI BLUE. 2011年4月26日閲覧。
- ^ “俊輔 代表引退認める「うん、そうだよ」”. スポニチ (2010年7月1日). 2011年4月26日閲覧。
- ^ THE LIST: Nos 40-31 of the greatest free-kick kings in history-Daily Mail 2009年 4年 7日
- ^ [1]中村俊輔らW杯を彩るFKの名手たち 2006年06月11日
- ^ [2] 指揮官絶賛「俊輔はバッジオ」 – SerieA.jp、2004年9月14日
- ^ 中田、中村が前日練習 8日に直接対決 ? 共同通信、2002年12月7日
- ^ [3]-Celtic Secure Second Successive Championship! 2007/04/25
- ^ 俊輔同僚「ナカムラのテクニックはチーム一だ」 ? 欧州通信、2007年10月3日
- ^ 必要とされなかったファンタジスタ ? スポーツナビ、2010年3月1日
- ^ “サッカー=中村俊を起用しないことも検討すべき─トルシエ氏”. ロイター (2010年5月26日). 2011年5月28日閲覧。
- ^ “高速回転 3メートル以上カーブ”. YOMIURI ONLINE (2010年6月17日). 2011年4月19日閲覧。読売新聞は「カーブボール」の具体例として2006年11月にUEFAチャンピオンズ・リーグ、セルティック対マンチェスター・ユナイテッドの試合で決めたフリーキックを挙げる。
- ^ “1/100秒間に強く「押す」”. YOMIURI ONLINE (2010年6月9日). 2011年4月19日閲覧。この中で中村本人は「無回転を狙う時は、足で押すようなイメージ」と発言している。また、読売新聞は「ブレ玉の」具体例として2010年3月20日の横浜対川崎の試合で決めたゴールを挙げる。
- ^ “「スペース」瞬時に把握”. YOMIURI ONLINE (2010年7月10日). 2011年5月28日閲覧。
- ^ 選手情報 中村俊輔 日本サッカー協会 最終更新日2010年06月29日 2011年4月13日閲覧。
- ^ クラブヒストリー 横浜Fマリノス 2011年4月13日閲覧。
- ^ brief history Celtic Football Club 2011年4月13日閲覧。
- ^ “俊輔2ゴールも最後は森島!!”. JOMO ALL STAR SOCCER (1999年7月31日). 2011年4月29日閲覧。
- ^ 1992年の再編成後、UEFAチャンピオンズリーグ本戦における、日本人初得点。
- ^ 各所属クラブでの出場試合数・得点数については、2011年シーズンについてはYAHOO!スポーツを、その他のシーズンは中村俊輔オフィシャルウェブサイト上のDATAを、それぞれ参照した。
[編集] 外部リンク
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