徳永悠平

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徳永 悠平 Football pictogram.svg
名前
愛称 トク[1]、ユーヘイ
カタカナ トクナガ ユウヘイ
ラテン文字 TOKUNAGA Yuhei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1983年9月25日(31歳)
出身地 長崎県南高来郡国見町[2]
身長 180cm
体重 77kg
選手情報
在籍チーム FC東京
ポジション DFMF
背番号 2
利き足 右足[3][1]
ユース

1996-1998
1999-2001
2002-2005
国見少年SC
国見中学校
国見高校
早稲田大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003- FC東京 275 (7)
代表歴2
2001-2003  日本U-18/19/20
2003-2012  日本U-22/23
2009- 日本の旗 日本 9 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年2月28日現在。
2. 2013年7月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

徳永 悠平(とくなが ゆうへい、1983年9月25日 - )は、長崎県南高来郡国見町(現・雲仙市)出身のプロサッカー選手JリーグFC東京所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)またはディフェンダー(DF)(本職は右サイドバック(SB)[3][4][5])。家族は妻と3子。

来歴[編集]

高校・大学時代[編集]

国見高校DF(リベロ)にコンバートされ、攻守に活躍[2]。2年時にインターハイ国体全国高校サッカー選手権三冠達成に貢献し[6]、3年時には全日本ユース選手権初優勝と全国高校サッカー選手権連覇を達成[6]。当時はチーム事情により、FWをこなしたこともあり得点も挙げている。

2002年早稲田大学に進学し、同大学の蹴球部に所属。当時の早稲田は成績低迷の最中にあり、徳永にとっては物足りない環境だったが[7][8]4年時には大榎克己監督の元、主将として同部を牽引[8][9]。関東大学リーグ2部での優勝を果たし[6]9年ぶりに1部に復帰させた。また、大学選抜として2005年のユニバーシアードに参戦し優勝[6]

2004年にはアテネオリンピックに臨むU-23日本代表に選出。しかしイタリア戦でデ・ロッシとの接触によって負傷退場し[3]不完全燃焼に終わった[10]。高校・大学時代を通じ常に各年代の日本代表に選出されており、U-22・U-23日本代表監督の山本昌邦からも絶大な信頼を寄せられ、トップクラスの出場時間を得ていた。在学中からA代表入りも期待されるほど大学サッカー界では突出した存在だった。

FC東京時代[編集]

2002年11月頃から大学に程近いFC東京の練習に参加し[11]、翌2003年[12][13]、2004年[14]にはJリーグの特別指定選手[注 1]としてFC東京でプレー。右SBのレギュラーで日本代表にも定着しつつあった加地亮からポジションを奪い[9]、レギュラーとして試合出場を続けた。2004年ナビスコカップ優勝にも予選リーグで貢献。

2005年にはスペインリーグバレンシアCFの練習に参加[16]。バレンシアを含め[17]多くのJリーグクラブによる激しい争奪となったが[9]2006年よりFC東京と正式にプロ契約し[6]入団。以後東京ではガーロ原博実城福浩と監督が替わる中でも不動のレギュラーとして出場を続けた。2007年12月に日本代表候補合宿初招集され、翌2008年4月の代表候補トレーニングキャンプにも招集されたが、正式発表される代表メンバーからは外れる事が続いた。

2008年3月にタレントの八田牧子と入籍。2009年1月に地元・長崎で挙式。同年12月22日に長男が誕生した[18]

2009年10月、これまで候補止まりであったA代表に初招集。2008年からの長友佑都加入に伴い、FC東京のその時点でのチーム状況や、対戦相手の選手の特長によって徳永・長友がSBの左右を入れ替えて起用されるなど左SBを務める機会も多かったことから[19]岡田武史日本代表監督からは「DFであればどこでもできて、フィジカルが強い」と評価され[20]、10月8日のアジアカップ予選香港戦に途中出場しA代表デビュー。得点をアシストし[21][22]、その後も主力の内田篤人を上回る運動量と守備力でアピールを続けたが[17]連携面で遅れを取り[23]ワールドカップ南アフリカ大会には予備登録メンバーとして選出されるに留まった。

2010年には羽生直剛からゲームキャプテンを引き継ぎ[注 2]、負傷離脱した米本拓司に代わり、主にボランチを務めた[4]

2011年はキャプテンを今野泰幸に託し、右SBに復帰[注 3]。勝ち点を得るべく、得点できるSBを目標に掲げ[25]、自身初のリーグ戦複数得点を記録した。

2012年アルベルト・ザッケローニ日本代表監督より、SBとCBを高いレベルでこなす能力を見込まれ[5]日本代表に復帰。同年7月、ロンドンオリンピックに臨むU-23日本代表オーバーエイジ枠で[注 4]選出された[28]。U-23日本代表では弱点となっていた[29]左SBで起用されると、劣勢の時間帯でも動じることの無いプレーで[30]守備陣を安定させ[31]チームの躍進に貢献した[32]

2013年7月、柴崎岳に代わって東アジアカップ2013の日本代表に追加招集された[33]韓国戦では粘り強い対応で尹一録らの突破を封じ[34]日本の同大会初優勝に貢献した。また同年は2009年[35]以来となるリーグ戦全試合フル出場を記録した[36]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2000 国見高 5 - - - 2 0 2 0
2001 10 - - 2 2 2 2
2003 FC東京 32 J1 8 0 2 0 - 10 0
2004 35 6 0 4 0 - 10 0
2006 25 32 1 5 0 2 0 39 1
2007 33 0 7 0 3 0 43 0
2008 30 1 8 0 4 0 42 1
2009 34 0 10 0 0 0 44 0
2010 2 30 0 7 0 5 0 42 0
2011 J2 37 3 - 6 0 43 3
2012 J1 31 1 2 0 0 0 33 1
2013 34 1 5 0 5 0 44 1
2014
通算 日本 J1 238 4 50 0 19 0 307 4
日本 J2 37 3 - 6 0 43 3
日本 - - 4 2 4 2
総通算 275 7 50 0 29 2 354 9

※2003年、2004年は特別指定選手として出場。

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2012 FC東京 2 7 1
通算 AFC 7 1

タイトル[編集]

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 9試合 0得点 (2009年 - )


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2009 5 0
2010 2 0
2012 0 0
2013 2 0
通算 9 0

出演[編集]

CM
映画

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 大学生としては初の特別指定選手である[15][11]
  2. ^ 特にクラブとしてのキャプテンは設けていない。
  3. ^ ただし、SBからスライドする形で第3のCBを兼任[24](そのためCBがベンチ入りしないことも多かった。)。
  4. ^ 徳永を選出した理由について、関塚隆監督は、最終ラインの建て直しを図ることができ、五輪経験者であること[26]原博実技術委員長は、複数のポジションへの対応、正GK権田修一との連携、若い選手達との協調を挙げている[27]
出典
  1. ^ a b 『Jリーグ選手名鑑 2014J1・J2・J3エルゴラッソ特別編集』 三栄書房2014年、64頁。
  2. ^ a b 長崎発 アテネへ 五輪へ挑む県勢 長崎新聞 (2004年7月23日)
  3. ^ a b c ロンドン五輪 選手名鑑 徳永悠平 スポーツニッポン
  4. ^ a b 東京徳永ボランチ先発濃厚「必死にやる」 日刊スポーツ (2010年3月3日)
  5. ^ a b FC東京 徳永“ポリバレント”CBで完封貢献 スポーツニッポン (2012年5月7日)
  6. ^ a b c d e 徳永悠平選手(早稲田大学) 来季新加入のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年7月14日アーカイブ分) FC東京 (2005年12月7日)
  7. ^ “W”発“J”行きの選手・第1弾 徳永悠平 (1) - ウェイバックマシン(2013年5月1日アーカイブ分) 早稲田スポーツ (2006年3月15日)
  8. ^ a b ア式蹴球部 大榎監督インタビュー wasedawillwin (2007年10月4日)
  9. ^ a b c d e 『FC東京ファンブック2006』 毎日新聞社2006年、57頁。
  10. ^ OA登録のF東京・徳永「あえて難しいところに挑みたかった」 ゲキサカ (2012年6月14日)
  11. ^ a b 徳永第1号 大学生Jリーガー誕生 早大サッカー部とFC東京をかけもち!! - ウェイバックマシン(2003年4月2日アーカイブ分) スポーツ報知 (2003年3月13日)
  12. ^ 徳永悠平選手(早稲田大学)「特別指定選手」登録のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年7月15日アーカイブ分) FC東京 (2003年3月19日)
  13. ^ 徳永悠平選手(早稲田大学)「特別指定選手」継続のお知らせ - ウェイバックマシン(2004年9月6日アーカイブ分) FC東京 (2003年7月22日)
  14. ^ 徳永悠平選手(早稲田大学)「JFA・Jリーグ特別指定選手」承認のお知らせ - ウェイバックマシン(2005年2月12日アーカイブ分) FC東京 (2004年3月24日)
  15. ^ 大学生が特別指定選手に 日本サッカー協会 47NEWS (2003年3月19日)
  16. ^ バレンシアが徳永獲得か 早大のアテネ五輪代表DF 47NEWS (2005年9月15日)
  17. ^ a b 岡ちゃん秘蔵っ子を逆転!徳永が右サイド君臨 スポーツニッポン (2010年1月29日)
  18. ^ FC東京・徳永に長男が誕生 サンケイスポーツ (2009年12月22日閲覧)
  19. ^ 長友 安田とガチンコ勝負だ チームで初の右SB起用 東京中日スポーツ (2008年7月16日)
  20. ^ 【日本代表メンバー発表!】会見での岡田武史監督(日本代表)コメント J's GOAL (2009年10月1日)
  21. ^ 徳永が初出場で初アシスト/アジア杯予選 日刊スポーツ (2009年10月9日)
  22. ^ 徳永 絶妙アシストに岡田監督も合格点 スポーツニッポン (2009年10月9日)
  23. ^ 南アフリカへのサバイバル (9) DF徳永悠平 (FC東京) ゲキサカ (2010年2月8日)
  24. ^ 【J2:第7節 FC東京 vs 大分】プレビュー J's GOAL (2011年10月25日)
  25. ^ 週刊サッカーダイジェストNo.1138 「THE MAN」』 日本スポーツ企画出版社2011年
  26. ^ “サプライズOA枠”扱いの徳永悠平。その秘めたる才能と、これまでの道程。 Number web (2012年7月14日)
  27. ^ 原技術委員長「OA枠はJでの出場や経験が少ない守備陣で使った」 サッカーキング (2012年6月14日)
  28. ^ a b ロンドンオリンピック2012日本代表メンバー 徳永悠平選手、権田修一選手選出のお知らせ FC東京 (2012年7月2日)
  29. ^ 関塚ジャパン 課題克服へ“ユーロ上演会”で脳内トレ スポーツニッポン (2012年7月10日)
  30. ^ ミケル・エチャリ , 小宮良之 『日本サッカースカウティング127選手』 東邦出版2013年、132頁。
  31. ^ OA徳永が先制点演出の右足ミドル、関塚監督「安定感が増した」 ゲキサカ (2012年7月12日)
  32. ^ 吉田・徳永、若き侍が「守る」関塚J躍進の原動力 MSN産経ニュース (2012年8月2日)
  33. ^ EAFF東アジアカップ2013 決勝大会 SAMURAI BLUE(日本代表)選手入れ替えのお知らせ samuraiblue.jp (2013年7月19日)
  34. ^ チームメイトも絶賛した「徳永の安定感」、緊急投入で存在感 ゲキサカ (2013年7月29日)
  35. ^ 選手出場記録 (1/2) Jリーグ (2009年12月5日)
  36. ^ 選手出場記録 (1/2) Jリーグ (2013年12月7日)
  37. ^ 「徳永悠平選手J1リーグ戦200試合出場記念フォトフレーム」販売のお知らせ FC東京 (2012年11月10日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]