パベル・ジェハーク

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パベル・ジェハーク Football pictogram.svg
名前
カタカナ パベル・ジェハーク
ラテン文字 Pavel Řehák
基本情報
国籍 チェコの旗 チェコ
生年月日 1963年10月7日(50歳)
出身地 ムラダー・ボレスラフ
身長 178cm[1]
体重 72kg[1]
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1991 スラヴィア・プラハ 151 (37)
1991-1994 東日本JR古河/ジェフユナイテッド市原 69 (25)
1995-1996 東芝/コンサドーレ札幌 39 (16)
1997-1998 スラヴィア・プラハ 24 (3)
1998 Petra Drnovice 11 (0)
1999 横浜FC 20 (8)
監督歴
2005 ヴィッセル神戸
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

パベル・ジェハーク(Pavel Řehák, 1963年10月7日 - )は、チェコ出身の元サッカー選手でありサッカー指導者。日本における登録名はパベル

経歴[編集]

選手時代[編集]

ムラダー・ボレスラフで生まれ[2]、10歳でプラハに転居[3]。新居がスラヴィア・プラハの敷地の近くだったことから自身もスラヴィアのファンになり、11歳からスラヴィアで本格的にサッカーを始める[3]。1984年にクラブとプロ契約を結ぶ[4]。スラヴィアでは25歳から2シーズンのあいだキャプテンも務めた[3]。U-21チェコスロバキア代表として4試合に出場した経験を持つ[3]

日本移籍の直前にはスペイン2部ヘレスへの移籍話があり、すでに現地に出向いてテストも行っていたが、移籍金の交渉でスラヴィアと折り合わず破談した[3]。1991年、日本サッカーリーグ(JSL)の最終シーズンに東日本JR古河(翌年からはジェフユナイテッド市原に改称)。古河電気工業は当時アイスホッケー部を有しており、その監督がチェコ人のボフミル・プロシェクだったことから、彼のつてを頼って同国人のパベルの獲得が進んだ[3]Jリーグ元年の1993年シーズンは31試合に出場して得点ランキング5位の16ゴールを記録。第5節横浜マリノス戦では相手選手の野田知を肘打ちし、Jリーグ史上初めてレッドカードを掲示された選手になった[3]

市原ではフランク・オルデネビッツネナド・マスロバルといった選手の加入により試合出場が減り[3]、1995年はJFL東芝サッカー部に2年契約で移籍[3](クラブは翌年移転してコンサドーレ札幌に改称)。札幌退団後は古巣のスラヴィア・プラハに復帰し、1997-98シーズンまでプレーを続けた[3]

引退から半年後、市原時代の同僚だったピエール・リトバルスキーから誘われる形で、彼が監督を務めるJFLの新クラブ横浜FCに選手兼コーチとして加入[3]。現役生活最終シーズンとなった1999年のJFLでは20試合8ゴール、第2節水戸ホーリーホック戦ではハットトリックも記録した[3]

指導者時代[編集]

引退後は古巣のSKスラヴィア・プラハでユース監督を経て、2001年からトップチームのコーチを務める[4]

2004年からは同じチェコ人のイワン・ハシェックが監督を務めるヴィッセル神戸のコーチに就任した[3][4]2005年4月に当初監督を務めた松永英機の解任とエメルソン・レオンの新監督就任が発表されると、パベルは新監督就任までのあいだ監督代行として1試合のみ指揮をとり[5]、レオンの監督就任後は現場から離れて育成部コーディネーターのポストに就いたものの[6]、そのレオンもわずか2ヶ月で解任された後現場に復帰、監督に就任した。

しかし、三浦淳宏播戸竜二など主力に故障者が続出したチームは低迷。パベルは主将の三浦知良(カズ)をスタメンから外し、さらに選手間の投票によって主将を選び直す(後任は三浦淳)[7]などしたが一向にチーム状況は上向かなかった。その後、カズは7月に横浜FCに完全移籍した。結局、チームは31節の大宮アルディージャ戦に敗れてJ2に降格。シーズン終了後に退任した。

2007年1月から古巣のSKスラヴィア・プラハでカレル・ヤロリームの下でアシスタントコーチに就任し[2]、2度のリーグ優勝(2007-08、2008-09)を経験した[2]。2010年6月からはリザーブチームの監督を務めた[2]

2011年8月、ヤロリームが監督を務めるサウジアラビアのアル・アハリのアシスタントコーチ就任が発表された[2]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
チェコスロバキア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1984-85 スラヴィア・プラハ 13 1
1985-86 18 3
1986-87 25 7
1987-88 26 4
1988-89 25 13
1989-90 20 2
1990-91 24 7
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1991-92 JR古河 27 JSL1部 22 8 0 0
1992 市原 - J - 9 3
1993 31 16 5 3 3 3 39 22
1994 16 1 1 0 0 0 17 1
1995 東芝 9 旧JFL 23 11 - 1 0 24 11
1996 札幌 16 5 - 3 1 19 6
チェコ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1996-97 スラヴィア・プラハ ガンブリヌス 14 3
1997-98 10 0
1998-99 Drnovice 11 0
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1999 横浜FC 10 JFL 20 8 - 3 4 23 12
通算 チェコスロバキア 151 37
チェコ ガンブリヌス 35 3
日本 J 47 17 15 6
日本 JSL1部 22 8 0 0
日本 旧JFL 39 16 - 4 1 43 17
日本 JFL 20 8 - 3 4 23 12
総通算 314 89

その他の公式戦

指導歴[編集]

  • チェコの旗 2000年-2001年 SKスラヴィア・プラハ(ユース監督)[4]
  • チェコの旗 2001年-2004年 SKスラヴィア・ソフィア(コーチ)[4]
  • 日本の旗 2004年-2005年 ヴィッセル神戸(コーチ)[4]
  • 日本の旗 2005年5月-7月 ヴィッセル神戸(育成部コーディネイター)[4]
  • 日本の旗 2005年7月-12月 ヴィッセル神戸(監督)[4]
  • チェコの旗 2007年1月-2010年 SKスラヴィア・プラハ(アシスタントコーチ)[2]
  • チェコの旗 2010年6月-2011年 SKスラヴィア・ソフィア(リザーブ監督)[2]
  • サウジアラビアの旗 2011年- アル・アハリ(アシスタントコーチ)[2]

監督成績[編集]

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 ナビスコ杯 天皇杯
2005 J1 神戸 18位 24 12 2 6 16 - 4回戦
  • 2005年の順位は最終順位。

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』p77
  2. ^ a b c d e f g h http://www.slavia.cz/media/archiv/actuality=slavia-uvolnila-trenera-pavla-rehaka-do-saudskoarabskeho-al-ahli-10146
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 加部 2005
  4. ^ a b c d e f g h パベル・ジェハーク監督帰国のお知らせ [ 神戸 ](05.12.14)”. J's GOAL (2005年12月14日). 2012年10月7日閲覧。
  5. ^ 【J1:第7節 大分 vs 神戸 プレビュー】前節に続き4バックで連勝狙う大分。成績不振で監督解任の神戸は、自信回復のためにも白星が欲しい。(05.04.22)”. J's GOAL (2005年4月22日). 2012年10月7日閲覧。
  6. ^ トップチームコーチングスタッフ編成変更のお知らせ [ 神戸 ](05.05.02)”. J's GOAL (2005年5月2日). 2012年10月7日閲覧。
  7. ^ 【J1:第15節 神戸 vs 清水 プレビュー】新キャプテン・三浦淳宏を中心に、神戸は待望の白星を挙げられるか?!(05.07.08)”. J's GOAL (2005年7月8日). 2012年10月7日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]