鄭大世
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| 鄭 大世 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | テセ | |
| カタカナ | チョン・テセ | |
| ラテン文字 | CHONG Tese / JUNG Dae-se/Jong Tese | |
| ハングル | 정대세 | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1984年3月2日(25歳) | |
| 出身地 | ||
| 身長 | 180cm | |
| 体重 | 79kg | |
| 血液型 | B型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 9 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2006- | 40 (13) | |
| 代表歴2 | ||
| 2007- | 13 (13) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年1月1日現在。 2. 2009年1月21日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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鄭 大世(チョン・テセ、정대세、1984年3月2日 - )は、北朝鮮代表のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。Jリーグディビジョン1 (J1)・川崎フロンターレ所属。韓国籍、愛知県名古屋市生まれの在日コリアン(3世)。
目次 |
[編集] 来歴
愛知朝鮮第二初級学校(日本の小学校に相当)4年生の時にサッカーを始める。朝鮮大学校体育学部に在籍し、蹴球部所属時には東京都大学サッカーリーグ下部でプレーする傍ら、サッカー代理人契約を結んだ田邊伸明の紹介を受け、プロ入りを目指してJリーグの数チームで練習生として参加。川崎フロンターレの練習に参加した際の、専修大学との練習試合で挙げた5得点などが評価され、卒業後の2006年に川崎フロンターレに入団した(同大学から直接Jリーグへ進んだのは鄭が初めてである)。
初年度は交代出場が多かったものの、コンスタントに出場機会を得て、同年7月19日のJ1リーグ第13節・鹿島アントラーズ戦(カシマ)でJリーグ初得点を挙げた。
2007年にはAFCチャンピオンズリーグにも出場し、このとき初めて訪れたという韓国での全南ドラゴンズ戦で得点を挙げ、フロンターレのグループリーグ突破に貢献した。また、同年10月28日に行われたJ1リーグ第30節・FC東京戦(味の素スタジアム)では、自身プロ入り初となるハットトリックを記録した。2007年シーズンの後半からはスタメンに定着しゴールを量産、12得点をあげた。
韓国籍だが朝鮮学校で教育を受け、かねてから「夢は(北)朝鮮代表としてプレーすること」と語っていた。韓国籍を放棄して朝鮮籍を取得しようとしたが、韓国政府は北朝鮮を国家として承認していないため拒否され、朝鮮総連の助けを得て北朝鮮のパスポートを取得し、FIFA(国際サッカー連盟)も鄭の北朝鮮代表としての出場を認めた。現在も公式の国籍は韓国籍である。
2007年6月にマカオで開催された東アジアサッカー選手権2008予選大会の北朝鮮代表に選出され、3試合で8ゴールを挙げ得点王となり、チームの本大会出場に貢献した。
2009年6月に所属する北朝鮮代表が44年ぶり2度目のワールドカップ出場を決めた。
東アジア選手権2008本選では、第1戦で日本代表から1得点(試合は引き分け、日本のゴールキーパーは奇しくも川崎でのチームメイトの川島永嗣)を挙げたほか、第2戦の韓国戦でも1得点、第3戦中国戦では1アシストと全得点に絡む活躍を見せた。この活躍により、FIFA公式サイトでは朝鮮選手として初となるロングインタビューが紹介され、国際的にも広く注目されるようになった。
[編集] プレースタイル
サポーターの横断幕に「人間ブルドーザー」と掲げられる重量級ストライカー。相手からの激しい当たりにも十分に耐える体躯を有し、強い脚力から繰り出すシュート、ジャンプ力でゴールを奪う能力があるが、好不調の波が大きい面もある。クラブでは中距離からのフリーキックを任されることもあり、精度よりパワーを重視したシュートを蹴る。
[編集] 人物
- 母語は日本語だが朝鮮学校出身のため朝鮮語も非常に堪能で、北朝鮮・韓国メディアからの取材には流暢な朝鮮語で対応している。
- 趣味はホームDJ。自宅の押し入れにDJセットを忍ばせてある。
- 母校の愛知朝鮮中高級学校を度々訪れサッカー部の指導をしている。
- 憧れの選手は三浦知良。
- ファジアーノ岡山の李彰剛とは愛知朝鮮学校で小学校から高校までチームメイトであり親交が深い。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 愛知朝鮮第二初級学校
- 東春朝鮮初中級学校 中級部
- 愛知朝鮮中高級学校 高級部
- 朝鮮大学校
プロ経歴
- 2006年 - 現在: 川崎フロンターレ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2006 | 川崎 | 16 | J1 | 16 | 1 | 4 | 0 | 2 | 2 | 22 | 3 |
| 2007 | 川崎 | 16 | J1 | 24 | 12 | 5 | 2 | 4 | 2 | 33 | 16 |
| 2008 | 川崎 | 16 | J1 | 33 | 14 | 4 | 1 | 2 | 0 | 39 | 15 |
| 2009 | 川崎 | 9 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 73 | 27 | 13 | 3 | 8 | 4 | 94 | 34 | |
| 総通算 | 73 | 27 | 13 | 3 | 8 | 4 | 94 | 34 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2007 | 川崎 | 16 | 7 | 2 |
| 2009 | 川崎 | 9 | ||
| 通算 | AFC | 7 | 2 | |
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
- 2007 - :
朝鮮民主主義人民共和国代表
[編集] 参加大会
- 2007年: 東アジアサッカー選手権2008 予選
- 2008年
- 2010 FIFAワールドカップ アジア予選
- 東アジアサッカー選手権2008 本選
[編集] 試合数
| 北朝鮮代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2007 | 3 | 8 |
| 2008 | 3 | 2 |
| 通算 | 6 | 10 |
(2008年2月20日現在)
[編集] エピソード
- 特徴的な容姿は、しばしば「パンストをかぶっているような顔」とたとえられ、本人も自虐的にネタにしている。テレビ番組『やべっちFC』では、「(`ε´)」という顔文字で鄭が表されており、これはサポーターの横断幕にも描かれるほど定着している。
- 大学在学中からプロ入りを目指した売り込みの為、横浜F・マリノス、大宮アルディージャなど数多くのJリーグチームの練習に参加していた。「当時から突破力は凄かった」と元大宮監督の三浦俊也は後に語っている。
- Jリーグへは在日外国人選手への特別枠を活用して入団。そのため、Jリーグの試合や日本サッカー協会が主催する天皇杯全日本サッカー選手権では、他の外国人とは別扱いで参加できた。しかし2007年のAFCチャンピオンズリーグでは同僚のブラジル人選手達との登録枠争いが生じた。結局、負傷で苦しむフランシスマールが外れ、鄭が出場可能となった。
- 2009年シーズンより、AFCチャンピオンズリーグ等でアジア・クウォータ制が採用され、Jリーグとの差は解消された。
- 鄭の川崎入団に伴い、それまで同チームの在日特別枠対象選手だった鄭容臺が退団した(期限付き移籍終了により)。
- 以前韓国CBSラジオ「キム・ヒョンジョンのニュースショー」のラジオインタビューにて出演した際、竹島問題に関し、カラオケの十八番に『独島は我らの領土』を挙げてインタビュー中に歌い、インタビューの最後に「独島は韓国の領土、当然です。」と答えたことがある。また、歌については「周りに気付かれないのか?」と言う質問に、「日本の人達は(朝鮮語が)解からないから大丈夫だ。」と答えている。他にも秋山成勲を例に挙げ「日本へ帰化する考えが無い」ことや、南北の現状の複雑な心境、「我が国(北朝鮮)に対する愛が分かるから、日本でも朝鮮人として堂々と生活しようという意向で選択しなかった」、「どうして我々が日本に住んでいるのか、歴史的な背景はよく理解している」、「一人の(サッカー)選手 だが、私の存在でそれ(平和)を示したい」ともインタビューで答えている。[1]。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| J1記念ゴール | ||
| 前回 13000ゴール 巻誠一郎 |
13500ゴール 鄭大世 2009.5.10 |
次回 14000ゴール |
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