羽生直剛
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| 羽生 直剛 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | はにゅー、にゅー | |
| カタカナ | ハニュウ ナオタケ | |
| ラテン文字 | HANYU Naotake | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1979年12月22日(29歳) | |
| 出身地 | 千葉県 | |
| 身長 | 167cm | |
| 体重 | 63kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | FC東京 | |
| ポジション | MF | |
| 背番号 | 22 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2002-2007 2008-現 在 |
ジェフ市原/千葉 FC東京 |
165 (24) 27 (1) |
| 代表歴 | ||
| 2006-2008 | 17 (0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月9日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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羽生 直剛(はにゅう なおたけ、1979年12月22日 - )は、千葉県千葉市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。Jリーグディビジョン1 (J1) ・FC東京所属。筑波大学卒業。
目次 |
[編集] 来歴
千葉県立八千代高校を経て筑波大学に進学。巻誠一郎(駒澤大学)らとともに2001年ユニバーシアード北京大会に出場し、決勝戦(対ウクライナ戦)での決勝点を含む3得点を挙げた[1]。
大学卒業後の2002年にジェフユナイテッド市原に入団。3月3日、開幕戦の対京都パープルサンガ戦(市原臨海)で初出場を果たす。初得点は11月9日の対浦和戦(国立)[2]。このシーズンは新人でありながら、リーグ戦とカップ戦を合わせて32試合に出場し、2得点を記録した。
2006年、元ジェフ千葉監督のイビチャ・オシムが日本代表監督に就任すると、代表合宿に招集され、同8月13日のアジアカップ2007予選、対イエメン戦でA代表初出場を果たした。翌年の本選にも代表メンバーとして参加し、5試合に出場(すべて途中出場)。3位決定戦の対韓国戦では、PK戦で6人目のキッカーとなったがこれを外し、日本代表は4位の戦績でこの大会を終了した[3]。
2008年、J1・FC東京へ完全移籍。「この度、ジェフユナイテッド市原・千葉を離れる決断をすることになりました。自分を育ててくれた愛着の強いクラブを離れることはとてもつらいことです。移籍のオファーをいただいてから決断するまでに相当な時間を要しました。しかし、特に代表に呼ばれるようになってから、多くの貴重な経験をさせていただくと同時に、自分に足りないものをより痛感するようになり、残されたサッカー人生の中でより多くの進化をしていくためには、このタイミングで新しいチャレンジをすることがベストであると考え、移籍を決断しました。地元千葉を離れる決断はつらいものですが、ジェフサポーターの皆さんからいただいた応援を胸に新しいステージに挑みたいと思います。長い間、本当にありがとうございました。」とのコメントを残している。
[編集] プレースタイル
トップ下、1.5列目でシャドウストライカーの役割を担う。攻撃時には身長167cmという小柄な体格、スピードと豊富な運動量を活かして、相手選手のフィジカルコンタクトを掻い潜り、ディフェンスラインの裏へ飛び出す。前線の至るところに顔を出して敵陣を引っ掻き回し、また守備時にも労を惜しまず、ボールを追って走り回る献身的なプレーも見せる。
[編集] 人物
- 明るく、いじられキャラ的存在。
- ジェフ千葉時代の同僚である阿部勇樹に尊敬されており、阿部が浦和レッズに移籍の際は「羽生さんみたいになりたいから22番にしました」と言ったが、羽生は「後付けでしょ(笑)まあ、そう言われるのはありがたいけど」と言った。
- 2007年やべっちFCの正月特番にて「宇宙人など言われる為あだ名を提案して欲しい」と矢部浩之に頼んだところ、前田有紀アナウンサーが「走るかわいい」というあだ名を考え付いた。しかし、2008年現在そのあだ名は定着していない。
- 約2年間交際していた女性(真理夫人)と2007年5月1日に入籍をした。 関係者によると「真理夫人は身長は167cmぐらいで美形な方」とのこと。
- 2008年3月28日に長女が誕生。『大切な家族が一人増えたので、サッカー選手としても人間としても、さらにステップアップ出来るよう頑張ります』。それを記念し3月30日の京都サンガ戦で「ゆりかごダンス」を披露した。
- サッカーにおいて持久力の目安として用いられるクーパー走(12分間に走れる距離)ではプロ選手としての基準とされる3200メートルを大きく超える4000メートルを誇っている[要出典]。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 1986年 - 1991年 千葉市立横戸小学校(こてはし台SC)
- 1992年 - 1994年 千葉市立こてはし台中学校
- 1995年 - 1997年 千葉県立八千代高等学校
- 1998年 - 2001年 筑波大学
プロ経歴
- 2002年 - 2007年 ジェフユナイテッド市原/ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2008年 - 現 在 FC東京
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999 | 筑波大 | 9 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
| 2000 | 筑波大 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | |||
| 2002 | 市原 | 22 | J1 | 23 | 2 | 5 | 0 | 4 | 0 | 32 | 2 |
| 2003 | 市原 | 22 | J1 | 25 | 6 | 2 | 0 | 3 | 1 | 30 | 7 |
| 2004 | 市原 | 22 | J1 | 25 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 31 | 1 |
| 2005 | 千葉 | 22 | J1 | 31 | 2 | 10 | 2 | 1 | 0 | 42 | 4 |
| 2006 | 千葉 | 22 | J1 | 32 | 7 | 4 | 0 | 1 | 0 | 37 | 7 |
| 2007 | 千葉 | 22 | J1 | 29 | 6 | 4 | 1 | 1 | 0 | 34 | 7 |
| 2008 | FC東京 | 22 | J1 | 27 | 1 | 4 | 0 | 3 | 0 | 34 | 1 |
| 2009 | FC東京 | 22 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 192 | 25 | 35 | 3 | 13 | 1 | 240 | 29 | |
| 日本 | 他 | - | - | 3 | 0 | 3 | 0 | ||||
| 総通算 | 192 | 25 | 35 | 3 | 16 | 1 | 243 | 29 | |||
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 17試合 0得点(2006年 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2006 | 5 | 0 |
| 2007 | 7 | 0 |
| 2008 | 5 | 0 |
| 通算 | 17 | 0 |
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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