森島寛晃
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| 森島 寛晃 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ミスターセレッソ、モリシ | |
| カタカナ | モリシマ ヒロアキ | |
| ラテン文字 | MORISHIMA Hiroaki | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1972年4月30日(37歳) | |
| 出身地 | 広島県広島市南区 | |
| 身長 | 166cm | |
| 体重 | 62kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | MF/FW | |
| 利き足 | 右 | |
| 代表歴 | ||
| 1995-2002 | 64 (12) | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
森島 寛晃(もりしま ひろあき、1972年4月30日 - )は、広島県広島市南区出身の日本の元プロサッカー選手。愛称は「ミスターセレッソ」「モリシ」。ポジションはミッドフィールダー(OH)、フォワード(ST)。
目次 |
[編集] 来歴
広島県の名門サッカークラブ、大河FCから、静岡県の東海大学第一高校(現:東海大学付属翔洋高校)へ進学し、1991年に、当時JSL2部のヤンマーディーゼルサッカー部に入団。高卒1年目から出場機会を得て、2年目以降は完全に主力へ定着した。
1994年には、Jリーグ入りを目指してセレッソ大阪へと改称したチームを引っ張り、プロ化1年目での昇格を達成。Jリーグに参入した1995年には、チームの中心として50試合に出場、11ゴールを挙げ、ベストイレブンに選出された。同年、加茂周監督により日本代表に初招集。加茂政権下ではレギュラーに定着、岡田武史への監督交代後は主にスーパーサブ的な起用をされ、1998年のワールドカップ フランス大会日本代表にも選出、1試合に出場した。
2000年には主将としてセレッソの快進撃を支えるも、ステージ優勝まであと1勝と迫った試合で敗れ、クラブの初タイトルを逃す(長居の悲劇)。この年に2度目のベストイレブン選出。さらに、フィリップ・トルシエの監督就任後遠ざかっていた日本代表にも再び選出され、セレッソのチームメイトである西澤明訓とともに日本の攻撃陣を牽引し、2000年のハッサン2世国王杯、アジアカップ2000、2001年のFIFAコンフェデレーションズカップなどで日本の大躍進に貢献する。森島の全盛期であり、今もなお、当時の日本代表を史上最強とするファンや評論家は多い。
2001年に、セレッソはJ2に降格。他クラブからのオファーもあったがそれを全て断り、セレッソに残留。1年でのJ1復帰に貢献した。2002年の日韓ワールドカップには、西澤とともにJ2クラブからの代表選出を果たし、グループリーグ第3節・対チュニジア戦で、日本の決勝トーナメント進出を決める決勝点を挙げる。この試合の会場は、セレッソの本拠地・長居スタジアムであり、「自国開催のワールドカップで、自分のホームスタジアムで得点を挙げる」という稀有な記録でもあった。2003年以降は代表からは遠ざかるも、クラブでは引き続き主力として活躍。「セレッソの象徴」としてサポーターから特別視されるようになる。
2006年、セレッソは2度目のJ2降格を喫する。西澤、大久保嘉人ら多くの主力選手が抜ける中、またも残留を選択。しかし、この頃に原因不明の首の痛みを発症。サッカーどころか日常生活にも苦労する状況に陥り、2007年シーズンはわずか5試合の出場で0得点と、キャリアで初めての年間無得点に終わる。
2008年、復活を期してリハビリ・治療に励むも首痛は完治せず、試合出場はかなわなかった。10月30日、現役引退を発表[1][2]。翌31日に行われた記者会見では、引退後もクラブに残りサッカー普及や広報活動を行う「アンバサダー」に就任することや、将来は監督として指揮を執りたいとの希望を表明した[3][4]。
12月6日、J2最終戦 第45節 vs愛媛FC戦ロスタイムに、自身が後継者として指名した香川真司に代わり現役最後の公式戦出場を果たした。出場した時間はわずか28秒であった。試合後、スタジアムにて最後の挨拶を述べ、家族から花束をプレゼントされた後、チームメイトから胴上げされた。その後、場内を1周している途中に香川真司に8番のユニフォームを渡し、グラウンドで現役生活最後のゴールを狙いにいくが、シュートが外れたり、クロスバーに嫌われたりするなど、4本シュートを打って結局入ったゴールは、コロコロと転がるボールをゴールしただけだった。その後、香川真司をフィールドに呼び、香川のアシストを受けた森島は、ゴールを決め、ゴールを決めた時に見せる飛行機ポーズを披露した。最後に、全員で記念撮影をし、引退セレモニーが終了した。
[編集] プレースタイル
卓越したボールコントロールと得点能力が高いためストライカーとして前線でプレーすることもあるが、小柄なため、前線でボールを待つよりも縦横無尽に走り回るという形容がぴったりと当てはまるMFとしてプレーすることが多い。特に2列目からの飛び出しが得意。セカンドトップとしての動きも秀逸でセンターフォワードを追い越しての得点も目立つ。中盤でボールが収まる数少ない選手でもあり、細かいステップのドリブル突破も時に有効。持久力があり、自軍ゴール前にも顔を出すほど守備への貢献も高く、動きの質も高い。
[編集] 人物
普段の腰の低い好人物ぶりは有名である。礼儀を忘れず、ファンに対しても優しく、試合直前の緊張感漂う中でも相手チームの選手と率先して握手する。一方で、フィールド上では元来の負けん気の強さもあって性格がアグレッシブになり、普段の温厚な姿からは想像できないほどの闘志を見せる。
その真面目さは練習熱心さにも現れている。ヤンマー入団時の監督だった吉村大志郎(ネルソン吉村)は、2002年のインタビューで森島に対しては練習をやらせることを考える必要はなく、逆にいかにして練習しつづけるのを止めさせるかを考えなければいけないと語っている。実際、森島は2000年のアジアカップ後に、オーバートレーニング症候群と診断されたこともあった。
尊敬する人物として、広島出身の同郷人であり、大河FCの先輩でもある木村和司を挙げており、1994年の天皇杯準決勝で、当時、横浜マリノス所属の木村と初めて対戦した。森島の座右の銘「心・技・体」は木村の座右の銘でもある。高校時代から現在まで欠かさず、毎年1年の始まり、1月1日の大河FCの初蹴りには必ず参加している。そして木村同様、森島も36歳で現役を引退する事になった。
広島県出身のためか、原水爆禁止2002世界大会と同時に開催された青年の平和集会である「ピースジャム2002・ヒロシマ」に賛同メッセージを送ったことがある。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1991-92 | ヤンマー | 8 | JSL2部 | 6 | 1 | ||||||
| 1992 | ヤンマー | 8 | 旧JFL1部 | 13 | 4 | - | |||||
| 1993 | ヤンマー | 8 | 旧JFL1部 | 18 | 6 | - | 0 | 0 | 18 | 6 | |
| 1994 | C大阪 | 8 | 旧JFL | 28 | 16 | 1 | 0 | 5 | 1 | 34 | 17 |
| 1995 | C大阪 | 8 | J | 50 | 11 | - | 2 | 0 | 52 | 11 | |
| 1996 | C大阪 | 8 | J | 26 | 9 | 14 | 4 | 1 | 0 | 41 | 13 |
| 1997 | C大阪 | 8 | J | 21 | 10 | 0 | 0 | 2 | 2 | 23 | 12 |
| 1998 | C大阪 | 8 | J | 29 | 18 | 0 | 0 | 1 | 3 | 30 | 21 |
| 1999 | C大阪 | 8 | J1 | 30 | 12 | 4 | 1 | 2 | 1 | 36 | 14 |
| 2000 | C大阪 | 8 | J1 | 25 | 15 | 4 | 0 | 0 | 0 | 29 | 15 |
| 2001 | C大阪 | 8 | J1 | 22 | 3 | 0 | 0 | 5 | 2 | 27 | 5 |
| 2002 | C大阪 | 8 | J2 | 37 | 12 | - | 4 | 2 | 41 | 14 | |
| 2003 | C大阪 | 8 | J1 | 28 | 4 | 5 | 0 | 4 | 1 | 37 | 5 |
| 2004 | C大阪 | 8 | J1 | 28 | 3 | 5 | 0 | 1 | 1 | 34 | 4 |
| 2005 | C大阪 | 8 | J1 | 33 | 6 | 8 | 1 | 4 | 2 | 45 | 9 |
| 2006 | C大阪 | 8 | J1 | 26 | 3 | 7 | 1 | 1 | 0 | 34 | 4 |
| 2007 | C大阪 | 8 | J2 | 5 | 0 | - | 0 | 0 | 5 | 0 | |
| 2008 | C大阪 | 8 | J2 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0 | |
| 通算 | 日本 | J1 | 318 | 94 | 46 | 7 | 24 | 12 | 388 | 113 | |
| 日本 | J2 | 42 | 12 | - | 4 | 2 | 46 | 14 | |||
| 日本 | JSL2部 | 6 | 1 | ||||||||
| 日本 | 旧JFL1部 | 59 | 24 | 1 | 0 | ||||||
| 総通算 | 425 | 131 | |||||||||
[編集] 代表歴
[編集] 試合数
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1995 | 9 | 0 |
| 1996 | 11 | 2 |
| 1997 | 14 | 5 |
| 1998 | 3 | 0 |
| 1999 | 0 | 0 |
| 2000 | 10 | 3 |
| 2001 | 9 | 1 |
| 2002 | 8 | 1 |
| 通算 | 64 | 12 |
[編集] 出場大会
[編集] 個人タイトル
[編集] Jリーグ記録
- 開幕戦からの7試合連続ゴール(歴代1位)
- オールスター通算6ゴール(歴代1位)
[編集] テレビ・映画・CM出演
[編集] 脚注
- ^ C大阪の森島、今季限りで引退 代表64試合、W杯でも活躍 - J2 - 2008年10月30日 時事ドットコム(時事通信社)
- ^ 首痛回復せず・・・C大阪・森島が引退 - 2008年10月30日 スポニチ Sponichi Annex
- ^ 森島寛晃選手 引退会見のご報告 - セレッソ大阪 ニュース
- ^ 森島寛晃選手「セレッソ大阪アンバサダー」「ハナサカクラブ会長」に就任 - セレッソ大阪 ニュース
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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