鄭大世
|
|||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| 愛称 | テセ、人民のルーニー | ||||||
| カタカナ | チョン・テセ | ||||||
| ラテン文字 | CHONG Tese / JUNG Dae-se/Jong Tese | ||||||
| ハングル | 정대세 | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1984年3月2日(27歳) | ||||||
| 出身地 | |||||||
| 身長 | 181cm | ||||||
| 体重 | 81kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | FW | ||||||
| 背番号 | 未定 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
|
|||||||
| 代表歴 2 | |||||||
|
|||||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月30日現在。 2. 2010年6月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
|||||||
| ノートでこのテンプレートの色について意見を募集しています。 | |||||||
鄭 大世(チョン・テセ、정대세、1984年3月2日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表のサッカー選手。ポジションはフォワード (FW) 。ブンデスリーガ・1.FCケルン所属。韓国籍、愛知県名古屋市生まれの在日コリアン(3世)。
目次 |
[編集] 来歴
愛知朝鮮第二初級学校(日本の小学校に相当)4年生の時にサッカーを始める。朝鮮大学校体育学部に在籍し、蹴球部所属時には東京都大学サッカーリーグ下部でプレーする傍ら、サッカー代理人契約を結んだ田邊伸明の紹介を受け、プロ入りを目指してJリーグの数チームで練習生として参加。川崎フロンターレの練習に参加した際の、専修大学との練習試合で挙げた5得点などが評価され、卒業後の2006年に川崎に入団した(同大学から直接Jリーグへ進んだのは鄭が初めてである)。
初年度は交代出場が多かったものの、コンスタントに出場機会を得て、同年7月19日のJ1第13節・鹿島アントラーズ戦(カシマ)でJリーグ初得点を挙げた。
2007年にはAFCチャンピオンズリーグ2007にも出場し、このとき初めて訪れたという韓国での全南ドラゴンズ戦で得点を挙げ、川崎のグループリーグ突破に貢献した。また、同年10月28日に行われたJ1第30節・FC東京戦(味の素スタジアム)では、自身プロ入り初となるハットトリックを記録した。2007年シーズンの後半からはスタメンに定着しゴールを量産、12得点をあげた。
2007年6月にマカオで開催された東アジアサッカー選手権2008予選大会の北朝鮮代表に選出され、3試合で8ゴールを挙げ得点王となり、チームの本大会出場に貢献した。
2009年6月に所属する北朝鮮代表が44年ぶり2度目のワールドカップ出場を決めた。
東アジア選手権2008本選では、第1戦で日本代表から1得点(試合は引き分け、第2戦の韓国戦で1得点、第3戦中国戦でも1アシストを見せた。この活躍により、FIFA公式サイトでは朝鮮人選手として初となるロングインタビューが紹介された。
2010年6月ワールドカップのグループリーグ第1戦にて、FIFAランキング1位で優勝候補に挙げられたブラジルと対戦。ブラジルの圧倒的有利が予想されたが、0-2のビハインドから北朝鮮のゴールをヘディングでアシストするも、試合は1-2で敗れた。ワールドカップ後にドイツ・ブンデスリーガ2部のボーフムへ2年契約(1年間の延長オプション付き)で移籍が決定した。
2010-11年シーズンは、ホームでの開幕戦・1860ミュンヘン戦に先発出場し、2ゴールを決める活躍を見せ[1]、フリードヘルム・フンケル監督から「彼には驚かされている。あんなにオープンなアジア人は見たことがない。彼の成長を見るのが、毎日楽しみなんだ」と評価された[2]。このシーズン、チームは昇格プレーオフで敗れ、1部昇格は逃すも自身はリーグ戦10得点を挙げる活躍を見せた。
2012年1月、ブンデスリーガ1部・1.FCケルンへの移籍が発表された。
[編集] 人物
特徴的な容姿は、しばしば「パンストをかぶっているような顔」とたとえられ、これに対して本人は「『どんだけ失礼やねん!』ってキレながらも、ちょっとおいしいと思ってる」と心境を述べている[3]。テレビ番組『やべっちFC』では、「(`ε´)ノ」という顔文字で鄭が表されており、これはサポーターの横断幕にも描かれるほど定着している。本人のブログも、最後にこの顔文字が使用されている。敬語でも一人称は「オレ」を使う(マスコミ向けのインタビューでは「僕」を使用している)。
母校の愛知朝鮮中高級学校を度々訪れ蹴球部の指導をしている。またファジアーノ岡山の李彰剛とは初級学校から高級学校までチームメイトであり親交が深い。2歳上の兄はゴールキーパーであり、韓国のナショナルリーグに所属している。
[編集] 祖国への思い
鄭大世は父親の国籍と同じく韓国籍だが、朝鮮学校で教育を受けたため心の祖国は北朝鮮であり、かねてから「ずっと祖国(北朝鮮)の代表になりたかった」と語っていた[4]。そのため韓国籍を放棄して朝鮮籍を取得しようとしたが、韓国政府は北朝鮮を国家として承認していないため拒否され、在日本朝鮮人蹴球協会の助けを得て、韓国籍のまま北朝鮮のパスポートを取得し、FIFA(国際サッカー連盟)に北朝鮮代表としての出場を認めさせている[5]。スポーツライターの慎武宏は、韓国籍ながら北朝鮮代表として出場する鄭大世の人生について「歴史が生んだ矛盾」だと語っている[6]。
在日韓国人3世でありながら朝鮮語も非常に堪能ではあるが、母語は日本語であるため日本語訛りは抜けていない。北朝鮮・韓国メディアからの取材には朝鮮語で対応している。日韓リーグオールスター戦ではJリーグ代表として出場し、韓国Kリーグと対戦する心境を「国家の代表としては北朝鮮代表だが、今回は日本代表として出て少し複雑な心境だ」と吐露していた[7]。
夢は「北朝鮮代表としてワールドカップに出ること」であり、出場した2010 FIFAワールドカップの初戦・ブラジル戦では国歌斉唱時に感極まって涙した。試合後に「サッカーを始めたときから、この日をずっと想像していた。この大きな場所で世界一のブラジルと戦えたことをうれしく思う」と語った[8]。この涙は韓国でも話題となり「人民のルーニー」と呼ばれた[9]。また中国でも話題となり、動画サイト「優酷網」上で鄭大世に求婚する女性まで現れた[10]。
2010年7月に中央日報のインタビューを受け、2010 FIFAワールドカップの対ポルトガル戦で雨天用スパイクが足りず、性能も悪かったというエピソードを話し、記者から「韓国代表や日本代表に入ったほうが条件がいいのでは」と質問され、「金銭的な面や良い環境はプロチームで追求すればよい。自分にとって国家代表はお金ではなく信念を確認する舞台」と返答している。また「祖国は母のような存在で、変えることはできない」とも述べている。また韓国の印象について聞かれ「ワンダーガールズのファン。かわいいのもよいが、表現力が感動的なほど優れている。日本人の同僚とカラオケに行けば『独島はわが領土』をよく歌う。日本の友達も‘ウリタン(わが領土)’という部分を一緒に歌う」と返答している[11][12]。
2011年2月にZDFのインタビューにおいて、「自分はスポーツ選手であり、政治家ではない」[13]として北朝鮮の政治状況に関する質問には回答していない一方、前述の通り竹島に関しては政治的な立場を明確にしている。
[編集] Jリーグ準外国籍選手枠
Jリーグでは通常の外国人枠とは別に各クラブ1名まで出場することができる準外国籍選手枠(在日枠)を活用して入団。なお、同制度は日本の学校を卒業した者を対象としているため、鄭は朝鮮大学校在学中に通信制のクラーク記念国際高等学校にダブルスクールし、日本の高校を卒業している[14]。鄭の川崎入団に伴い、それまで同クラブの準外国人枠選手だった鄭容臺が期限付き移籍終了により退団した。
Jリーグの試合や日本サッカー協会が主催する天皇杯全日本サッカー選手権では、他の外国人とは別扱いで参加できたが、2007年のAFCチャンピオンズリーグでは同僚のブラジル人選手達との登録枠争いが生じた。結果としては負傷で苦しむフランシスマールが外れ、鄭が出場可能となった。2009年シーズンからはAFCチャンピオンズリーグ等でアジア・クウォータ制が採用され、Jリーグとの差は解消された。
[編集] エピソード
- 川崎在籍時の目標は川崎でのタイトル獲得と、Jリーグ得点王。憧れの選手は三浦知良、ドログバ。
- 朝鮮大学校体育学部在籍中の新体操の授業でバク転やバク宙を覚え、ゴールパフォーマンスとして定着していたが、失敗しねんざをして以降監督に禁止された。
- 大学在学中、プロ入りを目指した売り込みの為、横浜F・マリノスや大宮アルディージャなど数多くのJリーグチームの練習に参加していた。この時大宮の監督だった三浦俊也は後に「当時から突破力は凄かった」と語っている。
- ワールドカップのユニフォームの背中の名前のプリント部分に「J. TAE SE」の下に薄っすらと「A. YONG HAK」と名前の後が消された後がある。これはユニフォーム製作の際、安英学の名前をミスプリントし、再度鄭の名前がプリントされているため。本人は、「ミスったなら新しいのつくれよ。」と言いつつも、「ヨンハさんの魂を受け継いで試合頑張れる」とし、気に入っているとのこと。[15]
- ワールドカップのブラジル戦の試合後、ブラジル代表のロッカールームに突撃し、Jリーグ時代に独学で覚えたというポルトガル語を駆使してロビーニョとカカからユニフォームを貰った。更にクリスティアーノ・ロナウドともユニフォーム交換に成功。しかし憧れのドログバにユニフォーム交換を申し込もうとしたが、ドログバが先にユニフォームをスタンドに投げてしまった。コートジボワール代表ロッカーに突撃してそれに気付き、代わりにゾコラに交換してもらった。
- ドイツ移籍後はドイツでプレーする同じ日本出身の内田篤人や香川真司や長谷部誠や槙野智章と親交が深い。定期的に食事したりお互いの家に遊びに行ったり、一緒にサッカー観戦を楽しんだりしている。お互いの試合を観戦し、試合後に食事したり誰かの家に集まることが多い。欧州でプレーする日本人選手がドイツに集まり日本人会を開いており、鄭もよく参加している。欧州に行って間もない宮市亮も参加している。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2006 | 川崎 | 16 | J1 | 16 | 1 | 4 | 0 | 2 | 2 | 22 | 3 |
| 2007 | 24 | 12 | 5 | 2 | 4 | 3 | 33 | 17 | |||
| 2008 | 33 | 14 | 4 | 1 | 2 | 0 | 39 | 15 | |||
| 2009 | 9 | 29 | 14 | 5 | 2 | 4 | 3 | 38 | 19 | ||
| 2010 | 10 | 5 | - | - | 10 | 5 | |||||
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 2010-11 | ボーフム | 9 | ブンデス2部 | 25 | 10 | - | 1 | 0 | 26 | 10 | |
| 2011-12 | 14 | 4 | - | 1 | 1 | 15 | 5 | ||||
| ケルン | ブンデス1部 | - | |||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 112 | 46 | 18 | 5 | 12 | 8 | 142 | 59 | |
| ドイツ | ブンデス1部 | - | |||||||||
| ドイツ | ブンデス2部 | 39 | 14 | - | 2 | 1 | 41 | 15 | |||
| 総通算 | 151 | 60 | 18 | 5 | 14 | 9 | 183 | 74 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2007 | 川崎 | 16 | 7 | 2 |
| 2009 | 9 | 9 | 2 | |
| 2010 | 3 | 1 | ||
| 通算 | AFC | 19 | 5 | |
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
[編集] 参加大会
- 2007年: 東アジアサッカー選手権2008 予選
- 2008年
- 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
- 東アジアサッカー選手権2008 本選
- 2009年
- 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
- 2010年
[編集] 試合数
| 北朝鮮代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2007 | 3 | 8 |
| 2008 | 10 | 3 |
| 2009 | 7 | 1 |
| 2010 | 1 | 2 |
| 通算 | 21 | 14 |
[編集] 関連書籍
- 『大世―チョンテセ BIG WORLD』森雅史著、小学館クリエイティブ、2010年5月31日初版発行 ISBN 978-4778037154
[編集] 脚注
- ^ ボーフム鄭大世が2得点 ドイツ2部リーグ開幕戦、47news、共同通信、2010年8月24日発行。
- ^ ブンデスリーガに挑む日本人「言葉の壁」を乗り越えて (2/2)、スポーツナビ、2010年8月20日発行。
- ^ サッカー北朝鮮代表の鄭大世、「パンスト顔」OK、アメーバニュース、2009年5月20日発行。[リンク切れ]
- ^ 国籍変えても思い一つ、朝日新聞、2008年9月17日発行。
- ^ “魂”の証明――鄭大世(チョン・テセ)(2/2)、スポーツナビ、2008年2月26日発行。
- ^ 韓国籍に北朝鮮代表、鄭大世の人生は歴史が生んだ矛盾、中央日報、2010年7月8日発行。
- ^ 재일동포 정대세 "독도는 당연히 한국땅!"、韓国NAVER/CBSノーカットニュース、2008年7月16日発行。
- ^ 鄭大世、W杯ピッチで男泣き「背負って戦う国は1つ」、朝日新聞、2010年6月16日発行。
- ^ 鄭大世の涙、韓国で人気沸騰「人民のルーニー」、産経新聞、2010年6月17日発行。
- ^ 中国でチョン・テセ人気、「美乳少女が求婚」も評判に、サーチナ、2010年7月7日発行。
- ^ 鄭大世「雨天用スパイクなかったわけではないが…」、中央日報、2010年7月7日発行。
- ^ 鄭大世「韓日がうらやましいが、祖国は変えられない」、中央日報、2010年7月7日発行。
- ^ Chong Tese: Star aus dem Schattenreich、ZDF.de Sport、2011年2月25日発行。
- ^ 『大世―チョンテセ BIG WORLD』森雅史著 p91
- ^ ついにきました!!、鄭大世公式ブログ、2010年6月9日発行。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- チョン・テセ オフィシャルブログ「BIG WORLD」
- 鄭 大世 (ChongTese9) - Twitter
- 公式プロフィール(2010年度版、川崎フロンターレ公式サイト内)
- ロングインタビュー(2009年末)
- コラム 闘争心と誠実さを胸に世界へ 鄭大世のちょっと「見上げた話」【OCNスポーツ】
|
|
|---|
|
1 レンジンク | 2 ブレチュコ | 3 ジェマル | 4 アイヒナー | 5 リーター | 6 ペッツォーニ | 7 フライス | 8 プティ | 10 ポドルスキ | 11 ノヴァコヴィッチ | 12 アンドレジーニョ | 13 ラニヒ | 14 ヨニツァ | 15 ペシュコ | 17 セレノ | 19 ヤヤロ | 20 シヒ | 21 ジェロメウ | 22 ヴァルヴォディッチ | 23 マッケンナ | 24 シュヴァブケ | 25 マトゥシュチク | 26 ホルン | 27 クレメンス | 28 ロシ | 29 ブフトマン | 30 サヌ | 31 ウッズ | 38 キアルカ | 未定 鄭 監督: ソルバッケン |
|
||||||||
|
|||||||
|
|||||||