播戸竜二

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播戸 竜二
名前
愛称 バン
カタカナ バンド リュウジ
ラテン文字 BANDO Ryuji
基本情報
国籍 日本
生年月日 1979年8月2日(29歳)
出身地 兵庫県姫路市(旧香寺町
身長 171cm
体重 65kg
血液型 B型
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ガンバ大阪
ポジション FW
背番号 11
利き足 右足
代表歴
2006-2008 日本 6 (2)
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

播戸 竜二(ばんど りゅうじ、1979年8月2日 - )は、日本サッカー選手兵庫県姫路市出身。ガンバ大阪所属。ポジションフォワード

目次

[編集] 来歴

琴丘高校時代[1]はキャプテンを務め、国体選手にも選出される。3年生の最後の大会(選手権県予選)では加地亮朴康造を擁する滝川二高の前に決勝で敗退した。

1998年、ガンバ大阪に入団。2000年シーズンにコンサドーレ札幌期限付き移籍岡田武史監督(当時)のもと、レギュラーFWとしてJ1昇格、残留を経験する。この間、U-19〜U-20日本代表でも活躍し、2001年にはA代表候補合宿にも招集された。

2002年からは地元ヴィッセル神戸に期限付き移籍で加入し、中心選手として活躍。翌2003年は完全移籍を果たす。2004年度のJ1リーグでは17得点を上げ、名古屋グランパスエイトマルケスと並び、得点ランキング3位になったが、2005年は自身も故障に苦しみ、チームの成績も低迷、J2降格となる。シーズンオフに年俸の大幅ダウン提示を受けたことなどに伴い神戸を退団し、2006年は古巣のガンバ大阪に復帰。史上40人目のJ1リーグ通算50得点を達成し、スタメン出場するたびに得点を挙げ続け、A代表初選出。10月4日のキリンチャレンジカップガーナ代表戦で初出場、10月11日のアジアカップ2007予選・インド代表戦で初先発・初得点を記録した。

2008年は足首の故障や肝機能障害などで長期離脱したが、ACLで貴重なゴールをあげるなど、依然チームでは重要な役割を果たしている。ガンバ大阪の若手選手の多くは彼を「兄貴」と慕っている。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

  • 1992年 - 1994年 香寺中学校
  • 1995年 - 1997年 琴丘高校

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1998 G大阪 29 J 13 2 4 1 1 0 18 3
1999 G大阪 18 J1 21 1 2 0 2 0 25 1
2000 札幌 11 J2 30 15 1 0 1 1 32 16
2001 札幌 11 J1 27 9 1 0 1 0 29 9
2002 神戸 13 J1 26 4 5 0 0 0 31 4
2003 神戸 13 J1 27 7 6 0 3 1 36 8
2004 神戸 13 J1 28 17 3 1 1 0 32 18
2005 神戸 13 J1 18 2 6 0 0 0 24 2
2006 G大阪 11 J1 30 16 2 0 4 1 36 17
2007 G大阪 11 J1 31 9 10 2 4 2 45 13
2008 G大阪 11 J1 15 1 1 0 5 1 21 2
2009 G大阪 11 J1
通算 日本 J1 236 68 40 4 21 5 297 77
日本 J2 30 15 1 0 1 1 32 16
総通算 266 83 41 4 22 6 329 93
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2006 G大阪 11 6 1 -
2008 G大阪 11 7 2
2009 G大阪 11 -
通算 AFC 13 3

[編集] 経歴

  • Jリーグ初出場 - 1998年4月11日 Jリーグ1st-5 VS 清水エスパルス
  • Jリーグ初得点 - 1998年8月1日 Jリーグ1st-15 VS ヴィッセル神戸

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 6試合 2得点(2006 - )


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2006 2 2
2007 1 0
2008 3 0
通算 6 2

[編集] CM出演

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ 同期に増川隆洋

[編集] 外部リンク