ロブソン・ポンテ
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| ロブソン・ポンテ | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ロビー | |
| ラテン文字 | Robson PONTE | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1976年11月6日(32歳) | |
| 出身地 | サンパウロ | |
| 身長 | 174cm | |
| 体重 | 69kg | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF/FW | |
| 背番号 | 10 | |
| 利き足 | 右足 | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
ロブソン・ポンテ(Robson Ponte、1976年11月6日-)は、ブラジル出身のサッカー選手。ポジションはMF(攻撃的MF)、またはFW。
Jリーグディビジョン1(J1)・浦和レッドダイヤモンズ所属。技術と戦術眼で攻撃をリードする司令塔。イタリア移民の家系であるためイタリア国籍も持っている。
目次 |
[編集] 経歴
ブラジルサンパウロ生まれ。8歳のころに母親を心臓病で亡くし、18歳のころに父親を癌(ガン)でなくしている。
1996年、地元のサッカークラブ・CAジュベントスでプロデビューを飾る。頭角を表し、後にグアラニFCを経てドイツのレバークーゼンへ移籍する。だが、入団当初はあまり活躍できず、2001年にVfLヴォルフスブルクにレンタルされる。そこでの活躍が認められ、2003年にレバークーゼンへ復帰した。2004年にレバークーゼンの一員としてUEFAチャンピオンズリーグに出場、ドイツ代表のシュナイダー、ブルガリア代表のベルバトフ、後に柏レイソルへ移籍するフランサらと共に活躍。 グループリーグでレアル・マドリードを3-0で下すなど旋風を巻き起こした(尚、その試合は日本でも放送された)。
その後、ギド・ブッフバルトに口説かれ2005年7月、浦和レッドダイヤモンズに加入した。
2005年8月20日のFC東京戦にてJリーグ公式戦初出場し、1ゴール1アシストの鮮やかなJリーグデビューを飾り、たちまち浦和の攻撃の核となった。
2007年にはAFCチャンピオンズリーグに出場し浦和レッズの優勝に貢献。自身も5得点を挙げ得点王に輝いた。 さらにリーグ戦7得点12アシストの活躍で2007年JリーグMVPに選ばれた。
2007年12月1日に行われた横浜FC戦において怪我をしてしまった。診断結果が右膝前十字靭帯損傷だった為12月5日にブラジルへ帰国し、同14日には無事に手術を成功させている。
2008年1月26日に母国ブラジルで結婚式を行った。相手はダニエリさん(当時23歳)で、披露宴はサンパウロにあるキリスト再生教会で取り計らわれる事になっている。この教会はACミランのエースカカも披露宴を行った聖地である。
[編集] プレースタイル
高度な技術と小柄ながらも強靭な足腰を持つため、対人プレーに強い。抜群のキープ力を持ちボールを奪われることは稀である。得点嗅覚に優れ、2列目からの飛び出しからゴールを奪う。勝負強さを持っており、ここぞという所で必ず仕事をするメンタルの強い選手である。また、守備も献身的に行う。現在Jリーグ屈指のチャンスメイカーである。
[編集] エピソード
- 2006年12月2日のガンバ大阪との優勝決定戦で後半38分に坪井慶介と交代してベンチへ退いた後、あらかじめ用意していた楽器を使ってアレックスと共にサポーターの応援に合わせて陽気なサンバのリズムを奏でるなど、お茶目な一面もある。
- レバークーゼン時代、「なぜポンテがブラジル代表に呼ばれないのか」という議論がヨーロッパの一部で起きたとも言われる。
- 某クラブ幹部からは「ポンテになら5億円支払っても惜しくはない」と言われるほど評価が高いらしく、実際、ポンテ個人で試合が大きく変わる事も多く、それだけ好不調でチームへ与える影響力の強い選手である。
[編集] 所属クラブ
- 1995年 - 1996年 CAジュベントス(ブラジル)
- 1997年 アメリカ・ミネイロ(ブラジル)
- 1998年 - 1999年 グアラニFC(ブラジル)
- 1999年 - 2001年 バイヤー・レバークーゼン(ドイツ)
- 2001年 - 2003年 VfLヴォルフスブルク(ドイツ)
- 2003年 - 2005年6月 バイヤー・レバークーゼン(ドイツ)
- 2005年7月 - 現 在 浦和レッドダイヤモンズ(日本)
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995 | ジュベントス | ||||||||||
| 1996 | ジュベントス | 1 | 0 | ||||||||
| 1997 | アメリカ | ||||||||||
| 1998 | グアラニ | 16 | 7 | ||||||||
| 1999 | グアラニ | 16 | 9 | ||||||||
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 1999-00 | レバークーゼン | ブンデス1部 | 24 | 2 | |||||||
| 2000-01 | レバークーゼン | ブンデス1部 | 12 | 0 | |||||||
| 2001-02 | ヴォルフスブルク | ブンデス1部 | 31 | 8 | |||||||
| 2002-03 | ヴォルフスブルク | ブンデス1部 | 30 | 5 | |||||||
| 2003-04 | レバークーゼン | ブンデス1部 | 20 | 2 | |||||||
| 2004-05 | レバークーゼン | ブンデス1部 | 23 | 2 | |||||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005 | 浦和 | 10 | J1 | 16 | 8 | 3 | 1 | 5 | 0 | 24 | 9 |
| 2006 | 浦和 | 10 | J1 | 22 | 4 | 3 | 0 | 4 | 2 | 29 | 6 |
| 2007 | 浦和 | 10 | J1 | 33 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 35 | 7 |
| 2008 | 浦和 | 10 | J1 | 16 | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 | 20 | 2 |
| 2009 | 浦和 | 10 | J1 | ||||||||
| 通算 | ブラジル | 33 | 16 | ||||||||
| ドイツ | ブンデス1部 | 140 | 19 | ||||||||
| 日本 | J1 | 87 | 20 | 10 | 1 | 11 | 3 | 108 | 24 | ||
| 総通算 | |||||||||||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2007年 | 浦和 | 10 | 12 | 5 |
| 2008年 | 浦和 | 10 | 4 | 0 |
| 通算 | AFC | 16 | 5 | |
その他、2006年ゼロックス・スーパーカップに出場、1得点
[編集] 個人タイトル
- 2007年 - ACL得点王
- 2007年 - Jリーグ最優秀選手(MVP)、Jリーグベストイレブン
[編集] 外部リンク
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