藤田俊哉
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| 名前 | |||||||
| 愛称 | トシヤ | ||||||
| カタカナ | フジタ トシヤ | ||||||
| ラテン文字 | FUJITA Toshiya | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1971年10月4日(40歳) | ||||||
| 出身地 | 静岡県静岡市清水区 | ||||||
| 身長 | 174cm | ||||||
| 体重 | 64kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | MF | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月26日現在。 2. 2007年9月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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藤田 俊哉(ふじた としや、1971年10月4日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。日本プロサッカー選手会会長もつとめる。
10年に渡り日本代表にも選出。2001年にJリーグ最優秀選手賞を受賞。
目次 |
[編集] 来歴
清水商業高校では、2年時に高校選手権優勝を経験。筑波大学を経て1994年、この年にJリーグへ昇格するジュビロ磐田に入団。1年目からレギュラーを獲得し、中山雅史、名波浩らとともに、ステージ優勝6回、年間優勝3回、そしてアジアクラブ選手権優勝1回という磐田黄金時代を作り上げ、自身もJリーグベストイレブンに3度選出された。2001年にはJリーグMVPも受賞するなど、リーグではその能力を数々の実績で証明している。
一方で日本代表においては、ファルカン、加茂周、トルシエ、ジーコと歴代の監督により招集されたが、いずれの監督下でもレギュラーではなくサブとしての登用であった事から、当時はインタビューなどで「頂点を極めたなんて思ったことは一度もありません」と語っている。海外クラブに所属する選手を重用する傾向があったジーコ監督時代の2003年には、代表定着を狙うためにオランダのFCユトレヒトに半年間の期限付き移籍。この時期は積極的に代表に呼ばれたが、やはりレギュラー定着はできなかった。ユトレヒトでは1ゴールを記録するなど上々の成績を残した。シーズン終了後には移籍期間延長の打診もあり、藤田自身もオランダでのプレーの続行を望んだが、ユトレヒトには完全移籍に移行する際の移籍金を支払う資金力が無く、加えて成績が下降傾向だった磐田からは移籍期限終了に伴う磐田への復帰を強く要請されたため、日本へ復帰した。
このような経緯で磐田に復帰したものの、2004年末より監督に就任した山本昌邦の方針で出場機会が激減。代表へのこだわりを持っていたことから、出場機会を求めて2005年のシーズン途中に名古屋グランパスエイトに移籍した。名古屋では足掛け4年にわたってチームの精神的支柱として活躍したが、2008年にはMF小川佳純の台頭もあり出場機会が減少。高年俸もネックとなりシーズン終了後に戦力外通告を受ける。J1クラブも含めて複数のオファーの中から、低い条件ながら最も熱心に誘われたJ2・ロアッソ熊本に移籍した。
2009年シーズンは、51試合中50試合に出場、スタメンでの起用が多く4得点を挙げた。2010年は途中出場中心ながら20試合以上に出場し、2得点を挙げていたが、11月22日、藤田の意向により家庭の事情を理由[1]にロアッソ熊本を退団する事が発表された[2]。なお、2010年度中に日本サッカー協会指導者ライセンスA級ジェネラルを取得している[3]。
2011年シーズンより、ジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍するも[4]、同年限りで退団した[5]。
愛車は2001年Jリーグ最優秀選手副賞の賞品であったサーブ・9-3[6]。
[編集] 評価
筑波大学、ジュビロ磐田での先輩にあたる長澤徹は「サッカーがうまくなりたいという純粋な気持ちを持ち続け、誰にもできないスタイルを身に付けた。日本人が目指すべき模範だと思います」と賛辞している[7]。
[編集] 記録
自身初のハットトリックは、2000年5月3日の対川崎フロンターレ戦で達成。このハットトリックはペナルティーキック(PK)を3本決めたもので、PKのみのハットトリックはJリーグでも史上初の記録であった。ちなみに、1本目はゴール右、2本目は真ん中、そして3本目は左とすべて違うコースに決めた。
2002年7月13日、浦和レッズ戦(埼玉スタジアム2002)にて自身9度目の延長Vゴールを挙げ、J通算Vゴール数で浦和レッズの福田正博と並び歴代最多タイとなる。なお、リーグでの延長戦はこの年を最後に廃止されたため、今後この記録が破られることはないと思われる。
2007年6月9日の対川崎フロンターレ戦(豊田スタジアム)の前半1分にPKによる得点を挙げ、中山雅史に次いで史上2人目となる。J1のリーグ戦で14年連続ゴールという記録を達成した。
2007年6月30日の対ヴァンフォーレ甲府戦(瑞穂陸上競技場)で史上初のJリーグ出場通算400試合を達成した。
2007年8月25日の対大宮アルディージャ戦(瑞穂陸上競技場)において、Jリーグ史上4人目、FW登録以外の選手としては史上初のJリーグ通算100得点を達成。
[編集] 所属クラブ
- 1987年 - 1989年 清水商業高校 2年生時に高校選手権で優勝。
- 1990年 - 1993年 筑波大学
- 1994年 - 2005年6月
ジュビロ磐田
- 2005年6月 - 2008年
名古屋グランパス - 2009年 - 2010年
ロアッソ熊本 - 2011年
ジェフユナイテッド市原・千葉
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1994 | 磐田 | - | J | 38 | 7 | 4 | 0 | 1 | 0 | 43 | 7 |
| 1995 | - | 49 | 11 | - | 1 | 1 | 50 | 12 | |||
| 1996 | - | 25 | 4 | 14 | 1 | 1 | 0 | 40 | 5 | ||
| 1997 | 10 | 24 | 9 | 6 | 0 | 4 | 3 | 34 | 12 | ||
| 1998 | 33 | 17 | 6 | 4 | 3 | 0 | 42 | 21 | |||
| 1999 | J1 | 29 | 4 | 4 | 1 | 3 | 0 | 36 | 5 | ||
| 2000 | 30 | 8 | 4 | 1 | 3 | 1 | 37 | 10 | |||
| 2001 | 26 | 11 | 7 | 0 | 2 | 1 | 35 | 12 | |||
| 2002 | 30 | 10 | 7 | 2 | 3 | 0 | 40 | 12 | |||
| 2003 | 13 | 6 | 6 | 0 | - | 19 | 6 | ||||
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2003-04 | ユトレヒト | 16 | エールディヴィジ | 14 | 1 | - | - | 14 | 1 | ||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2004 | 磐田 | 10 | J1 | 29 | 7 | 0 | 0 | 5 | 1 | 34 | 8 |
| 2005 | 磐田 | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | - | 10 | 0 | ||
| 名古屋 | 10 | 22 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 24 | 2 | ||
| 2006 | 名古屋 | 10 | 24 | 2 | 4 | 0 | 2 | 0 | 30 | 2 | |
| 2007 | 29 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 32 | 2 | |||
| 2008 | 8 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 13 | 1 | |||
| 2009 | 熊本 | 28 | J2 | 50 | 4 | - | 1 | 0 | 51 | 4 | |
| 2010 | 25 | 2 | - | 0 | 0 | 25 | 2 | ||||
| 2011 | 千葉 | 4 | 0 | - | 1 | 0 | 5 | 0 | |||
| 通算 | 日本 | J1 | 419 | 100 | 67 | 10 | 33 | 7 | 519 | 115 | |
| 日本 | J2 | 79 | 6 | - | 2 | 0 | 81 | 6 | |||
| オランダ | エールディヴィジ | 14 | 1 | - | - | 14 | 1 | ||||
| 総通算 | 512 | 107 | 67 | 10 | 35 | 7 | 614 | 122 | |||
その他の公式戦
- 1997年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1998年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1999年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2000年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2001年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2003年
- スーパーカップ 1試合1得点
- 2004年
- スーパーカップ 1試合0得点
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2004 | 磐田 | 10 | 4 | 0 |
| 2005 | 4 | 1 | ||
| UEFA | UEFA EL | |||
| 2003-04 | ユトレヒト | 16 | 3 | 0 |
| 通算 | AFC | 8 | 1 | |
| 通算 | UEFA | 3 | 0 | |
その他の国際公式戦
- 2003年
- A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
[編集] 個人タイトル
- 1998年 - Jリーグベストイレブン
- 2001年 - Jリーグ ベストイレブン、Jリーグ最優秀選手賞(MVP)
- 2002年 - Jリーグ ベストイレブン
- 2002年 - 日本年間最優秀選手賞
[編集] 代表歴
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 24試合 3得点(1995-2005)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1995 | 6 | 2 |
| 1996 | 0 | 0 |
| 1997 | 0 | 0 |
| 1998 | 0 | 0 |
| 1999 | 4 | 0 |
| 2000 | 0 | 0 |
| 2001 | 0 | 0 |
| 2002 | 0 | 0 |
| 2003 | 3 | 0 |
| 2004 | 10 | 1 |
| 2005 | 1 | 0 |
| 通算 | 24 | 3 |
[編集] ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 1995年2月23日 | 中華人民共和国 | ○2-1 | 親善試合 | |
| 2. | 1995年6月10日 | イングランド | △2-2 | 親善試合 | |
| 3. | 2004年3月31日 | シンガポール | ○2-1 | 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
[編集] 脚注
- ^ 藤田が熊本退団…オファーなければ引退も - スポーツニッポン2010年11月23日閲覧
- ^ 藤田、退団へ 2季在籍 現役は続行の意向 - 熊本日日新聞2010年11月23日閲覧
- ^ [1]
- ^ 藤田 俊哉 選手の加入について - ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルサイト 2011年01月13日閲覧
- ^ 契約満了選手について - ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルサイト 2011年12月26日閲覧
- ^ [2]
- ^ 小宮良之『アンチ・ドロップアウト 簡単に死なない男たちの物語』集英社、2010年、169頁
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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