横浜FC
| 横浜FC | |
|---|---|
| 原語表記 | 横浜FC |
| クラブカラー | 白[1] 水色[1] 青[1] |
| 創設年 | 1999年 |
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | Jリーグ ディビジョン2 |
| クラブライセンス | J1・J2 |
| ホームタウン | 神奈川県横浜市[1] |
| ホームスタジアム | ニッパツ三ツ沢球技場[1] |
| 収容人数 | 15,454[1] |
| 運営法人 | 株式会社横浜フリエスポーツクラブ[1] |
| 代表者 | 北川浩史[1] |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 〒240-0045[1] 神奈川県横浜市保土ヶ谷区川島町522-3[1] |
| 設立 | 1998年12月25日[1] |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | サッカークラブの運営 |
| 代表者 | 北川浩史[1] |
| 資本金 | 3億4,364万円[2] |
| 売上高 | 10億4,600万円 (2012年1月期)[3] |
| 経常利益 | 1,700万円 (2012年1月期)[3] |
| 営業利益 | 1,900万円 (2012年1月期)[3] |
| 純利益 | 1,500万円 (2012年1月期)[3] |
| 純資産 | 2,700万円 (2012年1月期)[3] |
| 総資産 | 2億8,700万円 (2012年1月期)[3] |
| 決算期 | 1月期 |
| 主要株主 | フィートエンターテイメント 33.7%[4][5] |
| 関係する人物 | 奥寺康彦、辻野臣保 |
| 外部リンク | http://www.yokohamafc.com |
横浜FC(よこはまエフシー、Yokohama F.C.)は、日本の神奈川県横浜市をホームタウンとする日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
概要 [編集]
2001年にJリーグ加盟[1]。運営会社は株式会社横浜フリエスポーツクラブ[1]、ホームスタジアムはニッパツ三ツ沢球技場[1]、練習場は横浜FC LEOCトレーニングセンターである[1](詳細は#スタジアム、#練習場を参照)。
クラブマスコットは「フリ丸」であり、「宇宙人」をモチーフとしている[1]。創設当初はマスコットを置いていなかったが、結成10周年を迎えた2008年12月に「オフィシャルクラブマスコット」が登場し名称を公募することを発表した[6]、2009年1月18日の新体制発表記者会見で名前が発表された。
クラブ名に愛称は無いが、いずれはフリューゲルスを名乗ると思われた。しかし奥寺康彦は名称継承する事を否定した為、フリューゲルス襲名希望のサポーターグループが解散した経緯がある。[要出典]
その後、2005年10月に行われたサポートミーティングでは、サポーター側から現行のチーム名で継続してほしいとの提案が出された。これには、横浜Fサポーターが立ち上げたチームであるものの横浜Fと横浜FCは全くチーム体質が違うことや、フリューゲルスの版権(商標権)が横浜F・マリノスにあること(Fはフリューゲルスを指している)等が挙げられている。[要出典]
ソシオ・フリエスタ [編集]
横浜FCは企業の資本に頼らない純市民参加型のサッカー・スポーツクラブ作りを目指すという観点で、クラブ運営の核となる任意組織「ソシオ・フリエスタ」を設立した。モデルはスペインのプロサッカークラブFCバルセロナとされている。同クラブも一般市民から集めた会費を基としてサッカークラブを中心とした様々なスポーツクラブ活動を展開してきた。
横浜FCも創設当初は市民から会員(ソシオ)を募集した。会員は会費をクラブに納める見返りとして、希望者への年間指定席の斡旋の他、試合会場や各種イベントでの運営アシスタント(ボランティア)への登録やクラブ上層部との意見交換会などに出席できる権利を得ることが出来た。この試みは日本の新しいスポーツクラブ運営のモデルとしてマスコミなどからも注目されていた。[要出典]
しかし、J2加入が確定した2001年年頭ごろから問題が表面化した。[要出典]ソシオの役員改選選挙が実施されている最中、ソシオの会員宛に突如、運営会社の株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜FSC)から「協約書」が送付された。その内容は「ソシオ会員は全員横浜FSCと直接契約を結ぶことを求める」もので、「本協約書にご賛同いただけず退会を希望される方には、ご返金いたします」という内容だった。
ソシオとの協議で、横浜FSCは「ソシオの会費は当初から運営会社の運営費として捻出されることになっていたが、理事会の承認なしに運営費を拠出できないのは責任ある球団経営が見込めないと判断した」と主張し、これまでのソシオとの協定書を破棄することを宣言した。
結局、横浜FSC側はソシオに代る新しいチームの後援組織「横浜FCクラブメンバー」を2001年9月に発表。新社長に就任した奥寺保有の株式をソシオ会員ではなく、クラブメンバーに割り当てること、また会員には「サッカーをする・ふれるといった体験型のイベントを充実させる」ことや「個人情報の管理・責任をより徹底・明確にする」ことなどを提案。名称についてもソシオの名前が係争中だったことから別の名前に変更したという。[要出典]これにはソシオ理事会側が遺憾の意を示す。
その後ソシオ側は横浜FSCに対し、ソシオの会費の一部(740万円相当)と会員名簿の返還を求めるよう横浜地方裁判所に仮処分申請を行ったが、2002年1月に却下された。ソシオ側は東京高等裁判所に即時抗告を行ったが、これも2003年に却下された。その趣旨は「入会事務・会員名簿の作成は運営会社から委託された業者が行い、団体として内部的にも自立して運営されているとは認めがたいから、ソシオは(法人格を有しない団体でも例外的に当事者能力が認められる)民事保全法7条・民事訴訟法29条の『法人でない社団』とは認められない。よって、当事者能力がないから、申立ては不適法である」というものだった[7]。
その間、横浜FSCが「ソシオの名称は横浜FSC側に商標登録がある。このまま使用を続けるのなら法的な処置も辞さない」とソシオ側に通告を行い、2003年、ソシオ側はその名称を「ソシオ・フリエスタ」から「ソシオ横浜」に変更した。横浜FSC側の主要スタッフの交代も追い風となって、同年9月、ソシオ横浜と横浜FSCは和解合意書に調印し、2年以上に及んだ横浜FSCとソシオの対立はこうして区切りを迎えた。なお、ソシオ横浜は合意書を踏まえて、ソシオ横浜として「横浜FCクラブメンバーのグループメンバー」にも加入している(2008年現在)。
歴史 [編集]
1999年-2000年(JFL) [編集]
1999年 [編集]
「横浜フリューゲルス」も参照
1998年シーズンを以て横浜フリューゲルス(横浜F)が横浜マリノス(横浜M)に吸収合併されることが決定したことを受けて、横浜Fのサポーター達によって横浜FCの運営会社となる株式会社横浜フリエスポーツクラブが12月25日が設立された[2]。
合併の手続き終了後、サポーターは「フリューゲルス」という名称の譲渡を申し入れたが、この名称を使用するチームが必要との回答もあったため、出資企業の経営に左右されない市民クラブを設立した。[要出典]
新設クラブの横浜FCは神奈川県社会人サッカーリーグからスタートするのが決まりであったが、、日本サッカー協会は特例として日本フットボールリーグ(JFL)に「準会員」資格で参加することを承認した[2]。なお、Y.S.C.C.との統合案が挙がったが、それは白紙となった。[要出典]
なお、準会員参加の条件として、同年のJFLで4位以内ならば翌年のJFLに正会員として参加し、5位以下に終われば地域リーグ所属クラブがJFL昇格をかけて争う全国地域リーグ決勝大会への参加を義務付けることになっていた。[要出典]ゼネラルマネージャー(GM)に奥寺康彦、監督にピエール・リトバルスキー、コーチに阪倉裕二が就任。また、パベル・ジェハークを含む元Jリーガー22人と選手契約した。初の公式戦は横浜国際総合競技場でジヤトコFC戦で対戦(JFL第2節(4月25日)し、引き分け。第3節(5月3日)の水戸ホーリーホック戦で初勝利を収めた。JFLリーグ戦は18勝3分3敗の成績でJFLの初代優勝チームとなった。天皇杯は、3回戦でV川崎に敗退。
2000年 [編集]
2000年、JFL「正会員」となった[1]。、また、Jリーグ準会員として承認された。ソシオ制度を巡る内紛、責任企業不在による資金難などクラブ運営は迷走を始めたが[要出典]、Honda FCから水原大樹や田島宏晃を獲得。リーグ戦は首位を独走し、JFL後期第7節の国士舘大学サッカー部を破り、Jリーグ加盟条件の2位以内が確定。JFL後期第8節で静岡産業大学に勝利して2年連続のJFL優勝を決めた。シーズン終了後、2001年からのJリーグ加盟が承認され、J2参加が決まった。
2001年-2006年(J2) [編集]
2001年 [編集]
リトバルスキーがバイエル・レバークーゼンのコーチ就任に伴い監督を退任。新潟元監督の永井良和が後任監督に就任したが、シーズン途中に退任し、9月に信藤健仁が監督に就任した。J2初年度は12チーム中9位の成績。初参加となったナビスコカップは1回戦でJ1の東京Vに勝利(2回戦で川崎に敗退)、天皇杯は3回戦でJ1のFC東京に勝利を収めた(4回戦で川崎に敗退)。
2002年 [編集]
- キャッチフレーズ :「超攻撃的。2-4-4は横浜FC」
信藤が監督を続投。迫井深也や吉本岳史を期限付き移籍で、廣長優志を完全移籍で獲得。また、元横浜Fのアルゼンチン人DFのフェルナンド・ダニエル・モネールが入団した。 この年は、DFが2人でゴール前を守り、通常の4-4-2ならば両サイドの守備を固めるサイドバックがより前に位置して積極的に攻撃するというシステム"2-4-4" (2-4-3-1)を取った。 スペイン・リーガ・エスパニョーラの攻撃性を愛好する信藤がこだわる戦術だったが、スペースを与えられた相手のサイド攻撃を誘発する結果を招き[要出典]、勝ち点・失点数共に初のリーグ最下位となり、信藤はシーズン終了後に監督を退任。
2003年 [編集]
- キャッチフレーズ:「ガムシャラ 〜原点を思い出せ。迷うな、負けるな、強くあれ!〜」
初代監督のリトバルスキーが監督に就任。後藤義一や有馬賢二が引退、廣長が移籍した一方、城彰二、ルディ・バタ、マシューなどを獲得。なお、引退後に後藤はコーチを務めていたがシーズン途中に現役に復帰した。最終成績は12クラブ中の11位。
2004年 [編集]
- キャッチフレーズ:「PLAYER'S POWER 〜勝利をつかめ〜YOKOHAMA FC SPIRITS」
リトバルスキー体制2年目。ジェフェルソン、トゥイード、中島崇典などを獲得。城がキャプテンとなった。開幕戦で仙台に4-0で圧勝し、第17節まで4勝12分1敗の成績。第18節から4連敗したが、最終順位はJ2昇格後最高の8位。なお、シーズン44試合中の22試合が引き分けであった。シーズン終了後にリトバルスキーが監督を退任した。
2005年 [編集]
- キャッチフレーズ:「MAKE PROGRESS」
2005年6月、学校・病院給食や企業の社内食堂を展開するレオックジャパンの関連会社・フィートエンターテイメント社が横浜FCの第三者割当増資を引き受けて事実上のオーナーに就任した。「現在の地域密着型チーム運営の形態を維持する」とフィート社は示している。
JAPANサッカーカレッジ元監督の足達勇輔が監督に就任。補強は新人を中心に、ベテラン選手として佐藤一樹、貞富信宏などを獲得した。開幕戦を落とすものの、その後2勝2分。しかし、そこから15試合勝ち星なしという泥沼状態に陥る。レオックの増資引き受けによる事実上のオーナー交代の時期とも重なり、財政的な不安がなくなったフロントは方針を転換し、[要出典]各チームで世代交代の影響を受けていた三浦知良、山口素弘、望月重良など元日本代表選手達を新たに獲得し、チームの強化を図った。特に山口の入団は、既に以前より少なくなっていたとはいえ、横浜FCを応援する元横浜Fサポーター、そして山口本人にとって、他の選手やクラブへの移籍とは少し違った意味を持っていた[8]。
しかし、彼らの加入によりJ1昇格を命題とするような雰囲気が生まれ、足達を招聘した当初の目的である「チームの底上げ」よりも「勝つチーム」が優先され、結果的に若手選手のチャンスの芽を摘むことになった。方針の転換はチグハグな選手起用にも影響が見られ、移籍効果も一時的に終わり[要出典]、結局11位(12チーム中)で終了。サポーターからはクラブ目標の「早期のJ1昇格」への道筋が見えないという批判を受けた。[要出典]
2006年 [編集]
キャッチフレーズ:「夢に蹴りをつける。」
足達が監督を続投。室井市衛、渡辺光輝、鄭容臺、吉野智行、アウグストなどを獲得した一方、小野信義などが退団した。
開幕戦(愛媛戦)に敗北後に足達が解任され(同年中に横浜FCのユース部門責任者に就任)、コーチの高木琢也が後任監督に就任した。フロントは昨年度の不振とキャンプからのチーム作りの遅れなどを理由としたが、この監督交代に対してゴール裏に集うサポーターの多くは怒りを示し[要出典]、ホーム開幕戦となった第2節の鳥栖戦で横断幕掲示やコール斉唱などの応援行動をボイコットする抗議活動を行った。
監督交代後の第2節から第18節まで15戦無敗(9勝6分)、またこの間に連続無失点時間770分[注 1]も記録し、ともにJリーグ記録となった。第43節で首位に立ち、11月26日の鳥栖戦に勝利してJ2初優勝を決めた[注 2]。12月4日のJリーグ理事会の承認を得てJ1昇格が正式に決定した。なお、横浜FCは、いわゆるJ2オリジナル10以外からJ1昇格した初のクラブであり、2013年現在、いまだ唯一のクラブである。
2007年(J1) [編集]
- キャッチフレーズ:「勝つために、ここに来た。」
北村知隆や吉武剛、アレモンなどが退団。城が引退した一方、横浜FMから元日本代表MF奥大介、久保竜彦、東京Vからジウマール・シウバを獲得した。
J1開幕戦は浦和に1-2で敗北。第2節は横浜FMに1-0で勝利、J1初勝利および横浜ダービーの初対戦初勝利を挙げたが、その後は低迷。平本一樹、山田卓也などをシーズン途中に獲得するが、前半戦は最下位。後半戦初戦の第19節(8月11日)の横浜FMに1-8で大敗。試合後に高木が解任され(一方で三浦淳宏の獲得に関して高木とフロントとの確執が表面化したという事情もあった[10])、ジュリオ・レアルが監督に就任したが、10月20日の神戸戦に敗れ、J2降格が決定した。ナビスコカップはグループリーグ敗退、天皇杯は5回戦で愛媛に敗北した。シーズン終了後にジュリオ・レアルが監督を退任した。
2008年 - (J2) [編集]
2008年 [編集]
- キャッチフレーズ:「夢のJ1は終わった。リアルなJ1への挑戦が始まる。」
仙台やC大阪元監督の都並敏史が監督に就任し、3年契約を結んだ。菅野孝憲・内田智也などがJ1の各クラブへ移籍、山口や奥が引退するなど21人が退団した一方、2006年に水戸で16得点を挙げたアンデルソン、同じく水戸で前年まで主将としてチームを牽引し、横浜FCには6シーズンぶりの在籍となったDF吉本岳史、2007年のJFL得点王御給匠、東京Vの戸川健太などを獲得した。
第1クールはアンデルソンが得点を量産して上位につけるも、第2クールになり徐々に失速。昇格争いからも早々に脱落し、第39節時点で昇格の可能性が消滅(最終順位は10位)。都並はシーズン終了を以って監督を解任された。
2009年 [編集]
- キャッチフレーズ:「これからのサッカーが、ここにある」
山形・大宮などを率いた樋口靖洋が2年契約で監督に就任。前年度チーム得点王の16ゴールを挙げたアンデルソン、山田卓也、滝澤邦彦、チョ・ヨンチョル、太田宏介、昨年大宮にレンタル移籍していた内田智也らが完全移籍で退団した一方、千葉に期限付き移籍していた早川知伸が復帰、韓国から劉孝眞、名古屋から片山奨典、大宮から田中輝和が加入し、またレンタル移籍だった戸川健太・須藤右介は完全移籍となり、難波宏明と並びチーム2位の7得点を決めた池元友樹もレンタル移籍期間延長となった。さらに4月には2006年から2007年7月まで在籍していた鄭容臺が約2年ぶりに復帰した。
リーグ戦は開幕から8試合勝利なし(3分5敗)。第9節(対水戸)で初勝利したが、第10節から8試合勝ちなし(1分7敗)。結局、リーグ戦は16位に終わった。天皇杯は3回戦で敗退。なお、シーズン終了後に樋口との2年契約を1年で打切った[11]。
2010年 [編集]
- キャッチフレーズ:「昇格 〜再び一緒にあの舞台に」
前年まで鳥栖監督を務めていた岸野靖之が監督に就任。鳥栖から高地系治、柳沢将之、武岡優斗、渡邉将基、ガイナーレ鳥取からシュナイダー潤之介、韓国釜山から金裕晋、仙台からFWサーレス、仙台や新潟に所属していたシルビーニョを完全移籍で、東京Vから元日本代表FW大黒将志をレンタル移籍で獲得。
開幕3連勝の後、第4節から1勝9敗と低迷し、一時は15位に沈んだが、第14節の鳥栖戦以降5試合負けなし。6月に大黒が退団(東京Vへ復帰後、FC東京へレンタル移籍)したが、元C大阪のカイオ、元大分のホベルトを獲得した。シーズン成績は前年度を大きく上回る6位。天皇杯は3回戦で川崎に敗北。
リーグ終了後、阿部巧はレンタル終了、早川知伸、戸川健太、金裕晋らのDF陣が退団した。なお、岸野はシーズン途中の9月1日からGM兼任となった。
2011年 [編集]
- キャッチフレーズ:「結戦 〜KESSEN〜」
岸野体制2年目。新潟から中野洋司、横浜FMから藤田優人、鹿島から宮崎智彦を獲得。また、新人として井手口正昭、荒堀謙次、佐藤謙介、韓国アンダー代表に選ばれている朴台洪などが入団。また、鳥栖からDF飯尾和也、鳥栖でJ2の日本人得点王の経験を持つ藤田祥史、2010年に特別指定選手として鳥栖で3試合に出場した森本良が入団した。
前年後半の躍進と積極的な補強からJ1昇格候補に推す声も聞かれたが、シーズンに入ると故障者が続出した影響もあり大きく出遅れ、一時はFC岐阜と同順位ではあるが最下位に転落した。8月に飯尾が8月に松本山雅FCへ完全移籍した一方、2010年まで柏に所属していたフランサを補強、10月にはOBの奥大介が強化部長に就任するなどのテコ入れが行われた。夏場には4連勝するなど上昇の気配も見られたが、後半戦は12試合連続無勝利を喫するなど再度失速し、年間を通して一度も二桁順位から脱せないまま18位でシーズンを終えた。天皇杯は初戦(2回戦)で松本に敗退。
シーズン終了後、柳沢将之、フランサが退団、宮崎智彦、藤田優人、寺田紳一がレンタル移籍期間満了、荒堀謙次が栃木に、西田剛が福岡に完全移籍した。また、岸野はGM職をこの年限りで辞任することになった。
2012年 [編集]
- キャッチフレーズ:「走覇(そうは)~走りぬく、つながる想い、輝く笑顔へ~」
岸野体制3年目。ペ・スンジン、大久保哲哉、内田智也、阿部巧など、かつて横浜FCに所属した選手が復帰した。また、杉山新、田原豊、永井雄一郎、堀之内聖を完全移籍で獲得。小野瀬康介がユースから昇格し、韓国U-19代表候補の羅誠洙、2010シーズン特別指定選手だった中里崇宏とプロ契約を結んだ。
開幕2試合を1分1敗。第3節の千葉戦に敗北して最下位に転落した翌3月18日に岸野が解任された。第4節はヘッドコーチの田口貴寛が監督代行を務めた後、3月21日にOBの山口素弘が監督に就任した。第5節、第8節と最下位となるが、第13節北九州戦から第18節徳島戦までクラブ史上初の6連勝。後半戦初戦、第22節町田戦で4-0と快勝し9位に浮上してからは、後半戦を通じて1桁順位を維持、第37節アウェー大分戦の勝利でJ1昇格プレーオフ圏内の6位に浮上。第39節から最終4節を4連勝。リーグ戦は4位の成績でJ1昇格プレーオフへ回った。J1昇格プレーオフ準決勝はホームで5位の千葉に敗北し、J1復帰はならなかった。
天皇杯は3回戦で横浜F・マリノスに敗北した。なお、2012年6月、一般社団法人横浜FCスポーツクラブを設立。同7月に香港ファーストディビジョンリーグ所属の「標準流浪」を買収し「横浜FC香港」として参加させると発表。
2013年 [編集]
- キャッチフレーズ:「+ONE 心をひとつに」
山口体制2年目。堀之内聖、八角剛史、渡邉将基、杉山新が退団、阿部巧、関憲太郎がレンタル移籍期間満了、中野洋司が栃木に完全移籍した一方、群馬から松下裕樹、川崎から黒津勝、熊本から市村篤司などを完全移籍で獲得。2月に横浜FCスポーツクラブを運営会社として女子チームの横浜FCシーガルズが発足した。
成績 [編集]
詳細は「横浜FCの年度別成績一覧」を参照
タイトル [編集]
リーグ戦 [編集]
- Jリーグ ディビジョン2:1回
- 日本フットボールリーグ:2回
- 1999年、2000年
個人別 [編集]
- 新人王
- 2007年 : 菅野孝憲
- 日本フットボールリーグ
- MVP
- 得点王
- 2000年 : 有馬賢二
- ベストイレブン
- 敢闘賞
- 2000年 : 後藤義一
下部組織 [編集]
詳細は、当項目を参照
| 一般社団法人横浜FCスポーツクラブ | |
|---|---|
| 創立者 | 株式会社横浜フリエスポーツクラブ |
| 団体種類 | 一般社団法人 |
| 設立 | 2012年6月 |
| 所在地 | 神奈川県横浜市保土ケ谷区川島町646-2 |
| 主要人物 | 小野寺裕司(設立時社員)、奥寺康彦(代表理事) |
| 活動地域 | |
| 活動内容 | サッカースクールおよび女子サッカーチームの運営他 |
| ウェブサイト | http://www.yokohamafc-sc.com |
育成組織(アカデミー)として、ユース(U-18)、ジュニアユース(U-15)およびU-12強化の3カテゴリを有しており、株式会社横浜フリエスポーツクラブが運営している。また、幼稚園児から大人に至るまでの「横浜FCサッカースクール」は、2012年6月に設立された一般社団法人横浜FCスポーツクラブ[12]が運営している。
なお、横浜FCスポーツクラブは上述のサッカースクールの運営以外にも、2013年2月に発足した横浜FCシーガルズの運営[13]、チアリーディング(F!リーダーズ)、ヨガおよび卓球のスクールの運営、横浜FC LEOCトレーニングセンター内の体育館施設の運営・管理を手掛けている。
また、2012年7月に香港ファーストディビジョンリーグ所属の「標準流浪」の運営権を取得(横浜FC香港へ名称変更)し、その運営会社として横浜FC香港スポーツクラブ株式会社(英語: YOKOHAMA FC HONG KONG SPORTS CLUB COMPANY LIMITED)を設立している。
ダービーマッチ [編集]
横浜ダービー [編集]
神奈川ダービー [編集]
スタジアム [編集]
ニッパツ三ツ沢球技場(旧名称:横浜市三ツ沢公園球技場)がホームスタジアムであるが、2010年までは日産スタジアム(旧名称:横浜国際総合競技場)も併用していた。その他の開催スタジアムは当項目を参照のこと。
練習場 [編集]
クラブ創設から2006年シーズンまでは固定の練習場を持たず、港北区のしんよこフットボールパークなどの横浜市内の施設転々としていた[14]。2007年からかつて横浜Fや横浜FMが使用していた戸塚区の横浜FC LEOCトレーニングセンター(現名称:横浜スポーツマンクラブサッカーグラウンド)を練習場として使用することになったが、賃貸料が高いことや練習用のサッカーコートの数が不足していることを理由として、練習施設の移転を模索していた[14]。
2009年11月、横浜FCを運営する株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜FSC)が横浜水道局の西谷浄水場内(保土ヶ谷区)にある体育施設の事業者に選定され[15]、2010年3月に横浜FSCは同施設を活動拠点として10年間賃貸する契約を横浜市水道局と締結した[16]。
これを受けて、横浜FSCは2010年4月より練習場の建設を開始し、2010年7月3日に西谷浄水場内へ横浜FCの練習場が移転した(LEOCが同練習場の命名権を取得し、名称は「横浜FC LEOCトレーニングセンター」)[16]。なお、同施設内には天然芝と人工芝が各1面のサッカーグラウンド、体育館や管理棟を改装するクラブハウスなどを整備し、トップチームに加えて横浜FCユースや横浜FCジュニアユースなどの練習場としても活用している[16]。
リーグ戦年度別入場者数 [編集]
- 「日産ス」:日産スタジアム(=「横浜国」:横浜国際総合競技場)、「国立」:国立霞ヶ丘陸上競技場、「西が丘」:国立西が丘サッカー場、「福島」:福島県営あづま陸上競技場、「江戸川」:江戸川区陸上競技場、「夢の島」:江東区夢の島陸上競技場、「三ツ沢陸」:横浜市三ツ沢公園陸上競技場
- 太字は最多・最少記録。
| 年度 | 所属 | 合計 入場者数 |
最多 入場者数 |
最少 入場者数 |
平均[注 3] 入場者数 |
ホーム 試合数 |
ニッパ球(三ツ沢球)以外の開催 (数字は試合数) |
出典 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1999 | JFL | 53,045 | 11,283 | 1,494 | 4,080 | 13 | 綾瀬3、横浜国2、愛川2、平塚2、保土ヶ谷1、海老名1 | [17] |
| 2000 | 40,293 | 5,324 | 2,808 | 3,663 | 11 | 横浜国1 | [18] | |
| 2001 | J2 | 66,160 | 7,174 | 1,311 | 3,007 | 22 | 横浜国1、西が丘1、夢の島1、福井1 | [19] |
| 2002 | 76,498 | 11,118 | 1,518 | 3,477 | 22 | 三ツ沢陸6、夢の島4、横浜国1、江戸川1 | [20] | |
| 2003 | 82,351 | 8,574 | 1,851 | 3,743 | 22 | 横浜国2、夢の島1、福島1 | [21] | |
| 2004 | 92,818 | 12,180 | 2,011 | 4,219 | 22 | 横浜国1、夢の島1、江戸川1 | [22] | |
| 2005 | 130,644 | 12,849 | 2,863 | 5,938 | 22 | 江戸川1、西が丘1 | [23] | |
| 2006 | 122,852 | 11,472 | 2,690 | 5,119 | 24 | 国立2、日産ス1 | [24] | |
| 2007 | J1 | 238,662 | 46,697 | 4,114 | 14,039 | 17 | 日産ス6、国立2 | [25] |
| 2008 | J2 | 142,655 | 36,945 | 2,536 | 6,793 | 21 | 日産ス1、国立1 | [26] |
| 2009 | 91,898 | 5,489 | 1,541 | 3,535 | 26 | 日産ス1、国立1、西が丘1、駒沢1 | [27] | |
| 2010 | 104,230 | 10,809 | 3,553 | 5,791 | 18 | 日産ス1、国立1 | [28] | |
| 2011 | 109,632 | 16,813 | 1,853 | 5,770 | 19 | 国立1、西が丘1 | [29] | |
| 2012 | 126,810 | 9,687 | 2,639 | 6,039 | 21 | 福島1 | [30] | |
| 通算 | JFL | 93,338 | 11,283 | 1,494 | 3,889 | 24 | ||
| J2 | 1,146,548 | 36,945 | 1,311 | 4,797 | 239 | |||
| J1 | 238,662 | 46,697 | 4,114 | 14,039 | 17 | |||
| 総通算 | 1,478,548 | 46,697 | 1,311 | 5,281 | 280 | |||
- 1999年は特例でJFL準会員で参加したが、三ツ沢球・三ツ沢陸の使用スケジュールが埋まっていたため、横浜市内での開催は三ツ沢陸を除いた3会場で6試合のみで、残りは県内の競技場で開催した。
- 2002年は三ツ沢球が2002 FIFAワールドカップ出場国の練習会場に使われ、芝生の養成・生育が必要となったことから、4-9月の主催ゲームの多くを三ツ沢陸を会場として行った。
- 2003年に福島県営あづま陸上競技場(以下「福島」)でホームゲームを開催したが、ピッチの面積がJリーグ公式戦の基準より狭いことが判明したため2009年にベガルタ仙台主催試合が開催(相手は横浜FC)されるまでJリーグの開催はなかった。2012年9月23日の徳島戦が9年ぶりに福島でホームゲームを開催したが、当初開催される予定だったニッパ球が使用できず、近隣スタジアムでの開催も全て不可となったことによる。なお、この試合は東日本大震災復興支援活動の一環として開催された[31][32]。
- 2007年4月14日、日産スでJ1昇格後最初のホームゲームとなる鹿島アントラーズ戦が行われ、スタジアムの定員7万人をいっぱいに埋め尽くそうという「7万人プロジェクト」と呼ばれる企画を行った。なお、観客数は当時の横浜FC史上最多の19,367人であった。
- 2007年12月1日、最終節の浦和戦で46,697人を動員(クラブの最多観客動員記録)。
ユニフォーム [編集]
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チームカラー [編集]
- 白、 水色、 紺
ユニフォームデザイン [編集]
ユニフォームは横浜Fと同じように当初は白をベースとしたユニフォームを第1ユニ、第2ユニは水色ベースだったが、2003年からそれを入れ替え、水色ベースを第1ユニ、白は他チームと同じように第2ユニとした。
2007年から2008年まで使用されていたユニフォームは胴体部分に紺の横縞が12本入っているのが特徴。 ユニフォームサプライヤーのヒュンメルとスーツサプライヤーのユナイテッドアローズとのコラボレーション作品で、12本の縞はチームとサポーターの絆の象徴を表している。
ユニフォームスポンサー [編集]
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | LEOC | LEOC | 2009年 - | 2005年は袖、 2006年 - 2008年は背中 |
| 背中 | ジャパンエレベーターサービス | jes | 2012年 - | 2011年はパンツ |
| 袖 | ライフプラザホールディングス[注 4] | ほけんの窓口 | 2013年 - | 2012年はパンツ |
| パンツ | 横浜日泰リース | YNL | 2013年- |
ユニフォームサプライの遍歴 [編集]
歴代ユニフォームスポンサー年表 [編集]
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 1999 | Socio Fuliesta | BOSCH | CITIBANK | - | Mizuno |
| 2000 | |||||
| 2001 | NISSO | セキド | hummel | ||
| 2002 | -/norika.net | 日土地 | |||
| 2003 | FEALS | ふくしまの米 | |||
| 2004 | -/NISSO | ||||
| 2005 | NISSO | LEOC | 明日佳グループ | ||
| 2006 | ライフコミューン | LEOC | LM | ||
| 2007 | TOMAS | ||||
| 2008 | Nojima | ライフコミューン | |||
| 2009 | LEOC | 明日佳グループ | フィート | M3D | |
| 2010 | GENOVA | レオックジャパン | - | ||
| 2011 | CHECKER MOTORS | 明日佳グループ | jes | ||
| 2012 | -/明日佳グループ | jes | ほけんの窓口 | ||
| 2013 | ほけんの窓口 | YNL |
テーマソング [編集]
- THE ALFEE 「Wings of Freedom」: 作詞・作曲:高見沢俊彦、編曲:THE ALFEE
注釈 [編集]
出典 [編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x クラブガイド:横浜FC Jリーグ公式サイト
- ^ a b c “クラブ概要”. 横浜FC公式サイト. 2013年3月19日閲覧。
- ^ a b c d e f 2011年度Jクラブ情報開示 資料 (PDF) Jリーグ公式サイト
- ^ 株式会社LEOC 第5期有価証券報告書(p.7) 2013年3月19日閲覧
- ^ 株式会社フィートエンターテイメントの連結子会社化について (PDF) 株式会社LEOC 2013年3月19日閲覧
- ^ 横浜FCオフィシャルクラブマスコット 誕生!!名前をつけてください!!
- ^ ソシオ横浜(旧ソシオ・フリエスタ)の資料
- ^ http://www.jsgoal.jp/news/00022000/00022879.html J's GOAL
- ^ 横浜FC 昇格内定・J2優勝記者会見 J's GOAL
- ^ 横浜FC、補強巡り内紛 高木監督「三浦淳の移籍に違和感」 中日スポーツ
- ^ 横浜FC新監督に岸野氏有力、今季限りで鳥栖退任 「カナロコ」(神奈川新聞サイト) 2009年11月26日付
- ^ “一般社団法人・横浜FCスポーツクラブ設立のお知らせ” (プレスリリース), 横浜FC公式サイト, (2012年7月5日) 2013年2月5日閲覧。
- ^ “横浜初、なでしこリーグを目指す 横浜FCシーガルズ誕生のお知らせて” (プレスリリース), 横浜FC, (2012年6月1日) 2012年6月9日閲覧。
- ^ a b “【J2日記】横浜FC(10.06.23)”. J's Goal (2010年6月23日). 2013年3月21日閲覧。
- ^ “西谷浄水場内の体育施設を活用する事業予定者を決定しました!” (プレスリリース), 横浜市水道局, (2009年11月25日) 2013年3月21日閲覧。
- ^ a b c “Jリーグ「横浜FC」の活動拠点が水道局西谷浄水場内に移転しました!” (プレスリリース), 横浜市水道局, (2010年6月28日) 2013年3月21日閲覧。
- ^ “第1回 日本フットボールリーグ(1999)”. 日本フットボールリーグ. 2012年10月27日閲覧。
- ^ “第2回 日本フットボールリーグ(2000)”. 日本フットボールリーグ. 2012年10月27日閲覧。
- ^ “2001年Jリーグディヴィジョン2”. 日本プロサッカーリーグ. 2012年10月28日閲覧。
- ^ “クラブ別入場者数 2002Jリーグ ディビジョン2”. 日本プロサッカーリーグ (2002年11月24日). 2012年10月28日閲覧。
- ^ “クラブ別入場者数 2003Jリーグ ディビジョン2”. 日本プロサッカーリーグ (2003年11月23日). 2012年10月28日閲覧。
- ^ “クラブ別入場者数 2004Jリーグ ディビジョン2”. 日本プロサッカーリーグ (2004年11月27日). 2012年10月28日閲覧。
- ^ “2005Jリーグ ディビジョン2 クラブ別入場者数”. 日本プロサッカーリーグ (2005年12月3日). 2012年10月28日閲覧。
- ^ “2006Jリーグ ディビジョン2 クラブ別入場者数”. 日本プロサッカーリーグ (2006年12月2日). 2012年10月28日閲覧。
- ^ “2007Jリーグ ディビジョン1 クラブ別入場者数”. 日本プロサッカーリーグ (2010年10月30日). 2012年11月3日閲覧。
- ^ “2008Jリーグ ディビジョン2 クラブ別入場者数”. 日本プロサッカーリーグ (2008年12月6日). 2012年11月3日閲覧。
- ^ “2009Jリーグ ディビジョン2 クラブ別入場者数”. 日本プロサッカーリーグ (2009年12月5日). 2012年11月3日閲覧。
- ^ “2010Jリーグ ディビジョン2 クラブ別入場者数”. 日本プロサッカーリーグ (2010年12月4日). 2012年11月4日閲覧。
- ^ “2011Jリーグ ディビジョン2 クラブ別入場者数”. 日本プロサッカーリーグ (2011年12月3日). 2012年11月4日閲覧。
- ^ “2012Jリーグ ディビジョン2 クラブ別入場者数”. 日本プロサッカーリーグ (2012年11月11日). 2012年11月11日閲覧。
- ^ “「ほけんの窓口グループPresents 燃やせ!福島魂Match」 開催決定のお知らせ” (プレスリリース), 横浜FC公式サイト, (2012年7月17日) 2013年3月21日閲覧。
- ^ “横浜FC被災地復興支援試合” (プレスリリース), 横浜FC 2013年3月21日閲覧。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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