阿部勇樹
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| 阿部 勇樹 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | アベちゃん | |
| カタカナ | アベ ユウキ | |
| ラテン文字 | ABE Yuki | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1981年9月6日(27歳) | |
| 出身地 | 千葉県市川市 | |
| 身長 | 177cm | |
| 体重 | 77kg | |
| 血液型 | B型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF / DF | |
| 背番号 | 22 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1998-2006 2007- |
ジェフ市原/千葉 浦和レッドダイヤモンズ |
214 (36) 79 (10) |
| 代表歴2 | ||
| 2005- | 38 (3) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年5月24日現在。 2. 2009年6月17日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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阿部 勇樹(あべ ゆうき、1981年9月6日 - )は、日本のプロサッカー選手。千葉県市川市出身。Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズ所属。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダーとさまざまなポジションをこなせるユーティリティープレイヤー(後述)。
目次 |
[編集] 来歴
1998年8月5日、J1リーグファーストステージ第16節 ガンバ大阪戦(万博)で、16歳と333日でJリーグ初出場。市原ユースの先輩で当時チームメイトだった山口智の記録を破り、当時のJ1最年少記録を打ち立てた[1]。
各年代別で中心選手として活躍し、2004年、アテネオリンピックに出場。
2005年1月29日のカザフスタンとの親善試合(横浜国際競技場)でA代表初出場を果たし、2006年8月16日のアジアカップ予選、イエメン戦で初得点を決める。
ジェフ千葉時代は当時22歳ながら監督のイビチャ・オシムからキャプテンを任され、又セットプレーでの強さ(ヘディングの強さ、FK)を認められ、2005年のリーグ戦では守備的MFながら12得点(うち1回はハットトリック)を挙げた。2005、2006年のナビスコ杯でジェフ千葉を連覇に導いた立役者でもある。
2007年1月12日、浦和レッズへの移籍が決まり、1月22日に正式契約を結ぶ[2][3]。7月19日、第一子となる長男が誕生。
[編集] プレースタイル
本来はセントラルミッドフィルダーだが、本職のボランチの他に3バックのリベロやセンターバック、更に左右のウィングバック、サイドバックもこなせるなど、高いポリバレント能力を持つ。
- 攻撃
和製ベッカムと呼ばれるほど精度の高いFKを蹴る。アテネ五輪予選において結果次第で本大会出場が危なくなるレバノン戦で先制の直接フリーキックを決めたり、アテネ五輪本大会1次リーグではピルロ、デ・ロッシなどを擁したイタリア代表を相手にフリーキックを直接決めたりしている。ヘディングが強く、セットプレーでは中で合わせる方の役目に回っても活躍を期待でき、ヘッドで数多くのゴールを決めている。それも関係しているのかキッカーを他の選手に譲ることも多い。 2008年8月9日の柏レイソル戦では、右サイドからのボールをペナルティーアークの辺りでダイレクトで合わせ、ゴールキーパーが一歩も動けないスーパーゴールを決めており、ミドルシュートを決めたり、後方から最前線に進出して得点を奪うプレーも見せる。 さいたまシティカップバイエルン・ミュンヘン戦、アジアカップ2007準決勝サウジアラビア戦ではオーバーヘッドキックを決めている。2008年5月3日のヴィッセル神戸戦でも右からの折り返しをオーバーヘッド気味にダイレクトボレーで決めるプレーを見せた。 千葉時代に2年連続で2ケタゴールを記録するなど攻撃センスは高いものを持っている。(特に2005年にマークしたリーグ戦12ゴールは佐藤寿人、大黒将志につぎ、前田遼一、巻誠一郎と並んで日本人3位タイの数であった)Jリーグでは、2005年、2006年、2007年と3年連続でベストイレブンに選出されている。 FIFAクラブワールドカップ2007では、浦和レッズからただ1人大会のMVP候補8人に選ばれている。(このときMVPを獲得したのは当時ACミランの選手であったブラジル代表のカカ) その実力は歴代の日本代表監督にも認められており、フィリップ・トルシエの下では、小野伸二、稲本潤一、遠藤保仁、小笠原満男、中田浩二などを擁して準優勝を成し遂げた1999 FIFAワールドユース選手権を始めとして代表候補入りを果たしており、ジーコ、岡田武史の下でも代表に選出され試合に出場している。 中でもイビチャ・オシム前日本代表監督の信頼は厚く「阿部が鈴木啓太ほど走れたら今ごろはヨーロッパにいる」と語るほどである。 オシム前日本代表監督の愛弟子として「人もボールも動くサッカー」を体現できる1人。
- 守備
さまざまなポジションに適応することができ、ヘディングの強さなども含めて対人での守備力が高い。アジアカップ2007準々決勝オーストラリア戦では、相手の長身FWマーク・ヴィドゥカにヘッドで競り勝つ場面もあった。効果的なカバーリングも見せることがあり、足元の技術に優れるため後方からのパス出しにも期待できる。本職のボランチでは攻守に総合力の高い日本トップレベルのパフォーマンスをみせる。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴(出身校)
- 富美浜FC
- 1988年 - 1993年 市川FC(市川市立富美浜小学校)
- 1994年 - 1996年 ジェフユナイテッド市原ジュニアユース(市川市立福栄中学校)
- 1997年 - 1999年 ジェフユナイテッド市原ユース(東京学館浦安高校)
- プロ経歴
- 2000年 - 2006年 ジェフユナイテッド市原 / ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2007年 - 浦和レッドダイヤモンズ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998 | 市原 | 31 | J | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
| 1999 | 市原 | 29 | J1 | 30 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 33 | 1 |
| 2000 | 市原 | 8 | J1 | 25 | 0 | 3 | 0 | 3 | 2 | 31 | 2 |
| 2001 | 市原 | 6 | J1 | 17 | 3 | 2 | 0 | 2 | 0 | 21 | 3 |
| 2002 | 市原 | 6 | J1 | 24 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 29 | 1 |
| 2003 | 市原 | 6 | J1 | 27 | 3 | 3 | 0 | 4 | 0 | 34 | 3 |
| 2004 | 市原 | 6 | J1 | 24 | 5 | 5 | 1 | 1 | 0 | 30 | 6 |
| 2005 | 千葉 | 6 | J1 | 33 | 12 | 10 | 5 | 1 | 0 | 44 | 17 |
| 2006 | 千葉 | 6 | J1 | 33 | 11 | 8 | 2 | 1 | 0 | 42 | 13 |
| 2007 | 浦和 | 22 | J1 | 33 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 34 | 3 |
| 2008 | 浦和 | 22 | J1 | 33 | 6 | 1 | 0 | 1 | 0 | 35 | 6 |
| 2009 | 浦和 | 22 | J1 | 13 | 1 | 2 | 0 | 15 | 1 | ||
| 通算 | 日本 | J1 | 283 | 46 | 38 | 8 | 18 | 2 | 349 | 56 | |
| 総通算 | 293 | 46 | 38 | 8 | 18 | 2 | 349 | 56 | |||
- 1998年と1999年はユース所属。
| 国際大会個人成績 | FIFA | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
| 2007 | 浦和 | 22 | 12 | 3 | 3 | 0 |
| 2008 | 浦和 | 22 | 4 | 0 | - | |
| 通算 | AFC | 16 | 3 | 3 | 0 | |
[編集] チームタイトル
- ジェフユナイテッド千葉
- 浦和レッズ
[編集] 個人タイトル
- 2005年 - ナビスコカップニューヒーロー賞[4]、Jリーグ ベストイレブン
- 2006年 - Jリーグ ベストイレブン
- 2007年 - Jリーグ ベストイレブン
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会
- U-23
- 2002年 釜山アジア競技大会
- 2004年 アテネオリンピック
- A代表
- 2005年 東アジアサッカー選手権2005
- 2007年 アジアカップ2007
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 38試合 3得点(2005年 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2005 | 5 | 0 |
| 2006 | 8 | 1 |
| 2007 | 11 | 1 |
| 2008 | 9 | 0 |
| 2009 | 5 | 1 |
| 通算 | 38 | 3 |
[編集] ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2006年8月16日 | 日本、新潟市 | ○2-0 | AFCアジアカップ2007 (予選) | |
| 2. | 2007年7月25日 | ベトナム、ハノイ | ●2-3 | AFCアジアカップ2007準決勝 | |
| 3. | 2009年5月27日 | 日本、大阪市 | ○4-0 | キリンカップ |
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
- ^ 2002年にFC東京の呉章銀によって破られるが、日本人選手としては2003年、サンフレッチェ広島の高萩洋次郎に、さらにJ1の日本人選手としては2004年、東京ヴェルディ1969(当時)の森本貴幸に破られるまで最年少であった。
- ^ 移籍の理由は「(2006年Jリーグ優勝、及び2007年天皇杯優勝により)ACLに2年連続で出場することが確定している。海外の強いクラブと対戦し、自分自身を高めていける環境を、浦和レッズは備えていた」とインタビューで話している
- ^ 移籍が決定後、浦和側が阿部に対して、筆頭株主である三菱自動車製の車に乗り換えなくても良いと認めていたのだが、気持ちを一新させたいという阿部本人の意向で、千葉時代から所有する愛車ベンツを売却して三菱製のパジェロに乗り換えた。
- ^ 受賞時は24歳2ヵ月程であったが、受賞条件が大会開幕時点で満23歳以下の選手であったため、受賞の対象となった。
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